NAMs出版プロジェクト: チベット死者の書
http://nam-students.blogspot.jp/2015/12/blog-post_13.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: トゥモロー・ネバー・ノウズ - Wikipedia
http://nam-students.blogspot.jp/2016/02/wikipedia_17.html
ドゥルーズはABCのはじめで「ブータンの記録文書」になった気分だと言っている。
これはチベット死者の書のことではないか?(勘違いだった*)
https://ja.wikipedia.org/wiki/チベット死者の書
チベット死者の書は、
チベット仏教ニンマ派の経典。
パドマサンバヴァが
著し弟子が山中に埋めて隠したものを後代にテルトン・カルマ・リンパが発掘した埋蔵教法(テルマ)『サプチュウ・シト・ゴンパ・ランドル(寂静・憤怒百尊
を瞑想することによる自ずからの解脱)(Tibetan:ཟབ་ཆོས་ཞི་ཁྲོ་དགོངས་པ་རང་གྲོལ)』に含まれている「バルド・
トェ・ドル・チェンモ(中有において聴聞することによる解脱)(Tibetan:བར་དོ་ཐོས་གྲོལ་ཆེན་མོ་)」という詞章を指す。
ウォルター・エヴァンス=ヴェンツ(
en:Walter Evans-Wentz)により”
Tibetan Book of the Dead” というタイトルで英訳され世界的なベストセラーとなり、日本でも一般的に『チベット死者の書』として知られている
[1]。『サプチュウ・シト・ゴンパ・ランドル』はニンマ派ではマハーヨーガと分類される無上ヨーガタントラの生起次第の修行法体系であるが、この「バルド・トエ・ドル・チェンモ」と呼ばれる部分は、臨終に際してラマによって「枕経」として読まれる実用的な経典でもある。
この他、中有のプロセスを解説した
ゲルク派の論書『
クスムナムシャ』が『ゲルク派版死者の書』として翻訳・出版されている
[2]
脚注・出典
- ^ 川崎信定訳『原典訳 チベット死者の書』ちくま学芸文庫
- ^ 平岡宏一訳『ゲルク派版 チベット死者の書』解説 - 学研M文庫。18世紀のラマ僧ヤンチェン・ガロが無上瑜伽タントラの「死」「中有(バルド、バルドゥ)」「生」に関する内容を簡略にまとめた著作である。
「チベット死者の書」とは 石濱裕美子
http://www.ghibli.jp/tibet/comment/005644.html
http://www.geocities.jp/singingstone4/dream4.htm
また集合的無意識の領域を切り開いた心理学者のカール・ユングは、「『チベットの死者の書』はわたしの変わらぬ手引書であり、わたしはそれに理念や発見
への多くの刺激ばかりでなく、多くの根本的な洞察力を負っている。異なる『エジプトの死者の書』である『チベットの死者の書』は、神々や原始的な野蛮人に
とってというよりもむしろ、人類に向けられたわかりやすい哲学を差し出している。その哲学は、仏教心理学上の評論の真髄を含み、人々はこれを本当に比類な
く卓越したものだということができる」と述べています。
「チベットの死者の書」とは何か
http://mmori.w3.kanazawa-u.ac.jp/misc/newspaper_pr/bardo.html
はじめに
「チベットの死者の書」とは、この書をはじめて西洋世界に紹介したアメリカ生まれの人類学者W.Y.エヴァンス・ヴェンツによる命名である。明らかにエ
ジプトの「死者の書」を意識した名称であるが、死後の世界を克明に描写するエジプトの「死者の書」の類書とみなすことは適切ではない。正式には「バルド・
トェドル」(中有における聴聞による解脱)というタイトルで、「シト・ゴンパ・ランドル」(寂静尊と忿怒尊の念想による自らの解脱)という文献群の一部を
形成している。
「バルド・トェドル」はチベットで死者が出たときに、その枕元で唱える経典である。日本の枕経にあたる。経典の読誦は死の直後にはじめられ、その後も七
日ごとに七回、すなわち四九日間、断続的に行われる。これは死者がつぎの生をうけるまでのバルド(中有)の期間に相当する。バルドはわが国では中陰とよば
れることも多いが、文字どおりには「中間の存在」(antarbh
「バルド・トェドル」は葬儀における読誦経典としてチベットで広く用いられているが、経典としての権威がチベットのすべての宗派で認められているわけで
はない。チベット仏教には四つの主要な宗派、すなわち、一四世紀にツォンカパによって創設され、現在ダライラマを宗主とする最大宗派のゲルク派、インドの
修行者マルパ、ミラレパを祖とし、一二世紀にガンポパによって組織化されたカギュ派、同じく一二世紀のコンチョク・ゲルポを開祖にあおぐサキャ派、そして
これらの三派がまとめて新訳派とよばれるのに対し、七世紀から九世紀までの前伝期の仏教に根ざすニンマ派(文字どおりには古派)がある。「バルド・トェド
ル」の成立と伝播には、このうちのニンマ派とカギュ派が大きくかかわっている。そのため、ゲルク派やサキャ派のエリート僧たちは、一般に「バルド・トェド
ル」の内容を正統的なものとは考えていない。また、同じ宗派の中でも学派や系統によっては独自の葬送儀礼や読誦経典をもつことがあり、これはニンマ派やカ
ギュ派においても同様である。
「バルド・トェドル」がチベットの精神世界の代表的な文献として広く知られているのは、エヴァンス・ヴェンツの翻訳出版(一九二七年)以来、東洋の神秘
思想を求める人々の一種のバイブルとして受け入れられてきたからであろう。とくにドイツ語版(一九三五年)に付されたC.G.ユングの「チベットの死者の
書の心理学」は、この書で語られるバルドの体験を人間の深層心理にまで結び付け、その後の本書の方向性を決定づけた。また、近年では、臨死体験との共通性
の指摘や、ホスピスにおけるデス・エディケーションのための教材としても注目されている。ここ数年のわが国での「チベットの死者の書」ブームも、その流れ
の一部である。しかし「バルド・トェドル」の流行はけっして昨今のものだけではないのである。
「バルド・トェドル」は付属の願文をのぞくと、前半と後半の二部から構成されている。さらに前半はふたつの部分にわかれ、全体が三つの部分からなる。こ
れは、バルドの期間全体を、死後直後の「死の瞬間のバルド」(死の瞬間のバルド)と、はじめの二週間の「存在そのもののバルド」(チョエニ・バルド)、そ
して最後の五週間に相当する「再生のバルド」(シパ・バルド)の三種のバルドに区切り、それぞれの期間に死者の眼前に展開される光景や、解脱の方法が各部
分でとかれるためである。はじめの部分は「死の瞬間のバルドにおける光明のお導き」と名づけられ、死の直後にあらわれる光明を手がかりに、仏と一体化して
解脱する方法が示される。ヨーガの瞑想にたけた者や善業をつんだ者などのための解脱の方法として紹介される。第二の「存在そのもののバルド」においては、
柔和な姿をした四二の仏たち(寂静尊)と、恐ろしい形相の五八の神々(忿怒尊)がつぎつぎとあらわれ、輪廻からの脱却をいざなう。ここは「バルド・トェド
ル」の中心的な部分で、大日や阿などの仏が眷族をひきつれて光明とともに登場するドラマチックな光景は、実際に寺院の境内で演じられる仮面劇の中でも再現
される。最後の「再生のバルド」では、これまでの方法でも解脱がかなわなかったものたちのために、再生への入胎をさける方法と、さらにそれにも失敗した場
合、六道の中の上位の世界に生まれ変わるための手段が示される。
「バルド・トェドル」の成立
イタリアのチベット学者G.トゥッチは、「バルド・トェドル」の原型となる文献が敦煌で発見されていると述べている。しかし、おそらくこれは「寂静尊
(シ)と忿怒尊(ト)」に関する儀軌で、「バルド・トェドル」とは直接関係するものではない。すでに田中公明氏が指摘されたように、敦煌から発掘されたチ
ベット文書の中には、寂静尊・忿怒尊に関する儀軌が二点ある。また、現在パリのギュメ美術館が所蔵する寂静尊のマンダラも敦煌から出土したものである。い
ずれも八世紀から九世紀にかけてチベットの古代王朝吐蕃が敦煌を支配していた時代の遺品である。前伝期の時代にすでに寂静尊・忿怒尊を中心とした信仰が成
立していたことの根拠となっている。しかし、注意しなければならないのは、寂静尊と忿怒尊に関するこれらの文献は、いずれも現在みることのできる「バル
ド・トェドル」と一致することのない儀軌類で、しかも、バルドとの結びつきすら認められないことである。
「バルド・トェドル」をふくむ「シト・ゴンパ・ランドル」は、ニンマ派の埋蔵経典(テルマ)のひとつである。ニンマ派では祖師パドマサンバヴァが数多く
の文献を土中や寺院の壁の中にかくして、後世の人々に伝えたという信仰がある。のちに発見されたこれらの経典が「埋蔵経典」と呼ばれる。その多くは発見者
自身による創作であったとされるが、一部は本物の古文書もあったらしい。「埋蔵経典」には土中などから発見された「出土経典」(サテル)の他に、霊感をう
けたものが著述した「意趣経典」(ゴンテル)と呼ばれるグループもある。いずれもその発見者や著述者は「埋蔵経発掘者」(テルトン)と呼ばれる。「シト・
ゴンパ・ランドル」の発掘者はカルマ・リンパという一四世紀中葉の人物といわれる。「バルド・トェドル」のいくつかの奥書によれば、かれが中央チベットの
西にあるガンポリ山から発掘したらしい。他の多くの埋蔵経典と同様、「シト・ゴンパ・ランドル」も伝説上の祖師パドマサンバヴァに由来すると信じられてい
る。
現在、流布している「シト・ゴンパ・ランドル」には二種類ある。ひとつは一四の文献から構成されたテキストで、このうちの約四分の一(第一書から第六書
と第八書)が「バルド・トェドル」に相当する。さらにこの文献群は、三巻からなる「カンリン・シト」(カルマ・リンパの寂静尊・忿怒尊)と略称される儀軌
集の一部になり、全体は三〇点のテキストをふくむ。もうひとつはやはり「シト・ゴンパ・ランドル」のタイトルをもつが、その中には「バルド・トェドル」は
ふくまれない。分量も小さく一巻本で二百葉たらずにすぎない。中にふくまれる文献の数はやはり一四であるが、そのほとんどが寂静尊・忿怒尊に関する儀軌で
ある。一九世紀にニンマ派の埋蔵経典を集成した「埋蔵教全書」(リンチェン・テルヅ)にも、第三巻にやはり寂静尊と忿怒尊に関する儀軌が多数ふくまれてい
る。その多くは出典を「シト・ゴンパ・ランドル」と明示するが、やはり「バルド・トェドル」に一致するものはない。また一巻本と共通する儀軌名もあらわれ
ない。
三巻本と一巻本の二種類の「シト・ゴンパ・ランドル」のそれぞれの成立過程は、現在のところ解明されていない。しかし、これらの状況をみると、古くは敦
煌文書にもさかのぼることができる寂静尊と忿怒尊の儀軌が、いくつも伝承されていったことは予想できる。そして、これにバルドの思想を結びつけて、「バル
ド・トェドル」をその一部としてふくむ三巻本が編纂され、また、これとは別に、いくつかの儀軌を集成した一巻本が作られたり、あるいは「埋蔵経全書」にも
収録されるようになったと考えられる。バルド思想との結びつきは、寂静尊・忿怒尊を中心としたニンマ派の儀軌からの読誦経典への転換の契機であった。な
お、「バルド・トェドル」はニンマ派の文献であると紹介されることが多いが、その形成や伝承には、むしろ、新訳派のひとつカギュ派がより大きく関与したと
考えられる。現在伝えられる三巻本の「シト・ゴンパ・ランドル」はカギュ派の文献の寺院に多く残されている。「埋蔵経全書」や一巻本の「シト・ゴンパ・ラ
ンドル」が、ニンマ派の伝統の中で伝えられた文献であるのに対し、バルド思想と結びつけ「聴聞による解脱」という役割を与えたのは、カギュ派の人たちで
あったのかもしれない。実際、一九七五年にF.フレマントル女史と原典からの英訳を発表したカギュ派の活仏チュギャム・トゥルンパは、カルマ・リンパ自身
はニンマ派の「埋蔵経発掘者」であったが、その弟子のほとんどがカギュ派のものたちであると述べ、自派と「バルド・トェドル」との結びつきを強調してい
る。
「シト・ゴンパ・ランドル」がバルドの思想と結びついた時点で、葬送儀礼において読誦される経典という性格もおそらく付与されたと考えられる。「バル
ド・トェドル」の全編を通じて「死者のために耳もとで語りかけよ」と何度も繰り返される。しかし、「バルド・トェドル」の部分だけが一貫性をもって編集さ
れたわけではなかったようである。「バルド・トェドル」の前半部分、すなわち「死の瞬間のバルド」と「存在そのもののバルド」の部分に付された序論は、こ
の部分だけではなく「バルド・トェドル」全体の序としても機能している。「バルド・トェドル」の本論が三種のバルドから構成されると説くのもこの序の部分
である。おそらく、もともと独立した文献であった前半部と後半部を、「バルド・トェドル」の一部として合揉したときに、前半部に付属的にふくまれていた
「死の瞬間のバルド」を、それ以降の二段階のバルドと対等のものとして位置づけ、「バルド・トェドル」全体を意識してつけられたのがこの序論なのであろ
う。序論には「バルド・トェドル」にふくまれている付属の願文についての言及もあり、「シト・ゴンパ・ランドル」の一七書のうちの少なくとも第九書まで
は、このときに成立していたことが確認できる。しかし、その一方で「バルド・トェドル」の本文中には「シト・ゴンパ・ランドル」の一七書の中にはふくまれ
ない文献の名称も言及されており、成立の複雑さを示している。
「シト・ゴンパ・ランドル」の一節が「バルド・トェドル」として意識されたことは、葬送儀礼と結びついた「シト・ゴンパ・ランドル」が、さらに、よりプ
ラクティカルな僧侶の読誦用のテキストとして「バルド・トェドル」を独立させるための素地となったようだ。現在、翻訳が発表されている、いわゆる「チベッ
トの死者の書」の形態があらわれたのである。
エヴァンス・ヴェンツが利用したテキストは、とあるカギュ派の僧の家に代々伝えらえた絵入りの「バルド・トェドル」であったといわれる。「シト・ゴン
パ・ランドル」の全体ではなく、その中の「バルド・トェドル」の部分と、その他の小さな付編からなると記している。「バルド・トェドル」のみの写本は東京
駒込の東洋文庫にも所蔵されている。紺紙金銀泥の豪華なこの「死者の書」は、特定の死者の追善供養のために創作されたのであろうと川崎信定氏は推測されて
いる。
エヴァンス・ヴェンツはこの写本のほかに、カルカッタのアジア協会にいたJ.v.マーネン所蔵の木版本も用いている。これは三巻本の「シト・ゴンパ・ラ
ンドル」であるが、いずれの版本であるかは明らかにされていない。川崎氏の翻訳の場合も、東洋文庫の写本と、シッキムとカム地方の寺院にそれぞれ伝えられ
た二種類の木版本が用いられている。また、先述のフレマントルとトゥルンパは、川崎氏と同じカム地方の三巻本の「シト・ゴンパ・ランドル」を底本とし、こ
れに三種の木版本を校合したと述べているが、詳細なデータは明記されていない。いずれも、各版や写本のあいだに大きな相違はないといわれる。
すでにふれたように、ポン教にも「バルド・トェドル」というタイトルを冠した文献がある。ポン教徒たちも仏教徒にならって、カンギュル(直説部)とテン
ギュル(論疏部)という二大コレクションをたてたが、この内のテンギュルの中のやはり「埋蔵経典」のジャンルに「バルド・トェドル」はふくまれている。た
だしテルトンすなわち埋蔵経発掘者はカルマ・リンパではなく、一二世紀後半の人物であるタンパ・ランドル・イェーシェー・ゲルツェンといわれ、教えの本来
の説示者も八世紀の伝説上のポン教徒テンパ・ナムカーと信じられている。テンパ・ナムカーはパドマサンバヴァの弟子とも伝えられる人物で、「バルド・トェ
ドル」の教えをニンマ派とほぼ同時代の人物に求めていることになる。実際は、カギュ派の中で「バルド・トェドル」が独立してあつかわれるようになってか
ら、その影響をうけて成立したと考えられるが、両者の比較研究は現在のところまだ行われていない。
「バルド・トェドル」の内容
(一)死の瞬間のバルド
はじめの序の部分では、「バルド・トェドル」を必要としない人たちのことがまず述べられる。生前に特別な修練をしたヨーガ行者は、バルドの期間を経ない
で解脱することが可能である。かつて実修した行法の記憶を、臨終に際してよびおこすことによって、自ら解脱することができるからである。この行法は「転
移」(ポワ)と呼ばれる。したがって「バルド・トェドル」は転移による解脱ができない人のために読誦される。転移とは人間の身体をつらぬく神経の脈管と、
その中を流れる「生命の風」(ルン)を支配して、最終的には、頭頂にある「梵孔」と呼ばれる穴から生命の風を放出する行法である。インド以来のタントリズ
ムの基本的な身体ヨーガ理論にもとづいている。人間の身体には三二の脈管がそなわっている。このなかでも中央とその左右の三本の脈管がもっとも重要であ
る。一般に臨終において、生命の風は中央の脈管から左右いずれかの脈管に流れ込み、目や鼻、耳など八つあると考えられる頭頂以外の穴から放出され、死者は
バルドに入ると考えられていた。そのため、転移の実践では左右の脈管への生命の風の流出を防ぎ、頭頂の穴から放出するのである。
死の瞬間のバルドにおける救済も、同じ身体ヨーガ理論にもとづいている。息がとだえた瞬間に死者の左右の脈管をおさえて、生命の風が流入しないようにし
て、導師は転移を実践する。このとき、導師は死者の眼前に「光」が顕現することを強調し、その光が何であるかを語りかける。これは「根元の光明」であり、
「存在そのものの姿」すなわち「空(くう)」である。「法身(真理そのものである仏の身体)である普賢」であり、「明々白々な無垢の明知」である。そして
これを悟ることによって阿弥陀仏(文字どおりには無限の光の仏)と死者は合一し、解脱することができる。導師によるこの語りかけは、生命の風が中央の脈管
にとどまっているあいだに行われる。この期間は一定ではなく、生前に善業をつんだ人や瞑想能力のすぐれた人ほど長く、それだけ解脱の可能性も高くなる。
死の瞬間のバルドではもうひとつ解脱の方法が示される。梵孔から生命の風を出すことに失敗し、左右の脈管に入り、頭頂以外の穴から放出されると、死者の
意識も体外に出てしまう。そうすると、死者の生前の業にしたがって、バルドの幻影があらわれるのであるが、それまでにわずかな時間があると考えられた。こ
のとき、導師は死者に向かって悟りをえるための「二種のプロセス」のいずれかを実践せよと語りかける。二種のプロセスとは「生起のプロセス」と「完成のプ
ロセス」とよばれるもので、インドの仏教タントリズムにおける基本的な実践方法である。死者がその生前にうけた二種のプロセスのいずれかの記憶をよびおこ
し、実修することによって、死者の明知が目覚めて解脱できるのである。このときの様子を「バルド・トェドル」の作者は「あたかも太陽の光によって闇がしり
ぞけられるように、業の支配からまぬかれ「道」が開示され解脱が達成される」と述べ「道の光明による解脱」とよんでいる。
(二)存在そのもののバルド
死の瞬間のバルドで解脱できなかったものたちは、第二の「存在そのもののバルド」に入り、さまざまな幻影をみることになる。これは、すべて生前の業から
生じたもので、自分自身の意識が投影したものである。二週間のこのバルドの期間には、一日ごとにことなる神々が登場する。これらが寂静尊・忿怒尊である。
第一日目には大日(ヴァイローチャナ)が配偶神である虚空界自在母と交接したすがたで、眷族もひきつれてあらわれる。紺青色の強烈な光明をともなってい
るため、たいていの死者は恐れおののいてしまう。同時に魅惑的なかよわい薄明かりもさしてくる。これは六道の中の天の世界からさしこむ光で、死者がこちら
に引きつけられとらわれると、天上界に再生することになり、再び輪廻の世界にのみこまれてしまう。大日から発する強烈な光を仏の世界の叡智であると悟り、
みずからを導いてくれる光明であると知るもののみが、大日の心臓にとけ込み、大日の仏国土で仏となることができるのである。
大日のところにもいくことができず、また天上界にも引き寄せられなかった錯乱したもののために、二日目の神々があらわれる。出現の仕方は第一日目と同じ
である。金剛薩と阿の神群が登場し、同時にやはり魅惑的な薄明かりもともなっている。これは地獄からさしてくる光である。金剛薩は仏眼仏母と交接し、地
蔵、彌勒の二菩薩、舞女、華女という二女尊をしたがえて、強烈な白い光とともに登場する。もしこの光を金剛薩の慈悲の光で、阿に象徴される「大いなる鏡の
ような智恵」(大円鏡智)であると知って、これを強く求めれば、阿の仏国土にいたって仏となる。しかし、薄明かりにまどわされ、引き寄せられると、地獄に
いたる。
同じように三日目以降、宝生、阿弥陀、不空成就がそれぞれの眷族を引き連れてあらわれる。そしていずれもことなった色の強烈な光をともなっている。宝生
は黄色、阿弥陀は赤、不空成就は緑である。この強烈な光が仏たちの智恵そのものであると悟れば、それぞれの仏国土にいたるのであるが、同時に、魅惑的な薄
明かりもあらわれるため、もしこれにひきよせられると、順に、人、餓鬼、修羅の世界に生まれ変わることになってしまう。
ついに六日目にはこれまであらわれたすべての仏たちと、さらに門衛の八尊、六道を支配する六人の聖仙、そして、すべての仏たちに君臨する法身普賢とその
配偶神である普賢母が一団となって登場する。一方の魅惑的な薄明かりもすべてあらわれる。ひきよせられれば五つの世界にいたる五種の光である。
七日目には持明者とよばれる神々がかわって登場する。超能力をそなえた半神半人のものたちである。五色の光をともなっている。しかし同時に畜生の世界からの魅惑的な光もさしこまれる。
八日目以降は、これまでの寂静尊にかわって、忿怒尊がつぎつぎに登場する。その前に「バルド・トェドル」の作者は、これらの忿怒尊の存在意義を強調す
る。どんなに密教のヨーガの修練が未熟なものたちであっても、相手が忿怒尊であればたちまちに判別でき、自分の守り本尊を見つけて近づくことができるとい
う。しかし、顕教(密教以前の伝統的な仏教)のものたちには忿怒尊は恐怖以外のなにものも与えないため、悟りがえられず、再び輪廻の世界へとのみこまれて
しまう。多面多臂、しばしば獣の頭をもち、ほとんど裸の姿で配偶神と交接する忿怒尊の姿は、仏のイメージからはほど遠いのであるが、これを逆に積極的に評
価しているのである。
八日目から一二日目までは、忿怒尊の中心的な五尊の仏が眷族をともなって順に登場する。ブッダヘールカ、ヴァジュラヘールカなどである。いずれの場合も
この忿怒尊が自分の守り本尊であると知り、一体になれば仏となることができる。一三日目にはガウリーとよばれる八人の忿怒の女神があらわれる。一四日目に
は四人の門衛と二八人のイーシュヴァリーという女尊たちが登場する。
これで存在そのもののバルドの二週間は終わり、この期間中にいずれでもよいから寂静尊や忿怒尊の神々のもとへと至り、一体となれば仏となって輪廻から脱却できる。しかしそれができなかったものたちには、つぎの「再生へのバルド」が待っている。
存在そのもののバルドで行われているのは、二週間という期間と寂静尊と忿怒尊百尊との一種の数合わせである。二週間を前半、後半の一週間ずつにわけ、寂
静尊と忿怒尊もいくつかのグループに分類してあてはめる。寂静尊・忿怒尊百尊は本来はバルドの思想とは無縁の存在であった。そこで「バルド・トェドル」の
作者は二週間に配分できるように、工夫をこらしている。たとえば寂静尊の場合、中心となるのは五仏と普賢の六尊であるので、七日目には寂静尊にはふくまれ
ない持明者のグループを出してきている。また六道も七日に配分するにはひとつ足りない。そのため、普賢がすべての寂静尊をひきつれて登場する六日目には、
それまでの五日間にあらわれた五道の光をもう一度利用している。
(3)再生のバルド
「再生のバルド」の前半ではこのバルドのありさまと死者の心の状態が延々と述べられる。このバルドでは死者の感覚器官や肢体は完全なものとしてよみが
えっている。しかも透視能力やあらゆるところを通過できる能力などのさまざまな超能力すらそなわっている。しかし、その一方で、死者自身には自分が死んで
しまったという自覚が生じ、心はうつろで、はげしい苦悩もわきあがる。それに加えて、食肉鬼や猛獣、大火、大軍勢などありとあらゆる恐ろしいものが背後か
らおそってくる。これらはすべて自分自身の業が作る幻影なのであるが、なかなかそれに気がつかない。そうこうするうちに閻魔大王の前に引き出され、生前の
悪行のむくいをうける。からだが切り刻まれたり、肉や骨をしゃぶられるという体験をする。このようなさまざまな光景が展開するのであるが、そのいずれでも
よいので、すべては自分自身の業が生みだした幻影であり、空であると悟りさえすれば、たちどころに解脱できるという。あるいは、仏法僧の三宝に帰依し、ま
たひたすら観音菩薩に祈願すれば、解脱することも可能なのであると語られる。
これに続いて、死者が自分自身の葬儀や法要を見るという一節があらわれる。チベットの葬儀は「悪趣清浄タントラ」という経典にもとづいてしばしば行われ
る。悪趣、すなわち六道の下の四つに至ることがないようにという願いを込めた経典である。しかしこの経典が正しく読まれていなかったり、儀式がいい加減に
遂行されているのを死者は見るという。「バルド・トェドル」の作者は、これは死者自身の心の状態が清らかではないからであると強く戒め、疑念をもつものこ
そ悪趣に至り、僧侶や儀礼の遂行者に絶大な信頼をおくものが、よい生まれかわりを得ると強調する。この部分は、「バルド・トェドル」の全体からみると挿入
部分のような印象をうけるが、葬儀を行う側の論理で話を進めている。
このような段階をへると、死者には自分の生前のすがたが次第に不明瞭になり、逆に次の生でうける身体がはっきりし、また六道の世界も薄明かりとなってだ
んだん見えてくる。死者は自分自身がよるべのない存在であることを知り、恐怖と悲しみにおいたてられて、新たな生へと近づいていってしまう。このとき、自
己の守り本尊や観音菩薩を祈願し、それがあたかも水に映った月のように、それ自身の性質をもたない空であると悟ることがもしできれば、再生に至らず解脱が
できる。しかし、この段階になってもまだ解脱することができなかったものたちには、再生に至る入胎をさける方法しか残されていない。「バルド・トェドル」
はその方法を五つあげている。たとえば、その第一の方法は男女が交接している幻影があらわれても、これを配偶神と合体した仏であると心に念じ、ひたすら礼
拝し供養せよ、そうすれば解脱することができるというものである。このほかにもさまざまな方法が語られるが、いずれも目の前にあらわれる光景や人物が、自
分自身の心の産物でしかなく、あたかも夢のごとくで空であることを悟れというのが基本になっている。そしてここに至り、「バルド・トェドル」の作者は、こ
の教えであれば死者の生前の能力にかかわらず、ほとんど誰でも解脱できるとまで言い切る。その理由として、前にも述べたように、この段階の死者の能力は、
生前の状態に関係なく、完全で、生きていたときよりもはるかに明晰で鋭敏になっているからであると述べる。それだからこそ、四九日目までは「バルド・トェ
ドル」を聞かせることが肝要なのである。
最後は、これでも解脱に至れなかったものたちへの「胎を選択する教え」である。死者は六道の中で少しでもよい生まれを求めよと忠告をうける。よい生まれ
とは天か人である。そして人に生まれるならば仏法の広まった国を選び、生まれる身分はバラモンか王侯として生まれよと説かれる。これは実際の社会の上位階
層であるが、釈迦が王侯出身で、未来仏である彌勒がバラモンの出身であることも念頭にあるのであろう。しかし、同時に、悪い業があると錯乱して良い胎と悪
い胎の入り口を判断できず、あやまった選択をする可能性があると警告する。そして、その場合も目にうつるものはすべて空であると観じて、無執着に徹せよと
いうことは忘れない。
このようにバルドの四九日間のあらゆる段階で、数えきれないほどの解脱の方法が示され、「バルド・トェドル」の中心部分は終わる。
ナーローの六法
「バルド・トェドル」は救済のための書である。その全編をつらぬいているのは、輪廻からの解脱の道である。しかし、そこに描かれる世界は、古代的あるい
は中世的な再生の観念に根ざした、一見、荒唐無稽な死後の世界にうつる。それぞれのバルドのあいだの関係も、論理的な整合性を欠き、想像の産物の集積にす
ぎないと見られるかもしれない。「バルド・トェドル」の救済理論をつらぬいているのは、空の確証による悟りである。いかなる段階であっても、そこにあらわ
れる仏や神々、光、おそろしい災厄、これらをすべて幻や夢であると見抜き、自分の業が作り出した幻影であると知る。そして究極的には空にほかならないと悟
るのである。インド仏教では、空は本来、存在物が実態ではないことを示すネガティヴなことばであったが、密教の場合、空は修行の究極の目的、すなわち悟り
そのものであるというポジティヴなものへと変容している。ここで追求される空も、そのような実体視された空に他ならない。そしてこのような空を追求する実
修法こそが、じつは「バルド・トェドル」の成立の基盤となっているのである。
「バルド・トェドル」がベースとしているのが、一一世紀にインドにあらわれた修行者ナーローパによる「六法」という教えである。ナーローパ(ナーダパー
ダ)はカギュ派の祖マルパの師にあたり「ナーローの六法」もカギュ派の中で整備され、この派を代表する実践方法となった。ただし、六法を説いたのはナー
ローパだけではなく、彼と同時代のさまざまな人物名を冠した六法が存在する。またカギュ派以外の宗派でも六法の実践はさかんに行われている。しかし、その
中でもっとも有名なのが、この「ナーローの六法」なのである。
「ナーローの六法」とは?内的火、?幻身、?夢、?光明、?バルド、?転移からなる。これらはいずれも本来は単独の修行法であったと考えられているが、
六法として組織化されると、この順序で実践され、最終的には空を悟り、解脱することが可能になる。?の内的火は準備段階にあたり、ヨーガによって中央の脈
管の基礎部に熱を作り出す行法である。これが?以下の活動源となる。?の幻身は自分自身の姿を鏡に映し、これを陽炎や雲、月影などにたとえ、幻影にすぎな
いと確証する。?の夢では覚醒している時と夢を見ている時の状態が、いずれも幻影にすぎないことを理解する。夢の中にあらわれるもの--この中には仏や菩
薩もふくまれる--が、実体をもたないものであると悟る。これによってすべての現象が「光明」へと姿を変える。これが?の「光明」である。行者はこの光明
が空を本質とし、現象世界が展開する前の法身の輝きそのものであると知る。?のバルドは実践の過程における行者の仮想的な死である。あるいは、実際の死に
際して起こることを疑似的に体験することである。?の転移についてはすでに「死の瞬間のバルド」において述べたように、修行の最終的な段階でおこる意識の
移動である。前段階での疑似的な死を経た、仏国土へのよみがえりでもある。
?の内的な火は準備段階であるためのぞくとして、?の幻身から?の転移までを逆にして、人間の実際の死後の世界にあてはめたものが「バルド・トェドル」
である。もっともすぐれたものの場合、死の直後に転移を行じて解脱するか、導師の助けをかりてこれを行う。転移に失敗するとさまざまな死後の世界が展開す
るが、そのたびごとに、まばゆい光明をたよりに、また眼前に繰り広げられる世界が夢であり、幻影であると悟ることによって解脱の可能性が示される。そして
すべての根底にあるのが、空をもとめる熱意である。
「チベットの死者の書」に「解説」をかいたC.G.ユングが、この書を逆に読むべきであると述べているのは興味深い。彼は人間の深層心理が上昇する過程
を、「死者の書」においては死者が逆にたどるとみているのであるが、「バルド・トェドル」を逆にしたものこそ、悟りに至る行者の実践階梯にほかならない。
「ナーローの六法」もインドやチベットの密教の実践についても充分知られていなかったこの時代のユングの直感にはおどろかされる。
ところで「ナーローの六法」には五番目にバルドがおかれていた。この場合のバルドは行者の仮想的な死の体験であるので、前後の脈絡とも整合しているが、
「バルド・トェドル」の場合、死者は文字どおりすでに死んでバルドに入っている。そのためここであらためてバルドを実践するのでは、意味をなさない。「バ
ルド・トェドル」の場合、転移を行う「死の瞬間のバルド」のあとは、寂静尊・忿怒尊の現出が起こる「存在そのもののバルド」であった。本来、バルドの思想
とは無縁であった寂静尊・忿怒尊の体系が「バルド・トェドル」の中に流入されたのは、内部に実践法としてのバルドをもつ六法を、実際の死後の世界であるバ
ルドにあてはめることによって生じた、一種の空白状態を埋めるための手段であったと考えられる。
付記 「バルド・トェドル」からの引用、要約は川崎信定氏の和訳(一九八九)を参照させていただいた。また、「シト・ゴンパ・ランドル」のチベット語テキ
ストは、名古屋大学文学部所蔵のアメリカ合衆国国会図書館チベット語文献マイクロフィッシュを閲覧する機会を得た。記して謝意を表します。
参照文献
金子英一 1976 「ニンマ派の埋蔵経典について」 牧野諦亮『疑経研究』 京都 大学人文科学研究所、三六九-三八六頁。
川崎信定 1989 『チベットの死者の書』 筑摩書房。
スタン、R.A.1993 『チベットの文化 決定版』山口瑞鳳・定方晟訳 岩波書 店。
立川武蔵 1984 「チベット仏教における心の本質--カギュ派の大印契説を中 心に」『仏教思想 九 心』仏教思想研究会編 平楽寺書店、二七七-三二〇 頁。
立川武蔵 1987 『西蔵仏教宗義研究 第五巻--トゥカン『一切宗義』カギュ派 の章』 東洋文庫。
田中公明 1991 「敦煌出土の寂静尊曼荼羅について」『秋山光和博士古稀記念美 術史論文集』 便利堂、一一一-一四一頁。
田中公明 1993 『チベット密教』 春秋社。
ツルティム・ケサン 1990 「川崎信定訳『チベットの死者の書』書評」『仏教 学セミナー』 五一号、84-88頁。
東洋文庫チベット研究委員会編 1977 『リンチェンテルズ目録』 東洋文庫。
フジタ・ヴァンテ編 1994 『チベット生と死の文化--曼荼羅の精神世界』 東京美術。
ユング、C.G. 1983 『東洋的瞑想の心理学』湯浅泰雄・黒木幹夫訳 創元社。
Evans-Wents, W. Y. 1957 The Tibetan Book of the Dead. London: Oxford University Press (3rd ed.).
Fremantle, F. & Chogyam Trungpa 1975 The Tibetan Book of the
Dead: The Great Liberation through Hearing in the Bardo. Boston:
Shambhala.
Kvaerne, P. 1974 The Canon of the Tibetan Bonpos. Indo-Iranian Journal 16(1-2): 18-56, 96-144.
Tucci, G. 1980(1970) The Religions of Tibet. Bombay: Allied Publishers.
(『ユリイカ』(臨時増刊号)第26巻第13号 1994年12月 pp. 30-39)
http://www.freegestaltworks.net/変性意識-asc-とは-応用編/心理学的に見た-チベットの死者の書/
「チベット死者の書」という、
有名な書物があります。
チベット仏教の、
カギュ派の、
埋蔵教(偽典)として知られる、
書物ですが、
この本は、
ゲシュタルト療法はじめ、
体験的心理療法や、
変性意識状態のことを考える上で、
とても参考(モデル)になる本です。
『サイケデリック体験 The Psychedelic Experience』※(『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』菅康彦訳 八幡書店)をもとに、色々と見ていきましょう。
◆バルドゥ(中有)と心の構造
まず、死者の書が、
何について書かれた経典(本)であるかというと、
人が死んでから、
再生する(生まれ変わる)までの、
49日間(仏教でいうバルドゥ/中有)
のことが書かれた経典(本)である、
ということです。
人間が、
生まれ変わることが、
前提となっているわけです。
ただ、この前提は、
この経典(本)を読むにあたって、
無視しても構わない前提です。
なぜなら、
語られている内容は、
確かに死に際して、
心の底から、
溢れてくる出来事ということになっていますが、
それは、
心の構造そのものに、
由来するものと考えることが、
できるからです。
だから、
生きている私たちにも、
同様に存在している心の世界だと、
とりあえずは、
いえるからです。
ティモシー・リアリーらが、
この経典(本)をリライトしたのも、
薬物による、
サイケデリック体験でも、
同様の出来事(世界)が溢れてくるので、
この本を、
サイケデリック・トリップの、
導きの書にしようという、
意図からでした。
なので、
この経典(本)は、
私たちの深層の心の世界を、
語っているものとしても、
読むことができるのです。
さて、
この経典の形式ですが、
たった今、
死んだ死者に向かって、
語りかける言葉(声かけ)が、
形式となっています。
その死者が、
見ているだろうものを告げ、
アドバイスを与えるという、
形式です。
「聞くがよい、○○よ。
今、お前は、○○を見ているであろう」
という感じです。
さて、
死者は、
死んだ後に
3つのバルドゥ(中有)を体験し、
生まれ変わります。
しかし、
経典(本)の中心のメッセージは、
「さなざまな無数の心惹く像が、
現れてくるが、
それらにとらわれることなく、
本当の眩い光明を、
自己の本性と知り、
それと同一化せよ」
というものです。
そうすれば、
解脱が達成されて、
生まれ変わり(輪廻)から、
脱するというができるであろう、
というものです。
なので、
3つのバルドゥ(中有)の経過が、
刻々語られますが、
それは、
各バルドゥで訪れる、
解脱のチャンスの中で、
解脱できなかった者たちに、
対してであるということです。
◆3つのバルドゥ
さて、死者は、
3つのバルドゥを順に体験していきます。
①チカエ・バルドゥ
→超越的な自己の世界
→法身
②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身
③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身
矢印の言葉は、
筆者なりの考えで補ったもので、
一般にオーソライズされているものでもないので、
その点は、ご了承下さい。
さて、この3つは、
心理学的には、
心の表層から、
心の深層までの、
3つの地層(宇宙)を表したものと、
見ることができます。
③シパ・バルドゥ
→自我のゲーム
→応身
の世界は、
もっとも身近な、
私たちの自我の世界です。
通常の心理学が扱うのも、
この世界です。
リアリーらの死者の書では、
とらわれの自我のゲームを、
反復してしまう世界として、
描かれています。
サイケデリックな体験の中でも、
低空飛行している段階で、
日常の自我のゲームが、
再演されている状態です。
②チョエニ・バルドゥ
→元型的な世界
→報身
の世界は、
心の深層の世界、
私たちの知らない深層世界が、
ダイナミックに、
滾々と湧いてくる世界です。
死者の書では、
膨大な数の仏たちが現れてきます。
心の先験的とも、
古生代ともいうべき、
元型的な世界です。
系統樹をさかのぼるような、
世界かもしれません。
以前、サイケデリック体験で、
系統樹をさかのぼり、
自分が、まざまざと、
爬虫類になった体験をもった、
という人に会ったことがあります。
①チカエ・バルドゥ
→根源的な世界
→法身
は、根源的な、超越的な自己の世界で、
上の2つの較べて、
空なる世界に一番近い世界です。
実は、心理学の範疇には、
入らないともいえます。
ただ、そのような世界(状態)を、
仮定することはできます。
リアリーらは、
この状態を、
ゲームの囚われから解放された、
自由の、自然の、自発性の、
創造の沸騰する世界と見ます。
それでも、
充分有効なとらえ方と、
言えます。
さて、
死者の書の中では、
それぞれのバルドゥで、
「光明」が2つづつ現れてきます。
そして、
恐れを抱かせるような、
より眩い光明が、
根源の光明であり、
それを自己の本性と見なせと、
アドバイスします。
よりくすんだ方の光明に惹かれるであろうが、
それに向かうなと告げます。
ただ、多くの人は、
この後者の光明に向かうようです。
そして、
転生への道を進んでしまうのです。
◆経過
さて、死者は、
このような3つのバルドゥを、
経過していくのですが、
ティモシー・リアリーは、
サイケデリック体験における、
この3つの世界の、
推移の仕方について、
おもしろい喩えを使っています。
それは、
高いところから、
地面にボールを落とした時の、
「ボールの弾む高さ」
に似ているということです。
落ちてきたボールは、
最初は、
高く弾み上がります。
2度目は、
それより少ししか弾みません。
3度目は、
さらに少ししか弾みません。
つまり、
サイケデリック・トリップの、
初発の段階が、
重力(自我)から解放されて、
一番遠くの、
チカエ・バルドゥまで行けて、
次に、
チョエニ・バルドゥ
次に、
シパ・バルドゥ
と段々と、
日常的な心理的に次元に、
落ちてきてしまうという、
喩えです。
この喩えは、
私たちの心の構造や、
心の習慣、可能性を考えるのにも、
大変示唆の多いものです。
2つの光明の喩えといい、
私たちの中には、
大いなる自由に比して、
慣習と怠惰に惹かれるという、
何かがあるのでしょう。
◆変性意識(ASC)の諸次元として
さて、
「チベット死者の書」の世界を、
心の諸次元として、
見てきましたが、
この世界は、
死の体験やサイケデリック体験を、
経由しなくとも、
色々な変性意識状態の中で、
さまざまに、
あいまみえる世界です。
このモデルを、
ひとつ押さえておくことで、
心理学的航海の、
さまざまなヒントに、
なっていくでしょう。
※ジョン・レノン(ビートルズ)が、
LSD体験や、この本にインスパイアされて、
という曲を創ったのは、
有名なエピソードです。
歌詞は、
Turn off your mind relax and float down stream
It is not dying, it is not dying
Lay down all thought surrender to the void
It is shining, it is shining
That you may see the meaning of within
It is being, it is being
わりと素直な(典型的な)、
サイケデリック体験そのまま、
という感じですが、
イイ感じに表現されてます。
*
(引用者注:はじめはチベット「死者の書」のことかと思ったが、ピエール=アンドレ・ブタンというABCの監督名。英語版では「So, you understand, I feel myself
being reduced to the state of a pure archive for Pierre-André Boutang,
to a sheet of paper,」となっている。ピエール=アンドレ・ブタンはドゥルーズ以外にも、レヴィナスのドキュメンタリーを1988年(ドゥルーズのインタビューの収録年)に撮っている。)
https://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre-Andr%C3%A9_Boutang
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