水曜日, 1月 25, 2017

フリードリヒ・ハイエク - Wikipedia



ハイエク全集 第1巻 貨幣理論と景気循環

 タイトル   価格と生産

 出版者    春秋社

 出版年    1988.9

 大きさ等   22cm 279,12p

 注記     Monetary theory and the trade cycle./の翻訳

 監修:西山千明,矢島鈞次 著者の肖像あり

 注記     Price and production. 2nd ed./の翻訳

 NDC分類  331.72

 要旨    

「景気変動の原因は貨幣的変化が起こす経済全体の不均衡にある」とし、ハイエクの名を世界に知らしめた「貨幣理論と景気循環」と、有名な三角図形を用いてその一層の展開を行った「価格と生産」の初期2作品を収録。ノーベル経済学賞に輝く先駆的業績。

 目次    

貨幣理論と景気循環(景気循環の問題;非貨幣的景気理論;貨幣的景気循環論;景気循環変動の基本的原因;景気循環論の未解決問題);価格と生産(貨幣の諸価格に及ぼす影響に関する諸理論;消費財生産と生産財生産との均衡条件;信用循環過程における価格メカニズムの作用;「弾力的」通貨に対する賛否;資本と産業変動―批判への回答)

 ISBN等  4-393-62111-5



フリードリヒ・ハイエク - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ・ハイエク

フリードリヒ・ハイエク


フリードリヒ・フォン・ハイエク
オーストリア学派
生誕1899年5月8日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国ウィーン
死没1992年3月23日
ドイツの旗 ドイツフライブルク
国籍オーストリアの旗 オーストリアイギリスの旗 イギリス
研究分野貨幣経済学マクロ経済学ミクロ経済学社会哲学政治哲学
母校ウィーン大学
影響を
受けた人物
影響を
与えた人物
実績オーストリア学派の景気循環理論
資源配分メカニズムにおける情報の役割
分散された知識
交換の理論
自生的秩序
ヘッブの法則
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1974年
受賞部門:ノーベル経済学賞
受賞理由:貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と、経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析を称えて

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクFriedrich August von Hayek1899年5月8日 - 1992年3月23日)は、オーストリアウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学政治哲学法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表する自由主義の思想家。ノーベル経済学賞の受賞者。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄にあたる。

 略歴 業績 景気循環理論 投資と資本 経済計算論争と市場メカニズムの特性 通貨の脱国営化論 思想 古典的自由主義 「理性主義」批判 反共主義 ケインズとの関係 ノーベル経済学賞受賞 日本語訳著作 単著 共著 編著 全集 脚注 参考文献 関連項目 外部リンク

目次

略歴編集

業績編集

景気循環理論編集

ハイエクの初期の業績は景気循環に対する貨幣の影響を分析する貨幣的景気循環理論への貢献としてよく知られている。これはミーゼスなどのオーストリア学派の伝統を受け継ぐだけでなく、クヌート・ヴィクセルの累積過程のアイディアにも刺激を受けたものであった。生産財と消費財の価格比率の中から現れる財市場の均衡をもたらす水準としての自然利子率と、実際の利子率との関係により産出量と雇用量が決定されるというのがその理論の骨子である。具体的には利子率が自然利子率に比して低い場合に過剰な投資が生じバブルを発生させるが、やがて産出水準が投資と消費財への需要の双方に見合わなくなり生産財が不足してバブルが崩壊するというものである。1931年Prices and Productionはこの方面での彼の代表作である。なお1930年にはジョン・メイナード・ケインズが同じ分野でTreatise of Money(『貨幣論』という邦訳で知られる)を刊行しており、この後両者は景気循環を巡る論争へと突入することになる。この論争はハイエクの当時所属していたLSEとケインズを擁するケンブリッジ大学とのより大規模な論争の一局面であった。

投資と資本編集

ハイエクは自身の貨幣的景気循環理論を深化させ、投資と資本蓄積のメカニズムについての分析も行った。Pure Theory of Capital(1941年)はPrice and Productionの延長線上に資本蓄積の理論を構想したものである。彼の資本理論は後にアバ・ラーナートリグヴェ・ホーヴェルモによって検討され、ジョン・ヒックスの晩年の業績にも影響を与えた。なおラーナーとヒックスはLSEにおいてハイエクに師事したものの、後にケインズの『一般理論』を巡ってハイエクと袂を分かつという経緯の持ち主である。

経済計算論争と市場メカニズムの特性編集

ハイエクは1920年代から40年代にかけて盛んになった経済計画論争、或いは経済計算論争と呼ばれる論争に積極的に関わった。この論争は社会主義経済の実行可能性を巡るものであり、生産手段の私有(私有財産)を認めない社会主義経済の下では生産財に価格をつけることが出来ず、価格の存在しないところでは効率的な資源配分は達成されえないとするミーゼスの主張[2]に端を発している。これに対してオスカー・ランゲやラーナーは、潜在的な交換の可能性があればシャドウ・プライスという形で擬似的、便宜的に価格をつけることが可能であると主張した[3]。その上でランゲはワルラス流の一般均衡理論の枠組みに則って多財の需給の連立方程式の解を求めることで、効率的な価格付けと資源配分を達成することが出来ると考えた[4]。一方ハイエクの立場はたとえそのような計算が技術的に可能であるとしても、この計算を実施する中央計画当局は計算に必要な需給に関する膨大な情報を収集せねばならず、そのような情報の収集は不可能であるというものであった。これはその情報量の膨大さもさることながら、計算に必要な情報は主として経済主体にとって自身しか知らない私的情報であり、現代流の言い方をすれば個々の経済主体が情報を正しく伝達するインセンティヴを持つとは限らないからである。ハイエクは必要な情報の収集に成功し効率的な価格付けと資源配分を行えるのは分権的なメカニズムとしての市場メカニズムだけであるという展望を示したのである[5]。この経済計算論争や論争におけるハイエクの情報に着目するアプローチは後にレオニード・ハーヴィッツを刺激し、メカニズムデザインと呼ばれる分野の1つの源流となった。ハーヴィッツは1960年の論文[6]で任意の経済主体がその主体の情報のみを用いて意思決定を下すことが可能であり(情報分権性)、最小限度の情報の交換だけで済み、かつ資源配分の効率性を満たす性質を情報効率性と定義した。そして1972年の論文[7]で競争的市場メカニズムが情報効率性を満たすことを示した(情報効率性に関する厚生経済学の第一基本定理)。さらにジェイムズ・ジョーダン1982年[8]に情報効率性を満たす資源配分のメカニズムは競争的市場だけであることを証明した。(情報効率性に関する厚生経済学の第二基本定理)ハーヴィッツらのこの結果はある意味ではハイエクの主張を定式化し立証したものであると言える。

通貨の脱国営化論編集

ハイエクは中央銀行は不必要と主張している[9]。ハイエクやラルフ・ホートレイは「中央銀行の不安定な信用の拡大(縮小)は、在庫投資・産業構造といった実体経済に不均衡・不調整をもたらす」と指摘している[10]

ハイエクは「貨幣発行自由化論」(1976)において、通貨の脱国営化論(The denationalization of money)を提唱した。通貨の自由市場が許可されるべきであり、市場における通貨間の自由競争によって、最も健全で安定した通貨が発展するとするアイデアを提唱した。

思想編集

古典的自由主義編集

ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者 (classical liberal) を自称し、エドマンド・バークに倣いオールドホイッグと呼ばれることを好んでいた。 またハイエクの「自由」に対する考えは、単に経済学にとどまらないものがあった。ハイエクは集産主義と計画主義には市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提があると考えた。だが実際においては市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、参加者達が自らの利益や選考に基づいて判断を下す市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。

「法と立法と自由」では、「銃火器については、一定の知性と道徳を備えた人物だけがその取引を行えるようにすることが望ましい。」と論じた。また軍隊の徴兵制も支持していた。 同性愛に関しては、「成人の私的行為であれば、それが多数派の忌み嫌うようなものであっても、国家による強制の対象としては適当ではない。国家の目的は強制を最小化することである。」と述べている。「自生的な秩序においては、個人の私的領域を守る必要がある場合にのみ強制は正当化されるのであって、強制的に個人の領域を侵害することがあってはならない。」

さらにハイエクは特にフランスに見られるような、「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。

ハイエクの自由主義とは反合理主義であり、人間の理性には限界があり、慣行・慣習・マナーといったルールに従うべきであり、ルールに従わなければ、人間は不完全な理性しか持たないので、制度を設計したりすることはできないとする。つまり、理性を使い、国家や社会という複雑なものを合理的に設計できるというマルクス主義全体主義は誤謬であるとし、彼らは自分たちの理論に従い世の中を設計し、その理論から外れたものについては弾圧する。ハイエクにとっての全体主義は合理主義で、反合理主義こそが自由主義であるとされる[11]

「理性主義」批判編集

デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義 (constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な「進化論的[12]合理主義 (evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。

そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた(ルール)、伝統規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果ではあるが、その本質的な構造は特定の意志により設計されたものではなく、社会の試行錯誤を経て意図せず生じたものであり、そのはたらきの機序を人は充分に認識しえない。よってそこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。その本質において能力の乏しい理性に基づき「社会の設計(設計主義)」や「革命的な進歩」を目指した場合、認識しえない構造を基礎としている文明そのものを破壊する。人間社会に期待されるのは、所与の方向付けがされていない漸進的な自律変化である。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。同様に、社会秩序も「自生的秩序 (a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配 (rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。

こうした考えから、計画経済と集産主義 (collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。また「合理主義」や「理性主義」に否定的であったのと同様、ケインジアン批判だけでなく新古典派経済学シカゴ学派の多くが前提とする合理的な個人像に対しても疑問を投じている。基数的な効用に対しても否定的である。したがってハイエクの場合は強硬な新自由主義者であっても、オーストリアのキリスト教カルヴァン主義と同じ流れを持つものの袂を分かった一部のプロテスタントの価値観から、合理主義者や理性主義者よりは自我や邪性については積極的に賞揚しない人物であった。

反共主義編集

  • 隷従への道』の中で、共産主義社会主義が本質的にファシズムナチズムと同根であり、更に悪いものであり、むしろスーパーファシズム・全体主義であるということを、レーニンの友人であるマックス・イーストマン (Max Eastman) (英語版)レーニンの友人)や英国の文筆家であるF.A.フォークト (Frederick Augustus Voigt) (英語版)(英国の文筆家)等の観察や結論に同意しながら論証し、共産主義、社会主義への宥和に最大限の警告を発した。
  • ハイエクの著書は旧共産圏においてこそ熱心に読まれ、その改革の指導者達に大きな影響を与えた。「鉄のカーテンの向こうの共産圏でもっとも影響を与えたのは間違いなくハイエクであった。そこでハイエクの著書は翻訳されアンダーグラウンドにブラックマーケットで行き渡り広く読まれた。ハイエクの思想がソビエト連邦の内部の世論を変え、それを崩壊に導いたのだ。」(ミルトン・フリードマン
  • 1975年にマーガレット・サッチャーがイギリス保守党の党首に選ばれたが、その後のある会合でサッチャーは、ハイエクの「自由の条件」(The Constitution of Liberty)を自分の鞄から取り出すと、中道路線を唱える論者を遮り、その本を周りにかざしながら断固とした口調でこういった。「これが、我々の信じるものである」。ちなみにハイエクは、イギリスの保守党が崇拝する「伝統」を既得権の別名だとしており、部族社会の道徳を批判している[13]
  • 「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは、両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけであるとしている[14]。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みであるとしている[14]。貿易についても保護主義を主張し、「強い政府」を求めるとしている[14]

ケインズとの関係編集

ハイエクとケインズのやり取りは有名である。ただし経済政策の違いによる論争以前に、「理性主義」批判の項で触れたようにハイエクは理性主義者ほどではないにしても新自由主義者としての我の強い価値観を持っていたことから、財政出動という政治観からも伺えるように慈悲深く温和な性格のケインズとはそもそもそりが合わなかった。このためハイエクの不機嫌な意見はケインズによって寛容に受け止められ自説に反映させられてしまうといった構図が長く続いたようである。

ケインズが亡くなった後、ハイエクはケインズの妻であるリディア夫人に「私が知っている中で唯一、真の偉大な人物であり、限りない尊敬の対象だった。彼のいない世界中は、はるかに色褪せたものになってしまうだろう」と手紙を送っている[15]。その後「うぬぼれた考えと思われるだろうが、私は自分を論争している二大経済学者のうちの一人だと知られていたと思う。しかし、彼は亡くなって聖人となり、私は『隷従への道』を出版し評価を落とした。この本によって状況は変わってしまった」と述べている[15]

晩年のハイエクは「私が一番後悔しているのは、ケインズの貨幣論への批判を再開できなかったことではなく、ミルトンの危険な方法論(理論による予測)を攻撃する機会が得られなかったことである」と述べていた[16]

ノーベル経済学賞受賞編集

ノーベル賞選考委員会は当初グンナー・ミュルダール単独でに経済学賞を贈るつもりであったが、経済に対する政府の幅広い干渉を容認するミュルダールの立場とバランスをとるべきとの声に押されて、ハイエクとの共同受賞が決まったとされている[17]

ミルトン・フリードマンは、1974年のハイエクのノーベル経済学賞受賞が「ハイエクの命を救った」と述べている(受賞前のハイエクは経済的に困窮していたとされている)[18]

経済学者のマーク・ブローグは「ハイエクは戦後、経済学を棄てさり、心理学・政治哲学・法哲学・思想史を始めた。1974年、ノーベル経済学賞を受賞して以降、彼は経済学の主流に復帰した」と述べている[19]

経済学者の竹森俊平は「ノーベル賞が転換点となり、ハイエクの評価は死後も上がり続けた。『時流』が変わり、広い領域にまたがる壮大な思想がようやく理解され始めた」と述べている[20]

ハイエクがかつて経済顧問を務め、私的ゼミナールを開いたことがあるウィーン商工会議所には、ノーベル経済学賞を顕彰して設けた「ハイエク・ツィマー(部屋)」と書かれた一室がある[21]

日本語訳著作編集

単著編集

共著編集

編著編集

  • 『集産主義計画経済の理論――社会主義の可能性に関する批判的研究』(実業之日本社, 1950年)

全集編集

監修西山千明、古賀勝次郎、気賀健三、矢島鈞次(後者2名は第Ⅰ期のみ)
  • 『ハイエク全集』(春秋社、1986-90年、新装版2007-08年)
    • 1巻「貨幣理論と景気循環、価格と生産」
    • 2巻「利潤、利子および投資」
    • 3巻「個人主義と経済秩序」
    • 4巻「感覚秩序」
    • 5巻「自由の条件(1)自由の価値」
    • 6巻「自由の条件(2)自由と法」
    • 7巻「自由の条件(3)福祉国家における自由」
    • 8巻「法と立法と自由(1)ルールと秩序」
    • 9巻「法と立法と自由(2)社会正義の幻想」
    • 10巻「法と立法と自由(3)自由人の政治的秩序」
    • 別巻 「隷属への道」(1992年刊)
池田幸弘・古賀勝次郎・嶋津格八木紀一郎(編集委員)
  • 『ハイエク全集 第Ⅱ期』(全10巻・別巻1、2009-2012年)
    • 1巻「致命的な思いあがり」
    • 2巻「貨幣論集」
    • 3巻「科学による対抗革命」
    • 4巻「哲学論集」
    • 5巻「政治学論集」
    • 6巻「経済学論集」  
    • 7巻「思想史論集」
    • 8巻「資本の純粋理論(1)」
    • 9巻「資本の純粋理論(2)」
    • 10巻「社会主義と戦争」
    • 別巻「ケインズとケンブリッジに対抗して」

脚注編集

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  1. ^ Friedrich Hayek as a Teacher (2009年5月8日) - David Gordon
  2. ^ Mises, L. (1920) ``Die Wirtschaftsrechnung im sozialistischen Gemmeinwesen," Archiv fur Sozialwissenschaften, 47
  3. ^ Lange, O. (1936) ``On the Economic Theory of Socialism: Part One," Review of Economic Studies, 4, pp. 53 - 71
    Lange, O. (1937) ``On the Economic Theory of Socialism: Part Two," Review of Economic Studies, 4, pp. 123 - 142
    およびLerner, A. P. (1944) The Economics of Control., New York: Mcmillan.
  4. ^ 晩年のランゲはコンピューターによる解の導出の可能性を信じていた。Lange(1936), Lange(1937)ではオークショニアが任意の価格からスタートし、経済主体の最適化行動の結果需給が均衡するまで価格の設定を繰り返すというワルラス流の模索過程を計算問題の解法として提案した。
  5. ^ Hayek, F. A. (1945) ``The Use of Knowledge in Society," American Economic Review, 35, pp. 519 - 530
  6. ^ Hurwicz, L. (1960) ``Optimality and Informational Efficiency in Resource Allocation Processes," in Mathematical Methods in the Social Sciences, ed. by K. J. Arrow., S. Karlin., and P. Suppes., pp. 27 - 46. Stanford: Stanford University Press
  7. ^ Hurwicz, L. (1972) ``On the Dimensional Requirements of Informationally Decentralized Pareto Satisfactory Processes," mimeo. Reprinted in K. Arrow and L. Hurwicz eds., Studies in Resource Allocation Processes Cambridge: Cambridge University Press, 1977.
  8. ^ Jordan, J. (1982) ``The Competitive Allocation Process is Informationally Efficient Uniquely," Journal of Economic Theory, 28, pp.1-18.
  9. ^ 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、160頁。
  10. ^ 田中秀臣 『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』 講談社〈講談社BIZ〉、2006年、119頁。
  11. ^ 中野剛志柴山桂太 『グローバル恐慌の真相』 57-58頁。
  12. ^ ここでいう進化は社会進化論の文脈による進化とは異なる。
  13. ^ 池田信夫 『希望を捨てる勇気-停滞と成長の経済学』 ダイヤモンド社、2009年、101頁。
  14. a b c 日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、98頁。
  15. a b ニコラス・ワプショット 『ケインズかハイエクか-資本主義を動かした世紀の対決』久保恵美子訳、新潮社、2012年、237頁。
  16. ^ 日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、87頁。
  17. ^ マリル・ハートマッカーティ 『ノーベル賞経済学者に学ぶ現代経済思想』 日経BP社、2002年、354頁。
  18. ^ 日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、84頁。
  19. ^ マーク・ブローグ 『ケインズ以後の100大経済学者-ノーベル賞に輝く人々』 同文舘出版、1994年、105頁。
  20. ^ 日本経済新聞社編 『世界を変えた経済学の名著』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2013年、85頁。
  21. ^ 日本経済新聞社編著 『現代経済学の巨人たち-20世紀の人・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、43頁。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集

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