水曜日, 3月 21, 2018

M・ハイデガー:インデックス

リンク::::::::::ハイデガー:インデックス) 
M.ハイデガー:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/heidegger.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: ハイデガーとアリストテレス『自然学 』
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_4.html 

Forclusion・スピノザとデリダ(ネグリ)&ハイデガー『シェリング講義』書 評:メモ(再掲)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/forclusion.html
NAMs出版プロジェクト: ハイデガーと老子、荘子:再掲
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_62.html
ハイデガー「黒ノート」 Heideggers Schwarze Hefte (Heidegger’s Black Notebooks):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/02/heideggers-black-notebooks.html
ハイデガー『存在と時間』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post_26.html
『存在と時間』訳語比較用目次☆
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html
NAMs出版プロジェクト: ハイデガー「クーラの神話」『存在と時間』#42
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/42.html
NAMs出版プロジェクト: ケア、クーラの神話:再掲☆☆
http://nam-students.blogspot.jp/2014/01/blog-post_7340.html
NAMs出版プロジェクト: 存在と時間:再考
http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_25.html
「プラトン哲学の転倒」umgedrehter Platonismus:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/umgedrehter-platonismus.html
NAMs出版プロジェクト: ヘルダーリン(Friedrich Hölderlin):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post_22.html
四方対象

[瓶から]注がれたものを捧げることの全体に、四者の単一性は宿りつづけている。

注がれたものを捧げることの全体が、そもそも捧げることの全体であるのは 、それが 、

大地と天空、神的なものどもと死すべきものどもを宿りつづけさせるかぎりにおいてである。

もっとも、宿りつづけさせるとは 、ここではもはや、眼前的なものがただ居すわっている、

といった意味ではない。宿りつづけさせるはたらきは、 出来事として本有化する(エルアイ

グネン) 。つまりこのはたらきは 、四者をそれらに固有な本性の光のうちへもたらすのである。

この固有な本性の単一性にもとづいて 、四者はたがいに契りを結んでいる 。

 〔 『ブレーメン講演とフライブルク講演』一七頁 〕


大陸実在論の未来ハイデガ ーの四方界 グレアム・ハ ーマン 高野浩之 +飯盛元章訳 

現代思想臨時増刊号2018/2より孫引き


該当論文、ブレーメン講演冒頭「物」(四方界関連)は講談社ハイデッガー人類の知的遺産に邦訳あり


ハイデガー動画集 ☆☆☆
http://nam-students.blogspot.jp/2014/04/blog-post_8.html
マルクス 「フォイエルバッハに関するテーゼ」 #11:メモ ☆☆☆☆
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/karl-marx-thesen-uber-feuerbach-1845.html 
ハイデガー『ツォリコーンゼミナール』より、現存在の図(付:ハイデガーの日本における受容史)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_47.html 
NAMs出版プロジェクト: ハイデガーの思考構造図:まとめ(改訂版)
http://nam-students.blogspot.jp/2016/10/blog-post_18.html
ハイデガー関連:別ブログ
http://yojiseki.exblog.jp/i11/

マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年9月26日 - 1976年5月26日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/マルティン・ハイデッガー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%
E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC

Heidegger Martin - Sein und Zeit.pdf 1927(1967) ☆☆☆☆☆
http://busyreadywhat.org/Authors/Heidegger/Heidegger%20Martin%20-%20Sein%20und%20Zeit.pdf 2.7MB

英語版:


ハイデッガー全集

Gesamtausgabe (Heidegger)
http://de.wikipedia.org/wiki/Gesamtausgabe_%28Heidegger%29
・ハイデッガー全集の独、日、英版リスト

邦訳ハイデッガー全集
http://ambos.hatenablog.com/entry/2015/01/03/220709
・邦訳状況一覧

『ハイデガー読本』秋富克哉, 古荘真敬, 森一郎, 安部浩(法政大学出版局, 2014年) 
http://www.amazon.co.jp/dp/4588150707/
・巻末に全集全巻のサマリーあり 

『Sein und Zeit』の主な訳本 (英:Being and Time、仏:Être et Temps)

『存在と時間』 光文社 (中山元訳)<...刊行中>
『存在と時間』 作品社 (高田珠樹訳)
『存在と時間』 岩波書店 (熊野純彦訳)
『存在と時間』 岩波書店 (桑木務訳)
『存在と時間』 中央公論新社 (原佑、渡辺二郎訳)
『存在と時間』 勁草書房 (松尾啓吉訳)
『存在と時間』 三笠書房 (寺島実仁訳)
『存在と時間』 筑摩書房 (細谷貞雄訳)
『存在と時間』 理想社 (細谷貞雄、亀井裕、船橋弘訳)<ハイデッガー選集>
『有と時』 創文社 (辻村公一、ハルトムート・ブフナー訳)<ハイデッガー全集>

「Destruktion」の訳語
「解体」=細谷、桑木、高田、中山、辻村(構造解体)
「破壊」=原&渡辺、熊野、松尾、寺島


『存在と時間』:図解

        現 存 在
   ____世界=内=存在____
         |       
  世界_____自己   内=存在
    ____________|  不
  | |    頽        \_安
   | 了解_落__企投  内    
   |/視___好奇心 \・存
    |語り____沈黙| 在
    情状性____不安/ ・  
 _|_ (気分)  良心 死   
|   | \____ ・  ・  気遣い  
|   |   __|__  ・関心
|   | ・非本来的/本来的・・  |
|   | ・ |   ・  ・   
|世界性| 開示性_決意性_先駆的  
環境世界|         決意性  
|   道具全体性_適所性・・・世  
場              ・ 界   
        配慮/瞬視  ・  日常性
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論

『存在と時間』:目次
 緒論 存在の意味如何という問いの開陳
第一章 存在問題の必要と構造と優位 1-4
第二章 存在問題の精錬確立における二重課題。探究の方法とその構図 5-8


 第一部 時間性にもとづくとする現存在の学的解釈と、存在如何の問いの超越論的〔先験的〕地平としての時間の解明
  第一篇 現存在の予備的基礎分析
第一章 現存在の予備的分析の課題の開陳 9-11
第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般 12-13
第三章 世界の世界性 14-24
第四章 共同存在および自己存在としての、「世界内存在」。『ひと・世人 das Man』 25-27

第五章 「内存在」そのもの 28-38
第六章 現存在の存在としての慮(気遣い) 39-45

  第二篇 現存在と時間性
第一章 現存在の可能的全体存在と、死への存在 46-53
第二章 自己本来的存在可能の現存在的証言と、覚悟性 54-60

第三章 現存在の自己本来的な全体存在可能と、慮の存在論的意味としての時間性 61-66
第四章 時間性と日常性 67-71
第五章 時間性と歴史性 72-77
第六章 時間性と、通俗的時間概念の根源としての時間内部性 78-83

参考:http://www.eleutheria.com/philosophia/data/22.html

☆☆
クーラの神話
ハイデガーの『存在と時間』第42節に以下のような神話が引用されており、その他者への気遣いをめぐる考察が福祉関連の人びとに参照されている。


クーラ(気遣い)の神話
in Hyginus’ Fabulae ヒュギーヌスの寓話より

昔、クーラ(気遣い、関心)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。
クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。
すでに作り終えて、それに思いをめぐらしていると、ユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。
クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを成し遂げた。
クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、それには自分の名前があたえられるべきだ、と言った。
クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、
自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前こそそれにあたえられるべきだ、と求めた。
かれらはサトゥルヌス(クロノス、時間)を裁判官に選んだ。そしてサトゥルヌスはこう判決した。
ユピテルよ、お前は精神をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。
テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだを受け取りなさい。
さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このものを所有していなさい。
ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、
このものは明らかに土humusから作られているのだから、人間homoと呼ばれてしかるべきであろう。

(Fabulae のラテン語テキストには異本が複数ある。これは Heidegger が Sein und Zeit. S.197. で用いているもの。Fabulae の邦訳は、ヒュギーヌス、松田治・青山照男訳『ギリシャ神話集』、講談社学術文庫、2005)
以上、下記サイトより引用。
http://edu-pdc.edu.wakayama-med.ac.jp/kyweb/kantake/ethics/sono2/curamyth.pdf.

注:
サトゥルヌスはクロノス、時間の神
ユピテルはジュピター、収穫の意
クーラは気遣い、関心の意、Cura (Greek Kore)、ペルセポネーのこと
→http://www.bellissimoyoshi.net/romamito.htm

ローマ神 ギリシャ名 機能
テルス ガイア 大地女神
サトゥルヌス クロノス 農耕の神
ユピテル ゼウス ローマの最高神
プロセルピナ ペルセポネ 農業の女神、あるいはペルセポネの移入


☆☆☆☆☆
#42
»Als einst die »Sorge« über einen Fluß ging, sah sie tonhal- tiges Erdreich: sinnend nahm sie davon ein Stück und begann es zu formen. Während sie bei sich darüber nachdenkt, was sie geschaffen, tritt Jupiter hinzu. Ihn bittet die »Sorge«, daß er dem geformten Stück Ton Geist verleihe. Das gewährt ihr Jupi- ter gern. Als sie aber ihrem Gebilde nun ihren Namen beilegen wollte, verbot das Jupiter und verlangte, daß ihm sein Name gegeben werden müsse. Während über den Namen die »Sorge« und Jupiter stritten, erhob sich auch die Erde (Tellus) und begehrte, daß dem Gebilde ihr Name beigelegt werde, da sie ja doch ihm ein Stück ihres Leibes dargeboten habe. Die Streiten- den nahmen Saturn zum Richter. Und ihnen erteilte Saturn fol- gende anscheinend gerechte Entscheidung: »Du, Jupiter, weil du den Geist gegeben hast, sollst bei seinem Tode den Geist, du, Erde, weil du den Körper geschenkt hast, sollst den Körper empfangen. Weil aber die »Sorge« dieses Wesen zuerst gebildet, so möge, solange es lebt, die »Sorge« es besitzen. Weil aber über den Namen Streit besteht, so möge es »homo« heißen, da es aus humus (Erde) gemacht ist.«       p.198

Cura cum fluvium transiret, videt cretosum lutum sustulitque cogitabunda atque coepit fingere. dum deliberat quid iam fecisset, Jovis intervenit. rogat eum Cura ut det illi spiritum, et facile impetrat. cui cum vellet Cura nomen ex sese ipsa imponere, Jovis prohibuit suumque nomen ei dandum esse dictitat. dum Cura et Jovis disceptant, Tellus surrexit simul suumque nomen esse volt cui corpus praebuerit suum.
 sumpserunt Saturnum iudicem, is sic aecus iudicat: ›tu Jovis quia spiritum dedisti, in morte spiritum, tuque Tellus, quia dedisti corpus, corpus recipito, Cura enim quia prima finxit, teneat quamdiu vixerit. sed quae nunc de nomine eius vobis controversia est, homo vocetur, quia videtur esse factus ex humo.‹ 

_____

☆☆☆
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/cat_50024519.html

ハイデガー マルクスを語る。1969年


Martin Heidegger Critiques Karl Marx - 1969
http://jp.youtube.com/watch?v=jQsQOqa0UVc
ハイデッガー
(略)(社会の変革などということがいったいどこまでいえるのかということも問題です。)世界変革の要求を問題にするとすれば、結局、しばしば引用されるカール・マルクスの『フォイエルバッハに関するテーゼ』にある例の命題にまでさかのぼらねばなりません。
その命題を正確に引用して読み上げてみましょう。「哲学者たちは世界をいろいろと解釈したにすぎなかった。大事なことは世界を変革することだ。」
この命題を引用し、そしてまた特にこの命題に従って行動する場合、人は、世界の変革というものを前提としており、世界表象というものを十分に解釈することによってのみ得られる、とうことを見のがしています。
つまりマルクスはまったく明確な一つの世界解釈を地盤として、そのうえで世界の変革を要求しているのです。だからこの命題は決して基礎づけがしっかりなされたものだとはいえません。この命題は決然として哲学に反対しているかのように見えますが、じつはこの命題の後半には言わず語らずはっきり一つの哲学を要求する態度が前提とされているのです。
『ハイデッガーは語る』(1973年、理想社、pp78-79)


☆☆☆☆
http://www.christopherkullenberg.se/2009/08
 Die Frage nach der Forderung der Weltveränderung, fällt ja auf einem vielzitierten Satz von Karl Marx, die These über Feuerbach zurück, und ich will ungenau sie zitieren und gleich vorlesen:
”Die Philosophen haben die Welt nur verschieden interpretiert [unterstrichen], es kommt darauf an, sie zu Verändern”.
Wenn die Zitation dieses Satzes, und bei der Befolgung dieses Satzes, übersieht mann dass eine Weltveränderung voraussetzt eine Änderung in der Weltvorstellung, und dass eine Weltvorstellung nur zu gewinnen ist dadurch dass man die Welt zureichend interpretiert.
Das heisst Marx ist fusst auf eine ganz bestimmten Weltinterpretation, um seine Veränderung zu fordern. Und dadurch erweisst sich dieser Satz als nicht fundeirter Satz. Er weckt den Eindruck als sei entschieden gegen die Philosophie gesprochen während dem zweiten Teil des Satzes gerade unausgesprochen die Forderung and der Philosophie vorausgesetzt.

 Martin Heidegger im Gesprach 1970 p68~69


 マルクス|ハイデガー
_____|______

 ス  ピ  ノ  ザ

              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定)\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
     \   悪/___2b様態\____\善   /  
      \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
       \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
       /\対象/ /_\/_\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
     /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
   神/______\___\/_第三種認識____\自然
            \ 4理性  /   
             \    /
              \_徳./
               \/
              5自由

____

ハイデガーが聴いた音楽: http://wp.me/p5ELdY-ax @PhiloMandPさんから

では, 例によって例のごとく前置きが長くなってしまいましたが, このよくも悪くも 20 世紀最大の哲学者ハイデガーによる一流の恋文集から笑, いやもうこれね, すごいっすよ笑, ほんーと, 読む価値あります笑, ではでは, ハイデガーがどのような音楽をたしなんでいたかを紹介しましょう.

まずは演奏会について, ハイデガーからアーレント宛, 1925年 9 月 14 日の手紙から.

    「もしも仕事の手があいたら, 九月二一日にちょっと山を降りてフライブルクへ行ってくる---グルリットがコレギウム・ムジークムで, ドイツ・バロック音楽をプレトリウス・オルガンで演奏するのだ ( プレトリウス, シャイト, パッヘルベル, ブクステフーデ )」

    プレトリウス Michael Praetorius , シャイト Samuel Scheidt , パッヘルベル Johann Pachelbel, ブクステフーデ Dieterich Buxtehude いずれも 16 〜 17 世紀頃の音楽家で, 作曲家・オルガン奏者でした.

    この演奏会に実際に行ったのかどうか, また感想のようなものは, この書簡集にみられないのが残念ですが, なかなか素敵じゃないですか. ドイツ・バロックだなんて.

    今谷 和徳『バロックの社会と音楽 ( 上 ) イタリア・フランス編』( 音楽之友社, 1988 )
    今谷 和徳『バロックの社会と音楽 ( 下 ) ドイツ・イギリス編』( 音楽之友社, 1988 )

    ハイデガーが演奏会へ行く記録は他にも, 1951 年 2 月 6 日のハイデガーからアーレント宛の手紙にでてきます. 同年の 1 月に, カール・オルフ Carl Orff 『アンティゴネー』Antigone の上演に行っています. このソフォクレスの悲劇をもとにした音楽劇 ( オルフ自身は, 自らの音楽劇を「世界劇」と称していました ) を, ハイデガーは公演を気に入ったようで, 同じ手紙において,

    「完全にヘルダーリン訳を使った音楽。これほどのものをわたしは久しく味わったことがない」

    「オルフは所作と踊りとことばの根源的な統一にまで遡るもの、そこから激しく生まれ出てくるものを、表現することにかなり成功している。オルフはヘルダーリンをとおして、ある独自の仕方でギリシャ的なものへ到達したのだ。ある瞬間瞬間に、神々がそこにいた。」

    と評しています. これは要するにめっちゃヤバかった, と言いたいわけです.

    また前述の通り. アーレント宛の手紙の冒頭に, 楽曲名を記載してもいます. たとえば, ベートーヴェン「ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111」 ( 1950 年 4 月 12 日の手紙 ) や ,

    ハインリヒ・シェンカー ( 著 ), 山田三香 他 ( 訳 )『ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番 op.111 批判校訂版: 分析・演奏・文献』( 音楽之友社, 2014 )

    バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第三番 第二楽章 アレグロ」( 1950 年 3 月 19 日の手紙 ) です. ブランデンブルク協奏曲は他に, 1950 年 10 月 6 日の手紙にも記述がでてきます (「第 1 番 最終楽章」) . 「この曲, 知ってる ? 」みたいなノリで笑.

    ヴェルナー・フェーリクス ( 著 ), 杉山好 ( 訳 )『バッハ』 ( 講談社学術文庫, 1999)

    いまなら LINE で Youtube の URL を紹介し合うみたいな感じでしょうか.

    このように, ハイデガーの著作から音楽についてのまとまった考察を見つけるのはなかなか難しいですが, ハイデガーは音楽をたしなんでいたことがわかります. バッハ, ベートーヴェン, そして当時の最先端だったオルフ, やっぱ音楽でもドイツ! なんですね.

    ハイデガーに, 音楽をメインにした考察がなぜ少ないのか. あるいは, ハイデガー哲学で音楽を論じるとどうなるのか. といった空想は面白いかもしれませんが… このエントリーではそこまで突っ込みません.

    秋の夜長, ブランデンブルク協奏曲を聴きながら『存在と時間』を読む…, これはちょっと相当なマルチタスク力が必要ですが笑, 両作ともスゴい密度ですので笑, ブランデンブルク協奏曲を聴きながらハイデガーとアーレントの書簡集を読む, なんてのはありかもしれませんね. いや, ないな…, 本読むときは音楽消したいしな…

参考:
アドルノ参照、音楽・文学・哲学対応表
http://nam-students.blogspot.jp/2010/06/blog-post.html

_____

http://yojiseki.exblog.jp/6388324/
後期ハイデガー:メモ
後期ハイデガーは老子をドイツ語訳し、言葉の円環のなかに住まおうとした。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。

      天

神々           人間たち
  

      大地


大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
トートナウベルクには日本人留学生に教えた謝礼金で造った山小屋があったのだ。
そしてドイツとギリシアをつなぐ媒介に選ばれた詩人がヘルダーリンだった。

以下、年譜におけるハイデガーの葬儀(=1976年5月28日、死去は26日)の記述より。

《死の少し前、ヘリングラード編のヘルダーリンの詩句を、「私の墓へ告別の挨拶としてゆっく
りと単純に朗読する」ことを望み、ヘルダーリンの讃歌では「ドイツ人に寄す」、「宥和する者」、
「巨人たち」から、悲歌では「パンと葡萄酒」から選ぶことを望んだ。(略)ヘルマン・ハイ
デッガーは父の意志通りにヘルダーリンを朗読した。その結びは「パンと葡萄酒」第三節のもの
であった。》

(人類の知的遺産75『ハイデガー』芽野良男、講談社p313より)
上記に挙げられた詩はすべて全集第2巻に所収されている。以下、その一節を引用する。


童児を嘲ってはいけない、鞭を手に 拍車をつけて
かれが木馬にまたがり 自分を雄々しい
偉大なものと思っているときも。
なぜならドイツ人諸君よ、君たちも
思想に富んで行為に貧しい者なのだから。(以下略)

「ドイツ人に寄せる」  ヘルダーリン(手塚富雄訳)
(『ヘルダーリン全集2』河出書房p10より)

Spottet nimmer des Kinds, wenn noch das alberne
Auf dem Rosse von Holz herrlich und viel
sich dünkt,
O ihr Guten! auch wir sind
Thatenarm und gedankenvoll!

"An die Deutschen"    Hölderlin
http://www.hoelderlin-gesellschaft.de/index.php?id=137
(ドイツ、ヘルダーリン協会サイトより)


ラジオ、テレビ、映画(『羅生門』に関して日本人との会話で触れている)との関わり(*)が端的に指し示すような、その技術論とともにこうした民族主義も後期ハイデガーを読む上で重要になるだろう。

*追記:
ハイデガーがヘルダーリンの詩を朗読したCDが現在販売されている。

NAMs出版プロジェクト: ヘルダーリン(Friedrich Hölderlin):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post_22.html


《ハイデガ ーの 〈大地 、天空 、神的なものども 、死すべきものども 〉が 、 

〈実在的オブジェクト 、実在的性質 、感覚的オブジェクト 、感覚的性質 〉から成る 「四方界 」と類似している》


オブジェクトへの道 グレアム ・ハ ーマン /飯盛元章訳 現代思想2018/1


大地  天空

神的  死


現実存在と本質?

不在と現前

存在と存在者

 〈覆いをかけられた実在 〉 〈覆いをとられた実在 〉1919


   実在的オブジェクト  実在的性質    〈世界そのもの(実在) 〉1919,1949

   感覚的オブジェクト  感覚的性質    〈それとの遭遇(感覚) 〉1919,1949


  「全体としての世界 」と 「特殊な存在者 」へ 1949



          天     

              [性質]


    神々           人間たち ←(感覚的)
  
[オブジェクト]
          大地

           ↑

         (実在的)




Quadruple Object, The || Zero Books || Book Info

http://www.zero-books.net/books/quadruple-object-the



四方とは、ハイデガーの四方界<Geviert>をモチーフにしている。 

  • 単行本: 237ページ
  • 出版社: 人文書院 (2017/9/26)

[瓶から ]注がれたものを捧げることの全体に 、四者の単一性は宿りつづけている 。注がれたものを捧げることの全体が 、そもそも捧げることの全体であるのは 、それが 、大地と天空 、神的なものどもと死すべきものどもを宿りつづけさせるかぎりにおいてである 。もっとも 、宿りつづけさせるとは 、ここではもはや 、眼前的なものがただ居すわっている 、といった意味ではない 。宿りつづけさせるはたらきは 、 出来事として本有化する(エルアイグネン)  。つまりこのはたらきは 、四者をそれらに固有な本性の光のうちへもたらすのである 。この固有な本性の単一性にもとづいて 、四者はたがいに契りを結んでいる ( 2 7 ) 。

( 2 7 ) H e i d e g g e r , B r e m e r u n d F r e i b u r g e r V o r t r ä g e , 1 2 . 〔ハイデガー全集79
 『ブレ ーメン講演とフライブルク講演 』一七頁 〕

大陸実在論の未来ハイデガ ーの四方界グレアム ・ハ ーマン /高野浩之 +飯盛元章訳 現代思想臨時増刊号2018/2より孫引き




 四方構造は 、人類の思想史において広く行きわたったものであって 、多くの場合 、ふたつの別個の二元論が交差することによって成り立っている 。ここでわたしたちが探求するのは 、一見すると神秘的なハイデガ ーの四方界を協働してつくりあげている 、ふたつの二元論である 。こうした二元論のうちのひとつめは 、時として彼がそれ以外の発想をまったく持っていないかのようにさえ思われるほどに 、彼の全業績をとおして再三繰り返されるものである 。それは 、ハイデガ ーのいわばトレ ードマ ークとなっているものだ 。つまり 、不在と現前 、 〈覆いをかけること 〉と 〈覆いを取ること 〉 、隠蔽と暴露 、退隠と 「として 」構造 、道具と壊れた道具 、被投と企投 、過去と未来 、存在と存在者 、といった同様の対どうしの戯れである 。これらの対立はどれもまったくおなじだという点に注意しさえすれば 、何千ペ ージにも及ぶハイデガ ーの著作の大半を 、一挙に習得することができる 。事物は現前から退隠するが 、その一方で部分的には 、しかじかのもの 「として 」現前する 。 〈隠れること 〉と 〈露わになること 〉という反対の極は 、両義的な現在のうちで結びつく 。これこそが 、ハイデガ ーが 「時間 」という語で言わんとしていたことのすべてなのである 。ハイデガ ーにしたがえば 、 「時間 」とは 、万物の同時的な不在かつ現前なのだ 。 〔さて 〕重々しく繰り返されてきたこの二元論に 、もうひとつの二元論を補えば 、ハイデガ ーの四方構造はただちに明らかになるだろう 。しかも 、この第二の二元性をハイデガ ーのうちに見いだすのは難しいことではない 。注意を向けさえすればよいにもかかわらず 、だれもかれも嘲笑してばかりいて 、 〈大地 、天空 、神的なものども 、死すべきものども 〉にことさら注意を向けようとはしてこなかったのである 。

このように 、一九一九年のハイデガ ーは 、わたしたちに四方界を提示してくれる 。 〔だが 〕それは 、一九四九年のあまりに派手な四方界に比べると 、いくぶん地味に見える 。 〔さらに 〕一九四九年のモデルは 、ある重要な一点においても異なっているのだ 。 〔たしかに 〕一九四九年のモデルにおいても 、ひとつめの二元論は変わっていない 。それは依然として 〈世界そのもの 〉と 〈それとの遭遇 〉とのあいだにあるものだ 。だが 、ふたつめの 〔二元論の 〕軸が変化しているのである 。それは 、あらゆる対象における現実存在と本質との闘争ではなくなり 、 「全体としての世界 」と 「特殊な存在者 」とのあいだの区別へと変化しているのだ 。そして 、この区別が 、覆いをかけられた次元と覆いを取られた次元 〔という 、ひとつめの二元論 〕において反復されることになる 。大地と神的なものどもは 、 〈覆いをかけられた実在 〉の次元に属している 。というのも 、 「大地 」はつねにハイデガ ーにおいて 、まなざしから退隠して見えなくなるものに対する用語として用いられているからだ 。

ところでわたしには 、若きハイデガ ーの四方界のほうが 〔後年のものよりも 〕優れているように思われる (たしかにその提示のされ方は地味であるかもしれないが ) 。



_____

訳語比較用目次、→リンク:::::::::
ハイデガー『存在と時間』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post_26.html
リンク図解図解2辻村中公ちくまちくま対訳目次訳語比較用目次解説図
クーラの神話
参考図解別サイト
動画別サイト
『存在と時間』訳語比較用目次
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html
ケア

        現 存 在1
   __☆@世界=内=存在2___
  |       |       |@@
  世界3     自己4   内=存在5 時間
世界性       |       |~2:2|
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       | 存在、|
  |____気遣い、関心6____| 存在論0 日常性2:4
          |____________| 時間性2:3~6

存在と時間の翻訳ラッシュは時代(今は第一大戦後に近い)の気分的なものもあるが
構造が理解されていないから訳語に必要以上にこだわるようになるということだろう
迷路を進むネズミが虱潰しに進路を試すしかないのに似ている

Heidegger, Martin 1927  ハイデガー 存在と時間
Sein und Zeit (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
     http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
VIII Zweites Kapitel Das In-der-Welt-sein überhaupt als Grundverfassung des Daseins ☆
寺島實仁訳 三笠書房1939~4 (ハイデッガー表記)
  第二章 生存の根本機構としての『世にあること』一般
桑木務 訳 旧岩波 1960-3 
  第二章 現存在の根本構えとしての「世界・内・存在」一般
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994 (ハイデッガー表記)
  第2章 現存在の根本的構成としての世界=内=存在一般
松尾啓吉 訳 勁草書房、1960-66
  第二章 現存在の根本構えとしての「世界内存在」一般
辻村公一 訳『有と時』河出1967,(創文社1997) (ハイデッガー表記)
  第二章 現有の根本体制としての世界の=内に=有ること一般
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
  第二章 現存在の根本機構としての世界内存在一般
熊野純彦 訳 新岩波 2013
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
高田珠樹 訳 作品社2013 
  第二章 現存在の基本的な体制としての世界=内=存在の全般
中山元訳 光文社古典新訳文
    ?
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3.html#index3


なお、Seinを「有」と訳した のは和辻哲郎がはじめだそうである(「有と時」創文社)。


追加:
Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit
 (http://www.amazon.com/dp/3484701536/)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html
         訳語例: § 5.(Temporalitaet)@熊野版第一巻141頁に解説あり、§ 35. Das Gerede @@

存在と時間 邦訳
寺島實仁訳三笠書房1939~40    (覺時性) 、第三十五節 空談(噂話)
桑木務 訳 旧岩波 1960-3      (存在時間的(テンポラル)規定性) 、第三十五節 おしゃべり
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994    (時節性) 、第35節 世間話
松尾啓吉 訳、勁草書房、1960-66     (時性) 、第三五節 空談
辻村公一 訳(有と時) 河出1967,創文社1997  (とき的規定性)河出,(テンポラリテート)創文 、第三五節 空話(雑談)
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003  (存在時性) 、第三十五節 空談
熊野純彦 訳 岩波 2013          (有時性) 、第三五節 空談
高田珠樹 訳 作品社2013       (時節性) 、第三十五節 巷談
中山元訳光文社古典新訳文庫 ?、?


『存在と時間』:図解
            現 存 在 1:1
   ________世界=内=存在________
  |1:3   1:2  |           |
  世界 ________自己1:4       内存在1:5〜2:2
  | | ____________________|\_不安 世界 内=存在
  | ||       頽      良 1:6           
  | ||被投性_了解_落_好奇心__心_企投_死_企投   内   
  | ||__/ 視____好奇心  2:2  2:1 \__存   
  | |  |__語り___空談_____沈黙___沈黙_| 在   
 世界性 \  \_情状性__曖昧性____不安___不安/  ・   
 _|_  \  気分 ・1:5  負い目・  期待・     ・
|   |  \________     ・    ・     ・
|   |       ・   |    ・    ・     ・   1:6 
環境世界|    _______|______   ・     ・   気遣い
|1:3|   |人間 ・ 共同現存在  ・ |  ・     自・・・関 心
道具  |  非本来的 ・ /共同存在  ・本来的 ・ ・ ・ 己   cura  
|   |   | 顧慮・  1:4   ・ 自己 ・     ・   Sorge 
遠ざかり|   |_開示性_______決意性__先駆的決意性 ・   |
|   |                     ・     ・   |
|\  |              道具的存在性 ・     世   |
|方域 道具全体性__道具_得させる____適所性・・・ ・ ・界   |
|/      1:3      \_適所_/   ・         |
場  非本来/本来          全体性    ・         |
   事物的存在性 配慮 配視 瞬視        ・    2:4(日常性)
     既在性________現成化_______到来_  脱自態 時間性
     過去_________現在________未来_|_____2:3 
    忘却/反復_______現前________予期_| 通俗的
                 今             2:6(内部性) 
    (事実性)      (頽落性)  0:1(実存性)  存在、存在論
                               2:5 歴史性
                             開示と解釈(歴史学)
                      0:2      |    72
     好古的歴史学_____記念碑的歴史学___批判的歴史学 
                               |
 フッサール7、10  カント6、43  アリストテレス6  |   
 デカルト  ヘーゲル    7、64    ニーチェ76__|
 18〜21 6、82          パルメニデス36、44
 43                                図、TOP
    活動し努力する者の歴史   記念碑的歴史
    保存し崇敬する者の歴史   骨董的歴史
    苦悩し解放を要する者の歴史 批判的歴史
    (ニーチェ『反時代的考察』2「生に対する歴史の利害について」2〜3、ちくま134頁より)
    以上、『存在と時間』第76節で言及されている。

「現存在とはこの「中間」の存在であるというのであれば、いくらか現象的実態に近くなるであろう。…しかしこれらの存在者をはじめから設定すると、問題の現象ははやくも、破裂してしまう…」
(ちくま文庫上287−8頁 第一篇第五章 1:5 第28節より)

/////////
/////////

Heidegger, Martin 1927 
Sein und Zeit

 (ドイツ語目次、頁数は1967年ドイツ語版 http://www.amazon.com/dp/3484701536/より)
  http://www.filestube.com/80854927318d0aa403ea,g/Heidegger-Martin-Sein-und-Zeit.html

現象学と構造主義
道教と仏教
両者の差異が重要
それぞれ前者には時間、発生論がある
仏教の論理学は唯物論的だからハイデガーには合わない

存在と時間は巨大なクラインの壺的なトートロジーであって
そこでは存在と現存在と脱自が循環している
フッサールもサルトルも現存在という一点では同居している
ただハイデガーの興味は「なぜ無ではなく有なのか」つまり
論理学外の発生論にある
仏教に発生論はないからハイデガーは仏教とはズレる
(ハイデガーと違い仏教の性起は発生論ではない)
道教には発生論がある(講談社現代新書『東洋の合理思想』参照)

ハイデガーはそのトートロジーを
構造として示した点が優れていた
存在と時間以外は解釈学になるが

発生論は本来的なものを志向しファシズムに繋がり得る
ただしハイデガーはあくまで親衛隊ではなく突撃隊
ナチズムは国家主義だから(ワイマール的官僚機構を利用した?)親衛隊が主流
突撃隊では良くも悪くもアウシュビッツを管理出来ない

なおサルトルは弁証法を信じていてハイデガーは信じていない
共に逸脱したが現象学足り得ているのは後者


右翼に皇道派と統制派があるように
(ナチに突撃隊と親衛隊があるように)
左翼にもアナキズムとマルキシズムとがある
__

『存在と時間』で現存在、つまり世界内存在をハイデガーは世界、自己、内存在の
3つのパートに分ける
投企/被投企として受動能動が議論されるのは内存在のパート。
そのあとSorge関心が3つをつなげ、時間論に引き継がれる

ハイデガーの主旨は観念論の擁護だから、唯物論を世界だけで閉じるのがポイント
そして結局唯物論的な世界は捨象されるから不可逆的な観念論、時間論が出来上がる

それに対して受動能動はスピノザの用語と考えればいい
スピノザの場合は時間が消え、実体と属性(思惟と延長)が残る
様態もコナトゥスを伴う限りで残る

スピノザ的に見ると起成原因的な定義がハイデガーの世界、自己、内存在を貫徹する
受動能動が再び哲学的な意味を取り戻す

フッサールの関心Interesseとハイデガーの気遣いSorgeが分岐する
分析哲学と観念論が対立する

ただしハイデガーは唯物論的世界を巧妙に排除しつつも全体の再帰的
構造を提示しているからあらゆる党派的な差異を内包している



ハイデガーが未完の『存在と時間』でやろうとしたことは以下でだいたいわかる。

現象学の根本問題
カントと形而上学
1923/24 現象学的研究への入門 (*デカルト関連論考)
アリストテレスの現象学的解釈

ハイデガーは、カントの構想力を時間論で置き換え、アリストテレスへの円環を完成さ
せようとしたが、ハイデガーに内在する矛盾がそれを許さなかった。
『存在と時間』以降のハイデガーは解釈学だ。その技術論も含めて。
ただし偉大な解釈学だ。


『存在と時間』は以下の構造を持つ(文字ズレごめん)

   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界      自己    内=存在  時間論
世界性       |       |    |
環境世界      |       |   過去
場 道具全体性 開示性非本来性/ 了解   現在 瞬視
適所性     決意性本来性   良心   未来
  |       |      企投    |
  |       |       |  存在、
  |____気遣い、関心_____|  存在論 日常性
          |____________| 時間性


Sorgeによって3つの要素が構造的に束ねられるから、
これを特権的に取り出すのは普通の読みとして正しい。
自分は#42のクーラの神話(主題的にゲーテのファウストへつながる)を最重要視している。


受動/能動(スピノザの用語と考えるといい)に関しては一度ハイデガー哲学を解体して
スピノザに対応させる必要があるということだろう。
ネグリが似たようなことをやっているし、ドゥルーズがその土台を作った。
デリダもハイデガーによるスピノザ排除について指摘しているが、自身がスピノザを排除した。


『存在と時間』:図解(改訂版)

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3_____自己4   内=存在5
  | | ____________|  不
  | ||    頽        \_安
  | || 了解_落__企投  内    
  | ||/視___好奇心 \・存
  | | |語り____沈黙| 在
  | | 情状性____不安/ ・  
  | |  気分   被投性  ・
 _|_ \     良心  死 ・  
|   | \____ ・  ・ ・ 気遣い  
|   | ・  __|__ ・ 自・・関心
|   | ・非本来的/本来的・・己  |
|   | ・ |   ・  ・ ・  |
|世界性| 開示性_決意性_先駆的・  |
環境世界|         決意性・  |
|   道具全体性_適所性・・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性6
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論1

了解 企投−Entwrulf−超越 
気分 被投性−Geworfenheit−事実性 


以下、#43a中公より(改行引用者)

《この世界内存在は
気遣い
といういっそう根源的な存在機構
(世界内部的な存在者のもとでの存在として・おのれに先んじて・なんらかの世界の内ですでに存在しているというあり方)をもっているのである。》

Dieses ist wesenhaft nur als innerweltliches Seiendes zugänglich. Aller Zugang zu solchem Seienden ist ontologisch fundiert in der Grundverfassung des Daseins, dem In-der-Welt-sein. Dieses hat die ursprünglichere Seinsverfassung 
der Sorge 
(Sich vorweg – schon sein in einer Welt – als Sein bei innerweltlichem Seienden).
  自己     世界         内存在

世界、自己、内存在

下の日本語の語順がハイデガーの構成の順序

世界内存在

という言葉にすでに全体構造の3要素がある
この(解釈次第の)入れ子構造によって
受動的能動が可能になる

そこに仏教的解釈を誘う(誘ってしまった)何かがある
ただしハイデガーの思考は仏教と違い発生論を模索する

『存在と時間』:図解(改訂版。世界と自己を内存在が調停する。)

        現 存 在2
   ____世界=内=存在____
  |       |       |
  世界3___内=存在5    自己4
  | / _共現存在/共存在___|
  || /        先駆的
  ||| 開示性_決意性_決意性
  ||| ・ |   ・  ・ 
  |||_・非本来的/本来的・・自
  ||_ ・    |   ・ 己
 _|_ |・    良心  死 ・
|   ||・気分   被投性  ・
|   ||情状性____不安  内  気遣い
|   ||/語り____沈黙\ 存・・関心
|   | |視____好奇心|・在  |
|世界性| \了解_頽__企投/ ・  |
環境世界|     落      ・  |
|   道具全体性__適所性・・・世  |
場              ・ 界  | 
        配慮/瞬視  ・  日常性6
  既在性___現成化___到来_(脱自態)
  過去____現在____未来  時間性 
         今        内部性 
                  歴史性
               存在、存在論1

関心=Sorgeの有意性は能動性というよりは、
世界、自己、内存在の3要素を総合するところにある。

0 Comments:

コメントを投稿

Links to this post:

リンクを作成

<< Home