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posted by yoji at 4:48 午前
p・793)と語っている・そして,投資の限界効率の概念によっては投資量を決定することができないというカレッキの批判に対しては,r現在の価格上昇が将来価格についての期待に不相応な(disp・0pOrtionate)影響を及ぼすであろうというだけでなく,将来価格が〔現在と〕同じ割合で上昇するであろうと予想される,とあなたは想定しているように思われます.まさに,これは長期期待に対する即時的状態の影響の法外な過度の強調ではないでしょうか」(同上, ・p・793,〔〕内は引用者のもの)と答えている.さらに同年4月12日の手紙では,rあなたの議論は,アキレスと亀の説明のように私には思われます.あなたは私に,……たとえアキレスが亀に追いつくとしても,それは多くの期間が経過した後にのみであろうと語っているのです」(同上,p・798)としてカレツキの見解に反論を加えている・もちろん,ここでrアキレス」とは投資量を,「亀」とは一般物価水準のことを指している.ともかくも,ケインズはカレツキの自らに対する批判は当たらないとし,自らはすでに資本の限界効率概念のなかで,投資量の増大に伴なう危険逓増を考慮していると述べたのである. 以上のケインズの主張についてであるが,笑際のところ,彼が『一般理論』においてr危険逓増」の問魑を考慮していたとみなすのは難かしい.周知のように,ケインズは『一般理論』第11章において,投資量の決定について,(1)資本の隈界効率と利子率の均等,(2)投資財の需要価格と供給価格の均等,という2通りの解決を提示した・(1)では資本の隈界効率の低下を生産物供給量の増力日による企業間競争の発生と生産設備価格の上昇によって説明し,資本の隈界効率が利子率に等しくなる点まで投資が進められるとされている.一方,(2)ではr借手のリスク」とr貸手のリスク」に言及し,この2種類のリスクの遁増が投資財の需要価格・供給価格に影響を及ぼすことにより投資を制約するとされている・そしてケインズ自身はこれら2通りの解決を事実上同じものであるとみなして,主に(1)の方法に基づきながら『一般理論』の叙述を展開 1した.だがミンスキーは(1)を「標準的モデノレ」,(2)を「資本化モデル」と名づけて,2つは内容の異なるものであると考える.彼は,「選択をしたときに 1は何等差異がないように見える選択が,具合の悪い結果をもたらす揚合がある850
のと同様,〔標準的モデル〕の選択も振り返ってみれぱ不幸な結果をもたらし てしまった」(Minsky[1975]邦訳153頁,〔〕内は引用者のもの)とし, 「ケインズがこのようなモデルを選んだために,彼にとっては資金貸付の一属’ 性にすぎない利子率が,モデルの中枢として不当に強調されることになってし まった」(同上,157頁)と論じている15).ミンスキーの説明からも明らかなよ うに,もしケインズがカレツキあての手紙において語ったように,資本の隈界 効率概念において投資増カロに伴なう危険逓増を考慮していたのであれぱ,ミン スキーのいうr資本化モデル」を選択するべきであった.ところが実際にはそ うしなかったのである.すなわち,ケインズは投資の大きさにかかわらず企業 に対する貸付利子率は一定であり,またそれは金融の源泉から独立であるとみ なした.このようにケインズはカレッキとは異なり,モディリアー二=ミラー の世界にとどまることになるのである、少なくとも『一般理論』においては, ケインズは投資の金融的側面を捨象することになってしまったと言ってよいだ ろう.たとえぱカーンも「ケインズは,投資の決定要因として危険のない利子 率の一他の諸要因に比しての一重要性を誇張した点で,当然に批判されて よい」(Kahn[1984コ邦訳228頁)と指摘している. これに対して,カレツキは投資・生産過程において信用の利用可能性の演じ る役割の重要性を強調する.投資の増カロに伴う危険逓増が作用するとされてい るカレッキの世界では,投資の増加にしたがって資金調達費用が上昇すること により,同時に,投資に対する予想収益も低下してゆくことになる.ここでは 借手のリスクと貸手のリスクが投資決定に対して大きな影響力をもつ.この視 点がミンスキーのtwo-price-1evel mode116〕において中心的な役割を果たして いることはよく知られているところである.ミンスキー自身,r借手のリスク およぴ貸手のリスクという用語は,ケインズの『一般理論』にもみられるが,・ 通常は,カレツキに帰せられている」(Minsky[1986コ邦訳234頁)と述べて いるように,ミンスキーの投資決定理論はカレッキ理論の発展線上にあるもの と言っても間違いではないだろう.彼は自らのモデルの想源を主としてケイン’ ズの「資本化モデノレ」に求めているけれども,それはカレッキの「危険逓増の
カレツキの貨幣経済論 :ケインズとの対比において鍋島直樹https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/12562/1/ronso1040601240.pdf
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p・793)と語っている・そして,投資の限界効率の概念によっては投資量を決定することができないというカレッキの批判に対しては,r現在の価格上昇が将来価格についての期待に不相応な(disp・0pOrtionate)影響を及ぼすであろうというだけでなく,将来価格が〔現在と〕同じ割合で上昇するであろうと予想される,とあなたは想定しているように思われます.まさに,これは長期期待に対する即時的状態の影響の法外な過度の強調ではないでしょうか」(同上, ・p・793,〔〕内は引用者のもの)と答えている.さらに同年4月12日の手紙では,rあなたの議論は,アキレスと亀の説明のように私には思われます.あなたは私に,……たとえアキレスが亀に追いつくとしても,それは多くの期間が経過した後にのみであろうと語っているのです」(同上,p・798)としてカレツキの見解に反論を加えている・もちろん,ここでrアキレス」とは投資量を,「亀」とは一般物価水準のことを指している.ともかくも,ケインズはカレツキの自らに対する批判は当たらないとし,自らはすでに資本の限界効率概念のなかで,投資量の増大に伴なう危険逓増を考慮していると述べたのである. 以上のケインズの主張についてであるが,笑際のところ,彼が『一般理論』においてr危険逓増」の問魑を考慮していたとみなすのは難かしい.周知のように,ケインズは『一般理論』第11章において,投資量の決定について,(1)資本の隈界効率と利子率の均等,(2)投資財の需要価格と供給価格の均等,という2通りの解決を提示した・(1)では資本の隈界効率の低下を生産物供給量の増力日による企業間競争の発生と生産設備価格の上昇によって説明し,資本の隈界効率が利子率に等しくなる点まで投資が進められるとされている.一方,(2)ではr借手のリスク」とr貸手のリスク」に言及し,この2種類のリスクの遁増が投資財の需要価格・供給価格に影響を及ぼすことにより投資を制約するとされている・そしてケインズ自身はこれら2通りの解決を事実上同じものであるとみなして,主に(1)の方法に基づきながら『一般理論』の叙述を展開 1した.だがミンスキーは(1)を「標準的モデノレ」,(2)を「資本化モデル」と名づけて,2つは内容の異なるものであると考える.彼は,「選択をしたときに 1は何等差異がないように見える選択が,具合の悪い結果をもたらす揚合がある850
のと同様,〔標準的モデル〕の選択も振り返ってみれぱ不幸な結果をもたらし てしまった」(Minsky[1975]邦訳153頁,〔〕内は引用者のもの)とし, 「ケインズがこのようなモデルを選んだために,彼にとっては資金貸付の一属’ 性にすぎない利子率が,モデルの中枢として不当に強調されることになってし まった」(同上,157頁)と論じている15).ミンスキーの説明からも明らかなよ うに,もしケインズがカレツキあての手紙において語ったように,資本の隈界 効率概念において投資増カロに伴なう危険逓増を考慮していたのであれぱ,ミン スキーのいうr資本化モデル」を選択するべきであった.ところが実際にはそ うしなかったのである.すなわち,ケインズは投資の大きさにかかわらず企業 に対する貸付利子率は一定であり,またそれは金融の源泉から独立であるとみ なした.このようにケインズはカレッキとは異なり,モディリアー二=ミラー の世界にとどまることになるのである、少なくとも『一般理論』においては, ケインズは投資の金融的側面を捨象することになってしまったと言ってよいだ ろう.たとえぱカーンも「ケインズは,投資の決定要因として危険のない利子 率の一他の諸要因に比しての一重要性を誇張した点で,当然に批判されて よい」(Kahn[1984コ邦訳228頁)と指摘している. これに対して,カレツキは投資・生産過程において信用の利用可能性の演じ る役割の重要性を強調する.投資の増カロに伴う危険逓増が作用するとされてい るカレッキの世界では,投資の増加にしたがって資金調達費用が上昇すること により,同時に,投資に対する予想収益も低下してゆくことになる.ここでは 借手のリスクと貸手のリスクが投資決定に対して大きな影響力をもつ.この視 点がミンスキーのtwo-price-1evel mode116〕において中心的な役割を果たして いることはよく知られているところである.ミンスキー自身,r借手のリスク およぴ貸手のリスクという用語は,ケインズの『一般理論』にもみられるが,・ 通常は,カレツキに帰せられている」(Minsky[1986コ邦訳234頁)と述べて いるように,ミンスキーの投資決定理論はカレッキ理論の発展線上にあるもの と言っても間違いではないだろう.彼は自らのモデルの想源を主としてケイン’ ズの「資本化モデノレ」に求めているけれども,それはカレッキの「危険逓増の
カレツキの貨幣経済論 :ケインズとの対比において
鍋島直樹
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