諸派の聖典集成は一般に三つの部類に区分されており、それを「三蔵」といいます。パーリ語聖典の三蔵は次の三つから成ります。
律蔵 出家した修行者のための戒律の規定、およびそれに関連する説明を述べています。
経蔵 釈尊および直弟子の教えを記したもので、次の五つの集成書から成ります。(下は相当する漢訳の経典)
1長部(ディーガ・ニカーヤ) 『長阿含経』
2中部(マッジマ・ニカーヤ) 『中阿含経』
3相応部(サンユッタ・ニカーヤ) 『雑阿含経』
4増支部(アングッタラ・ニカーヤ) 『増壱阿含経』
5小部(クッダカ・ニカーヤ)
最後の小部は十五の部分から成りますが、そのうちには『スッタニパータ』(非常に古い教えを含む)、『ダンマパダ』(法句経)、『ジャータカ』(釈尊の過去世物語)などを含みます。
論蔵 教義に関する論書の集成であり、経蔵や律蔵の中に現れる諸観念や諸術語を論議している諸々の解観念や諸術語を論議している諸々の解説・注釈・研究です。
中村元原始仏典
「六処相応」[1](ろくしょそうおう、巴: Saḷāyatana-saṃyutta, サラーヤタナ・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第35相応。
相応部六処篇 44・10無記説相応 10阿難 - 原始仏典・和訳&解説 @ 和井恵流 | @wiki
https://www54.atwiki.jp/waikei2008/sp/pages/17.html
〈 和 訳 〉
ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 ( 出家者 ) が、世尊 が 滞在している処 へと 赴 ( おもむ ) いて、次のように 尋ねました。
「 ゴータマ尊 よ、我 (アートマン ) は 有る ( 存在する ) のでしょうか? 」
── この 質問 に、釈尊は、黙したまま 何も 答えません。
「 それならば、ゴータマ尊 よ、我 (アートマン ) は 無い ( 存在しない ) のでしょうか? 」
── この 質問 に対しても、釈尊は、黙したまま 何も 答えません。
計三度 尋ねても、釈尊 は 三度とも 黙して答えなかった ので、その 普行沙門 は 立ち去って しまいました。
この ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 が 立ち去ってから しばらくして、
尊者アーナンダ は 釈尊 に、次のような 質問を しました。
「 大徳よ、どうして世尊は、先の ヴァッチャ族出身の普行沙門が質問したこと に、返答をされなかった のですか? 」
「 アーナンダよ、もし 私が 彼に 『 我は有る ( アートマンは 存在する ) 』 と 答えていたならば、
彼は 常住論 に陥っていたであろう。
── しかしまた、もし 私が 彼に、『 我は 無い ( アートマンは 存在しない ) 』 と 答えていたならば、
断滅論 に 陥ることに なったであろう。
そして、アーナンダよ、さらに、もしも『 我は有る 』 と 答えたならば、
〔 一切法は無我である 〕 という智慧の発現の障害となっていたし、
『 我は無し 』 と 答えたならば、愚かな ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 は、
『 先にも 今も、我は 無し 』 と考えて、ますます 迷妄 に 陥ったであろう。」
── と、このように、釈尊 は 説明 を されたのです。
〈 和 訳・おわり 〉
「六処相応」[1](ろくしょそうおう、巴: Saḷāyatana-saṃyutta, サラーヤタナ・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第35相応。
19品248経から成るが、省略されている部分も多い。
- Anicca-vaggo --- 全12経
- Yamaka-vaggo --- 全10経
- Sabba-vaggo --- 全10経
- Jātidhamma-vaggo --- 全10経
- Sabbaanicca-vaggo --- 全10経
- Avijjā-vaggo --- 全10経
- Migajāla-vaggo --- 全11経
- Gilāna-vaggo --- 全10経
- Channa-vaggo --- 全10経
- Saḷa-vaggo --- 全10経
- Yogakkhemi-vaggo --- 全10経
- Lokakāmaguṇa-vaggo --- 全10経
- Gahapati-vaggo --- 全10経
- Devadaha-vaggo --- 全12経
- Navapurāṇa-vaggo --- 全10経
- Nandikkhaya-vaggo --- 全12経
- Saṭṭhi-peyyāla-vaggo --- 全60経
- Samudda-vaggo --- 全10経
- Āsīvisa-vaggo --- 全11経
- 『南伝大蔵経・経蔵・相応部経典4』(第15巻) 大蔵出版
- 『原始仏典II 相応部経典4』 中村元監修 春秋社
脚注・出典編集外部リンク編集
ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 ( 出家者 ) が、世尊 が 滞在している処 へと 赴 ( おもむ ) いて、次のように 尋ねました。
「 ゴータマ尊 よ、我 (アートマン ) は 有る ( 存在する ) のでしょうか? 」
── この 質問 に、釈尊は、黙したまま 何も 答えません。
「 それならば、ゴータマ尊 よ、我 (アートマン ) は 無い ( 存在しない ) のでしょうか? 」
── この 質問 に対しても、釈尊は、黙したまま 何も 答えません。
計三度 尋ねても、釈尊 は 三度とも 黙して答えなかった ので、その 普行沙門 は 立ち去って しまいました。
この ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 が 立ち去ってから しばらくして、
尊者アーナンダ は 釈尊 に、次のような 質問を しました。
「 大徳よ、どうして世尊は、先の ヴァッチャ族出身の普行沙門が質問したこと に、返答をされなかった のですか? 」
「 アーナンダよ、もし 私が 彼に 『 我は有る ( アートマンは 存在する ) 』 と 答えていたならば、
彼は 常住論 に陥っていたであろう。
── しかしまた、もし 私が 彼に、『 我は 無い ( アートマンは 存在しない ) 』 と 答えていたならば、
断滅論 に 陥ることに なったであろう。
そして、アーナンダよ、さらに、もしも『 我は有る 』 と 答えたならば、
〔 一切法は無我である 〕 という智慧の発現の障害となっていたし、
『 我は無し 』 と 答えたならば、愚かな ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 は、
『 先にも 今も、我は 無し 』 と考えて、ますます 迷妄 に 陥ったであろう。」
── と、このように、釈尊 は 説明 を されたのです。
https://www54.atwiki.jp/waikei2008/sp/pages/17.html
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