http://www.freeassociations.org/
坂本龍馬が見た世界地図:『新製輿地全図』(付:「藩論」)
http://nam-students.blogspot.jp/2010/01/blog-post_15.html坂本龍馬:「新国家」専心 暗殺5日前の書簡発見 - 毎日新聞
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/blog-post_13.html@坂本龍馬:「新国家」専心 暗殺5日前の書簡発見 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20170113/k00/00e/040/286000c?fm=mnm幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかった。高知県が13日午後、発表した。約1カ月前に将軍、徳川慶喜が大政奉還したことを受けて福井藩の重臣に宛てた書簡で、文中には「新国家の御家計(財政)」という言葉が使われ、同藩士の新政府の財政担当者への出仕を懇願している。龍馬研究の進展が期待できる一級の史料といえ、研究者は「龍馬が新しい国家の樹立を目指して活動していたことが明確になり、歴史的価値は極めて高い」と評価している。【錦織祐一、最上聡】
書簡は縦16センチ、横92センチで、11月10日の日付。京都の福井藩邸に滞在していた同藩重臣、中根雪江宛てで、本文中には「龍馬」の署名があった。
大政奉還を受け、徳川家の親藩だった福井藩の前藩主、松平春嶽の京都入りを「千万の兵を得たる心中」と歓迎。龍馬は同藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府の財政担当者に推挙していたが、三岡は幕府に強硬な姿勢だったため謹慎処分中だった。そのため、書簡で「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候(三岡の京都入りが1日遅れれば、新国家の財政成立が1日遅れてしまう)」と訴えている。
三岡は龍馬暗殺の翌月に京都に入り、新政府の五箇条の御誓文の起草に関わったほか、初期の財政も担当した。
龍馬の書簡で「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。鑑定した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬が死の直前まで新政府の樹立、新国家の建設に専心していたことをよく示す、貴重な史料だ。龍馬と福井藩との関係の研究も進展する」と話す。
書簡は、大政奉還と明治維新から150年を記念して高知県が開催する歴史博覧会「志国高知・幕末維新博」のため、全国の史料を調査する中で発見された。どのように保管されていたかや発見の詳しい経緯は明らかになっていない。3月4日から県立高知城歴史博物館(高知市)で公開される。龍馬の書簡は、暗殺される2日前の11月13日の日付で海援隊士だった陸奥宗光に宛てたものが現存では最後とされる。
三浦夏樹・高知県立坂本龍馬記念館学芸員の話 「新国家」建設に向け、龍馬が尽力していたことを示すものだ。龍馬の文字の特徴は出ているが、数ある書状の中でもきれいで丁寧に書かれており、松平春嶽に見られることも意識したのでは。何よりも国家建設には財政・経済が重要で、その任を担えるのが三岡だという、龍馬の考えが色濃く出ている。
幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかった。書簡の全文は以下の通り。
一筆啓上仕候、
此度越前老侯
御上京相被成候段
千万の兵を得たる
心中に御座候、
先生ニも諸事
御尽力御察申上候、
然るに先頃御直ニ
申上置キ三岡
八郎兄の御上京
御出仕の一件ハ急を
用する事に存候得ハ、
何卒早々御裁可
あるへく奉願候、三岡
兄の御上京が一日
先に相成候得ハ
新国家の御家
計御成立が一日先に
相成候と奉存候、
唯此所一向ニ御尽力
奉願候
誠恐謹言
龍馬
中根先生
左右
追白 今日永井玄蕃
頭方ニ罷出候得とも
御面会相不叶候、
談したき天下の
議論数々在之候ニテ
明日又罷出候所存ニ
御座候得ハ
大兄御同行相叶候ハヽ
実ニ大幸の事ニ奉存候
再拝
(封紙)
越前御藩邸
中根雪江様 才谷楳太郎
御直披
(封紙に付いた朱書の付箋)
「坂本先生遭難直前之
書状に而他見ヲ憚ルモノ也」
新たに見つかった坂本龍馬の書状が入った封筒。表には「坂本先生が暗殺される直前の書状であるため、他のものに見せないように」という意味の文章が書かれた付箋が貼られている=東京都千代田区で2017年1月13日午前11時49分、竹内紀臣撮影
幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかった。書簡の全文は以下の通り。
一筆啓上仕候、
此度越前老侯
御上京相被成候段
千万の兵を得たる
心中に御座候、
先生ニも諸事
御尽力御察申上候、
然るに先頃御直ニ
申上置キ三岡
八郎兄の御上京
御出仕の一件ハ急を
用する事に存候得ハ、
<坂本龍馬>10代目当主「龍馬が導いてくれた」…書簡発見 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170113-00000107-mai-soci 高知県の尾崎正直知事は13日、東京都内で記者会見し、慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に坂本龍馬が記した直筆の書簡が見つかったことについて、「この手紙を見た瞬間、背筋がぞぞっとした。まさに歴史の封印が解かれたという思いだ」と興奮気味に語った。
【写真特集】新たに見つかった坂本龍馬の書状
記者会見では、書簡を鑑定した宮川禎一・京都国立博物館上席研究員が意義を解説した。筆跡に加えて、福井藩士の三岡八郎との面会などこれまでに見つかっている他の史料の内容と一致することから、「疑う余地のない龍馬の親筆」と説明した。
尾崎知事はこの書簡を、3月4日に開幕する「志国高知・幕末維新博」に合わせ、県立高知城歴史博物館(高知市追手筋2)で一般公開することも発表。「龍馬の息吹を感じに博覧会に来てください」と呼びかけた。
龍馬、三岡、当時は前福井藩主だった松平春嶽、書簡の宛先の同藩重臣・中根雪江の子孫もこの記者会見に出席。坂本家10代目当主の坂本匡弘(まさひろ)さん(51)は「この書簡が大政奉還から150年という節目に見つかったのは、単なる偶然ではなく、龍馬が導いてくれたとしか思えない。ご子孫と一堂に会することができたのも龍馬のおかげと感謝しています」。
三岡の子孫の三岡慶胤(よしたね)さん(39)は「八郎は、新政府の財政基盤が弱かった時に文字通り命懸けで担い、近代国家の基盤をつくった。功績はあまり知られていないが、書簡発見を機に広く知ってほしい。博覧会にも協力したい」と語った。【錦織祐一/デジタル報道センター】
2 Comments:
<坂本龍馬>10代目当主「龍馬が導いてくれた」…書簡発見 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170113-00000107-mai-soci
<坂本龍馬>10代目当主「龍馬が導いてくれた」…書簡発見
毎日新聞 1/13(金) 21:54配信
<坂本龍馬>10代目当主「龍馬が導いてくれた」…書簡発見
発見された書簡を鑑定し「疑う余地のない龍馬の親筆」と解説する宮川禎一・京都国立博物館上席研究員=東京都千代田区丸の内3の東京国際フォーラムで2017年1月13日午後2時12分、錦織祐一撮影
高知県の尾崎正直知事は13日、東京都内で記者会見し、慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に坂本龍馬が記した直筆の書簡が見つかったことについて、「この手紙を見た瞬間、背筋がぞぞっとした。まさに歴史の封印が解かれたという思いだ」と興奮気味に語った。
【写真特集】新たに見つかった坂本龍馬の書状
記者会見では、書簡を鑑定した宮川禎一・京都国立博物館上席研究員が意義を解説した。筆跡に加えて、福井藩士の三岡八郎との面会などこれまでに見つかっている他の史料の内容と一致することから、「疑う余地のない龍馬の親筆」と説明した。
尾崎知事はこの書簡を、3月4日に開幕する「志国高知・幕末維新博」に合わせ、県立高知城歴史博物館(高知市追手筋2)で一般公開することも発表。「龍馬の息吹を感じに博覧会に来てください」と呼びかけた。
龍馬、三岡、当時は前福井藩主だった松平春嶽、書簡の宛先の同藩重臣・中根雪江の子孫もこの記者会見に出席。坂本家10代目当主の坂本匡弘(まさひろ)さん(51)は「この書簡が大政奉還から150年という節目に見つかったのは、単なる偶然ではなく、龍馬が導いてくれたとしか思えない。ご子孫と一堂に会することができたのも龍馬のおかげと感謝しています」。
三岡の子孫の三岡慶胤(よしたね)さん(39)は「八郎は、新政府の財政基盤が弱かった時に文字通り命懸けで担い、近代国家の基盤をつくった。功績はあまり知られていないが、書簡発見を機に広く知ってほしい。博覧会にも協力したい」と語った。【錦織祐一/デジタル報道センター】
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新たに見つかった坂本龍馬の封書と書状=東京都千代田区で2017年1月13日午前10時25分、竹内紀臣撮影
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幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかった。書簡の全文は以下の通り。
【封筒には龍馬の偽名が記されている】
<坂本龍馬 暗殺5日前の書簡見つかる>
一筆啓上仕候、此度越前老侯
御上京相被成候段 千万の兵を得たる
心中に御座候、先生ニも諸事
御尽力御察申上候、然るに先頃御直ニ
申上置キ三岡八郎兄の御上京
御出仕の一件ハ急を用する事に存候得ハ、
何卒早々御裁可あるへく奉願候、三岡
兄の御上京が一日先に相成候得ハ
新国家の御家計御成立が一日先に
相成候と奉存候、唯此所一向ニ御尽力
奉願候
誠恐謹言
十一月十日
龍馬
中根先生
左右
追白 今日永井玄蕃頭方ニ罷出候得とも
御面会相不叶候、談したき天下の
議論数々在之候ニテ明日又罷出候所存ニ
御座候得ハ
大兄御同行相叶候ハヽ実ニ大幸の事ニ奉存候
再拝
(封紙)
越前御藩邸
中根雪江様 才谷楳太郎
御直披
(封紙に付いた朱書の付箋)
「坂本先生遭難直前之書状に而他見ヲ憚ルモノ也」
6:21 午前
Blogger yoji said...
<坂本龍馬>10代目当主「龍馬が導いてくれた」…書簡発見 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170113-00000107-mai-soci
<坂本龍馬>10代目当主「龍馬が導いてくれた」…書簡発見
毎日新聞 1/13(金) 21:54配信
<坂本龍馬>10代目当主「龍馬が導いてくれた」…書簡発見
発見された書簡を鑑定し「疑う余地のない龍馬の親筆」と解説する宮川禎一・京都国立博物館上席研究員=東京都千代田区丸の内3の東京国際フォーラムで2017年1月13日午後2時12分、錦織祐一撮影
高知県の尾崎正直知事は13日、東京都内で記者会見し、慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に坂本龍馬が記した直筆の書簡が見つかったことについて、「この手紙を見た瞬間、背筋がぞぞっとした。まさに歴史の封印が解かれたという思いだ」と興奮気味に語った。
【写真特集】新たに見つかった坂本龍馬の書状
記者会見では、書簡を鑑定した宮川禎一・京都国立博物館上席研究員が意義を解説した。筆跡に加えて、福井藩士の三岡八郎との面会などこれまでに見つかっている他の史料の内容と一致することから、「疑う余地のない龍馬の親筆」と説明した。
尾崎知事はこの書簡を、3月4日に開幕する「志国高知・幕末維新博」に合わせ、県立高知城歴史博物館(高知市追手筋2)で一般公開することも発表。「龍馬の息吹を感じに博覧会に来てください」と呼びかけた。
龍馬、三岡、当時は前福井藩主だった松平春嶽、書簡の宛先の同藩重臣・中根雪江の子孫もこの記者会見に出席。坂本家10代目当主の坂本匡弘(まさひろ)さん(51)は「この書簡が大政奉還から150年という節目に見つかったのは、単なる偶然ではなく、龍馬が導いてくれたとしか思えない。ご子孫と一堂に会することができたのも龍馬のおかげと感謝しています」。
三岡の子孫の三岡慶胤(よしたね)さん(39)は「八郎は、新政府の財政基盤が弱かった時に文字通り命懸けで担い、近代国家の基盤をつくった。功績はあまり知られていないが、書簡発見を機に広く知ってほしい。博覧会にも協力したい」と語った。【錦織祐一/デジタル報道センター】
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