土曜日, 1月 07, 2017

静嘉堂の”四条河原遊楽図”


遊女による女歌舞伎の舞台(静嘉堂文庫美術館所蔵『四条河原遊楽図屏風』)

歌舞伎への誘い | 女歌舞伎から若衆歌舞伎へ

http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/2/2_02.html

女歌舞伎から若衆歌舞伎へ

阿国が創始した「かぶき踊り」が人気を博すと、それをまねた遊女や女性芸人の一座が次々と現れました。このような女性たちによって演じられた「かぶき踊り」を「女歌舞伎」といい、京だけではなく江戸やその他の地方でも興行され流行しました。図は京の四条河原の仮設の舞台で行われた「女歌舞伎」で、そろいの衣裳に身を包んで輪になった遊女たちが、当時最新の楽器だった三味線に合わせて踊る様子を描いています。

 

しかし「女歌舞伎」は、風俗を乱すという理由で1629年[寛永6年]前後から禁令が出されるようになり、次第にその姿を消していきました。

「女歌舞伎」の禁令により、前髪のある成人前の少年が演じる「若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)」に人気が集まります。しかしこれも風俗を乱すため、1652年[承応元年]頃から禁令が出されるようになります。

この禁令以降、前髪をそり落とした野郎頭(やろうあたま)の成人男性が演じる「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」の時代に入っていきます。

 


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静嘉堂の”四条河原遊楽図”
http://alexleo.blog.so-net.ne.jp/2012-05-12-2
同じ衣装を着て踊るのは遊女歌舞伎、真ん中で三味線を弾くのは人気No1のスターでしょう。見物衆は誰一人として同じ恰好をしている人はいません。飲み食いや喧嘩をしながら見ています。先日紹介した”洛中洛外図”からこんな風に風俗画として特化されていくんですね。静嘉堂の”四条河原遊楽図”は飛び抜けて面白いです!