木曜日, 1月 12, 2017

ジョルジュ・ソレル 暴力論 - Wikipedia


          (政治学リンク::::::::::


NAMs出版プロジェクト: ジョルジュ・ソレル 暴力論 - Wikipedia

http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/wikipedia_12.html


ソレル*『暴力論』(Réflexions sur la violence,1908)のように支配階級の上からの権力(フォルスforce)と、被支配階級の下からの暴力(ビヨランスviolence)とを分けなければならない。

ただしソレルが影響を受けたのはプルードンだ**。マルクス及びウェーバーから下からの暴力はそこまで学べない。

それはフランスのように中央集権志向の国の方が下からの対抗的な思想も生まれやすいからでもある***。

日本は中間勢力が死滅したのは最近だからこれからだろう。

また暴力と権力の差異は、構造的には協同組合と労働組合の差異でもあって、(ソレルのように)その複合的及び能動的、積極的な考察が求められる。

暴力装置といっても特に軍隊(暴力団も)は雇用の問題にすぎない。


ジョルジュ・ソレル(Georges Sorel、1847年11月2日 - 1922年8月29日)は、革命的サンディカリスムフランス人哲学者、社会理論家。中上健次がつかこうへいとの対談で参照している。中上健次はファノンと混同しているが。

**

マルクスとの往復書簡でプルードンは暴力革命を否定する。

***

ドゥルーズを想起せよ。




forceとは - コトバンク

https://kotobank.jp/word/force-1232324

【暴力】より

…こうした暴力の倫理性を強く主張したのが,G.ソレルの《暴力論》であった。ソレルは,ブルジョアジーが国家機構を通じて行使する力をフォルスforceと呼び,プロレタリアートが革命の際,対抗的に行使する力をビオランスviolenceと呼んで,フォルスの非倫理性に対してビオランスの倫理性を対置した。こうした暴力の倫理性の強調は,現代ではF.ファノンに受け継がれている。…



暴力論 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/暴力論

暴力論』(ぼうりょくろん / フランス語:Réflexions sur la violence)は、ジョルジュ・ソレルの主著。

1908年に初版が出版される。現代における階級闘争を、支配階級の上からの権力(フォルスforce)と、被支配階級の下からの暴力(ビヨランスviolece)との闘争としてとらえ、暴力を野蛮で破壊的とする考えを批判し、世界を救う創造的な力であると肯定した[1][2]。具体的には、労働運動が議会政党の政治家(社会民主主義)や労働貴族黄色組合)に牛耳られて取引の場と化している状態から革命的運動に戻すためにゼネストサボタージュなど労働組合が使用しうる暴力を考える点で革命的サンディカリスムへの傾向がうかがえる[3]。また、経済上の必要ではなく、神話を運動の根底にすえ、暴力的な闘争を重視するファシズムへの親近性がすでにある[4]

なお、ヴァルター・ベンヤミンが著した『暴力批判論』は本書の影響を受けている。

出典編集

  1. ^ Sorel 1999, p. 9,16.
  2. ^ Sorel 1999, p. 21.
  3. ^ Sorel 1999, p. 9,13.
  4. ^ Sorel 1999, p. 13.

参考文献編集

  • Georges Sorel (1999). Jeremy Jennings. ed. Reflections on violence. Cambridge University Press.


ジョルジュ・ソレル - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジュ・ソレル

来歴編集

フランス・シェルブールのワイン商人の家に生まれる。エコール・ポリテクニークを卒業。はじめはフランス政府の技監だった。しかし、社会問題を研究するようになり、1890年代マルクス主義に傾倒する。労働組合の団結と闘争とを説く(1898年)。その反議会主義と直接行動への志向は当時の知識人労働者に歓迎された。ドレフュス事件の際に反ユダヤ主義への反対もしている。

最初、マルクス主義理論の弱点と考えたものを補おうとしたが、最終的にはマルクス主義の修正とも言える思想を唱え、エドゥアルト・ベルンシュタインの右派的な修正主義とは区別して史的唯物論弁証法的唯物論、およびプロレタリア国際主義を拒絶した左派修正主義を主張した[1][2]。さらに正統派マルクス主義の「歴史の必然」を信じず、慎重に考案された「神話」が大衆を一致した行動に導く、と考えた。したがって、ソレルの行動指針は、ゼネラル・ストライキボイコットサボタージュによって資本主義を分裂させ、労働者による生産手段の統制をもたらすことに向けられた。さらにブルジョワ民主主義に懐疑的なアナキストであるプルードンにも理論的是認を求め、「神話」の重要性と科学的な唯物論への反対についてはアンリ・ベルクソンエドゥアルト・フォン・ハルトマンに学んだといえる。また、強制力を使って変化を起こす唯一の道だとして、フランス社会でとらえられていたジャコバンの伝統を復興させた。ブルジョワ民主主義を攻撃したことについて、ソレルはアクション・フランセーズシャルル・モーラスを賞賛した。さらにソレルは国家の永久戦争the state of permanent war階級闘争革命とした。

一方、ソレル自身はあくまでマルクス主義理論家であった。ソレルはイタリアのマルクス主義の父アントニオ・ラブリオーラと親交を持っていて、フランス語に翻訳された「歴史の唯物論概念」についてのラブリオーラのエッセイに序文を書いている。さらには主著の『暴力論(『暴力に関する考察』) Reflexions sur la Violence, 1908年』第五版の付録として、《レーニンのために Pour Lenine 》という題の論文を書いて憲法制定会議をボイコットして社会主義を宣言したレーニンの行為を弁護し、ロシア革命をたたえている。

彼の著書はヴィルフレド・パレート及びベネデット・クローチェに絶賛され、彼の思想はカトリック・反民主主義の政治傾向(例えばカール・シュミットなど)、特にファシズムには絶大な影響を与え、ムッソリーニは「ファシズムの精神的な父」「私の師」「私自身はソレルに最も負っている」と発言している[3][4][5]。また、ヴァルター・ベンヤミンが著した『暴力批判論』はソレル『暴力論』の影響を受けている。

日本語訳編集

参考文献編集

  • 『ソレルのドレフュス事件―危険の思想家、民主主義の危険』川上源太郎 中公新書 (1996/5)

参照編集

  1. ^ Zeev Sternhell:The Birth of Fascist Ideology:From Cultural Rebellion, 2001, pp.92
  2. ^ 大杉栄『ベルグソンとソレル』二 ソレルとセンディカリスム
  3. ^ Mediterranean Fascism 1919-1945 Edited by Charles F. Delzel, Harper Rowe 1970, page 3
  4. ^ Schreiber, Emile. L’Illustration, No. 4672 (September 17, 1932).
  5. ^ Versluis, Arthur.The New Inquistions. Oxford University Press, 2006.

関連項目編集



Subject: [monomanabi:1252] ある時代の肖像を尋ねて001

ある時代の肖像を尋ねて001

数年前にダンシャリなることを実行した。こんなにふつうに元気になるとは思わなかったし、もう参照することもなかろうというので書庫の書籍類を処分してしまった。いまひどく悔いている。というのも、若い時分に関心をもち、当時は字面を追うだけでほとんど理解できなかったテーマがどういうわけか気になり始めているから。じぶんの歳のせいもあるのか時代の変化のせいなのかはわからない。わずかに残った資料を手がかりに再度調べなおしていくしかない。

ケインズが『自由放任の終焉』の末尾で、「次への一歩前進は、政治的扇動や時期尚早の実験によって生ずるのではなくて、思想から生まれなければならない。われわれには、頭脳の努力によって、自分自身の感情を説明する必要がある。現在のところ、われわれの同情心とわれわれの判断とは両極に分裂しがちであるが、このような状態は、知性の痛ましい麻痺状態にほかならない」と書いたのは1926年だ。

いま政治扇動は大流行りだ。社会実験の要求(たとえば無条件基礎所得の実施とかね)も盛んだ。それに身を任せていれば、次への光明が見えてくるのか。知性の麻痺状態をただいまの時局にも見る人はたくさんいるに違いない。どのような思想から次への前進が生まれるのか。

1926年の4年前の1922年、欧州で一人の人間が逝去した。そしてその5年後の1927年に、フランスの経済学者、ガエタン・ピルーがこの人物の肖像を描いた。パリのマルセル・リヴィエール書肆の「社会変化研究Etudes sur Le Devenir Social」叢書の12冊めである。devenirは動詞としては~になるという言葉である。だから名詞としては~になること、趨勢的な変化(あるいは形成的に変化しつつある動態en formation)を指すと言っていいだろう。当時、自由放任の終わりの激変のなかにあって人々は社会の趨勢的変化を研究しようとした。マルセル・リヴィエール、さすがにセンスがいい。

ピルーの一冊は何を扱ったのか。Georges Sorel(1847-1922)ジョルジュ・ソレルである。今日でもソレルを研究する者がリライトのタネ本にするようなよい研究である。ソレルについてはたしか木下半治による『暴力論』の邦訳が岩波文庫から出ていた。
https://www.google.co.jp/search?client=ubuntu&channel=fs&q=%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%80%80%E3%82%BD%E3%83%AC%E3%83%AB&ie=utf-8&oe=utf-8&gfe_rd=cr&ei=okxwWKTuBPHZ8AecqbPABg
しかし、それくらいであろう。この多産な思想家の全体像を伺うには不十分だ。

これからすこしずつ、ピルーの描いた肖像を見てゆき、その思想的営為に迫る前段としたい。

同書にあるソレルの肖像を添付しておきたい。参考文献の部分も添付しようとしたがファイルがでかすぎてメールでは送れなかった。


ある時代の肖像を尋ねて002

まずはソレルの著作を挙げる。
邦訳のみ。原文は先のメールに添付したファイル参照。

『聖書の世俗的研究への貢献』、1889。(仏文)
『ソクラテスの訴訟』、1889。(仏文)
『サンディカ(注:組合)の社会主義的将来』、1898。(仏文)
『古代世界の崩壊』、1898、第二版、1925。(仏文)
『教会と国家に関する試論』、1902。(仏文)
『マルクス主義批判試論』、1902。(伊文)
『現代経済概論』、1903年。(仏文)
『現代経済の社会的教訓』、1906年。(伊文)
『ルナンの歴史体系』、1906年。(ルナンとはエルネスト・ルナン1823-1892のこと、作家、宗教学者、言語学者)(仏文)
『暴力論』、初版、1908。第五版1922まで版を重ねる。(仏文)
『進歩の幻想』、1908。第三版1922まで版を重ねる。(仏文)
『マルクス主義の崩壊』、1908。(仏文)
『ドレフュス派の革命』、1909。(仏文)
『(サンジカリストとなった)告白』、1910。(伊文)
『プロレタリアートの理論のための資料』、1919。第二版1921。(プルードンについての長文の注釈)(仏文)
『プラグマティズム』、1921。(仏文)

書名をみるだけでも、社会問題に関心を持ち始めてから、ソレルに自身の理論の整合性や体系的総合化はみられないのがわかる。暴力論で一躍世に知られるようになってもそうであると、ピルーはいう(1)。反対に、「断片化され、意識的に分散され不透明化された彼の理念を漏らさないようなこだわりを感じさせられる(2)」くらいなのだ。それは「イロニーなしとしないが、彼は、最も難解な書き手は最深層(les plus profondes)に達していると考えられる者であると記している」(原注、『資料』、p.21脚注;『暴力論』、p.217.)(3)

彼は現実から遊離して体系化を図るような存在ではない。激変する大戦を挟む現実のなかで知性が麻痺するかのような状況のなか、内面もまたその思考が現実と行き来し己を変えていくドラマを演じている。固化した理論にしがみついたり、「定理(なるもの)」を立て現実をそれによって裁断するだけの精神にとっては変化の動態がその知性のなかに居場所を占めることはない。すなわち麻痺した知力が更生する体験はないだろう。

以前、ポスト・ケインジアンのMLであったか、出典は忘れてしまったが、ケインズの現実が変わったので考え方を変えたという意味の言葉が話題になったことがある。現実に関与する精神にはそうしたことが起きるものだ。

社会問題にソレルが関心を持ちはじめた1898年頃、ソレルは「社会主義者であり、ドレフュスの擁護者であり、ジョレスの崇拝者であった。10年後、社会主義政策の最も激しい敵対者となり、革命的サンジカリズムの非妥協的な理論家となった」(4)。そこには現実とのやりとりのなか継続的に変化していく荒々しい精神の矛盾があることに気づかされる。現実との往復のなかで進化し深まり、最深層に至らんとする動きである。彼は当然にも、彼の理念の動く複雑な色合いを表現するのに独特なスタイルをとることになる。彼の文章の難しさにも繋がるのだろう。

「その記述の仕方はとても特殊で間接的で遠回しにしか表現しないことになる」(5)

読み手は、彼の省察(réflexions)の展開を引きおこしていった現実の変化と彼の内面を同時に、関連を見失うことなく解きほぐしていく必要に迫られるのだろう。その含みのある表現の読み方は、現実によってなされていく。社会主義、マルクス主義の崩壊、革命的サンジカリズム、そしてファシスト左派の運動形成にいたるイタリア20年代の実際の推移のなかで読み込まれていったのである。

つまり最終的にファシズムの協同組合国家ないし生産者国家の背骨であるコルポラチオーニcorporationi(全国的な協調組合体)と協同組合、コオペラチオーネcooperazioneとの矛盾的総合(普遍的アソシアシオンと個別的アソシアシオンと観念的に言い換えても良い)の形成にいたる現実の動きが、すでに先行してソレルの内面で起こっていたのである。大戦後、勢力を増す共産主義による混乱、安定した公共を再建しようとする各種の社会運動、とりわけ協同組合運動の政治への従属化と対立、そのなかかから起こる新たなコルポラチオーニへの動き、・・・そうしたすべてがソレルの内面の思想的営為のなかにあったのである。ファシスト左派の運動は現実がそれを消化したプロセスにすぎないのかもしれないのだ。


(1) Gaétan Pirou, Georges Sorel,1927, p.5.
(2) Ibid, p.5.
(3)、(3)、(4)、(5) Ibid, p.6.

-- 
Eiichi Morino 

1 Comments:

Blogger yoji said...


ソレル『暴力論』(1908)のように支配階級の上からの権力(フォルスforce)と、被支配階級の下からの暴力(ビヨランスvioleceとを分けなければならない。
ただしソレルが影響を受けたのはプルードンだ。マルクス及びウェーバーから下からの暴力はそこまで学べない。
それはフランスのように中央集権志向の国の方が下からの対抗的な思想も生まれやすいからでもある。
日本は中間勢力が死滅したのは最近だからこれからだろう。
また暴力と権力の差異は、協同組合と労働組合の差異でもあって、(ソレルのように)その積極的な考察が求められる。
暴力装置といっても特に軍隊(暴力団も)は雇用の問題にすぎない。

12:59 午前  

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