金曜日, 1月 20, 2017

盲亀浮木:メモ

              
            (リンク:::::::::仏教

NAMs出版プロジェクト: 盲亀浮木(もうきふぼく)

http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/blog-post_96.html

盲亀浮木(もうきふぼく):

志賀直哉の小説の題名にもなった☆☆、その確率論的世界観…
「有り難う」の語源とされる

【仏教入門】盲亀浮木のたとえ話

https://youtu.be/hwzWlCSUtwE
[四肢を引っ込める亀を肯定的に見た別の比喩は仏教以前にあった]

         ____浮木(穴が空いている)
    ~~~/_〇__/I~~~~~
~~~~~~I~~~~I~~~~

  +__  +_ 
 +/♯#\ /×_) 
(ソ♯#♯#Y+/  盲亀(100年に一度浮かび上がる)
~(_)――-(_)′   
~
____海底____

参考:
『雑阿含経』 『法華経#27』

“ありがとう”は仏教から生まれた言葉|ぴょんたのひまわり日記

http://ameblo.jp/go-go-pyonta/entry-10214506442.html

九鬼周造はこれを『偶然性の問題』3:8で離接的可能性の一つとして例に採用している。



出典

雑阿含経☆他


めざめた人(ブッダ)については、(ダンマパダ)第一四章にまとめられています。


   人間として生をうけることはむずかしい。死すべきものが生きることはむずかしい。正しい教えは聴きがたいものであり、もろもろのめざめた人の出現は得がたいことである。(一八二)


  「人身うけがたし、仏法聴きがたし」ということばがよく引かれます。人間としての生命を受けたことが尊いのです。

また「盲亀浮木に会う」(『法華経』妙荘厳王本事品[#27☆☆☆]など仏典に多数出てきます)ということばもあります。それはガンジス河のような大きな河で、目の見えない亀が流されている。それがたまたま流れてきた木に出会って、そこに穴がある。その穴に身をひそめて救われることができる。こんな奇遇はなかなか起こりがたいことでしょうが、仏法を聞くというのも、そのようなまことにありがたい尊いことである。「有り難い」ことだから「有り難い」と、さらに「ありがたい」となるわけです。そういうたとえに使われるのです。

中村元原始仏典


☆☆☆

《仏には値いたてまつることを得難し。優曇波羅華の如く、又、一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し。》

法華経


盲亀の浮木
【読み】 もうきのふぼく
【意味】 盲亀の浮木とは、出会うことが甚だ困難であることのたとえ。また、めったにない幸運にめぐり合うことのたとえ。
【盲亀の浮木の解説】
【注釈】 大海の底にすみ、百年に一度だけ海面に出てくる盲目の亀が、海面に浮かぶ一本の木に出会い、その木にあいている穴に入ることは容易ではないという、仏教の説話から。
もとは、仏または仏教の教えにめぐり合うことは、非常に難しいことをいったもの。
「盲亀浮木に値あう」の略。 
「盲亀の浮木、優曇華の花」と続けてもいう。
「優曇華の花」は、三千年に一度咲くという想像上の吉兆の花。
【出典】 『雑阿含経』 『涅槃経』
【注意】 -
【類義】 一眼の亀浮木に逢う/千載一遇

T0099_.02.0108c05: 佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行
T0099_.02.0108c06: (四〇六)如是我聞。一時佛住獼猴池側重閣講
T0099_.02.0108c07: 堂。爾時世尊告諸比丘。譬如大地悉成大
T0099_.02.0108c08: 海。有一盲龜。壽無量劫。百年一出其頭。海
T0099_.02.0108c09: 中有浮木。止有一孔。漂流海浪。隨風東西。
T0099_.02.0108c10: 盲龜百年。一出其頭。當得遇此孔不。阿難
T0099_.02.0108c11: 白佛。不能世尊。所以者何。此盲龜。若至
T0099_.02.0108c12: 海東。浮木隨風。或至海西。南北四維圍
T0099_.02.0108c13: 遶亦爾。不必相得。佛告阿難。盲龜浮木。雖
T0099_.02.0108c14: 復差違。或復相得。愚癡凡夫。漂流五趣。暫
T0099_.02.0108c15: 復人身。甚難於彼。所以者何。彼諸衆生。不
T0099_.02.0108c16: 行其義。不行法。不行善。不行眞實。展轉
T0099_.02.0108c17: 殺害。強者陵弱。造無量惡故。是故比丘。
T0099_.02.0108c18: 於四聖諦。當未無間等者。當勤方便起増
T0099_.02.0108c19: 上欲。學無間等。佛説此經已。諸比丘聞佛
T0099_.02.0108c20: 所説。歡喜奉行
T0099_.02.0108c21: 雜阿含經卷第十五



T0086_.01.0909a05: 佛言。人在三惡道難得脱。譬如周匝八萬四
T0086_.01.0909a06: 千里水中有一。水上有一浮木有一孔。
T0086_.01.0909a07: *龜從水中百歳一跳出頭。寧能値木孔中不。
T0086_.01.0909a08: 諸比丘言。百千萬歳尚恐不入也。所以者何。
T0086_.01.0909a09: 有時木在東*龜在西。有時木在西*龜出東。
T0086_.01.0909a10: 有時木在南*龜出北。有時木在北*龜出南。
T0086_.01.0909a11: 有時*龜適出頭。木爲風所吹在陸地。*龜百
T0086_.01.0909a12: 歳一出頭。尚有入孔中時。人在三惡道處。難
T0086_.01.0909a13: 得作人過於是*龜。何以故。三惡處人。皆無
T0086_.01.0909a14: 所知識亦無法令。亦不知善惡。亦不知父母。
T0086_.01.0909a15: 亦不知布施。更相噉食強行食弱。如此*曹
T0086_.01.0909a16: 人。身未曾離於屠剥膿血瘡。從苦入苦從冥
T0086_.01.0909a17: 入冥。惡人所更如是
T0086_.01.0909a18: 佛言。譬如人有揜者初亡甚多。至亡妻子田
T0086_.01.0909a19: 宅。羸跣無所復有。尚復負餘。財主大促責。


雑阿含経

雑阿含経』(ぞうあごんきょう、Saṃyukta Āgama)とは、仏教の漢訳『阿含経』の1つ。説一切有部所伝[1]パーリ語経典の「相応部」(サンユッタ・ニカーヤ)に相当するが、パーリ語経典相応部と異なり、こちらは「雑」の名からも分かるように、元々の主題別のまとまりが崩れてしまっている[2]。計1362経[2]大正新脩大蔵経No99[3]

日本語訳編集

  • 『国訳一切経』 (印度撰述部 阿含部 第1-3巻) 大東出版社
  • 『新国訳大蔵経』 (印度撰述部 阿含部4-5 雑阿含経) 大蔵出版

脚注・出典編集

関連項目編集

外部リンク編集

  • 雑阿含経 - 大正新脩大藏經テキストデータベース (東京大学大学院人文社会系研究科)

サンユッタ・ニカーヤ

盲亀浮木(もうきふぼく)の喩え

寿命百千歳になる一匹の盲亀があった。
この盲亀は大海から大海へと流れ浮いている浮木を求めていた。
この浮木は一枚の小さな木の板で、そこにはちょうど亀の頭が入る程度の小さな穴があいていた。
風に吹かれ波に揺られた浮木はひとつところに定着しないで、いつも洋上をゆらゆら流れ浮いていた。

そこへ一匹の亀が百年に一度東からやってきて、たった一度だけ頭をもたげると言うのである。
この盲亀がちょうど頭をもたげようとしたとき、その小さな穴のある板が東風に吹かれて南の方へ移動し始めた。
盲亀が東方へ遊泳してきてもその板が南方へ流されるので、その小板に触れることすらできない。
まして、小さな穴の中に頭を入れることは不可能であった。

それから百年過ぎたある日、盲亀が南方からきて一度だけ頭をもたげた。
すると例の小板はあいにくと南風に吹かれて西の方へ移動した。
このようにして、盲亀が西方からくると小板は西風にあおられて北方へ、
北方からくると北風に揺られてその小板は他の方向へ移動する。
このようにして百年に一度だけ頭をもたげ、ちょうどその小板の小さな穴に、
その盲亀が頭を突き出すことは至難である。


         (『中部』三・一六九頁以下。「南伝」第十一巻下、二百十六~二百十七頁
                  漢訳『中阿含』巻五十三。「大正蔵」第一巻七百六十一中~下)



☆☆

昭和文学大全集3 志賀直哉 「盲亀浮木」~クマ~(愛犬)短編を長文引用。志賀直哉のキャラ、小説技術が良く出ている。写真のクマは見栄えのする堂々たる犬。どう見てもセッターである。 ( 政党、団体 ) - 反俗日記 - Yahoo!ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/27039786.html?__ysp=55uy5LqA5rWu5pyoIOW%2Fl%2BizgOebtOWTiSDniqw%3D
  昭和文学大全集3 志賀直哉 「盲亀浮木」 
 
     クマ
「~帰ろうとすると下から二番目の娘が一匹の子犬の首に両手の間に挟んだまま、、しゃがんでなかなか立とうとしない。
『欲しいわ。この犬ほしいわ』と私の顔を見上げ、殊更、そういう表情をして承知させようとした。またその子犬もどういう気持か、尻尾を垂れ、い彩におとなしくしているのだが、そんなはずはないのだが、もらってもらえるか心配しているようにもみえるのだ。ムク犬で、如何にもゲテモノの犬だった。
~『東京まで連れて行く犬ではないから、引き揚げるとき誰かにもたってもらうんだ』 W、奈良在住13年。上京へ。
こんななことを何度も子供たちに確かめておいた。シェパード、エアデールあるいは日本犬など純粋な犬が良好している時、この雑種のだ権をいつまでも買っておく気はしなかった。それに、そういう犬の野良犬根性には梃子づッた事があり、~小品にも書いたが、駄犬には懲りていた。今はかわいいがいずれあんな犬になりそうと思われたので、予め子供たちにそういっておいた。
結局、熊の様だと云うのでクマとなずけた。
 ココで男の子が学校にだした「熊」という作文の冒頭を映してみる。
『~熊は犬の名前である。熊と名前をもらいだけあって、長い毛がもじゃもじゃしている。唐獅子にも似ているし、熊にも似ているが、やはり犬である以上は犬にも似ている。』
 確かに犬にも似ている犬である。
クマがまだ小さいころ、奈良公園を連れて歩いていると、奈良に遊びに来た女が眼に角を立てて『けったいな犬やなあ』と見下ろして行ったことがある。長い、白と濃い茶の毛が分かれ分かれでなく、ごちゃごちゃに密生しているのが、如何にも汚れているようで汚く見えた。それゆえクマの容貌には極端に卑下していたが、買っているうちに性質の良いことがだんだんはっきりしてくると、自分でもいがない名ほどこの犬が可愛くなった。賢く下品なところがない犬だった。見かけによらぬとはこのことだと想った。
W、買ってきた~家鴨(アヒル)庭の方に下げてくると匂いで知れるのか、クマは異常な好奇心で耳を前向きに立て、尻尾を上げ、それを固くして振りかざしながらついてきた。
~笑死が起こればやめるに違いがないという自信から、クマのいるところで、かまわず、家鴨を袋から出しみた。同時にクマは偉い勢いで飛びかかっていった。庭じゅう大変な騒ぎだ。子供らの悲鳴、私のどなる声、家鴨の驚いた鳴き声、そしてクマだけが黙ってそれを追いかけた。クマが加えて抜けた羽がその辺に飛び散る。しかし愚鈍のようでも家鴨は案外上手に逃げまわり、遂に身体をかまれることはなかった。
~私は男の子に家鴨を捕まえさせて来させ、クマの花に刷りつけるようにして、さんざん尻をなぐってやった。クマは地面に腹をすりつけ、哀しげな目つきをしていたが、それでクマにはこの鳥を追いかけてはならぬことが良くわかった。
~家鴨は群居している習性から、一羽になると酷くさびしがり、庭の中をクマの後ばかりついて歩いき、クマが寝転ぶと、その鼻先に来て自分腹を地面につけ、羽根の間に頭を埋め、寝るというふうで、クマの方はそれに喜ぶ様子もなかったが、家鴨の方はすっかりクマになれ、終始一緒にいるようになった。
~~
そして昨年の春、私たちが出てくるとき、クマも一緒に出てきたが、賢いようでも田舎者のことで、迷子になっては困ると想い、クマは10日間鎖につないでおいた。
~運動に連れて歩き、もう大丈夫だろうと思ったので、、10日目に私はクマを鎖から放してやった。
ところがそれから2,3にちしてクマはやはり迷子になってしまったのだ。
~奈良とと違い東京では佐賀市に出てみたところが、探し当てる見込みはなかった。それでも子供たちを連れ~射的場の山の上から四方を向いて、子供と一緒に大声でクマを呼んでみたりした。ひどく寒い風の吹く夕方であった。
 近所の交番に私自身出かけて届けても、巡査はとても探すわけにはいかにと云い、2,3日して帰らなかったら、廃犬届けをする方がいい、その世話ならするという話だった。
 賢い犬にしては似合わしからぬ事に想われた。電車など一度も見たことのない犬で、電車にはね飛ばされたかもしれず、また、よく自動車を追いかけたりする開けないない犬のことで、ソレにひかれて死んだかもしれぬなどと私たちは話し合った。
 夜、犬の鳴き声がすると、クマの声に聞こえ、起きて、窓を開け、夜中、近所もはばからず大声で呼んでみたこともたびたびであった。
もしかすると、どうしても自家が分からず、奈良に変える気になったのではなかろうかという想像もした。
~『そんなこともあるまいが、とにかく、手紙を出しておく方がいいね』と私は家内に奈良へ手紙を出させた。
 このころ、東海道を西へ向かって、食うものも食わずに歩いているクマの姿を考えると、不快な気持になった。
『もう幾日になるだろう』
4日の晩のご飯は食べているのですからーー』などと、日を数えたりした。
  
 
 ある日、私は男の子を連れ神田の本屋に子供の使う虎の巻を買に行くことにしていた。
結局出かけることにして、男の子とその下の女の子を連れて自家を出た。
~~~~~
このバスが江戸川橋の十字路を通る時、私は何気なく外を見ていたが、護国寺の方へ江戸川橋を渡って小走りに駆けていく犬が、遠目にクマに似ているような気がした。
~迷いつつ子供に『あれクマじゃないか?』というと、内で一番動物好きの女の子がたちあがり、興奮して
『クマだクマだ』とおきな声を出した。
 バスはすでに十字路を超え、犬の姿は家に隠れて見えなかったが、私は子供に『次の停留所で待ってなさい』
といい、起っていくと、女車掌はとうせん坊をして
『どうぞ次の停留所でお降り願います』と云った。
『自家のはぐれ犬がいるんだ。一寸おろしてくれ』
『規則でございますから』
 私は女車掌を押しのけてバスから飛び降りたが、運転手は何も言わず、私にために、危険のないだけ速度を緩めてくれた。
~私は見境もなく
『クマーークマ』と大声で呼んだが、犬は振り向こうともしない。私は犬より速く走って間の距離を縮めるより方法はない訳だが、情けないかな、一生懸命走るつもりで、ソレがさっぱり速くないのだ。走ることは得意な方だと想っていたが、、ソレは過去の記憶であって、現在の自分は身体がまるで云うことをきかなかった。
~~
ここで見逃せば再びクマに出会うことはないと想うと、見境構わず『クマーー、クマーー』私はどなった。
~そして私が弱るに従ってクマとの距離はだんだん遠くなっていくのが気が気でなかった。
~~~
『あの犬ですか』戦闘帽をかぶった職工風の若者が、すぐわきの自転車にまたがり、追いかけてくれた。~若者はその前から、犬を追いかけている私を見ていたに違いない。
~若者は間もなく追いついたが恐ろしいのかすぐ捕まえようとせず、自転車で唯、そのあとをついていくのは遠く見えた。
 空の円タクが来たので止めて乗った。
『茶色の大きな犬でしょう?』彼方からきた円タクでクマを見ていたのは好都合だった。
 護国寺の門の前でようやく捕まえることができた。自転車の若者に少しばかりの礼をしようとしたが、なk中受け取らないので無理に渡し、私はクマとともに自動車で~江戸川橋の上で待っていた子供をもせ、神田行きはやめにして~。
江戸川橋に来て、男の子と女の子がのってくると、クマは自分が救われたことを、ハッキリ意識したらしく、非常に喜んだ。そして腰かけている私の両肩に前足をかけ、いくらそれをはずし、座らそうとしても、またしても立って私の肩に両の前足をかけ、わたしの顔の前で長い舌を出し早い息使いをしていた。
 あきらめていたところだったから、自家の者の喜びは非常だった。
牛乳をやり、バターをつけたパンをやり、シュークリームまで与える子供もあった。しかしクマは始めはガツガツ食っていたが、それよりもしばらく眠らしてほしいと云う風に、前足の間に首を入れ、薄眼を開いたり閉じたりしていた。
『偶然かもしれないが、偶然ばかりじゃない気もするね』
『よっぽど縁が深いのね。可愛がってやっていいわ』
『田中に頼んでおいたエアデル、どうするかな、断ろうか』
『そうね、二匹となると、いくらか情愛が薄くなったりするとかわいそうだから、お断りになったら』
~~~
それにしても偶然と云ってしまってもいいものかどうか、わからない気がした。
 私は2,3日、腿の肉が痛み、歩行に不自由した。クマの方もやはり2,3日はすっかり弱っていて寝てばかりいたが、ソレを過ぎるとまた元気なクマに帰った。
~~~
 クマがいなくなって、1週間、私たちの心は何となく晴れなかったし、クマの方はおそらく必死になって私たちを探していただろう。そういう両者にとって十字路での3秒のチャンスは偶然すぎる。
 
***
 松岡正剛 千夜千冊 1236夜 志賀直哉 http://1000ya.isis.ne.jp/1236.html 転載 
『邦子』発表の頃の直哉と飼い犬クマ  奈良上高畑にて (昭和2年)
イメージ 1W。志賀直哉が描写している「クマ」の容貌とこの写真の「クマ」とはあまりにも違うので驚いた。イギリスのセッター種の血筋の濃い堂々たる見栄えの良い犬である。子犬のころとは云え、容貌において極端に卑下するような犬ではない。多分、物凄く特徴のある可愛い子犬だったと想う。志賀もそれを感じていたから、引き取ったが、その辺をストレートに出ず、話に広がりを持たせるのが、志賀直哉のテクニックである。
 
W。これまでのクマに纏わる想い、行動は志賀直哉らしいが、ココから先、いきなり数字の計算を持ち出して、妙な例かもしれないがと断りつつ、偶然の重なったとき、を1円玉の数に例え、中途半端な宗教的解釈に留めていくところに、志賀直哉的思考パターンの典型を見る。
私の頭の中では、その何かとは一体何だろうと想うだけで、、それ以上は考えられない。」のではなくて、その方面ついて考えることは「暗夜行路」の完結によって自己完了しているのである。
***
 
>わたしは次のように計算してみた。
一日が60万4800秒。
ソレを私たちがクマを発見に費やした3秒で割ってみると20万1600。
つまりそれは20万1600の1のチャンスだったわけである。
妙な例かもしれないが、
1円玉を20万1600個置いて、それから、その一つを選び出せ、と云われてもそれは全く不可能だろう。
ところがそういうことが実際に起こったのだ。
 私は昔禅をやっていた叔父から「盲亀浮木」という言葉について聴いたことがあるが、コレは単に盲目の亀が浮き木に巡り合ったというだけのことではなく、100年に一度しか海面に首を出さないという盲目の亀が西に東に、南に北に、太陽を漂っている浮き木を求めて、100年目に海面に首を出したら、浮き木に一つしかない穴のところから首をだしたという、あり得べからざることの実現する寓話だというのだ。
 クマの場合は現世で起こったもっともそれに近い場合だったような気がする。私が何十年か前に愛読したメーテルチンクの**謄本に書かれている運命の善意と云う考えも思い浮かんだ。そういうものかもしれない。
また仮に偶然としてもただ偶然だけではなく、それに何かの力の加わったものであることは確かだと想うのだ。
>しかし、私の頭の中では、その何かとは一体何だろうと想うだけで、、それ以上は考えられない。

心境小説 長編 「暗夜行路」はDVD化されていないと想う。ビデオで見たが、シーン進行のテンポが遅すぎるし
時任謙作=池辺良の設定を違和感があった。
一回目に見たときは途中でやめた。小説家の内面を画面に表現するのは難しい。主役の俳優の存在感の問題もある。ミスキャストとすぐ直感した。主人公が全編のシーンを引っ張る映画ではコレは厳しい。
二回目もチャレンジしたはずである。時任謙作が大山に登山していくシーンだけ覚えているが、途中経過は完全空白である。
小説「暗夜行路」も大山のシーンだけしか記憶にない。
結局、あのようなディテールを続けて、煩悶するところに無理があるのではないか。しかし、志賀直哉と当時の読者は、「暗夜行路」に納得した。志賀直哉の文章力によるところが大である。全てと云って良いほどかもしれない。
「事実は小説よりも奇なり」だが、二つの不幸を一人の人間に続けたところに無理があり、ソレで煩悶する設定には疑問がる。
 
文芸映画には定評のある監督
新劇畑の演技に定評のあるの役者を揃えた豪華きわまるキャスト
個々の役者の演技ぶりを見ても、楽しめたはずはずなのに、全く記憶にない。
スタッフ
 監督:豊田四郎
 製作:滝村和男、佐藤一郎
 脚色:八住利雄
 撮影:安本淳
 音楽:芥川也寸志
 
キャスト
 時任謙作:池部良
 直子:山本富士子←このヒトの演技力にも問題が
 
お栄:淡島千景←「夫婦善哉」織田作之助原作の演技は、はまり役とは思うが、あれでも森繁久弥はOKだが、淡島は如何にも過ぎて、ウソっぽい。最初から最後まで納得できなかった。
 時任信行:千秋実←黒澤の『七人の侍」など、田舎芝居的演技をなんで評価されたのか分からない。才能?
 謙作の母:文野朋子
 謙作の父:中村伸郎←手堅い演技。本物。
 本郷の婆や:荒木道子
 愛子の母:長岡輝子←うまいな。腰が据わっている。
 石本:仲谷昇←役柄限定の役者
 高井:北村和夫←千秋実と似ているところがある。



人間として生まれ難いのは...『雑阿含経』の中には、有名な盲亀浮木の譬... - Yahoo!知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1286618987?__ysp=6ZuR6Zi%2F5ZCr57WMIOebsuS6gOa1ruacqA%3D%3D

人間として生まれ難いのは...
『雑阿含経』の中には、有名な盲亀浮木の譬喩が説かれています。
ある時、釈尊が
「たとえば、大海の底に一匹の盲亀がいて、百年に一度、海上に浮かび上がるのだ。

その海には、一本の浮木が流れていて、浮木の真ん中に、一つの穴がある。
盲亀が百年に一度浮かび上がった際に、その浮木の穴へ、ちょうど、頭を突っ込む
ことがあるだろうか」と尋ねられた。

阿難という弟子が、「そんなことは、毛頭、考えられません」と答えると釈尊は、
「誰でも、そんなことはありえないと思うだろう。だが、何億兆年よりも永い間には
絶対にないとは、誰も言い切れないであろう。人間に生まれるということは、この例え
よりもありえない有り難いことなのだよ」

と言われたそうですが、これは生物学的にひとつの卵子と何億という精子の中の
わずか1匹との結びつきを意味していると思いますか?
それとも心霊的な生まれ難さを意味していると思いますか?

____


以下に盲亀浮木は訳されていない。



ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1) | 中村 元 |本 | 通販 | Amazon

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投稿者 ドラゴン ポルト トップ1000レビュアー 投稿日 2006/1/26
サンユッタニカーヤの翻訳です。

初期の仏典です。さまざまな人がブッダに問いを発し、ブッダがシンプルであり明快な回答を与えています。後期の仏典のような大げさな記述は少なく、シンプルに真理の言葉を述べています。

いろいろな場面での仏陀の言葉は今の私たちにも通用するものです。むしろ複雑化してしまったわれわれのほうが間違っているのかもしれません。
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投稿者 ござねぶり トップ500レビュアーVINE メンバー 投稿日 2015/7/13
中村氏の岩波文庫に収められた本の多くは原始仏教の経典を翻訳したものであり、本人の考えを表現した著述とは異なる。
この基本部分が理解されていないと、レビューの方向があらぬ方へ飛んて、書かれたことや内容の理解に遠いものになってしまう。

中村氏は深くブッダに心を寄せた人だったからこそ、仏陀の最初の(原点の)教えはどんなものだったのか?学びたい・知りたい
という背景から、数多くの原始仏典と呼ばれる経典を学び、分かりやすく日本語に翻訳された。(この本でも見られるように本文に
比較して同じ以上とも思われる注記の丁寧な記載の分量に驚く)
仏は「教えをどう説かれたか」を書いた仏典に対し、「信仰心や死後の問題、魂などを書くこともない唯物論に毒された本」と書かれた
方もいらっしゃるが、全文を読み通せば全く勘違いだと思われるし、最終章の尊師は次のように説かれたという詩のなかで「老と死」に
関してこうあるのを見れば認識も改まるのではないだろうか。
「身体により、ことばにより、心により、法にかなった行いをなす人を、この世では人々が賞賛し、死後には天界で楽しむ」(P216,217)
1・2篇から、第3篇「コーサラ」へと進むほど仏の教えとして分かり易く伝わってくる。
仏陀の生きた北インドからネパールに到る地形や風土が、仏典の端々に窺え、原始仏教の説かれた空気まで伝わる良書に感じます。
この「神々との対話」は、仏典「サンユッタ・ニカーヤ」の前半部で、後半は同じく岩波文庫「悪魔との対話」です。

[26,239頁に四肢を引っ込める亀を肯定的に見た別の比喩あり]

ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2) | 中村 元 

https://www.amazon.co.jp/dp/400333292X/


投稿者 ござねぶり トップ500レビュアーVINE メンバー 投稿日 2015/8/5
原始仏教の経典でまとまったものとして、パーリ語の経典とそれに相当する漢訳経典がある。
この「ブッダ悪魔との対話」は、パーリ語経典「サンユッタ・ニーカヤ」の後半部分にあたる。(前半は同じく岩波文庫の「神々との対話」)
漢訳の仏典としては、ほぼ「雑阿含経」に含まれて現在に残されている。
原始仏教の聖典は、戒律についての規定および説明の集成である「律蔵」と、釈尊およびその直弟子の説教の集成からなる「経蔵」
そして哲学的論議の集成である「論蔵」から成り立っていて、これを「三蔵」と呼ぶが、このサンユッタ・ニーカヤは経蔵に含まれる。
(参考:NHKブックス「原始仏教」中村元著P44・5)

本書は釈尊や尼僧、直弟子などが、対立する思想体系を持つ宗教家(=悪魔、梵天)らと、悟りを得て獲得した思想・行為をもとに、
相手と議論を戦わし、釈尊の教えの優れているところを言葉や詩句を使い、相手を打ち負かし教えを広める様子を描いている。
経典特有の同じ言葉の繰り返しや、宗教自体の持つ思想上の深遠さなどあり、簡単には理解が進むという本ではないが、時間を
かけ、他の中村氏の著書や訳注などを参考にして進めば、少しづつ道は開く。
北インドからネパールに到るモンスーンのある地域の山河、植生などからなる景色、インダスの流れ、生息する動物、人々の生活が
文章の端々から浮かび上がり、その時代の北インド風土記を思わせる。
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投稿者 有閑子 トップ1000レビュアー 投稿日 2016/12/11
仏陀と悪魔との会話、仏陀がサッカ(帝釈天)について弟子達に語った話を集成した原始仏典です。文章に難解なところはなくシンプルそのもの、仏陀が説こうとしていることもシンプルそのものストレートに読み手のこころに入ってきます。でもシンプルゆえに日々生きていくなかで実践しようとすると難しいのですよね。でも仏陀の説くように生きていけたらどんなに人生が豊かになるだろう、そうなれるように心掛けて生きていこう、そんな気持ちにさせてくれる本です。同じフレーズの繰り返しも多いけれど読み進めていけばきっと何かが得られるでしょう。中村元さんの訳もやわらくて読み易く仏陀が始めた頃の仏教がどのようなものだったかを実感できます。穏やかで豊かな人生を望むひとにはおすすめしたい一冊です。
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一眼の亀の浮木に逢ふ

・かの中納言殿の御死骸を、三十餘人の姫たちに、これを御覧候へとて、引向けて見せければ、上臈たちの仰せには、「あら嬉しやな。この御死骸を見申さで消えんは、少し心に懸るべきに、今の最期に見申す事、まことに一眼の亀の浮木に逢ふが如し。優曇華も海中に開きぬるかと思ふ」とて、御死骸に抱き付き、いづれも涙にむせび給ふ。[仮名草子集『恨の介』上六二⑩] 《意訳》めったにない幸運のたとえ。 

・牛王の姫は承り 三度拝み奉り 喜涙をこぼしつゝ さて/\三代相恩の若君様にあふこと 一眼(がん)の亀(かめ)の浮木(ふぼく)にあふがごとくなり。[説経集『牛王の姫』四二二②] 《典拠》「仏難得値。如優曇波羅華。又加一眼之亀値浮木孔。(ほとけにはあふことうることかたくして、優曇波羅華のことし。また、一眼のかめの浮木あなにあふがことし。)」〔『法華経』、『仮名書き法華経』妙荘・西1286⑥、妙1296〕。「猶如盲亀値浮木」〔『往生要集』〕

命全ふ持つ亀は 蓬莱山に逢ふ

・牛王この由見るよりも「いかに申さん若君様 昔が今にいたるまで 命全(まつた)ふ持つ亀は 蓬莱山(ほうらいさん)に逢(あ)ふと聞 しばらく待たせ給へや 自らは 是より上の醍醐といふ所に しやうしん聖と申て 我がためには叔父なり 君の御ためにも御三代相恩の者なり」[説経集『牛王の姫』四二四⑤]《意訳》寿命を全うすれば、得がたき幸運にもめぐり合える。

 

3 Comments:

Blogger yoji said...


(以下「映画についての雑談」は『大系黒澤明』第4巻(2010年)に再録された。)

映画についての雑談  黒澤明

 映画とは何か?
 これを、的確に定義づけることはむずかしい。
 昔、志賀直哉さんがこれは近ごろの名文であるといって、お孫さんの書いた文章をどこかの雑誌に発表したことがある。[注:志賀直哉「盲亀浮木」]
 それは、「私の犬」という題だが、こんなふうに書いてある。
 私の犬は熊に似ている、狸にも似ている、狐にも似ている……と、その大の特徴をあげて、その点が似ている他の動物の名前を沢山ならべ、そしておしまいに、しかし、犬だから一番犬に似ている、 と書いてある。
 僕は、それを読んで思わず吹き出してしまったのを覚えている。今、こんな話を持ち出したのは、映画というものは、他のいろいろな芸術に似ているからで、映画には、大変文学的なところもあれば、演劇的なところもあるし、哲学的な面も、美術的、音楽的な要素もある。
 しかし、映画はあくまで映画だ、 と言いたい。
 映画を見ていて、映画美というか映画でなければそういう感動もないし、映画以外にはこういうことは表現出来ない、しかもそれが大変うまくいっている、そんな時には見ていて何かゾクゾクッとするような感動がある。 そういうものにひかれてお客さんも見に来るんだと思うし作っている人もそういうことをやりたいからやっている。
 つまり、そこに映画があるんだ、 と僕は考えているだけだ。
 では、そういうものをどんなふうに表現するかというと、僕の場合は、いつの場合でも、プロデューサーなり会社なりの出してきた企画はやったことがない。自分は今こういうことを言いたい、というのが作品になっていく。この自分が言いたいというものが映画の根になる企画だ。それを育てて一本の本にしていくのが脚本だ。その本に花を咲かせ、果実を実らせるのが演出だ。 そして、 その演出の仕事の中には、俳優の演技の指導、撮影、録音、美術、音楽、編集、ダビングという仕事がある訳だが、一応はそう分類しても、僕としてはその全部が一かたまりに溶け合って、 その一つ一つを切り離しては考えられない。
 プロデューサーが持ってきた企画をやる、 そして、 それをあるシナリオライターが書いて、演出だけを引き受けるという人もいるけれど、僕の場合は、最初からおしまいまで全部自分でやっているわけです。

7:02 午後  
Blogger yoji said...


 『藤十郎の恋』(山本嘉次郎監督・昭和13年)の時、完成が近づくころはもう何日も眠っていない。衣裳部屋へ行くと、おばさんが見かねて布団を延べてくれてちょっと眠りなさいって言ってくれる。でも、そうはしていられない。ただ、一度たまらなくなって1時間ぐらいその布団につんのめるようにして眠ってしまった。そうしたら、その間に、照明さんが荷重(ライトを支える吊り板)から落ちる事故があって……。
 その後セットヘ入って行った僕を山さんが珍しくきつい眼で見て「黒さん、何処へ行ってたの?」と言われたI時は、本当に穴があったら入りたかった。 それからは荷重(にじゅう)の上の照明部は腰を太綱でしばって、落っこちでも大丈夫なようにして……とにかく忙しくて大変だった。
 ある時、徹夜が続いたあと、やっと仕事が終わって表へ出た時の照明部の会話を今でもおぼえている。
 「おい、きれいな夕暁けだなあ!」
 「ばか、あれは朝けだぜ!」

7:03 午後  
Blogger yoji said...

盲亀浮木(もうきふぼく):

志賀直哉の小説の題名にもなった、その確率論的世界観…
「有り難う」の語源とされる

【仏教入門】盲亀浮木のたとえ話
https://youtu.be/hwzWlCSUtwE
[四肢を引っ込める亀を肯定的に見た別の比喩は仏教以前にあった]

         ____浮木(穴が空いている)
    ~~~/_〇__/I~~~~~
~~~~~~I~~~~I~~~~

  +__  +_
 +/♯#\ /×_)
(ソ♯#♯#Y+/  盲亀(100年に一度浮かび上がる)
 (_)――-(_)′   

____海底____

参考:
『雑阿含経』 『法華経#27』
“ありがとう”は仏教から生まれた言葉|ぴょんたのひまわり日記
http://ameblo.jp/go-go-pyonta/entry-10214506442.html

8:41 午後  

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