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NAMs出版プロジェクト: バクーニン:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2016/12/blog-post_25.html(バクーニンは)極端なツリー型の秘密結社(前衛党)を作ろうとしたのである。バクーニンは「革命家の教理間答」にこう
いている。《一人一人の同志の手元には、数人の第二、第三の革命家がいるベきである。これらの革
命家は完全には革命に身を委ねていない人たちである。革命家はこれらの人々を自分の管理下にあ
共通の革命的資本のー部と見なすベきである。彼は自らの資本の分け前をつねにそこから最大の利
益を引き出すことができるよう、経済的に使わなければならぬ》。
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(40)ネチャーエフはバクーニンが「革命家の教理問答」に書いた組織論を実行した。それがバクーニンの
意に反したことであれ、彼の組織論から生じたことは否定できない。一八四〇年代のロシアの社会主義運
動は、バクーニンもふくめて、フォイエルバッハの影響から始まっている。若いドストエフスキーもそこ
にコミットし、シベリア流刑に処せられたのである。彼がのちにネチャーエフ事件に触発されて『悪霊』
を書いたことはいうまでもないが、革命政治ヘの彼の洞察は、マルクス主義者ではなく、アナーキストの
運動から来ることに注意べきである。もしそれが二〇世紀のマルクス主義者の運動に妥当するのだとす
れば、それがマルクス主義だけでなく、アナーキズムにも共通する問題であったということを意味する。
アナーキストは「理性」の支配を否定する。しかし、「理性」によってしか「理性」の批判をなしえない
というパラドックスを忘れてはならない。たとえば、ベルグソンの「知性」批判も、理性による理性の批
判のー形態である。そのことが忘れられると、直観や生命の優位が端的に主張されるようになる。しかし、
それは実は、別のかたちをとった「理性の越権」にほかならないのである。たとえば、ソレルは、ベルグ
ソンにもとづいて、国家権力をーつの force 労働者ゼネストを violence と呼んだ。前者が抑圧的な知性で、後
者は生の躍動である、という。しかし、彼の理論が実を結んだのがむしろムッソリーニのファシズムにお
いてであったということは、偶然ではない。
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ネチャーエフ「カテキズム」が読める本は? - 文学 | 【OKWAVE】
http://okwave.jp/qa/q7397770.html
『革命家の教理問答集』あるいは『革命家の教理問答書』のタイトルでバクーニン著作集5(白水社ほか)で邦訳は読めるようです。
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38.社民党批判6.(アナーキズムとは何か?) ( 政党、団体 ) - 安岡明夫HP(yasuoka.akio@gmail.com) - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/15341856.html?__ysp=44OQ44Kv44O844OL44OzIOS6lOS6uue1hA%3D%3D「革命家は死すべく運命づけられた人間である。彼には・・感情も愛着も・・ない。・・すべての法律、・・道徳とのあらゆるきずなを絶っている。彼にとってこの世界は容赦なき敵であり、もし彼がその中で生き続けるならば、それはこの世界をより確実に破壊せんがためにほかならない」(同p.401)。
「人民の堕落は・・権利・・」「私は人民による盗奪行為を擁護する・・」(同p.355)。
「盗賊団を人民革命の武器として用い」るべきと(同p.356)。