「戦争への拒絶は、単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否では
ないと思われるのです。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底か
らわき上がってくるはずなのです。戦争への拒絶、それは平和主義者の体と心に
あるものが激しい形で外にあらわれたものなのです。
私はこう考えます。このような意識のあり方が戦争の残虐さそのものに劣らぬ
ほど、戦争への嫌悪感を生み出す原因となっている。と。」
(フロイト『ヒトはなぜ戦争をするのかーアインシュタインとフロイトの往復書簡』
邦訳花風社58頁)
参照:
「Dの研究 第3回 宗教と社会主義(承前)」(太田出版at25.2015年,145頁)
「反復強迫としての平和」(岩波「世界」2015年9月,40頁)
定本柄谷行人集第4巻(同じ引用文はないが、フロイトをめぐる考察がある)
超自我と文化=文明化の問題 - 柄谷行人
(『フロイト全集第4巻』月報・岩波書店)2007年2月
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/sakabe.html
以下中山元訳
《わたしたちはもはや戦争には耐えることができないのです。これはたんに理性的
な拒否や感情的な拒否というものではありません。わたしたち平和主義者は、戦争
には体質的に不寛容になっているのです。生理的な嫌悪感が極端なまでに強まって
いるのです。ですからわたしたちが戦争を拒否することの背景には、戦争の残酷さ
にたいする反感だけでなく、戦争にたいする美的な観点からの嫌悪感も働いているようなのです。》
原文はドイツ語。
…Den psychischen Einstellungen, die uns der Kulturprozeß aufnötigt, widerspricht nun der Krieg in der grellsten Weise, darum müssen wir uns gegen ihn empören, wir vertragen ihn einfach nicht mehr, es ist nicht bloß eine intellektuelle und affektive Ablehnung, es ist bei uns Pazifisten eine konstitutionelle Intoleranz, eine Idiosynkrasie gleichsam in äußerster Vergrößerung. Und zwar scheint es, daß die ästhetischen Erniedrigungen des Krieges nicht viel weniger Anteil an unserer Auflehnung haben als seine Grausamkeiten.
Wie lange müssen wir nun warten, bis auch die anderen Pazifisten werden? Es ist nicht zu sagen, aber vielleicht ist es keine utopische Hoffnung, daß der Einfluß dieser beiden Momente, der kulturellen Einstellung und der berechtigten Angst vor den Wirkungen eines Zukunftskrieges, dem Kriegführen in absehbarer Zeit ein Ende setzen wird. Auf welchen Wegen oder Umwegen, können wir nicht erraten. Unterdes dürfen wir uns sagen: Alles, was die Kulturentwicklung fördert, arbeitet auch gegen den Krieg.
Ich grüße Sie herzlich und bitte Sie um Verzeihung, wenn meine Ausführungen Sie enttäuscht haben.
Ihr
Sigm. Freud
http://users.humboldt.edu/jwpowell/FreudEinstein_WhyWar.pdf
Now war runs most emphatically counter to the psychic disposition imposed on us by the growth of culture; we are therefore bound to resent war, to find it utterly intolerable. With
pacifists like us it is not merely an intellectual and affective repulsion, but a constitutional intolerance, an idiosyncrasy in its most drastic form. And it would seem that the aesthetic ignominies of warfare play almost as large a part in this repugnance as war's atrocities.
Freud, Sigmund (1933b [1932]): Warum Krieg? Brief an Albert Einstein (September 1932). | psyalpha
http://www.psyalpha.net/literatur/volltexte/freud-sigmund-ausgewaehlte-schriften/freud-sigmund-1933b-1932-warum-krieg-brief-albert-einstein-september-1932…Den psychischen Einstellungen, die uns der Kulturprozeβ aufotigt, widerspricht nun
der Krieg in der grellsten Weise, darum mussen wir uns gegen ihn emporen, wir vertragen
ihn einfach nicht mehr, es ist nicht bloβ eine intellektuelle und affektive Ablehnung, es ist
bei uns Pazifisten eine konstitutionelle Intoleranz, eine Idiosynkrasie gleichsam in auβerster
Vergroβerung. Und zwar scheint es, daβ die asthetischen Erniedrigungen des Krieges
nicht viel weniger Anteil an unserer Auflehnung haben als seine Grausamkeiten.
「戦争への拒絶は、単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否ではないと思われるのです。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底からわき上がってくるはずなのです。戦争への拒絶、それは平和主義者の体と心にあるものが激しい形で外にあらわれたものなのです。
私はこう考えます。このような意識のあり方が戦争の残虐さそのものに劣らぬほど、戦争への嫌悪感を生み出す原因となっている。と。」 (『ヒトはなぜ戦争をするのかーアインシュタインとフロイトの往復書簡』邦訳花風社58頁)
「Dの研究 第3回 宗教と社会主義〈承前〉」太田出版at25.2015年,145頁
「反復脅迫としての平和」岩波雑誌「世界」2015年9月,40頁
以下中山元訳
《わたしたちはもはや戦争には耐えることができないのです。これはたんに理性的な拒否や感情的な拒否というものではありません。わたしたち平和主義者は、戦争には体質的に不寛容になっているのです。生理的な嫌悪感が極端なまでに強まっているのです。ですからわたしたちが戦争を拒否することの背景には、戦争の残酷さにたいする反感だけでなく、戦争にたいする美的な観点からの嫌悪感も働いているようなのです。》
「戦争への拒絶は、単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否では
ないと思われるのです。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底か
らわき上がってくるはずなのです。戦争への拒絶、それは平和主義者の体と心に
あるものが激しい形で外にあらわれたものなのです。
私はこう考えます。このような意識のあり方が戦争の残虐さそのものに劣らぬ
ほど、戦争への嫌悪感を生み出す原因となっている、と。」フロイト
(『ヒトはなぜ戦争をするのかーアインシュタインとフロイトの往復書簡』邦訳花風社58頁)
参照:
「Dの研究 第3回 宗教と社会主義(承前)」(太田出版at25.2015年,145頁)
「反復強迫としての平和」(岩波「世界」2015年9月,40頁)
超自我と文化=文明化の問題 - 柄谷行人
(『フロイト全集第4巻』月報・岩波書店)2007年2月
以下中山元訳
《わたしたちはもはや戦争には耐えることができないのです。これはたんに理性的
な拒否や感情的な拒否というものではありません。わたしたち平和主義者は、戦争
には体質的に不寛容になっているのです。生理的な嫌悪感が極端なまでに強まって
いるのです。ですからわたしたちが戦争を拒否することの背景には、戦争の残酷さ
にたいする反感だけでなく、戦争にたいする美的な観点からの嫌悪感も働いている
ようなのです。》
超自我と文化=文明化の問題 - 柄谷行人