http://www.freeassociations.org/
美術研究所に架けられた黒澤明の300号。:落合道人 Ochiai-Dojin:So-netブログhttp://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-09-02の煙突。日ノ出湯のほぼ真下、西隣りにプロレタリア美術研究所があった。
全日本無産者芸術連盟 - Wikipedia
全日本無産者芸術連盟(ぜんにほんむさんしゃげいじゅつれんめい)は、プロレタリア文学・芸術運動の組織である。略称(エスペラント表記Nippona Artista Proleta Federacioの頭文字をつないだもの)のNAPF(ナップ)でも知られる。
1927年、プロレタリア文学運動の組織は、分裂した3団体(プロ芸・労芸・前芸)がお互いに対立していた。この状況を打破しようと、1928年、蔵原惟人は、組織はそのままでの連携を呼びかけ、日本左翼文芸家総連合が、3月に結成された。しかし、その直後、三・一五事件と呼ばれる日本共産党への弾圧が起きると、共産党と距離をおいていた労芸は、連携に消極的になった。一方、プロ芸と前芸とは、逆にこの弾圧をきっかけに、分裂状態の解消に動き、組織を合同して、全日本無産者芸術連盟を結成した。
ナップは、機関誌『戦旗』を刊行し、プロレタリア文学の雑誌として、広く読者を獲得した。
その年12月、組織形態を少し改め、名称を全日本無産者芸術団体協議会(略称ナップはそのまま)とし、以下の分野別の組織を充実させる方向をとった。
その後、1930年にひそかにソ連にわたり、プロフィンテルンの会議に参加した蔵原は、帰国後、新しく文化運動全体にわたる組織化を提唱、日本プロレタリア文化連盟(コップ)の結成へとうごき、ナップは発展的に解消した。
プロレタリア美術(プロレタリアびじゅつ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/プロレタリア美術-128224戦旗 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/戦旗『戦旗』(せんき)は、1928年5月から1931年12月にかけて刊行されていた日本の文芸雑誌である。全41号。プロレタリア文学の作品の重要な発表舞台となっていた。
1928年、当時プロレタリア文学の陣営は、いくつかの団体が乱立していた。その中で、日本共産党の影響を強く受けていた、〈日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)〉(中野重治たちが所属)と、〈前衛芸術家同盟(前芸)〉(蔵原惟人たちが所属)とは、3月15日のいわゆる〈三・一五事件〉の弾圧をきっかけに、組織の合同をはかり、全日本無産者芸術連盟(ナップ)を結成した。その機関誌として発行されることになったのが雑誌『戦旗』であった。
『戦旗』は、小林多喜二の「一九二八年三月十五日」「蟹工船」、徳永直の「太陽のない街」などの話題作を次々と掲載し、プロレタリア文学の代表的な雑誌となった。発禁処分もしばしば受けたが、処分が出る前に定期購読者への直接頒布や、発売と同時に購入する読者たちに支えられて、発行を継続できた。1931年に、日本プロレタリア文化連盟(コップ)へと、組織が発展する中で、雑誌は『プロレタリア文化』・『コップ』へと発展的解消をとげた。
別冊から発展した姉妹誌として、『少年戦旗』『婦人戦旗』も刊行された。
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