土曜日, 7月 02, 2016

熊野純彦『マルクス 資本論の思考』

                (マルクスリンク::::::::::
熊野純彦『マルクス 資本論の思考』2013
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html(本頁)

熊野純彦『マルクス 資本論の思考』
 https://www.amazon.co.jp/dp/4796703268  2013/9 せりか書房

熊野純彦(東京大学教授・哲学者) 「いま、なぜマルクスなのか?」 - YouTube

https://m.youtube.com/watch?v=I98CKVNmeGw


「とほうもない商品のあつまり」

…熊野純彦東大教授の「マルクス 資本論の思考」は、こんなふうにはじまる。
《....永山の目に飛び込んできたのは、まずはこういう一節であったはずである。〈資本制的な生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品のあつまり」として現象し、個々の商品はその富の原基形態として現象している。私たちの研究は、それゆえ商品の分析からはじめられるのである〉......》8頁まえがき

…「とほうもない商品のあつまり」、これだけで本書の勝ちである。「世界をつかむことば」として「全世界を獲得」しているとは言えないかも知れないが…
そもそもこれまでが、ようそけいたい、げんきけいたいなど日本語になっていない訳語が多すぎた。熊野のハイデガー翻訳より和語の採用がバランスとして成功している(ハイデッガーは42頁などで的確に参照される)


宇野ヘーゲル関係、柄谷、経済表、転形問題など、各巻のツボを押さえている。
宇野を批判しつつ宇野のトリアーデを採用していることに危惧があったが成功している。
要するに参照し易いのだ。

構成は宇野譲りだが、「第Ⅰ篇 資本の生成、第Ⅱ篇 資本の運動、第Ⅲ篇 資本の転換」という新たな章立てへの命名も日本語として的確。

ちなみに「全世界を獲得する」ためにはプルードン、ゲゼルの理解が欠かせない。

熊野純彦氏『マルクス 資本論の思考』|せりか書房のブログ
http://ameblo.jp/sericashobo/entry-11573726538.html

【目次】
はじめに――同盟綱領・再読――
序論 資本論をどう読むか
第Ⅰ篇 資本の生成
Ⅰ・1 商品と価値
Ⅱ・2 価値形態論
Ⅲ・3 貨幣と資本
第Ⅱ篇 資本の運動
Ⅱ・1 生産の過程
Ⅱ・2 流通の過程
Ⅱ・3 再生産表式
第Ⅲ篇 資本の転換
Ⅲ・1 利潤
Ⅲ・2 地代
Ⅲ・3 利子
おわりに――宗教批判・再考
あとがき

ただ本書は目次がよくない。
上記よりは詳しい目次が掲げられているがそれでもシンプルすぎて項毎の興味深いトピックを伝えていない。
人名索引はあるが項目索引がないのも勿体無い。

____

熊野はボルトキェヴィッチには言及するが、ツガン=バラノフスキーまで遡行していない。個人的にはそこが不満。経済学の本ではないから欠点とは言えないが。

ボルトキェヴィッチが三分割創始
(消費部門を二つにしたのでカレツキとは違うが、カレツキはここから影響を受けているに違いない。もともとこの三分割は、ボルトキェヴィッチによれば☆54頁、ツガン=バラノフスキー『マルクシズムの理論的基礎』1905年によるもの。)

石垣博美・上野昌美編訳[1982]『転形論アンソロジー』法政大学出版局
Bohm-Bawerk,E.[1896]Zum Abschluss des Marxschen Systems,in Sweezy[1949](P.,M.,スウィージー編,玉野井・石垣訳[1969]).
ボルトキェヴィッチ「マルクス体系における価値計算と価格計算」1906~7年所収。

____

106(1:3:2)
(吉田憲夫『資本論の思想』参照)


1:3:1
W─G(亜麻布─貨幣)、すなわち、W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)のこの最初の段階は、同時に、G─W(貨幣─亜麻布)であり、W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)というもう一つの運動の最後の段階である。 

  W─G─(小麦─貨幣─亜麻布)
     
    W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
       
      ─G(バイブル─貨幣)


1:3:1,103頁関連
http://blogs.yahoo.co.jp/kodawattenanbo/27861513.html
第3章「貨幣または商品流通」第二節A「商品の変態」で 一商品の総変態はその 最も単純な形態では、四つの極と三人の登場人物とを前提する とあるが、この「四つの極」「三人の登場人物」とは 具体的には何か…

第17段落
 一つの商品の総変態は、四つの極と、3人が必要である。
 ① リンネルW - 貨幣 G ②
          ① 貨幣 G - W 聖書 ③

★四つの極とは、1行目のリンネルと貨幣、2行目の貨幣と聖書のことであり、三人の登場人物とは①リンネル生産者(リンネルを売り、聖書を買う)、②小麦生産者(小麦を売り、リンネルを買う)、③聖書生産者(聖書を売る)の三人である。

もしくは、
第17段落
 一つの商品の総変態は、四つの極と、3人が必要である。

 ①1リンネルW - 貨幣 G 2
             ②
          3貨幣 G - W 聖書 4③

★四つの極とは、1行目のリンネル1と貨幣2、2行目の貨幣3と聖書4のことであり、三人の登場人物とは①小麦生産者(小麦を売り、リンネルを買う)、②リンネル生産者(リンネルを売り、聖書を買う)、③聖書生産者(聖書を売る)の三人である。

____

スラッファとマルクスの類似の問題は熊野2013も提示している。

需要関数と生産関数の違い――イタリア人経済学者ピエロ・スラッファは、「マーシャル・クロス」を「〈需要関数〉は、効用逓減という基本的かつ自然的なる仮定の上に立つ。これに反して、生産における関数関係は、これよりもずっと複雑な仮定を持った体系の結果である。限界効用に関する研究が、価格と(消費された)数量との関係に注意をひきつけたあとではじめて、類推によって費用と生産量との関係という均斉的な概念が生まれたというのが事実である」(『経済学における古典と近代』、菱山泉・田口芳弘訳、有斐閣、1956年)と評した。十分ではないが、極めて妥当な鑑定である。〕

《要約すれば、価値は直接価格を決定し,直接価格は生産価格に転形される。
そして市場価格は、それらの生産価格のまわりを変動することになる。転形問
題は、それゆえ、価値を価格に転形する問題でなくて、代わりに、それは直
接価格を生産価格に転形する問題である。》『価値と価格の理論』リヒテンシュタイン著202頁

 無差別曲線の効用空間――ミクロ経済学の空間――には、このプリンピキアの「自然は常に単純であり、常にそれ自身に倣うもの」との確信が再現されていると思われる。それは「自然は空虚そのものである」と喝破したゲーテが、もはや人の住むに耐えなくなった古い城塞と形容したニュートン科学の牙城、もしくは、その城の「プラモデル」である。〕

 

 ジェボンズは、後に、「エッジワース・ボックス」として知られるようになる交換理論のアイデアを発案した。その前提にあったのは、箱(ボックス)の縦横のサイズに相当する所与の商品の存在が仮定されていることである。

この点を手厳しく批判したのは、ケンブリッジ大学のアルフレッド・マーシャルであった。ジェボンズは、価値は限界効用にのみ依存するという立場を貫くために、「生産量(A)は供給(B)を決定する」→「供給(B)は最終効用度(C)を決定する」→「最終効用度(C)は価値(D)を決定する」といった因果の連鎖を主張した。マーシャルは、これはおかしいと言う。A→B→C→Dならば、途中を端折って、A→D、つまり、生産量が価値を決めるとして構わないことになる。それぐらいならば、効用(C)が供給(B)を決定し、供給(B)が生産量(A)を決定し、生産量(A)が価値(D)を決定すると因果を逆流させて言った方が、真実に近いとも。

 マーシャルがこうした批判をしたのは、価値は消費者の効用によって決まるとか、生産量によって決まるとか、バランスを欠いて、消費と生産の一方の側から説明するのではなくて、価値=価格は需要と供給の両者で決まる《需給のシンメトリー》の均衡点であると言いたかったからである。誰でもが図解的に知っている需給均衡のあのシンメトリーな一致――需要曲線と供給曲線が交叉――のイメージは、「マーシャリアン・クロス」の名で呼ばれてきた。一般に広がった経済観における十字架だ。

 

需要関数と生産関数の違い――イタリア人経済学者ピエロ・スラッファは、「マーシャル・クロス」を「〈需要関数〉は、効用逓減という基本的かつ自然的なる仮定の上に立つ。これに反して、生産における関数関係は、これよりもずっと複雑な仮定を持った体系の結果である。限界効用に関する研究が、価格と(消費された)数量との関係に注意をひきつけたあとではじめて、類推によって費用と生産量との関係という均斉的な概念が生まれたというのが事実である」(『経済学における古典と近代』、菱山泉・田口芳弘訳、有斐閣、1956年)と評した。十分ではないが、極めて妥当な鑑定である。〕

 

 ただし、マーシャル自身は、「自利心の自由な作用」によって成立するこの需給均衡点が一般に社会的に最大満足をもたらす点であるとし、スミスの自然価格のようなイメージを付与していたが、貧者と富者では同じ六ペンスでも貨幣の限界効用が違ってくることによって、需給均衡点を超えて生産を拡大した方が総効用は増大するようなケースも考えられるとした。また、該当する商品が収穫逓減か収穫逓増かの違いによって、つまり、豊作で売れ残るミカンか市場を独占するマイクロソフトのソフトかによって、総効用最大は需給均衡点からズレてくるようなケースも考慮した。

 マーシャルのこうしたファジーな部分を勘案しようとする経済学の伝統は、「ケンブリッジ学派」として継承されることになるが、グローバルな経済と経済学の展開の中では、主流派にならなかった。主流派の新古典派経済学は、ジェボンズ流の「快楽と苦痛の微積分学」に無邪気に通じたアメリカの経済学者にノーベル経済学賞を乱発、権威化を図ることに成功した。マーシャル自身が発した危惧の言葉として、「自由企業の下にある世界は、経済騎士道が発展するまでは、完全な理想から程遠いだろう」(”Social Possibilities of  Economic Chivalry(1907)”、根井雅弘『経済学の歴史』)が伝わる。


6 Comments:

Blogger yoji said...

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「無知の涙」(永山則夫/増補新版/河出文庫)を読んだ。 ... 無知の涙/永山則夫の あらすじと読書感想文 .... 拘置所で「資本論」を完読するような永山則夫は、“革命の戦士 ”や“体制に立ち向かう闘士”たちの言うことにも、どうしても違和感を ...
永山則夫の「無知の涙」を読んで - ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら
blog.goo.ne.jp/atom.../1ee635e21fd47b13bf6f87072399d895
... れた永山則夫死刑囚が死刑執行されて15年が過ぎた今頃になって、なぜか永山 則夫の著書「無知の涙」を読んだ。 ... 時間に広場へ出ることも拒否して、マルクスの 資本論全8巻を読み通し、カント、ヘーゲルを読み、そして詩作を続ける。
元少年Aの「絶歌」と永山則夫の「無知の涙」 - シロッコ手習鑑
sirocco.hatenablog.com>トップ>本の紹介
無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection) 作者: 永山則夫 出版社/メーカー: 河出 書房新社 発売日: 1990/07/10 ... 資本論」や雑多な哲学書などを読破した結果覚えた 難解な言葉がやたらにノートに出てくるのですが、難しい言葉を使っている ...
永山則夫「無知の涙」 1 2012.05.17 : 断調亭落丁の日記
eikon007.exblog.jp/17976268/
永山則夫「無知の涙」(河出書房増補新版)を読む。 ... 一年間でマルクス「資本論」8巻 を完読し、「1つ悔恨の情念激しく思うのは、たった一年間で世界という物の根源的状態 を知り得たということである(略)人間性のある人に形成する過程 ...
永山則夫 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/永山則夫
永山 則夫(ながやま のりお、1949年6月27日 - 1997年8月1日)は、1968年から1969 年にかけて連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号 .... 獄中で、読み書きも 困難な状態から独学で執筆活動を開始し、1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれ たカナリアたち』を発表...
生い立ち-連続射殺事件-獄中での心境の変化-作家として
「無知の涙」 ー 永山則夫という人: sea---smile
tubuanco.tea-nifty.com/tubuantea/2008/04/post_094a.html
また、彼の悲惨な幼少少年期を知り、これはたしかに私たち資本主義、社会が産んだ 歪みであり犯罪で、永山死刑囚はその ... 父母居ず祖母と暮らしていました。山羊の ミルクで育ちました。私くしも東京の本屋さんで購入しました。無知の涙を。
永山則夫著・無知の涙 マルジナリア/ウェブリブログ
y-kyorochann.at.webry.info/200703/article_7.html
(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)「無知の涙」・永山則夫著(初版昭和46年合同 出版社/角川文庫/河出文庫) ... ただ永山にとって「資本論」は聖書のごとき存在で、日々 その信仰は強固になっていったように思われる。終章の言葉はこれを ...
永山則夫連続射殺事件
yabusaka.moo.jp/nagayamanorio.htm
永山則夫 【北海道~京都の連続射殺魔】 1968年10月11日午前0時50分頃、東京芝の 東京プリンスホテルの敷地を巡回中の綜合警備保障・中村公紀さん(27歳)が ..... 資本 主義が貧乏な奴をつくるから、オレはここにいるんだ!」 ... 永山が獄中で記した「読書 ノート」は、作家・井上光晴が主催する雑誌「辺境」に掲載され、71年3月に「無知の涙」 として出版された。 .... 専修大学出版局 「かれらはなぜ犯罪を犯したか 8人の鑑定ノート と危機理論」 森武夫大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗 宝島社 ...

11:19 午後  
Blogger yoji said...

永山 則夫(ながやま のりお、1949年6月27日 - 1997年8月1日)は、1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)を引き起こした刑死者(元死刑囚)である。北海道網走市生まれ。明治大学付属中野高等学校定時制中退。 B型
1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、獄中で創作活動を続けた小説家でもあった。1983年、小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞。
目次 [非表示]
1 生い立ち
2 連続射殺事件
3 獄中での心境の変化
4 作家として
5 手紙
6 処刑後
7 主な作品
8 永山則夫を扱った作品
9 脚注
10 出典
11 関連項目
生い立ち[ソースを編集]
北海道網走市呼人(よびと)番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。3歳のとき、一家で郊外の呼人から市内中心部に引っ越す。父親は腕のよいリンゴの枝の剪定師だったが、稼ぎの大半を博打につぎ込み、家庭は崩壊状態。現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。母親代わりの長女は婚約破棄や堕胎から心を病み地元の精神科病院に4年間入院。
1954年(当時5歳)に、母親が青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。兄弟全ての汽車賃が出せないため、則夫を含む4人を網走に残したままの家出だった(後に書いたノートで母は悔いている)。残された則夫を含む4人兄弟は、漁港で魚を拾ったり、ゴミ箱を漁ったりして極貧の生計を立てていたものの、年少の則夫は始終兄や姉たちから虐待を受けていた。しかし、1955年、近隣住民が福祉事務所に通報したのをきっかけに、4人は板柳の母親の元に引き取られた。その後、母親は行商で生計を立て、兄弟を育てた。しかし、板柳中学時代に、函館と福島に家出した。
1965年3月、板柳から東京に集団就職する。渋谷の高級果物店に就職した彼は、北海道育ちのため「東北弁コンプレックス」もなく、接客を要領よくこなしていた。同店の当時の常連客には女優の岩下志麻もいた。やがて新規店を任される話が持ち上がるほどの信用を勝ち得る。しかし、過去の板柳での集団就職のための衣類の窃盗を店長が知った、と思い込んだ結果、自身が耐えられなくなりわずか半年で退職。香港へ密航を図るも失敗し、栃木県小山市に住んでいた長男に引き取られて、宇都宮市の自動車修理工場で働く。市内の肉屋で窃盗を働き捕まったが、家裁で不処分となった。その後も宇都宮市の牛乳配達店、守口市の米屋、羽田空港の「東京エアターミナルホテル」(寮は川崎市)など職と住所を転々とする。ホテルで働き始めた3か月後、横須賀米軍基地で窃盗を働き、保護観察処分となる。保護司の紹介で川崎市のクリーニング店で働くも1か月で辞める。
守口市の住み込みで働いていた職場では正社員登用の話もあったが、それに必要な戸籍謄本を本人が取り寄せた結果、本籍が「北海道網走市呼人無番地」だったため、当時有名だった映画の「網走番外地」シリーズから連想し、自分は「網走刑務所生まれ」だと誤解し、また、この戸籍謄本を提出したらそう思われるに違いない、と思い込んで提出せずに隠していた。この行動を雇用主が怪しんだ、と思い込み、雇用主の子息が東京の大学に進学したことを「自分の東京時代の身辺調査に向かったに違いない」と思い込み、本人が一方的に逃走するように退職している。
次男が保証人となり、新宿区の牛乳配達店で働きながら勉学し、1967年4月、明治大学付属中野高等学校の夜間部に入学。しかし同年7月に不祥事で除籍処分を受け、牛乳店も辞める。その後、1968年に熱海市で定期便トラックをヒッチハイクして神戸に向かい、二度目の密航を企てるも失敗、船内で手首を切って自殺を図ったが、横浜に戻される。同年2月に三男の紹介で杉並区の牛乳店で働きながら、同年4月、明大付属中野高校に再入学し、クラス委員長に選ばれる。同年5月、退学し故郷の板柳町に帰る。帰郷後、9月に長野県で陸上自衛隊入隊試験を受けるが、不合格。10月8日、アメリカ海軍横須賀基地に侵入し、ピストルと弾丸50発などを窃盗。
初めての検挙は、横須賀の米軍基地内での自販機荒らしで、この時は横浜少年鑑別所に収容され保護観察処分となっている。
身長が160cmほどと小柄で、目が大きく、若かった東京時代は、同性愛の男性に見初められたこともあった。
犯行後、中野のアパートに潜伏し、新宿歌舞伎町の酒場でボーイとして働き始めた。この頃、永山が新宿区の喫茶店ヴィレッジヴァンガードで早番のボーイとして働いていた時、ビートたけしが遅番のボーイとして働いていた。同店の客には、村上春樹や、のちに永山の足跡を追った映画『略称・連続射殺魔』を撮った足立正生らがいた[1]。

11:24 午後  
Blogger yoji said...

連続射殺事件[ソースを編集]
横須賀市の米軍宿舎から盗んだ22口径の回転式6連発拳銃で、1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で警備員やタクシードライバー4人を射殺し、「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。永山は1965年に起こった少年ライフル魔事件の現場近くで働いていたためにこの事件を目撃しており、これに刺激された犯行ではないかという見方もある[要出典]。
1969年4月7日(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された[2]。1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「同じ条件下で育った他の兄たちは概ね普通の市民生活を送っている[3]」という理由で死刑判決が確定する。
この判決では死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。
獄中での心境の変化[ソースを編集]
「永山則夫連続射殺事件」を参照
作家として[ソースを編集]
獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し、1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』を発表した。この印税は4人の被害者遺族へ支払い、そのことが1981年の高等裁判所判決において情状の一つとして考慮され、無期懲役という減刑につながった(のち差し戻し審で死刑判決、最高裁の上告棄却により1990年4月17日に死刑確定)。
1980年かねてから文通していた在米日本人・和美(フィリピンと日本のハーフ)と獄中結婚。
1983年には小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞した。1990年には、秋山駿と加賀乙彦の推薦を受けて日本文藝家協会に入会を申し込むが、協会の理事会にて入会委員長の青山光二、佐伯彰一など理事の一部が、永山が殺人事件の刑事被告人であるため入会させてはならないと反対した結果、入会が認められず、それに抗議した中上健次、筒井康隆、柄谷行人、井口時男が、日本文藝家協会から脱会するという出来事も起こった[出典 2]。なお理事長の三浦朱門とその妻曽野綾子は入会賛成で、江藤淳は反対の立場からテレビで中上健次と討論した。その一方、1996年、ドイツ・ザールラント州作家同盟には正式入会を果たしている。
獄中から手記や短歌を自ら発表する死刑囚は多い。しかし、自らの罪を認める一方で、自己の行動を客観的にふりかえるという手法で創作を行い、文壇において一定の地位を獲得するまでに至った永山は、死刑囚としては珍しいといえる。
また連合赤軍の永田洋子死刑囚ら収監されていた多くの殺人犯に影響を与えた。
手紙[ソースを編集]
永山は獄中からたくさんの手紙を書いている。内容は獄中結婚した妻や支援者とのやり取りから本の読者からの悩み相談まで多岐に渡る。また永山は返信する文面を写していたため遺品の中には受け取った手紙と返信した手紙が対になって保管されている。手紙のやり取りの中で国家に対する心情から贖罪意識に変わる様子がうかがえる。
処刑後[ソースを編集]
1997年8月1日、東京拘置所において永山の死刑が執行された。48歳だった。全国新聞はいずれも当日の夕刊の第一面で報じた。
生前、永山は知人に「刑が執行される時には全力で抵抗する」と述べていた。実際に処刑の際、永山が激しく抵抗したとする数人の証言がある[4]。このため、永山の死体は死刑執行後、速やかに火葬されたと言われている[5]。最期の言葉は「俺を殺したら革命が起きるぞ!!」だったという[6]。
永山の死刑執行については、執行同年6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年(当時14歳11ヶ月)であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発、厳罰化を求める声が高まる中、未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、その反発を和らげようとしたのではないか、とマスコミは取り上げた[7]。
永山の告別式は東京都文京区の林泉寺で行われたが、遺族からは遺骨引き取り、葬儀ともに断られたため、葬儀は東京高等裁判所における差戻審、差戻後上告審で国選弁護人を担当した遠藤誠弁護士が喪主を務めて執り行われる形になった。永山の遺言もあり、遺骨は故郷の海であるオホーツク海に、元妻だった和美の手によって散布された(差戻し決定時に離婚成立)。
死後、弁護人たちにより「永山子ども基金」が創設された[8]。これは著作の印税を国内と世界の貧しい子どもたちに寄付してほしいとの、永山の遺言によるもので、貧しさから犯罪を起こすことのないようにとの願いが込められている。
主な作品[ソースを編集]
手記
『無知の涙』合同出版(1971年)のち角川文庫、河出文庫 
『人民をわすれたカナリアたち』辺境社(1971年)のち角川文庫、河出文庫  
『愛か-無か』合同出版(1973年)
『動揺記1』辺境社(1973年)
『反-寺山修司論』JCA(1977年)
永山則夫の獄中読書日記-死刑確定前後 朝日新聞社 1990
日本 遺稿集 冒険社 1997
文章学ノート 佐木隆三監修 朝日新聞社 1998
死刑確定直前獄中日記 河出書房新社 1998
小説
『木橋(きはし)』立風書房(1984年)のち河出文庫- 第19回新日本文学賞受賞作品
『ソオ連の旅芸人』昭和出版(1986年)
『捨て子ごっこ』河出書房新社(1987年)
『なぜか、海』河出書房新社(1989年)
『異水』河出書房新社(1990年)
『華』1-4、河出書房新社(1997年)
その他
『死刑の涙』(1988年)
永山則夫を扱った作品[ソースを編集]
映画『略称・連続射殺魔』(1969年) - 製作:足立正生、松田政男、佐々木守他。永山が生まれてから事件を起こすまでの足跡を追いながら実際の土地を訪ねて、永山が見たであろう風景の映像を繋ぎ合わせ、それにナレーションだけを被せる手法(「風景論」と呼ばれた)で、永山の人生を追ったドキュメンタリー。
映画『裸の十九歳』(1970年) - 監督:新藤兼人、主演:原田大二郎。
土曜ワイド劇場『死刑囚永山則夫と母』(1998年8月1日) - 岡田義徳が永山則夫役を演じる。
舞台『tatsuya -最愛なる者の側へ-』鐘下辰男-芸術選奨新人賞受賞。以下はハシモトタツヤ(永山則夫)役
1991年8月14~8月22日  千葉哲也
1992年8月26日~9月2日 塩野谷正幸(改訂決定版tatsuya)
1994年7月27日~7月31日 佃典彦
1999年9月2日~9月19日 KONTA(近藤敦)
2006年2月28日~3月5日 津田健次郎
「ETV特集 死刑囚 永山則夫~獄中28年間の対話~」(2009年10月11日)- ディレクター:堀川惠子 制作統括:宮田興 出演:和美(永山の元妻)、新藤兼人ほか
「ETV特集 永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」(2012年10月14日) - ディレクター:堀川惠子 制作統括:増田秀樹 出演:石川義博(鑑定医)ほか
漫画『アンラッキーヤングメン』(大塚英志原作、藤原カムイ作画)では、特定している訳ではないが、Nというキャラクターとして登場する。
脚注[ソースを編集]
^ びーとたけしの新宿を歩く東京紅團、2004年2月28日
^ きっかけはセコム(当時「日本警備保障」)が侵入先に設置していた機械警備システム「SPアラーム」。警報を受けて駆けつけた警備員が永山と渡り合っている
^ 「しかし、長男は永山が逮捕される前に詐欺罪で逮捕され刑務所を出て以降消息不明。次男はその後定職に就く事もなくギャンブルに明け暮れ42歳で亡くなりました。妹は成人してから心を病んでしまいます。一緒に育った姪も行方が分からないままです。」[出典 1]という指摘も有る
^ 一例として大道寺将司『死刑確定中』太田出版、1997年12月、ISBN 4-87233-366-7 の、「九時前ごろだったか。隣の舎棟から絶叫が聞こえました。抗議の声のようだった。すぐにくぐもったものになって聞こえなくなったので……案じていました」がある。
^ 永山子ども基金編『ある遺言のゆくえ 死刑囚永山則夫がのこしたもの』東京シューレ出版、p.25など
^ 『悪い奴ら、最期の言葉』(鉄人社)、『解禁!暴露ナイト』(テレビ東京)など
^ 永山の身元引受人である井戸秋子は、「酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件)の犯人が少年だったと知ったとき、とっさに永山さんがやられるんじゃないかと思った」と述べている。(死刑は判決が出た順に執行されるものではなく、永山よりあとで確定して先に執行された死刑囚も存在する)。
^ 永山子ども基金公式サイト
出典[ソースを編集]
^ ETV特集『「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~』、2012年10月14日放送
^ 創出版 月刊「創」1991年10月号 p.60 「暗く憂欝な出来事-文芸家協会入会拒否騒動の顛末」 加賀乙彦
関連項目[ソースを編集]
永山則夫連続射殺事件
島秋人(元死刑囚の歌人)
坂口弘(死刑囚の歌人)
正田昭(元死刑囚の小説家)
佐木隆三(殺人犯に関する著作が多い作家)

11:24 午後  
Blogger yoji said...



熊野本に関しては動画を見て興味が湧いたのであれば本屋で立ち読みを薦める
大著だが活字が大きいのですぐ読める
自分は買ったが一度しか読んでいない

宇野の経済原論は岩波文庫で買っておくべき本だが熊野本は良書とはいえ買えとは言えない

1:50 午後  
Blogger yoji said...

読み物として推薦出来るが
経済学の本ではない
資本論のテクスト、構成に内在的だが
的場新書の方がサブテキストとしてはいい

1:53 午後  
Blogger yoji said...



《昨晩、読み返しよ(少しばかり)、『資本論』をね!! ぼくはあれを読んだ数少ない人間の1人だ。
ジョレス〔当時代表的な社会主義者〕自身は--(読んでいないように見える)。(…)『資本論』と
いえば、この分厚い本はきわめて注目すべきことが書かれている。ただそれを見つけてやりさ
えすればいい。これはかなりの自負心の産物だ。しばしば厳密さの点で不十分であったり、
無益にやたらと衒学的であったりするけれど、いくつかの分析には驚嘆させられる。ぼくが
言いたいのは、物事をとらえる際のやり方が、ぼくがかなり頻繁に用いるやり方に似ている
ということであり、彼の言葉は、かなりしばしば、ぼくの言葉に翻訳できるということなんだ。
対象の違いは重要ではない。それに結局をいえば、対象は同じなんだから!》
(ヴァレリー、1918年5月11日、ジッド宛書簡、山田広昭訳)

山田『三点確保』より孫引き

蚊居肢: マルクスとラカンの三角形
http://kaie14.blogspot.jp/2016/08/blog-post_88.html

10:26 午前  

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