水曜日, 2月 10, 2016

マルクス 1850年9月15日の中央委員会会議、議事録より


                (マルクスリンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: マルクス 1850年9月15日の中央委員会会議、議事録より

http://nam-students.blogspot.jp/2016/02/blog-post_10.html(本頁)


私はつねにプロレタリアートの一時的な意見には反対してきた。われわれは、党自身にとってしあわせなことにまだまさに権力につくことのできない党に身をささげている。もし権力をにぎるようなことになるなら、プロレタリアートは、直接プロレタリア的ではなく、小ブルジョア的な方策をとることになるだろう。わが党は、四囲の事情が党の見解を実現することを可能にするようになったときにはじめて、権力をにぎることができるのである。ルイ・ブランは、時期尚早に権力をにぎった場合にはどうなるかを示す最良の実例を提供している。もっともフランスではプロレタリアは単独で権力をにぎるのではなく、彼らとともに農民と小ブルジョアが権力をにぎるであろう。そしてプロレタリアは自分の方策を実行せざるをえなくなるであろう。パリのコミューヌは、なにかを実行するためには政府にくわわる必要はないことを証明している。
 (マルクス 一八五〇年九月一五日の中央委員会会議議事録、マルエン全集8,586頁より)

参照:
世界史の構造386~7頁、at1,7頁、atプラス27(Dの研究第5回,201602)160頁
(柄谷行人)

 NAMs出版プロジェクト: 『世界史の構造』参考文献表

 http://nam-students.blogspot.jp/2010/06/blog-post_9796.html#refc4
 3−4−7 永続革命と段階の「飛び越え」 382 …
 マルクス「共産主義者同盟中央委員会会議議事録」(全集8)386-387@^499

柄谷はマルクスの国家主義からの離脱の証拠として上記を引用している。マルクスは半年前の言説*を覆している。ブリュメール18日とドイツ農民戦争が重要なテクストとなる。

以下、『マルクス=エンゲルス全集 第7巻』(村田陽一訳、大月書店、258~9頁)より 
マルクス=エンゲルス 一八五〇年三月の中央委員会の同盟員への呼びかけ(一六七)(村田陽一訳) 
中央委員会から同盟員へ 
《さらに、民主主義者は、あからさまに連邦共和制をめざしてつとめるか、あるいは、単一不可分の共和国がどうしても避けられない場合には、せめて市町村や州をできるだけ自主的で独立的なものとして、中央政府を無力化することにつとめるであろう。労働者はこの計画に対抗して、単一不可分のドイツ共和国をめざしてつとめるだけでなく、この共和国内でも、権力を国家権力の手中にもっとも徹底的に集中することを目標として、つとめなければならない。…  
 ドイツの労働者は、かなりに長い革命的発展を完全に経過しつくさないうちは、支配権をにぎることもできず、彼らの階級利益をつらぬくこともできないが、こんどは、すくなくとも、この来たるべき革命劇の第一幕がフランスにおける彼ら自身の階級の直接の勝利と時を同じくして起こり、それによって大いにはやめられることを、確実に知っている。
  しかし、労働者が最後の勝利を得るためには、彼ら自身がいちばんに努力しなければならない。すなわち、自分の階級利益を明らかに理解し、できるだけはやく独自的な党的立場を占め、一瞬間といえども民主主義的小ブルジョアの偽善的な空文句にまよわされずに、プロレタリアートの党の独立の組織化をすすめなければならない。彼らの戦いの鬨の声はこうでなければならない――永続革命、と。 
 ロンドン、一八五〇年三月》

太字部分に関しては、柄谷行人at1,6頁参照
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参考:
永続革命論(えいぞくかくめいろん,theory of permanent revolution)とは 
https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E7%B6%9A%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AB%96-35936



世界革命と一国革命の関係をめぐってのマルクス主義の用語。永久革命論ともよばれる。もともとは、マルクスエンゲルス執筆の1850年3月の「共産主義者同盟員への呼びかけ」(邦訳マルエン全集第7巻所収)に含まれている、ブルジョア民主主義革命(1848年革命)における小ブルジョア的妥協を排した労働者階級の革命継続の主張、すなわち「われわれの利益とわれわれの任務は、多少とも財産を所有するすべての階級が支配的地位から追いのけられ、プロレタリアート国家権力を掌握し、一国だけでなく全世界のすべての主要国のプロレタリアの結合が著しく進んで、その結果、これらの国々でプロレタリア同士の競争がやみ、少なくとも決定的な生産力がプロレタリアの手に集中されるまで、革命を永続させることである」に由来する。レーニンはこれを、ブルジョア民主主義革命におけるプロレタリアートのヘゲモニー社会主義革命への成長転化の理論としてロシア革命の指導に採用したが(二段階連続革命論)、トロツキーはこれを、「ヨーロッパ・プロレタリアートの直接の政治的援助なしには、ロシアの労働者階級はその権力を保持しその一時的覇権を永続的な社会主義的独裁に転化させることはできない」とする主張として、スターリンの「一国社会主義」論に対置した。そのため永続革命論は、しばしばトロツキズムの用語として扱われた。…
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一八五〇年九月一五日の中央委員会会議 (議事録)

「一八五〇年九月一五日の中央委員会会議(三六六)」(平木恭三郎訳)
『宣言』の唯物論的見地の代わりに、観念論的な見地が主張されている。現実の諸関係ではなくて意志が革命の眼目だと主張されている。われわれは労働者にこう言っている、「諸君は諸関係を変え、諸君自身が支配能力をもつようになるために、なお一五年、二〇年、五〇年間というもの、内乱をとおらなければならない」と。ところが諸君はこう言っている、「われわれはただちに政権をにぎらなければならない。それができなければ寝てしまってもかまわない」と。民主主義者が「人民」ということばをたんなる空文句としてつかってきたように、いまでは「プロレタリアート」ということばがたんなる空文句としてつかわれている。この空文句**を実行するためには、すべての小ブルジョアプロレタリアと宣言し、したがって実際には〔de facto〕プロレタリアではなく小ブルジョアを代表しなければならなくなるであろう。真の革命的発展を、革命という空文句とすりかえなければならなくなるであろう。
私はつねにプロレタリアート一時的な意見には反対してきた。われわれは、党自身にとってしあわせなことにまだまさに権力につくことのできない党に身をささげている。もし権力をにぎるようなことになるなら、プロレタリアートは、直接プロレタリア的ではなく、小ブルジョア的な方策をとることになるだろう。わが党は、四囲の事情が党の見解を実現することを可能にするようになったときにはじめて、権力をにぎることができるのである。ルイ・ブランは、時期尚早に権力をにぎった場合にはどうなるかを示す最良の実例を提供している(三六八)。もっともフランスではプロレタリアは単独で権力をにぎるのではなく、彼らとともに農民と小ブルジョア権力をにぎるであろう。そしてプロレタリア自分方策を実行せざるをえなくなるであろう。パリコミューヌ(三六九)は、なにかを実行するためには政府にくわわる必要はないことを証明している。
 以上、ロンドン、一八五〇年九月一五日に作成。
 読みあげ、承認をうけ、左記のものが署名した*。
  * 議事録のもう一つの異文には、この文章はのっていない。
       署名 中央委員会議長 K・マルクス
       書記 F・エンゲルス
       ハインリヒ・バウアー
       K・シュラム
       J・G・エッカリウス
       K・プフェンダー
            手稿による

マルエン全集8,586頁
太字部分を引用:
世界史の構造386~7頁
at1,7頁
atプラス27,160頁
(柄谷行人)
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マルクスケルン共産党裁判真相(二八七)」(平木恭三郎訳)
だから一八五〇年九月一五日のロンドンの中央委員会の最後の議事録から、二、三の個所を引用しよう*。
   * 本書、五九七―六〇一ページを参照。
 分離を提案する理由を説明してマルクスはとりわけ文字どおり次のように言っている。「少数派は、批判的な見地の代わりに観念論的な見地をもちだしている。少数派にとっては、革命の推進力となっているのは、現実の諸関係ではなくてたんなる意志である。われわれは労働者にこう言う、『諸君は諸関係を変えるためだけでなく、諸君自身を変革し、政治的支配の能力をもつようになるために、なお一五年、二〇年、五〇年間というもの、内乱と民族的闘争とをとおらなければならない』と。ところが諸君はこう言う、『われわれはただちに政権をにぎらなければならない。それができなければ寝てしまってもかまわない』と。われわれはとくにドイツ労働者ドイツプロレタリアートのおくれた状態を指摘してきたが、諸君はドイツ手工業者の民族的感情や身分的偏見にぶざまきわまるやり方でへつらっている。もちろん、これはわれわれよりも俗うけのするやり方だ。民主主義者が人民ということばを祭りあげるが、諸君はプロレタリアートということばを祭りあげている。民主主義者と同じく、諸君は革命的発展を『革命』という空文句とすりかえている」うんぬん、と。


(二八七) 著作『ケルン共産党裁判真相』は、闘争パンフレットであり、そのなかでマルクスプロイセン警察国家共産主義運動にたいして適用した卑劣な方法を非難した。マルクスは一八五二年一〇月末、ケルン共産主義者同盟にたいする裁判が終結する以前にこの著述を始めた。極度に困難な諸条件にもかかわらず――マルクスとその家族は非常に貧乏な生活状態にあった――、マルクスは一二月はじめにこれを書き終えることができた。一二月六日原稿出版者シャーべリック二世あてにスイスに送られた。翌日、もう一揃いの原稿アメリカ出版するため、アードルフ・クルースあてに送られた。バーゼルパンフレットが一八五三年一月に匿名印刷されたが、しかしほとんど全部数(二〇〇〇部)が、三月にバーデンとの国境ヴァイル村で警察没収された。アメリカでは、著作はまず最初は一章ずつボストン民主主義的『ノイ‐エングランド‐ツァイトゥング』に発表され、一八五三年四月末、この新聞出版パンフレットとして匿名出版された。ボストンパンフレットドイツでの普及も失敗した。
 一八七四年に『フォルクスシュタート』(注解三五三を参照)が省略せずに一三回の連載で復刻を発表した(一八七四年一〇月二八日付第一二六号から一八七四年一二月一八日付第一四七号まで)。はじめてマルクスの名が著者としてあげられた。あとがき(本書、五七四―五七六ページ参照)は、一八七五年一月二七日付の第一〇号に掲載された。最後に出版者は一八七五年にもう一度、単行本として復刻を公刊したが、同じく著者の名まえをかかげ、前述のマルクスあとがき、ならびにマルクスが一八六〇年に書いた『ケルン共産党裁判』(本書、五六五―五七三ページを参照)という題名でパンフレットフォークト君』につけた付録第四が増補された。
 一八八五年にエンゲルス編集で第三版が出版され、巻頭にエンゲルス論文共産主義者同盟歴史によせて』(本書、五七七―五九三ページ)が付された。この版にはさらにエンゲルスが一八五〇年三月と六月の中央委員会同盟員への呼びかけを増補している(本全集、第七巻、二四四―二五四ページおよび三〇六―三一二ページを参照)。四〇五
(三六六) 一八五〇年九月一五日の共産主義者同盟中央委員会議事録のうち、いままで知られていたのは、マルクスが彼の著作『ケルン共産党裁判真相』(本書、四〇五―四七〇ページを参照)に引用した抜粋だけだった。さらに知られていたのは、この会議で起草された決議で、これは一八五〇年一二月一日のケルン中央委員会共産主義者同盟員への呼びかけにおさめられている(本全集、第七巻、五六一―五六五ページ)。議事録の完全な原文は、二通の筆写を基礎にして、はじめて雑誌インターナショナル・レヴュー・オヴ・ソーシャルヒストリー』第一巻――一九五六年――第二冊、二三四―二五二ページに発表された。
 モスクワソ連邦共産党中央委員会付属マルクスレーニン主義研究所が、アムステルダム社会史国際研究所から彼らに提供された写真複写を調べたところ、二つの文書は同盟中央委員会会議議事録の筆写にすぎないことがわかった。これらの筆写のひとつは、ヘルマン・ヴィルヘルム・ハウプトが書いたものであるが、ハウプトは、起草された決議について報告するため、共産主義者同盟の分裂後、中央委員会からケルン派遣されたのである。第二の筆写の筆者は、いままでのところ、確定とすることができなかった。
 本書では、議事録の原文は、ハウプトの書いた筆写によって発表する。五九七
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マルクスエンゲルス 一八五〇年三月の中央委員会同盟員への呼びかけ
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20100311
マルクスエンゲルスの連名である。
意外にも「権力国家権力の手中にもっとも徹底的に集中させよ」
と言っている。
また「時を同じくして」を同時革命と解す事もできる。


マルクスエンゲルス 一八五〇年三月の中央委員会同盟員への呼びかけ(一六七)(村田陽一訳)
中央委員会から同盟員へ
さらに、民主主義者は、あからさまに連邦共和制をめざしてつとめるか、あるいは、単一不可分の共和国がどうしても避けられない場合には、せめて市町村や州をできるだけ自主的で独立的なものとして、中央政府を無力化することにつとめるであろう。労働者はこの計画に対抗して、単一不可分のドイツ共和国をめざしてつとめるだけでなく、この共和国内でも、権力国家権力の手中にもっとも徹底的に集中することを目標として、つとめなければならない。…
 ドイツ労働者は、かなりに長い革命的発展を完全に経過しつくさないうちは、支配権をにぎることもできず、彼らの階級利益をつらぬくこともできないが、こんどは、すくなくとも、この来たるべき革命劇の第一幕がフランスにおける彼ら自身の階級の直接の勝利と時を同じくして起こり、それによって大いにはやめられることを、確実に知っている。
 しかし、労働者が最後の勝利を得るためには、彼ら自身がいちばんに努力しなければならない。すなわち、自分階級利益を明らかに理解し、できるだけはやく独自的な党的立場を占め、一瞬間といえども民主主義的小ブルジョア偽善的な空文句にまよわされずに、プロレタリアートの党の独立組織化をすすめなければならない。彼らの戦いの鬨の声はこうでなければならない――永続革命、と。
 ロンドン、一八五〇年三月
マルクスエンゲルスロンドンドイツ人労働者教育協会からの脱退声明(二七五)〕(村田陽一訳)
    グレート・ウィンドミル街の協会の火曜日例会の議長へ
 下名のものは、協会から脱退することを、本状をもってご通知します。
 ロンドン、一八五〇年九月一七日
        H・バウアー K・プフェンダー
        J・G・エッカリウス S・ザイラー
        K・マルクス K・シュラム F・エンゲルス
        F・ヴォルフ W・リープクネヒト
        ハイン・ハウプト G・クローゼ
手稿による
注解
(一六七) 中央委員会共産主義者同盟員への呼びかけは、一八五〇年三月末にマルクスエンゲルス執筆して、亡命地やドイツにいる共産主義者同盟員のあいだに非合法に配布したものである。この文書は、プロイセン警察によって幾人かの逮捕された同盟員の家で押収されたが、一八五一年ブルジョア新聞ケルン新聞』と、同じくブルジョア新聞の『ドレスドナー・ジュルナール・ウント・アンツァイガー』との発表され、その後また、『一九世紀の共産党陰謀』という本にものせられた。この本は、エンゲルスが「もっともいやしむべき二人の警察ルンペン」と特徴づけた二人の警察官ヴェルムートとシュティーバーによってまとめられたものである。本書では、この著作は、エンゲルスが目をとおして、一八八五年にマルクスの著書『ケルン共産党訴訟真相』新版に付録としてのせたテキストによって収録されている。二四四
(二七五) ロンドンドイツ人労働者教育協会からの脱退声明は、マルクスエンゲルスプロレタリア党の創設のためにおこなった闘争の歴史上のもっとも重要時機の一つ、すなわち一八五〇年九月の共産主義者同盟の分裂に関係している。すでに一八五〇年の夏には、マルクス主義の創設者たちは、一八四七年の経済恐慌の力が使いはたされており、したがって、全般的な経済的高揚が始まりつつあるところでは、近い将来に新しい革命を期待することはできない、という結論に到達していた。そこからマルクスエンゲルスは、新しい条件のもとでは、科学共産主義の思想を宣伝すること、小ブルジョア民主党から独立したプロレタリア党を思想的・組織的に強化することに、主要な注意をむけるべきだ、という結論を引きだした。こういう冷静な分析と科学的な結論に立脚する戦術とにたいして、共産主義者同盟の中央委員であるヴィリヒとシャッパーが反対した。ヴィリヒ、シャッパーおよび彼らの支持者たちは、客観的な現実唯物論的な分析を「革命的」言辞でおきかえ、ドイツに新しい蜂起をよびおこそうと試み、冒険的な戦術をとって、小ブルジョア民主主義者との同盟にうったえた。こういう基礎のうえに同盟中央委員会内に生じた意見の相違は、すでに八月と九月前半における中央委員会会議で鋭く現われ、一八九〇年九月一五日の会議ではきわめて鋭いものとなった。この会議同盟の分裂はおこなわれた。マルクスはこの会議でヴィリヒおよびシャッパーとの意見の不一致を次のように基礎づけた。「少数派は、批判的見解に代えるに教条主義見解をもってし、唯物論見解に代えるに観念論的見解をもってしている。彼らは、現実の関係ではなくて、たんなる意志を革命の推進力とする。われわれが労働者にむかって、君たちは諸関係を変えるためでなく、君たち自身をも変え、政治的支配の能力を養うためにも、一五年、二〇年、五〇年にわたって内乱と国際戦争を経過しなければならない、と言うときに、諸君は逆に労働者にむかってこう言う。『われわれはいますぐ支配権をにぎらなければならない、でなければ寝ていたほうがましだ』と。われわれがとくにドイツ労働者にたいして、ドイツプロレタリアートの未発達な姿を指摘するときに、諸君は、ドイツ手工業者の民族感情と身分的偏見プロレタリアートということばを聖物にしている。民主主義者と同様に、諸君は革命的発展を革命についての空文句とすりかえている。」(カール・マルクスケルン共産党訴訟真相』、本全集、第八巻所収、を参照。)
 この会議で、同盟中央委員会の所在地をケルン移転し、ケルン地区委員会同盟の新しい中央委員会の結成を委託するという決定がなされた。この提案には、六人の中央委員――マルクスエンゲルス、シュラム、バウアー、エッカリウス、プフェンダー――が賛成投票し、残りの中央委員――ヴィリヒ、シャッパー、レーマン、フレンケル――が反対投票した。後者は、少数派となったので、会議を退席して、ロンドン地区の同盟員に呼びかけてその支持を得た。ロンドンドイツ人労働者教育協会の大多数の会員も、ヴィリヒ=シャッパーの分裂派に味方した。このことが、マルクスエンゲルスおよび彼らの支持者たちがこの協会を脱退する動機となったのである。四一四


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「共産主義者同盟への呼びかけ」
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen6.html
つぎへすすむまえにもどる
なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html
http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html

§ 共産主義者同盟への中央委員会の呼びかけ
☆  中央委員会から同盟へ
 兄弟諸君! 一八四七―四九年の両革命間に、同盟は、二重の方法でその真価をしめした。第一に、同盟員があらゆる場所で精力的に運動に参加し、新聞でも、バリケードでも、また戦場でも、彼らが、ただ一つ断固として革命的な階級すなわちプロレタリアートの陣列の先頭に立ったことによって。さらに、同盟は、一八四七年の両大会および中央委員会の回状や共産党宣言で確立されているような同盟の運動観が唯一のただしいものであることが証明され、前記の文書に表明されている期待が完全に実現され、そして以前同盟によってわずかに秘密に宣伝されていた社会の現状観が今日では人の口にのぼされ、公然と公開の場所で説かれるにいたったことによってその真価をしめした。同時に、いままで強固であった同盟の組織がひどく弛緩させられた。同盟員の大部分は、革命運動に直接参加して、秘密結社の時代はすでにすぎさり、公然の活動だけで十分だと信じるにいたった。個々の地区や班は、その中央委員会との結合をゆるめ、そして漸次ねむりこんでしまった。こうしてドイツでは、民主党すなわち小ブルジョアジーの党はますます組織されていったのに、労働者党はその唯一の堅固なよりどころをうしない、せいぜい地方的目的のために個々の地方に組織されるにとどまり、それによって、全般的な運動では完全に小ブルジョア民主主義者の支配と指導とをうけるにいたったのである。われわれは、こうした状態に結末をつけなければならず、労働者の自主性を回復しなければならない。中央委員会は、この必要をみとめ、そこで、すでに一八四八―四九年の冬、密使ヨゼフ・モルを同盟再組織のためにドイツへ派遣した。ところが、このモルの使命は、一つにはドイツの労働者が当時まだ十分に経験をつんでいなかったため、一つには前年五月の反乱がその使命を中断させたために、なんら永続的な効果なしにおわった。モル自身銃をとってバーデン=ブファルツ軍に投じ、七月一九日、ムルグの遭遇戦でたおれたのである。同盟は彼をうしなって、そのもっとも古い、もっとも活動的な、またもっとも信頼できる同盟員、毎度の大会や中央委員会で活動し、そしてそれまでにすでにいくたびか使命をおびて旅行し大きな成果をあげた同盟員をなくした。一八四九年七月にドイツとフランスの革命党が敗北したのち、中央委員のほとんど全部がふたたびロンドンで会合し、中央委員会に新しい革命的勢力を補充し、熱意をあらたにして同盟の再組織にとりかかった。
 再組織は、密命によってはじめておこないうる。そして中央委員会は、またしても一八四八年のときのようにブルジョアジーに利用され、それにひきずられまいとすれば、あらたな革命が目前にせまり、したがって労働者党ができるだけ組織的に、できるだけ一致結束して、またできるだけ自主的に行動しなければならないこの瞬間こそ、密使が出発することがきわめて重要であると考える。
 兄弟諸君! われわれは、すでに一八四八年に諸君に、ドイツの自由主義的ブルジョアはまもなく政権をにぎり、そのあらたに獲得した権力をただちに労働者にむけるであろう、といっておいた。諸君の見られたとおり、このことは実現されている。事実、一八四八年の三月運動ののち、ただちに国家権力を掌握し、この権力を利用して、労働者、すなわち闘争中の自分らの盟友を、ただちに以前の被抑圧者の地位におしもどしたのは、ブルジョアであったのだ。ブルジョアジーは、三月革命で一掃された封建的党派とむすびつくことなしには、結局はこの封建的・絶対主義的党派にふたたび支配権をゆずりわたしさえすることなしには、このことを実行できなかったのであるが、それでも彼らは、もし革命運動がいまごろはもういわゆる平和的発展をたどることが可能であったなら、政府の財政難を通じて、ついには彼らの手に支配権をにぎらせ、彼らのいっさいの利益を保障したであろうような諸条件を確保したであろう。ブルジョアジーは、彼らの支配権を確保するために、国民にたいする強圧手段によって憎悪をまねく必要さえもなかったであろう。なぜなら、これらのすべての強圧手段はすでに封建的反革命によって実行されたからである。しかし、発展はこうした平和な道ゆきをとらないであろう。逆に、この発展を促進する革命は、それがフランスのプロレタリアートの独立的な決起によってひきおこされようと、革命的バビロン〔38〕にたいする神聖同盟の侵略によってひきおこされようとを問わず、目前にせまっている。
 そして、ドイツの自由主義的ブルジョアたちが一八四八年に人民にたいして演じた役割、このきわめて裏切的な役割は、さしせまった革命においては、今日、野党として、一八四七年以前の自由主義的ブルジョアたちと同じ地位をしめている民主的小ブルジョアたちによってひきつがれるであろう。この政党、すなわち労働者にとっては以前の自由党よりはるかに危険な民主党は、つぎの三つの要素からなっている。
 一、大ブルジョアジーのうちで、封建制度と絶対主義の即時完全な打倒を目標として追究しているもっとも進歩的な部分。この分派は、以前のベルリン協定議員により、納税拒否派によって代表されている。
 二、民主主義的=立憲的小ブルジョア。従来の運動におけるこの派の主要目的は、その代表者、フランクフルト議会の左翼と、のちにシュトゥットガルト議会とにより、およびドイツ国憲法戦役において彼ら自身によって追求されたような、多かれすくなかれ民主的な連邦国家を建設することであった。
 三、共和主義的小ブルジョア。彼らはスイス流のドイツ連邦共和国を理想としており、小資本にたいする大資本の圧迫、小ブルジョアにたいする大ブルジョアの圧迫を廃止しようというしょせんかなわぬ願望をいだいているところから、今日、赤色党とか社会=民主党とか自称している。この分派の代表者たちは、民主主義大会や委員会のメンバーであり、民主主義協会の指導者であり、民主主義的な諸新聞の編集者である。
 これらすべての分派は、ちょうど今日、フランスで共和主義的小ブルジョアたちが社会主義者と自称しているように、彼らの敗北後の今日、みずから共和主義者とか赤色党とか称している。ヴュルテンベルグ、バイエルンなどのように、彼らがなお立憲的な方法でその目的を追求する機会のあるところでは、彼らはその機会をとらえて、彼らの昔からの空文句をかたりつづけ、彼らがいささかもかわっていないことを行動によって証明している。さらに、この党の名称がかわったからとて、労働者にたいするこの党の態度はすこしもかわるものではなく、いまやこの党が、絶対主義と結合したブルジョアジーに対抗し、プロレタリアートに依存しなければならないことをしめしているにすぎないことは、いうまでもない。
 ドイツの小ブルジョア的民主党ははなはだ優勢である。この党は、都市のブルジョア的住民の大多数、小商工業者、手工業をふくんでいるばかりではない。この党は、それとともに、農民やまだ都市の独立的プロレタリアートの援助を得るにいたっていないかぎりで、農村でプロレタリアをも追随者としている。
 小ブルジョア的民主党にたいする革命的労働者党の関係はこうだ、――すなわち、革命的労働者党はその打倒をめざしている分派に対抗して、この小ブルジョア的民主党と提携するが、民主党がそれによって自分自身の利益になるように自分の地位をはかる問題では、ことごとくこの民主党と対立するものである。
 民主主義的小ブルジョアは、革命的プロレタリアのために全社会を変革しようなどとは毛頭考えず、現在の社会をできるだけ自分らにがまんのできる、そして快適なものにするような、そうした程度の社会状態の変更をめざして努力する。したがって、彼らはなによりもまず、官僚の縮小による国費の節減と、主要な租税を大地主とブルジョアとに転嫁することを要求する。彼らはさらに、官設信用機関と高利取締法――彼らや農民はこれによって資本家からではなく国家から有利な条件で借入できるようになる――によって小資本にたいする大資本の圧迫を排除し、さらに、封建制度を完全に一掃することによって農村におけるブルジョア的所有関係を貫徹させることを要求する。これらのすべての要求をつらぬくために、彼が必要とするのは、立憲的なものにせよ共和的なものにせよ、彼らとその盟友たる農民とを多数派にする民主的国家組織と、自治体財産および現在官僚によって行使されている一連の機能にたいする直接の統制権を彼らの手にあたえる民主的な自治体制度とである。
 民主主義的小ブルジョアはさらに、資本の支配と急速な増殖とは、一つには相続権の制限により、一つにはできるだけ多くの仕事を国家に委譲することによって、これを抑止しようとする。労働者にかんしては、彼らがいままでどおりの賃金労働者にとどまらなければならないことがなによりっまずはっきりしているが、ただ民主主義的小ブルジョアは、労働者にもっとよい賃金と保障された生活とをあたえることをのぞみ、このことを国家による部分的雇用と慈善方策によって達成しようと期待するのである。要するに、彼らは、多かれすくなかれ、かくされた施物によって労働者を買収し、彼らの境遇を一時しのげるようにすることによって、彼らの革命的な力をくじくことを期待しているのである。ここに総括された小ブルジョア的民主党の要求は、同等のすべての分派によって同時に主張されているのではなく、その全体がはっきりした目標としてうつるのは同党のごく少数の人たちだけである。彼らのうちの個々の人々または分派がすすめばすすむほど、彼らはますますこれらの要求をとって自分の要求とすることになるであろう。そして、前記の諸要求を自分らの綱領と見る少数の人たちは、これで革命からのぞむことのできる最大限をかかげたものと信じるようになるであろう。しかし、これらの要求は、プロレタリアート党にとって、けっして満足なものではない。民主主義的小ブルジョアは、できるだけはやく、そしてせいぜい前記の要求を実行するぐらいのことで、革命を終熄させようと思っているが、われわれの利益とわれわれの任務とは、多かれすくなかれ有産のすべての階級が支配〔的地位〕からおしのけられ、国家権力がプロレタリアートによって奪取され、一国においてばかりでなく全世界のすべての主要国におけるプロレタリアートの結合がすすんで、これらの国々におけるプロレタリアの闘争がやみ、すくなくとも決定的な生産諸力がプロレタリアの手に集中されるまで、革命を永続させるにある。われわれにとって問題になりうるのは、私的所有の変更ではなくてその廃止だけであり、階級対立のごまかしではなくて階級の廃止であり、現在の社会の改善ではなくて新しい社会の建設である。革命のこんごの発展のあいだに、小ブルジョア的民主党が、ドイツで一時圧倒的な勢力をしめるであろうということは、すこしもうたがいのないことである。したがって、つぎのようなばあいに、彼らにたいするプロレタリアートの、そしてとくに同盟の態度がどうあるべきかが、問題になる。
 一、小ブルジョア民主主義者も同じように圧迫されている現在の状態が継続するあいだは?
 二、彼らを優勢にするつぎの革命的闘争では?
 三、この闘争ののち、打倒された諸階級とプロレタリアートとにたいして、彼らが優勢をしめている期間中は?
 一、民主主義的小ブルジョアは、彼らがいたるところで抑圧されている現在の瞬間においては、プロレタリアにむかって一般に提携と和解とを説いている。彼らはプロレタリアに手をさしのべ、民主党内のあらゆる色あいをふくむ一大反対党をつくろうと努力する。すなわち、彼らは労働者を一つの政党組織――そのなかでは、彼らの特殊な利害がその背後に秘められている一般的な社会民主主義的言辞がはばをきかせ、平和をたもつためにプロレタリアートの特定の要求を主張することはゆるされない――のなかへひきこもうと努力するのである。このような提携は、彼らの利益になるだけで、プロレタリアートにはまったく不利益になろう。プロレタリアートは、骨をおってかちえたその独立の地位の全体をうしない、ふたたび公認のブルジョア民主主義者の付属物に身をおとしてしまうであろう。したがって、このような提携は断然しりぞけなければならない。またしても身を屈して、ブルジョア民主主義者に拍手をおくる合唱隊のわき役をつとめたりなどせずに、労働者、とりわけ同盟は、公認の民主主義者とならんで、労働者党の独立の秘密組織と公然の組織とをつくりあげ、各班を、プロレタリアートの地位と利害とがブルジョア的諸影響をはなれて論議される労働者協会の中心および中核にするように、つとめなければならない。ブルジョア民主主義者が、プロレタリアが同じ力と同じ権利とをもって彼らとならびたつような同盟のことを真剣に考えているのではまったくないことは、たとえば、ブレスラウの民主主義者たちがしめしている。彼らは、その機関紙の『新オーデル新聞〔39〕』で、彼らが社会主義者という称号をあたえている独自に組織された労働者たちを、もっとも狂暴に迫害している。共通の敵とたたかうばあい、なにも特別な結合を必要としない。こうした敵と直接たたかわなければならなくなるやいなや、両党派の利害は一時一致する。そして、いままでそうであったように、将来においても、この目さきだけを打算した結合は、ひとりでにつくりだされるであろう。いうまでもなく、目前の流血の衝突では、いままでのすべての衝突のときと同じく、主として労働者が、その勇気、その決断とその献身によって、勝利をたたかいとらなければならないだろう。いままでと同じように、この闘争でも、小ブルジョアの大衆は、できるだけ長いあいだ、躊躇、不決断、不活動の態度をとり、やがて勝利が決定されるやいなや、この勝利をわがものにし、労働者にむかって、平静をたもち、その仕事にかえることをうながし、いわゆる行きすぎをいましめ、プロレタリアートを勝利の成果からしめだそうとするであろう。小ブルジョア民主主義者たちがこうした態度に出るのをふせぐことは労働者の力のおよぶところでないが、彼らが武装したプロレタリアートに対抗するのを困難にし、ブルジョア民主主義者の支配が当初から自分のなかに没落の因子をもち、やがてプロレタリアートの支配によって彼らを駆逐するのをいちじるしく容易にするような条件を彼らにつきつけることは、労働者の力でできることである。労働者は、なによりもまず、衝突のあいだも、また闘争の直後も、可能なかぎり、ブルジョア的な慰撫に対抗して、民主主義者がいま、テロルにうったえるぞといっている空文句を実行するように、強制しなければならない。労働者は、直接的な革命的激動が勝利の直後にふたたび抑圧されてしまわないようにつとめなければならない。反対に、彼らは、この激動をできるだけながく保持しなければならない。いわゆる行きすぎ、にくまれている個人、または、ただいやな思い出だけがむすびついている公共建築物にたいして、見せしめに人民が復讐するのに反対するどころか、われわれは、この見せしめをゆるすばかりではなく、その指導をさえ、自分の手におさめなければならない。闘争中も闘争後も、労働者はありとあらゆる機会に、ブルジョア民主主義者の要求とならべて、自分たち自身の要求をかかげなければならない。彼らは、民主主義的ブルジョアが政権をその手ににぎることに着手するやいなや、労働者のための保障の要求をしなければならない。労働者は、この保障を、必要とあれば強取しなければならない。そして一般に、新統治者がありとあらゆる譲歩と約束との義務を負うように配慮しなければならない、――これこそが、彼らの馬脚をあらわさせるもっとも確実な手段である。労働者は一般に、市街戦に勝利したのちにはつきものの、勝利の陶酔と新状態にたいする熱狂とを、情勢の沈着にして冷静な把握により、新政府にたいするあからさまな不信によって、できるだけ抑制するよう万全をつくさなければならない。彼らは、新しい公けの政府とならんで、同時に、市町村参事会、市町村会の形であれ、労働者クラブまたは労働者委員会を通じてであれ、自分たちの革命的労働者諸政府を樹立し、それによってブルジョア的・民主的政府が、即座に労働者の後楯をうしなうようにするばかりでなく、はじめから労働者の全大衆が背後についている公権の監視と威圧とのもとにあることを感じさせなければならない。要するに、勝利の最初の瞬間から、不信はもはや敗北した反動的政党にたいしてではなしに、むしろそのいままでの盟友にたいし、共同の勝利をひとり占めにしようとしている党派にたいして、むけられなければならないのである。
 二、しかし、勝利の最初の瞬間から労働者をうらぎりはじめるであろうこの党にたいして、精力的に、かつ威嚇的に対抗できるためには、労働者は武装し、かつ組織されていなければならない。燧発銃、旋条銃、大砲、弾薬をもってする全プロレタリアートの武装が即時実行されなければならない。労働者にむけられた旧市民軍の復活には反対しなければならない。この最後のことが実行できないところでは、労働者は、独自に、みずからえらんだ隊長と、みずからえらんだ自分の司令部とをもつプロレタリア衛兵として自分を組織し、そして国家権力の命令ではなくて、労働者の力で成立させた革命的市会の命令で行動するようにつとめるべきである。労働者が国費でやとわれているところでは、彼らは、その武装と組織化を、みずからえらんだ隊長をもつ特別の部隊として、またはプロレタリア衛兵の一部として、遂行しなければならない。武器と弾薬とはどんな口実がもちだされようとも手ばなしてはならない。武装解除の試みは、すべてこれを、必要とあれば暴力によって挫折させなければならない。労働者にたいするブルジョア民主主義者の影響の根絶、労働者を即時独立に組織し、それを武装させること、一時的に避けがたいブルジョア民主主義者の支配にたいして、できるだけこれを困難にさせ、またその馬脚をあらわさせるような条件をおしとおすこと、――これが、プロレタリアートおよびそれとともに同盟が、自前の暴動のあいだ、ないしこの暴動ののちに、考慮していなければならない主要な点である。
 三、新政府がある程度までその地歩をかためるやいなや、労働者にたいするその闘争はただちに開始されるであろう。このばあい民主主義的小ブルジョアに力で対抗しうるためには、なによりもまず、労働者が独自にクラブに組織され結集されていることが必要である。中央委員会は、現在の政府が転覆されたら、それができるようになりしだい、ドイツにうつり、ただちに大会を召集し、そしてこの大会に、運動の根拠地に設立された指導部のもとに労働者クラブを結集するための必要な提案をするであろう。すくなくとも労働者クラブの地方的な連絡を急速に組織することは、労働者党の強化と発展のためのもっとも重要な点の一つである。現在の政府の転覆の第一の結果は、国民代表機関の選挙であろう。プロレタリアートは、このばあい、つぎのことを配慮しなければならない。
 一、地方官庁または政府委員のいかなる奸計によっても、多数の労働者が、いかなる口実をもってしても除外されるようなことのないこと。
 二、どこでも、ブルジョア民主主義の候補者とならんで労働者の候補者を立てること。そしてこの候補者はできるだけ同盟員からなりたたなければならない。そして、あらゆる手段をもちいてその選出をはからなければならない。当選の見こみのまったくないところでも、労働者は彼ら自身の候補者を立て、彼らの独自性を維持し、その軍勢を計算し、彼らの革命的立場と党の見地とを公衆にしめさなければならない。労働者はこのばあいに、たとえば、そんなことをすれば民主派が分裂し反動派に勝利の可能性をあたえるものだなどという、民主主義者たちのきまり文句にまよわされてはならない。これらすべての常套語は、結局、帰するところは、プロレタリアートを瞞着するためのものである。プロレタリア党がこのような独自的行動によってはたすにちがいない進歩は、若干の反動派が代議機関にくわわることによってひきおこされるかもしれない不利益よりも、無限に重要である。民主派が最初から反動派にたいし、断固として、かつテロルをもってのぞめば、選挙のさいの反動派の勢力はまえもって根絶されるであろう。
 ブルジョア民主主義者と労働者とが衝突をおこす第一の点は、封建制度の撤廃であろう。第一次フランス革命のときのように、小ブルジョアは農民に封建的領地を自由財産としてあたえるであろう。すなわち、農業プロレタリアートをそのままのこし、小ブルジョア的農民階級を形成しようとするであろう。そして、この小ブルジョア的農民階級は、フランスの農民がいまなお経過しつつあるような窮乏と負債との道をたどるものである。
 労働者は、農民プロレタリアートのため、また、彼ら自身のために、こうした計画に反対しなければならない。彼らは、没収された財産を国有財産として保存し、労働者入植地(コロニー)――連合した農業プロレタリアートが大規模農業のあらゆる利点を発揮しつつ耕作するもので、それによって共有財産の原則が、動揺するブルジョア的所有関係のただなかで、ただちに強固な基礎を獲得する――に役だてるように要求しなければならない。民主主義者が農民とむすびついたように、労働者は農業プロレタリアートとむすびつかなければならない。さらにまた、民主主義者は直接に連邦共和国の実現につとめるか、それとも、彼らが単一不可分の共和国を避けえないばあいにはすくなくとも、自治体〔40〕や州にできるだけの独自性と独立性とをあたえることによって中央政府を無力にしようとつとめるかであろう。労働者はこの計画に対抗して、単一不可分のドイツ共和国の実現につとめるばかりでなく、この共和国において権力を国家権力の手中に徹底的に集中するように努力しなければならない。彼らは、自治体の自由とか自治などという民主主義的饒舌にまよわされてはならない。ドイツのように、たくさんの中世の残存物を除去しなければならず、たくさんの地方や州の我意を打破しなければならない国では、どんなことがあっても、一つ一つの村落、一つ一つの都市、一つ一つの州が、それぞれに、中央から出てこそ全力を発揮しうるような革命的活動にあらたな障害をもうけることなどは、ゆるされてはならない。――ドイツ人が、同一の進歩をはかるために、それぞれの都市、それぞれの州で、単独でたたかわなければならないような現状がくりかえされることは、ゆるされてはならない。なお、近代的私的所有よりおくれており、どこでも必然的にこの近代的私的所有に解消する所有の一形態である自治体所有、およびここから発生する貧しい自治体と富んだ自治体とのあいだのあつれき、ならびに労働者にたいする奸計をともなう自治体公民権が国家公民権と並存する状態が、いわゆる自由な自治体制度によって永続されることは、だんじてゆるされてはならない。一七九三年のフランスと同じく、今日のドイツでも、もっとも厳格な中央集権の実行が真に革命的な党の任務である(*)。
(*) 今日では、この箇所が一つの誤解にもとづいていることを想起しなければならない。当時は、ボナパルト派や自由主義者の歴史偽造のおかげで、フランスの中央集権的な行政機関が大革命によって導入され、ことに国民公会によって、王党および連邦党の反動派や外敵を克服するさいになくてはならぬ決定的な武器として使用されたということが、確実なことと考えられていたのである。しかしいまでは、ブリュメール十八日にいたるまでの全革命を通じて、県、郡、市村町の全行政が、被治者自身によってえらばれ、一般国法の範囲で完全な自由をもってうごいていた当局者からなっていたこと、この、アメリカのそれに類似していた州および地方自治こそ、革命の最強の槓杆となり、しかも、ナポレオンが彼のブリュメール十八日のクーデターの直後いそいでこの自治のかわりに、今日なお存続している知事政治――したがって当初から純粋な反動の具であった――をもってしたほど強力なものであったということは、周知の事実である。しかし、地方および州自治が政治的・国民的中央集権と矛盾するものでないのと同じく、この自治はまた、スイスにおいてわれわれにあれほどいやな感じをいだかせ、一八四九年には南ドイツのすべての連邦共和主義者がドイツにおいてこれを通則にしようとした、かの狭量な州および市町村利己主義と、必然的にむすびつくものでもないのである。〔一八八五年版へのエンゲルスの注〕
 われわれがすでに見たように、民主主義者はこのつぎの運動で支配権をにぎり、多かれすくなかれ社会主義的な方策を提議せざるをえなくなるであろう。労働者はこれにたいしていかなる方策を提起すべきか?という質問がおこるであろう。もちろん、労働者は、運動の当初ではまだ、直接、共産主義的な方策を提議したりすることはできない。しかし彼らはつぎのことはできる。
 一、民主主義者にせまって、できるだけ多方面から従来の社会秩序に干渉させ、その規則的な運行を妨害させ、こうして彼ら自身の馬脚をあらわさせ、また、できるだけ多くの生産力、運輸手段、工場、鉄道、等々を国家の手に集中させる。
 二、彼らは、いずれにしても革命的ではなく、たんに改良的な態度に出るにすぎない民主主義者の提議を極度にまでおしすすめ、それを私的所有にたいする直接の攻撃にかえなければならない。たとえば、小ブルジョアが鉄道や工場を買いあげることを提議したら、労働者は、これらの鉄道や工場を反動派の財産として国家の手であっさりと、また無償で没収すべきことを要求しなければならない。民主主義者が比例税を提議したら、労働者は累進税を要求する。民主主義者みずから穏健な累進税を提議したら、労働者は大資本を破滅させるほど急激に高くなる率の税を主張する。民主主義者が国債の整理を要求したら、労働者は国家の破産を要求する。このように、労働者の要求はどこでも民主主義者の譲歩と方策の程度に応じてさだめられなければならないのである。
 ドイツの労働者は、さらに長い革命的発展をすっかり経過しなければ、支配権をにぎることも、彼らの階級利益を貫徹することもできないにしても、このたびはすくなくとも、目前にせまるこの革命劇の第一幕が、フランスにおける彼ら自身の階級の直接的勝利と一致し、またそれによっていちじるしく促進されるという確信をもっているのである。
 しかし、彼ら自身は、彼らの階級利益をみずからあきらかに知り、できるだけはやく彼らの独自的な党派的立場をとり、民主主義的小ブルジョアの偽善的言辞にまよわされて一瞬たりともプロレタリアートの党の独立の組織をわすれないことによって、彼らの最後的勝利のために、全力をあげなければならない。彼らの鬨(35)の声は、「永続革命」ということでなければならない。
  ロンドン 一八五〇年三月
     一八八五年チューリヒ発行のマルクスの『ケルン共産党裁判の暴露』にエンゲルスが掲載



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