漱石と荀子:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/blog-post_31.html
漱石自身が装丁を担当した「こゝろ」(1914)の単行本表紙には、中国『康熙字典』(1716)の説明が添えられてる。
一荀子解蔽篇ー心者形之君也而神明主也
(心は肉体の君主であり、精神の主体です。)
「こゝろ」初版本表紙の謎:
http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2009/10/post-b422.html
心
【荀子解蔽篇】心者形
之君也而神明之主
也【禮大學疏】總包萬
慮謂之心又【釋名】心
纖也所識纖微無不
貫也又本也【易復卦】
復其見天地之心乎
【註】天地以本爲心者
●書き下し文
心
【「荀
子」解蔽篇。】心は形の君なり、而して神明の主なり。【「禮」・「大學」
疏。】總て萬慮を包む、之を心と謂ふ。又、【「釋名」。】心、纖なり。識る所、纖微も貫かざる無きなり。又、本なり。【「易」復卦。】復たは其れ、天地の
心を見るか。【註。】天地に本を以て心を爲す者
*
僕はこの康熙字典からの引用を、秦恒平氏のように「こゝろ」の解釈の一助とすることに、意識的に避けてきた……
http://tenmei.cocolog-nifty.com/matcha/2014/04/post-d492.html (漱石自身が装丁を担当した「こゝろ」表紙には、)中国『康熙字典』 (1716)の説明が添えられてる。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1396140788
「心者形之君也。而神明之主也。出令而無所受令。自禁也自使也、自奪也自取也、自行也自止也。故口可劫而使墨云、形可劫而使詘申、心不可劫而使易意。是之則受、非之則辭。故曰心容其擇也無禁必自見、其物也雑博、其情之至也不貳。」
(心
は肉体の君主であり、精神の主体です。自分の方から命令を出しますが、他から命令を受けることはありません。自ら禁じ自ら使います。自ら奪い自ら取る
のです。自ら行き自ら止まります。口は無理やり黙らせたり、云わせたりできます。体は無理やり屈ませたり、伸ばしたりできます。でも心は無理やり意志を変
えさせることはできないのです。自ら「是」とすればこれを受入れ、自ら「非」とすれば受け付けません。だからこう言えるのです。心の状態は、物事を選択す
るについては、禁じる者は無くて、自ら見て 〔自由に選択します。〕
物事は接する際は雑多ですが、その精髄の極致にあっては統一があって雑多になりません。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/こゝろ
こゝろ』(こころ)とは、夏目漱石の長編小説。漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された。
荀子
『荀子』勧学篇の言葉「青は藍より出でて藍より青し」(青出於藍而勝於藍)
http://blog.livedoor.jp/gelanping_a/archives/51627115.html
qing1 chu1 yu2 lan2 er2 sheng4 yu2 lan2
「荀子」より。原文は「青,取之於藍而青於藍;冰,水為之而寒於水」。青は藍から作られたが藍より青くなり、氷は水からなったが水より寒くなる。君子というものは、日々自分を反省し、鍛えていけば、師匠を超えるぐらいの学問に到達できるという意味です。
今は日本語の「青は藍より出でて藍より青し」と同じように、弟子が師匠を超えるという意味で多く使われています。
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荀子は性悪説が有名だが、それでも孔子の教えを遵守している。タブララサを主張していると考えればわかりやすい。ライプニッツよりもロック寄りに孔子を解釈していると言える??
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