木曜日, 1月 12, 2017

ジョルジュ・ソレル 暴力論 - Wikipedia


          (政治学リンク::::::::::

NAMs出版プロジェクト: ジョルジュ・ソレル 暴力論 - Wikipedia
カール・シュミット(1888~1985)Carl Schmitt

ソレル*『暴力論』(Réflexions sur la violence,1908)のように支配階級の上からの権力(フォルスforce)と、被支配階級の下からの暴力(ビヨランスviolence)とを分けなければならない。
ただしソレルが影響を受けたのはプルードンだ**。マルクス及びウェーバーから下からの暴力はそこまで学べない。
それはフランスのように中央集権志向の国の方が下からの対抗的な思想も生まれやすいからでもある***。
日本は中間勢力が死滅したのは最近だからこれからだろう。
また暴力と権力の差異は、構造的には協同組合と労働組合の差異でもあって、(ソレルのように)その複合的及び能動的、積極的な考察が求められる。
暴力装置といっても特に軍隊(暴力団も)は雇用の問題にすぎない。

ジョルジュ・ソレル(Georges Sorel、1847年11月2日 - 1922年8月29日)は、革命的サンディカリスムフランス人哲学者、社会理論家。中上健次がつかこうへいとの対談で参照している。中上健次はファノンと混同しているが。
**
マルクスとの往復書簡でプルードンは暴力革命を否定する。
***
ドゥルーズを想起せよ。



forceとは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/force-1232324

【暴力】より


…こうした暴力の倫理性を強く主張したのが,G.ソレルの《暴力論》であった。ソレルは,ブルジョアジーが国家機構を通じて行使する力をフォルスforceと呼び,プロレタリアートが革命の際,対抗的に行使する力をビオランスviolenceと呼んで,フォルスの非倫理性に対してビオランスの倫理性を対置した。こうした暴力の倫理性の強調は,現代ではF.ファノンに受け継がれている。…


暴力論 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/暴力論
暴力論』(ぼうりょくろん / フランス語:Réflexions sur la violence)は、ジョルジュ・ソレルの主著。
1908年に初版が出版される。現代における階級闘争を、支配階級の上からの権力(フォルスforce)と、被支配階級の下からの暴力(ビヨランスviolece)との闘争としてとらえ、暴力を野蛮で破壊的とする考えを批判し、世界を救う創造的な力であると肯定した[1][2]。具体的には、労働運動が議会政党の政治家(社会民主主義)や労働貴族黄色組合)に牛耳られて取引の場と化している状態から革命的運動に戻すためにゼネストサボタージュなど労働組合が使用しうる暴力を考える点で革命的サンディカリスムへの傾向がうかがえる[3]。また、経済上の必要ではなく、神話を運動の根底にすえ、暴力的な闘争を重視するファシズムへの親近性がすでにある[4]
なお、ヴァルター・ベンヤミンが著した『暴力批判論』は本書の影響を受けている。

出典編集

  1. ^ Sorel 1999, p. 9,16.
  2. ^ Sorel 1999, p. 21.
  3. ^ Sorel 1999, p. 9,13.
  4. ^ Sorel 1999, p. 13.

参考文献編集

  • Georges Sorel (1999). Jeremy Jennings. ed. Reflections on violence. Cambridge University Press.


ジョルジュ・ソレル - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジュ・ソレル

来歴編集

フランス・シェルブールのワイン商人の家に生まれる。エコール・ポリテクニークを卒業。はじめはフランス政府の技監だった。しかし、社会問題を研究するようになり、1890年代マルクス主義に傾倒する。労働組合の団結と闘争とを説く(1898年)。その反議会主義と直接行動への志向は当時の知識人労働者に歓迎された。ドレフュス事件の際に反ユダヤ主義への反対もしている。
最初、マルクス主義理論の弱点と考えたものを補おうとしたが、最終的にはマルクス主義の修正とも言える思想を唱え、エドゥアルト・ベルンシュタインの右派的な修正主義とは区別して史的唯物論弁証法的唯物論、およびプロレタリア国際主義を拒絶した左派修正主義を主張した[1][2]。さらに正統派マルクス主義の「歴史の必然」を信じず、慎重に考案された「神話」が大衆を一致した行動に導く、と考えた。したがって、ソレルの行動指針は、ゼネラル・ストライキボイコットサボタージュによって資本主義を分裂させ、労働者による生産手段の統制をもたらすことに向けられた。さらにブルジョワ民主主義に懐疑的なアナキストであるプルードンにも理論的是認を求め、「神話」の重要性と科学的な唯物論への反対についてはアンリ・ベルクソンエドゥアルト・フォン・ハルトマンに学んだといえる。また、強制力を使って変化を起こす唯一の道だとして、フランス社会でとらえられていたジャコバンの伝統を復興させた。ブルジョワ民主主義を攻撃したことについて、ソレルはアクション・フランセーズシャルル・モーラスを賞賛した。さらにソレルは国家の永久戦争the state of permanent war階級闘争革命とした。
一方、ソレル自身はあくまでマルクス主義理論家であった。ソレルはイタリアのマルクス主義の父アントニオ・ラブリオーラと親交を持っていて、フランス語に翻訳された「歴史の唯物論概念」についてのラブリオーラのエッセイに序文を書いている。さらには主著の『暴力論(『暴力に関する考察』) Reflexions sur la Violence, 1908年』第五版の付録として、《レーニンのために Pour Lenine 》という題の論文を書いて憲法制定会議をボイコットして社会主義を宣言したレーニンの行為を弁護し、ロシア革命をたたえている。
彼の著書はヴィルフレド・パレート及びベネデット・クローチェに絶賛され、彼の思想はカトリック・反民主主義の政治傾向(例えばカール・シュミットなど)、特にファシズムには絶大な影響を与え、ムッソリーニは「ファシズムの精神的な父」「私の師」「私自身はソレルに最も負っている」と発言している[3][4][5]。また、ヴァルター・ベンヤミンが著した『暴力批判論』はソレル『暴力論』の影響を受けている。

日本語訳編集

参考文献編集

  • 『ソレルのドレフュス事件―危険の思想家、民主主義の危険』川上源太郎 中公新書 (1996/5)

参照編集

  1. ^ Zeev Sternhell:The Birth of Fascist Ideology:From Cultural Rebellion, 2001, pp.92
  2. ^ 大杉栄『ベルグソンとソレル』二 ソレルとセンディカリスム
  3. ^ Mediterranean Fascism 1919-1945 Edited by Charles F. Delzel, Harper Rowe 1970, page 3
  4. ^ Schreiber, Emile. L’Illustration, No. 4672 (September 17, 1932).
  5. ^ Versluis, Arthur.The New Inquistions. Oxford University Press, 2006.

関連項目編集



Subject: [monomanabi:1252] ある時代の肖像を尋ねて001

ある時代の肖像を尋ねて001

数年前にダンシャリなることを実行した。こんなにふつうに元気になるとは思わなかったし、もう参照することもなかろうというので書庫の書籍類を処分してしまった。いまひどく悔いている。というのも、若い時分に関心をもち、当時は字面を追うだけでほとんど理解できなかったテーマがどういうわけか気になり始めているから。じぶんの歳のせいもあるのか時代の変化のせいなのかはわからない。わずかに残った資料を手がかりに再度調べなおしていくしかない。

ケインズが『自由放任の終焉』の末尾で、「次への一歩前進は、政治的扇動や時期尚早の実験によって生ずるのではなくて、思想から生まれなければならない。われわれには、頭脳の努力によって、自分自身の感情を説明する必要がある。現在のところ、われわれの同情心とわれわれの判断とは両極に分裂しがちであるが、このような状態は、知性の痛ましい麻痺状態にほかならない」と書いたのは1926年だ。

いま政治扇動は大流行りだ。社会実験の要求(たとえば無条件基礎所得の実施とかね)も盛んだ。それに身を任せていれば、次への光明が見えてくるのか。知性の麻痺状態をただいまの時局にも見る人はたくさんいるに違いない。どのような思想から次への前進が生まれるのか。

1926年の4年前の1922年、欧州で一人の人間が逝去した。そしてその5年後の1927年に、フランスの経済学者、ガエタン・ピルーがこの人物の肖像を描いた。パリのマルセル・リヴィエール書肆の「社会変化研究Etudes sur Le Devenir Social」叢書の12冊めである。devenirは動詞としては~になるという言葉である。だから名詞としては~になること、趨勢的な変化(あるいは形成的に変化しつつある動態en formation)を指すと言っていいだろう。当時、自由放任の終わりの激変のなかにあって人々は社会の趨勢的変化を研究しようとした。マルセル・リヴィエール、さすがにセンスがいい。

ピルーの一冊は何を扱ったのか。Georges Sorel(1847-1922)ジョルジュ・ソレルである。今日でもソレルを研究する者がリライトのタネ本にするようなよい研究である。ソレルについてはたしか木下半治による『暴力論』の邦訳が岩波文庫から出ていた。
https://www.google.co.jp/search?client=ubuntu&channel=fs&q=%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%80%80%E3%82%BD%E3%83%AC%E3%83%AB&ie=utf-8&oe=utf-8&gfe_rd=cr&ei=okxwWKTuBPHZ8AecqbPABg
しかし、それくらいであろう。この多産な思想家の全体像を伺うには不十分だ。

これからすこしずつ、ピルーの描いた肖像を見てゆき、その思想的営為に迫る前段としたい。

同書にあるソレルの肖像を添付しておきたい。参考文献の部分も添付しようとしたがファイルがでかすぎてメールでは送れなかった。


ある時代の肖像を尋ねて002

まずはソレルの著作を挙げる。
邦訳のみ。原文は先のメールに添付したファイル参照。

『聖書の世俗的研究への貢献』、1889。(仏文)
『ソクラテスの訴訟』、1889。(仏文)
『サンディカ(注:組合)の社会主義的将来』、1898。(仏文)
『古代世界の崩壊』、1898、第二版、1925。(仏文)
『教会と国家に関する試論』、1902。(仏文)
『マルクス主義批判試論』、1902。(伊文)
『現代経済概論』、1903年。(仏文)
『現代経済の社会的教訓』、1906年。(伊文)
『ルナンの歴史体系』、1906年。(ルナンとはエルネスト・ルナン1823-1892のこと、作家、宗教学者、言語学者)(仏文)
『暴力論』、初版、1908。第五版1922まで版を重ねる。(仏文)
『進歩の幻想』、1908。第三版1922まで版を重ねる。(仏文)
『マルクス主義の崩壊』、1908。(仏文)
『ドレフュス派の革命』、1909。(仏文)
『(サンジカリストとなった)告白』、1910。(伊文)
『プロレタリアートの理論のための資料』、1919。第二版1921。(プルードンについての長文の注釈)(仏文)
『プラグマティズム』、1921。(仏文)

書名をみるだけでも、社会問題に関心を持ち始めてから、ソレルに自身の理論の整合性や体系的総合化はみられないのがわかる。暴力論で一躍世に知られるようになってもそうであると、ピルーはいう(1)。反対に、「断片化され、意識的に分散され不透明化された彼の理念を漏らさないようなこだわりを感じさせられる(2)」くらいなのだ。それは「イロニーなしとしないが、彼は、最も難解な書き手は最深層(les plus profondes)に達していると考えられる者であると記している」(原注、『資料』、p.21脚注;『暴力論』、p.217.)(3)

彼は現実から遊離して体系化を図るような存在ではない。激変する大戦を挟む現実のなかで知性が麻痺するかのような状況のなか、内面もまたその思考が現実と行き来し己を変えていくドラマを演じている。固化した理論にしがみついたり、「定理(なるもの)」を立て現実をそれによって裁断するだけの精神にとっては変化の動態がその知性のなかに居場所を占めることはない。すなわち麻痺した知力が更生する体験はないだろう。

以前、ポスト・ケインジアンのMLであったか、出典は忘れてしまったが、ケインズの現実が変わったので考え方を変えたという意味の言葉が話題になったことがある。現実に関与する精神にはそうしたことが起きるものだ。

社会問題にソレルが関心を持ちはじめた1898年頃、ソレルは「社会主義者であり、ドレフュスの擁護者であり、ジョレスの崇拝者であった。10年後、社会主義政策の最も激しい敵対者となり、革命的サンジカリズムの非妥協的な理論家となった」(4)。そこには現実とのやりとりのなか継続的に変化していく荒々しい精神の矛盾があることに気づかされる。現実との往復のなかで進化し深まり、最深層に至らんとする動きである。彼は当然にも、彼の理念の動く複雑な色合いを表現するのに独特なスタイルをとることになる。彼の文章の難しさにも繋がるのだろう。

「その記述の仕方はとても特殊で間接的で遠回しにしか表現しないことになる」(5)

読み手は、彼の省察(réflexions)の展開を引きおこしていった現実の変化と彼の内面を同時に、関連を見失うことなく解きほぐしていく必要に迫られるのだろう。その含みのある表現の読み方は、現実によってなされていく。社会主義、マルクス主義の崩壊、革命的サンジカリズム、そしてファシスト左派の運動形成にいたるイタリア20年代の実際の推移のなかで読み込まれていったのである。

つまり最終的にファシズムの協同組合国家ないし生産者国家の背骨であるコルポラチオーニcorporationi(全国的な協調組合体)と協同組合、コオペラチオーネcooperazioneとの矛盾的総合(普遍的アソシアシオンと個別的アソシアシオンと観念的に言い換えても良い)の形成にいたる現実の動きが、すでに先行してソレルの内面で起こっていたのである。大戦後、勢力を増す共産主義による混乱、安定した公共を再建しようとする各種の社会運動、とりわけ協同組合運動の政治への従属化と対立、そのなかかから起こる新たなコルポラチオーニへの動き、・・・そうしたすべてがソレルの内面の思想的営為のなかにあったのである。ファシスト左派の運動は現実がそれを消化したプロセスにすぎないのかもしれないのだ。


(1) Gaétan Pirou, Georges Sorel,1927, p.5.
(2) Ibid, p.5.
(3)、(3)、(4)、(5) Ibid, p.6.

--
Eiichi Morino 

6 Comments:

Blogger yoji said...


ソレル『暴力論』(1908)のように支配階級の上からの権力(フォルスforce)と、被支配階級の下からの暴力(ビヨランスvioleceとを分けなければならない。
ただしソレルが影響を受けたのはプルードンだ。マルクス及びウェーバーから下からの暴力はそこまで学べない。
それはフランスのように中央集権志向の国の方が下からの対抗的な思想も生まれやすいからでもある。
日本は中間勢力が死滅したのは最近だからこれからだろう。
また暴力と権力の差異は、協同組合と労働組合の差異でもあって、(ソレルのように)その積極的な考察が求められる。
暴力装置といっても特に軍隊(暴力団も)は雇用の問題にすぎない。

12:59 午前  
Blogger yoji said...

2 革命的名無しさん 2007/06/30(土) 05:05:10 ID:
最強の反動思想家 ドノソ・コルテス

ドノソ・コルテス
19世紀で最も強力な反動思想家、カトリシズムの守護者。マルクスもバクーニンも彼を最強の敵だと認識していた。
かのカール・シュミットは唯一にして、最高の師として彼の名をあげ、「彼に比較すればエドムント・バーグの論の
ごときは参照にも値しない」と言っている。この著作の邦訳の全くない、謎の反動思想家について語り合ってみよう。

このコルテスにかぎらず、同じく有名な反動思想家のジョセフ・ド・メーストルの著作についても邦訳は全くない。
一体何かを畏れているのか?ドノソ・コルテスについてとりあえず知りたければまずはカール・シュミットの著作を
読むこと。あらゆる統治権力はそれが「統治権力」だというだけで、絶対悪である。バクーニンやプルードンのよう
な真のアナーキストはそのように考える。それならばだ!あらゆる統治権力はそれが「統治権力」だというだけで
問答無用の絶対善、正統なものである(!!)とまで考えない限り、彼らアナーキストに本当の意味で対抗すること
などできない。そしてまさにそこにまで到達する真の「反動思想家」がコルテスなのである。

3 革命的名無しさん 2007/06/30(土) 05:07:58 ID:
「コルテスの持っている唯一の意味は、政治的な概念や対立を相対化する解消の時代において、そして、
イデオロギー的な欺瞞の雰囲気の中にあって、彼がすべての大規模な政治の中心概念を認識していて、
虚偽で欺瞞的などんな隠蔽をも突破して、そうした概念を確認し、日常の政治の背後に、大規模な
歴史的で本質的な味方と敵との区別を規定しようとした、ということである。」 
カール・シュミット

「私達中部ヨーロッパ人は、『ロシア人の眼下』に生活している。彼らの合理主義への気迫は強烈な
ものであるが、非合理主義への気迫もそれに劣らない。また、善においても悪においても正統主義を
貫く精力も圧倒的である。こうして彼らは、社会主義とスラブ魂を結合した。ドノソ・コルテスは
1848年、すでに来るべき100年間に生ずべき大事件としてこれを予言している。」
カール・シュミット

4 革命的名無しさん 2007/06/30(土) 05:09:00 ID:
「もし神が母の胎内で受肉しなかったならば、また神が全人類のために十字架上で死ななかったならば、
人間は、私の目に私が足で踏みつける虫けらよりも一層いとましいものに見えたであろう」

「自由主義なるものは、政治的問題の一つ一つをすべて討論し、交渉材料にすると同様に
形し上学的真理をも討論に解消してしまおうとする。その本質は交渉であり、決定的対立を、
血の流れる決戦を、なんとか議会の討論へと変容させ、永遠の討論によって永遠に停滞させ
うるのではないか、という期待を常にもつ不徹底性なのである。」

〈キリストかバラバか〉という決定的な問いに対し、滑稽にも延会動議や調査委員会をもって
解答とするのが「自由主義」である。

「政治体制を攻撃する力が強ければ強いほどそれに応じて抵抗する力も強化されなければならない。
攻撃する力が集中されているとするならば、抵抗する力も1人の人物に集中されるべきである。
特に2月革命で実証されたように、正統的君主制が革命勢力に抵抗力を有していない以上、
強力無比な独裁制伝統的権威によらない独裁制が必要とされる。この場合の独裁とは外的な
秩序維持をめざす価値中立的な独裁ではなく、善悪を決定し悪を殲滅する神的使命を帯びた
全く新しい独裁である。」

「政治的諸問題の背後に神学が存在する。」
「すべての政治的・社会的真理は、究極的には神的真理に帰着する。」
「神なき政治は地獄の深淵から生じたものである。」
「議論はすべての概念を混乱させ、懐疑主義を助長させる。」
ドノソ・コルテス

5 革命的名無しさん 2007/06/30(土) 05:11:29 ID:
ドノソは1848年の2月革命を目撃して驚愕し、カトリシズムと社会主義との
黙示録的対立を描くと同時に、革命的・民主主義的勢力の「下からの革命」に
対抗し、「上からの独裁」を要請した。

役立たずな「世襲君主制」の終焉と最強力な新しい「神的独裁制」の誕生。
これがドノソの『役立たずな「世襲君主制」の終焉』での独裁論の要諦である。

6 革命的名無しさん 2007/06/30(土) 05:15:11 ID:
やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という
ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、
それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。
自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは
違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。
一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に
支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。
(中略)
このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に
性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。
私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。
私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。
私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。
私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。
(中略)
私は日本知識人層の貧弱な土俵の上に「現代アメリカ政治政治思想の全体像」を植えつけるという大きな
仕事を先駆者としてなしとげた。今や日本知識人全てを足元に見下すほどの地位を、私は自力で
築いたのである。しかし、このことは、私が大秀才である、と自惚れているのではない。
私程度は、アメリカでは頭のいい大学院生程度だということである。ということは、日本の知識人の
大半の文科系の知識人の知能水準は、アメリカに持ち出せば、頭のいい高校生程度だ、ということである。
副島隆彦「日本の秘密」

7:46 午後  
Blogger yoji said...

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カール・シュミット
曖昧さ回避 この項目では、法学者・哲学者について説明しています。化学者については「カール・シュミット (化学者)」をご覧ください。
カール・シュミット(Carl Schmitt、1888年7月11日 - 1985年4月7日)は、ドイツの思想家、法学者、政治学者、哲学者である。法哲学や政治哲学の分野に大きな功績を残している。
第二次大戦前、戦中

Politische Romantik(1919)
大久保和郎訳『政治的ロマン主義』(みすず書房、1970年、原著第2版1925年刊の翻訳)
『政治的ロマン主義』橋川文三訳、未来社、1982年
Die Diktatur: von den Anfangen des modernen Souveranitatsgedankens bis zum proletarischen Klassenkampf(1921)
田中浩・原田武雄訳『独裁――近代主権論の起源からプロレタリア階級闘争まで』(未來社、1991年、原著第3版1964年刊の翻訳)
Politische Theologie(1922)
田中浩・原田武雄訳『政治神学』(未來社、1971年、原著第2版1934年刊の翻訳)
Die geistesgeschichtliche Lage des heutigen Parlamentarismus(1922, 2.erw. Aufl. 1926)
稲葉素之訳『現代議会主義の精神史的地位』(みすず書房、1972年、原著第2版1926年刊の翻訳)
樋口陽一訳『現代議会主義の精神史的地位』(岩波書店【岩波文庫】、2015年、「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」を併録)
下記『カール・シュミット著作集』第Ⅰ巻収録の②及び④を元に、補正を施した上で必要な編集作業を行ったもの
Verfassungslehre(1928)
阿部照哉・村上義弘訳『憲法論』(みすず書房、1974年)
Die Diktatur des Reichsprasidenten nach Artikel 48 der Weimarer Verfassung(1929).
田中浩・原田武雄訳『大統領の独裁』(未來社、1974年)
Der Begriff des Polotischen(1932)
田中浩・原田武雄訳『政治的なものの概念』(未來社、1970年)
Legalitat und Legitimitat(1932)
田中浩・原田武雄訳『合法性と正当性』(未來社、1983年、原著第2版1968年刊の翻訳)
Der Leviathan in der Staatslehre des Thomas Hobbes(1938)
長尾龍一訳『リヴァイアサン――近代国家の生成と挫折』(福村出版、1972年)
Positionen und Begriffe im Kampf mit Weimar - Genf - Versailles 1923-1939(1940)
長尾龍一訳『現代帝国主義論――戦争と平和の批判的考察』(福村出版、1972年)
Land und Meer: eine weltgeschichtliche Betrachtung(1942)
生松敬三・前野光弘訳『陸と海と――世界史的一考察』(福村出版、1971年/慈学社、2006年)
第二次大戦後

Der Nomos der Erde im Völkerrecht des Jus Publicum Europaeum (1950)
新田邦夫訳『大地のノモス――ヨーロッパ公法という国際法における(上・下)』(福村出版、1976年/改訳版、慈学社、2007年)
Hamlet oder Hekuba. Der Einbruch der Zeit in das Spiel(1956)
初見基訳『ハムレットもしくはヘカベ』(みすず書房、1998年)
Theorie des Partisanen: Zwischenbemerkung zum Begriff des Politischen(1963)
新田邦夫訳『パルチザンの理論――政治的なるものの概念についての中間所見』(福村出版、1972年/筑摩書房【ちくま学芸文庫】、1995年)
Politische Theologie II. Die Legende von der Erledigung jeder Politischen Theologie(1970)
長尾龍一訳『政治神学再論』(福村出版、1980年)
Das internationale Verbrechen des Angriffskrieges(1993)
ヘルムート・クヴァーリチュ編、新田邦夫訳『攻撃戦争論』(信山社、2000年)
Ernst Jünger — Carl Schmitt. Briefe 1930-1983(1999)
ヘルムート・キーゼル編、山本尤訳、『ユンガー=シュミット往復書簡』(法政大学出版局、2005年)
『政治思想論集』(服部平治・宮本盛太郎訳、社会思想社、1974年)
『カール・シュミット時事論文集――ヴァイマール・ナチズム期の憲法・政治論議』(古賀敬太・佐野誠訳、風行社、2000年)
『カール・シュミット著作集(I・II)』(長尾龍一編、田中成明・樋口陽一・長尾龍一ほか訳、慈学社、2007年)
第Ⅰ巻収録論文〔1922―1934〕
政治神学(1922年、長尾龍一訳)
現代議会主義の精神史的状況(1923年、樋口陽一訳)
ローマカトリック教会と政治形態(1925年、小林公訳)
議会主義と現代の大衆民主主義との対立(1926年、樋口陽一訳)
国際連盟とヨーロッパ(1928年、長尾龍一訳)
ライン地域の国際法的諸問題(1928年、長尾龍一訳)
中立化と脱政治化の時代(1929年、長尾龍一訳)
フーゴー・プロイス(1930年、上原行雄訳)
政治的なものの概念(1932年、菅野喜八郎訳)
現代帝国主義の国際法的諸形態(1932年、長尾龍一訳)
ライヒ・国家・連邦(1933年、長尾龍一訳)
法学的思惟の三種類(1934年、加藤新平・田中成明訳)
第Ⅱ巻収録論文〔1936―1970〕
「ドイツ法学におけるユダヤ人」学会への結語(1936年、長尾龍一訳)
ホッブズと全体主義(1937年、長尾龍一訳)
全面の敵・総力戦・全体国家(1937年、長尾龍一訳)
レヴィアタン――その意義と挫折(1938年、長尾龍一訳)
戦争概念と敵概念(1938年、長尾龍一訳)
日本の「アジア・モンロー主義」(1939年、長尾龍一訳)
ジャン・ボダンと近代国家の成立(1941年、長尾龍一訳)
獄中記――故ヴィルヘルム・アールマン博士を追憶して(1950年、長尾龍一訳)
価値による専制(1967年、森田寛二訳)
政治神学Ⅱ――「あらゆる政治神学は一掃された」という伝説(1970年、新正幸・長尾龍一訳)

7:50 午後  
Blogger yoji said...

カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』: ものろぎや・そりてえる
http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_896a.html


 民主主義は、直接的に表現された、誰にも抗い難い“人民の意志”のみを唯一の基準とすべきことを要求する。シュミットは、こうしたルソー思想の危うい逆説を踏まえた上で次のように記す。

「民主制においては、平等な者たちの平等性と平等な者たちに属する者の意志とがあるだけである。これ以外のすべての制度は、何らかの形において表現された人民の意志に、その固有の価値と原理とを対置させ得ないところの、本質のない社会的=技術的補助手段に転化してしまう。」「技術的な意味にとどまらず、また本質的な意味においても直接的な民主主義の前には、自由主義的思想の脈絡から発生した議会は、人工的な機械として現われるのに反して、独裁的およびシーザー主義的方法は、人民の喝采によって支持されるのみならず、民主主義的実質および力の直接的表現であり得るのである。」(本書、24~25ページ)。




 シュミットはロシア革命に触れてこう言う。その原因は、「暴力行使の新たな、非合理主義的な動機が共に働いていたということ、すなわち極端なるものから反対のものに転換するところの、ユートピアを夢みる合理主義ではなく、合理的な思考一般に対する新たな評価、討論に対するあらゆる信念を排除するとともにまた教育独裁によって人間を討論に習熟せしめようとすることをも拒否するところの、本能と直感に対する新たな信念が共に働いていたということに存するのである」(89ページ)。

 さらにジョルジュ・ソレルやバクーニンを引き合いに出しながらシュミットは次のように述べる。

「偉大なる熱狂、偉大なる道徳的決断および偉大なる神話は、推理や合目的的考量から生まれるのではなく、純粋な生の本能の深みから生まれるのである。熱狂した大衆は直接的な直感によって神話的イメージを創造する。このイメージこそは彼らの活力を推進せしめ、殉教への力ならびに暴力行使への勇気を彼らに与えるのである。ただこうしてのみ、一民族ないし一階級は世界史の動力となる。こういうものを欠く場合には、いかなる社会的、政治的な権力といえども維持され得ず、またいかなる機械的な装置も、歴史的生の新たな潮流が解き放たれるときにはその防波堤となることができないのである。したがってすべては、今日どこに神話に対するこの能力とこの生命力とが実際に活きているかを、正しく見ることにかかっている。これらの能力は、近代のブルジョワジー、すなわち金銭と所有についての不安のために堕落し、懐疑主義、相対主義、議会主義によって精神的に損なわれている社会層においては、もちろん発見されないであろう。」(本書、91ページ)

 本書が刊行されたのは1923年。ワイマール共和政の行き詰まりを予見するかのようなシュミットの議論はしばしばナチズムを正当化したとして論難され、その評価の振幅は激しい。シュミットの研究者があとがきなどで「彼は反動思想家であり、反面教師として学ばねばならない」と言い訳めいたことを記しているのをよく見かける。

 議会制度にしても、民主主義にしても、建前としての表面的なロジックだけで自己完結しているわけではない。形式面では見えてこないリアルな局面においては、もっと別のファクターが働いているのではないか。そうした可能性に思考をめぐらせてくれる点で、シュミットのポレミカルな論点は私には非常に刺戟的で興味が尽きない。

2008年4月10日 (木) 政治 | 固定リンク

8:00 午後  
Blogger yoji said...

カール・シュミットは『現代議会主義の精神史的地位』でソレル経由でプルードンに言及している

8:04 午後  
Blogger yoji said...

現代議会主義の精神史的状況 他一篇
叢書名   岩波文庫  ≪再検索≫
著者名等  カール・シュミット/著  ≪再検索≫
著者名等  樋口陽一/訳  ≪再検索≫
出版者   岩波書店
出版年   2015.7
大きさ等  15cm 174,4p
注記    Die geistesgeschichtliche Lage des heuti
gen Parlamentarismus.〔etc.〕の翻訳
NDC分類 313.7
件名    議会政治  ≪再検索≫
要旨    やがてナチスの桂冠法学者となるカール・シュミット(1888‐1985)が、自由主
義に対する体系的批判を行なった初の著作。不安定なワイマール体制への幻滅から、議会
主義の精神史的な基礎は過去のものになったとし、議会主義と民主主義の連関を切断する
。独裁理論を考察し、ドイツの新しい政体を暗示した問題作。1923年刊。
目次    現代議会主義の精神史的状況―一九二三年(民主主義と議会主義;議会主義の諸原理;マ
ルクス主義の思考における独裁;直接的暴力行使の非合理主義理論);議会主義と現代の
大衆民主主義との対立―一九二六年(議会主義;民主主義)
内容    ナチスの桂冠法学者として知られるカール・シュミットが、自由主義に対する批判的分析
を初めて本格的に行った著作。
内容    内容: 現代議会主義の精神史的状況
内容    議会主義と現代の大衆民主主義との対立
内容    訳者解説
ISBN等 4-00-340301-0

8:22 午後  

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