☆
ヘーゲルとニートハンマー(ニートハマー)の、往復書簡の翻訳と説明(ゲープハルト書店とのトラブル関係)
http://ntaki.net/di/3p/Hegel/h-n.htm#1013
皇帝が――この世界霊魂が――馬に乗って、町を通りぬけ偵察に出るところを見ました。――ここの一点において、馬上に座し、世界に力を及ぼして支配しているような個人を見るのは、実際驚嘆する思いでした。(*7)
. . . ; den Kaiser -– diese Weltseele –- sah ich durch die Stadt zum Rekognoszieren hinausreiten; -- es ist in der Tat eine wunderbare Empfindung, ein solches Individuum zu sehen, das hier auf einen Punkt konzentriert, auf einem Pferde sitzend, über die Welt übergreift und sie beherrscht.
・1806-10-13 ヘーゲル → ニートハンマー (v. 1.7.)
(馬上のナポレオンの記述があります!)
● ニートハンマー(ニートハマーとも表記。Friedrich Immanuel Niethammer, 1766 - 1848)
ヘーゲルとは同郷(ヴュルテンベルク, Württembertg)・同学(テュービンゲン神学院, Tübinger Stift, 「神学院」は神学校、大学とも訳されます)の先輩です。「ヘーゲル詳細年譜」(*1)の 1789 年 9 月 19 日には、「卒業する 4 歳年長のニートハンマーを囲み、懇親会を催す」などとあります。手紙では、2 人は互いに礼節の距離を保った Sie (貴方)を使っています。(ちなみに、ヘーゲルとシェリングは 5 才差ですが、気の置けない Du (君)で書いており、表現もまったく対等です。)
ヴュルツブルク(Würzburg)大学で教授兼聖職者などを務めた後、このヘーゲルの印刷問題が起きたときには、バンベルク(Bamberg)に在住し(*3)、地方行政顧問官(Landesdirektions Rat)でした。その後、同「1806 年 ミュンヘンに赴いて学務・宗務関係の高級官僚となる」(「ヘーゲル詳細年譜」)。
ゲープハルト書店はバンベルクにありましたし、ニートハンマーは出版社との交渉は慣れていたはずですので(*4)、ヘーゲルにとっては絶好の人が、まさにいい時・いい所にいたのでした。
ヘーゲル体系(歴史)
☆ ☆、TOP、序論、東洋 、ギリシア 、ローマ、ゲルマン 、映画版(引用元サイトへ)
☆ ☆、TOP、序論、東洋 、ギリシア 、ローマ、ゲルマン 、映画版
/法=自由の概念
/__\
啓蒙とフランス革命(法、政府、愛国心)
フリードリッヒ大王、カント、1791人権宣言\/__ナポレオン☆
/\ /\
/__\ 近世 /_フリードリヒ大王
/宗教改革\ /\国家形成
ルター、魔女裁判_\/異端審問、1648ウェストファリア条約
王国裁判所\ /\
/__\ /君主制、ルネッサンス、学問と芸術
カール大帝のフランク王国/\ <ゲルマン世界> /\ /\
帝国分裂、協会分裂\/__\ 1215マグナ=カルタ /_1338レンゼの会議
/\ カリフ 1122ヴォルムス協約 /\
メロヴィング王家__\ 古代 /大帝国 封建制と_\ 中世 /__騎士団
民族大移動/\ /\回教/\ 位階組織/\ /十字軍/\
クロヴィウス、フランク王国、東ゴート王国_\/マホ\/トゥー/コンスタンツ\/__\/フランシスコ修道会
/\ メット ル の和議 /\
ユダヤ、エジプト\ ポワティエの /__\
/\ /\ 戦い /\ /\
ペルシャ/小アジア /__\/__\
/\ /メディア、ペルシャ /\ /\
/ \ペルシア/ \ <ヘーゲル世界史> /__\ /__\
ゼンド民族\ /キュロス王の死 /\ /\ /\ /\
/__\/__\/アッシリア、バビロニア、 /__\/__\/__\/__\
/\ /\ /没落 /\
/易経\ /ラマ教 マケドニア王国\ /東ローマ帝国
/四庫全書\ <東洋世界> / 仏教 \ /\外交/\ <古典的世界> /帝政時代\
/______\ /仏陀__シャーマニズム ペルシア戦争\/ペロポネソス戦争 /帝政\/キリスト教
/\ /\ /\ /\ /\ /七賢人 /\ /\
/国家\ 中国 /懲罰法 ヴェーダ\インド / \ /__\ギリシア/政治的、 /__\ローマ /__\
/ 書経 \ /皇帝 /\ / \ /マヌ法典\ /\精神/\ /\個人/\第2回ポエニ戦争以前 /第2回ポエニ戦争
/__家族__\/始皇帝/官僚\カースト、バラモン______\/トロヤ戦争_\/主観\/客観\/リキニウス法\/グラックス兄弟
ホメロス ギリシア神話
序論
序論(改訂版):
ゲルマン\
/__\
/E区分/\
/東洋\/ギリシア、ローマ
/\ D地理と /\
北米_\ 区分 /__\ ヨーロッパ)
/新世界/\ /旧世界/\ アジア、
オーストラリア\/南米\/規定\/旧世界(アフリカ、
/\ /\
/__\ 経過、民族精神
哲学的、歴史哲学 序 /C行程/\
/__\/__\ 概念_\/_端初
/\ /専門的 /\ B理性観と/\
根本的、\A種類 /批判的 /__\ 行程 /実現形態、国家
/資料的/\ /反省的/\ /\原理/\ /\理念/\
/__\/__\一般史\実用的\/ヌース/__\/本性\/手段(理性の狡知)
東洋世界 TOP、序論、東洋 、ギリシア 、ローマ、ゲルマン
/ギリシア世界への移行
エジプト、ヘロドトスの報告他\
/\ユダヤ、エジプト
/精神\/唯一神、ダビデ、分裂
ダレイオス1世\ 帝国と /\
/教育\各地域 /フェニキア人
/ペルシャ\ /小アジア\
/宗教\/行軍\/シリアのユダヤ人
/\ /ペルシャ、キュロス王の死
/__\ /__\
/ミトラ/\ /\対リディア戦争
/__\/__\ ペルシア /__\/__\
/\ /\ /\ /\
/__ゼンド民族/__\ /__アッシリア他__\
ゾロアスター教/\ アフラ・マズダ /\ /\ /\メディア、ペルシャ
『アヴェスター』\/__\/__\/__\アッシリア=バビロニア\/__\
/\ 『王書』 /\
精神の欠如\ /_シャーマニズム
/\結語/\ /\仏教/\
/__\/__\ /仏陀\/_ラマ教、モンゴル
四庫全書、ライプニッツ 宗教、 /\ プラーナ\ 倫理、 /\
/__\ 学問 /_春秋 <東洋世界> /学問\ 国家 /__\
/\易経/\ /\学問/\ /\ /\ / 国家形態、歴史
/__\/__\/老子\/孔子\ 、 /倫理\/芸術\/__\/__\
/\ /\ /\ ヴェーダ /\
/__\ /__\ /__\ マハーバーラタ /__\
/\皇帝/\ /\懲罰法\ /二地域/\ /\宗教/\
/__\/__\ 中国 /__\/__\ インダス川\/ガンジス川 インド /__\/__\
/\ /\ /\ /\ /\ /\ /\ /\
詩経__国体の精神/__\ /皇帝\行政と法/__\ /__\ 地理 /東インド会社 /__\ 社会 /_マヌ法典、ヴェーダ
/\歴史/\ /\家族/\ /\始皇帝\ /\官僚/\ /\民族性\ /世界史関連 /カースト\ /\バラモン
歴史区分/書経\/精神\/__\/科挙\/__\/書経\/__\/カースト、バラモン_\/__\/__\/__\/__\/__\
地理区分
ペルシャ=対立
中国= インド=
客観的な存在 主観的な運動
中国史:
/\
/__\
精神の欠如/\
/__\/__\
/\ /\
/__\ 結語 /__\
/\模倣/\ /\自尊心\
/__\/__\/__\/__\
偶然、精神の喪失\ /乾隆帝『四庫全書』、ライプニッツ
/__\ /__\
/\ /\ 宗教、学問 /\記録/\
/__\/__\ /書経\/春秋\
/\ 易経 /\ /\ /\
/__\占い巫術/__\ 表意文字\ 学問 /孔子\
四大祭、生け贄/\ /\天 /\ /\漢字/\ /\哲学/『道徳経』
/__\/__\/__\/__\/__\/__\/易経\/老子\
/\ /財産法の変化(始皇帝)
/__\ /_道徳の否定
参照:フェヌロン『テレマック』/\ /肉体的/\
/__\/__\ /__\/__\
/\ /\ /\ /\
/__\ 皇帝 /__\ 中 国 /__\懲罰法 /__\
/\ /\ /\ /\ /権利なし\ /\外面的\
/__\/__\/__\/__\ 、 /__\/__\/__\/__\
/\ /\ 皇帝\ /\
詩経、礼記\ /__\ /__\ /__\
/\経(文化) 国体の精神 /五つの義務 /\ /\ 行政と法 /\17世紀、明の革命
/易経\/__\ /__\/__\ /武官\/文官\ /__\/__\
/\ /\ /\ /\ /\ /\ /\ /\
/__\ 歴史 /春秋\ /__\ 家族 /__\ /__\ 科挙 /__\ /__\ 官僚 /__\
/地理区分\ /歴史区分\ /\精神/\ /\ /\ /\ /\ :『玉嬌梨』\ /\書経/\ /\ /\
/__\/__\(伏羲)/書経\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
ギリシア
/ローマへの推移、
/__\ポルピュリオス
ギリシアの解放\第三期、没落
/__\/アカイア同盟
アリストテレス\ /\
/_マケドニア王国__\
アレクサンダー大王/\ /\東洋遠征、業績とその後
/__\/__\/__\/__\
政体、文化\ /\
会食の風習\ /__\
/スパルタ\ /スパルタの堕落
/性格\/経済\ 外交 /__\/__\
/\ /\ /\ペロポネソス/ソクラテスとプラトン
/_ペルシア戦争/ペリクレス /__\ 戦争/ \
/\ /\ /アテネ/\ 堕落の外的根拠 堕落の内的根拠 <古典世界>
/__\/__\/概観\/個人\/戦争の/結果\/アテネ/ソフィスト
/\ 性格 の堕落 /\
/彫刻\ /__\
/\芸術/\ /\第一期から第二期への推移
/__\/__\ /__\/__\
ギリシア神話\ /\ /\ 政治的、 /\
ヘロドトス__\基本的性格__\ <ギリシア> /__\ 国家/都市国家
自然解釈/\ /\密儀/\ /\概説/\ /\共和国の三要素
/__\/__\/ホメロスとヘシオドス /七賢人/__\/神託\/奴隷制
/\ /\ /\ /\
/__\ /__\ /歌謡\ (キリスト教との相違)
/\ /\ /王家の没落 /\競技/\ /\偶然的要素
/__\/__\ 精神 /__\/__\ /__\/__\ 個人 地方神\/密儀\
/\ 地理と /\ /\ 政治的要素/\ /\ /\ /\ /\
/__\ 民族性/__\ /__\ /__\ /__\ 主観 /__\ /__\ 客観 /_運命
/\雑居/\ /\ /\ /\外来人\ /\トロヤ戦争 /\道具/\ /\装飾/\ /神の本性\ /\特殊な神々
/__\/__\/農業\/_海\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/理念\ゼウス族/自然から精神へ
と巨人族
ローマ
/末期
/原理\
/\文化/\
/性格\/文化の頽廃
/\東ローマ帝国/\
/__\ /西ローマ帝国の滅亡
コンスタンティノープル/\ /\分裂/アッティラのフン族や
/__\/__\/__\/__\ ヴァンダル族による来襲
/\ /原理
/__\ 帝政時代 /発展\
個人の人格、権利/\ /\教会/\
/__\/__\懐疑主義、無関心/創立\/展開\
/\ /\エピクロス主義、 キリスト /\
/__\ 帝政 /__\ /宥和\ 教/奇蹟\
/\序 /\ /皇帝の性格 /\地盤/\ /\キリスト教の啓示
世俗的\/精神的/__\/__\/西洋\/ユダヤ/三位\/キリスト
/\ 一体 /\
/__\ /__\
/\ /\ (アントニウス自殺)
/__\/__\ /__\/__\
/\ /\ (オクタヴィアヌスの統一)
/__\(平和?)__\ <ローマ> /__\ /__\
/\ /\ /\ /\ (第2回三頭政治) (クレオパトラ)
/__\/__\/__\/__\ /__\/__\/__\/__\
神殿、祭礼、競技\ /結語 /\ /\
ギリシアからの借物\ /外戦と戦術、性格 /__\ 第2回ポエニ戦争 /_「歴史は繰り返す」
/\宗教/\第2回ポエニ戦争以前/\共和政前期 ポンペイウス出現 から帝政まで /\意義/\
二重性、良心\/散文的 /初期\/平民、リキニウス法 /__\/__\ /__\/__\
/\ 精神の /法律、性格 /\王政と共和政/\ ギリシ\第1回から /マリウス、 /\ /\
貴族と平民\ 諸要素/__\ /__\ 前期/滅亡、原理 ア制服_\第3回 /スッラと抗争 /__\カエサル/__\
/\成立/\ /\人倫/\ /\ 序/\ /王政時代\ /\第2回\ 共和\状勢/\ /三頭政治\ /\統一とローマの性格
リヴィウス説_\/家族\/公共\/(貴族→平民)/神政\/七王\/カルタゴ、_\政堕落\グラック/__\/__\/__\/__\
リキニウス法 階級 ハンニバル対スキピオ スの改革
第3回でカルタゴ滅亡へ
ゲルマン世界
/法=自由の概念
/影響\
/\革命/\
/動因\/分析\
フリードリッヒ二世\ /独と仏
/__\啓蒙とフランス革命(法、政府、愛国心)
/\原理/\ /\啓蒙/\
/善悪\/新旧\/最終\/カント、ナポレオン、1791年人権宣言
魔女裁判\ 段階 /\
/__\ /__\
/ 影響、結果 /\フリードリヒ大王(二世)
/__\/__\ 近世 /__\/__\
ミケランジェロ\ /\ /\ /1648ウェストファリア条約
/__\宗教改革/__\ /__\国家形成/__\
教会の堕落\ /\精神/\ /王権確立\ /\宗教戦争
/__\/__\/ルター/__\/__\/__\/__\/__\
王国裁判所\ /ルネッサンス、学問と芸術、新大陸
/__\ /__\
/国家組織\ 1338レンゼの会議\推移の考察
/__\/__\ 国王_\/_法王
カール大帝のフランク王国 /\ 君主制へ /\
/__\ /__\ <ゲルマン世界> 平和的\ の推移/英1215マグナ=カルタ
フランク王国\ 帝国分裂、協会分裂 /\推移/\ /\各国/\
/__\/__\/__\/__\ /特殊\/自由\/独、伊/仏_\
/\ サラセン王朝滅亡 1183コンスタンツの和議 /\
/__\ /文化\ 1122ヴォルムス協約、都市 /学問\
/国家形態\ /\カリフ大帝国 /教権政治\ /\結果/\ 騎士団
メロヴィング王家/__\ 古代 /__\/__\ 国会と教会\/矛盾\ 中世 /__\/_フランシスコ修道会
/\ /\ /\ /\ 兵制、主観性\ 封建制と /各国 /\ /\
スラヴ\民族大移動__\ /__\ 回教 トゥール /__\位階組織/衰亡\ /__\ 十字軍/__\
ゲルマン三種\ /\性格/\ /マホメット ポワティエの 王国分裂/\ /\封建制度 /\状勢/\ /\経過/\
/_ロマン民族\/__\/__\/__\/__\/戦い\/__\/分割\/外敵\/客観化/私人\/__\/__\/__\/__\
クロヴィウス、フランク王国、 732
東ゴート王国
☆、→2010年、新バージョン(別頁)
/法=自由の概念
/__\
啓蒙とフランス革命(法、政府、愛国心)
フリードリッヒ大王、カント、1791人権宣言\/__ナポレオン
/\ /\
/__\ 近世 /_フリードリヒ大王
/宗教改革\ /\国家形成
ルター、魔女裁判_\/異端審問、ウェストファリア条約
王国裁判所\ /\
/__\ /君主制、ルネッサンス、学問と芸術
カール大帝のフランク王国/\ <ゲルマン世界> /\ /\
帝国分裂、協会分裂\/__\ 1215マグナ=カルタ /_1338レンゼの会議
/\ カリフ 1122ヴォルムス協約 /\
メロヴィング王家__\ 古代 /大帝国 封建制と_\ 中世 /__騎士団
民族大移動/\ /\回教/\ 位階組織/\ /十字軍/\
クロヴィウス、フランク王国、東ゴート王国_\/マホ\/トゥー/コンスタンツ\/__\/フランシスコ修道会
/\ メット ル の和議 /\
/ユダヤ、エジプト ポワティエの /__\
/\ /\ 戦い /\ /\
ペルシャ/小アジア /__\/__\
/\ /メディア、ペルシャ /\ /\
/ \ペルシア/ \ <ヘーゲル世界史> /__\ /__\
ゼンド民族\ /キュロス王の死 /\ /\ /\ /\
/__\/__\/アッシリア、バビロニア、 /__\/__\/__\/__\
/\ /\ /没落 /\
/易経\ /ラマ教 マケドニア王国\ /東ローマ帝国
/四庫大全\ <東洋世界> / 仏教 \ /\外交/\ <古典的世界> /帝政時代\
/______\ /仏陀__シャーマニズム ペルシア戦争\/ペロポネソス戦争 /帝政\/キリスト教
/\ /\ /\ /\ /\ /七賢人 /\ /\
/国家\ 中国 /懲罰法 ヴェーダ\インド / \ /__\ギリシア/政治的、 /__\ローマ /__\
/ 書経 \ /皇帝 /\ / \ /マヌ法典\ /\精神/\ /\個人/\第2回ポエニ戦争以前 /第2回ポエニ戦争
/__家族__\/始皇帝/官僚\カースト、バラモン______\/トロヤ戦争_\/主観\/客観\/リキニウス法\/グラックス兄弟
ホメロス ギリシア神話
改定前:
ヘーゲル『歴史哲学講義』↓
/啓蒙とフランス革命
フリードリッヒ大王,カント,1791人権宣言
/\近世/国家形成
ルター,宗教改革,魔女裁判\/異端審問,ウェストファリア条約,フリードリヒ大王
/\ <キリスト教/\
カール大帝のフランク王国\ 世界>/1215マグナ=カルタ,1338レンゼの会議,ルネッサンス
/\古代/\ /\中世/\
民族大移動\/回教\ /コンスタ,十字軍
/\ ンツの和議 /\
ユダヤ,エジプト /__\
/ペルシア\ <世界史> /\ /\
ゼンド民族\/キュロス王の死 /__\/__\
/\<東洋世界>/\マケドニア敗北\<古典的世界>\
四庫大全\ /仏教\ ペルシア、ペロポネソス/帝政,キリスト教,東ローマ帝国
/\中国/\ /\インド\戦争/ギリシア\戦争/ローマ \
/書経\皇帝_ヴェーダ\/マヌ\/トロヤ戦争 \/リキ\/第2回ポエニ戦争
法典 ニウス法
http://yojiseki.exblog.jp/8219229
『歴史哲学講義』
/啓蒙と革命
/__\
/\近世/国家形成
宗教改革\/__\
/\ <キリスト教/\
/__\ 世界>/_ルネッサンス
/\古代/\ /\中世/\
/__\/__\ /__\/__\
/\ /\
/__\ /__\
/ペルシア\ <世界史> /\ /\
/__\/__\ /__\/__\
/\<東洋世界>/\ /\ <古典的世界>\
/__\ /__\ /__\ /__\
/\中国/\ /\インド\ /ギリシア\ /\ローマ\
/__\/__\/__\/__\ /__\/__\ /__\/__\
中国史: /\
/__\
太平天国の乱、孫文\中華人民共和国
/中華民国_毛沢東
/\ <近世~近代>\
15_\ 13~21__\
フビライ、元\ /\ /\ /\
チンギスハン__\/_明\16_\/_清\
/三国時代 /\
蜀_呉_魏\ /南宋(遼、金)
/\ /\ <中国史> /\ /\
後漢__\/__\ 五代十国_宋\/_11
/<古代~中世>/\ /隋 <中近世>/\
/前4\前6~3/前1\ ~南北朝_\4~12/__\
前/\ /\ 秦\ /\ /\ 南北朝 /\ /\
6_春秋戦国_\/__\漢__\ /十六国/5_\/唐_\楊貴妃\
孔子 司馬遷 晋
老子
殷_周
中国史(映画版) /\
/21\
/\ 青い凧、クンドゥン
阿片戦争\阿Q正伝、南京1936、紅いコーリャン
/\ <13~21>ラスト・エンペラー
水滸伝 金瓶梅 _\ /康熙王朝、グリーン・デスティニー、
マルコポーロの冒険\ /\ /\ /\チャイニーズ・ゴースト・ストーリー、天地大乱、ウォーロード
モンゴル/_迎春閣波_ \ /__鄭成功、英雄~国姓爺合戦~
/\ 之風 /\
レッドクリフ__\ /南宋(遼、金)
/\ /\ <中国史> /\ /\
後漢_\/__\ 北宋、王安石_\/__\
/<前6~3> /\ /\<4~12>/\
/__\ /__\ ~南北朝_\ /9_敦煌
/ \ /\始皇帝暗殺 /\ /\ /\ /\ /\
/__戦国__\/__\漢 \ /十六国/__\西遊記\/__\
孔子 項羽と 晋 楊貴妃
老子 劉邦
(釈迦) 覇王別姫
~前11殷 封神榜、周
夏
TOP、
世界史
☆:INTOLERANCE
/\
/_ D\20世紀
/\ /\
/__\/C _\16世紀
前1〜/\前6から21/\
1世紀B _\ /__\
/\ /\ /\ /\
/A _\/__\/__\/__\
前6世紀
Aバビロニア編 紀元前539年の新バビロニア王国。
Bユダヤ編 紀元前4年のエルサレム。
C中世編 16世紀のパリ。『
王妃マルゴ』でも描かれた1572年の聖バーソロミューの虐殺。
D現代編 20世紀初頭のある西洋の町。
☆
地政学的制約は、国家の歴史的発展にも影響を及ぼす。
以下、『世界共和国へ』(p63,60)より
封建的 古典古代的 アジア的 古典古代的 封建的
____________________________________
亜周辺 周辺 中核 周辺 亜周辺
(西欧州) (ギリシア (エジプト・ (朝鮮) (日本)
・ローマ) インド・中国)
↓ ↓ ↓
絶対主義国家 東ローマ帝国 絶対主義国家
(アジア的国家)
サーカーの理論を参考にすると歴史のサイクルは、武→知→富→労、の繰り返し。
|
国家(官僚) 武 宗教
|
__富______|_____労____
|
|
資本 知 X
11 Comments:
読んだかも知れないけど、ヘーゲルのカント批判にはこんなのがある。
『論理学講義 ベルリン大学1831年』(文理閣)
http://www.bunrikaku.com/book1/book1-616.html
ラカンとヘーゲル
ヘーゲル論理学
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/12632/1/shakaikagakukiyo_37_2_67.pdf
高橋論考
6.普遍概念精神分析学から ヘーゲル以降,自然科学でも社会科学でも上述のような普遍概念は,科学の扱うものではなく,形而上学の扱うものであるとして一般に拒否されていると私には思われる。普遍を単に量的な抽象概念と捉えるのであればともかく,質的に,つまり個別が体現するものと普遍を捉えることは科学の実証精神に合わないと思われるからである。あるいは世界に普遍が実在するという考え方は,世界が予め決定されているとみなすことに繋がると考えられ,個別科学に馴染まないものとされるかもしれない。しかし以下のように,精神分析学において,具体的には個体の心的システムの形成において,普遍概念の必要性は認められているように思われる。新宮一成は,ラカンの分析から次のような考察をしている(1995『ラカンの精神分析』)。
私は私の姿を直接見ることはできない。私は他人を見ることしかできない。しかし私が他人を見る視線は,実は私と他人を併せた普遍が私を見る視線と一致しないだろうか。彼はそのように考えて,次のような等式を立てる。
まず私が他人を見るということを私をx,他人をyとおいて,次のように書く。
y/x… ①
すると私と他人を併せた普遍の存在が私を見る,ということは次のようになる。
X/(X+y)… ②
この二つは一致するから,従って,次の式が得られる。
y/X = X/(X十y) … (1)
さてここで,自己が自己の根拠とする,自己にとっての固有な対象というものを考える。例えば乳児であれば,乳房,糞便,声,まなざしと言ったものがそれであるが,私が私を人間であると規定する際に,私が根拠とするものであり,それを「対象a」とする。すると,私にも他人にも共通な視線が私を見るという先の②の項が,実は私の姿であり,それが「対象a」の本質であるということになり,ここに式が立てられる。
x/(x十y) =a … (2)
また私が他者を見ているその見え方の中に,その私の像が現れるので,次の式も成り立つ。y/x=a … (3)
(1)一(3)から次の等式が成立する。
y/xニx/(x十y) =a … (4)
(以上〈新宮:第3章5節〉のまとめ) 私が他者を見る視点が,我々が私を見る視点と一致する。これを新宮は個別と普遍との一致としている。これはどういうことか。「私の真の姿は,私を含めた我々という普遍的な視点から,明らかにされねばならない。そのような視点から私を見ていると想定される者が,厳密な意味での『他者』,すなわち『大文字の他者』である」〈新宮:p.102>。そして,そこから彼はラカンがしばしば述べたと言う,一76一
「人間の基本的な欲望は,大文字の他者=aの認知を欲望することである」という文を引用している〈ibid. p.103>。 このことを私は次のように解釈する。私は他人を見ることによって自己を認識するが,それは普遍の視点から私を見ることと同義である。私は他人を見ることによって,他人を見るのではなく,自己を見ているのである。他人を通じて私は自己に出会う。そしてそのことが普遍の視点を獲得することなのである。
言うまでもなく,これは先のヘーゲル論理学の自己関係とぴったりと重なる。ラカンや新宮がヘーゲルを下敷きにして書いたかのようでもある。ともあれ,私がここで言いたいのは,個体の心的システムの生成には,先のヘーゲルの自己関係の論理が成り立ち,しかもそれは普遍と個別の一致を意味している,ということである。 また,この節の最後に確認すれば,先の等式はまさに自己関係の形をした式である。この式は,aについて整理すれば,
a=1/(a十1). 。・・ (5)
となるが,これは漸化式
an+1=1/ (an十1) … (6)
において,anが極限をとった場合の式であるω。一般に
an+1=f (an) … (7)
という形の式は自己関係を表している。以前の自己の結果が今度は変数となって,次の自己を生み出すのに使われるからである。自己が関数fによって変革されていくことを表した式なのである。ここではそのことだけを確認すれば良いだろう。
【流行語】前原誠司代表、解党を否定「アウフヘーベンだ」 民進党の“希望の党“合流について
http://m.huffingtonpost.jp/2017/09/28/maehara-kibou_a_23225668/
2017/09/29
…
■報道陣「実質的な解党では?」⇒前原氏「アウフヘーベンだ」
報道陣からは「実質的な解党的な合流では」と問われると、前原氏は「いろいろな方々がおられますが、
小池さんのおっしゃるアウフヘーベンだ。
止揚だと思っています」と述べ、解党ではないという見方を示した。
小池知事が多用するドイツ語「アウフヘーベン」という語を用いたことからも、小池知事との親和性を
アピールした格好だ。
朝日新聞デジタルによるとアウフヘーベンとは、哲学者ヘーゲルが1812年の主著『大論理学』で使った
概念で、否定によって高い段階に進むが、
否定されたものが取り込まれて残っている状態のことを指すという。
精神の現実性ーヘーゲル研究 (リベルタス学術叢書) | ミヒャエル・クヴァンテ, 後藤弘志, 桐原隆弘, 硲 智樹
2018/1/20
https://www.amazon.co.jp/gp/product/490520808
内容紹介
ドイツ観念論と現代分析哲学の最も幸福な邂逅。現代ドイツにおける「人格の自律論」の泰斗が、ヘーゲル研究の集大成、ここに刊行。
著者について
1962 年生まれ。ベルリン自由大学、ミュンスター大学で哲学を専攻。1992 年にミュンスター大学で博士号取得、2001 年に教授資格を取得。デュースブルク=エッセン大学教授、ケルン大学教授を経て、2009 年からミュンスター大学教授。ヘーゲルを中心としたドイツ観念論の研究のほか、生命医療倫理学の面でもドイツの研究をリードしている。
弁証法はレトリックで論理ではない
ただし必ずしもレトリックが悪いわけではない
ヘーゲルはレトリックとして自然哲学を記述していることになるが
論理学ではカバー出来ない総合的な視野がある
たしかに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である。
スピノザ エチカ5:42
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p42
理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的である
ヘーゲル法哲学序論
http://libcom.org/files/Philosophy_of_Right_0.pdf p.18 en
世界の中に奇跡があるのではない。この世界があることが奇跡だ
ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考6.44
http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus/jp/4.html
現実はいつも稀有なものなのです
カトリーエイル・レイトン
第2弾「レイトン ミステリー探偵社」PV
https://youtu.be/NE_DzSPNUP4?t=1m
6.44
独 Nicht wie die Welt ist, ist das Mystische, sondern dass sie ist.
英1 Not how the world is, is the mystical, but that it is.
英2 It is not how things are in the world that is mystical, but that it exists.
日 神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということである。
6:09 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
理性的であるものこそ現実的であり、 現実的であるものこそ理性的である
ヘーゲル
中公
6:11 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
What is rational is real; And what is real is rational.
* Grundlinien der Philosophie des Rechts (1821)
https://de.m.wikipedia.org/wiki/Grundlinien_der_Philosophie_des_Rechts
Bearbeiten
„Was vernünftig ist, das ist wirklich; und was wirklich ist, das ist vernünftig.“
– Hegel, Grundlinien der Philosophie des Rechts, Frankfurt am Main 1972, S. 11
http://www.zeno.org/Philosophie/M/Hegel,+Georg+Wilhelm+Friedrich/Grundlinien+der+Philosophie+des+Rechts
http://www.zeno.org/nid/20009181148
http://www.zeno.org/nid/20009181156
https://ittokutomano.blogspot.jp/2013/12/blog-post_14.html
コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』
はじめに
File:Kojeve.jpg 現代思想に絶大な影響を与えた、パリ高等研究院における講義録(1933〜39年)。
受講者の中には、ラカン、バタイユ、カイヨワ、メルロー=ポンティ、ブルトン、アーレント、サルトル、岡本太郎など、錚々たるメンツがそろっている。
ラカンの有名な、「人間の欲望は他者の欲望である」というテーゼや、サルトルの「無」(否定性)の概念などは、おそらくこのコジェーヴの講義から受け取られたものだ(サルトル『存在と無』のページ参照)。あるいはフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」という概念もまた、この本から取られたものだ(フクヤマ『歴史の終わり』のページ参照)。
ヨーロッパにおけるヘーゲル・リヴァイヴァルを生み出したと同時に、以後、現代思想がこぞってヘーゲルを最大の敵とみなすことになる、そのきっかけを与えた書でもある。
1.欲望存在としての人間
コジェーヴは、それまで有神論的形而上学の哲学とされてきたヘーゲル哲学を、徹底した「人間」洞察の哲学として解釈し直した。
その際のキーワードが、「欲望」だ。コジェーヴが現代思想に与えた最大の功績は、人間を「欲望」存在として規定した点にあるといっていい。
コジェーヴ(=ヘーゲル)はいう。わたしたちは、ただ対象に単純に向かっているだけの存在ではない、と。
わたしたちは、まず何よりも自分自身を意識している「自己意識」である。そしてこの自己意識は、一切をわたしの「欲望」から対象化する。
「自己意識、つまり真に人間的な現存在(したがって――結局は――哲学的な現存在)の基礎にあるものは、純粋に認識的かつ受動的な観想ではなく、欲望である。」
この欲望は、それが人間的なものである限り「他者」へと向かう。
「欲望は他者の欲望に、そして他者の欲望に向かわなければ人間的ではない。」
それはつまり、他者からの承認を欲望するということだ。
「それは――結局は――他者に対する自己の優位をその他者に承認させるためである。これはそのような承認(Anerkennung)を求める欲望にほかならない。」
これが、人間同士の間に「生死を賭けた闘い」を生むことになる。
「普遍的承認を求める欲望の数多性が存在するならば、これらの欲望から生まれる行動が――少なくとも当初は――生死を賭けた闘争(Kampf auf Leben und Tod)以外の何物でもありえない、ということも明白である。」
つまり、「主と奴との出現に帰着した最初の闘争とともに、人間が生まれ、歴史が始まった」のだ。コジェーヴはそう主張する。
2.歴史の停止
とすれば、この主と奴の闘いが終わる時、歴史は停止することになる。コジェーヴは続けてそのように主張する。
「世界史、人間の相互交渉や人間と自然との相互交渉の歴史は、戦闘する主と労働する奴との相互交渉の歴史である。そうである以上、歴史は主と奴との相違、対立が消失するとき、もはや奴をもたぬために、主が主であることをやめるとき、そしてもはや主をもたぬために奴が奴であることをやめ――さらには――もはや奴がいない以上新たに主にもならぬとき、歴史は停止する、と。」
フクヤマの有名な「歴史の終わり」というテーゼの元になった、コジェーヴの「歴史の停止」説である(フクヤマ『歴史の終わり』のページ参照)。
国家において万人の承認が完成した時、主と奴の闘いは終わり、そうして人間の歴史も停止する。コジェーヴはそう考えた。そして、ヘーゲルはその象徴をナポレオンに見たのだと(ヘーゲルがナポレオンを「馬上の世界精神」と呼んだのは有名なエピソードだ)。
ただし、これはあくまでコジェーヴの考えであって、ヘーゲル自身は、「歴史の終わり」といったようなことは主張していないから注意が必要だ。
ちなみに、フクヤマが『歴史の終わり』で引用し、また日本でも東浩紀氏が用いたことで有名になった、「動物化」「動物的生」という言葉は、本書の脚註において登場するものだ。
人間的な主と奴の闘いが終わり歴史が停止するならば、人類はその後、その時々の動物的な欲求を、ただただ満足させるだけの生を生きていくほかなくなるだろう。コジェーヴは一時期そう考えた。
が、その後日本を訪問したのを機に、彼は日本的「スノビズム」の可能性を感じるようになる。
それは、茶道や華道など、高度に形式化された文化を楽しむ人びとの生き方だ。人間的な歴史が停止しても、人は単純な動物化に陥ることなく、人間的文化を味わう生を送ることができるのではないか。短い日本滞在を経て、コジェーヴはそう直感したのだった。
3.無神論的解釈
先述したように、コジェーヴは、従来有神論的形而上学と考えられてきたヘーゲル哲学を無神論的に解釈し直した。
「有神論的解釈は絶対的に不可能である。『精神現象学』が或る意味をもつならば、そこで問題となっている精神は人間精神以外の何物でもありえない。」
その傍証として、コジェーヴはヘーゲルの宗教や神学についての解釈を挙げる。
「より広い意味では、宗教や神学もまた自己認識である。なぜならば、神について語っていると思いながら――実は――人間は自己自身について語っているだけだからである。したがって、宗教において呈示される精神、神学において問題となっている精神、これは自己自身を知る精神でもあり、神学は精神の自己意識(Selbstbewußtsein)であると言うことができる。」
ヘーゲルを無神論者と呼ぶのは、さすがに無理があるだろう。しかしコジェーヴの解釈を、ヘーゲル哲学の真骨頂は、その有神論的な「体系」にはないのだという主張と受け取るなら、それはきわめて建設的な解釈だとわたしは思う。
この点については、ヘーゲル『精神現象学』や『法の哲学』などのページに詳論した。参照していただければ幸いだ。
(苫野一徳)
Copyright(C) 2013 TOMANO Ittoku All rights reserved.
>>最近ヘーゲルの講義録が翻訳されるようになってるけど、
文庫版で出るのは初めてじゃないかな。
545無名草子さん2018/08/10(金) 20:29:34.23
講談社学術文庫(10月)
差別の超克 原始仏教と法華経の人間観 植木 雅俊 (著)
世界史の哲学講義(上) ベルリン 1822/23年 G.W.F・ヘーゲル (著), 伊坂 青司 (翻訳)
>>676
世界史の哲学講義というのは「歴史哲学講義」とは違うのかな?
現在文庫で出てるヘーゲルの著作は講義録じゃないの?
877
wikiで確認したら、歴史哲学講義というのは、
ヘーゲルがベルリン大学で1822年から1831年にかけて
計五回に開講された科目名「世界史の哲学」と題する
半年単位の講義で教授した授業内容をもとに死後に編集して出版された著作
なんだね。
Amazonの商品ページによれば、
息子カール・ヘーゲルが改訂を施した第二版が出版され、
これが今日まで広く読まれてきている。
日本でも、長谷川宏氏による第二版の訳が文庫版『歴史哲学講義』として
多くの読者に手にされてきた。
しかし、第一版は最終回講義(1830/31年)を基礎にしながらも
複数年度の筆記録を区別をつけずに構成したものであり、
その方針は初回講義(1822/23年)の「思想の迫力と印象の鮮やかさ」
を取り戻すことを目指した第二版も変わらない。
つまり、これでは初回講義の全容が分からないのはもちろん、
10年のあいだに生じた変化も読み取ることはできない。
本書は初回講義を完全に再現した『ヘーゲル講義筆記録選集』第12巻の
全訳を日本の読者諸氏に提供する初の試みである。
とあるから、
最近岩波文庫でよくあるような、「重鎮長谷川宏訳の改訳」とかではないみたいだね。
参考:http://www.hegel-system.de/de/d0.htm
/\
/_哲学>>727
/\絶対的\
芸術_\/_宗教
/\<精神哲学> /世界史>>726
心理学\ 家族/人倫\市民
/\主観的\ /\客観的(=法の精神)
人間学\/現象学 /法_\/道徳\
/\ >>727 /\
/__\ 『エンチクロペディー』/__\
/\概念論\ /有機体学\
/__\/__\ /__\/__\
/\ <論理学>/\ /\ <自然哲学>/\
/__\ /__\ /__\ /__\
/\有論/\ /\本質論\ /\力学/\ /\物理学\
/__\/__\/__\/__\ /__\/__\ /__\/__\
世界史の哲学講義(上) ベルリン 1822/23年 (講談社学術文庫) 文庫 – 2018/10/12
G.W.F・ヘーゲル (著), 伊坂 青司 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4065134692/ 下
G・W・F・ヘーゲル(1770-1831年)は、『精神現象学』、『大論理学』などを公刊し、その名声を確かなものとしたあと、1818年にベルリン大学正教授に就任した。その講義は人気を博したが、中でも注目されることが多いのが1822年から31年まで10年近くにわたって行われた「世界史の哲学講義」である。
この講義はヘーゲル自身の手では出版されず、初めて公刊されたのは1837年のことだった。弟子エドゥアルト・ガンスが複数の聴講者による筆記録を編集したものであり、表題は『歴史哲学講義』とされた。3年後には息子カール・ヘーゲルが改訂を施した第二版が出版され、これが今日まで広く読まれてきている。日本でも、長谷川宏氏による第二版の訳が文庫版『歴史哲学講義』として多くの読者に手にされてきた。
しかし、第一版は最終回講義(1830/31年)を基礎にしながらも複数年度の筆記録を区別をつけずに構成したものであり、その方針は初回講義(1822/23年)の「思想の迫力と印象の鮮やかさ」を取り戻すことを目指した第二版も変わらない。つまり、これでは初回講義の全容が分からないのはもちろん、10年のあいだに生じた変化も読み取ることはできない。
本書は初回講義を完全に再現した『ヘーゲル講義筆記録選集』第12巻の全訳を日本の読者諸氏に提供する初の試みである。ここには、教室の熱気とヘーゲルの息遣いを感じることができる。今後、本書を手にせずしてヘーゲルの「歴史哲学」を語ることはできない。
[目次]
〔序論〕世界史の概念
〔A〕歴史の取り扱い方
〔B〕人間的自由の理念
〔C〕国家の本性
〔D〕世界史の区分
〔本論〕世界史の行程
〔第一部〕東洋世界
〔第一章〕中国
〔第二章〕インド
〔第三章〕ペルシア
〔第四章〕エジプト(以上、上巻)
〔第二部〕ギリシア世界
〔第一章〕ギリシアの民族精神の起源
〔第二章〕ギリシア精神の成熟
〔第三章〕衰退と没落
〔第三部〕ローマ世界
〔第一章〕ローマの権力の形成
〔第二章〕ローマの世界支配
〔第三章〕ローマの没落
〔第四部〕ゲルマン世界
〔第一章〕初期中世の準備
〔第二章〕中世
〔第三章〕近代の歴史
序においてアメリカが先取りされている
ナポレオンよりもアメリカが特権視されていると見るべきだ
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