日曜日, 12月 16, 2018

岡倉天心と聖徳太子(法隆寺)

2010/1/8

岡倉天心と聖徳太子

以下、1890(明治23)年の東京美術学校(東京芸術大学美術学部の前身)での岡倉の講義ノートより。

「余、明治十七年頃美術取調のとき、フェノロサ、加納鉄哉とともに、寺僧を諭して秘仏を見んことを請う。寺僧のいわく、これを開かば必ず落雷すべし。〔略〕落雷の事はわれらこれを引受くべきを約し、始めて寺僧の承諾を得て堂扉を開かんとす。僧等怖れて皆去る。〔略〕七尺有余の仏像、手に珠を載せ截せ つぜん然 として立てるを見る。一生の最快事なりというべし。幸いに落雷にも遭わざりき。」(『岡倉天心全集第4 巻』、1980 年、平凡社、pp.36-37. 岡倉天心『日本美術史』、平凡社ライブラリー、2001 年、pp.57-58.)。
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上記は定本柄谷行人集4巻p167でもほぼ同じ箇所が引用されているが、柄谷が指摘するように岡倉らによる宗教と美術の分離は近代国家を準備するものでもあった。
廃仏毀釈に対する反時代的奮闘という功績も岡倉にはあっただろうが、柄谷は岡倉のアジア主義に対して後年の柳宗悦を擁護する。ここには他者があるというのだ。

以下、柳宗悦の肉声。



先の岡倉とフェノロサが発見した仏像に話を戻すと、この救世観音および法隆寺に関しては、梅原猛、栗本慎一郎、倉西裕子らによる興味深い議論がある。
柄谷はまったくこれらの議論に触れないが、それはネーションの誕生を歴史的に遡行しすぎるのは遠近法的倒錯だからだ。

とはいえ、「救世観音」と呼ばれるこの聖徳太子をモデルとしたと考えられる仏像(倉西氏の意見は違う)には「物自体」とも言える不気味さがある。

また、聖徳太子の歴史性を考察するなかで(太子は仏教一辺倒ではなかったと言う説もある*)、朝鮮の文化、仏教以上に多様な文化の存在を歴史のなかに確認できると思う。


注:
太子の死後つくられた刺繍「天寿国繍帳」は、太子の死後の世界を描いたものだが、仏教に特化されないという説がある。「天寿国」という言葉がキリスト教を連想させると言う考え方もある。

参考:




隠された聖徳太子の世界―復元・幻の天寿国単行本 – 2002/2


http://soultrane.web.fc2.com/information/butsuzo/shugo.htm
◆四天王像
四方を護る神。

・東:持国天(じこくてん)
・南:増長天(ぞうちょうてん)
・西:広目天(こうもくてん)
・北:多聞天(たもんてん)

お堂内でご本尊を護る場合は、向かって手前右から時計回りに、持国・増長・広目・多聞(じ・ぞう・こう・た→地蔵買うた)。
顔の色は、四神(しじん)と同じく、持国天:青、増長天:赤、広目天:白、多聞天:黒。
四神とは、東の青竜(せいりゅう)、南の朱雀(すざく)、西の白虎(びゃっこ)、北の玄武(げんぶ)。
多聞天は単独の場合、「毘沙門天(びしゃもんてん)」と呼ばれる。



東大寺戒壇院・四天王像
(持国天)

東大寺戒壇院・四天王像
(増長天)

 

東大寺戒壇院・四天王像
(広目天)

東大寺戒壇院・四天王像
(多聞天)
 

東大寺戒壇院・広目天


興福寺南円堂・四天王像(上段・左:広目天、右:多聞天)
興福寺南円堂・四天王像(下段・左:増長天、右:持国天)


法隆寺・四天王像(左から、増長天、広目天、多聞天、持国天)


唐招提寺・四天王像(左:増長天、右:持国天)


唐招提寺・四天王像(左:多聞天、右:広目天)


◆十二神将像
薬師如来を護る武神。
菩薩や明王の化身とされ、12の時刻、月、方角を司る。

十二神将読み本来の姿十二支
宮毘羅大将
金毘羅大将
くびら
こんぴら
弥勒菩薩
伐折羅大将ばさら勢至菩薩
迷企羅大将めきら阿弥陀如来
安底羅大将あんちら/あんていら観音菩薩
頞儞羅大将あじら如意輪観音
珊底羅大将さんちら/さんていら虚空蔵菩薩
因達羅大将(帝釈天)いんだら地蔵菩薩
波夷羅大将はいら文殊菩薩
摩虎羅大将(摩睺羅伽)まこら大威徳明王
真達羅大将しんだら普賢菩薩
招杜羅大将しゃとら大日如来
毘羯羅大将びから釈迦如来
・新薬師寺(奈良市)
・興福寺東金堂(奈良市)
・興福寺(奈良市)
・霊山寺(奈良市)
・東大寺(奈良市)
・法隆寺西円堂像 (奈良県斑鳩町)
・栄山寺(奈良県五條市)
・室生寺(奈良県宇陀市)
・広隆寺(京都市)
・東寺(京都市)
・法界寺(京都市)
・鶏足寺(滋賀県木之本町)
・雪野寺 [龍王寺](滋賀県竜王町)
・浄妙寺(和歌山県有田市)
・東山寺(兵庫県淡路市)
・斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町)
・旧東光院(福岡市博物館蔵)
・雪蹊寺 (高知県高知市)
・旧浄瑠璃寺(静嘉堂文庫・東京国立博物館蔵)
・覚園寺(神奈川県鎌倉市)
・日向薬師宝城坊(神奈川県伊勢原市)
・大善寺(山梨県甲州市)
・願興寺(岐阜県御嵩町)


新薬師寺・十二神将像


新薬師寺・十二神将像・伐折羅[ばさら]大将


東寺・十二神将像


◆二十八部衆像
千手観音を護る。
東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつ配置。

1.密迹金剛(みっしゃこんごう)(密遮金剛)
2.那羅延堅固(ならえんけんご)
3.東方天(とうほうてん)
4.毘楼勒叉天(びるろくしゃてん)
5.毘楼博叉天(びるばくしゃてん)
6.毘沙門天(びしゃもんてん)
7.梵天(ぼんてん)
8.帝釈天(たいしゃくてん)
9.毘婆迦羅王(ひばからおう)
10.五部浄居天(ごぶじょうごてん)
11.沙羯羅王(しゃがらおう)
12.阿修羅王(あしゅらおう)
13.乾闥婆王(けんだつばおう)
14.迦楼羅王(かるらおう)
15.緊那羅王(きんならおう)
16.摩侯羅王(まごらおう)
17.金大王(こんだいおう)
18.満仙王(まんせんおう)
19.金毘羅王(こんぴらおう)
20.満善車王(まんぜんしゃおう)
21.金色孔雀王(こんじきくじゃくおう、孔雀明王)
22.大弁功徳天(だいべんくどくてん)
23.神母天(じんもてん)
24.散脂大将(さんじたいしょう)
25.難陀龍王(なんだりゅうおう)
26.摩醯首羅王(まけいしゅらおう、大自在天)
27.婆藪仙人(ばすせんにん)
28.摩和羅女(まわらにょ)

・蓮華王院・三十三間堂(京都市)
・清水寺(京都市)
・粉河寺(和歌山県紀の川市)
http://www.toji.or.jp/mandala.shtml