プルードンの考えた社会革命(経済革命)とは一体どのようなものだったろうか?
二月革命の三年前、一八四五年一〇月に彼は『ノート』にこう書いている。
「農・工業の標準価格表と一覧目録を作製すること。‥…/かつてローマ人が行ったように、各労働者に家族の帳簿ないし記録帖をつけることを教えること。それは彼らの入金・支出のすべて‥…を記入するためである」(藤田勝次郎『プルードンと現代』p22より)
" Organiser la mercuriale et l'Ephéméride agricole et industrielle : cons'equence de l'établissement sur tous les points d'un bon système de comptabilité.
Apprendre à chaque ouvrier à tenir , comme autrefois les Romains, un registre ou carnet de famille, pour y inscrire en qq. mots toutes ses recettes, dépenses, les accidents heureux ou malheureux, et tous les événements domestiques qui peuvent intéresser, non pas l'Etat (chose absurde), mais la fammile."
("Carnets de P-J Proudhon" Tom.1,p.155 )
海運業者で会計を担当していたプルードンにとって、会計の重要性は明白だった。
もし絶対的な権力である国家官僚だけが会計能力を持っていたら、その会計監査は管理集中型のおおざっぱなものになってしまうだろう。
例えばそれ自身多様な自然エネルギーの自立分散的な総和よりも、ひとつの原子力発電所のエネルギーを選択するといった長い目で見て不経済な選択をしてしまうということも考えられる。
上記に引用した言葉を紹介した研究者の藤田氏は、海運業時代の未刊行のプルードンの手紙を集めてそのファクシミリ版と活字版をセットで出版している(仏語版『プルードン未刊書簡集』全三巻、本の友社、1997年)。
二月革命を何の準備もなくむかえた民衆にいらだつプルードンの残した言葉とその筆跡もその手紙は伝えている。
(『未刊書簡集』第三巻、p421-422より)
「(略)革命は理念をまったくもっていません。‥…市民たちは、絶えず私の家のドアを叩きにやってきます。ひとは、私をこの貴重な商品の希な独占者の一人だと思っているのです。(略)私は、ひとつの目的しかありません。それは、民衆を理性的にすることなのです。やがて大きな社会的な議論が開始されるでしょう。その時、私のやったことが考慮されねばならないでしょう。」(aux frères,Paris, le 27 février 1848.)(藤田前掲書p243-244より)
「革命は理念なしに行なわれた」("Carnets de P-J Proudhon" Tom.3,p.10 、藤田前掲書p245)という一貫した認識は、プルードンにとってマルクスのようなファルス化へ向かうこと無く、とことん当事者でありつづけるのである。
以前別ブログで紹介したルソーの言葉のように広場に花を飾ればいいというわけにはいかないのだ。
交換銀行が彼の理念の形象化である。
「語られ、求められ、提案され合っているすべてのことを理解になれば、きっと不安になることでしょう。幸い政府はその無力を認め、立ち止まっているように思われます。私がいつもいっていたこと、社会革命は、政治革命からは生まれず、政治革命が社会革命から生まれる、ということや、そのために政令でことをはこぶことはできない、ということが少しずつ分かってきています。」
(à Victor, Paris, le 17 mars 1848.)(藤田前掲書p244より)
ナポレオン三世による新自由主義と馬上のサンシモン主義、国家統制経済の行き詰まり、こうした事象はまさに21世紀初頭を生きる我々の問題意識と完全に重なるのではないだろうか?
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が現代的である以上に、プルードンの思考は現代的なのである。
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