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血脈論
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菩提達磨に帰せられる作品。唐中期の出現。見性を強調し、達磨の血脈がそこにあるとする。
『悟性論』や
『観心論』とともに、平安末期に日本に伝わり、達磨宗のよるところとなったようで、かつて金沢文庫にその本が存したという。抜隊の『塩山和泥合水集』にも引用があり、日本では広く読まれたらしい。続蔵に収める本は、紹興癸酉(1153)に見独老人任哲が付した序があり、おそらくは鎌倉時代に伝来したテキストであろう。
(禅籍解題 83)http://iriz.hanazono.ac.jp/frame/data_f00d3_t2009k.html
373b1,0,第六門血脈論。,0
373b2,0,三界興起同歸一心。前佛後佛
以心傳心。,1
373b3,1,
不立文字。,0
373b4,0,問曰。若
不立文字。以何爲心。答曰。汝問吾。,0
373b5,0,即是汝心。吾答汝。即是吾心。吾若無心。,2
373b6,2,因何解答汝。汝若無心。因何解問吾。,5
373b7,5,問吾即是汝心。從無始曠大劫以來。乃至施爲運動。,2
373b8,2,一切時中一切處所。皆是汝本心。皆是汝本佛。,1
373b9,1,即心是佛亦復如是。除此心外。終無別佛可得。,0
373b10,0,離此心外。覓菩提涅槃。無有是處。自性眞實。,0
373b11,0,非因非果。法即是心義。自心是菩提。,3
373b12,3,自心是涅槃。若言心外有佛及菩提可得。無有是處。,0
373b13,0,佛及菩提皆在何處。譬如有人以手捉虚空。,0
373b14,0,得否。虚空但有名。亦無相貌。取不得捨不得。,0
373b15,0,是捉空不得。除此心外覓佛。終不得也。,2
373b16,2,佛是自心作得。因何離此心外覓佛。,5
373b17,5,前佛後佛只言其心。心即是佛。佛即是心。心外無佛。,2
373b18,2,佛外無心。若言心外有佛。佛在何處。心外既無佛。,0
373c1,0,何起佛見。遞相誑惑。不能了本心。,4
373c2,4,被他無情物攝。無自由分。若又不信。自誑無益。,3
373c3,3,佛無過患。衆生顛倒。不覺不知自心是佛。,4
373c4,4,若知自心是佛。不應心外覓佛。佛不度佛。將心覓佛。,1
373c5,1,而不識佛。但是外覓佛者。盡是不識自心是佛。,0
373c6,0,亦不得將佛禮佛。不得將心念佛。佛不誦經。,0
373c7,0,佛不持戒。佛不犯戒。佛無持犯。亦不造善惡。,0
373c8,0,若欲覓佛。須是見性。性即是佛。若不見性。,1
373c9,1,念佛誦經持齋持戒亦無益處。念佛得因果。,1
373c10,1,誦經得聰明。持戒得生天。布施得福報。,3
373c11,3,覓佛終不得也。若自己不明了。,8
373c12,8,須參善知識了却生死根本。若不見性。即不名善知識。若不如此。,0
373c13,0,縱説得十二部經。亦不免生死輪迴。,3
373c14,3,三界受苦。無有出期。昔有善星比丘。誦得十二部經。,0
373c15,0,猶自不免輪迴。爲不見性。善星既如此。,2
373c16,2,今時人講得三五本經論。以爲佛法者。愚人也。,1
373c17,1,若不識得自心。誦得閑文書。都無用處。,3
373c18,3,若要覓佛。直須見性。性即是佛。佛即是自在人。,2
373c19,2,無事無作人。若不見性。終日茫茫。向外馳求覓佛。,0
373c20,0,元來不得。雖無一物可得。若求會。,4
373c21,4,亦須參善知識。切須苦求。令心會解。生死事大。,3
373c22,3,不得空過。自誑無益。縱有珍寶如山。眷屬如恒河沙。,0
373c23,0,開眼即見。合眼還見麼。,8
373c24,8,故知有爲之法如夢幻等。若不急尋師。空過一生。然則佛性自有。,0
373c25,0,若不因師。終不明了。不因師悟者。,3
373c26,3,萬中希有。若自己以縁會合得聖人意。,5
373c27,5,即不用參善知識。此即是生而知之勝學也。若未悟解。,1
373c28,1,須勤苦參學。因教方得悟。若自明了。,3
373c29,3,不學亦得。不同迷人不能分別&C0-A86D;白。妄言宣佛勅。,1
374a1,1,謗佛妄法。如斯等類。説法如雨。盡是魔説。,2
374a2,2,即非佛説。師是魔王。弟子是魔民。,5
374a3,5,迷人任他指揮。不覺墮生死海。但是不見性人。妄稱是佛。,0
374a4,0,此等衆生是大罪人。誑他一切衆生。,3
374a5,3,令入魔界。若不見性。説得十二部經教。盡是魔説。,1
374a6,1,魔家眷屬。不是佛家弟子。既不辨&C0-A86D;白。,3
374a7,3,憑何免生死。若見性即是佛。不見性即是衆生。,2
374a8,2,若離衆生性別有佛性可得者。佛今在何處。,2
374a9,2,衆生性即是佛性也。性外無佛。佛即是性。,3
374a10,3,除此性外。無佛可得。佛外無性可得。,0
374a11,0,問曰。若不見性。念佛誦經。布施持戒精進。,1
374a12,1,廣興福利。得成佛否。答曰。不得。,0
374a13,0,又問。因何不得。答曰。有少法可得。,3
374a14,3,是有爲法。是因果。是受報。是輪迴法。不免生死。,1
374a15,1,何時得成佛道。成佛須是見性。若不見性。,2
374a16,2,因果等語是外道法。若是佛。不習外道法。,3
374a17,3,佛是無業人無因果。但有少法可得。盡是謗佛。,2
374a18,2,憑何得成。但有住著一心一能一解一見。,3
374a19,3,佛都不許。佛無持犯。心性本空。亦非垢淨。,4
374a20,4,諸法無修無證。無因無果。佛不持戒。佛不修善。,3
374a21,3,佛不造惡。佛不精進。佛不懈怠。佛是無作人。,3
374a22,3,但有住著心見佛。即不許也。佛不是佛。莫作佛解。,1
374a23,1,若不見此義。一切時中。一切處處。,5
374a24,5,皆是不了本心。若不見性。一切時中。擬作無作想。,3
374a25,3,是大罪人。是癡人。落無記空中。昏昏如醉人。,3
374a26,3,不辨好惡。若擬修無作法。先須見性。然後息縁慮。,1
374a27,1,若不見性。得成佛道。無有是處。有人撥無因果。,0
374a28,0,熾然作惡業。妄言本空。作惡無過。如此之人。,0
374a29,0,墮無間黒暗地獄。永無出期。若是智人。,2
374b1,2,不應作如是見解。,0
374b2,0,問曰。既若施爲運動。一切時中。皆是本心。,1
374b3,1,色身無常之時。云何不見本心。答曰。,4
374b4,4,本心常現前。汝自不見。,0
374b5,0,問曰。心既見在。何故不見。師云。,4
374b6,4,汝曾作夢否。答。曾作夢。問曰。汝作夢之時。,4
374b7,4,是汝本身否。答。是本身。又問。汝言語施爲運動。,2
374b8,2,與汝別不別。答。不別。師云。既若不別。,5
374b9,5,即是此身是汝本法身。即此法身是汝本心。,5
374b10,5,此心從無始曠大劫來。與如今不別。未曾有生死。,3
374b11,3,不生不滅。不増不減。不垢不淨。不好不惡。,3
374b12,3,不來不去。亦無是非。亦無男女相。亦無僧俗老少。,1
374b13,1,無聖無凡。亦無佛亦無衆生。亦無修證。,3
374b14,3,亦無因果。亦無筋力。亦無相貌。猶如虚空。,4
374b15,4,取不得捨不得。山河石壁不能爲礙。,7
374b16,7,出沒往來自在神通。透五蘊山。渡生死河。,8
374b17,8,一切業拘此法身不得。此心微妙難見。此心不同色心。,4
374b18,4,此心是人皆欲得見。於此光明中。運手動足者。,3
374b19,3,如恒河沙。及于問著。總道不得。猶如木人相似。,2
374b20,2,總是自己受用。因何不識。佛言。,7
374b21,7,一切衆生盡是迷人。因此作業。墮生死河。欲出還沒。,4
374b22,4,只爲不見性。衆生若不迷。因何問著其中事。,4
374b23,4,無有一人得會者。自家運手動足。因何不識。,4
374b24,4,故知聖人語不錯。迷人自不會曉。故知此難明。,3
374b25,3,唯佛一人能會此法。餘人天及衆生等盡不明了。,1
374b26,1,若智慧明了此心。方名法性。亦名解脱。,3
374b27,3,生死不拘。一切法拘他不得。是名大自在王如來。,1
374b28,1,亦名不思議。亦名聖體。亦名長生不死。,3
374b29,3,亦名大仙。名雖不同。體即是一。聖人種種分別。,2
374c1,2,皆不離自心。心量廣大。應用無窮。應眼見色。,2
374c2,2,應耳聞聲。應鼻嗅香。應舌知味。,7
374c3,7,乃至施爲運動皆是自心。一切時中。但有語言。即是自心。,1
374c4,1,故云。如來色無盡。智慧亦復然。色無盡是自心。,0
374c5,0,心識善能分別一切。乃至施爲運用。,3
374c6,3,皆是智慧。心無形相。智慧亦無盡。故云。,4
374c7,4,如來色無盡。智慧亦復然。四大色身即是煩惱。,3
374c8,3,色身即有生滅。法身常住。而無所住。,6
374c9,6,如來法身常不變異。故經云。衆生應知。佛性本自有之。,2
374c10,2,迦葉只是悟得本性。本性即是心。心即是性。,2
374c11,2,即此同諸佛心。前佛後佛只傳此心。除此心外。,1
374c12,1,無佛可得。顛倒衆生。不知自心是佛。向外馳求。,0
374c13,0,終日忙忙。念佛禮佛。佛在何處。,5
374c14,5,不應作如是等見。但識自心。心外更無別佛。經云。,3
374c15,3,凡所有相皆是虚妄。又云。所在之處即爲有佛。,2
374c16,2,自心是佛。不應將佛禮佛。但是有佛及菩薩相貌。,0
374c17,0,忽爾現前。亦切不用禮敬。我心空寂。,3
374c18,3,本無如是相貌。若取相即是魔。盡落邪道。,4
374c19,4,若是幻從心起。即不用禮。禮者不知。知者不禮。,3
374c20,3,禮被魔攝。恐學人不知。故作是辨。,7
374c21,7,諸佛如來本性體上。都無如是相貌。切須在意。但有異境界。,1
374c22,1,切不用採括。亦莫生怕怖。不要疑惑。,4
374c23,4,我心本來清淨。何處有如許相貌。,8
374c24,8,乃至天龍夜叉鬼神帝釋梵王等相。亦不用心生敬重。亦莫怕懼。,0
374c25,0,我心本來空寂。一切相貌皆是妄相。,3
374c26,3,但莫取相。若起佛見法見。,10
374c27,10,及佛菩薩等相貌而生敬重。自墮衆生位中。若欲直會。,6
374c28,6,但莫取一切相即得。更無別語。都無定實。幻無定相。,3
374c29,3,是無常法。但不取相。合他聖意。故經云。離一切相。,0
375a1,0,即名諸佛。,0
375a2,0,問曰。因何不得禮佛菩薩等。答曰。,4
375a3,4,天魔波旬阿修羅示見神通。皆作得菩薩相貌。,3
375a4,3,種種變化。皆是外道。總不是佛。佛是自心。,3
375a5,3,莫錯禮拜。佛是西國語。此土云覺性。覺者靈覺。,2
375a6,2,應機接物。揚眉瞬目。運手動足。,7
375a7,7,皆是自己靈覺之性。性即是心。心即是佛。佛即是道。,3
375a8,3,道即是禪。禪之一字。非凡聖所測。直見本性。,3
375a9,3,名之爲禪。若不見本性。即非禪也。,7
375a10,7,假使説得千經萬論。若不見本性。只是凡夫。非是佛法。,3
375a11,3,至道幽深。不可話會。典教憑何所及。但見本性。,2
375a12,2,一字不識亦得。見性即是佛。聖體本來清淨。,2
375a13,2,無有雜穢。所有言説皆是聖人。從心起用。,3
375a14,3,用體本來空名。言尚不及。十二部經憑何得及。,2
375a15,2,道本圓成。不用修證。道非聲色。微妙難見。,3
375a16,3,如人飮水冷暖自知。不可向人説也。唯有如來能知。,0
375a17,0,餘人天等類。都不覺知。凡夫智不及。,3
375a18,3,所以有執相。不了自心本來空寂。妄執相及一切法。,0
375a19,0,即墮外道。若知諸法從心生。不應有執。,2
375a20,2,執即不知。若見本性。十二部經總是閑文字。,2
375a21,2,千經萬論只是明心。言下契會。教將何用。,3
375a22,3,至理絶言。教是言詞。實不是道道本無言。,3
375a23,3,言説是妄。若夜夢見樓閣官殿象馬之屬。,4
375a24,4,及樹木叢林池亭。如是等相。不得起一念樂著。,3
375a25,3,盡是託生之處。切須在意。臨終之時。不得取相。,2
375a26,2,即得除障。疑心瞥起。即被魔攝。,7
375a27,7,法身本來清淨無受。只縁迷故。不覺不知。因&C3-2E7B;故妄受報。,2
375a28,2,所以有樂著不得自在。只今若悟得。本來身心。,1
375a29,1,即不染習。若從聖入凡。示現種種雜類等。,2
375b1,2,自爲衆生。故聖人逆順皆得自在。,6
375b2,6,一切業拘他不得。聖成久矣。有大威徳。一切品類業。,3
375b3,3,被他聖人轉。天堂地獄。無奈他何。凡夫神識昏昧。,1
375b4,1,不同聖人内外明徹。若有疑即不作。,4
375b5,4,作即流浪生死。後悔無相救處。貧窮困苦皆從妄想生。,0
375b6,0,若了是心。遞相勸勉。但無作而作。,4
375b7,4,即入如來知見。初發心人神識總不定。,6
375b8,6,若夢中頻見異境。輒不用疑。皆是自心起故。不從外來。,2
375b9,2,夢若見光明出現過於日輪。即餘習頓盡。,3
375b10,3,法界性見。若有此事。即是成道之因。唯可自知。,2
375b11,2,不可向人説。或靜園林中。行住坐臥。眼見光明。,1
375b12,1,或大或小。莫與人説。亦不得取。亦是自性光明。,0
375b13,0,或靜暗中。行住坐臥。眼見光明。與晝無異。,1
375b14,1,不得怪。並是自心欲明顯。或夜夢中。,4
375b15,4,見星月分明。亦自心諸縁欲息。亦不得向人説。,3
375b16,3,夢若昏昏。猶如陰暗中行。亦是自心煩惱障重。,2
375b17,2,亦可自知。若見本性。不用讀經念佛。,5
375b18,5,廣學多知無益。神識轉昏。設教只爲標心。若識心。,3
375b19,3,何用看教。若從凡入聖。即須息業養神隨分過日。,1
375b20,1,若多嗔恚。令性轉與道相違。自賺無益。,3
375b21,3,聖人於生死中自在。出沒隱顯不定。,6
375b22,6,一切業拘他不得。聖人破邪魔。一切衆生但見本性。,3
375b23,3,餘習頓滅。神識不昧。須是直下便會。只在如今。,2
375b24,2,欲眞會道。莫執一切法。息業養神。餘習亦盡。,2
375b25,2,自然明白。不假用功。外道不會佛意。用功最多。,1
375b26,1,違背聖意。終日區區念佛轉經。昏於神性。,2
375b27,2,不免輪迴。佛是閑人。何用區區廣求名利。,3
375b28,3,後時何用。但不見性人。讀經念佛。長學精進。,3
375b29,3,六時行道。長坐不臥。廣學多聞。以爲佛法。,3
375c1,3,此等衆生。盡是謗佛法人。,10
375c2,10,前佛後佛只言見性諸行無常。若不見性。妄言我得阿耨菩提。,3
375c3,3,此是大罪人。十大弟子中。阿難多聞第一。於佛無識。,0
375c4,0,只學多聞。二乘外道皆無識佛。識數修證。,1
375c5,1,墮在因果。是衆生報。不免生死。違背佛意。,2
375c6,2,即是謗佛衆生。殺却無罪過。經云。,6
375c7,6,闡提人不生信心。殺却無罪過。若有信心。此人是佛位人。,1
375c8,1,若不見性。即不用取次謗他良善。自賺無益。,1
375c9,1,善惡歴然。因果分明。天堂地獄只在眼前。,2
375c10,2,愚人不信。現墮黒暗地獄中。亦不覺不知。,3
375c11,3,只縁業重故。所以不信。譬如無目人不信道有光明。,0
375c12,0,縱向伊説亦不信。只縁盲故。憑何辨得日光。,0
375c13,0,愚人亦復如是。現今墮畜生雜類。,4
375c14,4,誕在貧窮下賎。求生不得。求死不得。雖受是苦。,3
375c15,3,直問著亦言。我今快樂。不異天堂。故知一切衆生。,1
375c16,1,生處爲樂。亦不覺不知。如斯惡人。,5
375c17,5,只縁業障重故。所以不能發信心者。不自由他也。,3
375c18,3,若見自心是佛。不在剃除鬢髮。白衣亦是佛。,3
375c19,3,若不見性。剃除鬚髮亦是外道。,0
375c20,0,問曰。白衣有妻子。婬慾不除。憑何得成佛。,1
375c21,1,答曰。只言見性。不言婬慾。只爲不見性。,3
375c22,3,但得見性。婬慾本來空寂不假斷除。亦不樂著。,2
375c23,2,何以故。性本清淨故。雖處在五蘊色身中。,3
375c24,3,其性本來清淨。染汚不得。法身本來無受。,4
375c25,4,無飢無渇無寒無熱無病。無因愛。無眷屬。無苦樂。,1
375c26,1,無好惡。無短長。無強弱。本來無有一物可得。,1
375c27,1,只縁執有此色身因。即有飢渇寒熱瘴病等相。,0
375c28,0,若不執即一任作爲。於生死中得大自在。,1
375c29,1,轉一切法。與聖人神通自在無礙。無處不安。,1
376a1,1,若心有疑。決定透一切境界不過。,5
376a2,5,不作最好作了。不免輪迴生死。若見性。,6
376a3,6,旃陀羅亦得成佛。,0
376a4,0,問曰。旃陀羅殺生作業。如何得成佛。答曰。,1
376a5,1,只言見性。不言作業。縱作業不同。,5
376a6,5,一切業拘他不得。從無始曠大劫來。只爲不見性。,3
376a7,3,墮地獄中。所以作業輪迴生死。從悟得本性。,3
376a8,3,終不作業。若不見性。念佛免報不得。非論殺生命。,1
376a9,1,若見性疑心頓除。殺生命亦不奈他何。,3
376a10,3,西天二十七祖。只是遞傳心印。吾今來此土。,3
376a11,3,唯傳一心。不言戒施。精進苦行。乃至入水火登劍輪。,0
376a12,0,一食卯齋長坐不臥。盡是外道有爲法。,2
376a13,2,若識得施爲運動靈覺之性。即諸佛心。,4
376a14,4,前佛後佛只言傳心。更無別法。若識此法。,5
376a15,5,凡夫一字不識亦是佛。若不識自己靈覺之性。,4
376a16,4,假使身破如微塵覓佛。終不得也。佛者亦名法身。,2
376a17,2,亦名本心。此心無形相。無因果。無筋骨。,3
376a18,3,猶如虚空。取不得。不同質礙。不同外道。,5
376a19,5,此心除如來一人能會。其餘衆生迷人不明了。,4
376a20,4,此心不離四大色身中。若離此心。即無能運動。,3
376a21,3,是身無知如草木瓦礫。身是無情。,7
376a22,7,因何運動若自心動。乃至語言施爲運動。見聞覺知。皆是心動。,0
376a23,0,心動用動。動即其用。動外無心。心外無動。,1
376a24,1,動不是心。心不是動。動本無心。心本無動。,2
376a25,2,動不離心。心不離動。動無心離。心無動離。,3
376a26,3,動是心用。用是心動。即動即用。不動不用。,3
376a27,3,用體本空。空本無動。動用同心。心本無動。故經云。,0
376a28,0,動而無所動。是故終日見而未曾見。,3
376a29,3,終日聞而未曾聞。終日覺而未曾覺。,6
376b1,6,終日知而未曾知。終日行坐而未曾行坐。,7
376b2,7,終日嗔喜而未曾嗔喜。故經云。言語道斷。心行處滅。,3
376b3,3,見聞覺知。本自圓寂。乃至嗔喜痛痒何異木人。,2
376b4,2,只縁推尋痛痒不可得故。經云。惡業即得苦報。,1
376b5,1,善業即有善報。不但嗔墮地獄。喜即生天。,2
376b6,2,若知嗔喜性空。但不執即諸業脱。若不見性誦經。,0
376b7,0,決無憑。説亦無盡。略標邪正如是。,4
376b8,4,不及一二也。,0
376b9,0,説頌曰。,0
376b10,0,吾本來&C3-2E7B;土。傳法救迷情。,0
376b11,0,一華開五葉。結果自然成。,0
376b12,0,江槎分玉浪。管炬開金鎖。,0
376b13,0,五口相共行。九十無彼我。,0
376b14,0,血脈論終。,0
ラベル: 禅
7 Comments:
ダルマの目はどちらから?
http://www.shiroyama.or.jp/kotozuke/darumanome.html
神社寺院では正月になるとよく「ダルマ」が見られます。ダルマは禅宗の祖といわれる「達磨大師」を模したものです。達磨大師は南インドで国王の第三王子として生まれた5世紀後半から6世紀前半の人で、中国で仏教を布教した僧侶だといわれます。
鎌倉時代に日本に伝わった禅宗では達磨大師を重要視し、大師を描いた掛け軸や札を仏像のように用いますが、この達磨大師には壁に向かって座禅を九年行って手足が腐ってしまったという伝説があり、手足のない形で置物が作られるようになったようです。
と、すれば仏教に深く関係があるわけですから、神社でダルマを見かけるのもおかしなものですが、日本人はそんな原理主義的な考え方をしませんから、現在では禅宗でも真言宗でも神社でも、参拝者に人気があれば扱っています。
ダルマは特に勝負事に関する縁起物として人気があります。受験や試合、選挙のときにも良く見かけると思います。
一般にダルマは赤く塗られますが、古代から、火や血の色である赤には特別な力があり、病気や災いを防ぐ魔除けの効果があると信じられてきました。ダルマの赤もその影響を受けていると考えられます。
ダルマには通常「目」が入っていません。当宮でもお正月に「ダルマの目はどちらから入れるのが正しいのですか?」と良く尋ねられます。皆さんはダルマを買ったときどちらから目を入れるでしょうか。
全国生産の80%のシェアをもち170万個を生産する「上州だるま」とも呼ばれる群馬県高崎の「高崎だるま」は、「最初に左目、願いが叶ったら右目」
埼玉県越谷市の「越谷だるま」は「武州だるま」とも呼ばれ、「色白・鼻高・福福しい」という特徴があり、川崎大師や柴又帝釈天など関東一円をはじめ全国に出荷され、年間約40万個のだるまが生産されています。越谷では「最初に左目、願いが叶ったら右目」
神奈川県平塚の「相州だるま」でも、「最初に左目、願いが叶ったら右目」ですが、選挙のときは「最初に右目、願いが叶ったら左目」です。
伊豆の達磨寺では、商売繁昌・家内安全・健康祈願・学業成就・厄除祈願・安産祈願・交通安全は「最初から両目」。病気平癒・合格祈願・就職祈願・良縁祈願・選挙当選は「最初に右目、願いが叶ったら左目」と言っています。
どうも一般的には「最初は左、満願で右」、選挙では「最初は右、当選で左」が多いようです。
間違いやすいのは、「右目」・「左目」というのがダルマにとってのことなので、「最初は向かって右、満願で向かって左」が憶えやすいと思います。
これは、「向かって右が上手」とか、「右に出る者はいない」という言葉があるとか、席は向かって右が上位とされることに起因しているという説もありますが、どうもはっきりした決まりはないようです。
目入れは「無い目玉を描き入れる」のではなく、「心の目の開眼・入魂を表現した」ことだとされます。目を入れることを「点睛」というのも同じ意味です。
高崎では、願いが成就したときに、次は一回り大きなだるまを勧め、成就しなかったときには、もう一度同じ大きさのだるまを勧められるようです。
その他、仙台の松川だるま、奥州白川の白河だるま、東京だるま、多摩だるま、大分竹田の姫だるま、富士市の鈴川だるまなどが見られ、1月から3月にかけて全国で盛んに「だるま市」が開かれていますが、なぜか関東以北が殆どで中部地方以西ではあまり見られません。
嵩山少林寺 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/嵩山少林寺
[編集]. 伝説によれば、インド仏教第28祖で中国禅の初祖となる達磨が壁に向かって9 年間座禅していたところに、二祖慧可が訪ねて達磨の教えを求めたという。これにより、 中国で禅の教えが広まったと伝えられる。
歴史-現代の少林武術-画像集
少林寺拳法 - Wikipedia
達磨大師
http://www.ffortune.net/social/people/china-nan/daruma.htm
達磨大師
10月5日は達磨忌。全国の禅寺で法要が営まれます。
達磨(だるま)大師は禅宗の祖とされる人で、6世紀頃の人です。
インドで生まれて中国に渡り崇山少林寺で9年間座禅を組んで悟りに達したといいます(面壁九年)。あまり長い間座禅をしていたために足が腐ってしまったという俗説があのユーモラスなダルマ人形を生んだともいいます。
禅の公案の中に、達磨大師が中国に到着した時梁の国の武帝(在位502-549)と交わした会話というのが伝えられています。それによると武帝が「私は今までたくさん寺を造り僧を育てて来た。これはどのくらいの功徳になっているだろうか」と聞くと達磨大師は「功徳は何もない」と答え、「では仏教における聖なる真理は何か」と聞くと大師は「空っぽで何もない」と答え、更に武帝が「何もないというのなら、お前は何者だ」と聞くと「知らぬ」と答えたといいます。
(こういう人物を処刑しなかった武帝の器の大きさに乾杯! 但しこの武帝 は後世の評価としては、仏教に力を入れすぎて財政を破綻させたと言われ ています。達磨大師はこの国にはいつかず、魏の国の少林寺に行きました)
ところで、ダルマ人形の発祥の地は、吉野裕子氏によれば群馬県高崎市近郊の少林山達磨寺だとのことです。水戸光圀が帰依していた中国僧心越禅師が開いた寺でこの心越禅師が書いた一筆書きの達磨像を1783年、9代目住職東嶽和尚が木型に作り当時続いていた天変地異の邪気を祓う呪物として農民達に伝授したのが始まりだとのことです。現在この近辺で作られて全国に出荷されているダルマの人形は年間150万個に達するとのことです。(吉野裕子「ダルマの民俗学」岩波新書)。
しかし、ダルマ人形の元が一筆描きの達磨像であったなら、この人形に手足のないことも分かるのですが、そうなると達磨大師に関しての俗説で、あまり長時間座禅していた為に手足が腐ってしまったというのは、どちらかというと、逆にこの人形に手足がないことから発生したものかも知れません。
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達磨 - Wikipedia
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菩提達磨(ぼだいだるま、中国語: 达摩、サンスクリット語: बोधिधर्म, bodhidharma 、ボーディダルマ)は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。達磨、達磨 祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩 との表記もあるが、いわゆる中国禅の典籍には達磨、古い写本は達摩と表記する。画像 では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。 弟子の曇林( 中国語版)が伝えるところによると、南インドのタミル系パッラヴァ朝において国王の第三 王子 ...
だるま-慧可-達磨寺
嵩山少林寺 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/嵩山少林寺
座標: 北緯34度30分01秒 東経112度54分56秒 / 北緯34.50028度 東経112.91556度 / 34.50028; 112.91556. 嵩山少林寺. Shaolinsi.JPG. 少林寺. 各種表記. 簡体字:, 少林寺. 拼音:, Shàolín sì. 注音符号:, ㄕㄠˋㄌㄧㄣˊ ㄙˋ. ラテン字:, Shao4-lin2 ssu4. 発音:, シャオリン スー. 日本語読み:, しょうりんじ. 英文:, Shaolin Monastery. テンプレートを表示. 嵩山少林寺(すうざん しょうりんじ)は、中国の河南省鄭州市登封に ある中岳嵩山の中の少室山の北麓にある寺院である。インドから中国に渡来した達磨 ...
歴史-現代の少林武術-画像集
22.ダルマ大師は少林寺武術の創始者ですか 「前編」 | 少林寺の秘話 ...
www.shourinji.net/.../22.ダルマ大師は少林寺武術の創始...
少林寺は禅宗発祥の地で、歴史のある文物や遺跡がたくさん残されており、静かで景色 も美しいところです。その一方で、少林寺の武術、すなわち少林拳も有名で、ある意味 仏教より有名です。これはどうしてでしょうか?普通、お寺は静かなところで、僧侶は 慈悲の心を持つものです。なぜここに武術が生まれ、1500年の間武術を練習してきた のでしょう?どうして僧兵はいたのでしょうか?仏教の教えと武術はどこでつながって いるのでしょう。 ダルマ大師が少林寺に来た時、達磨洞というところに九年間「面壁(め.
ダルマさん(少林寺、中国)にまつわる歴史伝承、達磨大師(坐禅)、達磨 ...
kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/82.html
ダルマさんと言えば、商売繁盛、開運出世の縁起物(えんぎもの)、また選挙の時には 必勝祈願の呪物(じゅぶつ)の姿が目に浮かびます。ダルマさんの本当の姿は、達磨 大師、中国の少林寺で面壁(めんぺき)9年の坐禅の功を積み、禅宗の開祖となった インドの高僧です。人生は、起上り小法師、七転八起、人々の生きる心の支えとなってい ます。 禅宗の始祖とされる達磨(だるま、生没年未詳)は、正しくは、梵語(ぼんご、 サンスクリット語)、Bodhidharmaの音訳、菩提達磨(ぼだいだるま)と言い、諡号(し ...
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[少林寺 達磨大師: 言語録⑥] 「慧可」(えか)|かいぞうのブログ
ameblo.jp/kai-drum/entry-12287666015.html
2017年6月28日 ... 少林寺の背後の山中に洞窟があり、 そこを修行の場所に定めて座禅瞑想に入った達磨 は、 八年間座り続け、弟子となるべき僧に出会うのを待っていた。 ある雪の降る寒い日 、達磨の噂を聞き付けて、. 遠方より訪ねてきた若い僧が現れた。 名は「神光」。達磨の 座る後ろ姿に心打たれ、. その場に座り込み合掌瞑目した。 降る雪に身体を任せ三日三 晩座り続ける神光。 そしていよいよ 達磨は立ち上がり神光に話しかけた。 達磨「そなた は雪の中、座り続けているが、何が望みだ。」 神光「安らかな心です。」
インド方面出身の達磨大師がはるか東の日本で目を入れる人形になるまで
bushoojapan.com>HOME>その日、歴史が動いた
2017年1月4日 ... 嵩山少林寺(少林”武術”で有名なお寺。×少林寺拳法)に入り、その壁に向かって9年も 座禅をしていたという伝説があります。そのため手足が壊死してしまい、まさに達磨人形 のような状態になってしまったとも。 さすがに水や食事を全く摂っていないということは ないでしょうから、誇張も含まれているでしょうね。ただ、毎日長時間座禅をしていたと すれば、手足に何らかの不調が現れてもおかしくはありません。そのため動きが制限 されてしまったとか、寝たきりになってしまったというのが真相ではないでしょ ...
釈迦と達磨大師と少林寺拳法 | コマツ住宅の気ままにブログ・・・
kimama.komatsu-j.info/?eid=315
釈迦と達磨大師と少林寺拳法・・・こんな大それた題名を 私ごときが、ブログで説明する べきことではないですが、諸先輩方のお叱りを承知で、ごく簡単にまとめて紹介します。 (神道一筋の私が仏教のことを書くのは気が引けますが、仏教も少しはかじった事が あるので私の尺度から感じたままに書きますのでご了承下さいませ) 釈迦・・・と言えば 仏教。世界の3大宗教の一つです。 ちなみに世界3大宗教とは・・・ 仏教=釈迦・( 紀元前6世紀頃)3億6千万人キリスト教=イエスキリスト(紀元元年)20億人 ...
達磨大師
www.ffortune.net/social/people/china-nan/daruma.htm
達磨大師. 10月5日は達磨忌。全国の禅寺で法要が営まれます。 達磨(だるま)大師は 禅宗の祖とされる人で、6世紀頃の人です。 インドで生まれて中国に渡り崇山少林寺で 9年間座禅を組んで悟りに達したといいます(面壁九年)。あまり長い間座禅をしてい たために足が腐ってしまったという俗説があのユーモラスなダルマ人形を生んだともいい ます。 禅の公案の中に、達磨大師が中国に到着した時梁の国の武帝(在位502-549)と 交わした会話というのが伝えられています。それによると武帝が「私は今までたくさん寺 を造り ...
達磨(だるま)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/達磨-94748
しかし現代では敦煌出土(→敦煌莫高窟)の資料から『二入四行論』ほかを説いたこと などが明らかにされている。『続高僧伝』によれば,達磨は南インドのバラモンの家に 生まれ,大乗仏教に志し,海路から中国に渡り,北方の魏に行った。梁の武帝に召され て金陵に赴き,禅を教えたが,機縁がまだ熟していないのを知ってただちに去り,洛陽 東方の嵩山の少林寺に入り,壁に向かって坐禅した(壁観)。慧可が来て教えを求め,腕 を切り取ってその誠を示したので,ついに一宗の心印を授けたという伝説がある。壁観の 面壁九 ...
https://kotobank.jp/word/%E9%81%94%E7%A3%A8-94748
達磨(だるま)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/達磨-94748
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
達磨
だるま
[生]?
[没]大通2 (528)
禅宗の初祖。6世紀初頭にインドから中国に渡り,『楞伽経(りょうがきょう)』を広めた菩提達摩 Bodhidharmaと同一人物とされているが,伝記中の事跡はかなり潤色,神秘化され,その実在すら疑われている。しかし現代では敦煌出土(→敦煌莫高窟)の資料から『二入四行論』ほかを説いたことなどが明らかにされている。『続高僧伝』によれば,達磨は南インドのバラモンの家に生まれ,大乗仏教に志し,海路から中国に渡り,北方の魏に行った。梁の武帝に召されて金陵に赴き,禅を教えたが,機縁がまだ熟していないのを知ってただちに去り,洛陽東方の嵩山の少林寺に入り,壁に向かって坐禅した(壁観)。慧可が来て教えを求め,腕を切り取ってその誠を示したので,ついに一宗の心印を授けたという伝説がある。壁観の面壁九年の伝説から,後世日本では手足のないだるま像がつくられ,七転び八起きの諺となった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル大辞泉の解説
だるま【達磨】
《〈梵〉Bodhidharmaの音写、菩提(ぼだい)達磨の略》
中国禅宗の始祖。インドのバラモンの出身と伝え、6世紀初め中国に渡り、各地で禅を教えた。嵩山(すうざん)の少林寺で面壁九年の座禅を行ったという。達磨大師。円覚大師。生没年未詳。→達磨忌
1 達磨大師の座禅の姿にまねた張り子の人形。手足がなく、紅衣をまとった僧の形で、底を重くして、倒してもすぐ起き上がるように作る。商売繁盛・開運出世などの縁起物とされ、最初に片目だけ入れておき、願いごとのかなった時、もう一方の目をかきこむ風習がある。
2 丸いもの、赤いものなど1の形に似たものの称。「雪達磨」「火達磨」
3 売春婦。寝ては起き寝ては起きするところからいう。「達磨茶屋」
4 ⇒法
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
百科事典マイペディアの解説
達磨【だるま】
中国禅宗の祖とされる僧。菩提(ぼだい)達磨Bodhidharma。インド生れ。470年ごろ(異説が多い),海路南中国に入り,嵩山(すうざん)少林寺で面壁9年,法を慧可(えか)に伝えた。
→関連項目拳法|座禅|少林寺|禅宗|達磨|道釈画|仏教
達磨【だるま】
達磨の座禅にちなみ,手足のない赤い衣をまとった僧の姿の人形。底を重くして倒れてもひとりでに起きる起上り小法師(こぼし)の一つ。商売繁盛,開運出世の縁起物として喜ばれ,目のない達磨に満願のとき目を書く風習がある。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
世界大百科事典 第2版の解説
だるま【達磨】
中国禅宗の始祖達磨が嵩山(すうざん)少林寺にあって,壁に向かって9年間座して悟りをひらいたという,いわゆる〈面壁九年〉の故事にちなみ,その座禅姿をうつした人形。赤い衣姿で手足がなく,底を重くして倒れてもすぐ起き上がるようにしくんだ起上り玩具の一種。起上り玩具としては,室町時代に〈起上り小法師〉と称するものが流行したが,江戸時代中期から達磨が起上り玩具を代表するようになり,倒れてもすぐ起き上がるというところから〈七転八起〉のたとえ言葉とともに縁起物として全国に流布した。
だるま【達磨 Dá mó】
?‐532?
禅宗の初祖。達磨はダルマDharmaの音訳。菩提達磨と呼ぶのが正しく,古くは達摩と書き,円覚大師,聖胄大師と諡(おくりな)される。南インド香至国王第3子。幼名は菩提多羅で,仏陀の正法眼蔵を伝える第27祖般若多羅について出家,印可をうけて第28祖菩提達磨多羅となる。あたかも南北朝の中期,中国仏教が,教学に傾くのを正すため,遠く伝法を試み,海路3年ののち,広州につく。梁の武帝に会って契(あ)わず,ひそかに北上して魏の嵩山(すうざん)少林寺に入る。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内の達磨の言及
【法】より
…サンスクリットのダルマdharmaの訳で,その音から〈達磨(摩)(だつま)〉〈曇摩(どんま)〉などとも記される。原語は〈保つ〉の意味から生じた語で,秩序を保つもの・法則慣習などを意味した。…
【達磨】より
…禅宗の初祖。達磨はダルマDharmaの音訳。菩提達磨と呼ぶのが正しく,古くは達摩と書き,円覚大師,聖胄大師と諡(おくりな)される。…
【慧可】より
…のちに中国禅宗の二祖として,大祖禅師の諡号(しごう)をうける。洛陽虎牢の人,姓は姫,はじめ神光と名のり,老荘と伝統仏教を習うが,インドより来た菩提達磨の禅をうけ,洛陽と河北の地方で,新仏教を広める。のちに二祖調心とよばれて,一般市民とともに,苦行労働に従ったこと,とくに最後に対立者側の告訴で非業の死をとげるなど,生没年その他,伝説的な傾向が強い。…
【拳法】より
…広義には世界各地にある徒手の武術を含めて考えられるが,一般的には,中国で体系化され発展した武術をさす。中国武術の歴史は非常に古く,史実かどうか疑わしい俗説や伝説も多いが,拳法を中国に伝えたのは達磨(だるま)大師であるという説が最も有名である。520年ころ,インドから嵩山(すうざん)少林寺に来た達磨大師はここで面壁(めんぺき)し,仏法を説くかたわら,修行僧に《洗髄経》《易筋経》の2経を与え,心身鍛練の秘法を授けたといわれる。…
【人相学】より
…その後,晋の時代にも相術は発展し続けたが,門外不出の仙術だった。南北朝時代には,梁の武帝のときインドから達磨(だるま)が来て仏教を伝えたが,相術が示す現世の運勢を重視する風潮には争いがたく,禅宗の始祖も9年間面壁の修業を余儀なくされた。この間に達磨は相術も研究し,後に仏教を広める際の手段としてこれを用いた。…
※「達磨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
373c20,0,元來不得。雖無一物可得。若求會。,4
373c21,4,亦須參善知識。切須苦求。令心會解。生死事大。
本来無一物 - 禅語に親しむ
www.jyofukuji.com/10zengo/2006/03.htm
本来無一物 何れの処にか塵埃を惹かん 神秀上座は身は菩提樹と云われ、心は明鏡台と云われたが禅で言う空の世界・無の 世界にはもともと菩提も無く煩悩も無く身もなく心も無く、本来無一物である。 なんで塵や埃がつくことがあろうか、ましてや払ったり拭ったりすることもない。 と云う偈を示したのである。この「本来無一物」はまさに最上座の神秀の偈を 身分も最下位で、新参者の慧能が否定した内容の語を掲げたものだから、 僧堂内は 大混乱となった。しばし寺内は身分も弁えぬ慧能への批判と、真実の境地は慧能が ...
本来無一物(ホンライムイチモツ)とは - コトバンク
kotobank.jp/word/本来無一物-632635
デジタル大辞泉 - 本来無一物の用語解説 - 仏語。事物はすべて本来空(くう)であるから、執着すべきものは何一つないということ。禅宗でいう。
禅語「本来無一物」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト - 臨黄ネット
rinnou.net/cont_04/zengo/1610.html
本来無一物―(『六祖壇経』). 「この身体は菩提樹、心は明るい鏡のようなもの。常に拭き清めて塵の溜らぬようにせよ」とトップクラスの神秀上座が言う。これを聞いた寺男の盧行者(後の六祖慧能)は「身体も心もそのように立派なものではない。もともと実体など無い(本来無一物)のだ。どうして無いものの上に塵の溜ることがあろう」と、自分の心境を吐露した偈の一句。 「本来無一物」という語は、誰でも知っている禅の代表的な言葉である。誰でも知っているけれど、ほんとうに分かっているかどうかは、 ...
本来無一物 | 禅語を味わう || 黄檗宗 少林山達磨寺
www.daruma.or.jp>ホーム>禅語を味わう
禅の端的を見事に言い当てたこの語は、中国禅宗の第六祖となった慧能禅師の言葉です。 これは慧能が師の第五祖 弘忍 【 ぐにん 】 禅師から法を継ぐ契機となった 詩偈 【 しいげ 】 に由来しており、禅の古典『六祖壇経』には次のようにあります。 当時、 弘忍禅師のもとには七百人余りの弟子達が厳しい修行の日々を送っていました。 ある日、師は後継者を決定するため「悟りの境地を示した詩偈を作れ」と弟子達に命じます。 学徳に 優れ、信望厚く、彼こそが六祖にふさわしいと皆が目していた 神秀上座 【 じんしゅうじょうざ 】 ...
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