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ウェーバーとメンガー限界革命
ウェーバー、パーソンズの仕事(の一つ)は
功利主義のひとつである限界革命を
体系内に収めることで相対化する試みだった
ウェーバー客観性論文より
ウェーバーのメンガーへの嫌み
経済的な考察のしかたの「一面性」をば、それを一般的な社会経済にまで拡大することによって、なくすることが、科学研究の進歩の課題なのである、などと信じることには、まず次のような認識が欠けている。すなち「社会的なもの」、したがって人間相互の関係という観点は、なんらかの特殊な内容をもった述語がそなわるときにのみ、学問上の問題を限定するのに十分な正確さをもってくるのだという認識が、そこでは欠けているのである。
科学の研究領域の根底にあるものは、「物」の「即物的なあるいは実在的な」連関ではなくして、問題の思想上の連関なのである。
抽象理論がかかげられるばあいには、みかけのうえでは、心理的な根本動機からの「演繹」だけがおこなわれているようだが、実際にはむしろ、人間の文化に関する科学に独特なもので、ある意味では、それなしにはすまされない、概念構成のひとつのかたちのひとつの特殊なありかたが、そこにみられるのである。
たとえば、現在の「抽象理論」が今後どこまで展開せられねばならぬかという疑問は、結局には、科学的研究の経済の問題でもある。科学的研究にたいしては、ほかに諸問題も解決をせまって待ちかまえているのが実情なのであるから。「限界効用理論」もまた、「限界効用の法則」にしたがうというわけである。──
たとえば「価値」という述語──これは経済学上のかの有名な不肖の子であって、もしそれになにかはっきりした意味があたえられるとすれば、まさに理念型的な意味だけである──あるいは「生産的」だとか「国民経済的
河出12より
ソローモデルはマルサスと比較されるが
ラムゼイモデルはカント的で統整的理念である
ドイツ歴史学にはヴェブレンも入る
無視されがちだが重要だ
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客観性論文より末尾
科学はその研究に意味と方向とがさししめされるただ一つのよすがである星をもとめて、すすんでゆく。ゲーテとともにいうならば──
「……新しい願望が目覚める。
女神の永遠なる光が飲みたさに
夜を背にし昼を面にし、
空を負い波に俯して、己は駆ける。」
二四(「……新しい願望が……」) 『ファウスト』第一部、閭門の前、でのことば。鷗外の訳文による。
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