火曜日, 8月 19, 2014

『影武者』再考:メモ


柄谷『帝国の構造』に対応し得る映像作品を一つ選ぶなら、エイゼンシュテインの『イワン雷帝』か成瀬の『あらくれ』だろう。
イワン雷帝にはアソシエーションは描かれないが結果的に友愛が浮き彫りにされる。
『あらくれ』はスガも絶賛しているが、蓮實系が避ける歴史、日本の近代史が描かれている。

ただ、黒澤の影武者を想起させる箇所がある。

以前影武者について書いたがそれは脇の主題についてだった。

柄谷との比較は主題に関わる。

柄谷はアウグスティヌス経由(アウグスティヌス自身はキケロ『国家論』3経由)でアレクサンドロス大王と海賊のやりとりを紹介している。



あるとき、アレキサンダー大王は、海賊を捕らえた。

大王が海賊に、「海を荒らすのは、どういうつもりか」と問うたとき、海賊はすこしも臆すところなく、「陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さい舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです」と答えたのである。(アウグスティヌス『神の国』第1巻、272頁、岩波文庫)

http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200805/article_6.html

(帝国95頁参照)

それに対応するのは以下だ。

http://booklog.jp/users/touxia/archives/1/B000UH4TUA
冒頭 信玄 信康 影武者 3人の会話で始まる。
その構図が 絵になっている。

逆さ磔にされる盗人 があまりにも信玄に似ているので
つれてこられたということから・・・はじまる

影武者は、
『たかが 5貫10貫 盗んだ 小どろぼう・・・
 国をとるために かぞえきれない人を殺したものに
 悪人呼ばわりされる筋合いはない』という。

信玄は
『何なりと申すがよい。
確かに わしは強欲非道の大悪人じゃ。
実の父を追放し わが子も殺した。
 天下を盗むためにはなにごとも辞さぬ覚悟じゃ。』



ただしその後信玄に殉ずる影武者の論理は交換様式Aである
(244頁参照7-6)。

(チャップリン『殺人狂時代』の最後のセリフも想起させるが、こちらは権力の主題はない。チャップリンは交換様式Cを主題としている。ディランのスウィートハートは宗教的でAの高次の回復だ。

「小さきもの」を擁護しつつも、アレクサンドロスの拡大主義を柄谷は支持しているようだ

アリストテレスは老子と同じで小国主義だ。Aになる(老子とCは漢代につながった)。
アリストテレスはアレクサンドロスの師ではあるが、Bを邁進したアレクサンドロスと対立したとされる(95頁参照)。


アレクサl影武者
ンドロスl
ーーーー+ーーーーー
殺人狂時l
代   l


黒澤明のメッセージは動くなだが、柄谷は移動を勧める。

かつて柄谷のマクベス論と蜘蛛の巣城は呼応したが、柄谷は福田恒存に近かった。
黒澤明は近代的自我を認めない。黒澤明の方がより過激なのだ。
柄谷は黒澤明に追いついた。

なお映画冒頭の信玄と盗賊(後の影武者)とのやりとりはこのように続く。

盗賊「俺は小泥棒だ。国を盗るため数え切れねぇほど人を殺した大泥棒に 
悪人呼ばわりされる覚えはねぇ!」 

信玄「確かにワシは強欲非道の大悪人だ。 
ワシは天下を盗るためなら何事も辞さぬ覚悟だ。 

血で血を洗う今の世に、何者か 天下を盗り、天下に号令せぬ限り、 
その血の河の流れは尽きず、屍の山は築かるるばかりぞ」 

と諭すように言う。

その信玄の言葉と優しい言い方とオーラでもって、それまでいきり立ってた主人公は黙り、信玄が去ったあと、彼は深々と平伏する。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=172042&id=14164521

ちなみに「血の河の流れ」の「
屍の山」は、信玄の戒めを守らない勝頼によって、長篠の戦いの結果、現実化してしまう。信玄のセリフは映画のラストにつながっているのだ。

追記:

では『乱』はどうか?

秀虎l太郎
ーー+ーー
二郎l三郎

あるいは、

太郎l秀虎
ーー+ーー
二郎l三郎


資料:

「正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか。盗賊団も小さな王国以外のなにでもないのである。盗賊団も、人間の集団であり、首領の命令によって支配され、徒党をくんではなれず、団員の一致にしたがって奪略品を分配するこの盗賊団という禍いは、不逞なやからの参加によっていちじるしく増大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっぴらに王国の名を僭称するのである。そのような名が公然とそれに与えられるのは、その貪欲が抑制されたからではなく、懲罰をまぬがれたからである。ある海賊が捕らえられて、かのアレキサンデル大王にのべた答はまったく適切で真実をうがっている。すなわち、大王が海賊に、『海を荒らすのはどういうつもりか』と問うたとき、海賊はすこしも臆すところなく、『陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さな舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです』と答えたのである(1)。

(1)この話はノニウス・マルケルルスによって語られ、マルケルルスはキケロからそれを借りてきている(キケロ『国家論』三)。」(1巻273)アウグスティヌス[服部英次郎訳]『神の国』第四巻第四章 全(岩波文庫1,273~4頁1982-1991

脚注を除いた全文を柄谷は引用している(『帝国の構造』95頁)。

http://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_03/9/notes/ja/GFK2006-tanaka1.pdf


黒澤明『影武者』冒頭は以下、

  「フフフフ、俺は、たかだか五貫十貫の小銭を盗んだ小泥棒だ。国を盗るために、数え切れねぇほど人を殺した大泥棒に、悪人呼ばわりされる覚えはねぇ!」 
(中略)
信玄「…たしかにこの儂は強欲非道の大悪人だ。 実の父を追放し、わが子も殺した。儂は天下を盗るためなら何事も辞さぬ覚悟だ。 
しかしな、血で血を洗う今の世に、何者か 天下を盗り天下に号令せぬ限り、 その血の河の流れは尽きず、屍の山は築かるるばかりぞ」 

(チャップリン『殺人狂時代』の最後のセリフも想起させるが、こちらは権力の主題はない。チャップリンは大恐慌など交換様式Cを主題としている。)


ーーーーー

「正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか。盗賊団も小さな王国以外のなにでもな
いのである。盗賊団も、人間の集団であり、首領の命令によって支配され、徒党をくんではなれず、団員の
一致にしたがって奪略品を分配するこの盗賊団という禍いは、不逞なやからの参加によっていちじるしく増
大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっ
ぴらに王国の名を僭称するのである。そのような名が公然とそれに与えられるのは、その貪欲が抑制された
からではなく、懲罰をまぬがれたからである。ある海賊が捕らえられて、かのアレキサンデル大王にのべた
答はまったく適切で真実をうがっている。すなわち、大王が海賊に、『海を荒らすのはどういうつもりか』
と問うたとき、海賊はすこしも臆すところなく、『陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小
さな舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです』と答えたのである
(1)。

(1)この話はノニウス・マルケルルスによって語られ、マルケルルスはキケロからそれを借りてきている
(キケロ『国家論』三)。」(1巻273)アウグスティヌス[服部英次郎訳]『神の国』第四巻第四章 全(岩
波文庫1,273~4頁1982-1991

脚注を除いた全文を柄谷は引用している(『帝国の構造』95頁)。


ちなみに黒澤明『影武者』冒頭に以下、のセリフがある、

  「フフフフ、俺は、たかだか五貫十貫の小銭を盗んだ小泥棒だ。国を盗るために、数え切れねぇほど人
を殺した大泥棒に、悪人呼ばわりされる覚えはねぇ!」 
(中略)
信玄「…たしかにこの儂は強欲非道の大悪人だ。 実の父を追放し、わが子も殺した。儂は天下を盗るためな
ら何事も辞さぬ覚悟だ。 
しかしな、血で血を洗う今の世に、何者か 天下を盗り天下に号令せぬ限り、 その血の河の流れは尽きず、屍
の山は築かるるばかりぞ」 

(チャップリン『殺人狂時代』の最後のセリフも想起させるが、こちらは権力の主題はない。チャップリン
は大恐慌など交換様式Cを主題としている。)

「血の河の流れ」と「屍の山」は、信玄の戒め(「動くな」)を守らない勝頼によって、長篠の戦いの結
果、現実化してしまう。信玄のセリフは映画のラストにつながっているのだ。
近親を罰する信玄の論理は交換様式B(に近いの)だが、その後信玄に殉ずる影武者の論理は交換様式Aである(244頁参照7-6)。



では黒澤明の最高傑作『乱』はどうか?

太郎l秀虎
ーー+ーー
次郎l三郎


肉親(わが子)の情を頼り、上からの連合を提示するには秀虎(A)は、まず馬印という象徴と起請文を要求する太郎(B)に裏切られ、さらに妻や裏切り者を交渉で手に入れる次郎(C)にも裏切られるが、「何もいりませぬ」という三郎(D)の愛に最終的に気づかされることになる。

『影武者』が冒頭で3(人の男)を提示しているのに対し、『乱』が冒頭で4(人の騎士)提示しているのも興味深い。

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