《資本の定義から人的資本を外す理由はいろいろある。最も明らかな理由として、人的資本は他人が所有したり、市場で取引したりできない(少なくとも永続的な形では無理だ)というものがある。》ピケティ
宇沢はハーシュマン『経済発展の戦略』を評価している(『経済解析』他)。『経済発展の戦略』第五章ではSOC(邦訳では社会的間接資本と訳される)が言及され、その用役が輸入できないことがSOCの条件に挙げられている(146頁)。
宇沢弘文著作集
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/09/6/091851+.html#SERIES
宇沢弘文著作集
―― 新しい経済学を求めて ――
■構成 全12巻
1960年代に理論経済学の最先端に立っていた著者は,やがて現代文明を根源的に問い直しつつ,経済学のあり方について根本的再検討を開始する.この20年間の苦闘が経済学の新しいパラダイムをひらく.
〈 全巻の構成 〉
◆ I 社会的共通資本と社会的費用
◆ II 近代経済学の再検討
(前半は同名岩波新書と同内容)
◆ III ケインズ『一般理論』を読む
[目次]
第1講 なぜ『一般理論』を読むか
第2講 序論
第3講 ケインズのヴィジョン
第4講 定義と概念
第5講 消費性向
第6講 投資誘因
第7講 貨幣賃金と価格
第8講 『一般理論』から導き出されるいくつかの覚書
◆ IV 近代経済学の転換
[要旨]
世界資本主義の「不均衡の時代」を解明する。
[目次]
第1部 近代経済学の転換(不均衡の時代
ケインズ経済学の生成
『一般理論』と不均衡動学
戦後経済学の潮流
ヴェトナム戦争と経済学
合理的期待形成の仮説
ジョーン・ロビンソンとその思想)
第2部 試練に立つ経済学(学問の自由と経済学の危機
低開発国援助と近代経済学の考え方)
◆ V 経済動学の理論
(同名単行本から最後の論文と索引が欠け、縦書きにしたもの)
◆ VI 環境と経済
◆ VII 現代日本経済批判
◆ VIII 公共経済学の構築
◆ IX 経済学の系譜
1.『経済学の考え方』岩波新書と同内容
ラッファー曲線:
税| | |
収| | |
| 。 。| |
| 。 |。 |
| 。 | 。 |
| | 。|
| 。 | |
| | 。
| 。 | |
| | |。
|。 | |
|_________|___|_。_平均税率
0 ← 100%
宇沢弘文著作集#9(『経済学の考え方』岩波新書と同内容):182頁
税率を下げた方が税収が上がる場合があるとラッファーは主張した。
アメリカのレーガン政権はその論理を富裕層への減税に利用した。
2.『ヴェブレン』
◆ X 高度経済成長の陰影
[要旨]
水俣、そして成田、高度成長社会の縮図。“効用”の思想を批判する。
[目次]
第1部 「豊かな社会」の貧しさ
第2部 「成田」とは何か
◆ XI 地球温暖化の経済分析
◆ XII 20世紀を超えて
[要旨]
制度主義という新しい体制理念の構築。持続可能な発展を探る。
[目次]
第1部 20世紀を超えて
第2部 制度主義と自治主義
宇沢弘文著作集 全12冊セット
定価(本体 62,400円 + 税)
上記著作集版Vには以下の論文は入っていないが、重要。
経済動学の理論 (単行本)
宇沢 弘文 (著)VII、社会的不安定性と社会的共通資本
:5 ,ミニマル・インカムと社会的不安定性436~7頁
経済解析展開篇第17章
社会的不安定性と社会的共通資本
”Social Stability and Collective Public Consumption”(1982)
Hirofumi Uzawa, OPTIMALITY, EQUILIBRIUM, AND GROWTH,
University of Tokyo Press所収
______
社会的共通資本とは、「市民一人一人が人間的尊厳をまもり、魂の自立をはかり、市民的自由が最大限に保たれるような生活を営むために重要な役割を果たすため、私有や私的管理が認められず、社会の共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・維持されるべき財」のことであった。具体的には、自然環境を中心とした「自然資本」、生活の根幹を支える電気・ガス・鉄道・下水道などのインフラとしての「社会資本」、さらには医療制度・学校教育制度・司法制度・行政制度・金融制度なども、「制度資本」と呼んで取り込んでいるのが特徴的なのであった。
宇沢は、これらの社会的共通資本について、「自由競争による価格取引にさらされてはならない」、と論じている。つまり、個人個人が勝手気ままに生産や消費に利用することが許されず、なんらかの社会的管理とコントロールがなされなければならない、と主張しているのである。ここまでなら、通常の「環境に関する経済学」(外部性に関する経済学)が、市場取引には何らかの規制や課税が必要だ、とする論理と同じなのだが、宇沢の理論の特徴はその先にある。それは、「社会的共通資本の適切な供給と配分によって、自由競争市場社会よりもより人間的でより快適な社会を作ることができる」、と主張することである。これは、環境についての、全く新しいポジティブな捉え方なのだ。つまり、「環境」を、市場システムで最適化できない「やっかいもの」として扱うのではなく、むしろ逆に、市場システムが決して実現することのできないより魅力的な社会を生み出す源泉だと見なす、いわば「コペルニクス的転換」の理論だといっていい。
この宇沢の考えを象徴するのが、以下の「ミニマム・インカムの理論」だ。
一般に社会的共通資本は、生産量を簡単に増やしたりできず、また、価格が高騰したからといって、他の財で安易に消費を代替できないようなものである(空気や医療を思い浮かべてみればいい)。このことを経済学では、「生産や消費の価格弾力性が低い」、という。このような性質を持つ社会的共通資本は、インフレーション(物価の上昇)の継続する経済では、平均的なインフレ率を超えて価格が高騰することが容易に想像される。(ちゃんとした理論的説明は後半に行う) 。社会的共通資本は市民に法律で保障されている最低水準の生活に根本的に関わる財であるから、このようなインフレ経済のもとでは、最低限度の生活を保障するための金額(ミニマム・インカムと呼ばれる)は、平均所得の上昇に比べて高い上昇率を示すことになるだろう。したがって、インフレーションの恒常化する通常の経済においては、ミニマム・インカム以下の所得の市民が増加し、社会は不安定化する。そして、生活保障を貨幣による所得移転で行う現行制度では、貧困者の生活水準は次第に悪化をしていくことになる。したがって、社会の不安定化を防ぐためには、社会的共通資本の十分な公的供給と社会的管理が不可欠であり、市民の最低生活水準の保障は、金銭の給付ではなく社会的共通資本の充実によって行うべき。これが宇沢の主張である。
これをぶっちゃけていうなら、「お金よりも環境の整備」、ということだ。
つまり、生活保護をお金でもらう社会よりも、良好な空気・水資源を備え、下水道・鉄道等が整備され、人間として不可欠な教育や医療が十分に享受できる、そういう社会のがいいでしょ、そうことなのである。
この考えは、ある意味、驚くべき逆説の理論だ。伝統的な厚生経済学では、最低生活保障は物資での供給ではなく、貨幣での供給のほうが望ましいとされる。なぜなら、その物資がいいならお金で買えばいいのだし、別の物資を好むならそれを購入することもできるからである。つまり、「貨幣」には「選択の自由」があるということだ。そのようないわば経済学的「常識」に、まっこうから挑戦的なスタンスを、宇沢はとっていることになる。
ぼくは、この理論をレクチャーされたとき、生まれて初めて「魂を揺さぶられた」気分になった[*1]。なぜなら、このような主張が、思想・信条としてなされているのではなく、「(ある仮定のもとで)数学的に証明される事実」として論じられているからだ。それまで、自分の思想・信条を個人的な嗜好から大上段に押しつけてくる人たちにはやまほど出会った。正直いって、「社会科学」というのはそういった「嗜好のバトル」だと思っていた。そんなぼくは、数学を使った論証によってこのような議論を展開することができる、と知って驚愕したのである。この理論こそまさに、ぼくのそれまでの数学観を覆し、学問観も人生観もひっくり返し、ぼくを経済学の虜にしたものなのであった。
というわけで、(啖呵を切ってしまった手前) 、最後にこの「ミニマム・インカムの理論」をおおざっぱに数理的な解説[*2]をすることにするが、数理的な関心のない人は、ここまで読んで感動できたなら(笑い) 、それで十分なので、ここでやめておくのが華である。
では、証明しよう。
今、財は2つだけあり、第1財が社会的共通資本、第2財は通常の財とする。
財の消費の価格弾力性とは、価格が1パーセント上がると消費が何パーセント増えるかを表すものである(普通、消費は減るので、その場合はマイナスで表記する)。また、供給の価格弾力性とは、同じく価格が1パーセント高くなると供給が何パーセント増えるかを表すものとする。
(第1財の消費量)=(第1財の生産量)という均衡式を、弾力性の式に直せば、
(第1財の第1財価格に対する消費弾力性)×(第1財のインフレ率)
+ (第1財の第2財価格に対する消費弾力性)×(第2財のインフレ率)
+(第1財の所得増加に対する消費弾力性)×(所得の成長率)
=(第1財の第1財価格に対する供給弾力性)×(第1財のインフレ率)
という式が成り立つ[*3]。
今、社会的共通資本は、価格が変化しても簡単に増産できないし、消費も減らせない財である、と仮定しているので、消費弾力性も供給弾力性もほぼゼロだと考えていい。したがって、この式から、
(第2財のインフレ率)≒(所得の成長率) ・・・(1)
が成り立つことがわかる[*4]。(「≒」は、「ほぼ等しい」の意味)
他方、第2財の消費量と生産量の均衡から、同じく、
(第2財の第1財価格に対する消費弾力性)×(第1財のインフレ率)
+ (第2財の第2財価格に対する消費弾力性)×(第2財のインフレ率)
+(第2財の所得増加に対する消費弾力性)×(所得の成長率)
=(第2財の第2財価格に対する供給弾力性)×(第2財のインフレ率)
が得られるが、これに先ほど得られた結果(1)を代入すれば、
a×(第1財のインフレ率)≒(a+b)×(所得の成長率)
が得られる[*4]。ここでa=(第2財の第1財価格に対する消費弾力性)、b=(第2財の第2財価格に対する供給弾力性)である。
この式によって、
(第1財のインフレ率)>(所得の成長率)≒(第2財のインフレ率)・・・(2)
がわかる。
さて、ここで、市民として保障される最低限度の効用水準(消費の好ましさの水準)をuとしよう。また、現時点でのこの効用uを得るための最低の所得をmとし、仮にmのうち8割を第1財に2割を第2財に使うことで効用u を得ているとしよう。このとき、物価上昇下では、
(効用uを得るための最低所得の成長率)
=0.8×(第1財のインフレ率)+0.2×(第2財のインフレ率) ・・・(3)
が満たされなければならない[*3]。
得られた(2)式と(3)式を合わせて眺めてみよう。(2)式の(第1財のインフレ率) のところを、(所得の成長率)に置き換えると、右辺は(所得の成長率)そのものとなり、明らかに左辺より小さくなる。したがって、(効用uを得るための最低所得の成長率)、つまり、ミニマム・インカムの成長率は、所得の成長率より大きいことが示されたことになるのだ[*5]。(がんばって読んだ人は、ご苦労さま) 。
[*1] 宇沢先生のゼミに参加していた頃の思い出は、ぼくの個人ブログの「宇沢師匠のこと」に書いた。
[*2] 完全な理解には、以下の文献を推奨する。
”Social Stability and Collective Public Consumption”(1982)
Hirofumi Uzawa, OPTIMALITY, EQUILIBRIUM, AND GROWTH,
University of Tokyo Press所収
[*3] いわゆる偏微分に関するチェインルールである。
[*4] 需要関数が0次同次であることとチェインルールから、以下が常に成り立つ。
(第1財の第1財価格に対する消費弾力性)+ (第1財の第2財価格に対する消費弾力性)
+(第1財の所得増加に対する消費弾力性)=0
[*5] これは上級ミクロ経済学程度の議論であり、価格理論の基礎的な計算しか用いられていないので、決してトリッキーな議論ではない。
魅力的な都市とは〜ジェイコブスの四原則 | ワイアードビジョン アーカイブ
ジェイコブスは、アメリカの代表的な都市について、第二次世界大戦前後の都市開発を具に調査・分析し、魅力的な都市の備える4条件を見出した[*3]。それは次のようなある意味、逆説的にも見える原則たちであった。
第一は、「街路の幅が狭く、曲がっていて、一つ一つのブロックの長さが短いこと」。第二は、「古い建物と新しい建物が混在すること」。第三は、「各区域は、二つ以上の機能を果たすこと」。そして、第四は、「人工密度ができるだけ高いこと」。これら四条件をすべて満たす都市こそが魅力的な都市であり続けている、ということをジェイコブスは発見したのである。
前々回と前回は、宇沢弘文の提唱する「社会的共通資本」のことを書いた。「社会的共通資本」とは、自然環境、社会インフラ、それに教育制度・医療制度のような社会制度を合わせたもののことである。これらは、市民の生活に必要不可欠であり、その希少性と公共性から、私的所有や自由な価格取引が認められず、その適切な供給と制御によってこそより人間的で快適な経済生活を設計することができる、そう宇沢は主張しているのであった。
前回までは、この「社会的共通資本の理論」の根幹を成す基礎の部分を解説したので、今回からは各論に入ることとしよう。
今回は、「都市」について論じる。つまり、「社会的共通資本」という観点から見たとき、どんな都市が好ましいのか、という問題を、宇沢弘文と間宮陽介の研究からまとめることにする[*1]。ちなみに間宮陽介は、宇沢の弟子であり、現在は京都大学の教授である。日本の言論界の代表的な論客で、最近、ケインズ『一般理論』の新訳を岩波文庫から刊行したことでも話題である[*2]。
さて、社会的共通資本の観点からいえば、「都市」は社会的共通資本を機能させる基本的な単位であると考えていいだろう。したがって、「都市」がどのように生成されているか、あるいは、設計されているかは、経済的なパフォーマンスがいかなる水準になるかに対して非常に重要なカギとなると考えられる。
都市設計者が陥りがちな誤りは、安易な「機能優先の合理主義」で都市を設計してしまう、ということだ。どういうことかというと、物理的な時間や物理的な空間だけを尊重して設計するなら、「道はまっすぐなほうがいい」、「道路は格子状がいい」、「区域はオフィス地帯、工業地帯、商業地帯、住宅地帯などのように、機能別になっていたほうがいい」、などと推論しがちであるが、これが誤りなのである。このような発想で都市を構成することを「ゾーニング」と呼ぶ。
ル・コルビジェやミース・ファン・デル・ローエなどがこのような「ゾーニング」の発想を持った典型的な都市デザインの巨匠であった。例えば、コルビジェは、「都市とは純粋な幾何学である」といい、格子状に伸びるまっすぐで幅広い道、所々にそびえる高層ビル、十分距離をとった建物の間に緑地帯が広がる、そんな都市を実際にデザインして、「輝ける都市」と名付けた。ところがこのような思想が実践に移されたプルーイット・アイゴーやチャンディガール、ブラジリア等々が次々と劣悪な失敗作の都市となってしまったのだ。なぜなら、それらの都市は、とても暮らしづらく、人々を憂鬱にし、犯罪の多発する危険な都市となってしまったからだ。
では、なぜ、この一見もっともらしく見える「機能優先の合理主義」が失敗に陥ったのだろうか。それについて間宮は、次のようにいっている。「コルビジェが想定する人間は、じっさいに生活を営んでいる人間ではない。微妙な心理や繊細な感受性を備え、さまざまの経歴を持った人間ではなく、生物学的な意味での人間である」。
この間宮の指摘するコルビジェの失敗の原因は、ジェーン・ジェイコブスというアメリカの都市学者の研究から演繹されたものであった。ジェイコブスは、アメリカの代表的な都市について、第二次世界大戦前後の都市開発を具に調査・分析し、魅力的な都市の備える4条件を見出した[*3]。それは次のようなある意味、逆説的にも見える原則たちであった。
第一は、「街路の幅が狭く、曲がっていて、一つ一つのブロックの長さが短いこと」。第二は、「古い建物と新しい建物が混在すること」。第三は、「各区域は、二つ以上の機能を果たすこと」。そして、第四は、「人工密度ができるだけ高いこと」。これら四条件をすべて満たす都市こそが魅力的な都市であり続けている、ということをジェイコブスは発見したのである。
この四条件は、すべてコルビジェの「輝ける都市」と正反対の性格をしていることがすぐに見て取れるだろう。そして、「自分の大好きな街」を頭に思い浮かべよ、と命じられたならば、ほとんどの読者の思い浮かべる都市はこの四条件を満たしているのではあるまいか。また逆に、冷え冷えとして気分を滅入らせる街を思い浮かべよ、と言われれば、この原則の何かを(あるいはおいおうにしてすべてを)満たしていないことに思い当たるのではなかろうか。
実際、宇沢は、ある日本の大学学園都市を失敗例としてあげている。その大学は、自然発生的にできたものではなく、計画設計されたものであり、しかもその設計思想は多分にコルビジェ的でジェイコブスの4原則にみごとに反していた。そして、その大学は創立当初、構内での自殺者が異例に多いことで有名となったのである。
このようなジェイコブスの4原則を、「経済学的な合理性」からはずれているように思う読者もいるかもしれない。そして、「だから経済学なんて机上の空論なんだ」と勝ち誇るかもしれない。しかし、それは性急な結論である。「経済学的な合理性からはずれている」のではなく、「難しすぎて既存の経済学ではまだ十分に分析できない」と判断するのが正しい態度なのだ。
一般に現状の経済学は、「多機能なもの」、を分析するのが苦手である。
株式市場がその代表例といっていい。株式市場は、株式に「いつでも売買できる」という機能(これを流動性という) を付与し、この機能のおかげで株式保有がより魅力的なものとなり、株式会社制度を下支えしているといっていだろう。他方、このような「いつでも売買できる」という性質は、株所有になんら興味のない人間にも「値動きを利用して利益を稼ぐ」という投機のチャンスを与える。また別の人たちには、企業買収(M&A)のチャンスをも与えるのである。このような「多機能性」は、様々な問題を引き起こす原因でもあるが、それは株式市場がより魅力的なことの副作用だといっていい。そして、株式市場についての経済学がまだまだ未成熟な段階にしかないのは、このような「多機能性」を分析するのに十分有効な手法がないから、といえるのである。
社会的共通資本を制御する装置としての「都市」をどう設計するのがいいか、どうすれば「最適な都市」を構築できるか、そのような問題が未解決なのは、同じように、経済学がいまだに成熟の途にあることの証拠であり、身内のひいき目でいえば、経済学の新しい可能性のありかを示しているのである。
[*1] 間宮陽介の論文、『都市の思想』 宇沢弘文・堀内行蔵 編『最適都市を考える』東京大学出版会所収、を主に参考にしている。
[*2] ちなみに世田谷区の市民講座で宇沢先生のゼミに参加したときは、間宮先生がアシスタントをしてくださった。今思えば、なんと豪華な市民講座であったことだろう。
[*3] Jacobs, J., 1961, The Death and Life of Great American Cities, London: Jonathan Cape.
宇沢弘文 (Hirofumi Uzawa), 1928-
宇沢弘文の主要著作
- "On Preferences and Axioms of Choice", 1956, Annals of Statistical Mathematics.
- "On the Rational Selection of Decision Functions", 1957, Econometrica.
- "On the Menger-Wieser Theory of Imputation", 1958, ZfN.
- Studies in Linear and Non-Linear Programming with K.J.Arrow and Leonid Hurwicz, 1958.
- "Prices of Factors of Production in International Trade", 1959, Econometrica.
- "Locally Most Powerful Rank Tests for Two-Sample Problems", 1960, Annals of Mathematical Statistics.
- "Preference and Rational Choice in the Theory of Consumption", 1960, in Arrow, Karlin and Suppes, editors, Mathematical Models in Social Science.
- "Walras' Tatonnement in the Theory of Exchange", 1960, RES.
- "Market Mechanisms and Mathematical Programming", 1960, Econometrica.
- "Stability and Non-Negativity in a Walrasian Adjustment Process" with H. Nikaido, 1960.
- "Constraint Qualifications in Non-Linear Programming", with K.J. Arrow and L. Hurwicz, 1961, Naval Research Logistics Quarterly
- "On a Two-Sector Model of Economic Growth, I", 1961, RES.
- "Natural Inventions and the Stability of Growth Equilibrium", 1961, RES.
- "The Stability of Dynamic Processes", 1961, Econometrica
- "On the Stability of Edgeworth's Barter Process", 1962, IER.
- "Walras's Existence Theorem and Brouwer's Fixed Point Theorem", 1962, Economic Studies Quarterly.
- "Aggregative Convexity and the Existence of Competitive Equilibrium", 1962, Economic Studies Quarterly.
- "Production Functions with Constant Elasticities of Substitution", 1962, RES.
- "On a Two-Sector Model of Economic Growth, II", 1963, RES.
- "On Separability in Demand Analysis", with S.M. Goldman, 1964, Econometrica.
- "On Professor Solow's Model of Technical Progress", 1964, Economic Studies Quarterly.
- "Optimal Growth in a Two-Sector Model of Capital Accumulation", 1964, RES.
- "Duality Principles in the Theory of Cost and Production", 1964, IER.
- "On an Akerman-Wicksellian Model of Capital Accumulation", with T. Yasui, 1964 Economic Studies Quarterly.
- "Optimum Technical Change in an Aggregative Model of Economic Growth", 1965, IER.
- "Patterns of Trade and Investment in a Dynamic Model of International Trade", with H. Oniki, 1965, RES.
- "On a Neoclassical Model of Economic Growth", 1966, Economic Studies Quarterly.
- "Market Allocation and Optimum Growth", Australian EP.
- "The Penrose Effect and Economic Growth", 1968, Economic Studies Quarterly.
- "Time Preference, the Consumption Function and Optimum Asset Holdings", 1968, in Wolfe, editor, Value, Capital and Growth.
- "Time Preference and the Penrose Effect in a Two-Class Model of Economic Growth", 1969, JPE.
- "Optimum Fiscal Policy in an Aggregative Model of Economic Growth", 1969, in Adelman and Thorbecke, editors, Theory and Design of Economic Development.
- "On the Integrability of Demand Functions", with L. Hurwicz, 1971, in Preferences, Utility and Demand.
- "Diffusion of Inflationary Processes in a Dynamic Model of International Trade", 1971, Economic Studies Quarterly.
- "Towards a Keynesian Model of Monetary Growth", 1973, in Mirrlees and Stern, editors, Models of Economic Growth.
- "Optimum Investment in Social Overhead Capital", 1974, in Economic Analysis of Environmental Problems.
- "La theorie economique du capital collectif social", 1974, Cahier d'econometrie et economique.
- "On the Dynamic Stability of Economic Growth", 1974, in Trade, Stability and Growth.
- "Disequilibrium Analysis and Keynes's General Theory", 1976.
- Preference, Production and Capital: Selected papers of Hirofumi Uzawa., 1988.
- Optimality, Equilibrium and Growth: Selected papers of Hirofumi Uzawa, 1988.
- An Endogenous Rate of Time Preference, the Penrose effect, and dynamic optimality of environmental quality, 1996, Proceedings of the National Academy of Sciences.
宇沢弘文に関するリソース
社会的共通財は以下のXに当たるということか?
______
第7章.税制と資源配分/7-3.超過負担の測定と最適課税の理論
課税による消費者余剰の減少は所得課税に伴う価格上昇で需要がどの程度減少するかに依存します。
つまり、需要の価格弾力性が大きい場合、その分超過負担は大きくなります。
・最適間接税
税目を消費税に限定し、その中で個別消費税の税率をどのように設定するのが資源配分の視点から望ましいか分析してみます。
この方法で求められた消費税は最適間接税と呼ばれ、着想はラムゼーまでさかのぼります。
ここで、二つの財(X、Y)があり、需要は独立であると考えます。すると、下の図のようになります。
X Y
の|\ の|
価| \ 価|
格| \ 格|
| \ |
| \ | ̄-_
|_____\小 |___ ̄-_大
|____|T\ |___|T_ ̄-_
| | \ | | |  ̄-_
|____|___\____ |___|__|_____ ̄-__
0 需要量 0 需要量
最適間接税
この二つの財に対する課税の超過負担を最小にするには、X財の税率を高め、Y財に対する税率を低くする必要があります。
すると、弾力性の低い製品には高い税を課し、弾力性の高い製品には低い税を課すことになります。弾力性の低い財は常識的に必需品であり、 最適間接税は逆進的というというパラドックスが生じることになります。
効率性と公平性のトレードオフ、二律背反。ラムゼイルール。
(角野浩財政学104頁、宇沢弘文経済解析基礎篇588~9頁参照。)
図のTは超過負担を表す。
tx/ty=ey/ex
必需品Xに対して高税率を課し、奢侈品Yに対して低税率を課すことになり、逆弾力性ルールによる最適間接税は逆進的になるというパラドックスが生じてしまうことになり、効率性と公平性のトレード・オフが存在することになる。
(角野浩財政学105頁)
二律背反。ラムゼイルール。
次のように書き換えることが出来る。
txex=tyey
これは価格が1%上昇したときの需要の変化率に価格の変化率を掛けた値であり、各財の課税に対して各財の需要の減少率が等しいことを要請するものであり、ラムゼイの比例性命題(ラムゼイ・ルール)が導かれる。ラムゼイ・ルールは価格の変化ではなく、需要量の変化こそが超過負担の要因であるという観点から同量の需要量の変化率が最適間接税のルールであることを主張するものである。
角野105~6頁
ただし、ピケティの以下の図の方がわかりやすい。無論公共財とSOCはイコールではないが。