ビル・ミッチェル 「主流経済学者は本当に大赤字と国債買入を受け入れたのか?」(2021年2月23日)
(http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=46945 [2021/02/23]です)
ジョン・メイナード・ケインズは1930年に「孫のための経済的可能性」という小文を書いた。彼は向こう100年のうちに技術的なシフトが起こり、労働者は週に15時間しか働けなくなるだろうと考えていた。この予言はそうした生産性の向上が起こったという意味では正しかったが、労働者がそこから利益を得るという意味では間違っていた。ケインズは生産性が均等に分配されると考えていたのだ。彼が過小評価したのは資本が利潤から利潤を吸い上げる能力、そして、そのために国家を掌握して立法や規制の力を利用して賃金の伸びを抑制することを確実にする能力だった。 主流経済学者たちは資本の代理人として、不平等の拡大と国家の再構成に手を貸してきた。このことは、財政赤字及び中央銀行の債務購入について、主流派経済学者の見解が明らかに変化してきていることをどう捉えるかに関係してくる。昨日は悪いことばかりだと言ったことを今日は良いことばかりだと言う。意見の変化を評価する際には慎重であれというのは歴史が警告するところだ。一貫性を保つためにはそのまえに言っておかなければならないことがあるはずだ。
ケインズの予想は正しく、正しくなかった
ケインズは資本主義の根本的な改革を求めてはいなかった。
同エッセイではこう書いている。
…世界で騒がれている二つの対立する悲観論はどちらも間違っていることは私たち自身の時代のうちに証明されるでしょう。事態は悪すぎるので暴力的な変化以外に私たちを救う道はない考える革命家の悲観論と、私たちの経済的生活と社会的生活のバランスはとても不安定なのだから実験は危険だとする反動主義者の悲観論のことです。
所得をより均等に分散させたり、職場内のパワーバランスを変えたりするような社会的経済的な変化を止めようとする保守派にも嫌気がさしていたことは見ての通り伝わってくる。
「欲望に満ちた世界での失業の巨大な異常性」という表現もある。
このエッセイは100年後の2030年つまり「孫たち」が中年期(または少し年上)になる頃の予測だったとみると彼はこう「予言」していた。
… 100年後の先進国の生活水準は、現在の4倍から8倍になるだろう。
4〜8倍とはなんとも広い範囲だ。
この予測は当たっただろうか。
1930年の英国の1人当たりの実質GDPは5,042ポンドだった。
そして2014年には26,394ポンドだった(イングランド銀行のデータベースを使用)。
2017年は、29,670ポンドだった(ONSによる)。
だからケインズの予測は当たっている – 約5.9倍の増加。
米国のデータにあてはめても、彼の予測はやはり正しかった。
1947年の1人当たりの実質国内総生産は14,118ドルだったのが、2019年には58,113ドルであった。
4.1倍の拡大だったことになる(出典):
その一方でケインズは同エッセイで「8倍よくなったとしてみよう」と続けている。彼の予測の不正確だった側面はここに現れていると言えるだろう。
彼はより多くの富を求めて努力し続ける人々が常にいることを受け入れている。ルイス・キャロルの小説シルヴィーとブルーノの教授の話を引用しているのは、そう考えた証拠だ。
彼はその上で、私たち人類は物質的な欲求を満たした上で「それでもなお残る労働はできるだけ広く共有するようにするため」に週に15時間しか働かないようになるだろうと考えていたのだった。
テクノロジーによって労働の必要性を減らしつつ労働者にも巨額の富がもたらされることによって豊かさが増大すれば、短時間労働が現実のものになるだろうと。
重要なのは、ケインズは将来の生産性の上昇を広く予測したが、資本主義を理解していなかったことだ。
どういうことか?
現実の生産性の伸びは労働者に均等に分散されていない。
ケインズがナイーブなのはこの点だった。資本家が所有する職場から労働者を解放しうる生産性の大幅な向上が、現実に社会全体で共有されるだろうと考えたのだ。
第二次世界大戦後の社会民主主義時代には完全雇用のコンセンサスが共有されていたものだ。
オーストラリアにおいても毎年、司法賃金設定当局が「生産性」のヒアリングを行っていた。このことを知らない人が多いのにはよく驚かされるのだが、単位時間あたりの生産量が前年比で平均どれだけ増加したかを見積もり、それに基づいて労働者の昇給を決めていた。
つまり、最低賃金の労働者たちが生産性が低い労働集約的の職場で苦労したとしても、物質的な生活水準の恩恵が回っていた。
ところがこのシステムは雇用主たちから激しい反対され、その結果、1980年代以降の新自由主義に忠誠を誓う労働党政府によって放棄されることになった。
それ以降資本は、労働者を犠牲にすることで実質賃金の伸びと生産性の間のギャップを拡大させ続け利益シェアは約10ポイント増加した。
労働者は、新自由主義政府によって規制が緩和された金融市場からの借り入れを増やさなければ消費水準を維持できないことになった。実質賃金の伸びが鈍化し家計の負債が増加したことで、労働者層の多くは生活を維持するために労働時間を短縮するどころか、より多くの労働時間を捻出しなければならなくなった。
アイデンティティを研究している人たちは女性の解放と労働市場への参入を称賛するが、その傾向には暗い面があり、賃金が抑制される環境の中で生きるためには共働きせざるを得なくなるという圧力が働いていたわけだ。
毎日2~3回の単純な掃除の仕事をしなければならなくなった女性たちが家父長制社会からのジェンダー解放を享受できたとは言い難い。
一人当たりの所得を長い歴史的スパンでの比較しようとするときの誤りの元凶はこうしたことにある。
ケインズは、テクノロジーがすべての職業分野の労働の必要性を減らし、高給取りも低給取りも同じだけ失業させていくと見ていたが、資本主義の現実は大きく異なっていた。
失業の負担は、相変わらず最も不利な立場にある労働者にのしかかっている。
いわゆる「ギグ・エコノミー」の発展も、新自由主義で加速した不平等を定着させるための近代資本主義が適応した姿なのであり、不利な労働者集団の存在と連動している。
馬鹿げたほどの低賃金雇用のために労働者が競争させられているこの状態は、単に在職期間が不安定であることだけの問題なのではなく、そもそも始まってはいけない危険な状況だ(最近オーストラリアでは、小銭を求めて急いで走り回るスクーターの配達ドライバーが数人事故で死亡している)。
今やこうした労働者層が普通の住民たちの一角を占めるようになった。彼らは富を蓄積することができず、家を購入することができず、病気になっても安心できず、有給休暇を取ることができず、安全な年金を得る老後を楽しみにすることができない。
明るい未来が見えない彼らは近視眼的にならざるを得ない。ケインズが想定した通りには、また社会民主主義時代にベビーブーム世代が期待できたようにはなっていないのだ。
昨今の経済学の思考の変化との関係
主流派経済学者たちは今、自分たちが財政政策の優位性についての議論を先導していると見せかけようと必死になっている。
ほんの数年前まで(失業率や不完全雇用率が高かった時でさえ)彼らは財政赤字の危険性を説いていたのだが、今は政府による大規模支出や中央銀行による債務の買い取りを唱えている。
中央銀行の債務購入は禁じ手だったはずなのだが、そうではなくなったようである。むしろそれを軽視する経済学の専門家はほとんどいなくなった。
今週、主流派の経済学者ロス・ガルナートは「オーストラリア政府(連邦政府、州政府、準州政府)は完全雇用に達するまで財政赤字を拡大し、オーストラリア準備銀行(RBA)はこれに合わせてが発行した債務をすべて買い取るべきだ」と発言した。
彼は、RBAは金利をマイナス領域に押し下げる必要があると考えているとのことだ。
また、ミルトン・フリードマン流の「負の所得税」型ベーシック・インカムを提言した。
こうしたことで豪ドル高を食い止めることができると考えている。
思い出すのは私がキャリアの初期にキャンベラの国会議事堂でMMTのワークショップを行ったとき、聴衆の一人にガルナートがいた。Q&Aの時間に彼は大声で私のことを、狂っている、財政赤字の増加は国家を破産させるだろうと言い放ったものだ。
あれは連邦政府に財政黒字マニアが解き放たれた瞬間だった。
不快なやりとりだったが、当時はよくあることだった。
暴徒に立ち向かえば報復が起こる。それがグループシンクの働きなのである。
そうしたグループの一人であるガルナートの特徴は記憶が短いことだ。過去を上書きする彼らの能力はすごい。
2016年の彼はRBAの金融政策スタンス(金利が高すぎる)を正当化するために「オーストラリアは弱すぎる」と警告していた(ソース)。
我が国は財政を引き締める必要があるが、徐々に進めなければならない。経済が弱体化しているので、急激な増税や歳出の削減は経済にショックを与えてしまうからだ。必要なのは、適度で目標を持った増税、適度で目標を持った歳出の削減である …
オーストラリア人が、この深刻な財政問題に対処できないという自然の法則は存在しない。
と言うが、当時オーストラリアには約14.9%の労働力不足があったのである。
この人物は、われわれには「深刻な財政問題」があるから財政緊縮を目指すべきとしていた。本来あるべき姿には何十億も足りない財政赤字のことをそう言っていたのだ。
彼は一貫して財政赤字を問題にしていた。
2004年12月3日、彼は当時経済学の教授を務めていたオーストラリア国立大学で、講演を催している。
当時インフレ率は低く、また労働力の未利用率(失業と不完全雇用)は12%程度あったのだが、彼は財政政策について次のように主張した。
1980年代の好況の絶頂期の財政黒字がもっと大きければ、それがカウンター・サイクル的な働きをしただろう。1980年代後半がそうだったのであれば、それは今の財政政策にもまったく当てはまることなのだ。
現状の財政は大幅に引き締めたほうがいい。もっと早い方が良かったが、後回しにするよりは今やった方が良い。そうすれば、ちょうど金融引き締めするのと同じように為替レートを上昇させることなく民需の恩恵を受けることができることになる。
当時の財政黒字と「好況」は、家計の負債が大幅に増加したことで消費が伸び続け、政府の歳入が急増したことが記録された結果だ。
捨てられた労働力は高い水準のままだった。
それは余りにも無責任な黒字だったのだが、ガルナートのような連中はそれをもっとやれと言うのだ。
つまり彼は失業と不完全雇用を増やしたがっていた。
ところが2021年の彼は – 完全雇用の達成がむつかしいことを懸念していると主張している。
この、彼の財政赤字などに対する突然の態度の変化は、現在世界中で起こりまくっている現象だ。
主流の経済学者たちは、自分たちの無力さを恐れ、立場を変えて、そんなことはずっと前から知っていたと主張している。あるいは、事実の方が変わったと主張する。
素材は何も変わっていない。
財政政策の働きはいつも変わらない。
金融システムは、1970年代初頭と同じように動いている。
為替レートも、変わらず常に変動している。
変わったのは、船から逃げ出そうとする列に並ぶネズミの数だ。
それは喜ばしいことだろうか?
この頃は毎日のようにジャーナリストから電話があって一つ二つ質問される。
私がキャリアを通じて提唱してきたアイデアについて、ついに経済学者も意見を言うようになっており、現代貨幣理論(MMT)が今やホットな話題になっていると彼らは言う。
だが、まだまだだ。
そのように見えるとしても、別のアジェンダが働いていると疑っている。
一年前の英ガーディアン紙の社説(2020年2月17日)–ケインズの復活に関するガーディアンの見解:革命的な道–は、経済学者たちの「逆サイド」への行進が表れていた。
それは第二次世界大戦後から1970年代までの期間のケインズ経済学の覇権を「打倒」した、保守側の議論の写し鏡なのだ。
… 福祉への手厚い支出は、資本主義を弱体化させただけでなく、インフレを引き起こし、不安定化させる結果となり、民主的なガバナンスを脅かすものとなった。
これこそ、まさに、労働者の利益についてのケインズの1930年の予測の背後にあった政策論であり、その方向性だ。
貨幣主義者が主導権を握ったその後の数十年で、ケインズの予測は外れていくことになる。
貨幣主義の教義を説いていた主流経済学者が、その同じ口で財政政策の優越性を説いている。
広く受け入れられた貨幣主義とその変種である主流の理論は、ケインズ派の正統性を経験的に否定することで生まれたものではなかった。それは、高度に抽象的で先験的な論法に立脚するだけの議論に過ぎず、リベラルな思考を捨てた保守的イデオロギーの甦りなのだ。
アラン・ブラインダーは1988年の著書–『ハードヘッドソフトハート』–で、ケインズ派の考えの拒絶について次のように書いている(p.278)。
…と言うよりも、それはアプリオリな理論化が経験主義を制圧したということであり、観察に対する知的美学の覇権であり、言わば自由主義に対する保守的なイデオロギーの勝利だった。要するにクーン的な科学革命ではなかったのだ。
”要するにクーン的な科学革命ではなかった。”
失業を減らそうとするケインズ的な救済策は、自然失業率仮説とその政策的含意を受け入れた専門家の大部分からの嘲笑に見舞われることになった。
主流派経済学は支配階級の利益に貢献するものであり、労働者階級を弱体化させる政策を提唱し続けてきたことを忘れてはいけない。
英ガーディアンの(英国に関する)社説から:
貨幣主義、覇権を握った経済理論は失敗に終わった。2008年以降の英国の一人当たりGDPの伸びはほぼゼロだった。
この記事は次のように続く:
金持ちの支配を固定するためセンセイたちは今度は国家の力を使おうとしている。イアン・ダンカン・スミスはBBCで「貨幣主義を回復するには適量のケインズ主義が必要だ」と語っていたが、これはそうした意味だ。低インフレ状態における緊縮財政とは、経済が需要に飢えているということだ。だからその処方箋は政府が支出することである。しかしダンカン・スミスは、国が労働の側に介入せよとか、富を再分配し投資を社会化せよとは言わない。氏が提案しているのはケインズを欠いたケインズ主義なのだ。
結語
というわけで、ネズミどもが船から逃げ出しているのが良いことかどうかを私に尋ねる前によく考えてほしい。ネズミたちは本当に船を離れているのか。それともGFCとパンデミックという10年に二度のショックを経てもなお、利潤の搾取システムを再構成しようと、今だけレーダーを避けようとしているだけなのか。
危機に陥ると、資本は常に国の財政能力に救済を求める。経済学者たちこそがその先導役だったのかもしれない。
本当に船を離れたなら、そうではなかった(おそらく)ことになる。
今日はここまで!
現代が始まったのは、私が思うに、16世紀に始まった資本の蓄積による。私の考えでは—その理由について述べることでここでの議論に負担をかけるつもりなないが—これは最初は物価上昇により生じ、それによる利潤が、新世界から旧世界にスペインのもたらした黄金と銀の財宝により実現したのだろう。その時代から今日に到るまで、それまで何世代にもわたり眠っていたとおぼしき複利計算による蓄積の力が復活し、その力を刷新させた。そして二百年にわたる複利計算の力は、想像もおぼつかないほどのものなのだ。
その例示として、私が試算したある数字をお示ししよう。大英帝国の今日における外交投資総価値は、40億ポンドほどとされる。これが私たちに、6.5パーセントほどの収益率で収入をもたらす。このうち半分を私たちは故国に持ち帰って享受する。残り半分、つまり3.25パーセントは、外国に残して複利計算で蓄積させる。これに類する活動が、いまや250年ほど続いている。
というのも、イギリスの外国投資の始まりを、私はドレーク提督が1580年にスペインから盗んだ財宝にまで遡るものとしているからだ。その年、ドレークは私掠船ゴールデンハインド号の莫大な獲物を持ち帰った。エリザベス女王はこの遠征の資金提供をしたシンジケートの大株主だった。その取り分の中から、女王はイギリスの対外債務を全額返し、財政を均衡させ、それでも手元に4万ポンド残した。彼女はそれをレヴァント社に投資した—これが大繁盛。レヴァント社の利潤から東インド会社が創設された。そしてこの巨大事業の利潤が、その後のイギリス外国投資の基盤となった。さて、たまたまではあるが、4万ポンドを3.25パーセント複利で蓄積させると、各種年代におけるイギリス外国投資の実際の量とだいたい一致するし、今日ならそれは40億ポンドになるが、これはまさに現在の外国投資額だ。だからドレークが1580年に持ち帰った一ポンドは、いまやすべて10万ポンドになった。これぞ複利計算の威力!