木曜日, 12月 22, 2016

親鸞:二双四重の教判(&蓮如「白骨の章」)


                (リンク:::::::::仏教
NAMs出版プロジェクト: 親鸞:二双四重の教判 
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_22.html
NAMs出版プロジェクト: 一遍上人
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NAMs出版プロジェクト: インド唯名論と実在論:再送
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post_30.html

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の浄土真宗の宗祖とされる。
1173年5月14日 - 1263年1月9日1173年5月21日 - 1263年1月16日
上段・旧暦 中段・ユリウス暦 下段・グレゴリオ暦換算

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                   }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超


\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) 厳しい修行をして一気に悟ろうとする。

横超(オウチョウ)とは - コトバンク kotobank.jp/word/横超-449177
仏語。阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えを いう。

二双四重(にそうしじゅう)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/二双四重-109695

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

『教行信証(教行証文類)』(『無量寿教』十八願(唯除規定)、四十八願に関連)。
教相判釈(体系的な分類)と五逆、悪の解釈が呼応する。

《たとえば、『尊号真像銘文』の中で、 「横截五悪趣、悪趣自然閉」(横に五悪趣を截すれば、悪趣自然に閉ず)ということを、文字の意義に即しながら解き明かしているところがあります。》(吉本隆明『今に生きる親鸞』)

「親鸞」という法号のようなものは、自分でつけたのですが、親鸞の「親」はインドの世親(天親)からとっています。世親は釈迦のあと最も偉大なインドの宗教家で、『浄土論』を書いた人です。つまり浄土門の創始者です。  一方「鸞」の字は中国の曇鸞からとっています。この人は『浄土論』を解説、解釈した『浄土論註』を書いた人です。この二人から一字ずつ取っているのです。ということは、インドの世親から中国の曇鸞を通って、日本の親鸞にきてこれで終わり、ということを意味しています。親鸞は謙虚な人ですから、そうは言っていませんが、密かにそうした自負を抱いていたのだろうと思います。
 親鸞の主著である『教行信証』を読むと、それがインドと中国のあらゆる浄土系のいいところというか、エッセンスを全部収録して集めてあります。そして、それに対して自分の考え方を述べています。ですから自分が浄土宗の最後の人だという自覚があったのだと思います。  念仏だけでいいという価値観をウソだという人はたくさんいるでしょう。他の宗派のお坊さんもそう言うでしょう。しかし、親鸞の考え方からいえば、とにかく自分は価値観としては最終的なところまで到達したという自負があったのだと思います。》(吉本隆明『今に生きる親鸞』)

二双四重
にそうしじゅう


親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法したすべての教説を聖道門と浄土門とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう) として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味する出 (しゅつ) と,ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

《「二双四重判」とは、諸仏教を竪と横、出と超に分けて、「信」の位置を説くものである。
これまでの仏教は、自己の修行·修道·修学の実践によって善根と功徳を積むこと(竪)によっ
て、自らの執着や煩悩から解脱する道(出)を捜し求めてきた。すなわち「竪」「出」の仏教であっ
たっこれに対して親鸞は、「横」「超」を主張する。つまり、阿弥陀仏の誓願が廻向されることによっ
て、人間のあらゆるはからいを横ざまに捨てて(横)、ひとっ飛びに救われる道(超)を獲得するこ
とである。親鸞の教義は、まさに「竪出」の行に代わる「横超」の信にある。》
(青木孝平『「他者」の倫理学』199頁)

《教相判釈とは、自らの仏教思想を、仏教総体の思想体系のなかに明確に位置づけるという作業である。》(同198頁)


菩提心~修行を竪(たて)に積むか横に捨てるか?
教えに関して~段階を経て出るか直ちに超えるか。
親鸞は横超☆。

     出        超
竪 聖道門・漸教   聖道門・頓教

横 浄土門・漸教   浄土門・頓教(親鸞)☆



\心   竪        横         二双
教\

出 漸教\聖道門   漸教\浄土門
                        四重
超 頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

                    平等?
        自由?

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                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超

          仏教
    聖道門        浄土門     ←二双
  漸教   頓教    漸教    頓教 
 (権教) (実教)  (権教)  (実教)
小乗 権大乗 実大乗 要門 (真門) 弘願
  竪出   竪超    横出    横超  ←四重
     竪           横

         二双四重


二双四重
仏教にはすべからく「教相判釈」といって、経典をその形式・内容などによって分類・体系化し、価値を判定して仏の究極の教えがどれであるかを解釈することが最重要である。「教相判釈」がなければ、何を信じ何を行ずるかが解からないからである。
親鸞聖人には別掲の「二双四重」の教判がある。全仏教を竪と横に分け、それぞれに出(権教)と超(実教)を組み合わせた教判である。
竪の聖道門に成仏の遅速に応じて漸教と頓教を分けられ、竪出、竪超とされる。
横の浄土門も、漸次に修行して長時間の後に仏果を得る自力の漸教と、すみやかに仏果を得る他力の頓教に分類し、横出、横超とし、二双四重の判釈をされたのである。
この二双四重の教判は、諸所で説いておられる。

「行文類」一乗釈では、
大乗は二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は一乗に入らしめんとなり。一乗はすなはち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり。
http://wikidharma.org/4b9399ba7bf3a
と、横超・弘願・頓教・実教である第十八願の誓願一仏乗こそが真実の仏道であるとされるのである。

「信巻本」菩提心釈(菩提心=信)
【52】 しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。
また竪についてまた二種あり。一つには竪超、二つには竪出なり。竪超・竪出は権実・顕密・大小の教に明かせり。歴劫迂回の菩提心、自力の金剛心、菩薩の大心なり。また横についてまた二種あり。一つには横超、二つには横出なり。横出とは、正雑・定散、他力のなかの自力の菩提心なり。横超とは、これすなはち願力回向の信楽、これを願作仏心といふ。願作仏心すなはちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり。
http://wikidharma.org/4b93a105abf98

「信巻末」横超釈
【73】 横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。
http://wikidharma.org/4b93acfa2387b

「化身土巻」三経通顕(真仮分判)
【35】 おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。
安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。
正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
横超とは、本願を憶念して自力の心を離る、これを横超他力と名づくるなり。これすなはち専のなかの専、頓のなかの頓、真のなかの真、乗のなかの一乗なり。これすなはち真宗なり。すでに真実行のなかに顕しをはんぬ。
http://wikidharma.org/4b936885c5865


愚禿鈔(上)
聖道・浄土の教について、二教あり。
一には大乗の教、      二には小乗の教なり。
大乗教について、二教あり。
一には頓教、        二には漸教なり。
頓教について、また二教・二超あり。
二教とは、
一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。
二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
二超とは、
一には竪超  即身是仏・即身成仏等の証果なり。
二には横超  選択本願・真実報土・即得往生なり。
漸教について、また二教・二出あり。
二教とは、
一には難行道聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。
二には易行道浄土の要門、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教なり。
二出とは、
一には竪出  聖道、歴劫修行の証なり。
二には横出  浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。
http://wikidharma.org/4b93a35c8a81a


\心   竪        横
教\

出 漸教\聖道門   漸教\浄土門

超 頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

          仏教
    聖道門        浄土門
  漸教   頓教    漸教    頓教 
 (権教) (実教)  (権教)  (実教)
小乗 権大乗 実大乗 要門 (真門) 弘願
  竪出   竪超    横出    横超
     竪           横

         二双四重

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 - 弘長2年11月28日 )は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の浄土真宗の宗祖とされる。
法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え[1]」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。


1173年5月21日 - 1263年1月16日

上段・旧暦 中段・ユリウス暦 下段・グレゴリオ暦換算

顕浄土真実教行証文類 - Wikipedia (教行信証)全6巻
https://ja.wikipedia.org/wiki/顕浄土真実教行証文類

顕浄土真実教行証文類序
「総序」と通称される。
1顕浄土真実教文類一
「教巻」と通称される。
2顕浄土真実行文類二
「行巻」と通称される。
巻末に「正信念仏偈」(「正信偈」)と呼ばれる偈頌が置かれる。☆☆
顕浄土真実信文類序
「顕浄土真実信文類三」の前に「別序」と通称される序文が置かれる。
3顕浄土真実信文類三
「別序」を含めて「信巻」と通称される。最初に書かれた?
4顕浄土真実証文類四
「証巻」と通称される。
5顕浄土真仏土文類五
「真仏土巻」と通称される。
6顕浄土方便化身土文類六
「化身土巻」と通称される。
「化身土巻」は「本」と「末」からなる。
巻末の「竊かに以みれば聖道の諸教は行証久しく廃れ浄土の真宗は証道いま盛なり」以降の部分は「後序」と呼ばれる。  

さらに、親鸞は自らを深く内省することによって、阿弥陀仏が誓願を起こして仏と成ったと『仏説無量寿経』で説かれていることは、「親鸞一人のためであった」[*]と、阿弥陀仏の本願力を自己のもの、つまり我々一人一人のためであったと受け止め、称名念仏は、ではなく、その報恩謝徳のためであると勧め教化した。 この点が、宗教者としての親鸞の独自性である。

*歎異抄から意訳

歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた日本仏教書である。作者は、親鸞に師事した唯円とされる。書名は、その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたものである。『歎異鈔』とも。
親鸞からの聞き書き。

三節  善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。


【訳】 善人ですら往生をとげられるのだから、まして悪人が往生できないはずがありません。


キリスト教との類似性が指摘される。

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。私がきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(「マルコ伝」二章十七節)

PHP文庫より


無量寿経』(むりょうじゅきょう)は、大乗仏教経典の一つ。 原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』(Sukhāvatī-vyūha)で、「極楽荘厳」という意味である。サンスクリットでは同タイトルの『阿弥陀経』と区別して、『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。
仏説無量寿経 - Wikisource
https://ja.wikisource.org/wiki/仏説無量寿経

(18) 釈尊が阿難に仰せになる。
  「 さて、たとえば世の中の貧しい乞人を王のそばに並べるとしたら、その姿かたちがはたしてくらべものになるだろうか」
 阿難が申しあげる。
  「 いいえ、そのものを王のそばに並べたときには、その弱々しく醜いことはまったく話にならないほどであります。そのわけは、貧しい乞人は最低の暮しをしているものであり、服は身を包むのに十分でなく、食べものは何とか命をささえる程度しかなく、飢えと寒さに苦しんでおり、ほとんど人間らしい生活をしていないからであリます。
  すべては、過去の世に功徳を積まなかったからです。財をたくわえて人に施さず、裕福になるほどますます惜しみ、ただ欲深いばかりで、むさぼり求めて満足することを知らず、少しも善い行いをしようとしないで、山のように悪い行いを積み重ねていたのです。
  こうしてたくわえた財産も、命が終わればはかなく消え失せ、生前にせっかく苦労して集め、あれこれと思い悩んだにもかかわらず、自分のためには何の役にも立たないで、むなしく他人のものとなります。たのみとなる善い行いはしておらず、たよりとなる功徳もありません。そのため、死んだ後には地獄や餓鬼や畜生などの悪い世界に生れて長い間苦しみ、それが終ってやっと人間の世界に生れても、身分が低く、最低の生活を営み、どうにか人間として暮らしているようなことです。
 それに対して世の中の王が人々の中でもっとも尊ばれるわけは、すべて過去の世に功徳を積んだからであります。慈悲の心でひろく施し、哀れみの心で人々を救い、まごころをこめて善い行いに努め、人と逆らい争うようなことがなかったのです。そこで、命が終ればその徳によって善い世界にのぼることができ、天人の中に生れて安らぎや楽しみを受けるのであります。さらに、過去の世に積んだ善い行いの徳は尽きないので、こんどは人間となって王家に生れ、そのためおのずから尊ばれる身となるのです。その行いは正しく、姿かたちは美しくととのい、多くの人々に敬い仕えられ、美しい衣服やすばらしい食事が思いのままに得られるのであり、それはまったく過去の世に積んだ功徳によるのであります 」
【40】  仏、弥勒に告げたまはく、「われなんぢらに語りしごとく、この世の五悪、勤苦かくのごとし。五痛・五焼、展転してあひ生ず。ただ衆悪をなして善本を修せざれば、みなことごとく自然にもろもろの悪趣に入る。あるいはそれ今世にまづ殃病を被りて、死を求むるに得ず。生を求むるに得ず。罪悪の招くところ衆に示してこれを見せしむ。身死して行に随うて三悪道に入りて、苦毒無量にしてみづからあひ燋然す。その久しくして後に至りて〔再び人間界に生じ〕ともに怨結をなし、小微より起りてつひに大悪となる。みな財色に貪着して施恵することあたはざるによりてなり。痴欲に迫められて心に随うて思想す。
煩悩結縛して解けやむことあることなし。おのれを厚くし利を諍ひて省録するところなし。富貴・栄華、時に当りて意を快くして忍辱することあたはず。 つとめて善を修せざれば、威勢いくばくもなくして、随ひてもつて磨滅す。身とどまりて労苦す。久しくして後大きに劇し。天道、施張して自然に糺挙し、綱紀の羅網、上下相応す煢々忪々として、まさにそのなかに入るべし。古今にこれあり。痛ましきかな、傷むべし」と。 仏、弥勒に語りたまはく、「世間かくのごとし。仏みなこれを哀れみたまひて、威神力をもつて衆悪を摧滅してことごとく善に就かしめたまふ。所思を棄捐し経戒を奉持し、道法を受行して違失するところなくは、つひに度世・泥洹の道を得ん」と。
仏のたまはく、「なんぢいまの諸天・人民、および後世の人、仏の経語を得て、まさにつらつらこれを思ひて、よくそのなかにおいて心を端しくして行ひを正しくすべし。 主上善をなして、その下を率化してうたたあひ勅令し、おのおのみづから端しく守り、聖〔者〕を尊び、善〔人〕を敬ひ、仁慈博愛にして、仏語の教誨あへて虧負することなかれ。まさに度世を求めて生死衆悪の本を抜断すべし。まさに三塗の無量の憂畏苦痛の道を離るべし。なんぢらここにおいて広く徳本を植ゑて、恩を布き恵を施して、道禁を犯すことなかれ。忍辱・精進・一心・智慧をもつてうたたあひ教化し、徳をなし善を立てよ。心を正しくし、意を正しくして、斎戒清浄なること一日一夜すれば、無量寿国にありて善をなすこと百歳せんに勝れたり。ゆゑはいかん。かの仏国土は無為自然にして、みな衆善を積んで毛髪の悪もなければなり。ここにして善を修すること十日十夜すれば、他方の諸仏国土にして善をなすこと千歳するに勝れたり。ゆゑはいかん。
他方の仏国は、善をなすものは多く悪をなすものは少なし。福徳自然にして造悪の地なければなり。ただこのあひだのみ悪多くして、自然なることあることなし。勤苦して欲を求め、うたたあひ欺紿し、心労し形困しみて、苦を飲み毒を食らふ。かくのごとく怱務して、いまだかつて寧息せず。
われなんぢら天・人の類を哀れみて、苦心に誨喩し、教へて善を修せしむ。に随ひて開導し、経法を授与するに承用せざることなし。意の所願にありてみな道を得しむ。仏の遊履したまふところの国邑丘聚、化を蒙らざるはなし。天下和順し日月清明なり。風雨時をもつてし、災起らず、国豊かに民安くして兵戈用ゐることなし。〔人民〕徳を崇め仁を興し、つとめて礼譲を修す」と。仏のたまはく、
「われなんぢら諸天・人民を哀愍すること、父母の子を念ふよりもはなはだし。いまわれこの世間において仏となり、五悪を降化し、五痛を消除し、五焼を絶滅して、善をもつて悪を攻め、生死の苦を抜いて五徳を獲しめ、無為の安きに昇らしむ。われ世を去りてのち、経道やうやく滅し、人民諂偽にしてまた衆悪をなし、五痛・五焼還りて前の法のごとく、久しくして後にうたた劇しからんこと、ことごとく説くべからず。
われただなんぢがために略してこれをいふのみ」と。仏、弥勒に語りたまはく、「なんぢらおのおのよくこれを思ひ、うたたあひ教誡し、仏の経法のごとくして犯すこと得ることなかれ」と。ここにおいて弥勒菩薩、合掌してまうさく、「仏の所説、はなはだ苦なり。 世人まことにしかなり。如来あまねく慈しみて哀愍し、ことごとく度脱せしめたまふ。仏の重誨を受けてあへて違失せじ」と。
_____
佛說無量清淨平等覺經 - Wikisource

無量寿経優婆提舎願生偈 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/無量寿経優婆提舎願生偈

無量寿経優婆提舎願生偈

無量寿経優婆提舎願生偈[1] (むりょうじゅきょう うばだいしゃ がんしょうげ)とは、世親(天親)[2] により撰述された『無量寿経』の注釈書を、後魏菩提流支(菩提留支)が漢訳した書である。『浄土論』、『往生論』、『無量寿経論』などと通称する。正式な原題は、『無量壽經優婆提願生偈』(婆藪般豆[3] 造 後魏菩提留支訳)。
2012年現在、サンスクリット原典は発見されていない。菩提流支による漢訳書のみが現存する。

概要編集

サンスクリット原典が発見されていないため、『無量寿経』は複数の漢訳が伝えられている。『浄土論』(『往生論』)は、どの『無量寿経』について注釈しているのか諸説あり定説はない。従来より提唱されているのは、『仏説無量寿経』、もしくはそのサンスクリット原典である『大スカーヴァティーヴューハ』とする説や、「浄土三部経」とする説がある。[4] また「浄土三部経」以外の浄土経典とする説もあるが、『浄土論』(『往生論』)の「一心」と『仏説無量寿経』に説かれる「本願」との関係性を踏まえると、『仏説無量寿経』を除いて言及しているとは考えにくい。
偈頌(韻文)と、それを解説した長行(じょうごう、散文)の部分からなり、特に後者においては、浄土往生の方法として「五念門」を説いている。
「五念門」とは、「礼拝門」 「讃嘆門」 「作願門」 「観察門」(かんざつもん) 「回向門」の5つをさす。なかでも浄土を観想する「観察門」が中心で、17種の国土荘厳・8種の仏荘厳・4種の菩薩荘厳よりなる。

影響編集

中国編集

日本編集

法然が、その思想に影響を受け、「浄土三部経」と並べて「三経一論」と重んじる。
その門弟である親鸞も「浄土三部経」と『浄土論』を重んじ、『浄土論』(『往生論』)の注釈書である曇鸞の『往生論註』(『浄土論註』)と合わせて重用した。

脚注編集

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  1. ^ 婆=波
  2. ^ 旧訳名は、「天親」。新訳名は、「世親」。
  3. ^ 世親(天親)のこと。
  4. ^ 勧学寮編『浄土三部経と七祖の教え』本願寺出版社、2008年、P.124 - 125。

参考文献編集

  • 勧学寮 編 『浄土三部経と七祖の教え』 本願寺出版社、2008年ISBN 978-4-89416-792-6
  • 石田瑞麿 『親鸞思想と七高僧』 大蔵出版、2001年、新装版。ISBN 4-8043-3057-7
  • 黒田覚忍 『はじめて学ぶ七高僧-親鸞聖人と七高僧の教え』 本願寺出版社、2004年ISBN 4-89416-238-5

関連項目編集

外部リンク編集



無量寿経優婆提舎願生偈註 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/無量寿経優婆提舎願生偈註
無量寿経優婆提舎願生偈註』(むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげちゅう)とは、天親『無量寿経優婆提舎願生偈』(『往生論』・『浄土論』)に、曇鸞(476年 - 542年7月7日,不詳)が註解を加えた書である。 一般には略して、『往生論註』、『浄土論註』という。またそれを略して、『論註』ともいう。「上巻」「下巻」の全2巻。(大正蔵 vol.40 p.826)
『往生論』(『浄土論』)は、『仏説無量寿経』に対する註釈であり、本書は『仏説無量寿経』の再註釈ともいえる。
衆生が浄土に往生する因も果も如来の本願、つまり他力によることを明らかにし、のちの浄土教の基礎となる。

そういえば一遍が旅を共にした尼の名は超一、超二だった…

____

☆☆
『教行信証』岩波文庫114~123頁、
『はだしのゲン』汐文社④272頁参照:

正信念仏偈

浄土真宗の偈文
正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)〈正信念佛偈〉」は、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文。一般には略して「正信偈(しょうしんげ)」の名で親しまれている。真宗の要義大綱を七言60行120句の偈文にまとめたものである。
同じ親鸞撰述の『三帖和讃』とともに、本願寺第8世蓮如によって、僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するよう制定され、現在も行われている。

内容編集

大きく二つの部分によって構成されている。「総讃」の2句に続く前半は、「依教段」と言われ『仏説無量寿経(大無量寿経)』に依って明らかにされている、浄土往生の正因は信心であり、念仏は報恩行であることを説明し讃嘆している。後半の部分は「依釈段」と言われ、インド中国日本でこの教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆している。

科文編集

  • 「総讃」………「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
  • 「依段」
    • 弥陀章」…「法蔵菩薩因位時~必至滅度願成就」
    • 釈迦章」…「如来所以興出世~是人名分陀利華」
    • 「結誡」……「弥陀仏本願念仏~難中之難無過斯」
  • 「依釈段」
    • 「総讃」……「印度西天之論家~明如来本誓応機」
    • 龍樹章」…「釈迦如来楞伽山~応報大悲弘誓恩」
    • 天親章」…「天親菩薩造論説~入生死薗示応化」
    • 曇鸞章」…「本師曇鸞梁天子~諸有衆生皆普化」
    • 道綽章」…「道綽決聖道難証~至安養界証妙果」
    • 善導章」…「善導独明仏正意~即証法性之常楽」
    • 源信章」…「源信広開一代教~大悲無倦常照我」
    • 源空章」…「本師源空明仏教~必以信心為能入」
    • 「結勧」……「弘経大士宗師等~唯可信斯高僧説」

関連項目編集

外部リンク編集



正信偈(しょうしんげ)・意訳
http://www5.synapse.ne.jp/~todoroki/siryou/syousi-ge.htm
【正信偈・意訳】 
帰命無量寿如来きみょうむりょうじゅにょらいかぎりなき「いのち」の如来に帰依(きえ)し
南無不可思議光なむふかしぎこうかぎりなき「ひかり」の如来に南無したてまつります
法蔵菩薩因位時ほうぞうぼさついんにじ(阿弥陀如来が)法蔵菩薩と名のられていたとき
在世自在王仏所ざいせじざいおうぶつしょ師の世自在王仏(せじざいおうぶつ)のみもと(所)にあらわれて
覩見諸仏浄土因とけんしょぶつじょうどいん諸仏の浄土の建立のいわれや、そこにどうしたら往生できるか、
国土人天之善悪こくどにんでんしぜんまくまた、その国土のありさまと、そこに往生している人々の善悪を観察され
建立無上殊勝願こんりゅうむじょうしゅしょう がんこのうえもないすぐれた願(十八願)をおたてになり
超発希有大弘誓ちょうほつけうだいぐせいいまだかつてなかったすぐれて大きい誓いをおたてになり
五劫思惟之摂受ごこうしゆいししょうじゅそして五刧(ごこう)という長い時間、思惟(しゆい)を重ねておさめとり
重誓名声聞十方じゅうせいみょうしょうもんじっぽうかさねて名号(名声)を十方に聞かせて救う、と誓われました
普放無量無辺光ふほうむりょうむへんこう(阿弥陀如来の)あまねく放たれる「量りない光」「辺(はし)なき光」
無碍無対光炎王むげむたいこうえんのう「何ものにも碍げられない光」「対(ならび)なき光」「もっともさかんな光」
清浄歓喜智慧光しょうじょうかんぎちえこう「清浄(しょうじょう)な光」「歓喜(かんぎ)の光」「智慧(ちえ)の光」
不断難思無称光ふだんなんじむしょうこう「断えることのない光」「思いはかり難い光」「称(とな)えつくせぬ光」
超日月光照塵刹ちょうにちがっこうしょうじんせつ「太陽や月を超えた光」を放ち、数え切れない世界を照らし
一切群生蒙光照いっさいぐんじょうむこうしょうすべてのいのちあるものが、この光明(こうみょう)に照らされている
本願名号正定業ほんがんみょうごうしょうじょうごう本願の名号は、正しく浄土往生が決定する業因(ごういん)ですから
至心信楽願為因ししんしんぎょうがんにいんお名号をいただく信心(しんじん)によって、私は救われるのです
成等覚証大涅槃じょうとうがくしょうだいねはんこの世で仏になるべき身に定まり、お浄土で覚(さと)りをひらくのは
必至滅度願成就ひっしめつどがんじょうじゅかならず成仏(じょうぶつ)させるという、仏の願いが完成したからです
如来所以興出世にょらいしょいこうしゅっせ釈迦如来(しゃかにょらい)が、この世にお出ましになったのは
唯説弥陀本願海ゆいせつみだほんがんかいただ阿弥陀如来の本願(第十八願)をお説きになるためで
五濁悪時群生海ごじょくあくじぐんじょうかい五濁悪時(ごじょくあくじ)の世にある一切の人々は
応信如来如実言おうしんにょらいにょじつごん釈迦如来(しゃかにょらい)の真実のお言葉を信じるべきである
能発一念喜愛心のうほついちねんきあいしんふたごころなく(一念)本願を信じよろこぶ(喜愛心)なら
不断煩悩得涅槃ふだんぼんのうとくねはん煩悩(ぼんのう)を断たないままで、涅槃(ねはん)を得ることができる
凡聖逆謗斉回入ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう凡夫(ぼんぷ)も聖者も極悪の人も、自力心を捨てて信心の道に入れば
如衆水入海一味にょしゅしいにゅうかいいちみ川の水が海に入って一味(いちみ)になるがごとく、平等に救われる
摂取心光常照護せっしゅしんこうじょうしょうご阿弥陀如来の摂取の光明は、常に私を照らし護(まも)って下さる
已能雖破無明闇いのうすいはむみょうあん仏さまを疑わなくなり(無明闇を破す)救われた身になっても
貪愛瞋憎之雲霧とんないしんぞうしうんむむさぼり(貧愛:とんない)や瞋(いか)り憎しみの心は、雲や霧のように
常覆真実信心天じょうふしんじつしんでんてん常に如来からたまわる真実の信心の上におおいかぶさっている
譬如日光覆雲霧ひにょにっこうふうんむたとえば、日光は雲や霧に覆(おお)われていたとしても
雲霧之下明無闇うんむしげみょうむあん雲や霧の下は明るくて闇がないが如(ごと)し :救われるということ
獲信見敬大慶喜ぎゃくしんけんきょうだいきょうき信心をいただいて仏さまを敬い、大いに喜ぶ(慶喜:きょうき)なら
即横超截五悪趣そくおうちょうぜつごあくしゅ五悪趣といわれる迷いの世界を即座に飛び越え
一切善悪凡夫人いっさいぜんまくぼんぶじん世間で善人だ、悪人だといわれる一切の人々は
聞信如来弘誓願もんしんにょらいぐぜいがん阿弥陀如来の本願(弘誓願:ぐぜいがん=第十八願)を聞いて信ずれば
仏言広大勝解者ぶつごんこうだいしょうげしゃお釈迦様は、広大な智慧を得た者(広大勝解者)とほめたたえ
是人名分陀利華ぜにんみょうふんだりけこの念仏の信心の人を泥沼に美しく咲く白蓮華だとたたえられる
弥陀仏本願念仏みだぶつほんがんねんぶつ阿弥陀仏の本願による念仏の法(教え)は
邪見僑慢悪衆生じゃけんきょうまんなくしゅじょう誤ったよこしまな考えをもち、おごりたかぶる人々には
信楽受持甚以難しんぎょうじゅじじんになん信じること(信楽受持:しんぎょうじゅじ)は、はなはだむずかしい
難中之難無過斯なんちゅうしなんむかし難の中の難で、これ以上に過ぎるむずかしいことはない(無過斯:むかし)

印度西天之論家いんどさいてんしろんげインドに出られた論家(龍樹・天親菩薩:りゅうじゅ・てんじんぼさつ)がた
中夏日域之高僧ちゅうかじちいきしこうそう中国、日本の高層(曇鸞・道綽・善導・源信・源空)がたは
顕大聖興世正意けんだいしょうこうせしょういお釈迦様(大聖)がこの世に出られた本意(正意)をあらわし
明如来本誓応機みょうにょらいほんぜいおうき阿弥陀如来の本願(本誓)は末世の私のためのものだと明らかにされた
釈迦如来楞伽山しゃかにょらいりょうがせんお釈迦さまは、インドの楞伽山(りょうがせん)において
為衆告命南天竺いしゅごうみょうなんてんじく多くの人々のために告げられた。それは南インド(南天竺:なんてんじく)に
龍樹大士出於世りゅうじゅだいじしゅっとせ龍樹菩薩(大士:だいじ)というおかたが世にでられて
悉能摧破有無見しつのうざいはうむけん「有無の見」をことごとくうちやぶり(摧破:ざいは)
宣説大乗無上法せんぜつだいじょうむじょうほう大乗のこのうえもない教え(法)を説きのべ(宣説:せんぜつ)
証歓喜地生安楽しょうかんぎじしょうあんらく歓喜地(かんぎじ)をさとり安楽(浄土)に往生するだろう、と
顕示難行陸路苦けんじなんぎょうろくろく難行の陸路をすすむのは苦しいとあらわされた龍樹菩薩は
信楽易行水道楽しんぎょういぎょうしいどうらく易行の船の旅(易行の水道=信心)の楽しきことをすすめられ
憶念弥陀仏本願おくねんみだぶつほんがん阿弥陀仏の本願(第十八願)を信(憶念:おくねん)ずれば
自然即時入必定じねんそくじにゅうひつじょう信心をいただくと同時に、必ず仏になることが決定(けつじょう)した位に入る
唯能常称如来号ゆいのうじょうしょうにょらいごうだから、ただよく常に阿弥陀如来の名号を称えて(常称如来号)
応報大悲弘誓恩おうほうだいひぐぜいおんすべての人々を救って下さる大悲(だいひ)の恩を報ぜよと述べられた
天親菩薩造論説てんじんぼさつぞうろんせつ天親菩薩(てんじんぼさつ)は『浄土論』をつくって説かれた
帰命無碍光如来きみょうむげこうにょらい何ものにもさまたげられることなく救って下さる如来を信じて
依修多羅顕真実えしゅたらけんしんじつ経典(修多羅:しゅたら)に依りて真実をあらわして
光闡横超大誓願こうせんおうちょうだいせいがんすみやかに仏になる法(横超大誓願=第十八願)を広く説かれた
広由本願力回向こうゆほんがんりきえこう広大な阿弥陀如来の第十八願の力(本願力)のはたらきによって
為度群生彰一心いどぐんじょうしょういっしん衆生(群生:ぐんじょう)を救う(度す)ため一心をあきらかにされた
帰入功徳大宝海きにゅうくどくだいほうかい大きな功徳の宝海(名号:みょうごう)に帰依投入(帰入=信ずる)すれば
必獲入大会衆数ひつぎゃくにゅうだいえしゅしゅ必ずお浄土の聖衆(大会衆数:だいえしゅしゅ)の仲間に入り
得至蓮華蔵世界とくしれんげぞうせかい命終(みょうじゅう)とともに阿弥陀如来のお浄土(蓮華蔵世界)に生まれて
即証真如法性身そくしょうしんにょほっしょうじんお浄土でただちに阿弥陀如来とおなじ仏(真如法性身)となり
遊煩悩林現神通ゆうぼんのうりんげんじんずう煩悩のさかんな世界に遊んで不思議な力(神通力)をあらわし
入生死園示応化にゅうじょうじおんじおうげ迷いの世界(生死薗)にかえって衆生を救うことができると示された
本師曇鸞梁天子ほんじどんらんりょうてんし本宗の祖師・曇鸞(どんらん)大師は、中国・梁の国王が尊敬し、国王は
常向鸞処菩薩礼じょうこうらんしょぼさつらい常に大師のおられた北の方向に向かい「曇鸞菩薩」と礼拝(らいはい)された
三蔵流支授浄教さんぞうるしじゅじょうきょう菩提流支(インドの仏教学僧)から浄土教の経典を授けられ
焚焼仙経帰楽邦ぼんじょうせんぎょうきらくほう仙人の経を焼き捨て(焚焼)、阿弥陀仏の浄土の教えに帰入された
天親菩薩論註解てんじんぼさつろんちゅうげ天親菩薩の「浄土論」を註解(ちゅうげ)して解説書『往生論註』を書かれて
報土因果顕誓願ほうどいんがけんせいがんお浄土に生まれる因(いん)も果(か)も如来の誓願によると示された
往還回向由他力おうげんえこうゆたりきお浄土に往生するのも、迷いの世界で人々を救うのも他力による
正定之因唯信心しょうじょうしいんゆいしんじんお浄土に往生し、仏となるべき身に定まるのは信心ひとつである
惑染凡夫信心発わくぜんぼんぶしんじんぽつまどいで汚染(おせん)された人々(凡夫)は、本願を信じさえすれば
証知生死即涅槃しょうちしょうじそくねはん生死の迷いのままが涅槃(覚り:さとり)であるという、仏果をうる身になり
必至無量光明土ひっしむりょうこうみょうどかならず、はかりない光明のお浄土に往生して仏(ぶつ)となり
諸有衆生皆普化しょうしゅじょうかいふけ迷える人々を、みんなすみずみまで救うといわれた
道綽決聖道難証どうしゃくけつしょうどうなんしょう道綽禅師は聖者の自力修行の教えでは証(さと)りがたいと決められて
唯明浄土可通入ゆいみょうじょうどかつうにゅうただ往生浄土の教えこそが仏さまの覚りを得る道であると明らかにされた
万善自力貶勤修まんぜんじりきへんごんしゅうそして多くの善根(万善:まんぜん)を積む自力の修行をしりぞけられて
円満徳号勧専称えんまんとくごうかんせんしょう功徳を円満にもっている名号(円満功徳)を称えることを勧められた
三不三信誨慇懃さんぷさんしんけおんごん「三不信と三信」の教え(誨:おしえ)を、ねんごろに示し(慇懃:おんごん)
像末法滅同悲引ぞうまつほうめつどうひいん正法・像法・末法・法滅のどの時代でも平等に救う法を明らかにされ
一生造悪値弘誓いっしょうぞうあくちぐぜい一生涯、悪をつくりつづけても本願(弘誓:ぐぜい)を信じれば
至安養界証妙果しあんにょうかいしょうみょうか阿弥陀如来のお浄土(安養界)に往生して、仏の覚りを開くといわれた
善導独明仏正意ぜんどうどくみょうぶつしょうい善導大師は、ただひとり誤りを正し、仏の正意を明らかにされた
矜哀定散与逆悪こうあいじょうさんよぎゃくあく自力の善行の人も、極悪の人も共にこれをあわれみ(矜哀:こうあい)
光明名号顕因縁こうみょうみょうごうけんいんねん如来の光明と名号が救いの手だてであることを明らかにされた
開入本願大智海かいにゅうほんがんだいちかい広大な阿弥陀如来の本願の智慧の海に入らせてもらうと
行者正受金剛心ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん行者は正しく金剛(こんごう)のごとく堅固(けんご)な信心を得て
慶喜一念相応後きょうきいちねんそうおうごお念仏をよろこぶ心(慶喜一念=信)がおこったとき

与韋提等獲三忍よいだいとうぎゃくさんにん
韋提希夫人(いだいけぶじん)と等しく三忍(さんにん)の徳を得て

即証法性之常楽そくしょうほっしょうしじょうらく
浄土に生まれ、法性の常楽のさとり(法性之常楽)をひらくと述べられた
源信広開一代教げんしんこうかいいちだいきょう源信(げんしん)和尚は、ひろく釈尊一代の教え(一代教)を学ばれて
偏帰安養勧一切へんきあんにょうかんいっさいひとえに阿弥陀如来のお浄土を願い、一切の人々に勧められた
専雑執心判浅深せんぞうしゅうしんはんせんじん専修念仏の信心は深く、雑業雑修の信心は浅いとわけ
報化二土正弁立ほうけにどしょうべんりゅうおもむく浄土は真実の報土と、そうでない化土(けど)があるとされた
極重悪人唯称仏ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ極重(ごくじゅう)の悪人は、ただただ念仏をしなさい
我亦在彼摂取中がやくざいひぜっしゅちゅう私(源信和尚)もまた、阿弥陀如来の光明に摂(おさ)め取られているが
煩悩障眼雖不見ぼんのうしょうげんすいふけん煩悩に眼(まなこ)がさえぎられて、その光明をみることができない
大悲無倦常照我だいひむけんじょうしょうがしかし如来の大悲は常に私を照らして下さっていると述べられた
本師源空明仏教ほんじげんくうみょうぶつきょう本宗(真宗)の祖師である源空(げんくう)上人は仏教をきわめつくして
憐愍善悪凡夫人れんみんぜんまくぼんぷじんすべての人(善悪の凡夫)をあわれみて(憐愍:れんみん)
真宗教証興片州しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう真実の宗教たる真宗を、日本の国におこし(興片州:こうへんしゅう)
選択本願弘悪世せんじゃくほんがんぐあくせ選択本願(第十八願)を、悪世のこの世にひろめられた
還来生死輪転家げんらいしょうじりんでんげ生死輪転(しょうじりんてん)の迷いの世界からぬけられず、とどまっているのは
決以疑情為所止けっちぎじょういしょし本願の教えをうたがい(疑情:ぎじょう)、信受(しんじゅ)しないからであり
速入寂静無為楽そくにゅうじゃくじょうむいらくすみやかにさとりの世界(寂静無為の楽=都)に入るには
必以信心為能入ひっちしんじんいのうにゅうただ信心(しんじん)ひとつによると述べられた
弘経大士宗師等ぐきょうだいじしゅうしとう『無量寿経』の教えをひろめて下さった真宗の祖師がたは
拯済無辺極濁悪じょうさいむへんごくじょくあくすべての極濁(ごくじょく)の悪人を、かずかぎりなくお救い下さる
道俗時衆共同心どうぞくじしゅうぐどうしん出家者(道:どう)も在家者(俗:ぞく)も、一切の人々は共に同心に
唯可信斯高僧説ゆいかしんしこうそうせつただよくこの高僧がたの説かれたことを信じなさい
(法蔵館:正信偈もの知り帳参考)
____
はだしのゲン④273~4頁参照:
浄土真宗本願寺八世蓮如が撰述した御文の5帖目第16通「白骨」(はっこつ)は、御文の中でも特に有名なものである。存覚の『存覚法語』を基に作られている。
この御文は宗派により呼び方が異なる(詳細は御文を参照)。
  • 本願寺派 - 「白骨の御文章(ごぶんしょう)」
  • 大谷派 - 「白骨の御文(おふみ)」
  • 興正派 - 「白骨の御勧章(ごかんしょう)」
この御文は浄土真宗の葬儀(灰葬 還骨)で拝読される(御文を用いない宗派では拝読されない。)。
蓮如

1415年4月13日 - 1499年5月14日

上段・旧暦 中段・グレゴリオ暦換算下段・ユリウス暦
◇白骨の章
葬儀や中陰の法事などでしばしば拝読される「白骨の章」は、無常観をそそる御文章としてよく知られています。今回は、この「白骨の章」について講じていただきました。『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』や『無常講式』など、この御文章が成り立った背景にふれるとともに、「はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり」とお示しくださった蓮如上人のおこころを、しっかりと味わわせていただきましょう。
※学習のポイント
 (1)これを機会に正しい浄土真宗の葬儀について学びたいものです。
 (2)日頃から御文章に親しむために、すすんで拝読するようにしましょう。

【註釈版本文】
 それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず、
一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
 されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、
紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、
さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかて、
阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

【意 訳】
 さて、人間の定まりない有様をよくよく考えてみますと、およそはかないものとは、
この世の始めから終わりまで幻のような一生涯であります。
だから、人が一万年生きたということを聞いたことがありません。
一生は過ぎやすいものです。末世の今では、いったい誰が百年間身体を保つことができましょうか。
私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれず、おくれたり、先立ったり、人の別れに絶え間がないのは、
草木の根本にかかる雫(しずく)よりも、葉先にやどる露よりも数が多いと、いわれています。
 だから、朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう身であります。
現に無常の風が吹いて、二つの眼がたちまち閉じ、一つの息が永久に途切れてしまえば、
血色のよい顔も色を失って、桃や李(すもも)のような美しいすがたをなくしてしまうのです。
その時に、家族・親族が集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。
 そのままにしておけないので、野辺の送りをし火葬すれば、夜半の煙となってしまい、ただ白骨が残るだけです。
あわれという言葉だけではいい表し尽くすことができません。
人間のはかないことは、その寿命が老少定まりのない境界なのですから、
どのような人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみにして、念仏するのがよいでしょう。
  1. あなかしこ、あなかしこ。
  2. あなかしこ:
  3. [連語]《感動詞「あな」+形容詞「かしこし」の語幹》
  1.  恐れ多く存じます、の意で、手紙文の終わりに用いて相手に敬意を表す語。多く女性が用いる。
  1.  ああ、恐れ多い。
    • 「―とて箱に入れ給ひて」〈竹取
  1.  呼びかけの語。恐れ入りますが。
  1.  (あとに禁止の語を伴って副詞的に用いて)決して。ゆめゆめ。
    • 「―、道にて斬られたりとは申すべからず」〈平家・一二〉
  1. [補説]「穴賢」と当てて書くこともある。


2007年12月1日 呉智英夫子(新崎智)の授業 at 理科大
http://d.hatena.ne.jp/YdaTanuki/20080102/1199201408



25 Comments:

Blogger yoji said...


\教   出        超
心\

竪 聖道門\漸教   聖道門\頓教

横 浄土門\漸教   浄土門\頓教(親鸞)☆


\心   竪        横
教\

出 聖道門・漸教   浄土門・漸教

超 聖道門・頓教   浄土門・頓教(親鸞)☆

10:35 午後  
Blogger yoji said...


\心   竪        横
教\

出 漸教\聖道門   漸教\浄土門

超 頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

10:37 午後  
Blogger yoji said...

\心   出        超
竪 聖道門\漸教   聖道門\頓教

横 浄土門\漸教   浄土門\頓教(親鸞)☆
菩提心

     竪        横
出 聖道門・漸教   浄土門・漸教

超 聖道門・頓教   浄土門・頓教(親鸞)☆
教え


\心   出        超
竪 聖道門\漸教   聖道門\頓教

横 浄土門\漸教   浄土門\頓教(親鸞)☆
菩提心

     竪        横
出 聖道門・漸教   浄土門・漸教

超 聖道門・頓教   浄土門・頓教(親鸞)☆
教え

10:40 午後  
Blogger yoji said...


\心   竪        横         二双
教\

    竪出       横出
出 漸教\聖道門   漸教\浄土門
                        四重
    竪超       横超
超 頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

6:19 午前  
Blogger yoji said...

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪        横         二双
教\

      竪出       横出
出   漸教\聖道門   漸教\浄土門
                          四重
      竪超       横超
超   頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

6:21 午前  
Blogger yoji said...

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力

      竪出       横出
出   漸教\聖道門   漸教\浄土門
                         ←四重
      竪超       横超
超   頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

6:22 午前  
Blogger yoji said...

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力

      竪出       横出
出   漸教\聖道門   漸教\浄土門
           +             ←四重
      竪超       横超
超   頓教\聖道門   頓教\浄土門(親鸞)☆

6:23 午前  
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竪超 - WikiArc
labo.wikidharma.org/index.php/竪超
しゅちょう. 竪は自力のこと、超は速やかに 生死 ( しょうじ ) の迷いを超えること。自力 聖 道門 ( しょうどうもん ) の中の 頓教 ( とんぎょう ) 。自力の修行によって直ちにさとりを ひらく華厳・天台・真言・禅の各宗を指す。→ 頓教 ( とんぎょう ) 。
No.1908 〇十地の否定 即身成仏… - 法華経~ブッダの教え - 学問 ...
textream.yahoo.co.jp>...>東洋哲学>法華経~ブッダの教え
2016年6月18日 ... 即身成仏の空海は明らかに十地の否定だが、親鸞もまた十地を否定しているようだ。 ... 十地品」を否定したところに親鸞の「横超」も道元、空海の「竪超」もない。 ... 日本大乗の 極致がまさにこの「超即」の「今生成仏・即得往生」なんじゃ!
空海(くうかい)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/空海-16397
美術人名辞典 - 空海の用語解説 - 平安前期の真言宗の僧。讃岐生。 ... 日本において も,空海の顕密二教を分かち十住心(《十住心論》)を立てる教判や,親鸞の頓教に難行 易行の二道と竪超横超の二超を立てて漸教・小乗教に対比させる教判などが説かれた 。
辞書別に見る:日本大百科全書(ニッポニカ)-朝日日本歴史人物事典
法蔵(ほうぞう)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/法蔵-132249
... 真徳不空宗,相想俱絶宗,円明俱徳宗の十宗の教判を完成させた。日本においても, 空海の顕密二教を分かち十住心(《十住心論》)を立てる教判や,親鸞の頓教に難行易行 の二道と竪超横超の二超を立てて漸教・小乗教に対比させる教判などが説かれた。
辞書別に見る:日本大百科全書(ニッポニカ)-大辞林 第三版-世界大百科事典 第2版
1-横超(二双四重) - News一覧画面
www.tokuhou-ji.com/t_Info_detail_news_tokuhouji.php?...
二超とは、 一には竪超 即身是仏、即身成仏等の証果なり。 二には横超 選択本願、 真実報土、即得往生なり。 漸教について、また二教二出 .... 即身成仏」とはこの身 をもって仏となるということで、弘法大師空海が生きながらミイラになったことで知られ ています。
日本の思想 - Seesaa ブログ
japanese-thought.seesaa.net/pages/user/m/article?article...
弘法大師空海の著作『十住心論』にも修行によって心を垂直的に高めて悟りに向かう 方法が示されている。これに対して ... 長い修行を続けて迷いから脱し、悟りを得ようとする 。それまでの仏教。『十住心論』。 竪超 (しゅちょう) 厳しい修行をして一気に悟ろうとする。

6:24 午前  
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                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力

      竪出       横出
出   漸教\聖道門   漸教\浄土門
           +             ←四重
      竪超       横超
超   頓教\聖道門   頓教\浄土門
     (空海)     (親鸞)

6:25 午前  
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                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力

      竪出       横出
出   漸教\聖道門   漸教\浄土門
           +             ←四重
      竪超       横超
超   頓教\聖道門   頓教\浄土門
     (空海)     (親鸞)

竪超 (しゅちょう) 厳しい修行をして一気に悟ろうとする。

横超(オウチョウ)とは - コトバンク kotobank.jp/word/横超-449177
仏語。阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えを いう。

6:28 午前  
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[オピニオン]「横説竪説」95年の歴史 : 東亜日報
japanese.donga.com/List/3/all/27/427804/1
過去の文献で「横説竪説」という言葉は、高麗(コリョ)時代の文人、李穡(イ・セク)が 鄭夢周(チョン・モンジュ)を評価した文に初めて出てくる。李穡は、「鄭夢周は、横で話し ても竪で話しても常に道理に合っている(横説竪説無非当理)」と書いた。性理学.
仏教学/二双四重 にそうしじゅう - 知的快楽主義者の備忘録 Wiki*
wikiwiki.jp/takemaster/?仏教学%2F二双四重 にそうしじゅう
2016年8月7日 ... 浄土真宗の教判(教相判釈(きょうそうはんじゃく)).仏教を,の二対・四重に分けたもの.自力 難行(なんぎょう)道を,他力易行(いぎょう)道を,悟りは ...
Page 1 Page 2 親里における菩提心について (常 光) て、 「道俗の時衆 ... (Adobe PDF)
www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/49/2/49_2.../_pdf
二双四重判における四種の菩提心は、 「竪. 超」 「竪出」 =自力丶 「横出」 =他力中の 自力、 「横超」 =他. 力ということに、 その特徴が見出せる。 親葉において 「自力」. の 規定は、 『 』 念多念文意』 ・ 『唯信鈔文意』 ・ 笠間の門弟の疑. 問に答う書簡に見られる よう ...
元会員から見た浄土真宗親鸞会 本願一乗とは(2)
shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/?mode=m&no=17
この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり 。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。 安養浄刹にして入聖証果する を浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・ ...
二双四重の教判: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~
hiun.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-da26.html
横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言 なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。 横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出 ...
ぐとくしょう【愚禿鈔】の意味 - goo国語辞書
dictionary.goo.ne.jp/jn/62418/meaning/m0u/
ぐとくしょう【愚禿鈔】とは。意味や解説、類語。鎌倉時代の仏教書。2巻。親鸞 (しんらん) 著。成立年未詳。仏一代の教説のうち、大乗について二双四重(竪超・竪出、横超・横出 )の教判を立て、浄土真宗を横超とし、最もすぐれているものとして、他力の信心を強調 ...
2016年5月の法話:ちいさなお寺 倶生山なごみ庵:So-netブログ
753an.blog.so-net.ne.jp/2016-05-22
2016年5月22日 ... ですのでカレンダーの言葉だけを取り扱うと、正信偈をコマギレでお話することになって しまいますので、今年は正信偈 ... これは親鸞聖人も浄土の教えを説く際に使っていた 言葉なのですが、仏教の分類方法のひとつで「竪出・竪超・横出・横超」 ...
mixiにおける三願転入の法論10 - 親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より
shinrankaiuso.hatenablog.com/entry/2013/02/03/220705
この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり 。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。 安養浄刹にして入聖証果する を浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・ ...
p243 / 顕浄土真実信文類三(教行信証・信)
seiten.icho.gr.jp/html/243.html
横超断四流」と言うは、「横超」は、「横」は竪超・竪出に対す、「超」は迂に対し回に対する の言なり。「竪超」は、大乗真実の教なり。「竪出」は大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の 教なり。「横超」は、すなわち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また「横出」あり、 ...
2014年02月26日 : あさ川進の、宗教と私 - livedoor Blog
blog.livedoor.jp/skai_as/archives/2014-02-26.html
竪超・竪出・横超・横出。親鸞聖人は、仏教を四つに分けられました。 その中において横 超、浄土真宗とご縁があったということは、たまたま弥陀の本願を聞くご縁に恵まれた こと。まったく不思議と味わわれます。 今までもよく目にしてきたこのご ...

6:32 午前  
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                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪   I    横        ←二双
教\    自力   I   他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) 厳しい修行をして一気に悟ろうとする。

横超(オウチョウ)とは - コトバンク kotobank.jp/word/横超-449177
仏語。阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えを いう。

6:34 午前  
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                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) 厳しい修行をして一気に悟ろうとする。

横超(オウチョウ)とは - コトバンク kotobank.jp/word/横超-449177
仏語。阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えを いう。

6:35 午前  
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                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                     }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超



\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力

      竪出       横出
出   漸教\聖道門   漸教\浄土門
           +             ←四重
      竪超       横超
超   頓教\聖道門   頓教\浄土門
     (空海)     (親鸞)

竪超 (しゅちょう) 厳しい修行をして一気に悟ろうとする。

6:37 午前  
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二双四重(にそうしじゅう)
親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法したすべての教説を聖道門と浄土門とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう) として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味する出 (しゅつ) と,ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                   }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超


\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) とは、厳しい修行をして一気に悟ろうとすること。
横超(おうちょう)とは、阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えをいう。

7:32 午前  
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二双四重(にそうしじゅう)
親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法し
たすべての教説を聖道門と浄土門とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう)
として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味する出 (しゅつ) と,
ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                   }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超


\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) とは、厳しい修行をして一気に悟ろうとすること。
横超(おうちょう)とは、阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えをいう。

7:33 午前  
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マルクス プルードン
空海   親鸞

7:37 午前  
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『教行信証』「信巻本」菩提心釈(菩提心=信)

【52】 しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。
また竪についてまた二種あり。一つには竪超、二つには竪出なり。竪超・竪出は権実・顕密・
大小の教に明かせり。歴劫迂回の菩提心、自力の金剛心、菩薩の大心なり。また横についてまた
二種あり。一つには横超、二つには横出なり。横出とは、正雑・定散、他力のなかの自力の菩提心
なり。横超とは、これすなはち願力回向の信楽、これを願作仏心といふ。願作仏心すなはちこれ横の
大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり。
http://wikidharma.org/4b93a105abf98



「信巻末」横超釈

【73】 横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。
竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち
願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、
迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正
真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。
http://wikidharma.org/4b93acfa2387b

1:49 午後  
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二双四重
にそうしじゅう

親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法したすべての教説を聖道門と浄土門とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう) として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味する出 (しゅつ) と,ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

《教相判釈とは、自らの仏教思想を、仏教総体の思想体系のなかに明確に位置づけるという作業である。》
(青木孝平『「他者」の倫理学』198頁)

《「二双四重判」とは、諸仏教を竪と横、出と超に分けて、「信」の位置を説くものである。
これまでの仏教は、自己の修行·修道·修学の実践によって善根と功徳を積むこと(竪)によっ
て、自らの執着や煩悩から解脱する道(出)を捜し求めてきた。すなわち「竪」「出」の仏教であっ
たっこれに対して親鸞は、「横」「超」を主張する。つまり、阿弥陀仏の誓願が廻向されることによっ
て、人間のあらゆるはからいを横ざまに捨てて(横)、ひとっ飛びに救われる道(超)を獲得するこ
とである。親鸞の教義は、まさに「竪出」の行に代わる「横超」の信にある。》
(青木孝平『「他者」の倫理学』199頁)

1:52 午後  
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二双四重
にそうしじゅう

親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法したすべての教説を聖道門と浄土門
とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう) として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味
する出 (しゅつ) と,ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

《教相判釈とは、自らの仏教思想を、仏教総体の思想体系のなかに明確に位置づけるという作業である。》
(青木孝平『「他者」の倫理学』198頁)

《「二双四重判」とは、諸仏教を竪と横、出と超に分けて、「信」の位置を説くものである。
これまでの仏教は、自己の修行·修道·修学の実践によって善根と功徳を積むこと(竪)によっ
て、自らの執着や煩悩から解脱する道(出)を捜し求めてきた。すなわち「竪」「出」の仏教であっ
たっこれに対して親鸞は、「横」「超」を主張する。つまり、阿弥陀仏の誓願が廻向されることによっ
て、人間のあらゆるはからいを横ざまに捨てて(横)、ひとっ飛びに救われる道(超)を獲得するこ
とである。親鸞の教義は、まさに「竪出」の行に代わる「横超」の信にある。》
(青木孝平『「他者」の倫理学』199頁)

1:52 午後  
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二双四重(にそうしじゅう)
親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法し
たすべての教説を聖道門と浄土門とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう)
として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味する出 (しゅつ) と,
ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                   }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超


\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) とは、厳しい修行をして一気に悟ろうとすること。
横超(おうちょう)とは、阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えをいう。

《教相判釈とは、自らの仏教思想を、仏教総体の思想体系のなかに明確に位置づけるという作業》
(青木孝平『「他者」の倫理学』198頁)

《親鸞の主著である『教行信証』を読むと、それがインドと中国のあらゆる浄土系のいいところというか、
エッセンスを全部収録して集めてあります。そして、それに対して自分の考え方を述べています。ですから
自分が浄土宗の最後の人だという自覚があったのだと思います。》(吉本隆明『今に生きる親鸞』)

2:11 午後  
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二双四重(にそうしじゅう)
親鸞の立てた教相判釈 (きょうそうはんじゃく) の名。釈尊が一生涯に説法し
たすべての教説を聖道門と浄土門とに分け,前者を竪 (じゅ) ,後者を横 (おう)
として,そのそれぞれに,段階を経て悟りに達する漸教を意味する出 (しゅつ) と,
ただちに悟りに達する頓教である超 (ちょう) とを配したもの (→頓教・漸教 ) 。

                 漸、竪出
    聖道門、難行道、自力、竪{    }
                 頓、竪超
二双{                   }四重
                 漸、横出
    浄土門、易行道、他力、横{    }
                 頓、横超
http://www.fobenyuan.com/club/home.php?mod=space&uid=32&do=blog&id=45
http://blog.wikidharma.org/blogs/blog/2010/03/07/%E4%BA%8C%E5%8F%8C%E5%9B%9B%E9%87%8D%E3%81%AE%E6%95%99%E5%88%A4/


\菩提心   竪        横        ←二双
教\    自力       他力
           I
      竪出   I   横出
出   漸教\聖道門 I 漸教\浄土門
-----------+------------ ←四重
      竪超   I   横超
超   頓教\聖道門 I 頓教\浄土門
     (空海)  I  (親鸞)

竪超 (しゅちょう) とは、厳しい修行をして一気に悟ろうとすること。
横超(おうちょう)とは、阿弥陀仏の本願の力によって迷いの世界を 跳び越えて、
浄土に往生すること。真宗の説く、他力浄土門の中の絶対他力の教えをいう。

《教相判釈とは、自らの仏教思想を、仏教総体の思想体系のなかに明確に位置づけるという作業》
(青木孝平『「他者」の倫理学』198頁)

《親鸞の主著である『教行信証』を読むと、それがインドと中国のあらゆる浄土系のいいところというか、
エッセンスを全部収録して集めてあります。そして、それに対して自分の考え方を述べています。ですから
自分が浄土宗の最後の人だという自覚があったのだと思います。》(吉本隆明『今に生きる親鸞』)

2:14 午後  
Blogger yoji said...

原田 忠男 (@harapion)
2016/12/26 12:47
@kmy_000 ちなみに、親鸞が善人でさえ往生をとぐ、いわんや悪人をや、善人が天国に行くのに、悪人が救われないはずがないといっていて、彼は福音書の漢文訳を読んでいたんですね。西本願寺にマタイの漢文訳があるらしい。

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5:48 午前  
Blogger yoji said...

2007年12月1日 呉智英夫子(新崎智)の授業 at 理科大
http://d.hatena.ne.jp/YdaTanuki/20080102/1199201408
http://i.imgur.com/fHI89xG.jpg

朝には紅顔ありて
夕には白骨となれる身なり
これ有名な言葉ですね
朝には美少年、美少女かと思っていたけれども
夕方にはもう死んでしまって、焼き場で焼いて白骨になってしまう。
こういうことですね
10行ほど飛んで行って、後ろの7行ほどいきますかね
たれの人も はやく後生の一大事を
心にかけて
阿弥陀仏をふかく
たのみまいらせて
念仏もうすべきものなり
あなかしこ
あなかしこ

はだしのゲンの一番のテーマが、原爆の災禍に対する怒りである
戦争に対する怒りである
ところが感動的な一番感動的であるのは
原爆の災禍の中で戦っていくところではなくて
友子の葬式のシーンである。
このほかには連載の都合で一、二回見開きが使われているだけで
他には見開きが使われていない
被爆のシーン、あの恐ろしい原爆の恐怖を訴えた被爆のシーンも見開きが使われていない。
友子の葬式のシーンに、見開きが使われている。
しかも、そこで書かれているのは、上に挙げたように
蓮如上人の御文章である。
ここに被曝に対する怒りとか、原爆に対する抗議というものは全く描かれていない。

5:03 午後  
Blogger yoji said...

2017/02/15(水) 00:07:57.67 ID:k3uJ8RUs0
>>205
ひとくち法話84~92話 ―聖徳太子―
http://www.senjuji.or.jp/hitokuchi/84_92.php

第84話 聖徳太子と親鸞聖人(しょうとくたいしとしんらんしょうにん)

真宗のお寺には、本堂右余間に「七高僧(しちこうそう)」と「聖徳太子(しょうとくたいし)」の画像が
並んで安置されています。これは親鸞聖人(しんらんしょうにん)が聖徳太子を
日本のお釈迦(しゃか)さまと仰がれ、太子の仏徳(ぶっとく)を讃歎(さんだん)されたからです。

(中略)

第88話 お寺に太子のお軸があるわけ(おてらにたいしのおじくがあるわけ)

親鸞聖人は、修行が行き詰まると、聖徳太子のご示現におたずねされたという記録が残っています。
その1は、19歳の時に太子の御廟である磯長(しなが)に参籠(さんろう)されたという記録です。
2日目の夜に「親鸞よ、諦(あき)らかに聞きなさい。汝の寿命はあと十余歳です。
命終わったら速やかに浄土に往生させましょう」というきびしいものでした。
聖人はおどろいて、心を新にして再び比叡山に登って修行に励まれました。

その2は、29歳の時です。いよいよ修行に行き詰まって、太子の創建といわれる
京都の六角堂に籠(こも)られて、太子のご示現に賭けられました。
その95日のあかつきにようやく太子が観音菩薩の姿であらわれて、
「後世(ごせ)のことは、法然上人を訪ねなさい」ということでした。

このように聖人は「和国の教主 聖徳王」(前項参照)、つまり聖徳太子は、
日本のお釈迦さまですと尊崇(そんすう)されて、
『皇太子聖徳奉讃』という和讃を百首程もお作りになっております。
そこで、真宗のお寺には、この聖人のお心をいただいて太子のお軸を掛けているのです。

註 ご示現とは、「仏・菩薩が衆生(しゅじょう)救済」のため、いろいろ姿をかえてこの世にあらわれること」

ひとくち法話No88 ―聖徳太子5― より

7:15 午前  

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