火曜日, 7月 23, 2019

円朝



円朝


英雄たちの選択「名人円朝 新時代の落語に挑む!~熊さん八っつぁんの文明開化」[字][再] ウェブ検索
7/24 (水) 8:00 ~ 9:00 (60分) この時間帯の番組表
NHK BSプレミアム(Ch.3)
ドキュメンタリー/教養 - 歴史・紀行 , ドキュメンタリー/教養 - カルチャー・伝統文化 , ドキュメンタリー/教養 - ドキュメンタリー全般

番組概要

「怪談牡丹燈籠」「真景累ケ淵」などの怪談ばなしで、幕末から明治初期に人気を集めた落語家・三遊亭円朝。文明開化の新時代に、彼に迫られる選択とは?

番組詳細

文明開化の時代になっても、寄席は大衆のメディアとして、人気を集めていた。これに目をつけた新政府は、当時、人気実力ともに群を抜いていた円朝を「落語家頭取」に任命、庶民を文化的に啓蒙する役割を担わせようとする。新たなはなしの創作を迫られた円朝。引き続き怪談ばなしにこだわるか立身出世物語に大きくかじを切るか?今回は、“熊さん八っつぁんの文明開化”。新時代の演芸に挑む名人三遊亭円朝の奮闘に迫る。

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】高橋源一郎,中野信子,須田努,【語り】松重豊



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須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その8 - 断腸亭料理日記

dancyotei.hatenablog.com/entry/2019/04/03/165532

2019年4月3日 ... さて、円朝師の個人史。 明治元年(1868年)となった。「ご一新」。明治維新、で、ある。 ただ、そうはいっても ...

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その11 - 断腸亭料理日記

dancyotei.hatenablog.com/entry/2019/04/14/151419

2019年4月14日 ... さて、一週お休みをいただいたが、円朝師。 いよいよ佳境、本題、で、ある。 円朝師の代表作「真景累ヶ淵(しん ...

(書評)『三遊亭円朝と民衆世界』 須田努〈著〉:朝日新聞デジタル

www.asahi.com/articles/DA3S13160055.html

噺に映る明治の欲望と暴力 天保10(1839)年生まれ、明治33(1900)年に没した三遊亭円朝は落語界中興 ...

https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person989.html


作家名:三遊亭 円朝
作家名読み:さんゆうてい えんちょう
ローマ字表記:San'yutei, Encho
生年:1839-05-13
没年:1900-08-11
人物について:江戸から明治への転換期にあって、伝統的な話芸に新たな可能性を開いた落語家。本名は出淵次郎吉(いずぶちじろきち)。二代三遊亭圓生門下の音曲師、橘屋圓太郎(出淵長藏)の子として江戸湯島に生まれ、7歳の時、子圓太を名乗って見よう見まねの芸で高座にあがる。後にあらためて、父の師の圓生に入門。母と義兄の反対にあっていったんは落語を離れ、商家に奉公し、転じて歌川国芳のもとで画家の修行を積むなどしたが、後に芸界に復帰。17歳で芸名を圓朝に改め、真打ちとなる。まずは派手な衣装や道具を使い、歌舞伎の雰囲気を盛り込んだ芝居噺で人気を博すが、援助出演を乞うた師匠に準備していた演目を先にかける仕打ちを受けたのを機に、「人のする話は決してなすまじ」と心に決める。以降、自作自演の怪談噺や、取材にもとづいた実録人情噺で独自の境地を開き、海外文学作品の翻案にも取り組んだ。生まれて間もない日本語速記術によって、圓朝の噺は速記本に仕立てられ、新聞に連載されるなどして人気を博す。これが二葉亭四迷らに影響を与え、文芸における言文一致の台頭を促した。大看板となった圓朝は、朝野の名士の知遇を得、禅を通じて山岡鉄舟に師事した。
wikipediaアイコン三遊亭圓朝

公開中の作品

  1. 粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分) 02 粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)(新字新仮名、作品ID:52244)     →鈴木 行三(校訂者) 
  2. 牛車 (新字旧仮名、作品ID:50084) 
  3. 梅若七兵衛 (新字新仮名、作品ID:4488)     →鈴木 行三(校訂者) 
  4. 怪談牡丹灯籠 04 怪談牡丹灯籠(新字新仮名、作品ID:2577)     →鈴木 行三(校訂者) 
  5. 鰍沢雪の夜噺(小室山の御封、玉子酒、熊の膏薬) (新字旧仮名、作品ID:50081) 
  6. 華族のお医者 (新字旧仮名、作品ID:50082) 
  7. 敵討札所の霊験 (新字新仮名、作品ID:2614)     →鈴木 行三(校訂者) 
  8. 菊模様皿山奇談 (新字新仮名、作品ID:1488)     →鈴木 行三(校訂者) 
  9. 狂言の買冠 (新字旧仮名、作品ID:50083) 
  10. 霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名、作品ID:4298) 
  11. 黄金餅 (新字旧仮名、作品ID:50085) 
  12. 塩原多助一代記 (新字新仮名、作品ID:43874)     →鈴木 行三(校訂者) 
  13. 塩原多助旅日記 (新字旧仮名、作品ID:45391) 
  14. 詩好の王様と棒縛の旅人 (新字旧仮名、作品ID:50086) 
  15. 士族の商法 (新字旧仮名、作品ID:50087) 
  16. 七福神詣 (新字旧仮名、作品ID:50088) 
  17. 吝嗇家 (新字旧仮名、作品ID:50089) 
  18. 心眼 (新字旧仮名、作品ID:50090) 
  19. 真景累ヶ淵 (新字新仮名、作品ID:350)     →鈴木 行三(校訂者) 
  20. 政談月の鏡 (新字新仮名、作品ID:353)     →鈴木 行三(校訂者) 
  21. 西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝 (新字新仮名、作品ID:1490)     →鈴木 行三(校訂者) 
  22. 西洋の丁稚 (新字旧仮名、作品ID:50091) 
  23. 世辞屋 (新字旧仮名、作品ID:50092) 
  24. 大仏餅。袴着の祝。新まへの盲目乞食 (新字旧仮名、作品ID:50093) 
  25. 業平文治漂流奇談 (新字新仮名、作品ID:351)     →鈴木 行三(校訂者) 
  26. 日本の小僧 (新字旧仮名、作品ID:50094) 
  27. にゆう (新字旧仮名、作品ID:50095) 
  28. 根岸お行の松 因果塚の由来 (新字新仮名、作品ID:349)     →鈴木 行三(校訂者) 
  29. 年始まはり (新字旧仮名、作品ID:50096) 
  30. 後の業平文治 (新字新仮名、作品ID:42687)     →鈴木 行三(校訂者) 
  31. 文七元結 (新字新仮名、作品ID:348)     →鈴木 行三(校訂者) 
  32. 松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名、作品ID:4054) 
  33. 松の操美人の生埋 02 侠骨今に馨く賊胆猶お腥し(新字新仮名、作品ID:4489) 
  34. 昔の大名の心意気 (新字旧仮名、作品ID:50097) 
  35. 明治の地獄 (新字旧仮名、作品ID:50098) 
  36. 名人長二 (新字新仮名、作品ID:1489)     →鈴木 行三(校訂者) 
  37. 八百屋 (新字旧仮名、作品ID:50099) 
  38. 闇夜の梅 (新字新仮名、作品ID:354)     →鈴木 行三(校訂者) 
  39. 行倒の商売 (新字旧仮名、作品ID:50100) 
  40. (洋)金の勘定を仕ずに来た (新字旧仮名、作品ID:50078) 
  41. 落語の濫觴 (新字旧仮名、作品ID:50101) 
  42. (和)茗荷 (新字旧仮名、作品ID:50079) 

作業中の作品

作業中 作家別作品一覧:三遊亭 円朝

  1. 怪談乳房榎 (新字新仮名、作品ID:49840)  →鈴木 行三(校訂者) 
  2. 塩原多助一代記 (新字新仮名、作品ID:1487) 



三遊亭圓朝

初代三遊亭 圓朝(さんゆうてい えんちょう/天保10年4月1日1839年5月13日) - 明治33年(1900年8月11日)は、江戸時代末期(幕末)から明治に活躍した落語家。本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。江戸東京落語三遊派大名跡円朝とも表記。三遊派の総帥、宗家。三遊派のみならず落語中興の祖として有名。敬意を込めて「大圓朝」という人もいる。二葉亭四迷が『浮雲』を書く際に圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼした、現代の日本語の祖でもある。

落語家であり、歴代の名人の中でも筆頭(もしくは別格)に巧いとされる。また、多くの落語演目を創作した。

「お笑い」の分野である滑稽噺より、人情噺怪談噺など、笑いのない真面目な、いわば講談に近い分野で独自の世界を築く。圓朝の噺が三遊派の人情噺というスタイルを決定づけた。

あまりの巧さに嫉妬され、師匠の2代目 三遊亭圓生から妨害を受けた。具体的には、圓朝が演ずるであろう演目を圓生らが先回りして演じ、圓朝の演ずる演目をなくしてしまうのである。たまりかねた圓朝はこれなら他人が演ずることはできないだろうという自作の演目を口演するようになり、多数の新作落語を創作した。

初代 談洲楼燕枝とは年齢が1歳下のライバルであった。

鳴物や大道具を用いた噺の祖としても知られ、その技法は代表作の一つである「真景累ヶ淵」にて完成を見せたのみならず、今日でも怪談噺の定番演出であるライティングやBGM等として受け継がれている。

また怪談噺の参考とした幽霊画のコレクターとしても知られ、遺されたコレクションは全生庵蔵として圓朝まつりで毎年公開されているほか、2015年には東京藝術大学大学美術館でも展覧会が行われた。