ケインズ「わが孫たちの経済的可能性」(1930年)- On John Maynard Keynes-"Economic Possibilities for Our Grandchildren (1930)"- ...
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http://nam-students.blogspot.jp/2016/09/blog-post_11.html
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html
http://www.econ.yale.edu/smith/econ116a/keynes1.pdf
ハーヴェイが終焉59で引用
5頁
富の蓄積が最早あまり社会的重要性を持たなくなると、道徳律にも大きな変化が生じる。二百年にもわたり私たちを悩ませてきた多くのインチキ道徳原理、最も忌まわしい人間の性質を最も高い美徳の地位に担ぎ上げるのに使ったインチキ道徳の多くを捨て去れるようになるのだ。金銭動機をその真の価値という点から敢えて評価できるようになる。所有物としての金銭に対する愛—人生の享受と現実の手段としての金銭を愛するのとは別だ—の化けの皮は剥がれ、いささか嫌悪すべき病的状態であり、犯罪もどき、精神病もどきの傾向として、身震いしつつ精神病の専門家に引き渡すようなものだと認識されることになる。現在では富の分配や経済報酬と罰則の分配に影響する各種の社会習慣や経済慣行が、資本蓄積の促進にきわめて便利だというだけで、それ自体としてはいかに忌まわしく不公正であろうとも、あらゆる犠牲を払って維持されている。しかし私たちはついに、そうしたものを捨て去れるだろう。
https://youtu.be/NEWAmvOCiqk
http://cruel.hatenablog.com/entry/20111004/1317705883
I see us free, therefore, to return to some of the most sure and certain principles of religion and traditional virtue-that avarice is a vice, that the exaction of usury is a misdemeanour, and the love of money is detestable, that those walk most truly in the paths of virtue and sane wisdom who take least thought for the morrow.
第1編 講和条約
1 パリ(1919年)
2 ドイツの賠償支払能力(1919年)
3 ヨーロッパ復興のための諸提案(1919年)
4 世論の変化(1921年)
5 戦債とアメリカ合衆国
第2編 インフレーションとデフレーション
1 インフレーション(1919年)
2 貨幣価値変動の社会的帰結(1923年)
3 フランス・フラン(1926、28年)
4 ロイド・ジョージはそれをなしうるか?(1929年)
5 1930年の大不況(1930年12月)
6 節約(1931年)
7 貨幣価値の崩壊が銀行に及ぼした帰結(1931年12月)
第3編 金本位制への復帰
1 呪うべき黄金欲(Auri Sarca Fames)(1930年12月)
2 貨幣政策の諸目標(1923年)
3 将来の貨幣政策のための積極的提案(1923年)
4 銀行の頭取たちの演説(1924、1925、1927年)
5 チャーチル氏の経済的帰結(1925年)
6 関税による緩和策(1931年)
7 金本位制の終焉(1931年9月27日)
第4編 政治
1 ロシア管見(1925年)
2 自由放任の終焉(1926年)
3 私は自由党員か(1925年)
4 自由主義と労働党(1926年)
第5編 未来
1 クリソルド(1927年)
2 わが孫たちの経済的可能性(1930年)
第6編 その後の論文
1 繁栄への道(1933年)
2 戦費調達論(1940年)
「ベーシックインカムの必要性なし:技術的失業の脅威に対処する5つの政策」
No Need For Basic Income: Five Policies To Deal With The Threat Of Technological Unemployment
https://www.socialeurope.eu/2017/03/no-need-basic-income-five-policies-deal-threat-technological-unemployment
での議論はそれに疑問を提起している。まあ基礎所得給付への批判は、いろいろ言われているからいいとして、AIがもたらすであろう技術的失業に対する処方を提起しているところは読んでおいたがいいかな。かいつまんで要点の要点のみ。
○技術スキルの急速な陳腐化に対処する教育システム、○大規模な技術的失業発生の場合の作業再配分(ケインズ『我が孫達・・・』での提起)、○公共政策(政府がラストリゾートの雇用主として振る舞う)としての職務保証制度による職務再調整、再訓練によるスキルアップ。○資本の所有権の民主化(デジタル経済で活躍するロボットは資本だが、その所有権の拡大、大衆化)とマクロレベルにおける資本収益の再社会化のための特別目的の金融手段special purpose financial vehiclesによる職務保証。
「BIのアイデアのコアはリバタリアンの社会観に基づいている。それを実施することで現在集合的に組織されている我々の日々の生活の多くの側面が個別化されるであろう。他方で上記のポリシーミックスはデジタル革命の潜在的な弱点に対する効果的な保護であるばかりでなく、同時にコミュニティと不平等の削減を強化するツールを作り出すであろう。」
社会主義・共産主義のような集合主義でなくリベラルな集合主義による政策ミックスを考えている。古典的な自由主義が有していたふところの深い思考を感じさせてくれる思考態度が好感されるかな。
経済社会のデジタル化革命の影響にどう対処するかについて、ロボット課税等いろいろ議論はあるが、フランスの経済学者、モーリス・アレが80年代にノーベル賞を受賞したさいの資本課税と貨幣改革の議論が予言的であったなという印象をあらためてもつ昨今ではあるなあ。
それにしても、実際的な解決能力を欠いた原理主義の時代ははやいとこ終わりにしたいもんだわ。
2007年から、100年に一度ともいわれる経済・金融危機がつづいており、そのために、1930年代の大恐慌とそこから生まれたケインズ経済学に関心 が集まっている。ケインズの著作でもっとも有名なのはいうまでもなく『雇用、利子、通貨の一般理論』(1936年)だが、たくさんの時評にも魅力がある。 そのなかで、『説得論集』(1931年)に収録された「孫の世代の経済的可能性」(1930年)は、21世紀のいま、とくに興味深いように思える。未曽有 の不況を背景に悲観論が蔓延するなか、100年後の経済がどうなっているかを予想したものだからだ。1930年の100年後は2030年であり、それまで あと20年しかないのだ。
ケインズは2030年になれば、生きていくために必要不可欠な衣食住のニーズを満たすという意味での経済的な問題は解決のめどがついていると予想してい る。そうなれば倫理観も変化し、貪欲は悪徳だという原則、高利は悪だという原則、金銭愛は憎むべきものだという原則に戻れるだろうという。今回の経済・金 融危機がその方向への一歩になればいいのだがと思う。
ケインズのこのエッセイには、以下のように、既訳が少なくとも2つある。
宮崎義一訳「わが孫たちの経済的可能性」(『ケインズ全集第9巻』、1981年、東洋経済新報社)
今回、機会があって、この2つの既訳を詳しく検討した。そして正直なところ、質の低さに少々驚いた。戦後のこの時期になると、翻訳調の栄光の時代は終わ り、堕落の時代がはじまっていたのだろうと思わざるをえない。
まずは訳者について。救仁郷〔くにごう〕繁については、ほとんど何も知らなかった。インターネットで検索しても、この本の「訳者紹介」を超える情報は得 られなかった。「北海道帝国大学農業経済学科卒。農学博士。主著『西ドイツの農業経済』」とあり、訳書が10点以上並んでいる。おそらくは経済学者なのだ ろうが、翻訳が業績の中心であり、著名な経済学者ではなかったようだ。
もうひとりの宮崎義一は、著名なケインズ経済学者だから、経歴を調べる必要すらない。バブル後の不況を分析した『複合不況』が、この種の本としては異例 のベストセラーになったことでも有名だ。ケインズ経済学の解説ではなく、日本経済の分析を行ってきた学者なので、『説得論集』の翻訳者としては最適だと思 える。
だが、どちらの翻訳も、驚くほど誤訳や不適切な訳が多く、ケインズの主張が読み取れていないのではないかという印象をもった。これは想像にすぎないが、 救仁郷訳に問題が多いのは力不足のため、宮崎訳に問題が多いのは下訳者(たぶん大学院生)に任せたためだと思われる。具体例をいくつかみていこう。なお、 このエッセーはⅠとⅡの2つの部分に分かれている。Ⅰの第1段落などの形で場所を示すことにし、原著と訳書のページは省略する。原文はJ. M. Keynes, Essays in Pursuasion, Macmillan, 1931, pp. 358 - 373による。
タイトルの問題
このエッセーのタイトルを、原文、救仁郷訳、宮崎訳の順に並べてみよう。
「わが孫たちのための経済的可能性」
「わが孫たちの経済的可能性」
Ⅰの第4段落
……わが孫たちのための経済的可能性はどんなものだろうか。(救仁郷訳)
「わが孫たちのための経済的可能性」とはどういう意味なのだろうか。正直なところ、よく分からない。「のための」というのは、forを英和辞典で引いたと きに真っ先にでてくる訳語だ。学習辞典なら太字で書かれている。これが翻訳の際に訳語として使える場合はなくはないが、それほど多くはない。少し考えれ ば、forの意味はすぐに分かる。たとえば、possibilityの形容詞形であるpossibleでは、つぎのような文型がよく使われる。
これと同じforが名詞形のpossibilityでも使われていると考えれば、いちばん理解しやすい。それでも不安なら、possibilityの用 例を大量にみていけばいい。救仁鄕繁が訳した1960年代後半には使えなかった手だが、いまでは誰でも簡単に使える。コンピューターとインターネットが発 達したいまでは、全文データベースから、さらにはインターネット全体から用例を探し出せるので、こういう間違いは簡単に防げるようになっている(救仁鄕訳 のように訳したときにどこかがおかしいと気づけば、という条件がつくが)。
「信じる」の意味は
Ⅰの第2段落
これは、現在われわれに起こりつつある事態を乱暴に誤って解釈したものと私は信じる。(救仁郷訳)
たぶん、翻訳調の翻訳でいかに奇妙な訳ができるかを示す典型例だともいえるだろう。原文の意味を考えて、それを伝えるのにふさわしい日本語で書こうとす れば、このような訳は生まれない。「われわれに」「乱暴に」「信じる」はどれも、英和辞典に太字で表示される類の訳語だ。だが、believeと thinkの意味の違い、「信じる」と「思う」の意味の違いを少し考えてみるといい。「信じる」は、どちらかといえば真実である可能性が低いときに使われ ることが多い言葉だが、believeは逆に、真実である可能性が高いと考えるときに使われる言葉だ。あとふたつの語も、意味を少し考えれば、使わなかっ ただろうと思える。
経済用語をどう訳すか
Ⅰの第2段落(続き)
……われわれは次のことを忘れているのだ。それは、一九二九年にはイギリスの工業産出量が空前の水準に達したということ、また、イギリスが輸入総額を決済 したのち新規対外投資に向けうる、対外収支の純余剰額は、昨一九二九年には他のあらゆる国よりも高く、アメリカのそれを事実五〇パーセントも上廻ったとい うことである。(救仁郷訳)
……われわれは次のことを忘れているのだ――一九二九年のイギリスでは、工業の物的産出量は史上最高であったし、また輸入総額を支払った後の新規対外投資 に利用できる対外収支の純余剰は、昨一九二九年、他のどの国よりも大きかったし、アメリカのこの純余剰よりも実に五〇パーセントも大きかったということで ある。(宮崎訳)
じつに不思議な訳だと思う。「工業の物的産出量」は、the physical output of the industryの訳語として考えれば、間違いではない。「輸入総額を決済したのち新規対外投資に向けうる、対外収支の純余剰額」も、原文のこの部分の訳 としては間違いではない。だが、間違いではないといいうるのは、経済や経済学について何も知らない人が訳した場合である。原文の語をひとつずつ、経済用語 の辞書で調べて、たぶん間違いないだろうと思える訳語を選択し、英文和訳で教えられる通りに組み合わせていくと、こういう訳ができあがる。要するに素人さ んの訳なのである。
読者はこの訳文を読んで、意味がまったく分からないというわけではないが、すぐに理解できるわけでもない。何を意味しているのか、考えていかなければな らない。1930年に書かれているから、いまとは違って、経済のさまざまな用語が確立していなかったのだろうと考え、いまの普通の経済用語になおせば(翻 訳すれば)、どうなるのだろうと考える。たとえばいまなら、国際収支についてはIMF(国際通貨基金)が決めた用語が使われているが、当時はそうした用語 が確立していなかった。そのためにこのような表現になっているのだろうが、などと考える(実際には英語ではいまでも、このような曖昧な表現をよく使うのだ が)。経済学の専門家なら、この原文の背景にある事実を考えて、ケインズが論じたことをしっかりした日本語で表現してもらいたいと思う。救仁鄕訳、宮崎訳 ともに、そうした読者の要望には答えていない。
宮崎訳の「輸入総額を支払った後の新規対外投資に利用できる対外収支の純余剰」の部分はもっと悪い。さっと読み飛ばせば、何となく意味が分かるようにも 思えるが、じっくり読むと、「輸入総額を支払った後の新規対外投資」の「の」が気になる。これは誤植で、正しくは「に」なのだろうか。そう考えていると、 「純余剰」も気になってくる。何かから何かを差し引いた額が「余剰」であり、それに「純」がつくと、さらに何かを差し引いているはずである。いったい何を 差し引いているのか、訳文には手掛かりは何もない。読者は不安になる。こんなことが分からないのだから、自分はよほど無知なのか、それとも頭がよほど悪い のかと。心配は無用だ。悪いのは訳文であって、読者の頭ではない。
「欲望」とは
Ⅰの第3段落
世界中を覆っている不況、世界中に充足されない欲望が溢れているのに失業が存在しているという最悪の異常事態、われわれが犯した惨めな誤りなどが、表面 に現われない所で進行している事態に対して――すなわち事態の趨勢の正しい解釈に対して――われわれを盲目にしている。(宮崎訳)
「……不況が……われわれを盲目にしている」という訳文は、たぶん、英文和訳としても疑問符がつくし、翻訳という観点からは、初歩的な問題があるといえる はずである。翻訳について考えたことがある人なら誰でも気づくように、これは無生物主語の文だからだ。意思をもたないものが人間に働きかけるように表現す るのが無生物主語であり、英語ではごく普通に使われる。このような文の訳し方は高校の英文和訳でも教えられるはずだ。初歩的な工夫が足りない訳だといえる はずである。
もうひとつ、「世界中に充足されない欲望が溢れているのに失業が存在しているという最悪の異常事態」もいただけない。欲望と失業にどういう関係があるの かを考えてみるべきだ。経済学者なら経済学的に。そうすれば、この部分の訳がどこかおかしいことに気づいたはずである。そう、wantsの意味を取り違え ているのである。英和辞典をみればたしかに「欲求」や「欲望」などの訳語がでているので、誤訳ではないと訳者は主張するだろう。だが、この語は「生活に必 要なものが不足している状態」を意味する。文脈によっては、そこから派生した「欲求」や「欲望」などの訳語が使える場合もあるというにすぎない。訳語では なく、意味を考えていれば、このようなみっともない訳にはならなかったと思える。
Ⅰの第3段落(続き)
……というのは、現在世界中に大騒ぎを起こしている悲観論の二つの相反する誤りは、いずれもわれわれが生きている間にその間違いが明らかにされると私は予 言するところのものだからである。その二つの誤りとは、暴力的変革以外にわれわれが救われる道はないとほど事態は悪化していると考える革命家たちの悲観論 と、われわれの経済的社会的生活のバランスは、自らの意思によって達成されたものではないので、あえてどのような実験も企てるべきではないと考える反動家 たちの悲観論とである。(宮崎訳)
ここで、「自らの意思によって達成されたものではないので」の部分は、二重の意味で理解不可能だと思える。まず、訳文だけを読んだときに意味が理解でき ない。つぎに、原文をみると、なぜこのような訳になったのか、理由が分からない。救仁鄕訳では「著しく不安定となっているため」になっている。宮崎訳はも ちろん、救仁鄕訳を参考にしながら訳されているはずだが、なぜ、このような訳でなければならないと考えたのかは、まったく分からない。奇妙だというしかな い。
ダッシュをどう処理するか
Ⅰの第5段落
記録が残されているもっとも古い時代――それは、たとえば紀元前二〇〇〇年までさかのぼることができよう――から一八世紀の初めに至るまで、地球上の文 明の中心地に生活していた普通の人の生活水準には、大きな変化はなかった。(宮崎訳)
このダッシュの処理はある意味で、翻訳調の典型である。この2つのダッシュは挿入を意味しており、宮崎訳は挿入として処理しているので、何の問題もない ように思えるかもしれない。だが、音読してみると、すぐに問題が明らかになる。訳文の2つめのダッシュの後にある「から」が浮いているのだ。「もっとも古 い時代から」という文章の「時代」の部分に挿入句があるのでこうしたのだろうが、その結果、読者は前から後に順に読んでいくことができなくなった。いうな らば、訳文の2つめのダッシュの後に返り点がついていて、「もっとも古い時代」まで戻らなければならなくなっているのである。文章は、前から順に読んでい くものだ。途中からもとに戻れというのでは、お話にならない。
もうひとつ、原文にダッシュがあれば、訳文にも同じ場所にダッシュがなければならないと、訳者は思い込んでいるようだ。英文のダッシュは実際には、コン マやパーレンとほぼ同じように使われるが、強さという点に違いがある。コンマやパーレンより若干強い符号なのだ。日本語ではどうだろう。日本語では英語と 違って、各種符号の正式な使い方が決まっているわけではない(だからだろうが、英語を学ぶ際にも、パンクチュエーションにはほとんど関心をもたない人が多 い)。このため、コンマに近い読点、パーレンに近いカッコ、そしてこのダッシュの使い方も決まってはいない。そこで、読んだときの印象はどうかを考えるし かない。読めばすぐに分かることだが、読点もカッコも全角1字分(ときには半角1字分)だが、ダッシュは全角2字分になるのが普通だ。だから若干どころで はなく、強烈に目立ち、強烈に強い。そのため、まったく使いにくい符号であり、日本語で書かれた文書ではめったに使われない。
翻訳にダッシュが目立つのは、訳者が符号について考えていない証拠である。英語のダッシュの使い方をおそらくそれほど知らないし、日本語の文章でダッ シュがどういう印象を与えるかも、おそらく考えたことがない。翻訳者は物書きなのだから、これではいけない。原文に使われているからという理由で、機械的 にダッシュを使うべきではない。英語のダッシュと日本語のダッシュでは性格が違うという点をしっかりと意識すべきだ。
ちなみに、疑問符と感嘆符についても同じことがいえる。英語では横幅がないのであまり目立たないのだが、日本語の縦書きになると、全角1字に空白1字分 をくわえて、2字分もとるので、極端に目立ってみっともない符号になる。そもそも日本語の文章では疑問符も感嘆符も不可欠ではない。原文にあるからという 理由だけで疑問符や感嘆符を使うべきではない。
原文の読み違え
Ⅰの第9段落
私の信じるところによれば――私としてはここに示した論拠の妨げには決してならない種々の理由からそう信じるのであるが――この資本蓄積は初めは物価騰 貴と、それによって生じた利潤とがその原因になっていた。このことは、スペインが新世界から旧世界に運び込んだ金銀財宝が生んだ結果であった。(救仁郷 訳)
ダッシュで囲まれた挿入部分は誤訳だとしか思えない。宮崎訳でも「私は幾つかの理由から――といってもその理由のためにここでの議論が妨げられることは ないが――」になっていて、やはり誤訳だとしか思えない。この2つの既訳で、原文がI must notになっている理由を説明できるのだろうか。原文は要するに、長くなるから理由は書かないが、といっているにすぎない。
割り注という悪弊
Ⅰの第10段落
……今やこの種のことがおおよそ二百五十年間〔訳注 ――三百五十年間の誤植であろう〕もつづいてきたのである。(救仁郷訳)
この訳注は実際には割り注になっている。つまり、小さな活字で、本文の1行のスペースに2行に分けて表示されている。この割り注は、翻訳調の性格を示す 点で面白いと思う。
長くなるのでこの部分の前後は示さないが、2つの理由で、原文の250 yearsが誤植か間違いであることははっきりしている。第1に、ケインズはここで英国の海外投資について論じており、当初の4万ポンドを3.25%の複 利で運用すると、250年後にほぼ40億ポンドになると述べている。計算すればすぐにわかることだが、1.0325の250乗は約3千なので、4万ポンド は約1億2千万ポンドにしかならない。第2に、英国の海外投資の出発点は1580年だと論じているので、このエッセーが書かれた1930年には350年 たっていた。
原文に誤植か勘違いがあることがはっきりしているとき、翻訳者はどうするか。この場合のような単純な間違いであれば、「三百五十年」と訳せばいい。たぶ ん、一般読者向けの出版翻訳を行っている翻訳者なら、誰でもそうするだろう。だが、救仁鄕訳ではそうしていない。割り注をつけて、「誤植であろう」と書い ている。なぜこのように書くのか。このように書くとき、どのような読者を想定しているのだろうか。
おそらく答えはひとつしかない。読者は原著を読んでいて、参考のために訳書もみていると想定しているのである。原著を読んでいる読者なら、注釈なしに 「三百五十年」と訳されていた場合、原著との違いに気づいて戸惑うかもしない。そこで親切に訳注をつける。この訳注は、訳書だけを読む読者にとって邪魔で しかないのだが。ちなみに、宮崎訳ではこの部分が「二五〇年」になっている。原文の間違いに気づかなかったのであれば、お粗末としかいえない。救仁鄕訳を みるまでもなく、数字をいつも扱っている経済学者なら、すぐに気づくべき誤りなのだから。
著者が意味を説明しているのだが
Ⅰの第15段落
……ほとんど数年のうちに――ということは、われわれがまだ生きているうちにということである――われわれは、農業、鉱業、製造業のあらゆる経営を、これ までの習慣となってきた労働力の四分の一で成しとげることができるようになるだろう。(宮崎訳)
このダッシュで囲まれた挿入部分までの訳は、何とも理解しがたい。著者はここでまず、In quite a few yearsといった後、一呼吸おいて、この言葉の意味を説明している。したがって、「ほとんど数年のうちに」ではないのだ。救仁鄕訳も「確かに数年のうち に」になっている。どちらの訳者も、a few yearsは「数年」なのだと思い込んでいて、この表現の意味を考えてみようともしなかったと思える。このa fewは「多くはない数」を意味しているにすぎず、2~4を意味しているわけではない。そして、quite a fewでは「かなり多い数」を意味する。
誤訳を2つ
このように、「孫の世代の経済的可能性」の既訳は、誤訳や不適切な訳がどの段落にもあるのだが、最後に2つ、かなり決定的な誤訳を指摘しておこう。
Ⅱの第2段落
ところで、人間のいろいろな欲求が飽くことを知らないもののように見える、というのも本当である。しかし、それらの欲求は二つの種類に分かれる。すなわ ち、われわれが自分の仲間の人間の状態がどうであろうと必ず感ずるという意味での絶対的な欲求と、その充足によって自分自身の状態が向上して、仲間に対し て優越感をもつようになる場合にのみ感ずるという意味での相対的な欲求とである。(救仁鄕訳)
この部分では、宮崎訳はコンマをうまく処理できているように思える。だが、つぎの部分では、救仁鄕訳、宮崎訳ともに、これと同じコンマを説明できない訳 になっている。宮崎訳をみてみよう。
Ⅱの第14段落
……しかしこの豊かな時代が到来したときに、その豊かさを享受することのできるのは、活力を維持することができ、生活術そのものをより完璧なものに洗練 し、生活手段のために自らを売り渡すことのないような国民であろう。(宮崎訳)
ここで問題なのは、cultivate into a fuller perfectionの後のコンマだ。これを説明できるのはⅡの第2段落と同じ共通構文になっていると考えたときだけだろう。そう考えなければ、 cultivateの目的語が本来の位置ではなく、into sthの後に置かれている理由が説明できないし、keepには目的語がないので、自動詞と考えるしかなくなる(なお、宮崎訳ではkeep aliveだけで「活力を維持する」訳していることになるが、そう訳した理由はよく分からない)。
翻訳調が堕落した時代の翻訳
救仁鄕訳、宮崎訳ともに、一言でいえば、かなり質が低いと思える。宮崎義一訳は救仁鄕訳という既訳を参照して訳せたわけだし、ケインズ全集という権威あ るシリーズのために訳されたものなので、とくに罪が重いと思われる。だが、戦後のこの時期になると、一流の学者にとって、翻訳は主要な任務だとは感じられ ないものになっていたはずだ。明治から昭和の前半まで、翻訳こそが学者の本業だった時期、一流の学者が一流の本を訳していた時期とは、状況が大きく変わっ ていたからだ。だが、出版社も読者も依然、一流の学者による翻訳を求めていた。そのため、学者は大学院生などの弟子に翻訳を押し付けるようになっていた。
宮崎訳はおそらく、そういう翻訳なのだろう。この時期の翻訳を読むと、たとえば経済書であれば、訳者は経済についても経済学についても何も分かっていな いのではないかという感想をもつことがある。翻訳調という縛りがあるために、経済と経済学についての知識を活かせないという要因もあったのだろうが、それ 以上に、実際に経済と経済学についての知識が不足している下訳者が訳したからである場合が多いのだろうと思える。
発展途上国の市場を歩いていて、羊の頭を飾ってある肉屋があるのに気づいたことがある。この羊の肉だから新鮮だよという意味なのだそうだ。羊頭狗肉とい う言葉はこのような習慣から生まれたのかとおかしくなった。1980年代以降の学者訳はまさに、羊頭を掲げて狗肉を売っているようなものだということが多 かったとみられる。翻訳調の翻訳が嫌われるようになった背景には、明らかに質が低下していたという要因があったのである。
いまはどうか。いまはこうした動きがさらに進んでいる。ここで取り上げたのは経済書だが、どの分野でも、たとえば古典の小説といった分野でも、大学教授 の翻訳をありがたがる理由はなくなっている。もちろんなかには、翻訳こそが天職だと考えているが、生活を安定させるために大学で教えている人もいるだろ う。そうであるなら、○○大学教授ではなく、翻訳家という肩書きを使うべきだ。現状をみると、そういう人すら大学教授の肩書きを使いたがるようだ。腐って も鯛というべきか、翻訳家の地位はまだまだ低いというべきかはよく分からないが。
(2009年8月号)
https://econ101.jp/%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%83%9f%e3%83%83%e3%83%81%e3%82%a7%e3%83%ab%e3%80%80%e3%80%8c%e4%b8%bb%e6%b5%81%e7%b5%8c%e6%b8%88%e5%ad%a6%e8%80%85%e3%81%af%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ab%e5%a4%a7%e8%b5%a4/
ビル・ミッチェル 「主流経済学者は本当に大赤字と国債買入を受け入れたのか?」(2021年2月23日)
(http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=46945 [2021/02/23]です)
ジョン・メイナード・ケインズは1930年に「孫のための経済的可能性」という小文を書いた。彼は向こう100年のうちに技術的なシフトが起こり、労働者は週に15時間しか働けなくなるだろうと考えていた。この予言はそうした生産性の向上が起こったという意味では正しかったが、労働者がそこから利益を得るという意味では間違っていた。ケインズは生産性が均等に分配されると考えていたのだ。彼が過小評価したのは資本が利潤から利潤を吸い上げる能力、そして、そのために国家を掌握して立法や規制の力を利用して賃金の伸びを抑制することを確実にする能力だった。 主流経済学者たちは資本の代理人として、不平等の拡大と国家の再構成に手を貸してきた。このことは、財政赤字及び中央銀行の債務購入について、主流派経済学者の見解が明らかに変化してきていることをどう捉えるかに関係してくる。昨日は悪いことばかりだと言ったことを今日は良いことばかりだと言う。意見の変化を評価する際には慎重であれというのは歴史が警告するところだ。一貫性を保つためにはそのまえに言っておかなければならないことがあるはずだ。
ケインズの予想は正しく、正しくなかった
ケインズは資本主義の根本的な改革を求めてはいなかった。
同エッセイではこう書いている。
…世界で騒がれている二つの対立する悲観論はどちらも間違っていることは私たち自身の時代のうちに証明されるでしょう。事態は悪すぎるので暴力的な変化以外に私たちを救う道はない考える革命家の悲観論と、私たちの経済的生活と社会的生活のバランスはとても不安定なのだから実験は危険だとする反動主義者の悲観論のことです。
所得をより均等に分散させたり、職場内のパワーバランスを変えたりするような社会的経済的な変化を止めようとする保守派にも嫌気がさしていたことは見ての通り伝わってくる。
「欲望に満ちた世界での失業の巨大な異常性」という表現もある。
このエッセイは100年後の2030年つまり「孫たち」が中年期(または少し年上)になる頃の予測だったとみると彼はこう「予言」していた。
… 100年後の先進国の生活水準は、現在の4倍から8倍になるだろう。
4〜8倍とはなんとも広い範囲だ。
この予測は当たっただろうか。
1930年の英国の1人当たりの実質GDPは5,042ポンドだった。
そして2014年には26,394ポンドだった(イングランド銀行のデータベースを使用)。
2017年は、29,670ポンドだった(ONSによる)。
だからケインズの予測は当たっている – 約5.9倍の増加。
米国のデータにあてはめても、彼の予測はやはり正しかった。
1947年の1人当たりの実質国内総生産は14,118ドルだったのが、2019年には58,113ドルであった。
4.1倍の拡大だったことになる(出典):
その一方でケインズは同エッセイで「8倍よくなったとしてみよう」と続けている。彼の予測の不正確だった側面はここに現れていると言えるだろう。
彼はより多くの富を求めて努力し続ける人々が常にいることを受け入れている。ルイス・キャロルの小説シルヴィーとブルーノの教授の話を引用しているのは、そう考えた証拠だ。
彼はその上で、私たち人類は物質的な欲求を満たした上で「それでもなお残る労働はできるだけ広く共有するようにするため」に週に15時間しか働かないようになるだろうと考えていたのだった。
テクノロジーによって労働の必要性を減らしつつ労働者にも巨額の富がもたらされることによって豊かさが増大すれば、短時間労働が現実のものになるだろうと。
重要なのは、ケインズは将来の生産性の上昇を広く予測したが、資本主義を理解していなかったことだ。
どういうことか?
現実の生産性の伸びは労働者に均等に分散されていない。
ケインズがナイーブなのはこの点だった。資本家が所有する職場から労働者を解放しうる生産性の大幅な向上が、現実に社会全体で共有されるだろうと考えたのだ。
第二次世界大戦後の社会民主主義時代には完全雇用のコンセンサスが共有されていたものだ。
オーストラリアにおいても毎年、司法賃金設定当局が「生産性」のヒアリングを行っていた。このことを知らない人が多いのにはよく驚かされるのだが、単位時間あたりの生産量が前年比で平均どれだけ増加したかを見積もり、それに基づいて労働者の昇給を決めていた。
つまり、最低賃金の労働者たちが生産性が低い労働集約的の職場で苦労したとしても、物質的な生活水準の恩恵が回っていた。
ところがこのシステムは雇用主たちから激しい反対され、その結果、1980年代以降の新自由主義に忠誠を誓う労働党政府によって放棄されることになった。
それ以降資本は、労働者を犠牲にすることで実質賃金の伸びと生産性の間のギャップを拡大させ続け利益シェアは約10ポイント増加した。
労働者は、新自由主義政府によって規制が緩和された金融市場からの借り入れを増やさなければ消費水準を維持できないことになった。実質賃金の伸びが鈍化し家計の負債が増加したことで、労働者層の多くは生活を維持するために労働時間を短縮するどころか、より多くの労働時間を捻出しなければならなくなった。
アイデンティティを研究している人たちは女性の解放と労働市場への参入を称賛するが、その傾向には暗い面があり、賃金が抑制される環境の中で生きるためには共働きせざるを得なくなるという圧力が働いていたわけだ。
毎日2~3回の単純な掃除の仕事をしなければならなくなった女性たちが家父長制社会からのジェンダー解放を享受できたとは言い難い。
一人当たりの所得を長い歴史的スパンでの比較しようとするときの誤りの元凶はこうしたことにある。
ケインズは、テクノロジーがすべての職業分野の労働の必要性を減らし、高給取りも低給取りも同じだけ失業させていくと見ていたが、資本主義の現実は大きく異なっていた。
失業の負担は、相変わらず最も不利な立場にある労働者にのしかかっている。
いわゆる「ギグ・エコノミー」の発展も、新自由主義で加速した不平等を定着させるための近代資本主義が適応した姿なのであり、不利な労働者集団の存在と連動している。
馬鹿げたほどの低賃金雇用のために労働者が競争させられているこの状態は、単に在職期間が不安定であることだけの問題なのではなく、そもそも始まってはいけない危険な状況だ(最近オーストラリアでは、小銭を求めて急いで走り回るスクーターの配達ドライバーが数人事故で死亡している)。
今やこうした労働者層が普通の住民たちの一角を占めるようになった。彼らは富を蓄積することができず、家を購入することができず、病気になっても安心できず、有給休暇を取ることができず、安全な年金を得る老後を楽しみにすることができない。
明るい未来が見えない彼らは近視眼的にならざるを得ない。ケインズが想定した通りには、また社会民主主義時代にベビーブーム世代が期待できたようにはなっていないのだ。
昨今の経済学の思考の変化との関係
主流派経済学者たちは今、自分たちが財政政策の優位性についての議論を先導していると見せかけようと必死になっている。
ほんの数年前まで(失業率や不完全雇用率が高かった時でさえ)彼らは財政赤字の危険性を説いていたのだが、今は政府による大規模支出や中央銀行による債務の買い取りを唱えている。
中央銀行の債務購入は禁じ手だったはずなのだが、そうではなくなったようである。むしろそれを軽視する経済学の専門家はほとんどいなくなった。
今週、主流派の経済学者ロス・ガルナートは「オーストラリア政府(連邦政府、州政府、準州政府)は完全雇用に達するまで財政赤字を拡大し、オーストラリア準備銀行(RBA)はこれに合わせてが発行した債務をすべて買い取るべきだ」と発言した。
彼は、RBAは金利をマイナス領域に押し下げる必要があると考えているとのことだ。
また、ミルトン・フリードマン流の「負の所得税」型ベーシック・インカムを提言した。
こうしたことで豪ドル高を食い止めることができると考えている。
思い出すのは私がキャリアの初期にキャンベラの国会議事堂でMMTのワークショップを行ったとき、聴衆の一人にガルナートがいた。Q&Aの時間に彼は大声で私のことを、狂っている、財政赤字の増加は国家を破産させるだろうと言い放ったものだ。
あれは連邦政府に財政黒字マニアが解き放たれた瞬間だった。
不快なやりとりだったが、当時はよくあることだった。
暴徒に立ち向かえば報復が起こる。それがグループシンクの働きなのである。
そうしたグループの一人であるガルナートの特徴は記憶が短いことだ。過去を上書きする彼らの能力はすごい。
2016年の彼はRBAの金融政策スタンス(金利が高すぎる)を正当化するために「オーストラリアは弱すぎる」と警告していた(ソース)。
我が国は財政を引き締める必要があるが、徐々に進めなければならない。経済が弱体化しているので、急激な増税や歳出の削減は経済にショックを与えてしまうからだ。必要なのは、適度で目標を持った増税、適度で目標を持った歳出の削減である …
オーストラリア人が、この深刻な財政問題に対処できないという自然の法則は存在しない。
と言うが、当時オーストラリアには約14.9%の労働力不足があったのである。
この人物は、われわれには「深刻な財政問題」があるから財政緊縮を目指すべきとしていた。本来あるべき姿には何十億も足りない財政赤字のことをそう言っていたのだ。
彼は一貫して財政赤字を問題にしていた。
2004年12月3日、彼は当時経済学の教授を務めていたオーストラリア国立大学で、講演を催している。
当時インフレ率は低く、また労働力の未利用率(失業と不完全雇用)は12%程度あったのだが、彼は財政政策について次のように主張した。
1980年代の好況の絶頂期の財政黒字がもっと大きければ、それがカウンター・サイクル的な働きをしただろう。1980年代後半がそうだったのであれば、それは今の財政政策にもまったく当てはまることなのだ。
現状の財政は大幅に引き締めたほうがいい。もっと早い方が良かったが、後回しにするよりは今やった方が良い。そうすれば、ちょうど金融引き締めするのと同じように為替レートを上昇させることなく民需の恩恵を受けることができることになる。
当時の財政黒字と「好況」は、家計の負債が大幅に増加したことで消費が伸び続け、政府の歳入が急増したことが記録された結果だ。
捨てられた労働力は高い水準のままだった。
それは余りにも無責任な黒字だったのだが、ガルナートのような連中はそれをもっとやれと言うのだ。
つまり彼は失業と不完全雇用を増やしたがっていた。
ところが2021年の彼は – 完全雇用の達成がむつかしいことを懸念していると主張している。
この、彼の財政赤字などに対する突然の態度の変化は、現在世界中で起こりまくっている現象だ。
主流の経済学者たちは、自分たちの無力さを恐れ、立場を変えて、そんなことはずっと前から知っていたと主張している。あるいは、事実の方が変わったと主張する。
素材は何も変わっていない。
財政政策の働きはいつも変わらない。
金融システムは、1970年代初頭と同じように動いている。
為替レートも、変わらず常に変動している。
変わったのは、船から逃げ出そうとする列に並ぶネズミの数だ。
それは喜ばしいことだろうか?
この頃は毎日のようにジャーナリストから電話があって一つ二つ質問される。
私がキャリアを通じて提唱してきたアイデアについて、ついに経済学者も意見を言うようになっており、現代貨幣理論(MMT)が今やホットな話題になっていると彼らは言う。
だが、まだまだだ。
そのように見えるとしても、別のアジェンダが働いていると疑っている。
一年前の英ガーディアン紙の社説(2020年2月17日)–ケインズの復活に関するガーディアンの見解:革命的な道–は、経済学者たちの「逆サイド」への行進が表れていた。
それは第二次世界大戦後から1970年代までの期間のケインズ経済学の覇権を「打倒」した、保守側の議論の写し鏡なのだ。
… 福祉への手厚い支出は、資本主義を弱体化させただけでなく、インフレを引き起こし、不安定化させる結果となり、民主的なガバナンスを脅かすものとなった。
これこそ、まさに、労働者の利益についてのケインズの1930年の予測の背後にあった政策論であり、その方向性だ。
貨幣主義者が主導権を握ったその後の数十年で、ケインズの予測は外れていくことになる。
貨幣主義の教義を説いていた主流経済学者が、その同じ口で財政政策の優越性を説いている。
広く受け入れられた貨幣主義とその変種である主流の理論は、ケインズ派の正統性を経験的に否定することで生まれたものではなかった。それは、高度に抽象的で先験的な論法に立脚するだけの議論に過ぎず、リベラルな思考を捨てた保守的イデオロギーの甦りなのだ。
アラン・ブラインダーは1988年の著書–『ハードヘッドソフトハート』–で、ケインズ派の考えの拒絶について次のように書いている(p.278)。
…と言うよりも、それはアプリオリな理論化が経験主義を制圧したということであり、観察に対する知的美学の覇権であり、言わば自由主義に対する保守的なイデオロギーの勝利だった。要するにクーン的な科学革命ではなかったのだ。
”要するにクーン的な科学革命ではなかった。”
失業を減らそうとするケインズ的な救済策は、自然失業率仮説とその政策的含意を受け入れた専門家の大部分からの嘲笑に見舞われることになった。
主流派経済学は支配階級の利益に貢献するものであり、労働者階級を弱体化させる政策を提唱し続けてきたことを忘れてはいけない。
英ガーディアンの(英国に関する)社説から:
貨幣主義、覇権を握った経済理論は失敗に終わった。2008年以降の英国の一人当たりGDPの伸びはほぼゼロだった。
この記事は次のように続く:
金持ちの支配を固定するためセンセイたちは今度は国家の力を使おうとしている。イアン・ダンカン・スミスはBBCで「貨幣主義を回復するには適量のケインズ主義が必要だ」と語っていたが、これはそうした意味だ。低インフレ状態における緊縮財政とは、経済が需要に飢えているということだ。だからその処方箋は政府が支出することである。しかしダンカン・スミスは、国が労働の側に介入せよとか、富を再分配し投資を社会化せよとは言わない。氏が提案しているのはケインズを欠いたケインズ主義なのだ。
結語
というわけで、ネズミどもが船から逃げ出しているのが良いことかどうかを私に尋ねる前によく考えてほしい。ネズミたちは本当に船を離れているのか。それともGFCとパンデミックという10年に二度のショックを経てもなお、利潤の搾取システムを再構成しようと、今だけレーダーを避けようとしているだけなのか。
危機に陥ると、資本は常に国の財政能力に救済を求める。経済学者たちこそがその先導役だったのかもしれない。
本当に船を離れたなら、そうではなかった(おそらく)ことになる。
今日はここまで!
現代が始まったのは、私が思うに、16世紀に始まった資本の蓄積による。私の考えでは—その理由について述べることでここでの議論に負担をかけるつもりなないが—これは最初は物価上昇により生じ、それによる利潤が、新世界から旧世界にスペインのもたらした黄金と銀の財宝により実現したのだろう。その時代から今日に到るまで、それまで何世代にもわたり眠っていたとおぼしき複利計算による蓄積の力が復活し、その力を刷新させた。そして二百年にわたる複利計算の力は、想像もおぼつかないほどのものなのだ。
その例示として、私が試算したある数字をお示ししよう。大英帝国の今日における外交投資総価値は、40億ポンドほどとされる。これが私たちに、6.5パーセントほどの収益率で収入をもたらす。このうち半分を私たちは故国に持ち帰って享受する。残り半分、つまり3.25パーセントは、外国に残して複利計算で蓄積させる。これに類する活動が、いまや250年ほど続いている。
というのも、イギリスの外国投資の始まりを、私はドレーク提督が1580年にスペインから盗んだ財宝にまで遡るものとしているからだ。その年、ドレークは私掠船ゴールデンハインド号の莫大な獲物を持ち帰った。エリザベス女王はこの遠征の資金提供をしたシンジケートの大株主だった。その取り分の中から、女王はイギリスの対外債務を全額返し、財政を均衡させ、それでも手元に4万ポンド残した。彼女はそれをレヴァント社に投資した—これが大繁盛。レヴァント社の利潤から東インド会社が創設された。そしてこの巨大事業の利潤が、その後のイギリス外国投資の基盤となった。さて、たまたまではあるが、4万ポンドを3.25パーセント複利で蓄積させると、各種年代におけるイギリス外国投資の実際の量とだいたい一致するし、今日ならそれは40億ポンドになるが、これはまさに現在の外国投資額だ。だからドレークが1580年に持ち帰った一ポンドは、いまやすべて10万ポンドになった。これぞ複利計算の威力!