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剰余価値学説史 マルクス=エンゲルス全集 26巻1,2,3 :目次
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/26123.html大月書店 マルクス=エンゲルス全集 26巻1,2,3 online
第26巻序文 | ||
M | 剰余価値学説史(『資本論』第4巻)第1分冊 | |
手稿『剰余価値に関する諸学説』の内容目次 | 3 | |
一般的覚え書き | 7 | |
第1章 サー・ジェームズ・ステュアート.「譲渡に基づく利潤」と富の積極的増加との区別 | 8 | |
第2章 重農学派 | 12 | |
1 剰余価値の源泉に関する研究の,流通部面から直接的生産部面への移転.剰余価値の唯一の形態としての地代 | 12 | |
2 重農主義の体系における諸矛盾.その封建的外皮とブルジョア的本質.剰余価値の解明における二面性 | 19 | |
3 ケネーにおける社会の3階級.テュルゴーによる重農主義理論のいっそうの発展.資本主義的諸関係のより深い分析の諸要素 | 24 | |
4 パオレッティによる価値と物質との同一視 | 33 | |
5 スミスにおける重農主義的諸要素 | 34 | |
6 資本主義的基礎に立脚する大農業の支持者としての重農学派 | 40 | |
7 重農学派の政治的見解における諸矛盾.重農学派とフランス革命 | 42 | |
8 プロイセンの反動家シュマルツによる重農主義理論の俗流化 | 44 | |
9 重農学派の迷信への反対 | 46 | |
第3章 A.スミス | 48 | |
1 スミスにおける2つの価値規定 | 48 | |
2 スミスにおける一般的な剰余価値論.労働者の労働生産物からの控除としての,利潤,地代および利子 | 59 | |
3 スミスによる,社会的労働のあらゆる部面における剰余価値生産の発見 | 70 | |
4 資本と賃労働との交換における価値法則の作用に関するスミスの無理解 | 72 | |
5 剰余価値と利潤との混同─―スミスの理論における俗流的要素 | 75 | |
6 利潤,地代および労賃を価値の源泉と見るスミスのまちがった理解 | 81 | |
7 価値と収入との関係についてのスミスの二面的理解.「自然価格」を労賃,利潤および地代の合計と見る彼の見解 | 84 | |
8 社会的生産物の全価値を収入に分解するスミスの誤り.総収入と純収入に関する彼の見解における諸矛盾 | 88 | |
9 スミスの理論を俗流化する者としてのセー.セーにおける社会的総生産物と社会的収入との同一視.それらを区別しようとするシュトルヒとラムジの試み | 96 | |
10 年々の利潤と賃金が,利潤と賃金のほかに不変資本をも合む年々の商品を買うということは,どうして可能であるか,の研究 | 101 | |
a 消費手段の生産者たちの不変資本をこれらの生産者間の交換によって補填することの不可能性 | 101 | |
b 社会の全不変資本を消費手段の生産者と生産手段の生産者とのあいだの交換によって補填することの不可能性 | 125 | |
c 生産手段生産者間における資本と資本との交換.年々の労働生産物と年々新たにつけ加えられた労働の生産物 | 143 | |
11 価値の尺度に関するスミスの矛盾した見解 | 158 | |
第4章 生産的および不生産的労働に関する諸学説 | 160 | |
1 資本主義的生産の意味での生産的労働は剰余価値を生産する賃労働のことである | 160 | |
2 生産的労働に関する重農学派と重商主義者の所説 | 162 | |
3 生産的労働のスミスの理解における二面性 | 164 | |
a 生産的労働は資本と交換される労働であるとする説明 | 164 | |
b 生産的労働は商品に実現される労働であるとする説明 | 171 | |
4 生産的労働の規定におけるブルジョア経済学の俗流化 | 190 | |
5 生産的労働のスミスの見解の追随者.対象の歴史について | 193 | |
a リカードとシスモンディ──生産的労働のスミスの第1の説明の追随者 | 193 | |
b 生産的労働と不生産的労働とを区別しようとする初期の試み(ダヴィナント,ペティ) | 195 | |
c ジョン・ステュアート・ミル──生産的労働のスミスの第2の説明の追随者 | 202 | |
6 ジェルマン・ガルニエ | 203 | |
a 資本と交換される労働と,収入と交換される労働との混同.消費者の収入による全資本の補填に関するまちがった考え | 203 | |
b 資本と資本との交換による不変資本の補填 | 210 | |
c ガルニエのスミスにたいする論難の俗流的諸前提.ガルニエの重農主義的見解への逆もどり.不生産的労働者の消費を生産の源泉とみる見解―─重農学派に比べての一歩後退 | 225 | |
7 シャルル・ガニル | 232 | |
a 交換および交換価値に関する重商主義的見解 | 232 | |
b あらゆる支払労働の生産的労働への編入 | 240 | |
8 純収入に関するガニルおよびリカードの所説.生産的人口の減少を説くガニル.資本の蓄積および生産諸力の増大を説くリカード | 246 | |
9 収入と資本との交換 | 269 | |
a 収入と収入との交換 | 270 | |
b 収入と資本との交換 | 275 | |
c 資本と資本との交換 | 286 | |
10 フェリエ.スミスの生産的労働および蓄積の理論にたいする彼の論難の保護貿易主義的性格.蓄積の問題におけるスミスの混乱.生産的労働者に関するスミスの見解における俗流的要素 | 297 | |
11 ローダデール.スミスの蓄積論と彼の生産的および不生産的労働者の区別とにたいする反対者 | 316 | |
12 「非物質的生産物」に関するセーの所説.不生産的労働の無制限な増大の正当化 | 319 | |
13 デステュット・ド・トラシ.利潤の源泉に関する俗流的見解.産業資本家を唯一の生産的労働者だとする賛美 | 323 | |
14 スミスの生産的労働と不生産的労働との区別にたいする論難の一般的特徴づけ | 341 | |
15 アンリ・シュトルヒ.物質的生産と精神的生産との関係の非歴史的考察.支配階級の「非物質的労働」に関する彼の見解 | 345 | |
16 ナッソー・シーニア.ブルジョアジーにとって有用なあらゆる活動を生産的だとする賛美.ブルジョアジーとブルジョア国家とにたいする追従 | 350 | |
17 ぺレグリーノ・ロッシ.経済的諸現象の社会的形態の無視.不生産的労働者による「労働の節約」という俗流的見解 | 357 | |
18 チャーマズによる,富者,国家および教会の浪費の弁護 | 367 | |
19 スミスと彼の生産的および不生産的労働に関する区別についての結び | 368 | |
第5章 ネッケル.資本主義では階級対立が貧困と富との対立として現われるということ | 376 | |
第6章 余論.ケネーによる経済表 | 381 | |
1 借地農業者と土地所有者とのあいだの流通.再生産が行なわれない借地農業者への貨幣の還流 | 382 | |
2 資本家と労働者とのあいだの貨幣流通について | 389 | |
a 労賃を資本家の労働者にたいする前貸だとする,ばかげたきまり文句.利潤を危険補償とみなすブルジョア的見解 | 389 | |
b 労働者が資本家から買う諸商品.再生産が行なわれない場合の貨幣の還流 | 399 | |
3 経済表による借地農業者と製造業者とのあいだの流通 | 408 | |
4 経済表における商品流通と貨幣流通.貨幣が出発点に還流するいろいろな場合 | 414 | |
5 経済学の歴史における経済表の意義 | 427 | |
第7章 ランゲ.労働者の自由に関するブルジョア的-自由主義的見解にたいする論難 | 429 | |
〔補録〕 | ||
科学の経済的役割に関する,労働と価値とに関する,ホッブズの所説 | 441 | |
ペティ | 443 | |
a 人口理論―─不生産的職業にたいする批判 | 443 | |
b 労働時間による価値の規定 | 445 | |
c 土地価格,地代および利子の規定 | 449 | |
d 「土地と労働とのあいだの自然的な同等関係」 | 454 | |
ペティ,サー・ダッドリ・ノース,ロック | 459 | |
ロック.ブルジョア的自然法理論の立場からの地代および利子の取扱い | 460 | |
ノース.資本としての貨幣.利子率の低下の原因としての商業の拡大 | 465 | |
富の源泉としての勤労に関するバークリの所説 | 471 | |
ヒュームとマッシー | 472 | |
a マッシーとヒュームの利子論 | 472 | |
b ヒューム.利潤と利子との低下は商工業の繁栄による | 473 | |
c マッシー.利潤の一部分としての利子.利潤率からの利子の高さの説明 | 476 | |
重農学派に関する章への補足 | 480 | |
a 経済表に関する補足的覚え書 | 480 | |
b 重農学派の重商主義への逆もどり.自由競争への要求 | 482 | |
c ケネー.交換では価値は現実には増加しない | 483 | |
ビュア.土地貴族の賛美 | 484 | |
ジョン・グレー.重農学派の立場からの土地貴族にたいする論難 | 486 | |
余論(生産的労働について) | 492 | |
資本の生産性.生産的労働と不生産的労働 | 495 | |
a 社会的労働のいっさいの生産力は資本の生産力として現われる | 495 | |
b 資本主義的生産の体制内での生産的労働 | 500 | |
c 資本と労働とのあいだの交換における2つの本質的に違っている契機 | 505 | |
d 資本にとっての生産的労働の独自な使用価値 | 508 | |
e サーヴィスを提供する労働としての不生産的労働.資本主義の諸条件のもとでのサーヴィス提供の購買.資本と労働との関係をサーヴィス提供の交換と考える俗流的見解 | 511 | |
f 資本主義社会における手工業者および農民の労働 | 518 | |
g 物質的な富に実現される労働としての生産的労働の副次的規定 | 521 | |
h 非物質的生産の領域における資本主義の諸現象 | 522 | |
i 物質的生産の総過程という視角からみた生産的労働の問題 | 523 | |
k 物質的生産の一部門としての運輸業.運輸業における生産的労働 | 524 | |
『資本論』第1部および第3部のプラン草案 | 526 | |
a 『資本論』第1部または第1篇のプラン | 526 | |
b 『資本論』第3部または第3篇のプラン | 527 | |
c 『資本論』第3部第2章のプラン | 527 | |
〔注解〕 | ||
〔付録〕 | ||
文献目録 | ||
人名索引 | ||
度量衡および通貨表 |
M | 剰余価値学説史(『資本論』第4巻) 第2分冊 | |
第8章 ロートベルトゥス氏.余論.新しい地代論 | 3 | |
1 農業における超過剰余価値.資本主義の諸条件のもとにおける工業に比べての農業のより緩慢な発展 | 3 | |
2 剰余価値率と利潤率との関係.農業における不変資本の要素としての農業用原料の価値 | 11 | |
3 農業における価値と平均価格.絶対地代 | 16 | |
a 工業における利潤率の均等化 | 16 | |
b 地代の問題の定式化 | 23 | |
c 絶対地代の存在にとって必要な条件としての土地の私的所有.農業における剰余価値の利潤と地代とへの分割 | 32 | |
4 農業の生産費のなかに原料の価値ははいらないというロートベルトゥスの命題 | 42 | |
5 ロートベルトゥスの地代論のまちがった諸前提 | 57 | |
6 工業と農業とにおける平均価格と価値との関係に関するロートベルトゥスの無理解.平均価格の法則 | 69 | |
7 利潤率と地代率とを規定する諸要因に関するロートベルトゥスのまちがった見解 | 78 | |
a ロートベルトゥスの第1の命題 | 80 | |
b ロートベルトゥスの第2の命題 | 84 | |
c ロートベルトゥスの第3の命題 | 100 | |
8 ロートべルトゥスによってゆがめられた法則の真の核心 | 108 | |
9 差額地代と絶対地代との相互関係.地代の歴史的性格.スミスとリカードの研究方法について | 112 | |
10 地代率と利潤率.歴史的発展のいろいろな段階における農業の生産性と工業の生産性との関係 | 129 | |
第9章 いわゆるリカードの法則の発見の歴史に関する覚え書き.ロートベルトゥスに関する補足的覚え書き(余論) | 138 | |
1 アンダソンによる差額地代の発見.彼の剽窃者マルサスによって土地所有者の利益のためになされたアンダソンの見解の歪曲 | 138 | |
2 経済的諸現象の評価におけるリカードの根本原理としての生産力の発展.マルサスによる支配階級の最も反動的な諸要素の弁護.ダーウィンによるマルサス人口論の事実上の反駁 | 143 | |
3 地代に関する諸見解の歴史のロッシャーによる偽造.リカードの科学的不偏性の諸実例.農業生産における地代と工業生産における地代.競争の二重の作用 | 148 | |
4 生産物が騰貴する場合の価値と剰余価値との関係の問題におけるロートベルトゥスの誤りと混乱 | 156 | |
5 リカードによる絶対地代の否定―─価値論における彼の誤りの一帰結 | 159 | |
6 穀物価格の不断の上昇に関するリカードの命題.1641-1859年の平均的な穀物価格の表 | 164 | |
7 絶対地代と差額地代との区別,生産的労働と不生産的労働との区別,および私的所有による地代の発生に関するホプキンズの所説 | 170 | |
8 開墾費.穀物価格の上昇期と下落期(1641-1859年) | 177 | |
9 アンダソン対マルサス.農業の生産性の上昇およびそれが差額地代に及ぼす影響に関するアンダソンの命題 | 181 | |
10 リカードの地代論にたいするロートベルトゥスの批判の無根拠.資本主義的農業の特殊性にたいするロートベルトゥスの無理解 | 188 | |
第10章 費用価格に関するリカードとA.スミスの理論(反論) | 205 | |
A 費用価格に関するリカードの理論 | 205 | |
1 重農学派の理論の崩壊と,地代に関する見解のいっそうの発展 | 205 | |
2 リカードの労働時間による価値規定.彼の研究方法の歴史的な正当性とその欠陥 | 209 | |
3 「絶対的」価値と「相対的」価値の問題におけるリカードの混乱.価値形態についての彼の無理解 | 216 | |
4 利潤,利潤率,平均価格などに関するリカードの所説 | 221 | |
a 不変資本対可変資本と固定資本対流動資本とのリカードによる混同.相対的価値の変動の彼のまちがった説明 | 221 | |
b リカードによる費用価格と価値との混同.そこから生ずる彼の価値論の諸矛盾.利潤率の均等化の過程と価値の費用価格への転化とにたいする彼の無理解 | 244 | |
5 平均価格または費用価格と市場価格 | 263 | |
a まえがき.個別的価値と市場価値,市場価値と市場価格 | 263 | |
b リカードによる市場価値形成過程と費用価格形成過程との混同 | 267 | |
c リカードにおける「自然価格」の2つの規定.労働の生産性の変動に基づく費用価格の変動 | 273 | |
B 費用価格に関するスミスの理論 | 280 | |
1 費用価格論におけるスミスのまちがった前提.スミスの価値と費用価格との同一視を保持することによるリカードの前後撞着 | 280 | |
2 労賃,利潤および地代の「自然率」に関するスミスの理論 | 288 | |
第11章 リカードの地代論 | 310 | |
1 アンダソンおよびリカードによる地代論の展開の歴史的諸条件 | 310 | |
2 リカードの費用価格の説明の欠陥と彼の地代論へのその影響 | 315 | |
3 リカードの地代定義の不十分 | 321 | |
第12章 差額地代の表とその解明 | 329 | |
1 地代の量と率との諸変動 | 329 | |
2 差額地代と絶対地代との種々の組合せ.表A,B,C,D,E | 332 | |
3 表の分析 | 354 | |
a 表Aについて.個別的価値と市場価値との関係 | 354 | |
b リカードの地代論と農業生産性逓減の着想との関連.利潤率の変動との関係における絶対地代の率の変動 | 357 | |
c 生活手段と原料との価値(したがってまた機械の価値)の変化が資本の有機的構成に及ぼす影響に関する考察 | 361 | |
d 市場価値の変動によって生ずる総地代の変動 | 378 | |
第13章 リカードの地代論(結び) | 402 | |
1 土地所有の非存在というリカードの前提.その位置や豊度に従って行なわれる新たな土地への移行 | 402 | |
2 差額地代は穀物価格に影響を及ぼしえないというリカードの主張.農産物の価格を高くする原因としての絶対地代 | 409 | |
3 農産物の「自然価格」に関するスミスおよびリカードの見解 | 416 | |
4 農業における改良およびそれが地代に及ぼす影響に関するリカードの所説 | 420 | |
5 スミスの地代論とマルサスの2,3の命題とにたいするリカードの批判 | 433 | |
第14章 A.スミスの地代論 | 451 | |
1 問題提起における諸矛盾 | 451 | |
2 農業生産物需要の特殊な性格に関するスミスの主張.彼の地代論における重農主義的要素 | 469 | |
3 スミスによる各種の土地生産物の需給関係の説明.地代論に関する彼の諸結論 | 476 | |
4 スミスによる土地生産物の価格変動の分析 | 489 | |
5 地代の運動に関するスミスの見解および種々の社会的階級の利害に関する彼の評価 | 498 | |
第15章 剰余価値に関するリカードの理論 | 501 | |
A 利潤および地代に関するリカードの所説 | 501 | |
1 リカードによる剰余価値の諸法則と利潤の諸法則との混同 | 501 | |
2 利潤率変動の種々の場合 | 509 | |
3 不変資本価値と可変資本価値との反対の変動およびそれが利潤率に及ぼす影響 | 514 | |
4 リカードの利潤論における費用価格と価値との混同 | 517 | |
5 一般的利潤率と絶対地代の率との関係.賃金低下の費用価格に及ぼす影響 | 520 | |
B 剰余価値に関するリカードの所説 | 532 | |
1 労働の量と労働の価値 | 532 | |
2 労働能力の価値.労働の価値 | 538 | |
3 剰余価値 | 544 | |
4 相対的剰余価値.相対的労賃 | 560 | |
第16章 リカードの利潤論 | 574 | |
1 リカードが剰余価値と利潤とを区別している個々の場合 | 574 | |
2 一般的利潤率(平均利潤)(または「一般的利潤率」)(「通常利潤」)の形成 | 583 | |
a リカードの利潤論の出発点としての与えられた平均利潤率 | 583 | |
b 植民地貿易および一般に対外貿易が利潤率に及ぼす影響に関するリカードのまちがった見解 | 588 | |
3 利潤率の低下に関する法則 | 591 | |
a 利潤率の低下に関するリカードの理解におけるまちがった諸前提 | 591 | |
b 地代の増大が利潤部分を漸次に吸収して行くというリカードの見解 | 593 | |
c 利潤の一部分および資本の一部分の地代への転化.農業に充用される労働量によって変動する地代の大きさ | 608 | |
d 農産物価格の同時的上昇を伴う利潤率の上昇の歴史的な例証.農業における労働生産性の増大の可能性 | 621 | |
e 利潤率の低下に関するリカードの所説と彼の地代論 | 623 | |
第17章 リカードの蓄積論 それの批判(資本の根本形態からの恐慌の説明) | 637 | |
1 不変資本を考慮に入れないスミスとリカードの欠陥.不変資本の種々の部分の再生産 | 637 | |
2 不変資本の価値と生産物の価値 | 641 | |
3 資本蓄積のための必要な諸条件.固定資本の償却と蓄積過程におけるそれの役割 | 645 | |
4 蓄積過程における諸生産部門の相互依存.農業および機械製造業における剰余価値の一部分の不変資本への直接的転化 | 650 | |
5 資本化される剰余価値の不変資本および可変資本への転化 | 661 | |
6 恐慌の問題(序説).恐慌による資本の破壊 | 664 | |
7 資本の過剰を認めながら同時に商品の過剰生産を否定する愚かな考え | 670 | |
8 リカードによる一般的過剰生産の否定.恐慌の可能性は商品と貨幣との内的な対立から生ずる | 674 | |
9 資本主義の諸条件のもとでの生産と消費との関係に関するリカードのまちがった見解 | 683 | |
10 恐慌の可能性の現実性への転化.ブルジョア的経済の全矛盾の現われとしての恐慌 | 686 | |
11 恐慌の諸形態について | 694 | |
12 資本主義の諸条件のもとでの生産と消費との矛盾.主要な消費財の過剰生産の一般的過剰生産への転化 | 699 | |
13 生産の増大についてゆけない市場.無制限な需要と無制限な資本投下に関するリカードの見解 | 708 | |
14 過剰生産の基礎としての,抑制しがたい生産力の発展と消費の制限とのあいだの矛盾.一般的過剰生産の不可能に関する理論の弁護論的性格 | 713 | |
15 資本蓄積の種々の方法および蓄積の経済的結果に関するリカードの見解 | 723 | |
第18章 リカード雑論.リカードの結び(ジョン・バートン) | 741 | |
A 総所得と純所得 | 741 | |
B 機械 機械が労働者階級の状態に及ぼす影響に関するリカードとバートンの所説 | 747 | |
1 リカードの見解 | 747 | |
a 機械による労働者の駆逐に関するリカードの所説 | 747 | |
b 生産における諸改良が商品の価値に及ぼす影響に関するリカードの所説.労働者の解雇によって遊離する賃金財源に関する彼のまちがった見解 | 750 | |
c リカードの誠実さ、機械の使用に関する彼の見解の訂正.彼の新しい問題提起のうちに保特されているまちがった諸前提 | 754 | |
d 機械の採用が労働者に与える諸結果に関するリカードの所説 | 766 | |
2 バートンの見解 | 783 | |
a 資本の蓄積過程における労働需要の相対的減少に関するバートンの所説.この過程における資本の有機的構成の作用についての彼の一面的な理解 | 783 | |
b 労賃の運動と人口の増加に関するバートンの所説 | 789 | |
〔補録〕 | ||
農業における需要供給の不断の一致に関する命題の初期の定式化.ロートベルトゥスおよび18世紀の経済学者のなかの実際家 | 797 | |
土地所有者と商人との敵対関係に関するナサニエル・フォースターの所説 | 799 | |
地代と利潤との関係に関するホプキンズの見解 | 800 | |
農業の改良に関するケアリ,マルサスおよびジェームズ・ディーコン・ヒュームの所説 | 801 | |
農業労働の生産性の増大に関するホジスキンとアンダソンの所説 | 803 | |
利潤率の低下 | 804 | |
〔注解〕 | ||
〔付録〕 |
文献目録
人名索引
度量衡および通貨表
第26巻Ⅲ 剰余価値学説史 第3分冊
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6 プルドンの利子反対論.利子と賃労働制度との関連についての彼の無理解 671 7 利子反対論においてプルドンを越えるルターの優越.資本主義的諸関係の発展につれての利子観の変化 677 〔注解〕 〔付録〕 文献目録 人名索引 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『剰余価値学説史』はどう読めばいいのか? | Internet Zone::WordPressでBlog生活 http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2010/11/19235621/さて、次↓は、戦前のカウツキー版の目次。戦前の『剰余価値学説史』から拾ってみた。カウツキーは、マルクスの草稿を、経済学者、経済学説の時代順に並べ替えている。
ちなみに、『剰余価値学説史』というのは、カウツキーが編集・発行するときにつけた表題。『資本論』を刊行し続けていたマイスナー社との関係で、『資本論』とは別の書名をつけざるをえなかったからだと言われている[1]。 マルクス自身がつけた表題は「剰余価値にかんする諸学説」。ただし、このタイトルは、『経済学批判』の続巻として、『経済学批判』の「A 商品の分析の史的考察」「B 貨幣の度量単位にかんする諸理論」「C 流通手段と貨幣にかんする諸理論」の続きのつもりでつけられたもの。しかし、書いているうちに、狭い意味での剰余価値にかんする「諸理論」ではすまなくなって、再生産論なども論じられることになった[2]。 そして、『資本論』では、『経済学批判』のように商品、貨幣、剰余価値のそれぞれについて、それぞれの理論的展開のあとに学説史をつけるというスタイルをやめて、『資本論』第4部として学説史をとりあげるという構想に変更された。しかし、「61-63年草稿」の「剰余価値にかんする諸学説」は、その第4部の草稿として書かれたものではない。もちろん、もしマルクスが『資本論』第4部を書いていれば、そのときには執筆の材料として「剰余価値にかんする諸学説」を利用しただろう。しかし実際には、マルクスは『資本論』第4部としての学説史にかんする草稿を何も書いていない。このことも、「剰余価値にかんする諸学説」を読むときのポイントだろう。 『剰余価値学説史』(「1861-63年草稿」の「剰余価値にかんする諸学説」部分)には何度か挑戦していますが、まったく歯が立ちません。(^_^;) |
2 Comments:
マルクスからの手紙には、フィリップ・ジゴとエンゲルスからの追伸がつく
マルエン27
383頁参照
9:09 午前
Blogger yoji said...
[フィリップ・ジゴの追伸]
私はこの手紙によって自分にあたえられた機会をよろこんで利用して、あなたのようなすぐれた方と結びつきをもつことが私にとってどんなにうれしいことかを申し上げたいと思います。
あなたの忠実な
フィリップ・ジゴ
[エンゲルスの追伸]
私に関しては、プルドン氏、あなたが、われわれがいま示した提案に同意されるとともに、好意をもってあなたの寄稿をおことわりにならないだろうという希望をいだくことができるだけです。あなたの著作によって私の心に深い尊敬の念が呼び起こされたことを申しあげます。いつまでも あなたの忠実な フリードリヒ・エンゲルス
原文はフランス語
9:19 午前
Blogger yoji said...
さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなけれ
ばなりません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ
実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、
単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、
私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜
け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段とし
て革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、
専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこ
う設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によ
って社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体
と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、
所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法を知
っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな
力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。
我还要対您来信中的 "是行动的時候了" 一段,谈谈我的一
些見解。任何改革如果没有实力的行使,即以往所説的革命,或
者至少是动乱的协助,实际上都将是不可能的,您現在依然是这
样的想法吧。我个人長期以来也特有这样的看法,因此比較能够
理解,也愿意就此展开讨论,不过,我想坦白根据最近的研究我
完全放弃了这种視点。我想,这并不是我们成功所必需的东西。
就是説,我们不能把革命行动視为社会改革的手段。因为,这样
的手段只能換来強力和专制,总之是一个矛盾。所以,我的解決
問題的方案是这样的。即 "通过另外的経済组织把某个経済组织
从社会所摂取的財富再返还給社会"。換句話説,我们必須在経
済学上通过创造出你们德意志社会主义者所説的共产主义--我
暫時称此为自由或平等--以所有来対抗所有的理論。另外,我
想最近我将发現解決達今同題的方法。就是説,与其対所有者采
取圣帕忒尼式的虐杀而使所有获得新的力量,不如选择用微火来
烧煮这个所有。
蒲鲁东:《給马克思的信》1846年5月17日
柄谷行人『世界史的构造』赵京华訳 中央编译出版社, 2012. 9
217-218頁
实=実、愿=願、谈=談、种=種、弃=棄、总=総、为=為、
专=専、并=並、协=協、创=創、过=過、另=別、发=発、
圣=聖、杀=殺、帕=PA、忒=TOKU、烧=焼、个=個、
选=選、择=択(选择=選択)、从=従(從)
3:30 午後
yoji said...
国際書籍番号 ISBN:9789866112676
書 名 《世界史的結構》
著 (編) 者 柄谷行人
出 版 社 心靈工坊
代金(円表示) 750人民(台湾)元 1冊
http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=
以下、マルクスとプルードンの往復書簡を『革命家の告白 ― 二月革命史のために』(作品社)より引用させていただきます。研究目的ということで許諾いただきたいと思います。他にも翻訳はありますが、ぜひ作品社バージョンを購入していただきたいです。なお、英訳は下記サイトにあります。
(なお柄谷行人が『世界史の構造』360〜1頁で引用したのは、『プルードン・セレクション』91~3頁に再録された河野健二氏訳による手紙の中段部分(以下の赤字部分)別訳。大月マルエン全集第27巻には 「プルドン」からの返信は収録されていない。)
http://dwardmac.pitzer.edu/anarchist_archives/proudhon/letters/marxtoproudhon.html
参考:http://yojiseki.exblog.jp/5230243/
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一八四六年には、カール・マルクスとブルードンの間に手紙のやり取りがあった(1846.5.5-1846.5.17)。
もしよろしければ、共に探そうではありませんか。社会の諸法則を、その法則が実現されるような形態を、それに沿ってそれら諸法則が発見できるような進歩を。ただし、ああどうか、あらゆる先験的(ア・プリオリ)な教条主義を解体した後で、今度は自分たちが民衆を教化しようなどとは、考えないようにしようではありませんか。あなたの同胞マルチン・ルターの矛盾には、陥らないようにしようではありませんか彼はカトリック神学を覆した後で、----多くの追放と破門制裁とによって、ただちにプロテスタント神学を打ち立て始めたのです。この三世紀来、ドイツは M・ルターが塗り替えたものの解体に忙殺されてきました。人類に対して、新たな混乱による新たな労役というタイユ税(かつて領主が徴収した人頭税)を課すのは、やめようではありませんか。あらゆる言論を明るみに出すというあなたの考えには、私は心から賛同致します。公正にして、誠実なる論争をしようではありませんか。社会に対して、賢明で、将来に備えた忍耐の見本を示そうではありませんか。ただし、私たちは一つの運動の先頭にいる以上、新たな不寛容を導いてはなりませんし、新たなる宗教の布教者となるべきではありませんこの宗教がいかに論理の宗教、理性の宗教であろうとも。あらゆる抗議を受け入れ、励まそうではありませんか。あらゆる排除、あらゆる神秘主義を、糾弾しようではありませんか。ある問題が用済みであると見なすことは、やめようではありませんか。そして、最後の議論まで論じ尽くしたとしても、必要ならば雄弁とイロニーをもって、再び始めようではありませんか。こうした条件であれば、私は喜んであなたの組織に参加しましょう。そうでなければ、否! です。
さらに私は、あなたの手紙の「実際の活動において」という言葉について、若干の批判をしなければなりません。おそらくあなたは、いかなる改革もある奇襲----かつて革命と呼ばれたものがなければ実際には可能ではないという考えを、いまだに守っているでしょう。しかし、革命とは率直に言って、単なる揺れ動きにすぎません。私が抱き、弁明し、進んで異議を唱えもするかもしれないその考えを、私自身も長いこと共有してきたのですが、私の最近の研究によってそうした考えから、私は完全に抜け出したのです。成功するためには、私たちにはそうしたものは必要ではなく、社会改革の手段として革命的行動を主張する必要はないと思います。なぜならば、この渇望された手段はただ単に力に、専制に、要するに矛盾に訴えるものにすぎないからなのです。そういうわけで、私は自らに問題をこう設定してみます----ある経済的結合によって社会から引き出される富を、もう一つの経済的結合によって社会の中に回収させること。言い換えれば、あなた方もう一つのドイツ社会主義者たちが共同体と呼び、私としては今のところ自由、平等と呼ぶにとどめたいものを生み出すように、所有に抗して、所有の理論を政治経済学へと変えること、です。ところで、私はこの問題を短期に解決する方法を知っています。それゆえ私は、所有者たちの聖バルテルミーの日を作ることによって、所有に新たな力を与えるよりはむしろ、所有をジリジリと苦しめることのほうを選ぶのです。
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