日曜日, 2月 24, 2019

キシテイニー本より、経済学史

キシテイニー本より、


さあ、交易をはじめよう


紀元前380年ころ
プラトンがその理想国家についての説明をおこなう。そこでは、財産は万人によって所有され、労働は専門化されている。

紀元前350年ころ
アリストテレスが私有財産を擁護する議論を展開するが、金銭をそれ自体のために蓄積することには反対した。

後1265-74年
トマス·アクィナスが、生産物の代価が「公正」であるのは、利益が超過しておらず、販売過程になんのごまかしも見られないばあいだけのことだと論じる。


後1397年
イタリアのフィレンツェにメディチ家の銀行が創設される。これは、国際貿易を当てにした金融機関の最初のもののひとつだ。

1400年ころ
手形が、ヨーロッパ内での貿易における支払い方法のスタンダードとなる。その信用を保証するのが商人銀行だ。

1492年
クリストファー·コロンブスが、アメリカ大陸へ到達する,ほどなくして金がヨーロッパに流れこみ、貨幣の供給が増加する。


1599年
国際貿易をつかさどる会社にして、世界最初のグローバル·ブランドとなったイギリスの東インド会社が、設立される。

1630年ころ
トマス·マンが国内の富を増加させる方法として海外への輸出を活用する、重商主義政策を推奨する。

1637年
オランダのチューリップ市場で投機によるバブルがはじけて数千人にのぼる出資者が破産を余儀なくされた。
1668年
ジョサイア·チャイルドが、自由貿易のありようを描きだして、輸出と同じく輸入の同等の増加を促す。

1682年
ウィリアム·ペティが、『貨幣小論』のなかで、どのようにすれば経済現象が計測可能となるかを示す。

1689年.
ジョン·ロックが富の源泉は貿易ではなく、労働だと主張する。

1697年
グレゴリー·キングが、17世紀のイギリスにおける貿易取引の統計的概略を計算する。

1752年
デイヴィド·ヒュームが、公共財の費用は政府がまかなうべきだと主張する。

1756年
フランソワ·ケネーとそのあとを継いだ重農主義者たちが、土地と農業こそが経済的繁栄の唯一の源泉であると論じる。

1758年
フランソワ·ケネーが「マクロ経済学」すなわち経済全体の機能についての最初の分析である「経済表」を公刊する。




理性の時代


1766年
アン=ロベール=ジャック·チュルゴが課税対象から貿易と産業を免除すべきだと主張する。


1770年代
デイヴィド·ヒュームが貿易保護政策を非難して、各国は輸入よりも輸出を優先しようとすべきではないと主張する。

1771年
リチャード·アークライトが、イギリスに機械化された綿エ場を開設し、さらにそこに機械を導入して、産業革命の速度を速める。

1774年
チュルゴが、フランスの財務大臣に任命され、税制を改革して裕福な地主に課税できるようにする。


1776年
アダム·スミスの『国富論」が刊行される。

1776年
ジェームズ·ワットの蒸気エンジンの第1号が、イギリスの工場で稼動しはじめ、ここから産業革命がはじまる。

1776年
アメリカ独立宣言がアメリカ議会に採択される。

1780年代
スミスの貿易自由化についての提案が、当時のイギリス首相ウィリアム·ピット (小ピット)によって採用される。

1789年
パリのバスチーユ監獄の襲撃をきっかけとして、フランス革命が勃発する。


1791年
ジェレミー·ベンサムが、「最大多数の最大幸福」を目標とする、自身の功利主義理論を確立する。


1795年
エドマンド·バークが、賃金と価格の統制への国家の介入を批判する。


1798年
トマス·マルサスが人口が資源を超過することの危険と、その結果生じるであろう被害について警告を発する。

1803年
ジャン=バティスト·セーが、セーの販路法則を提案する。それによれば、経済活動において商品の需要不足ないし供給過剰という事態はけっして起こりえない。

1817年
デイヴィド·リカードが、自由貿易と分業を説いた19世紀の古典派経済学の基礎をすえる。

1819年
ジャン·シャルル·レオナール・デ·シスモンディが、景気循環と、長期的な成長と短期的な変動とのあいだのちがいを説く。

1819年
アメリカが最初の大規模な金融危機をこうむる。これにつづいて、持続的成長の時代が到来する。

産業革命と経済革命

1838年
アントワーヌ·クールノーが経済学に関数と確率の役割を採りいれ、需要と供給をひとつのグラフで表現した最初のひとりとなる。


1841年
バブル経済の現象が、チャールズ·マッケイの『狂気とバブル-なぜ人は集団になると愚行に走るのか』のなかで描写される。

1848年
ジョン·スチュアート·ミルが、貿易と社会的公正の双方を推奨して、自由経済学の基礎をすえた。

1848年
カール·マルクスとフリードリヒ·エンゲルスが、『共産党宣言』を公刊する。

1867年
カール·マルクスが『資本論」第1巻を公刊したが、第2巻以降はフリードリヒ·エンゲルスによってマルクスの死後に公刊された。

1870年代
ロバート·ギッフェンが、価格とともに消費が上昇するギッフェン財の概念を導入する。

1871年
ウィリアム·ジェヴォンズが、価値を生産者から買い手へ伝えられるものとみなす価値の限界効用理論を公表する。

1871年
カール·メンガーがオーストリア学派を設立し、社会主義の理念にたいして自由主義経済を擁護した。

1874年
レオン·ワルラスが、自由市場の安定性を主張する一般均衡理論の土台をすえる。

1890年
アルフレッド·マーシャルが、『経済学原理」を公刊して、経済学に新しい数学的手法を持ちこむ。

1894年
社会運動家ベアトリス·ウェッブとシドニー·ウェッブが、画期的な『労働組合運動の歴史』を公刊する。

1899年
ソースタイン·ヴェブレンが、『有閑階級の理論』のなかで、富裕層の誇示的消費を描きだす。

1906年
ヴィルフレド·パレートが、ほかのだれかの現状が悪化しないことにはだれの現状も上向きにはならないような状態を意味するパレート最適を定式化する。

1914年
フリードリヒ·フォン·ヴィーザーがおこなわれなかった選択の価値を推定する機会費用を記述する。

1920年
アーサー·ピグーが、企業は自社が生みだす汚染にたいして課税されるべきだと主張する。

1922年
ルートヴィヒ·フォン·ミーゼスが、『社会主義--経済的·社会学的分析』のなかで、共産主義の計画経済を批判する。

1927年
ヨーゼフ·シュンペーターが、企業家の決定的な役割を、産業を前進させる革新者として描きだす。


戦争と不況

1929年
イオシフ·スターリンが、ソ連における農場経営の強制的な集産化を宣言する。

ウォール街の株価暴落(アメリカにおける証券と株価の大暴落)が大恐慌時代の幕あけを告げる。

1930年
経済活動の数理的統計学的諸側面を研究する目的で、計量経済学会がアメリカで創設された。

1931年
フリードリヒ·ハイエクが、経済活動への国家の干渉はよくないし、最後には抑圧にいたるだろうと論じる。

金本位制(その国の通貨の価値を金にリンクさせる通貨制度)が停止された。

1932年
ライオネル·ロビンズが「希少な資源の科学」という経済学の定義をおこなう。

1933年
ジョン·メイナード·ケインズが、『ニューヨーク·タイムズ」紙にアメリカの大統領ルーズヴェルトにあてた公開書簡を執筆し、経済にはずみをつけるための政府による財政支出を推奨する。

ラグナー·フリッシュが、マクロ経済学とミクロ経済学の区別を設ける。
アメリカ大統領フランクリン·D·ルーズヴェルトが経済活動を再活性化する目的で国家が介入する一括した政策~ニューディールを導入する。

1936年
ケインズが『一般理論』を公刊して、マクロ経済学ならびに経済活動への国家の重要な役割についてのアプローチをしつらえる。

1937年
ジョン·ヒックスがケインズ乗数を数学的にモデル化したISLMモデルを記述する。

1939年
ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発する。

1940年代
サイモン·クズネッツが、景気循環の存在をあきらかにし、開発経済学の分野の基礎をすえる。

1944年
カール·ポランニーが文化的観点から経済学へアプローチすることで、伝統的な経済学思考に挑戦する。

主要産業国の戦後の金融関係を調整する目的でブレトン·ウッズ協定が調印される。

1945年
第二次世界大戦が終結し、経済再建の時代がはじまる。



戦後の経済学
1945年
国際通貨基金が、アメリカのワシントンD.C.をベースに活動を開始し、影響力を行使しだす。

1949年
共産党の指導下に、中華人民共和国が建国される。

コンラート·アデナウアーが、広大な私有部門と公共部門とをそなえた、
ドイツの社会的市場経済の建設に着手する。

1950年代
ミルトン·フリードマンによって、政府が貨幣供給を制限するマネタリスト政策が推奨される。

1951年
数学者ジョン·ナッシュが、こんにちでは経済活動における意思決定の説明に用いられて
いるゲーム理論のパイオニアとなる。

1951年
ケネス·アローの不可能性定理が、完璧な投票システムのありえないことをあきらかにする。

1953年
コルナイ·ヤーノシュの『行きすぎた中央集権」が、共産主義国家の計画経済の批判的分析を
提示する。

モーリス·アレが、意思決定のパラドックスをあきらかにして、人びとが、勝てる
見こみよりも損するおそれのほうをどれほど嫌うかを示す


1955年
ジェネラル·モーターズ社が、アメリカで最初の年間売上げ1000万ドル以上の企業となる。
ワルシャワ条約が東ヨーロッパの7カ国とソ連のあいだで締結される。

1956年
リチャード·リプシーとケルヴィン·ランカスターが市場の失敗を正そうと
する市場介入によって事態がいっそう悪くなるばあいのあることを示す。

1957年
欧州経済共同体(EEC)が、ローマ条約によって創設される。

1958年
ビル·フィリップスが、フィリップス曲線を提示して、インフレと失業の関係を図示する。

毛沢東が大躍進政策を打ちだして、破滅的な飢饉に陥りかねない中国の産業化を試みる。

1960年
石油輸出国機構(OPEC)がバグダッドで創設される。

1962年
ロバート·マンデルとマーカス·フレミングが、為替相場と生産量のあいだの相関関係を
あきらかにする。

1970年
アンドレ·グンダー·フランクが、従属理論を用いて、グローバル経済は富裕な国と
貧しい国との分断を生みだすと主張する。

ユージン・ファーマが効率的市場仮説を提案して、投資家がつねに市場に活気を与えられる
わけではないと示唆する。


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現代の経済学
1970年
ジョージ·アカロフが、ある売り手がほかの売り手よりもよい情報をもっている市場を採りあげて、情報経済学という新たな領域を開拓する。

1971年
リチャード·ニクソン大統領が、ミルトン·フリードマンの助言にしたがって、ドルと金の価格との連動
を打ちきる。

1973年
石油産出国の集まりであるOPECが、石油生産·供給制限を開始し、世界を経済危機に陥れる。

アウグスト·ピノチェトがクーデターによって権力を掌握、チリがマネタリスト経済政策を実行した
最初の国家となる。

1974年
アーサー·ラッファーが、税金が増えるとどのようにして歳入の減少にいたるのかを示す、ラッファー曲線を説きあかす。

ハイマン·ミンスキーがその金融不安定性仮説の概要を提示し、安定状態がどのようにして不安定状態
へと変貌してゆくかを示す。

1977年
エドワード·プレスコットとフィン·キッドランドが独立した中央銀行の必要性を訴える。

1979年
心理学者エイモス·トヴェルスキーとダニエル·カーネマンが、「プロスペクト理論」を公刊して、行動
経済学の基礎を築く。

1985年
ミハイル·ゴルバチョフが、ペレストロイカとして知られる、ソ連における経済改革のプロセスを始動させる.

1988年
マリリン·ウェアリングの『もし女性が数にいれられたなら--新フェミニスト経済学」が、経済学にジェンダーにもとづいた視角を拓く。

1989年
アリス·アムスデンが、東アジア·タイガー経済の興隆を叙述する。

1994年
ロバート·フラッドとピーター·ガーバーが一連の通貨危機モデルの最初のモデルを創造する。

2000年代
アルベルト·アレシナとダニ·ロドリックが、経済成長と不平等との関係についての研究をおこなう。

2005年
ジェフリー·サックスが『貧困の終焉』のなかで、債務免除が第三世界の経済を起動させるきっかけに
なりうると示唆する。

2006年
ニコラス·スターンが地球温暖化を人類社会が直面する「最大の集合行為問題」として描きだす。

2008年
銀行危機が全世界的な景気後退の原因となり、信用は失墜し、住宅バブルがはじける。