労働価値説 - Wikipedia
- 労働が富の源泉であり、人間が獲得した所得は、労働のもたらした価値である。
- 労働量が多ければ価値量も多くなり、所得も多くなる。
- 所得の規模は、集団による協業の等級や需要によって定まる。
- 協業の等級は技術の水準と人口規模により定まる。
光文社解説
《労働者が資本家に直接的に売るのは「労働」ではなく「労働力」であるが(「賃金・価格・利潤」7、労働力)、労働力を売ることによって結果的にはその機能たる「労働」をも資本家に売ったことになる》
労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。アダム・スミス、デヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学の基本理論として発展し、カール・マルクスに受け継がれた。
目次
労働価値説の萌芽
14世紀の思想家イブン・ハルドゥーンは『歴史序説』にて、次のように示した[1]。
- 労働が富の源泉であり、人間が獲得した所得は、労働のもたらした価値である。
- 労働量が多ければ価値量も多くなり、所得も多くなる。
- 所得の規模は、集団による協業の等級や需要によって定まる。
- 協業の等級は技術の水準と人口規模により定まる。
イブン・ハルドゥーンの思想は、アダム・スミスの分業論や労働価値説との類似点を指摘される[2]。また、彼の思想は、高い技術水準や人口をもたらす条件に関する文明論とも結びついている。
1662年に出版されたウィリアム・ペティの『租税貢納論』には以下のような指摘がみられる。
ここには商品の「自然価格」がそれに費される労働によって決まるという視点が見られる。ただし、彼は「すべての物は、二つの自然的単位名称、すなわち土地および労働によって価値づけられなければならない」[4]とも述べており、完全に労働価値説に立ったわけではなかった。
スミスの労働価値説
アダム・スミスは『国富論』で「労働こそは、すべての物にたいして支払われた最初の代価、本来の購買代金であった。世界のすべての富が最初に購買されたのは、金や銀によってではなく、労働によってである」と述べ[5]、労働価値説を確立した。ただしスミスの見解には二つの観点が混在していた。彼は「あらゆる物の真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすものは、それを獲得するための労苦と骨折りである」[6]とし、商品の生産に投下された労働によって価値を規定した。これは投下労働価値説と呼ばれる。しかし他方において、商品の価値は「その商品でかれが購買または支配できる他人の労働の量に等しい」と述べ[7]、支配労働価値説と呼ばれる観点も示した。
スミスにとっては、商品の価値が投下された労働によって決まるということと、商品の価値が労働の価値によって決まるということは、明瞭に区別されていなかった。そのため、彼は投下労働価値説が当てはまるのは「資本の蓄積と土地の占有にさきだつ初期未開の社会状態」だという見解を示した。労働生産物が労働者自身に帰属する場合、交換は各生産物に投下された労働の量に従って行われる。しかし資本家や地主が登場すると、労働者は賃金、資本家は利潤、地主は地代を得るようになる。商品の価格は賃金と利潤と地代によって構成されるようになる[8]。このスミスの考え方は価値構成説と呼ばれる。
リカードの投下労働価値説
デヴィッド・リカードはスミスから投下労働価値説を受け継ぎ、支配労働価値説を斥けた。彼によれば、商品の生産に必要な労働量と商品と交換される労働量は等しくない。例えば、ある労働者が同じ時間に以前の2倍の量を生産できるようになったとしても、賃金は以前の2倍にはならない。したがって支配労働価値説は正しくないとする[9]。
資本蓄積が始まると投下労働価値説は妥当しなくなる、という説に対しては、資本すなわち道具や機械に間接的に投下された労働量と直接的に投下された労働量の合計によって商品の価値が決まるという見解を示した[10]。
リカードは投下労働価値説を完全に維持することはできなかった。彼は賃金の騰落が資本の構成によって商品の価格に異なる影響をもたらすことに気づいた[11]。投下労働価値説の出発点においては、賃金の上昇は利潤の低下をもたらすだけであり、商品の価格には影響しないはずであった。しかし投下資本に占める賃金の比率が社会的な平均より高い場合、賃金の上昇は生産費用を平均以上に高め、賃金の比率が平均より低い場合は生産費用の上昇は平均以下となる。いずれの資本に対しても平均的な利潤が得られるならば、前者の場合は利潤の低下分より賃金の上昇分のほうが大きい。したがって商品の価格は上昇するのに対し、後者の場合は逆に商品の価格は低下する。投下労働量と関係なく商品の価格が変動するわけである。
マルクスの剰余価値説
カール・マルクスはリカードの投下労働価値説を受け継ぎ、労働と労働力を区別することによって資本家の利潤の源泉が剰余価値であるとした[12]。賃金と交換されるのは労働ではなく労働力であり、労働力の価値の補填分を越えて労働が生み出す価値が剰余価値であって、これを利潤の源泉とした。
限界革命
1870年代にウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、カール・メンガー、レオン・ワルラスの3人の経済学者が、ほぼ同時に、かつ独立に限界効用理論に基づく経済学の体系を樹立し、新古典派経済学の創始者となった。労働価値説は彼らの学説にとって、労働力を生産過程における唯一の希少な資源と仮定する特殊モデルと整理され、以後、マルクス経済学と価値の本質をめぐる論説に決着がつかないまま今日に至っている。
そして、イアン・スティードマンをはじめとするネオ・リカーディアンによる労働価値説不要論が有名になった1970年代後半以降は、労働価値説を放棄するマルクス経済学者も出てきている(オスカル・ランゲOn the ecomic theory of socialism,1936)。マルクス経済学者はこの流れを「資本家による労働者の搾取」を容認する表皮的経済学と批判している。
出典・脚注
参考文献
- イブン・ハルドゥーン『歴史序説』森本公誠訳、岩波書店〈岩波文庫〉、2001年。
- 加藤博『イスラーム経済論』書籍工房早山、2010年。
- アダム・スミス『国富論』大河内一男監訳、中央公論社〈中公文庫〉、1978年。
- ウィリアム・ペティ『租税貢納論』大内兵衛・松川七郎訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1952年。
- カール・マルクス『賃金、価格、利潤』、土屋保男訳、大月書店〈国民文庫〉、1965年。
- 吉田義宏「「経費膨張の法則」に関する研究について」(広島経済大学創立二十周年記念論文集、広島県大学共同リポジトリ)[1]
- デヴィッド・リカードウ『経済学および課税の原理』羽鳥卓也・吉澤芳樹訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1987年。
関連項目
人月(にんげつ、マンマンス、man-month)とは、1人が1か月で行うことのできる作業量(工数)を表す単位。同様の単位に人日(にんにち)や人時(にんじ)がある。人日は、多少俗語的に人工(にんく)ともいう。
土木・建築の現場などの事業(プロジェクト)の作業工数見積もりなどに用いる。ソフトウェア業界も、土木・建築業界に習い事業管理(project management)を行っているため、同じ用語を使うことがある。
人月の考え方では、すべての作業員が同等の能力を有しており、ひとつの作業を複数の作業員で分担すること及び複数の作業を一人の作業員に集約することを前提としている。あるいは、平均的な作業員の能力を想定し、多数の作業員の分布が正規分布に近く、想定能力付近の人が多いことを前提に計算が妥当になることを想定している。
そのため、1人が20日(1か月)かけて行う作業と、20人が1日で行う作業はどちらも同じ1人月として計算する。
原則として、1日は8時間、1か月は20日として計算するが、6・7時間、21・22日などの場合もある。
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