土曜日, 7月 02, 2016

熊野純彦『マルクス 資本論の思考』

                (マルクスリンク::::::::::
熊野純彦『マルクス 資本論の思考』2013
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html(本頁) 

熊野純彦『マルクス 資本論の思考』
 https://www.amazon.co.jp/dp/4796703268  2013/9 せりか書房

熊野純彦(東京大学教授・哲学者) 「いま、なぜマルクスなのか?」 - YouTube
https://youtube.com/watch?v=I98CKVNmeGw

グルントリッセ1857~8...(+資本論草稿関連)
http://nam-students.blogspot.com/2016/07/blog-post.html
転形問題:メモ(←再生産表式←グルントリセ)

NAMs出版プロジェクト: 経済原論131~2頁、再生産表式関連
宇野弘蔵、またはマルクスとスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html
ヒルファーディング『金融資本論』1910



「とほうもない商品のあつまり」

…熊野純彦東大教授の「マルクス 資本論の思考」は、こんなふうにはじまる。
《....永山の目に飛び込んできたのは、まずはこういう一節であったはずである。〈資本制的な生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品のあつまり」として現象し、個々の商品はその富の原基形態として現象している。私たちの研究は、それゆえ商品の分析からはじめられるのである〉......》8頁まえがき

…「とほうもない商品のあつまり」、これだけで本書の勝ちである。「世界をつかむことば」として「全世界を獲得」しているとは言えないかも知れないが…
そもそもこれまでが、ようそけいたい、げんきけいたいなど日本語になっていない訳語が多すぎた。熊野のハイデガー翻訳より和語の採用がバランスとして成功している(ハイデッガーは42頁などで的確に参照される)。


宇野ヘーゲル関係、柄谷、経済表(439頁に図)、転形問題、擬制資本(架空資本,703頁)など、各巻のツボを押さえている。
宇野を批判しつつ宇野のトリアーデを採用していることに危惧があったが成功している。
要するに参照し易いのだ。

構成は宇野譲りだが、「第Ⅰ篇 資本の生成、第Ⅱ篇 資本の運動、第Ⅲ篇 資本の転換」という新たな章立てへの命名も日本語として的確。

ただし「全世界を獲得する」ためにはプルードン、ゲゼルの理解が欠かせない。

熊野純彦氏『マルクス 資本論の思考』|せりか書房のブログ
http://ameblo.jp/sericashobo/entry-11573726538.html

【目次】
はじめに――同盟綱領・再読――
序論 資本論をどう読むか
第Ⅰ篇 資本の生成
Ⅰ・1 商品と価値
Ⅱ・2 価値形態論 a
Ⅲ・3 貨幣と資本 b
第Ⅱ篇 資本の運動
Ⅱ・1 生産の過程 c
Ⅱ・2 流通の過程 c
Ⅱ・3 再生産表式 d
第Ⅲ篇 資本の転換 e
Ⅲ・1 利潤
Ⅲ・2 地代
Ⅲ・3 利子
おわりに――宗教批判・再考
あとがき

参考:
               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /<資本の転換>/\
          /  \    /  \
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    熊野純彦    資本の\
     貨幣と資本\ 『資本論の思考』 /再生産表式
    /______\        /______\
   /<資本の生成>/\      /\<資本の運動>\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 商品と価値\  価値形態論\  生産の過程\  /流通の過程
/______\/______\/______\/______\

ただ本書は目次がよくない。
上記よりは詳しい目次が掲げられているがそれでもシンプルすぎて項毎の興味深いトピックを伝えていない。
人名索引はあるが項目索引がないのも勿体無い。

思考2013と哲学2018との比較用目次:

               熊  野  純  彦
      2013                   2018

『マルクス 資本論の思考』せりか書房2013  『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018
【目次】                  【目次】
                       まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
はじめに――同盟綱領・再読――
序論 資本論をどう読むか
第Ⅰ篇 資本の生成
 Ⅰ・1 商品と価値             
 Ⅱ・2 価値形態論             第1章 価値形態論―形而上学とその批判
 Ⅲ・3 貨幣と資本            第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生 
第Ⅱ篇 資本の運動
 Ⅱ・1 生産の過程 
                     第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編 
 Ⅱ・2 流通の過程 
 Ⅱ・3 再生産表式 
                     第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第Ⅲ篇 資本の転換 
 Ⅲ・1 利潤                
 Ⅲ・2 地代
 Ⅲ・3 利子               第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
おわりに――宗教批判・再考
                       終 章 コミューン主義のゆくえ
あとがき                 あとがきにかえて
                      ―資本論の研究の流れにことよせて―



追記:

『マルクス 資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判 
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生 
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編 
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判 
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム 
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』で採用された(宇野弘蔵をトレースした)構成が『哲学』では再編されている(本書終章を六とすれば、3×2=6)。
第4章(#4)で経済表(再生産表式の原型)が再度紹介される(166頁)。
終章(#6)では『経哲草稿』「ゴータ綱領批判」*が新たに参照される。

「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」254頁(岩波文庫望月訳38頁)

資本論以外に考察を広げるならまずは佐々木隆治『カール・マルクス』(ちくま新書)の方がいいかも知れない。価値形態論、再生産表式、信用の問題にポイントを絞ったのは正しいが。地代は#5:205,213に挿入されるのみ。

ライプニッツが頁iiiで、アリストテレスが#2:52頁で、カント(#5:193ではトマス・アクィナスと共に)とベルクソンが#2:79頁で参照される。
アルチュセールが#4:183頁で廣松渉が#6:256頁で言及される。
あとがき参考文献**にも柄谷行人(『世界共和国へ』263頁)と廣松渉らの名がある。

その他の人名索引(作業中):
アリストテレス#2:52,#3:87,#5:212
トマス・アクィナス#1:48,#5:193,205
アルチュセール#4:187
ヴェーバー#3:88
カント#5:193,213
ハイデガー#3:130
ヒューム#5:216
プラトン#3:87,#5:190,193
ヘーゲル#2:77,#3:100,132,#4:176
ロック#5:215

通常価値形態論の解説はその集合論的な部分が強調されるが、「ist」を使わず「erscheine=あらわれる」(=前著では「現象し」)と表現される部分に着目する。ここは前著よりわかりやすくなっている。現象学的アプローチが成功している。翻訳者らしく重要単語にはドイツ語が併記される。(ただし資本論本文との対象は本人が訳しているせいかわかりやすくはない。『資本論の思考』と同じくディーツ版原書頁数の併記なのでディーツ版頁数記載の大月全集版が推薦されている(ほぼ同内容の国民文庫が評者からのオススメ)。ちなみにディーツ版には新旧二種あり世界の大思想版は旧の方だから原書頁数が合わない。岩波文庫版は原書頁数併記に改訂すべきだ。)

《資本制的な生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品のあつまり」としてあらわれて、個々の商品はその富の原基形態として現象している。私たちの研究は、それゆえ商品の分析からはじめられるのである。》5頁

ちなみに前著では以下のようにこの部分の二箇所のerscheineの訳語として両方現象を使っていた、

《資本制的な生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品のあつまり」として現象し、個々の商品はその富の原基形態として現象している。私たちの研究は、それゆえ商品の分析からはじめられるのである。》


ただヘーゲル(言及多数)やカントへの言及は空回りしている。
位相が違うのだ。
これはアダム・スミスが二著で体現し、プルードンが貧困の哲学で説明している。
個人的には前著の転形問題関連は全部残しても良かったと思う。

#4:175,178の転形問題関連は重要。

「かれらはそれとは知らずに、それをおこなう」#1:44頁という資本論価値形態論直後(1:1:4)の
代表的な言葉に関してはカントではなくスピノザを参照すべきだが、スピノザは現象学と相性が悪い。
アンチノミーに関する記述があるのにプルードンが出てこないのは残念。
柄谷行人はマルクスと対立させない形でプルードンを再発見した。そこが画期的だった。




『マルクス 資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判 a
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生 b
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編 c
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判 d
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム e
終 章 コミューン主義のゆくえ
あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

**
あとがきで入門者用参考文献として挙げられていた本
注記以外岩波新書
宇野弘蔵『資本論の経済学』1969
柄谷行人『世界共和国へ』2006
内田義彦『資本論の世界』1966
大塚久雄『社会科学の方法』1966
佐藤金三郎『マルクス遺稿物語』1989
梅本克己『唯物史観と現代』1974
大川正彦『マルクス いま、コミュニズムを生きるとは?』2004NHK出版
廣松渉『新哲学入門』1988
廣松渉へ『資本論の哲学』2010平凡社ライブラリー


参考:
               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /<資本の転換>/\
          /  \    /  \
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    熊野純彦    資本の\
     貨幣と資本\ 『資本論の思考』 /再生産表式
    /______\        /______\
   /<資本の生成>/\      /\<資本の運動>\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 商品と価値\  価値形態論\  生産の過程\  /流通の過程
/______\/______\/______\/______\

宇野弘蔵『経済原論』と殆ど同じ。これは確信犯で細部は全く違う。

               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /\ <分配論>/\
          /  \    /__\
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      /\ <生産論>/\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\

ヘーゲル論理学と資本論との対応はもっと細かい。

追記:
資本論の哲学
熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
まえがき~世界革命と世界革命とのあいだで~
第1章 価値形態論~形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本~均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通~時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡~近代科学とその批判
第5章 利子と信用~時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
あとがきにかえて~資本論の研究の流れにことよせて~

____

熊野はボルトキェヴィッチには言及するが、ツガン=バラノフスキーまで遡行していない。個人的にはそこが不満。経済学の本ではないから欠点とは言えないが。

ボルトキェヴィッチが三分割創始
(消費部門を二つにしたのでカレツキとは違うが、カレツキはここから影響を受けているに違いない。もともとこの三分割は、ボルトキェヴィッチによれば☆54頁、ツガン=バラノフスキー『マルクシズムの理論的基礎』1905年によるもの。)

石垣博美・上野昌美編訳[1982]『転形論アンソロジー』法政大学出版局
Bohm-Bawerk,E.[1896]Zum Abschluss des Marxschen Systems,in Sweezy[1949](P.,M.,スウィージー編,玉野井・石垣訳[1969]).
ボルトキェヴィッチ「マルクス体系における価値計算と価格計算」1906~7年所収。



参考:
               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /<資本の転換>/\
          /  \    /  \
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    熊野純彦    資本の\
     貨幣と資本\ 『資本論の思考』 /再生産表式
    /______\        /______\
   /<資本の生成>/\      /\<資本の運動>\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 商品と価値\  価値形態論\  生産の過程\  /流通の過程
/______\/______\/______\/______\

内容一覧
まえがき
凡例

はじめに――同盟綱領[引用者注:共産党宣言]・再読――

序論 資本論をどう読むか

第Ⅰ篇 資本の生成
 Ⅰ・1 商品と価値
 Ⅰ・2 価値形態論
  Ⅰ・2・1 価値形態(1)    Ⅰ・2・2 価値形態(2)
  Ⅰ・2・3 交換過程
 Ⅰ・3 貨幣と資本
  Ⅰ・3・1 商品流通
  Ⅰ・3・2 信用取引
  Ⅰ・3・3 資本形態

第Ⅱ篇 資本の運動
 Ⅱ・1 生産の過程
  Ⅱ・1・1 労働過程
  Ⅱ・1・2 増殖過程
   α 価値形成過程の分研
   β 価値増殖過程の分析
   γ 不変資本と可変資本
  Ⅱ・1・3 剰余価値
   α 絶対的剰余価値
   β 相対的剰余価値
    a 諸概念の規定
    b 工場制手工業(マニュファクチュア)
    c 機械と大工場
   γ 資本の蓄積過程
    a 労働の「包摂」
    b 蓄積の諸様相
    c 資本制の原罪
 Ⅱ・2 流通の過程
  Ⅱ・2・1 資本循環
   α 貨幣資本の循環
   β 生産資本の循環
   γ 商品資本の循環
  Ⅱ・2・2 資本回転
   α 流通期間と流通費用
   β 回転期間と回転回数
   γ 固定資本と流動資本
  Ⅱ・2・3 回転周期
 Ⅱ・3 再生産表式
  Ⅱ・3・1 価値の循環
  Ⅱ・3・2 単純再生産
   α 単純再生産の条件・再考
   β 資本の蓄積と拡大再生産
   γ 再生産表式論とはなにか

第Ⅲ篇 資本の転換

 Ⅲ・1 利潤
  Ⅲ・1・1 利潤率への「転化」
   α 費用価格
   β 利潤率
   γ 生産条件
  Ⅲ・1・2 一般利潤率の形成
   α 生産価格
   β 市場価格
   γ 転形問題
  Ⅲ・1・3 一般利潤率の傾向

 Ⅲ・2 地代
  Ⅲ・2・1 地代論の諸前提
  Ⅲ・2・2 「差額地代」論
   α 落流の例
   β 差額地代
   γ 絶対地代
  Ⅲ・2・3 貨幣地代の形成
 Ⅲ・3 利子
  Ⅲ・3・1 商業資本の問題
   α 商業資本
   β 商業利潤(1)
   γ 商業利潤(2)
  Ⅲ・3・2 貸付資本の生成
   α 貨幣取引資本
   β 利子生み資本
   γ 利潤の再分化
  Ⅲ・3・3 信用制度の展開
   α 信用制度の形成
   β 銀行信用の問題
   γ 架空資本の成立 ☆☆

おわりに――宗教批判・再考――

   参考文献
   あとがき
   人名索引


参考:
               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /<資本の転換>/\
          /  \    /  \
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    熊野純彦    資本の\
     貨幣と資本\ 『資本論の思考』 /再生産表式
    /______\        /______\
   /<資本の生成>/\      /\<資本の運動>\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 商品と価値\  価値形態論\  生産の過程\  /流通の過程
/______\/______\/______\/______\

                               /架空資本の成立 おわりにー宗教批判ー
                              /__\
                             /信用制度の展開
                       信用制度の形成_\/_銀行信用の問題
                           /\      /\
                          /__\<利子>/__\
                       商業資本の問題\  /貸付資本の生成
                        /__\/__\/__\/__\
                       /\              /\
                      /  \            /  \  
                  一般利潤率の傾向\ <<資本の転換>>/貨幣地代の形成
                    /______\        /______\
                生産条件\      /転形問題   /\      /\
                  /__\<利潤>/__\    /  \<地代>/_絶対地代
             利潤率への「転化」\ 一般利潤率の形成 /地代論の\  「差額地代」論
               費用価格\/利潤率/生産\/市場\/__諸前提_\落流の\/_差額地代
               /\         価格  価格          例    /\
              /  \                            /  \
             /資本形態\                          /    \
            /______\                        /______\
           /\      /\         熊野純彦         /\<再生産  /再生産表式論とはなにか
          / <貨幣と資本>  \    <<<資本論の思考>>>    /  \ 表式>/__\
         /商品流通\  /信用取引\                  価値の循環\   /単純再生産
        /______\/______\                /______\/条件\/_資本の蓄積と拡大再生産
       /\              /\              /\       ・再考    /\ 
      /  \            /  \            /__\            /  \
     /    \<<資本の生成>> /交換過程\          /剰余価値\<<資本の運動>> /回転周期\
    /______\        /______\  剰余価値率の規定_\/相対的~       /______\
   /\      /\      /\      /\      /\<生産の  /\      /\<流通の  固定資本と流動資本
  / <商品と価値>  \    / <価値形態論>  \    /  \ 過程>/  \商品資本の循環\ 過程>/__\
 /    \  /    \  価値形態1\  価値形態2\  /労働過程\  /増殖過程\  /資本循環\  /資本回転\
/______\/______\/______\/______\/______\/______\貨幣~\/生産~/__\/__\ 

著者紹介

熊野純彦(くまの すみひこ)
1958年、神奈川県生まれ。1981年、東京大学文学部卒業、現在、東京大学文学部教授。専攻は、倫理学、哲学史。
著書に『レヴィナス入門』『ヘーゲル』(以上、筑摩書房)、『レヴィナス』『差異と隔たり』『西洋哲学史 古代から中世へ』『西洋哲学史 近代から現代へ』『和辻哲郎』(以上、岩波書店)、『カント』『メルロ=ポンティ』(以上、NHK出版)。『戦後思想の一断面』(ナカニシヤ出版)、『埴谷雄高』(講談社)、『日本哲学小史』(編者・中央公論新社)など。
訳書として、レヴィナス『全体性と無限』、レーヴィット『共同存在の現象学』、ハイデガー『存在と時間」(以上、岩波書店)、カント『純粋理性批判』、同『実践
理性批判 倫理の形而上学の基礎づけ』(以上、作品社)。

☆☆

熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとしている(696~7頁)。


《 いわゆる『経済学批判要綱』の段階でマルクスが、株式会社を、資本一般、競争、信用につづけて、「資本の最高の完成形態」と位置づける構想を有していたしだいは、よく知られているとおりである。『資本論』第三巻における株式会社論は、とはいえ、草稿の未整理もあって、きわめて断片的なものに止まっている。本項では主要には、擬制資本の形成という論点との関連でのみ問題を考えているけれども、ここではまず、右に見られる株式会社観の一側面についてふれておく。
 当面の文脈でのマルクスの認定の流れは、こうである。たとえば鉄道の敷設はかつて国家の事業であったが、株式会社の形成によりそれが私企業としても可能となる(論点1)。その結果として、当該企業はそれじたい一方で社会的な性格を帯びることになり(論点2)、他方では機能資本と貨幣資本との分化が進行することになる(論点3)。その意味で株式会社は、 一面では一定の限度内での「私的所有としての資本の廃棄Aufhebung des Kapitals als Privateigentum」なのであり、他面では「資本所有」からの「機能」の分割(vgl.s.453)、いわゆる〈所有と経営の分離〉を意味する。かくてそれは「資本制的生産様式そのもののなかでの資本制的生産様式の廃止であり、かくてまたじぶん自身を解消する矛盾」にほかならない。株式会社は、こうしてマルクスにとって、或る意味ではたしかに「あらたな生産形態へのたんなる通過点」としてあらわれていた(s.454)。
 この認定をめぐっては、ここではこれいじょう立ちいらない。当面の論脈で、主要な問題はほかにある。


思考698頁:
株式会社制度は「じぶん自身を解消する矛盾」であると述べた直後にマルクスは、つづけてつぎのように書いていた。これも引用しておく。

 じぶん自身を解消する矛盾として、この矛盾はまた現象のうちにも立ちあらわれる。それはいくつかの部面では独占を出現させ、したがってまた国家の干渉をも呼びおこす。それはあらたな金融貴族を再生産し、企画屋や発起人や名目だけの役員のすがたをまとったあらたな種類の寄生虫を再生産し、会社の創立や株式発行や株式取引についての、思惑と詐欺との金制度を再生産する。それは、私的所有による制御のない私的生産なのである。(s.454)

 エンゲルスが付記しているように、マルクスはここで、じっさいに事件がおこる二〇年もまえにパナマ運河詐欺を予見しているかのようである。

699頁:
証券市場の成立
 たんなる将来の収益請求権を示すにすぎない紙片が「二倍になるように見え、また場合によっては三倍になるように見える」(s.488)。株式という擬制資本が、かくて架空資本へと肥大化し、価値蓄積過程そのものがおなじ病理に感染する。いまや信用制度の中核を担っている銀行資本のかなりの部分は、しかもこうした各種証券、いわゆる「利子付証券」からなっている。銀行資本はかくしてこの意味でも、その相当部分が「純粋に架空的なもの」にほかならない(s.487)。銀行に集積された貨幣資本の大きな部分が、たんなる価値請求権という「価値記号」となっているからである(s.524.f)。かくしてまた、「この信用制度のもとでは、すべてが二倍にも三倍にもなって、ただの幻想(bloBes Hirngespinst)に転化する」のだ(s.490)。

(架空資本:fiktives.岡崎次郎訳『資本論』は「架空資本」という訳語を採用する。岡崎自身はのちに『資本論』入門書を執筆するさいには「擬制資本」という訳語を選択している。703頁)

700頁:
その結果、どうなるか。帰結するところは、およそ「最大規模での収奪」である。株式制度そのものが示すものは、一箇の「社会的所有」でしかありえない。ところが、とマルクスは書いている。

この収奪は、ところが資本制的システムそのものの内部では、反対のすがたをとり、少数者による社会的所有の取得としてあらわれる。さらに信用は、これらの少数者に対してますます純粋な山師の性格を与えるのだ。所有はここでは株式のかたちで存在するのだから、その運動や移転は、よりいっそうひとり取引所投機の結果となるのであって、そこでは小魚は鮫に飲みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまう。(s.456)

哲学238頁:
株式制度(Aktienwesen)は、たしかに、生産手段の社会的所有への移行をあらわしているかに見える。それはしかし「資本制的な制限のうちになお囚われて」おり、それゆえ株式制度は「社会的な富と私的な富という富の性格のあいだの対立を克服するのではなく、ただこの対立をあらたなすがたで形成するだけ(ibid.)なのです。

熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとするが、概念の軽視につながる恐れもある。大くの場合成功しているが。

大谷禎之介論稿
59頁

この収奪は,資本主義的システムそのものの 内部では,対立的に,少数者による
社会的所有の横奪として現われるのであり,また信用は,これらの少数者にます
ます純粋な山師の性格を与えるのである。所有はここでは株式の形で存在するの
だから,その運動そのもの,つまりその移転は取引所投機のまったくの結果とな
るのであって,そこでは小魚は鮫に呑みこまれ,羊は狼男に呑みこまれてしまう。
(資本論ディーツ版s.456) 3:5:27

:資本論の思考700頁参照






資本論の思考701~2頁:

《いま、株式制度における流通の形態を考えてみる。株式(A)が発行されて、
貨幣(G1)と交換される。Gはふたつの部分に分かれ、 一方(g1)が創業者
利得となって、流通から脱落する。他方は機能資本に転化して、たとえば産業資本の
循環を描くことだろう。たほう株式そのものが売られて、持ち手を替えるかぎりでは、
あらたな貨幣(G2)が流通手段として登場することになる。流通圏は、ヒルファー
ディング『金融資本論』にしたがえば、かくてつぎのようになるだろう。

       Pm
  G1-W/  ……P……W'-G1'
A/    \A
|\g1
G2



…垂直方向の流通(A-G2-A)は、証券市場で生起し、しかも反復的に生起する。…》

参考:
金融資本論 上   岩波文庫    ヒルファディング Hilferding/著 岡崎次郎/訳  
原著    Das Finanzkapital 1910
185頁

英語版
2/5:7/25


      
  G1-W-Pm……P……W'-G1'
A/    \A
|\g1
G2


ドイツ語原著:
Rudolf Hilferding: Das Finanzkapital (2-7. Die Aktiengesellschaft)
https://www.marxists.org/deutsch/archiv/hilferding/1910/finkap/kap2-07.html#f8



        Pm
   G1-W<  ……P……W'-G
 A<     A
   g1
 |
 G2
 |
 A


2:2:1:β:294頁
生産資本の循環も参照

(一番右の部分が微妙に3ヶ国語版全部違うが熊野版が正確だろう)
____

106(1:3:2)
(吉田憲夫『資本論の思想』参照)新書#2:58頁



1:3:1
W─G(亜麻布─貨幣)、すなわち、W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)のこの最初の段階は、同時に、G─W(貨幣─亜麻布)であり、W─G─W(小麦─貨幣─亜麻布)というもう一つの運動の最後の段階である。 

  W─G─(小麦─貨幣─亜麻布)
     
    W─G─W(亜麻布─貨幣─バイブル)
       
      ─G(バイブル─貨幣)


1:3:1,103頁関連
http://blogs.yahoo.co.jp/kodawattenanbo/27861513.html
第3章「貨幣または商品流通」第二節A「商品の変態」で 一商品の総変態はその 最も単純な形態では、四つの極と三人の登場人物とを前提する とあるが、この「四つの極」「三人の登場人物」とは 具体的には何か…

第17段落
 一つの商品の総変態は、四つの極と、3人が必要である。
 ① リンネルW - 貨幣 G ②
          ① 貨幣 G - W 聖書 ③

★四つの極とは、1行目のリンネルと貨幣、2行目の貨幣と聖書のことであり、三人の登場人物とは①リンネル生産者(リンネルを売り、聖書を買う)、②小麦生産者(小麦を売り、リンネルを買う)、③聖書生産者(聖書を売る)の三人である。

もしくは、
第17段落
 一つの商品の総変態は、四つの極と、3人が必要である。

 ①1リンネルW - 貨幣 G 2
             ②
          3貨幣 G - W 聖書 4③

★四つの極とは、1行目のリンネル1と貨幣2、2行目の貨幣3と聖書4のことであり、三人の登場人物とは①小麦生産者(小麦を売り、リンネルを買う)、②リンネル生産者(リンネルを売り、聖書を買う)、③聖書生産者(聖書を売る)の三人である。

____

スラッファとマルクスの類似の問題は熊野2013も提示している。

需要関数と生産関数の違い――イタリア人経済学者ピエロ・スラッファは、「マーシャル・クロス」を「〈需要関数〉は、効用逓減という基本的かつ自然的なる仮定の上に立つ。これに反して、生産における関数関係は、これよりもずっと複雑な仮定を持った体系の結果である。限界効用に関する研究が、価格と(消費された)数量との関係に注意をひきつけたあとではじめて、類推によって費用と生産量との関係という均斉的な概念が生まれたというのが事実である」(『経済学における古典と近代』、菱山泉・田口芳弘訳、有斐閣、1956年)と評した。十分ではないが、極めて妥当な鑑定である。〕

《要約すれば、価値は直接価格を決定し,直接価格は生産価格に転形される。
そして市場価格は、それらの生産価格のまわりを変動することになる。転形問
題は、それゆえ、価値を価格に転形する問題でなくて、代わりに、それは直
接価格を生産価格に転形する問題である。》『価値と価格の理論』リヒテンシュタイン著202頁

 無差別曲線の効用空間――ミクロ経済学の空間――には、このプリンピキアの「自然は常に単純であり、常にそれ自身に倣うもの」との確信が再現されていると思われる。それは「自然は空虚そのものである」と喝破したゲーテが、もはや人の住むに耐えなくなった古い城塞と形容したニュートン科学の牙城、もしくは、その城の「プラモデル」である。〕

 ジェボンズは、後に、「エッジワース・ボックス」として知られるようになる交換理論のアイデアを発案した。その前提にあったのは、箱(ボックス)の縦横のサイズに相当する所与の商品の存在が仮定されていることである。
この点を手厳しく批判したのは、ケンブリッジ大学のアルフレッド・マーシャルであった。ジェボンズは、価値は限界効用にのみ依存するという立場を貫くために、「生産量(A)は供給(B)を決定する」→「供給(B)は最終効用度(C)を決定する」→「最終効用度(C)は価値(D)を決定する」といった因果の連鎖を主張した。マーシャルは、これはおかしいと言う。A→B→C→Dならば、途中を端折って、A→D、つまり、生産量が価値を決めるとして構わないことになる。それぐらいならば、効用(C)が供給(B)を決定し、供給(B)が生産量(A)を決定し、生産量(A)が価値(D)を決定すると因果を逆流させて言った方が、真実に近いとも。
 マーシャルがこうした批判をしたのは、価値は消費者の効用によって決まるとか、生産量によって決まるとか、バランスを欠いて、消費と生産の一方の側から説明するのではなくて、価値=価格は需要と供給の両者で決まる《需給のシンメトリー》の均衡点であると言いたかったからである。誰でもが図解的に知っている需給均衡のあのシンメトリーな一致――需要曲線と供給曲線が交叉――のイメージは、「マーシャリアン・クロス」の名で呼ばれてきた。一般に広がった経済観における十字架だ。

需要関数と生産関数の違い――イタリア人経済学者ピエロ・スラッファは、「マーシャル・クロス」を「〈需要関数〉は、効用逓減という基本的かつ自然的なる仮定の上に立つ。これに反して、生産における関数関係は、これよりもずっと複雑な仮定を持った体系の結果である。限界効用に関する研究が、価格と(消費された)数量との関係に注意をひきつけたあとではじめて、類推によって費用と生産量との関係という均斉的な概念が生まれたというのが事実である」(『経済学における古典と近代』、菱山泉・田口芳弘訳、有斐閣、1956年)と評した。十分ではないが、極めて妥当な鑑定である。〕

 ただし、マーシャル自身は、「自利心の自由な作用」によって成立するこの需給均衡点が一般に社会的に最大満足をもたらす点であるとし、スミスの自然価格のようなイメージを付与していたが、貧者と富者では同じ六ペンスでも貨幣の限界効用が違ってくることによって、需給均衡点を超えて生産を拡大した方が総効用は増大するようなケースも考えられるとした。また、該当する商品が収穫逓減か収穫逓増かの違いによって、つまり、豊作で売れ残るミカンか市場を独占するマイクロソフトのソフトかによって、総効用最大は需給均衡点からズレてくるようなケースも考慮した。
 マーシャルのこうしたファジーな部分を勘案しようとする経済学の伝統は、「ケンブリッジ学派」として継承されることになるが、グローバルな経済と経済学の展開の中では、主流派にならなかった。主流派の新古典派経済学は、ジェボンズ流の「快楽と苦痛の微積分学」に無邪気に通じたアメリカの経済学者にノーベル経済学賞を乱発、権威化を図ることに成功した。マーシャル自身が発した危惧の言葉として、「自由企業の下にある世界は、経済騎士道が発展するまでは、完全な理想から程遠いだろう」(”Social Possibilities of  Economic Chivalry(1907)”、根井雅弘『経済学の歴史』)が伝わる。

____
熊野純彦『マルクス 資本論の思考』2013
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html

第Ⅲ篇 資本の転換
506頁


三部門構成への改変 
 再生産表式論を展開するにあたってマルクスは、生産部門のうちで第I部門(生産手段生産部門)と第Ⅱ部門(消費手段生産部門)を区別していた(本書、Ⅱ・3・2参照)。生産手段とは、言いかえるなら生産財であり、消費手段あるいは生活手段は主要には労働者用の消費財のことである。この二部門については、とりあえずそのままとしておく。マルクスもまた、拡大再生産を問題とするにさいし、部門Ⅱにかんしては、通常の「消費手段」と「奢侈消費手段」という、いわば「亜部門」への分割をみとめている(本書、Ⅱ・3・3参照)。
 ボルトケヴィッチは、この亜部門を第Ⅲ部門として独立させる。これがボルトケヴィッチにあっては、問題を分析するさいの方法的枠組みとして重要な意味をもつことになるだろう。再生産表式を素材補填の関係としてとらえる場合、奢修品は産出の側にはあらわれるにもかかわらず、投入の側にはあらわれないことになるからである。
 いま、資本の構成部分を示す記号はマルクス的な標記を採用して、マルクスのいう単純再生産を考えてみる。単純再生産が可能となるためには、第I部門において、その総資本価値が三部門全体の不変資本価値と一致し、第Ⅱ部門にかんして、それが三部門全体の可変資本価値と合致し、第Ⅲ部門をめぐっては、剰余価値の総計とひとしいことが必要である。
 これを「価値表式」として簡略に示せば、つぎのようになる。ただし添え字1〜3は部門I〜Ⅲの別を示す。

 I(生産財生産部門)c1 + v1 + m1=c1+c2+c3
Ⅱ(消費財生産部門)c2+v2+m2=v1+v2+v3
Ⅲ(奢侈財生産部門)c3+v3+m3=m1+m2+m3

 そのうえで、 一般利潤率をr、第Iから第Ⅲ部門について、価値と生産価格の乖離率をそれぞれ x、y、z として、「生産価格表式」として示すとすると、つぎのとおりである。ただし、利潤率は1未満の小数であらわし、それを費用価格1に対して加算したものを、費用価値部分(乖離率との積にもとづいて価格タームで計算)に掛けることで生産価格が計算されるものとする。

I(生産財生産部門) (1 + r) (c1x + v1y) = (c1+ c2 + c3) x
Ⅱ(消費財生産部門) (1 + r) (c2x + v2y) = (v1 + v2+ v3)y
Ⅲ(奢侈財生産部門) (1 + r) (c3x + v3y)=(m1 + m2+ m3) z

 この三つの式を連立方程式ととらえて、その解法を考えるとき、問題が数理的なかたちで明確になる。ボルトケヴィッチの思考のみちゆきを、もうすこしだけ跡づけてみる。

ボルトケヴィッチによる「追加方程式」

 ボルトケヴィッチの見るところでは、マルクスは価格形成を分析するにあたって、問題となる項のそれぞれが、先行する項によって因果的に規定されているとみなす、「継起主義」を取っている。この認定そのものの当否は、ここでは措いておく。これに対してボルトケヴィッチ自身の手つづきは、一般利潤率と生産価格とを「同時決定」しようとするものであって、その背後にはリカード流の生産価格論が存在するばかりでなく、そこではまたワルラス的な一般均衡論との接合という問題関心がはたらいていた。
 さて、見られるとおり、ボルトケヴィッチの生産価格表式において、未知数はx、y、z、それにrの四個であって、それに対する方程式の数は三である。方程式を解いて未知数をもとめるためには、もうひとつの方程式を追加しなければならない。ボルトケヴィッチそのひとは、貨幣材料である金にかんしては価値と価格の乖離が生じないものと想定して、第Ⅲ部門の奢侈財生産をその金生産により代表させることで z=1と置き、方程式を追加して連立方程式を解こうとこころみた。
 その帰結は、とりあえず二重である。第一に、いわゆる総計一致命題のうちで、総剰余価値=総利潤は成立するいっぽうで、総価値=総生産価値は成立しない。なぜなら、第Ⅲ部門(そこではz=1と想定されている)の有機的構成は、社会的平均と一致しないからである。第二に、第四の方程式z=1をくわえて価格表式の連立方程式を解いても、第Ⅲ部門の係数はふくまれないから、利潤率の決定にさいしては、第Ⅲ部門の資本の有機的構成は関与しない、ということである。
 ボルトケヴィッチの問題提起と解法は、スウィージーによって紹介されることでひろく知られるようになった。そののち、ボルトケヴィッチの追加方程式z=1の評価(それを承認するか、べつの方程式によって置換するか等々)をめぐって、論者たちは、いくつかの立場へと分岐してゆくことになるが、ここでは立ちいらない。
 ボルトケヴィッチがあきらかにしたことがらを要約するなら、それは、いわゆる総計一致命題がきわめて限定的な条件のもとでしかなりたたないということである。その前提は、すでに確認しておいたように、第Ⅲ部門すなわち奢侈財生産部門が、そもそも産出の側にはあらわれるにもかかわらず、投入の側にはあらわれないという事情にほかならない。このようなそれじたい余剰的な性格
をともなう特殊な財を前提としないとすれば、結果もまたことなってくるのではないだろうか。


508頁

スラッファ、およびスラッファ以後

 あらたな次元で考察を展開するにいたったのは――ボルトケヴィッチ自身もそうであったように――非マルクス経済学系のエコノミストたちであった。問題の地平をあらためて設定するのに影響力があったのは、まずスラッファの「商品による商品の生産」論である。
 いま、均一の利潤率(一般利潤率)をおなじくr、くわえて同様に均一の賃金率をwとしよう。また労働量をLとし、商品の価格をpとする。そのとき、以下の一連の等式がなりたつものとしてみる。

(Aapa+Bapb+………+ Kapk)(1+ r )+LaW=Apa
(Abpa+Bbpb+………+Kbpk)(1+ r )+Lbw=Bpb 
………………………………………………………
(Akpa+Bkpb+………+Kkpk)(1+ r )+Lkw=Kpk

 たとえば第一行についていえば、左辺のAa, Ba, Ka は、右辺の商品aの産出量Aを生産する産業部門が、まいとし投入する商品a、b、……kの数量を示す。以下、商品kまで同様である。
 このように物量体系と価値(価格)体系とを関連づけるとすると、そこで仮定された標準体系にあっては、投入される商品と産出される商品の物的構成比がひとしい。標準体系においては、それゆえ、費用価格を生産価格化したとしても、投入の側にあらわれる商品と、産出の側にあらわれる商品の双方で、商品の構成比が同等であることになる。したがって価値と生産価格との乖離は存在しない(相殺される)はこびとなり、いわゆる総計一致命題が成立するしだいとなるだろう。
 スラッファの標準体系は、こうして、その全体が生産的であり、純生産物のみを産出する。個々の商品種は別種の商品の生産財であるか、純然たる消費財であって、そのけっか体系総体は「自己補填状態」にある。このような標準体系によって産出される、 一種の合成商品がスラッファのいうところの「標準商品」にほかならない。
 スラッファの標準体系モデルは、いわゆる静学的モデルを提供しているだけではなく、その理論全体がけっきょくフィクショナルな前提にもとづいているようにも見える。スラッファ以後、問題となったのは、この点である。
 これに対して、たとえば置塩信雄は、(ボルトケヴィッチが継起主義的な方法として斥けた)反復的アルゴリズムを――価値に対応する価格ベクトルRから出発し、市場生産価格Pへといたる過程をマルコフ過程をもちいて――定式化することで、総計一致命題(総価値=総生産価格)を導出し、さらにまたモデルそのものの動学化をはかった。その後マルクスとフォン・ノイマンを接合し、いわゆる「マルクス‐フォン・ノイマン体系」を構築することで、森嶋通夫が問題に動学的な解決を与えるにいたったことも、よく知られているところだろう。

_____


資本論
3:5:35:2
《第三五章 貴金属と為替相場〔612〕

第二節 為替相場(末尾)

重金主義(モネタールジステール)は本質的に旧教的であって、信用主義(クレディッ
トジステール)は本質的に新教的である。「スコットランド人は金貨をきらう。」
(The Scotch hate gold.)紙幣としては、諸商品の貨幣定在はただ社会的な定在で
ある。救済するものは信仰である。諸商品の内在的精霊としての貨幣価値を信仰
すること、生産様式とその予定秩序とを信仰すること、自己じしんを増殖する
資本の単なる人格化としての、生産の個々の代理者を信仰すること。だが、新教が
旧教の基礎から解放されていないように、信用主義は重金主義の基礎から解放され
ていない。》河出書房新社世界の大思想

熊野資本論の思考712頁参照

ケインズの脱金本位制案も金の流出を防ぐためのものだ。マルクスは ケインズに先行している。

544頁参照:
経済原論講義1985/12
山口 重克

第三部を分配論ではなく競争論という呼び方にしている。また利子についての記述を第一部に持ってきている。第三部の利潤利子地代という三位一体の構図が崩されている。これはこれで卓見で、現代的要求に基づいたマルクス、宇野の読み替えと言える。

 序論 
第1篇 流通論 
 第1章 商品
 第2章 貨幣
 第3章 資本 (貸付金融資本)☆

第2篇 生産論 
 第1章 労働・生産過程
 第2章 剰余価値の生産☆☆
 第3章  資本・賃労働関係の再生産 (再生産表式)

第3篇 競争論 
 第1章 諸資本の競争 (利潤、地代)
 第2章 競争の補足的機(商人資本)
 第3章 景気循環論  (好況、恐慌、不況)
 



《山口原論の「資本」章は,方法・体系の処理として,いくつかの特色をもっている。いわゆる産業資本的形式を「商品生産資本の形式」とするなど,資本形式の名称を抽象化していること。三形式の順序として,産業資本的形式(山口原論においては「商品売買資本の形式」)を金貸資本的形式(山口原論では「貨幣融通資本の形式」)の前にもってきていること。資本循環論を「流通論」の資本形式論に,資本回転論を「競争論」の利潤論に吸収し,資本循環論の変態論としての側面を資本形式論にとりこみ,循環の三形式論はなくす。PmやAを組み入れた範式は再生産表式論のところで初めて登場。符号Pは生産の表示とする。といった諸点である。》勝村務
「資本の価値と価値喪失過程」

☆☆
2:2:1
分配と連結


Km PmI PmII

 人 間 生 活


Km=最終消費財 Pm=生産手段 

本屋のカガヤ (@kagayam)
熊野純彦『マルクス 資本論の哲学』(岩波新書)の「他方/たほう」出現頁。

他方 11,20,27,38,40,48,52,56,57,64,76,77,85,93,94,102,105,118,131,147,154,170,190,221,240,245,247

たほう 2,25,63,125,169,184,194,212,226,233

必ずしも統一する必要はないが、平仮名《たほう》は読みづらいの…… pic.twitter.com/mb4WqwB0wV

好意的に読めばマルクスの二重性を現象学的に解きほぐそうとしている…


問題は剰余価値率と利潤率の位置づけだ。
熊野も踏襲しているがこの点は宇野弘蔵『経済原論』(岩波文庫版が
入手可能)がわかりやすい。
なお宇野のヘーゲル依拠はそのアイデアをマルクス自身の草稿、レーニンの考察に負っているとしても徹底しているという点で今なお影響力がある。マルクス自身はヘーゲル的トリアーデを捨てカント的になっていると思うが。

*:
「いわゆる労働日をできうる限り延長することが…資本にとっては…基本原理となる。
…マルクスはこれを剰余価値率m/v(vは可変資本、mは剰余価値)をもってあらわし、
労働力の搾取度を示すものとするのである。」(岩波全書版『経済原論』67頁)

**:
「剰余価値率がm/vとして、資本家と労働者との関係をあらわすのに対して、利潤率は
m/(c+v)として、剰余価値の全資本に対する分配率を示し、資本家と資本家との関係を
あらわすものになる。」(岩波全書版『経済原論』137頁) 

               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /\ <分配論>/\
          /  \    /  \
         / 利潤 \  / 地代 \
        **_____\/______\
       /\              /\
      /  \    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      *\ <生産論>/\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\_


宇野弘蔵『経済原論』 目次


序論
第一篇 流通論
 第一章 商品
 第二章 貨幣
 第三章 資本

第二篇 生産論
 第一章 資本の生産過程
  第一節 労働=生産過程
  第二節 価値形成=増殖過程
  第三節 資本家的生産方法の発展 *
 第二章 資本の流通過程 
 第三章 資本の再生産過程
  第一節 単純生産〜〜資本の再生産と労働力の再生産
  第二節 拡張再生産〜〜資本家的蓄積の現実的過程
  第三節 社会総資本の再生産過程〜〜価値法則の絶対的基礎

第三篇 分配論
 第一章 利潤 **
  第一節 一般的利潤率の形成〜〜価値の生産価格への転化
  第二節 市場価格と市場価値(市場生産価格)〜〜需要供給の関係と超過利潤の形成
  第三節 一般的利潤率の低落の傾向〜〜生産力の増進と景気循環
 第二章 地代
 第三章 利子
  第一節 貸付資本と銀行資本
  第二節 商業資本と商業利潤
  第三節 それ自身に利子を生むものとしての資本
  第四節 資本主義社会の階級性

参照:
http://komesen.sblo.jp/article/43615480.html リンク切れ
http://homepage3.nifty.com/tanemura/re2_index/U/uno_kozo.html リンク切れ

階級闘争はマルクス主義にとっては解決の対象であって理想状態じゃない。
ヴェブレンがいう「略奪期」の特徴であって資本家と労働者階級間の緊張関係は
資本制生産様式の帰結だという構造を暴いたのがマルクス。
http://ad9.org/pegasus/historical/whysocialism.html

競争のために独占するわけじゃない。
競争原理そのものが人間の欲望と相まって競争を排除する帰結をもたらす
というパラドクスを本質的に持っているということ。
つまり、競争は必然的に独占への欲望を高めて独占市場に呼び寄せるということ。
ハイエクが完全に見逃した競争原理の本質がそこにある。 



62 Comments:

Blogger yoji said...

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection) | 永山 則夫 |本 | 通販 ...
www.amazon.co.jp/無知の涙...永山-則夫/.../43094027...
無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)
Amazonで永山 則夫の無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)。アマゾンなら ... 資本論」や雑多な哲学書などを読破...
価格:950円 (2016年11月1日現在)
無知の涙/永山則夫のあらすじと読書感想文 - Biglobe
www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/book/281.html
「無知の涙」(永山則夫/増補新版/河出文庫)を読んだ。 ... 無知の涙/永山則夫の あらすじと読書感想文 .... 拘置所で「資本論」を完読するような永山則夫は、“革命の戦士 ”や“体制に立ち向かう闘士”たちの言うことにも、どうしても違和感を ...
永山則夫の「無知の涙」を読んで - ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら
blog.goo.ne.jp/atom.../1ee635e21fd47b13bf6f87072399d895
... れた永山則夫死刑囚が死刑執行されて15年が過ぎた今頃になって、なぜか永山 則夫の著書「無知の涙」を読んだ。 ... 時間に広場へ出ることも拒否して、マルクスの 資本論全8巻を読み通し、カント、ヘーゲルを読み、そして詩作を続ける。
元少年Aの「絶歌」と永山則夫の「無知の涙」 - シロッコ手習鑑
sirocco.hatenablog.com>トップ>本の紹介
無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection) 作者: 永山則夫 出版社/メーカー: 河出 書房新社 発売日: 1990/07/10 ... 資本論」や雑多な哲学書などを読破した結果覚えた 難解な言葉がやたらにノートに出てくるのですが、難しい言葉を使っている ...
永山則夫「無知の涙」 1 2012.05.17 : 断調亭落丁の日記
eikon007.exblog.jp/17976268/
永山則夫「無知の涙」(河出書房増補新版)を読む。 ... 一年間でマルクス「資本論」8巻 を完読し、「1つ悔恨の情念激しく思うのは、たった一年間で世界という物の根源的状態 を知り得たということである(略)人間性のある人に形成する過程 ...
永山則夫 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/永山則夫
永山 則夫(ながやま のりお、1949年6月27日 - 1997年8月1日)は、1968年から1969 年にかけて連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号 .... 獄中で、読み書きも 困難な状態から独学で執筆活動を開始し、1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれ たカナリアたち』を発表...
生い立ち-連続射殺事件-獄中での心境の変化-作家として
「無知の涙」 ー 永山則夫という人: sea---smile
tubuanco.tea-nifty.com/tubuantea/2008/04/post_094a.html
また、彼の悲惨な幼少少年期を知り、これはたしかに私たち資本主義、社会が産んだ 歪みであり犯罪で、永山死刑囚はその ... 父母居ず祖母と暮らしていました。山羊の ミルクで育ちました。私くしも東京の本屋さんで購入しました。無知の涙を。
永山則夫著・無知の涙 マルジナリア/ウェブリブログ
y-kyorochann.at.webry.info/200703/article_7.html
(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)「無知の涙」・永山則夫著(初版昭和46年合同 出版社/角川文庫/河出文庫) ... ただ永山にとって「資本論」は聖書のごとき存在で、日々 その信仰は強固になっていったように思われる。終章の言葉はこれを ...
永山則夫連続射殺事件
yabusaka.moo.jp/nagayamanorio.htm
永山則夫 【北海道~京都の連続射殺魔】 1968年10月11日午前0時50分頃、東京芝の 東京プリンスホテルの敷地を巡回中の綜合警備保障・中村公紀さん(27歳)が ..... 資本 主義が貧乏な奴をつくるから、オレはここにいるんだ!」 ... 永山が獄中で記した「読書 ノート」は、作家・井上光晴が主催する雑誌「辺境」に掲載され、71年3月に「無知の涙」 として出版された。 .... 専修大学出版局 「かれらはなぜ犯罪を犯したか 8人の鑑定ノート と危機理論」 森武夫大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗 宝島社 ...

11:19 午後  
Blogger yoji said...

永山 則夫(ながやま のりお、1949年6月27日 - 1997年8月1日)は、1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)を引き起こした刑死者(元死刑囚)である。北海道網走市生まれ。明治大学付属中野高等学校定時制中退。 B型
1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、獄中で創作活動を続けた小説家でもあった。1983年、小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞。
目次 [非表示]
1 生い立ち
2 連続射殺事件
3 獄中での心境の変化
4 作家として
5 手紙
6 処刑後
7 主な作品
8 永山則夫を扱った作品
9 脚注
10 出典
11 関連項目
生い立ち[ソースを編集]
北海道網走市呼人(よびと)番外地に、8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。3歳のとき、一家で郊外の呼人から市内中心部に引っ越す。父親は腕のよいリンゴの枝の剪定師だったが、稼ぎの大半を博打につぎ込み、家庭は崩壊状態。現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。母親代わりの長女は婚約破棄や堕胎から心を病み地元の精神科病院に4年間入院。
1954年(当時5歳)に、母親が青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。兄弟全ての汽車賃が出せないため、則夫を含む4人を網走に残したままの家出だった(後に書いたノートで母は悔いている)。残された則夫を含む4人兄弟は、漁港で魚を拾ったり、ゴミ箱を漁ったりして極貧の生計を立てていたものの、年少の則夫は始終兄や姉たちから虐待を受けていた。しかし、1955年、近隣住民が福祉事務所に通報したのをきっかけに、4人は板柳の母親の元に引き取られた。その後、母親は行商で生計を立て、兄弟を育てた。しかし、板柳中学時代に、函館と福島に家出した。
1965年3月、板柳から東京に集団就職する。渋谷の高級果物店に就職した彼は、北海道育ちのため「東北弁コンプレックス」もなく、接客を要領よくこなしていた。同店の当時の常連客には女優の岩下志麻もいた。やがて新規店を任される話が持ち上がるほどの信用を勝ち得る。しかし、過去の板柳での集団就職のための衣類の窃盗を店長が知った、と思い込んだ結果、自身が耐えられなくなりわずか半年で退職。香港へ密航を図るも失敗し、栃木県小山市に住んでいた長男に引き取られて、宇都宮市の自動車修理工場で働く。市内の肉屋で窃盗を働き捕まったが、家裁で不処分となった。その後も宇都宮市の牛乳配達店、守口市の米屋、羽田空港の「東京エアターミナルホテル」(寮は川崎市)など職と住所を転々とする。ホテルで働き始めた3か月後、横須賀米軍基地で窃盗を働き、保護観察処分となる。保護司の紹介で川崎市のクリーニング店で働くも1か月で辞める。
守口市の住み込みで働いていた職場では正社員登用の話もあったが、それに必要な戸籍謄本を本人が取り寄せた結果、本籍が「北海道網走市呼人無番地」だったため、当時有名だった映画の「網走番外地」シリーズから連想し、自分は「網走刑務所生まれ」だと誤解し、また、この戸籍謄本を提出したらそう思われるに違いない、と思い込んで提出せずに隠していた。この行動を雇用主が怪しんだ、と思い込み、雇用主の子息が東京の大学に進学したことを「自分の東京時代の身辺調査に向かったに違いない」と思い込み、本人が一方的に逃走するように退職している。
次男が保証人となり、新宿区の牛乳配達店で働きながら勉学し、1967年4月、明治大学付属中野高等学校の夜間部に入学。しかし同年7月に不祥事で除籍処分を受け、牛乳店も辞める。その後、1968年に熱海市で定期便トラックをヒッチハイクして神戸に向かい、二度目の密航を企てるも失敗、船内で手首を切って自殺を図ったが、横浜に戻される。同年2月に三男の紹介で杉並区の牛乳店で働きながら、同年4月、明大付属中野高校に再入学し、クラス委員長に選ばれる。同年5月、退学し故郷の板柳町に帰る。帰郷後、9月に長野県で陸上自衛隊入隊試験を受けるが、不合格。10月8日、アメリカ海軍横須賀基地に侵入し、ピストルと弾丸50発などを窃盗。
初めての検挙は、横須賀の米軍基地内での自販機荒らしで、この時は横浜少年鑑別所に収容され保護観察処分となっている。
身長が160cmほどと小柄で、目が大きく、若かった東京時代は、同性愛の男性に見初められたこともあった。
犯行後、中野のアパートに潜伏し、新宿歌舞伎町の酒場でボーイとして働き始めた。この頃、永山が新宿区の喫茶店ヴィレッジヴァンガードで早番のボーイとして働いていた時、ビートたけしが遅番のボーイとして働いていた。同店の客には、村上春樹や、のちに永山の足跡を追った映画『略称・連続射殺魔』を撮った足立正生らがいた[1]。

11:24 午後  
Blogger yoji said...

連続射殺事件[ソースを編集]
横須賀市の米軍宿舎から盗んだ22口径の回転式6連発拳銃で、1968年10月から1969年4月にかけて、東京、京都、函館、名古屋で警備員やタクシードライバー4人を射殺し、「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。永山は1965年に起こった少年ライフル魔事件の現場近くで働いていたためにこの事件を目撃しており、これに刺激された犯行ではないかという見方もある[要出典]。
1969年4月7日(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された[2]。1979年に東京地方裁判所で死刑判決。1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、1990年に最高裁判所で「同じ条件下で育った他の兄たちは概ね普通の市民生活を送っている[3]」という理由で死刑判決が確定する。
この判決では死刑を宣告する基準(永山基準)が示された。
獄中での心境の変化[ソースを編集]
「永山則夫連続射殺事件」を参照
作家として[ソースを編集]
獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し、1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』を発表した。この印税は4人の被害者遺族へ支払い、そのことが1981年の高等裁判所判決において情状の一つとして考慮され、無期懲役という減刑につながった(のち差し戻し審で死刑判決、最高裁の上告棄却により1990年4月17日に死刑確定)。
1980年かねてから文通していた在米日本人・和美(フィリピンと日本のハーフ)と獄中結婚。
1983年には小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞した。1990年には、秋山駿と加賀乙彦の推薦を受けて日本文藝家協会に入会を申し込むが、協会の理事会にて入会委員長の青山光二、佐伯彰一など理事の一部が、永山が殺人事件の刑事被告人であるため入会させてはならないと反対した結果、入会が認められず、それに抗議した中上健次、筒井康隆、柄谷行人、井口時男が、日本文藝家協会から脱会するという出来事も起こった[出典 2]。なお理事長の三浦朱門とその妻曽野綾子は入会賛成で、江藤淳は反対の立場からテレビで中上健次と討論した。その一方、1996年、ドイツ・ザールラント州作家同盟には正式入会を果たしている。
獄中から手記や短歌を自ら発表する死刑囚は多い。しかし、自らの罪を認める一方で、自己の行動を客観的にふりかえるという手法で創作を行い、文壇において一定の地位を獲得するまでに至った永山は、死刑囚としては珍しいといえる。
また連合赤軍の永田洋子死刑囚ら収監されていた多くの殺人犯に影響を与えた。
手紙[ソースを編集]
永山は獄中からたくさんの手紙を書いている。内容は獄中結婚した妻や支援者とのやり取りから本の読者からの悩み相談まで多岐に渡る。また永山は返信する文面を写していたため遺品の中には受け取った手紙と返信した手紙が対になって保管されている。手紙のやり取りの中で国家に対する心情から贖罪意識に変わる様子がうかがえる。
処刑後[ソースを編集]
1997年8月1日、東京拘置所において永山の死刑が執行された。48歳だった。全国新聞はいずれも当日の夕刊の第一面で報じた。
生前、永山は知人に「刑が執行される時には全力で抵抗する」と述べていた。実際に処刑の際、永山が激しく抵抗したとする数人の証言がある[4]。このため、永山の死体は死刑執行後、速やかに火葬されたと言われている[5]。最期の言葉は「俺を殺したら革命が起きるぞ!!」だったという[6]。
永山の死刑執行については、執行同年6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年(当時14歳11ヶ月)であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発、厳罰化を求める声が高まる中、未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、その反発を和らげようとしたのではないか、とマスコミは取り上げた[7]。
永山の告別式は東京都文京区の林泉寺で行われたが、遺族からは遺骨引き取り、葬儀ともに断られたため、葬儀は東京高等裁判所における差戻審、差戻後上告審で国選弁護人を担当した遠藤誠弁護士が喪主を務めて執り行われる形になった。永山の遺言もあり、遺骨は故郷の海であるオホーツク海に、元妻だった和美の手によって散布された(差戻し決定時に離婚成立)。
死後、弁護人たちにより「永山子ども基金」が創設された[8]。これは著作の印税を国内と世界の貧しい子どもたちに寄付してほしいとの、永山の遺言によるもので、貧しさから犯罪を起こすことのないようにとの願いが込められている。
主な作品[ソースを編集]
手記
『無知の涙』合同出版(1971年)のち角川文庫、河出文庫 
『人民をわすれたカナリアたち』辺境社(1971年)のち角川文庫、河出文庫  
『愛か-無か』合同出版(1973年)
『動揺記1』辺境社(1973年)
『反-寺山修司論』JCA(1977年)
永山則夫の獄中読書日記-死刑確定前後 朝日新聞社 1990
日本 遺稿集 冒険社 1997
文章学ノート 佐木隆三監修 朝日新聞社 1998
死刑確定直前獄中日記 河出書房新社 1998
小説
『木橋(きはし)』立風書房(1984年)のち河出文庫- 第19回新日本文学賞受賞作品
『ソオ連の旅芸人』昭和出版(1986年)
『捨て子ごっこ』河出書房新社(1987年)
『なぜか、海』河出書房新社(1989年)
『異水』河出書房新社(1990年)
『華』1-4、河出書房新社(1997年)
その他
『死刑の涙』(1988年)
永山則夫を扱った作品[ソースを編集]
映画『略称・連続射殺魔』(1969年) - 製作:足立正生、松田政男、佐々木守他。永山が生まれてから事件を起こすまでの足跡を追いながら実際の土地を訪ねて、永山が見たであろう風景の映像を繋ぎ合わせ、それにナレーションだけを被せる手法(「風景論」と呼ばれた)で、永山の人生を追ったドキュメンタリー。
映画『裸の十九歳』(1970年) - 監督:新藤兼人、主演:原田大二郎。
土曜ワイド劇場『死刑囚永山則夫と母』(1998年8月1日) - 岡田義徳が永山則夫役を演じる。
舞台『tatsuya -最愛なる者の側へ-』鐘下辰男-芸術選奨新人賞受賞。以下はハシモトタツヤ(永山則夫)役
1991年8月14~8月22日  千葉哲也
1992年8月26日~9月2日 塩野谷正幸(改訂決定版tatsuya)
1994年7月27日~7月31日 佃典彦
1999年9月2日~9月19日 KONTA(近藤敦)
2006年2月28日~3月5日 津田健次郎
「ETV特集 死刑囚 永山則夫~獄中28年間の対話~」(2009年10月11日)- ディレクター:堀川惠子 制作統括:宮田興 出演:和美(永山の元妻)、新藤兼人ほか
「ETV特集 永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」(2012年10月14日) - ディレクター:堀川惠子 制作統括:増田秀樹 出演:石川義博(鑑定医)ほか
漫画『アンラッキーヤングメン』(大塚英志原作、藤原カムイ作画)では、特定している訳ではないが、Nというキャラクターとして登場する。
脚注[ソースを編集]
^ びーとたけしの新宿を歩く東京紅團、2004年2月28日
^ きっかけはセコム(当時「日本警備保障」)が侵入先に設置していた機械警備システム「SPアラーム」。警報を受けて駆けつけた警備員が永山と渡り合っている
^ 「しかし、長男は永山が逮捕される前に詐欺罪で逮捕され刑務所を出て以降消息不明。次男はその後定職に就く事もなくギャンブルに明け暮れ42歳で亡くなりました。妹は成人してから心を病んでしまいます。一緒に育った姪も行方が分からないままです。」[出典 1]という指摘も有る
^ 一例として大道寺将司『死刑確定中』太田出版、1997年12月、ISBN 4-87233-366-7 の、「九時前ごろだったか。隣の舎棟から絶叫が聞こえました。抗議の声のようだった。すぐにくぐもったものになって聞こえなくなったので……案じていました」がある。
^ 永山子ども基金編『ある遺言のゆくえ 死刑囚永山則夫がのこしたもの』東京シューレ出版、p.25など
^ 『悪い奴ら、最期の言葉』(鉄人社)、『解禁!暴露ナイト』(テレビ東京)など
^ 永山の身元引受人である井戸秋子は、「酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件)の犯人が少年だったと知ったとき、とっさに永山さんがやられるんじゃないかと思った」と述べている。(死刑は判決が出た順に執行されるものではなく、永山よりあとで確定して先に執行された死刑囚も存在する)。
^ 永山子ども基金公式サイト
出典[ソースを編集]
^ ETV特集『「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~』、2012年10月14日放送
^ 創出版 月刊「創」1991年10月号 p.60 「暗く憂欝な出来事-文芸家協会入会拒否騒動の顛末」 加賀乙彦
関連項目[ソースを編集]
永山則夫連続射殺事件
島秋人(元死刑囚の歌人)
坂口弘(死刑囚の歌人)
正田昭(元死刑囚の小説家)
佐木隆三(殺人犯に関する著作が多い作家)

11:24 午後  
Blogger yoji said...



熊野本に関しては動画を見て興味が湧いたのであれば本屋で立ち読みを薦める
大著だが活字が大きいのですぐ読める
自分は買ったが一度しか読んでいない

宇野の経済原論は岩波文庫で買っておくべき本だが熊野本は良書とはいえ買えとは言えない

1:50 午後  
Blogger yoji said...

読み物として推薦出来るが
経済学の本ではない
資本論のテクスト、構成に内在的だが
的場新書の方がサブテキストとしてはいい

1:53 午後  
Blogger yoji said...



《昨晩、読み返しよ(少しばかり)、『資本論』をね!! ぼくはあれを読んだ数少ない人間の1人だ。
ジョレス〔当時代表的な社会主義者〕自身は--(読んでいないように見える)。(…)『資本論』と
いえば、この分厚い本はきわめて注目すべきことが書かれている。ただそれを見つけてやりさ
えすればいい。これはかなりの自負心の産物だ。しばしば厳密さの点で不十分であったり、
無益にやたらと衒学的であったりするけれど、いくつかの分析には驚嘆させられる。ぼくが
言いたいのは、物事をとらえる際のやり方が、ぼくがかなり頻繁に用いるやり方に似ている
ということであり、彼の言葉は、かなりしばしば、ぼくの言葉に翻訳できるということなんだ。
対象の違いは重要ではない。それに結局をいえば、対象は同じなんだから!》
(ヴァレリー、1918年5月11日、ジッド宛書簡、山田広昭訳)

山田『三点確保』より孫引き

蚊居肢: マルクスとラカンの三角形
http://kaie14.blogspot.jp/2016/08/blog-post_88.html

10:26 午前  
Blogger yoji said...


資本論
3:5:35:2
《第三五章 貴金属と為替相場〔612〕

第二節 為替相場(末尾)


重金主義(モネタールジステール)は本質的に旧教的であって、信用主義(クレディッ
トジステール)は本質的に新教的である。「スコットランド人は金貨をきらう。」
(The Scotch hate gold.)紙幣としては、諸商品の貨幣定在はただ社会的な定在で
ある。救済するものは信仰である。諸商品の内在的精霊としての貨幣価値を信仰
すること、生産様式とその予定秩序とを信仰すること、自己じしんを増殖する
資本の単なる人格化としての、生産の個々の代理者を信仰すること。だが、新教が
旧教の基礎から解放されていないように、信用主義は重金主義の基礎から解放され
ていない。》河出書房新社世界の大思想

熊野資本論の思考712頁参照

ケインズの脱金本位制案も金の流出を防ぐためのものだ。マルクスは ケインズに先行している。

4:37 午後  
Blogger yoji said...

第Ⅲ篇 資本の転換
506頁


三部門構成への改変
 再生産表式論を展開するにあたってマルクスは、生産部門のうちで第I部門(生産手段生産部門)と第Ⅱ部門(消費手段生産部門)を区別していた(本書、Ⅱ・3・2参照)。生産手段とは、言いかえるなら生産財であり、消費手段あるいは生活手段は主要には労働者用の消費財のことである。この二部門については、とりあえずそのままとしておく。マルクスもまた、拡大再生産を問題とするにさいし、部門Ⅱにかんしては、通常の「消費手段」と「奢侈消費手段」という、いわば「亜部門」への分割をみとめている(本書、Ⅱ・3・3参照)。
 ボルトケヴィッチは、この亜部門を第Ⅲ部門として独立させる。これがボルトケヴイッチにあっては、問題を分析するさいの方法的枠組みとして重要な意味をもつことになるだろう。再生産表式を素材補填の関係としてとらえる場合、奢修品は産出の側にはあらわれるにもかかわらず、投入の側にはあらわれないことになるからである。
 いま、資本の構成部分を示す記号はマルクス的な標記を採用して、マルクスのいう単純再生産を考えてみる。単純再生産が可能となるためには、第I部門において、その総資本価値が三部門全体の不変資本価値と一致し、第Ⅱ部門にかんして、それが三部門全体の可変資本価値と合致し、第Ⅲ部門をめぐっては、剰余価値の総計とひとしいことが必要である。
 これを「価値表式」として簡略に示せば、つぎのようになる。ただし添え字1〜3は部門I〜Ⅲの別を示す。

I(生産財生産部門)c1 + v1 + m1=c1+c2+c3
Ⅱ(消費財生産部門)c2+v2+m2=v1+v2+v3
Ⅲ(奢侈財生産部門)c3+v3+m3=m1+m2+m3

 そのうえで、 一般利潤率をr、第Iから第Ⅲ部門について、価値と生産価格の乖離率をそれぞれ x、y、z として、「生産価格表式」として示すとすると、つぎのとおりである。ただし、利潤率は1未満の小数であらわし、それを費用価格1に対して加算したものを、費用価値部分(乖離率との積にもとづいて価格タームで計算)に掛けることで生産価格が計算されるものとする。

I(生産財生産部門) (1 + r) (c1x + v1y) = (c1+ c2 + c3) x
Ⅱ(消費財生産部門) (1 + r) (c2x + v2y) = (v1 + v2+ v3)y
Ⅲ(奢侈財生産部門) (1 + r) (c3x + v3y)=(m1 + m2+ m3) z

 この三つの式を連立方程式ととらえて、その解法を考えるとき、問題が数理的なかたちで明確になる。ボルトケヴィッチの思考のみちゆきを、もうすこしだけ跡づけてみる。

ボルトケヴィッチによる「追加方程式」

 ボルトケヴィッチの見るところでは、マルクスは価格形成を分析するにあたって、問題となる項のそれぞれが、先行する項によって因果的に規定されているとみなす、「継起主義」を取っている。この認定そのものの当否は、ここでは措いておく。これに対してボルトケヴィッチ自身の手つづきは、一般利潤率と生産価格とを「同時決定」しようとするものであって、その背後にはリカード流の生産価格論が存在するばかりでなく、そこではまたワルラス的な一般均衡論との接合という問題関心がはたらいていた。
 さて、見られるとおり、ボルトケヴィッチの生産価格表式において、未知数はx、y、z、それにrの四個であって、それに対する方程式の数は三である。方程式を解いて未知数をもとめるためには、もうひとつの方程式を追加しなければならない。ボルトケヴィッチそのひとは、貨幣材料である金にかんしては価値と価格の乖離が生じないものと想定して、第Ⅲ部門の奢侈財生産をその金生産により代表させることで z=1と置き、方程式を追加して連立方程式を解こうとこころみた。
 その帰結は、とりあえず二重である。第一に、いわゆる総計一致命題のうちで、総剰余価値=総利潤は成立するいっぽうで、総価値=総生産価値は成立しない。なぜなら、第Ⅲ部門(そこではz=1と想定されている)の有機的構成は、社会的平均と一致しないからである。第二に、第四の方程式z=1をくわえて価格表式の連立方程式を解いても、第Ⅲ部門の係数はふくまれないから、利潤率の決定にさいしては、第Ⅲ部門の資本の有機的構成は関与しない、ということである。
 ボルトケヴィッチの問題提起と解法は、スウィージーによって紹介されることでひろく知られるようになった。そののち、ボルトケヴィッチの追加方程式z=1の評価(それを承認するか、べつの方程式によって置換するか等々)をめぐって、論者たちは、いくつかの立場へと分岐してゆくことになるが、ここでは立ちいらない。
 ボルトケヴィッチがあきらかにしたことがらを要約するなら、それは、いわゆる総計一致命題がきわめて限定的な条件のもとでしかなりたたないということである。その前提は、すでに確認しておいたように、第Ⅲ部門すなわち奢侈財生産部門が、そもそも産出の側にはあらわれるにもかかわらず、投入の側にはあらわれないという事情にほかならない。このようなそれじたい余剰的な性格
をともなう特殊な財を前提としないとすれば、結果もまたことなってくるのではないだろうか。

11:51 午後  
Blogger yoji said...

マルクス 資本論の哲学 (岩波新書) 新書 – 2018/1/20
熊野 純彦 (著)


著者 熊野 純彦 著
刊行日 2018/01/19
ISBN 9784004316961
Cコード 0210
体裁 新書 ・ 288頁
定価 本体880円+税
在庫 未刊・予約受付中

12:56 午前  
Blogger yoji said...


http://www.serica.co.jp/326.htm

内容一覧

まえがき
凡例

はじめに――同盟綱領・再読――

序論 資本論をどう読むか

第Ⅰ篇 資本の生成
 Ⅰ・1 商品と価値
 Ⅰ・2 価値形態論
  Ⅰ・2・1 価値形態(1)    Ⅰ・2・2 価値形態(2)
  Ⅰ・2・3 交換過程
 Ⅰ・3 貨幣と資本
  Ⅰ・3・1 商品流通
  Ⅰ・3・2 信用取引
  Ⅰ・3・3 資本形態

第Ⅱ篇 資本の運動
 Ⅱ・1 生産の過程
  Ⅱ・1・1 労働過程
  Ⅱ・1・2 増殖過程
   α 価値形成過程の分研
   β 価値増殖過程の分析
   γ 不変資本と可変資本
  Ⅱ・1・3 剰余価値
   α 絶対的剰余価値
   β 相対的剰余価値
    a 諸概念の規定
    b 工場制手工業(マニュファクチュア)
    c 機械と大工場
   γ 資本の蓄積過程
    a 労働の「包摂」
    b 蓄積の諸様相
    c 資本制の原罪
 Ⅱ・2 流通の過程
  Ⅱ・2・1 資本循環
   α 貨幣資本の循環
   β 生産資本の循環
   γ 商品資本の循環
  Ⅱ・2・2 資本回転
   α 流通期間と流通費用
   β 回転期間と回転回数
   γ 固定資本と流動資本
  Ⅱ・2・3 回転周期
 Ⅱ・3 再生産表式
  Ⅱ・3・1 価値の循環
  Ⅱ・3・2 単純再生産
   α 単純再生産の条件・再考
   β 資本の蓄積と拡大再生産
   γ 再生産表式論とはなにか

第Ⅲ篇 資本の転換

 Ⅲ・1 利潤
  Ⅲ・1・1 利潤率への「転化」
   α 費用価格
   β 利潤率
   γ 生産条件
  Ⅲ・1・2 一般利潤率の形成
   α 生産価格
   β 市場価格
   γ 転形問題
  Ⅲ・1・3 一般利潤率の傾向

 Ⅲ・2 地代
  Ⅲ・2・1 地代論の諸前提
  Ⅲ・2・2 「差額地代」論
   α 落流の例
   β 差額地代
   γ 絶対地代
  Ⅲ・2・3 貨幣地代の形成
 Ⅲ・3 利子
  Ⅲ・3・1 商業資本の問題
   α 商業資本
   β 商業利潤(1)
   γ 商業利潤(2)
  Ⅲ・3・2 貸付資本の生成
   α 貨幣取引資本
   β 利子生み資本
   γ 利潤の再分化
  Ⅲ・3・3 信用制度の展開
   α 信用制度の形成
   β 銀行信用の問題
   γ 架空資本の成立

おわりに――宗教批判・再考――

   参考文献
   あとがき
   人名索引


著者紹介
熊野純彦(くまの すみひこ)
1958年、神奈川県生まれ。1981年、東京大学文学部卒業、現在、東京大学文学部教授。専攻は、倫理学、哲学史。
著書に『レヴィナス入門』『ヘーゲル』(以上、筑摩書房)、『レヴィナス』『差異と隔たり』『西洋哲学史 古代から中世へ』『西洋哲学史 近代から現代へ』『和辻哲郎』(以上、岩波書店)、『カント』『メルロ=ポンティ』(以上、NHK出版)。『戦後思想の一断面』(ナカニシヤ出版)、『埴谷雄高』(講談社)、『日本哲学小史』(編者・中央公論新社)など。
訳書として、レヴィナス『全体性と無限』、レーヴィット『共同存在の現象学』、ハイデガー『存在と時間」(以上、岩波書店)、カント『純粋理性批判』、同『実践
理性批判 倫理の形而上学の基礎づけ』(以上、作品社)。

2:29 午前  
Blogger yoji said...


参考:
               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /\資本の転換 /\
          /  \    /  \
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    熊野純彦    資本の\
     貨幣と資本\ 『資本論の思考』 /再生産表式
    /______\        /______\
   /\資本の生成 /\      /\ 資本の運動 /\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 商品と価値\  価値形態論\  生産の過程\  /流通の過程
/______\/______\/______\/______\

ヘーゲル論理学と資本論との対応はもっと細かい。



参考:
               /\
              /  \
             / 利子 \
            /______\
           /\ <分配論>/\
          /  \    /__\
         / 利潤 \  / 地代 \
        /______\/______\
       /\              /\
      /  \    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      /\ <生産論>/\
  /  \    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\

ヘーゲル論理学と資本論との対応はもっと細かい。

2:37 午前  
Blogger yoji said...


資本論の哲学
熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
まえがき~世界革命と世界革命とのあいだで~
第1章 価値形態論~形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本~均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通~時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡~近代科学とその批判
第5章 利子と信用~時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
あとがきにかえて~資本論の研究の流れにことよせて~

12:37 午前  
Blogger yoji said...


追記:
『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判 a
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生 b
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編 c
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判 d
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム e
終 章 コミューン主義のゆくえ
あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』から構成は再編されている。第5章では経哲草稿、ゴータ綱領批判が新たに参照される。

12:47 午前  
Blogger yoji said...


『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』から構成は再編されている。第5章では経哲草稿、ゴータ綱領批判が新たに参照される。

12:49 午前  
Blogger yoji said...


『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』から構成は再編されている。終章では経哲草稿、ゴータ綱領批判が新たに参照される。

12:50 午前  
Blogger yoji said...



『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』で採用された(宇野弘蔵をトレースした)構成が『哲学』では再編されている(本書終章を六とすれば、3×2=6)。
第4章(#4)で経済表(再生産表式の前身)が再度紹介される(166頁)。
終章(#6)では『経哲草稿』「ゴータ綱領批判」*が新たに参照される。
資本論以外に考察を広げるならまずは佐々木隆治『カール・マルクス』(ちくま新書)の方がいいかも知れない。


アリストテレスが#2:52頁で、カントとベルクソンが#2:79頁で参照される。
#6:256頁で廣松渉が言及される。
あとがき参考文献にも柄谷行人(『世界共和国へ』263頁)と廣松渉らの名がある。



「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」254頁(岩波文庫望月訳38頁)

8:32 午前
Blogger yoji said...


『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』で採用された(宇野弘蔵をトレースした)構成が『哲学』では再編されている。3×2=6
第4章で経済表(再生産表式の前身)が再度紹介される(166頁)。
終章では『経哲草稿』「ゴータ綱領批判」*が新たに参照される。
資本論以外に考察を広げるならまずは佐々木隆治『カール・マルクス』(ちくま新書)の方がいいかも知れない。
あとがき参考文献に柄谷行人(『世界共和国へ』263頁)と廣松渉らの名がある。


「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」254頁(岩波文庫望月訳38頁)

8:35 午前
Blogger yoji said...


『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『資本論の思考』で採用された(宇野弘蔵をトレースした)構成が『哲学』では再編されている。
第4章で経済表(再生産表式の前身)が再度紹介される(166頁)。
終章では『経哲草稿』「ゴータ綱領批判」*が新たに参照される。
あとがき参考文献に柄谷行人(『世界共和国へ』263頁)と廣松渉らの名がある。


「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」254頁(岩波文庫望月訳38頁)

8:38 午前
Blogger yoji said...


『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『資本論の思考』で採用された(宇野弘蔵をトレースした)構成が『哲学』では再編されている。
第4章で経済表(再生産表式の前身)が再度紹介される(166頁)。
終章では『経哲草稿』「ゴータ綱領批判」*が新たに参照される。
あとがき参考文献に柄谷行人(『世界共和国へ』263頁)と廣松渉らの名がある。


「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」254頁(岩波文庫望月訳38頁)

アリストテレス、トマス・アクィナス、カント、ベルクソンの名が第2章に出てくるが
深い考察はない
ヒューム、フロイト、ケインズも名前だけ

9:29 午前  
Blogger yoji said...


追記:

『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』から構成は再編されている(終章を六とすれば、3×2=6)。
第4章で経済表(再生産表式の前身)が再度紹介される(166頁)。
終章では『経哲草稿』「ゴータ綱領批判」*が新たに参照される。
資本論以外に考察を広げるなら佐々木隆治『カール・マルクス』ちくま新書の方がいいかも知れないが。


「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」254頁(岩波文庫望月訳38頁)

カントとベルクソンが#2:79頁で参照される。6:256頁に廣松渉への言及。あとがき参考文献にも柄谷行人と廣松渉らの名がある。

9:31 午前  
Blogger yoji said...

                               /架空資本の成立 おわりにー宗教批判ー
                              /__\
                             /信用制度の展開
                       信用制度の形成_\/_銀行信用の問題
                           /\      /\
                          /__\<利子>/__\
                       商業資本の問題\  /貸付資本の生成
                        /__\/__\/__\/__\
                       /\              /\
                      /  \            /  \  
                  一般利潤率の傾向\ <<資本の転換>>/貨幣地代の形成
                    /______\        /______\
                生産条件\      /転形問題   /\      /\
                  /__\<利潤>/__\    /  \<地代>/_絶対地代
             利潤率への「転化」\ 一般利潤率の形成 /地代論の\  「差額地代」論
               費用価格\/利潤率/生産\/市場\/__諸前提_\落流の\/_差額地代
               /\         価格  価格          例    /\
              /  \                            /  \
             /資本形態\                          /    \
            /______\                        /______\
           /\      /\         熊野純彦         /\<再生産  /再生産表式論とはなにか
          / <貨幣と資本>  \    <<<資本論の思考>>>    /  \ 表式>/__\
         /商品流通\  /信用取引\                  価値の循環\   /単純再生産
        /______\/______\                /______\/条件\/_資本の蓄積と拡大再生産
       /\              /\              /\       ・再考    /\ 
      /  \            /  \            /  \            /  \
     /    \<<資本の生成>> /交換過程\          /剰余価値\<<資本の運動>> /回転周期\
    /______\        /______\        /______\        /______\
   /\      /\      /\      /\      /\<生産の  /\      /\<流通の  /\
  / <商品と価値>  \    / <価値形態論>  \    /  \ 過程>/  \商品資本の~_\ 過程>/__\
 /    \  /    \  価値形態1\  価値形態2\  /労働過程\  /増殖過程\  /資本循環\  /資本回転\
/______\/______\/______\/______\/______\/______\貨幣~\/生産~/__\/__\ 

5:41 午後  
Blogger yoji said...

**
あとがきで入門者用参考文献として挙げられていた本
注記以外岩波新書
宇野弘蔵『資本論の経済学』1969
柄谷行人『世界共和国へ』2006
内田義彦『資本論の世界』1966
大塚久雄『社会科学の方法』1966
佐藤金三郎『マルクス遺稿物語』1989
梅本克己『唯物史観と現代』1974
大川正彦『マルクス いま、コミュニズムを生きるとは?』2004NHK出版
廣松渉『新哲学入門』1988
廣松渉へ『資本論の哲学』2010平凡社ライブラリー

6:58 午後  
Blogger yoji said...

その他の人名索引(作業中):
アリストテレス#2:52,#5:212
トマス・アクィナス#5:193,205
アルチュセール#4:187
カント2:54,#5:193,213
スミス#2:54
ハイデガー#3:130
ヒューム#5:2165,216
プラトン#5:190,193
ヘーゲル#3:132
ロック#5:215

8:15 午後  
Blogger yoji said...

その他の人名索引(作業中):
アリストテレス#5:212
トマス・アクィナス#1:48,#5:193,205
アルチュセール#4:187
カント#5:193,213
ハイデガー#3:130
ヒューム#5:216
プラトン#5:190,193
ヘーゲル#2:77,#3:100,132
ロック#5:215

8:22 午後  
Blogger yoji said...


思考2013と哲学2018との比較用目次:

               熊  野  純  彦
      2013                   2018

『マルクス 資本論の思考』せりか書房2013  『資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018
【目次】                  【目次】
                       まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
はじめに――同盟綱領・再読――
序論 資本論をどう読むか
第Ⅰ篇 資本の生成
 Ⅰ・1 商品と価値             
 Ⅱ・2 価値形態論            第1章 価値形態論―形而上学とその批判
 Ⅲ・3 貨幣と資本            第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第Ⅱ篇 資本の運動
 Ⅱ・1 生産の過程 
                     第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
 Ⅱ・2 流通の過程 
 Ⅱ・3 再生産表式 
                     第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第Ⅲ篇 資本の転換 
 Ⅲ・1 利潤                
 Ⅲ・2 地代
 Ⅲ・3 利子               第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
おわりに――宗教批判・再考
                       終 章 コミューン主義のゆくえ
あとがき                 あとがきにかえて
                      ―資本論の研究の流れにことよせて―


『マルクス 資本論の哲学』熊野純彦 岩波新書 2018/1/19
目次
 まえがき―世界革命と世界革命とのあいだで―
第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終 章 コミューン主義のゆくえ
 あとがきにかえて―資本論の研究の流れにことよせて―

『思考』で採用された(宇野弘蔵をトレースした)構成が『哲学』では再編されている(本書終章を六とすれば、3×2=6)。
第4章(#4)で経済表(再生産表式の前身)が再度紹介される(166頁)。
終章(#6)では『経哲草稿』「ゴータ綱領批判」*が新たに参照される。


「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」254頁(岩波文庫望月訳38頁)

資本論以外に考察を広げるならまずは佐々木隆治『カール・マルクス』(ちくま新書)の方が
いいかも知れない。価値形態論、再生産表式、信用の問題にポイントを絞ったのは正しいが。 地代は#5:205,213に挿入されるのみ。

ライプニッツが頁iiiで、アリストテレスが#2:52頁で、カント(#5:193ではトマス・アクィナスと共に)と ベルクソンが#2:79頁で参照される。
アルチュセールが#4:183頁で廣松渉が#6:256頁で言及される。
あとがき参考文献にも柄谷行人(『世界共和国へ』263頁)と廣松渉らの名がある。

通常価値形態論の解説はその集合論的な部分が強調されるが、「ist」を使わず「erscheine=
あらわれる」(=前著では「現象し」)と表現される部分に着目する。ここは前著よりわかりやすく
なっている。現象学的アプローチが成功している。翻訳者らしく重要単語にはドイツ語が併記
される。(ただし資本論本文との対象は本人が訳しているせいかわかりやすくはない。『資本論
の思考』と同じくディーツ版原書頁数の併記なのでディーツ版頁数記載の大月全集版が推薦
されている。ちなみにディーツ版には新旧二種あり世界の大思想版は旧の方だから原書頁数
が合わない。岩波文庫版は原書頁数併記に改訂すべきだ。)

《資本制的な生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品のあつまり」とし
て現象し、個々の商品はその富の原基形態として現象している。私たちの研究は、それゆえ
商品の分析からはじめられるのである。》5頁

ちなみに前著では以下のこの部分の二箇所のerscheineの訳語として両方現象を使っていた。


ただヘーゲル(言及多数)やカントへの言及は空回りしている。
位相が違うのだ。このことはアダム・スミスが二著で体現し、プルードンが貧困の哲学で説明している。
個人的には前著の転形問題関連は全部残しても良かったと思う。

#4:175,178の転形問題関連は重要。

「かれらはそれとは知らずに、それをおこなう」#1:44頁という資本論価値形態論直後(1:1:4)の
代表的な言葉に関してはカントではなくスピノザを参照すべきだが、スピノザは現象学と相性が
悪い。
アンチノミーに関する記述があるのにプルードンが出てこないのは残念。
柄谷行人はマルクスと対立させない形でプルードンを再発見した。そこが画期的だった。

7:26 午前  
Blogger yoji said...

資本論以外に考察を広げるならまずは佐々木隆治『カール・マルクス』(ちくま新書)の方が
いいかも知れない。価値形態論、再生産表式、信用の問題にポイントを絞ったのは正しいが。 地代は#5:205,213に挿入されるのみ。

ライプニッツが頁iiiで、アリストテレスが#2:52頁で、カント(#5:193ではトマス・アクィナスと共に)と ベルクソンが#2:79頁で参照される。
アルチュセールが#4:183頁で廣松渉が#6:256頁で言及される。
あとがき参考文献にも柄谷行人(『世界共和国へ』263頁)と廣松渉らの名がある。

通常価値形態論の解説はその集合論的な部分が強調されるが、「ist」を使わず「erscheine=
あらわれる」(=前著では「現象し」)と表現される部分に着目する。ここは前著よりわかりやすく
なっている。現象学的アプローチが成功している。翻訳者らしく重要単語にはドイツ語が併記
される。(ただし資本論本文との対象は本人が訳しているせいかわかりやすくはない。『資本論
の思考』と同じくディーツ版原書頁数の併記なのでディーツ版頁数記載の大月全集版が推薦
されている。ちなみにディーツ版には新旧二種あり世界の大思想版は旧の方だから原書頁数
が合わない。岩波文庫版は原書頁数併記に改訂すべきだ。)

《資本制的な生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品のあつまり」とし
て現象し、個々の商品はその富の原基形態として現象している。私たちの研究は、それゆえ
商品の分析からはじめられるのである。》5頁

ちなみに前著では以下のこの部分の二箇所のerscheineの訳語として両方現象を使っていた。


ただヘーゲル(言及多数)やカントへの言及は空回りしている。
位相が違うのだ。このことはアダム・スミスが二著で体現し、プルードンが貧困の哲学で説明している。
個人的には前著の転形問題関連は全部残しても良かったと思う。
(#4:175,178の転形問題関連は重要。)

「かれらはそれとは知らずに、それをおこなう」#1:44頁という資本論価値形態論直後(1:1:4)の
代表的な言葉に関してはカントではなくスピノザを参照すべきだが、スピノザは現象学と相性が
悪い。
アンチノミーに関する記述があるのにプルードンが出てこないのは残念。
柄谷行人はマルクスと対立させない形でプルードンを再発見した。そこが画期的だった。

7:29 午前  
Blogger yoji said...

マルクスは"資本家は悪いやつだから、懲らしめろ"的な発想も持ち合わせていません。

《起こるかもしれない誤解を避けるために一言しておこう。私は決して、
資本家や土地所有者の姿態をバラ色には描いていない。そしてここで諸
人格が問題になるのは、ただ彼らが経済的諸カテゴリーの人格化であり、
特定の階級諸関係や階級利害の担い手である限りにおいてである。経済的
社会構成体の発展を一つの自然史的過程ととらえる私の立場は、他のどの
立場にもまして、個々人に社会的諸関係の責任を負わせることはできない。
個人は主観的には諸関係をどんなに超越しようとも、社会的には依然とし
て諸関係の被造物なのである。》(『資本論』第1版「序文」)

6:07 午後  
Blogger yoji said...


☆☆☆
岩井克人『資本主義を語る』
http://tetsusala.seesaa.net/article/400611103.html
(「貨幣の起源」に関して、柄谷行人氏との対談『貨幣・言語・数』の中で、岩井氏は次のようなことを語っています。)文庫版197-9頁
《柄谷 …震撼させられたという思いがしたのは、マルクスではなくて、鈴木鴻一郎の『経済学原理論』だった。…ぼくのマルクスの読み方は、宇野弘蔵よりも鈴木鴻一郎を経由しているもので、はじめから「信用」の問題なんです。
岩井 ぼくは、鈴木鴻一郎の講義を一度聞いて、マルクス経済学をやめたんですよ(笑)。
柄谷 ぼくは、講義なんか一度も出ていないもの(笑)。…
岩井 …ぼくがやったというのは、結局、鈴木鴻一郎のいう信用過程が終わって後ろからすべてを見直して、信用過程を最初の流通過程にくり込んだということな のかもしれません。マルクスの場合、「労働価値説」という不可能性のコアをもっていて、「真理」への到達がつねに遅れてしまうから、どうしても俗な意味で の「弁証法的」な展開をしてしまうわけです。ぼくの場合は、その「労働価値説」という不可能性のコアがないから、無限の時間を、無限そのものを今ここで実 体化している「貨幣」の問題の一つの派生的な問題として処理することができたわけです。…》

5:04 午後  
Blogger yoji said...

金融資本論 上
版情報   改版
叢書名   岩波文庫  ≪再検索≫
著者名等  ヒルファディング/著  ≪再検索≫
著者名等  岡崎次郎/訳  ≪再検索≫
出版者   岩波書店
出版年   1982.10
大きさ等  15cm 400p
注記    Das Finanzkapital./の翻訳
NDC分類 331.6
件名    経済学-社会主義学派  ≪再検索≫
件名    資本主義  ≪再検索≫
書誌番号  3-0190096541

185

5:21 午後  
Blogger yoji said...

702頁

金融資本論 上
版情報   改版
叢書名   岩波文庫  ≪再検索≫
著者名等  ヒルファディング/著  ≪再検索≫
著者名等  岡崎次郎/訳  ≪再検索≫
出版者   岩波書店
出版年   1982.10
大きさ等  15cm 400p
注記    Das Finanzkapital./の翻訳
NDC分類 331.6
件名    経済学-社会主義学派  ≪再検索≫
件名    資本主義  ≪再検索≫
書誌番号  3-0190096541

185頁

5:24 午後  
Blogger yoji said...



大谷論稿
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/1135/1/68-1otani.pdf
59頁


この収奪は,資本主義的システムそのものの 内部では,対立的に,少数者による
社会的所有の横奪として現われるのであり,また信用は,これらの少数者にます
ます純粋な山師の性格を与えるのである。所有はここでは株式の形で存在するの
だから,その運動そのもの,つまりその移転は取引所投機のまったくの結果とな
るのであって,そこでは小魚は鮫に呑みこまれ,羊は狼男に呑みこまれてしまう。
(資本論ディーツ版3s.456)


資本論の思考700頁参照

6:09 午後  
Blogger yoji said...



それはさらに,現象においても,このような矛盾として現われる。それはある種の諸部面では独占を成立させ,したがってまた国家の干渉を 誘い出す。それは,新しい金融貴族を再生産し,企業企画屋や重役 (たんなる名目だけのマネジャー)やの姿を取った新しい寄生虫一味を再生産し,株式取引や株式発行等々についての思惑と詐欺との全制度を再生産する。私的所有によるコントロールのない私的生産。(IIIs.454)

698参照

6:12 午後  
Blogger yoji said...


熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとするが、概念の
軽視につながる恐れもある。大くの場合成功しているが。

>>949に関連して、以下、熊野純彦『マルクス 資本論の思考』698~701頁、架空資本の項より:

《 たんなる将来の収益請求権を示すにすぎない紙片が「二倍になるように見え、また
場合によっては三倍になるように見える」(s.488)。株式という擬制資本が、かくて
架空資本へと肥大化し、価値蓄積過程そのものがおなじ病理に感染する。いまや信用
制度の中核を担っている銀行資本のかなりの部分は、しかもこうした各種証券、いわ
ゆる「利子付証券」からなっている。銀行資本はかくしてこの意味でも、その相当部分
が「純粋に架空的なもの」にほかならない(s.487)。銀行に集積された貨幣資本の
大きな部分が、たんなる価値請求権という「価値記号」となっているからである
(s.524.f)。かくしてまた、「この信用制度のもとでは、すべてが二倍にも三倍にも
なって、ただの幻想(bloβes Hirngespinst)に転化する」のだ(s.490)。》

《…帰結するところは、およそ「最大規模での収奪」である。
株式制度そのものが示すものは、一箇の「社会的所有」でしかありえない。ところが、
とマルクスは書いている。

 この収奪は、ところが資本制的システムそのものの内部では、反対のすがたをとり、
少数者による社会的所有の取得としてあらわれる。さらに信用は、これらの少数者に
対してますます純粋な山師の性格を与えるのだ。所有はここでは株式のかたちで存在
するのだから、その運動や移転は、よりいっそうひとり取引所投機の結果となるので
あって、そこでは小魚は鮫に飲みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまう。(s.456)》

9:37 午後  
Blogger yoji said...


熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとするが、概念の
軽視につながる恐れもある。大くの場合成功しているが。

>>949に関連して、以下、熊野純彦『マルクス 資本論の思考』架空資本の項699~701頁より:

《 たんなる将来の収益請求権を示すにすぎない紙片が「二倍になるように見え、また
場合によっては三倍になるように見える」(s.488)。株式という擬制資本が、かくて
架空資本へと肥大化し、価値蓄積過程そのものがおなじ病理に感染する。いまや信用
制度の中核を担っている銀行資本のかなりの部分は、しかもこうした各種証券、いわ
ゆる「利子付証券」からなっている。銀行資本はかくしてこの意味でも、その相当部分
が「純粋に架空的なもの」にほかならない(s.487)。銀行に集積された貨幣資本の
大きな部分が、たんなる価値請求権という「価値記号」となっているからである
(s.524.f)。かくしてまた、「この信用制度のもとでは、すべてが二倍にも三倍にも
なって、ただの幻想(bloβes Hirngespinst)に転化する」のだ(s.490)。》

《…帰結するところは、およそ「最大規模での収奪」である。
株式制度そのものが示すものは、一箇の「社会的所有」でしかありえない。ところが、
とマルクスは書いている。

 この収奪は、ところが資本制的システムそのものの内部では、反対のすがたをとり、
少数者による社会的所有の取得としてあらわれる。さらに信用は、これらの少数者に
対してますます純粋な山師の性格を与えるのだ。所有はここでは株式のかたちで存在
するのだから、その運動や移転は、よりいっそうひとり取引所投機の結果となるので
あって、そこでは小魚は鮫に飲みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまう。(s.456)》

9:38 午後  
Blogger yoji said...


熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとするが、概念の
軽視につながる恐れもある。大くの場合成功しているが。

>>949に関連して、以下、熊野純彦『マルクス 資本論の思考』架空資本の項699~701頁より:

《 たんなる将来の収益請求権を示すにすぎない紙片が「二倍になるように見え、また
場合によっては三倍になるように見える」(s.488)。株式という擬制資本が、かくて
架空資本へと肥大化し、価値蓄積過程そのものがおなじ病理に感染する。いまや信用
制度の中核を担っている銀行資本のかなりの部分は、しかもこうした各種証券、いわ
ゆる「利子付証券」からなっている。銀行資本はかくしてこの意味でも、その相当部分
が「純粋に架空的なもの」にほかならない(s.487)。銀行に集積された貨幣資本の
大きな部分が、たんなる価値請求権という「価値記号」となっているからである
(s.524.f)。かくしてまた、「この信用制度のもとでは、すべてが二倍にも三倍にも
なって、ただの幻想(bloβes Hirngespinst)に転化する」のだ(s.490)。》

《…帰結するところは、およそ「最大規模での収奪」である。
株式制度そのものが示すものは、一箇の「社会的所有」でしかありえない。ところが、
とマルクスは書いている。

 この収奪は、ところが資本制的システムそのものの内部では、反対のすがたをとり、
少数者による社会的所有の取得としてあらわれる。さらに信用は、これらの少数者に
対してますます純粋な山師の性格を与えるのだ。所有はここでは株式のかたちで存在
するのだから、その運動や移転は、よりいっそうひとり取引所投機の結果となるので
あって、そこでは小魚は鮫に飲みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまう。(s.456)》
(『資本論の哲学』では238頁)

9:40 午後  
Blogger yoji said...


熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとするが、概念の
軽視につながる恐れもある。大くの場合成功しているが。

>>949に関連して、以下、熊野純彦『マルクス 資本論の思考』架空資本の項699~701頁より:
(『資本論の哲学』では238頁)

《 たんなる将来の収益請求権を示すにすぎない紙片が「二倍になるように見え、また
場合によっては三倍になるように見える」(s.488)。株式という擬制資本が、かくて
架空資本へと肥大化し、価値蓄積過程そのものがおなじ病理に感染する。いまや信用
制度の中核を担っている銀行資本のかなりの部分は、しかもこうした各種証券、いわ
ゆる「利子付証券」からなっている。銀行資本はかくしてこの意味でも、その相当部分
が「純粋に架空的なもの」にほかならない(s.487)。銀行に集積された貨幣資本の
大きな部分が、たんなる価値請求権という「価値記号」となっているからである
(s.524.f)。かくしてまた、「この信用制度のもとでは、すべてが二倍にも三倍にも
なって、ただの幻想(bloβes Hirngespinst)に転化する」のだ(s.490)。》

《…帰結するところは、およそ「最大規模での収奪」である。
株式制度そのものが示すものは、一箇の「社会的所有」でしかありえない。ところが、
とマルクスは書いている。

 この収奪は、ところが資本制的システムそのものの内部では、反対のすがたをとり、
少数者による社会的所有の取得としてあらわれる。さらに信用は、これらの少数者に
対してますます純粋な山師の性格を与えるのだ。所有はここでは株式のかたちで存在
するのだから、その運動や移転は、よりいっそうひとり取引所投機の結果となるので
あって、そこでは小魚は鮫に飲みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまう。(s.456)》

9:41 午後  
Blogger yoji said...



>>949に関連して、以下、熊野純彦『マルクス 資本論の思考』架空資本の項699~701頁
(『資本論の哲学』>>935 では238頁)より:

《 たんなる将来の収益請求権を示すにすぎない紙片が「二倍になるように見え、また
場合によっては三倍になるように見える」(s.488)。株式という擬制資本が、かくて
架空資本へと肥大化し、価値蓄積過程そのものがおなじ病理に感染する。いまや信用
制度の中核を担っている銀行資本のかなりの部分は、しかもこうした各種証券、いわ
ゆる「利子付証券」からなっている。銀行資本はかくしてこの意味でも、その相当部分
が「純粋に架空的なもの」にほかならない(s.487)。銀行に集積された貨幣資本の
大きな部分が、たんなる価値請求権という「価値記号」となっているからである
(s.524.f)。かくしてまた、「この信用制度のもとでは、すべてが二倍にも三倍にも
なって、ただの幻想(bloβes Hirngespinst)に転化する」のだ(s.490)。》

《…帰結するところは、およそ「最大規模での収奪」である。
株式制度そのものが示すものは、一箇の「社会的所有」でしかありえない。ところが、
とマルクスは書いている。

 この収奪は、ところが資本制的システムそのものの内部では、反対のすがたをとり、
少数者による社会的所有の取得としてあらわれる。さらに信用は、これらの少数者に
対してますます純粋な山師の性格を与えるのだ。所有はここでは株式のかたちで存在
するのだから、その運動や移転は、よりいっそうひとり取引所投機の結果となるので
あって、そこでは小魚は鮫に飲みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまう。(s.456)》

熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとしている(696~7頁)。

9:55 午後  
Blogger yoji said...




>>949に関連して、以下、熊野純彦『マルクス 資本論の思考』架空資本の項699~701頁より:

《 たんなる将来の収益請求権を示すにすぎない紙片が「二倍になるように見え、また
場合によっては三倍になるように見える」(s.488)。株式という擬制資本が、かくて
架空資本へと肥大化し、価値蓄積過程そのものがおなじ病理に感染する。いまや信用
制度の中核を担っている銀行資本のかなりの部分は、しかもこうした各種証券、いわ
ゆる「利子付証券」からなっている。銀行資本はかくしてこの意味でも、その相当部分
が「純粋に架空的なもの」にほかならない(s.487)。銀行に集積された貨幣資本の
大きな部分が、たんなる価値請求権という「価値記号」となっているからである
(s.524.f)。かくしてまた、「この信用制度のもとでは、すべてが二倍にも三倍にも
なって、ただの幻想(bloβes Hirngespinst)に転化する」のだ(s.490)。》

《…帰結するところは、およそ「最大規模での収奪」である。
株式制度そのものが示すものは、一箇の「社会的所有」でしかありえない。ところが、
とマルクスは書いている。

 この収奪は、ところが資本制的システムそのものの内部では、反対のすがたをとり、
少数者による社会的所有の取得としてあらわれる。さらに信用は、これらの少数者に
対してますます純粋な山師の性格を与えるのだ。所有はここでは株式のかたちで存在
するのだから、その運動や移転は、よりいっそうひとり取引所投機の結果となるので
あって、そこでは小魚は鮫に飲みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまう。(s.456)》

『資本論の哲学』>>935 では238頁。
熊野はマルクスの二重性、資本の二重性を現象学的に解きほぐそうとしている(696~7頁)。

9:56 午後  
Blogger yoji said...

142^719頁

価値論批判
著者名等  小幡道昭/著  ≪再検索≫
著者等紹介 東京大学経済学部教授。著書「価値論の展開」「貨幣・信用論の新展開」「経済原論」「
マルクス経済学方法論批判」。
出版者   弘文堂
出版年   2013.3
大きさ等  22cm 254p
NDC分類 331.6
件名    経済学‐社会主義  ≪再検索≫
件名    価値(経済学)  ≪再検索≫
要旨    グローバリズムのなかで変容する市場。資本主義に大きな地殻変動が起きている。この現
代の経済現象に理論的なパースペクティブをあたえるために、『資本論』を批判的に読み
なおす。
目次    第1部 価値の内在性(種の属性としての価値;貨幣の多態性;資本の価値増殖);第2
部 市場の変容(市場の無規律性と貨幣の拡散;商品流通の構造と資本の一般的定式;資
本の一般的定式と産業資本)
内容    グローバリズムの中で変容する市場。資本主義に大きな地殻変動が起きている。本書では
、この現代の経済現象に理論的なパースペクティブをあたえるために、「資本論」を批判
的に読みなおす。
内容    文献あり 索引あり
ISBN等 4-335-45050-8
ISBN等 978-4-335-45050-1

7:49 午後  
Blogger yoji said...

ものすごく細かい話だが、熊野純彦は『資本論の思考』最終部702頁でヒルファー
ディングの『金融資本論』所収の図を引用している。自分の考えだと正確に引用し
ているのは熊野だけ

各種言語版のサイト、旧版岩波文庫版(上220頁)、すべて不正確なのに、だ。
https://www.marxists.org/archive/hilferding/1910/finkap/ch07.htm#_ednref8 en
https://www.marxists.org/deutsch/archiv/hilferding/1910/finkap/kap2-07.html#f8 de
http://www.geocities.jp/mlismtxt001/kokuminbunko420a/420a-205.html jp

熊野版:

        Pm
   G1-W<  ……P……W'-G1'
 A<     A
   g1
 |
 G2
 |
 A

…垂直方向の流通(A-G2-A)は、証券市場で生起し、しかも反復的に生起する。…》702頁

「ひとたび創造されれば、株式は、それが代表する産業資本の現実の循環とはもはや
なんら関係がない。」岩波文庫旧版上220頁

熊野以外は、Aの位置やG1'の表記法を間違えている、と思う。
ちなみに岩波文庫では右端はG'1

12:14 午前  
Blogger yoji said...

第一章 商  品
 第一節 商品の二要素 使用価値と価値
     (価値実体、価値の大いさ)
 資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。
  (一) カール・マルクス『経済学批判』ベルリン、一八五九年、三ページ〔ディーツ版『全集』第一三巻、一五ページ。岩波文庫版、二一ページ。新潮社版『選集』第七巻、五七ページ〕。


1:1:4
彼らはこのことを知らない。しかし、彼らはこれをなすのである。


2017年電子化

11:50 午後  
Blogger yoji said...

榎原均 著
1977.9.24 資本論の復権 序文

序章 宇野経済学の根本的誤謬
     第1節 価値論と労働力の商品化の「矛盾」論批判
     第2節 『資本論』の蓄積論の復権と宇野蓄積論批判
第1章 宇野『価値論』序論の検討
     第1節 序論?に見られる宇野の『資本論』解釈の難点
     第2節 序論??の批判
第2章 宇野学派のいわゆる『マルクスにおける古典経済学の残滓』論批判
     第1節 リカード価値論とマルクスの学説についての諸説(1)
          −1844年『経済学ノート』を巡って−
     第2節 リカード価値論とマルクスの学説についての諸説(2)
          −大内秀明の説−
第3章 宇野の価値の実体に対する見解の批判
     第1節『価値論』第1章の問題点
     第2節『資本論』のいわゆる「蒸留法」の成立過程とその意義
第4章 マルクスの資本関係に関する学説の復権
     第1節 対象化された労働と生きた労働との区別による剰余価値の秘密の暴露
     第2節 「批判的把握の全秘密」としての商品で表示される労働の二重性」の発見と、  
       資本家と賃労働者との関係の経済的性格の解明
第5章 宇野の価値形態及び『価値の本質』に対する見解の批判
     第1節 価値形態と交換過程を巡る宇野・久留間論争
     第2節『価値論』第2章・3章の問題点
     第3節『経済学批判』から『資本論』への価値形態の叙述の発展について
終章『マルクス経済学』としての宇野理論への悼辞
     第1節 商品の物神的性格とその秘密
     第2節 宇野の『資本論』批判の本質          

8:02 午前  
Blogger yoji said...

‪熊野純彦は宇野経済原論をトレースしているが労働価値説は重視している。意識的に労働日に言及している。
そこに二重の立場がある。柄谷を評価するのは宇野柄谷のラインに連なるというよりも同じような柄谷の
二重性を評価している。‬‪マルクスの評価もマルクスの二重性を見ないと意味がない。‬

8:17 午前  
Blogger yoji said...


‪熊野純彦は宇野経済原論をトレースしているが労働価値説は重視している。意識的に労働日に言及している。
そこに二重の立場がある。熊野が柄谷を評価するのは宇野柄谷のラインに連なるというよりも同じような柄谷の
二重性を評価している。‬‪マルクスの評価もマルクスの二重性を見ないと意味がない。‬

8:18 午前  
Blogger yoji said...


‪熊野純彦は宇野経済原論をトレースしているが流通だけ重視というわけでなく労働価値説も重視している。
意識的に労働日に言及している。そこに二重の立場がある。熊野が柄谷を評価するのは宇野柄谷のラインに
連なるというよりも同じような柄谷の二重性を評価している。‬‪マルクスの評価もマルクスの二重性を見ないと
意味がない。‬

8:19 午前  
Blogger yoji said...

労働日は絶対的剰余価値に含まれ
詳細目次にも出てこない

7:10 午前  
Blogger yoji said...

《需要と供給とが一致すれば、その他の事情が不変であれば、価格の動揺は止む。
しかしそのときは、需要供給もまた、何ごとかを説明することをやめる。》
『資本論』第1部17章 労働力の価値または価格の労働賃金への転化

6:43 午前  
Blogger yoji said...

宇野弘蔵経済原論と
柄谷世界史の構造が
岩波文庫版資本論に依拠しているので
岩波文庫が必須

ただし岩波文庫版は原著ページ数を併記していないので
大月文庫、大月全集版の方が個人的には使いやすい

新日本版は訳が正確なのだろうが読みにくいと個人的に思う

6:30 午後  
Blogger yoji said...

世界の大思想版は電子書籍が便利
全四巻
ただし新ではなく旧ディーツ版ページ数を併記

6:32 午後  
Blogger yoji said...

利潤率や剰余価値率のような基本的な概念を資本論は提示する
近代経済学は精密だがこうした肝心の概念を軽視し過ぎる

6:37 午後  
Blogger yoji said...

資本論は
宇野弘蔵『経済原論』と
柄谷『世界史の構造』が
岩波文庫版資本論に依拠しているので
岩波文庫が必須

ただし岩波文庫版は原著ページ数を併記していないので
大月文庫、大月全集版の方が個人的には使いやすい
新日本版は訳が正確なのだろうが読みにくいと個人的に思う

世界の大思想版全四巻は電子書籍が便利
ただし新ではなく旧ディーツ版ページ数を併記
利潤率や剰余価値率のような基本的な概念を資本論は提示する
近代経済学は精密だがこうした肝心な基本的な概念を軽視し過ぎる

6:42 午後  
Blogger yoji said...

マルクス主義基本文献案内
http://wpll-j.org/mcgtext/kihon/kihon.htm

 マルクス主義を研究し、それを革命的闘争の指針にしていこうと考えている限りのすべて人は、『資本論』を最も真剣な態度で研究していく必要があろう。『資本論』の最良の入門書として広く知られている『賃金、価格および利潤』と『賃労勧と資本』を、繰り返し読みながら、あせらず、根気よく、じっくりと『資本論』を読んでいくように勧めたい(その際、マルクスがクーゲルマンへの手紙で書いた有名な助言――最初に読んでわかるところは、「労働日」に関する諸章、「協業分業および機械」に関する諸章、つぎに「原始的蓄積」の諸章、67年11月30日付、――などは参考になるだろう。国民文庫版『クーゲルマンへの手紙』、『資本論に関する往復書簡』、マル・エン全集31巻等々に掲載)。
 また『資本論』の第一巻については、エンゲルスの『資本論第一巻綱要』(エンゲルスの『資本論第一巻について』という、七節からなる一連の論説とともに読むように勧めたい)、全三巻についてはレーニンの『カール・マルクス』が、最もすぐれた略述を与えている。後者は、『資本論』の最も核心的な諸命題と論理的な展開(最も単純な抽象的なものから具体的なものへの)を略述している。

9:57 午後  
Blogger yoji said...


クーゲルマンへの手紙 (1954年) (国民文庫) (文庫)
マルクス (著), 中内 通明 (翻訳)

9:58 午後  
Blogger yoji said...

マルクス=エンゲルス資本論書簡 単行本 – 1999/12/1
マルクス (著),‎ エンゲルス (著),‎ 岡崎 次郎 (翻訳)

10:00 午後  
Blogger yoji said...

資本論に関する手紙 (1967年) - – 古書, 1967
岡崎 次郎 (著),‎ マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン研究所 (著)

10:02 午後  
Blogger yoji said...

               /\
              /  \
             / 利子 \
            /_C____\
           /\ <分配論>/\
          /  \    / D\
         / 利潤 \  / 地代 \
        B______\/______\
       /\              /A''
      / E\    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      A\ <生産論>/A'
  / G\    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/___F__\/_生産過程_\/_流通過程_\_

宇野原論とヘーゲル論理学との本来の対応はもっと細かい(旧原論目次:http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2835.html#ref)。
宇野は戦後、スピノザからヘーゲルに後退した(ウェーバー以上にヘーゲルは批判されるべきだった)。
ヘーゲル論理学と資本論との対応の話は『資本論五十年』上472頁に出て来る。構想としては古いことがわかる(スピノザを読んだのとほぼ同時期)。
マルクス『資本論』を再構成しつつも原理論はヘーゲル、段階論はスピノザに依拠している、ということか?

宇野弘蔵『経済原論』 目次 岩波文庫頁数


序論 9
第一篇 流通論 27
 第一章 商品 29
 第二章 貨幣 38
 第三章 資本 47

第二篇 生産論 57
 第一章 資本の生産過程 59
  第一節 労働=生産過程 59
  第二節 価値形成=増殖過程 63
  第三節 資本家的生産方法の発展 75 A
 第二章 資本の流通過程 93 A'
 第三章 資本の再生産過程 110
  第一節 単純生産 110
  第二節 拡張再生産 115
  第三節 社会総資本の再生産過程 128 A''

第三篇 分配論 151
 第一章 利潤 155 B
  第一節 一般的利潤率の形成 155
  第二節 市場価格と市場価値(市場生産価格) 171
  第三節 一般的利潤率の低落の傾向 180
 第二章 地代 193 D
 第三章 利子 214
  第一節 貸付資本と銀行資本 215 C
  第二節 商業資本と商業利潤 224
  第三節 それ自身に利子を生むものとしての資本 235
  第四節 資本主義社会の階級性 240
参照:
http://komesen.sblo.jp/article/43615480.html

8:29 午後  
Blogger yoji said...

               /\
              /  \
             / 利子 \
            /_C____\
           /\ <分配論>/\
          /  \    / D\
         / 利潤 \  / 地代 \
        B______\/______\
       /\              /A''
      / E\    宇野弘蔵    資本の\
     / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
    /______\        /______\
   /\<流通論> /\      A\ <生産論>/A'
  / G\    /  \    /  \    /  \
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
/______\/___F__\/_生産過程_\/_流通過程_\_

宇野原論とヘーゲル論理学との本来の対応はもっと細かい(旧原論目次:http://nam-students.blogspot.jp/2013/12/blog-post_2835.html#ref)。
宇野は戦後、スピノザからヘーゲルに後退した(ウェーバー以上にヘーゲルは批判されるべきだった)。
ヘーゲル論理学と資本論との対応の話は『資本論五十年』上472頁に出て来る。構想としては古いことがわかる(スピノザを読んだのとほぼ同時期)。
マルクス『資本論』を再構成しつつも原理論はヘーゲル、段階論はスピノザに依拠している、ということか?

宇野弘蔵『経済原論』 目次 岩波文庫頁数


序論 9
第一篇 流通論 27
 第一章 商品 29
 第二章 貨幣 38
 第三章 資本 47

第二篇 生産論 57
 第一章 資本の生産過程 59
  第一節 労働=生産過程 59
  第二節 価値形成=増殖過程 63
  第三節 資本家的生産方法の発展 75 A
 第二章 資本の流通過程 93 A'
 第三章 資本の再生産過程 110
  第一節 単純生産 110
  第二節 拡張再生産 115
  第三節 社会総資本の再生産過程 128 A''

第三篇 分配論 151
 第一章 利潤 155 B
  第一節 一般的利潤率の形成 155
  第二節 市場価格と市場価値(市場生産価格) 171
  第三節 一般的利潤率の低落の傾向 180
 第二章 地代 193 D
 第三章 利子 214
  第一節 貸付資本と銀行資本 215 C
  第二節 商業資本と商業利潤 224
  第三節 それ自身に利子を生むものとしての資本 235
  第四節 資本主義社会の階級性 240
解説(伊藤誠) 247
索引
参照:
http://komesen.sblo.jp/article/43615480.html

8:37 午後  
Blogger yoji said...

本来の第1巻
          
       /\             
      / E\    宇野弘蔵    
     / 資本 \  『経済原論』  
    /______\        
   /\<流通論> /\      A\ <生産論>
  / G\    /  \    /  \    
 / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  
/______\/___F__\/_生産過程_\

8:38 午後  
Blogger yoji said...

負債論 貨幣と暴力の5000年
著者名等  デヴィッド・グレーバー/著  ≪再検索≫
著者名等  酒井隆史/監訳  ≪再検索≫
著者名等  高祖岩三郎/訳  ≪再検索≫
著者名等  佐々木夏子/訳  ≪再検索≫
著者等紹介 【デヴィッド・グレーバー】1961年,ニューヨークに生まれる.文化人類学者・アク
ティヴィスト.ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス人類学教授.訳書に『アナー
キスト人類学のための断章』(以文社,2006年)など多数.(本データはこの書籍が
刊行された当時に掲載されていたものです)
著者等紹介 【酒井隆史】大阪府立大学教員,専攻は社会思想史,都市形成史.主要著作に,『自由論
』(青土社,2001年)など.訳書には,スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもと
への滞留』ちくま学芸文庫(共訳)など.(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載
されていたものです)
出版者   以文社
出版年   2016.11
大きさ等  22cm 770,66p
注記    原タイトル:DEBT
NDC分類 336.94
件名    負債-歴史  ≪再検索≫
件名    貨幣-歴史  ≪再検索≫
件名    金融恐慌-歴史  ≪再検索≫
要旨    『資本論』から『負債論』へ。現代人の首をしめあげる負債(=ローン)の秘密を、古今
東西にわたる人文知の総結集をとおして貨幣と暴力の5000年史という壮大な展望のも
とに解き明かす。資本主義と文明総体の危機に警鐘を鳴らしつつ、21世紀の幕開けを示
す革命的な書物。刊行とともに重厚な人文書としては異例の旋風を巻き起こした世界的ベ
ストセラーがついに登場。
目次    モラルの混乱の経験をめぐって;物々交換の神話;原初的負債;残酷さと贖い;経済的諸
関係のモラル的基盤についての小論;性と死のゲーム;名誉と不名誉―あるいは、現代文
明の基盤について;「信用」対「地金」―そして歴史のサイクル;枢軸時代(前八〇〇‐
後六〇〇年);中世(六〇〇‐一四五〇年)〔ほか〕
内容    現代人の首をしめあげる負債の秘密を、貨幣と暴力の5000年史の壮大な展望のもとに
解き明かす。資本主義と文明総体の危機を測定し、いまだ書かれざる未来の諸可能性に賭
ける、21世紀の幕開けを告知する革命的書物。
内容    『負債論』は21世紀の『資本論』か?現代人の首をしめあげる負債の秘密を、貨幣と暴
力の5000年史の壮大な展望のもとに解き明かす。資本主義と文明総体の危機を測定し
、いまだ書かれざる未来の諸可能性に賭ける、21世紀の幕開けを告知する革命的書物。
ISBN等 4-7531-0334-X
ISBN等 978-4-7531-0334-8

4:29 午前  
Blogger yoji said...


http://dameinsei.hatenadiary.jp/entry/2013/04/25/214900
資本論 (8) (国民文庫 (25))
作者: カール・マルクス,岡崎次郎
出版社/メーカー: 大月書店
発売日: 2000
メディア: 文庫
この商品を含むブログ (1件) を見る


 マルクスは『資本論』のなかではほとんど未来社会について語っていません。

 しかし僅かに記された重要な構想として、『資本論』第3巻第48章における「必然性の王国と自由の王国」に関する記述があります。



「自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会的になった人間、アソシエイトした生産者たちが、盲目的な力によって制御されるように自分たちと自然との物質代謝によって制御されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同的制御のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した諸条件のもとで物質代謝を行うということである。この王国〔領域〕のかなたで,自己目的として認められる人間の力の発展が,真の自由の王国〔領域〕が始まるのであるが,しかし,それはただかの必然性の王国〔領域〕をその基礎としてその上にのみ花を開くことができるのである。労働日の短縮が土台である。」

(『資本論』第3部第1稿。MEGAⅡ/42,S,838;MEW,Bd25,S.828.)

7:16 午前  
Blogger yoji said...

再生産表式がないと動学的分析ができないし
単純再生産と拡大再生産の区別も出来ない
再生産表式からカレツキは有効需要を見出したし
レオンチェフは計画経済への道を見つけた
(アメリカでしか正確な統計資料は揃わなかったが)
ローザは軍需産業を糾弾したが再生産表式がなければ
根拠のない理想論だったろう

受注生産、オートクチュールならセイの法則は当てはまるから
計画経済だけがセイの法則を実現する訳ではない

いずれにせよ単純再生産と拡大再生産の違いがマルクスにとって、というよりも
社会にとって本質だ
花田清輝のように単純再生産がユートピアの属性だと規定するつもりはないが
花田の指摘は脱政治主義、社会革命への道筋をつける意味では示唆的だった
知識人のスタンドプレー的な政治主義がそれを曖昧にしてしまう

11:02 午後  
Blogger yoji said...

ただし再生産表式が示すのは貯蓄への人間の執念だ
そこに価値形態論を再導入しなければならない
ゲゼルの減価マネーの必要性がそこでわかる
マルクスだけでは社会を変革出来ない

11:06 午後  
Blogger yoji said...

熊野は構造主義ではなく現象学の系譜だろう
だからああした冗長な文体になる
ハイデガーの熊野訳を読んで旧訳の良さが逆にわかった
漢文の素養があるから旧訳は簡潔なのだ

ただし資本論は現象学的にも読めるということを明らかにしたのは熊野の功績

《「資本制的生産様式が支配している社会の富はひとつの「とほうもない商品の
あつまり」としてあらわれて、個々の商品はその富の原基形態として現象して
いる。私たちの探究はそれゆえ、商品の分析からはじめられるのである。…」

 あらわれ、現象すると訳したのはどちらも erscheinen ということば、ごく
ふつうのドイツ語の動詞です。細かいことを言うようですが、マルクスが
「あらわれる」という語を使って、「である ist」という表現を使用してい
ないしだいに注意してください。資本制の総体を分析しようとするとき商品が
そのはじまりとなるわけですが、ひとがふつう商品として理解しているもの、
自明なものと考えているこことがらには、じつは多くのがふくまれている。
マルクスとしては、まずそのを解きあかさなければならないと考えているのです。》
熊野 資本論の哲学 岩波新書 より

2:07 午前  
Blogger yoji said...

資本論
3:5:35:2
《第三五章 貴金属と為替相場〔612〕

第二節 為替相場(末尾)


重金主義(モネタールジステール)は本質的に旧教的であって、信用主義(クレディッ
トジステール)は本質的に新教的である。「スコットランド人は金貨をきらう。」
(The Scotch hate gold.)紙幣としては、諸商品の貨幣定在はただ社会的な定在で
ある。救済するものは信仰である。諸商品の内在的精霊としての貨幣価値を信仰
すること、生産様式とその予定秩序とを信仰すること、自己じしんを増殖する
資本の単なる人格化としての、生産の個々の代理者を信仰すること。だが、新教が
旧教の基礎から解放されていないように、信用主義は重金主義の基礎から解放され
ていない。》河出書房新社世界の大思想

熊野資本論の思考712頁参照

ケインズの脱金本位制案も金の流出を防ぐためのものだ。マルクスは ケインズに先行している。


ただし計算貨幣を4000年の歴史あるものとケインズは見る


信用主義は呪術、もしくは宗教の起源に位置付けられ得る




岩波文庫7

経済原論=74
3:35:2

重金主義[モネタルジュステム]は本質的にカトリック的であり、信用主義は本質的にプロテスタント的である。「スコットランド人は金をう The Scotch hate gold.」。紙券としては、諸商品が貨幣として存在することは、一つの単に社会的な存在[ダーザイン]である。聖列に加わらしめるものは、信仰である。商品の内在的霊魂としての貨幣価値にたいする信仰、生産様式とその予定秩序とにたいする信仰、自己自身を価値増殖する資本の単なる人格化としての、個々の生産担当者にたいする信仰。しかし、プロテスタント教がカトリック教の基礎から解放されないように、信用主義は、重金主義の基礎から解放されない。


3:34 午前  
Blogger yoji said...

哲学#2
…ふたたび『経済学批判』から引いておきます。

   こうした瞬間に唯一の富として叫びもとめられる最高善は貨幣、現金であって、これとならぶときには、他のすべての商品はそれらが使用価値であるというまさにその理由から無用なものとして、下らないもの、がらくたとして、またはわがマルティン・ルター博士のいわゆる、たんなる華美と飽食としてあらわれる。信用主義から重金主義へのこの突然の転化が、じっさいのパニックに理論上の恐怖を付けくわえる。そして流通当事者たちはかれら自身の諸関係の底知れぬ秘密のまえで震えあがるのである。  


 支払いの数珠と信用の連鎖が絶たれて、いまや貨幣こそ「最高善summum bonum」であり、現金こそすべてです。『資本論』も書いていました。繁栄の時代には「商品こそ貨幣」でしたが、いまや「ただ貨幣だけが商品だ!」という声が響きわたるわけです(K. I, S. 152)。

3:37 午前  

コメントを投稿

<< Home