木曜日, 5月 11, 2017

的場昭弘「マルクスを再読する 主要著作の現代的意義」 https://itun.es/jp/sPeLib.l

的場昭弘「マルクスを再読する 主要著作の現代的意義」2017
https://itun.es/jp/sPeLib.l


スピノザを弁証法を拒否した思想家と定義したのは正しい。
ただし、マルクスの唯物論は外部に空想家を措定し、攻撃することによって
自らの立場を確かなものとするようなものであり、言い換えれば他者の唯心論の
おかげではじめてマルクスの唯物論は存在できるのだ(ハイデガーのマルクス批判にも一理ある)。
プルードンはこうした弁証法のまやかしに意識的に決別した最初の人間だ。
だからスピノザ(疑いつつ:ある=精神:身体)*を受け継いだのはマルクスではなくプルードンだ。
その単純な集合労働力理論を批判するのは簡単だが、相対的剰余価値として二次的概念に切り下げたことが、安易な政治主義の跋扈をもたらした。プルードンに関して言えば、彼は銀行を作り
自分たちの貨幣を作ろうとした(マルクスだって労働組合における労働証券を想定していた…)。
プルードンの集合労働力理論の肝は銀行を作ることであって共同体を作ることにはない。
ここに民衆の自然権を(国家に対して双務主義的に)重視したスピノザとプルードンの
共通点がある。
またマルクスは自分のユダヤ人出自を隠蔽し、欺瞞的態度をとった。スピノザとは正反対である。
プルードンの出世作『日曜励行論』も内在的ユダヤ人論だった…
『自然的経済秩序』冒頭のゲゼルによるマルクス批判、プルードン賛美を読み直すべきだろう。
ゲゼル(=プルードンを再評価した)とカレツキ(=マルクスから有効需要原理を抽出した)を経由しないマルクス論は退屈である。

ゲゼルであれば商品は減価するのに対応する価値を表す貨幣が目減りしないのはおかしいと
言うことになるし、カレツキであれば投資と投資決意は違うといったことになる。



マルクスを再読する 主要著作の現代的意義 (角川ソフィア文庫) | 的場 昭弘 |本 | 通販 | Amazon

https://www.amazon.co.jp/dp/4041053684/

商品の説明

内容紹介

「<帝国>以後の時代」を考えるには、マルクスを再読する必要がある。

資本主義国家が外部から収奪できなくなったとき、いったい資本主義はどうなるのか? 
この問題意識から、日本を代表するマルクス研究者が主要著作を読み解いた講義録。

「グローバリゼーションが社会を上位均衡化させる」は、幻想だった。
実際に起こったのは中産階級の崩壊であり、下位均衡化(下の方で貧しくなる事)でしかなかった。
「<帝国>以後の時代」を考えるには、資本主義後の世界を考えたマルクスを再読する必要がある。

ネグリの帝国論とその課題から入り、アルチュセールからスピノザの思想を押さえたうえで、マルクスの主要著作を、「代議制民主主義が世界に普及している現在において、あえて近代市民社会を批判する」という視点から解題していく。
この挑戦、刺激的な読み解きは、資本主義が支配する世界以外を考えられない私たちの頭を解き放つ。
そして、まるで“中世かポスト現代か”というような、ナショナリズムや民族主義、原理主義が氾濫する現代社会を切り拓き、新しい世界を展望するきっかけとなるだろう。

文庫版まえがき

第一部 現代思想と<マルクス>
一章 アントニオ・ネグリの「帝国」の概念
二章 アルチュセール・ショック
三章 スピノザ革命

第二部 <マルクス>の著作を再読する
四章 現代社会とマルクス
五章 共産主義社会とは何か--『経済学・哲学草稿』の類的本質
六章 唯物論とは何か--フォイエルバッハテーゼの一一番
七章 たえざる運動としての共産主義--『ドイツ・イデオロギー』
八章 構成された価値と労働運動--『哲学の貧困』
九章 共産主義の亡霊と『共産党宣言』
一〇章 国家の解体--フランス三部作
一一章 オリエンタリズム
一二章 方法の問題--『資本論』と『経済学批判要綱』
一三章 社会運動とマルクス

あとがき
文庫版あとがき
解説 佐藤優

内容(「BOOK」データベースより)

資本主義国家が外部から収奪できなくなったとき、資本主義はどうなるのか?この問題意識から、日本を代表するマルクス研究者が主要著作を読み解いた講義録。「グローバリゼーションが社会を上位均衡化させる」は、幻想だった。実際に起こったのは中産階級の崩壊であり、下位均衡化(下の方で貧しくなる事)だ。「“帝国”以後の時代」を考えるには、資本主義後の世界を考えたマルクスを再読する必要がある。



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マルクス研究者の的場昭弘著の2005年に刊行された本を2017年に文庫化にあたり加筆・修正を加えた全13章からなる本。第5-12章がマルクスの著作のポイントをわかりやすく解説しており、マルクスの思想の概要がわかり優れている。第1-4章と13章は、現代思想・社会にマルクスの考えたかをどう生かしていくかといったことなので、マルクスをある程度知ってからでないと理解はしにくい。よって本書は、まず第5-12章のマルクスの著作を解説する部分から読むことを薦める。この部分で、ところどころ第1-4章に書かれている単語がでてくるので、その部分は、本書の前半を辞書的にかいつまんで読めば理解の助けになる。5章は「経済学・哲学草稿」で、類的本質とは共同体を意味し、この類的共同体の概念こそ共産主義の原型(p152)で、これを「粗野な共産主義」と区別している。後者では、共有財産は共同体のボスの私物と化していて本来の意味での共有財産ではないと批判(例。旧ソ連の国有化は所有者が変わっただけ)p158.社会化というのは、国有化ではなく、所有がその地域に属すということ(例。私立大学は営利企業ではなく教育という公的な目標を立てており、社会的存在)。物的な欠乏がかえって他の人間の力を必要とし、物的欠乏と人間的充足、それが社会主義(=共産主義)とする(p166)。6章は「フォイエルバッハテーゼ」で、“哲学者たちの解釈を想像の世界から現実の世界に移行させるには哲学者自ら実践的活動を行わねばならないとする(p177)。7章は「ドイツイデオロギー」で、”人間はもともと集団で生きる動物だったが、それを捨ててしまった。自分の利益と他人の利益との敵対が生まれた。P184“。”人間独自の本質とは自己保存本能だとか利己心だとかではなく、本来の人間のあり方は共同性、類としての集団性。p204.共同労働というものは人間の自然なものだ“とするp206。8章は「哲学の貧困」で、政治運動と労働運動は分離できないp225とする。9章は「共産党宣言」。”ブルジョア社会こそ実は所有を一挙に独占して、人々に所有を与えない。共産主義者は、所有を廃止していると言っているが、実は所有をさせないのはブルジョアのほうなんだ。むしろ逆に共産主義こそ所有を与えるp241“としている(代議士として選ばれるのはブルジョアp245)。10章は「フランス三部作」。権力者は最も弱いものと合体(例。ルンペン・プロレタリアートp265)。11章は「オリエンタリズム」。12章は「資本論」と「経済学批判要綱」。利己心で説明すると、共同体経済が最初から排除されるp309.共同体とは、それぞれの人間が自分の生産、消費に関して、共通する何かをもっていること。つくりあげたものはみんなのものであるp312。上記を踏まえた上で残りの章を読むとよい。1章は「アントニ・ネグリの帝国の概念」。現代では”情報を含めて本来人々が共有しなければならないものを獲得している全体がブルジョアジーとみなさなければならなくなったp33“とする。2章は「アルチュセール」の思想。3章は「スピノザ」の哲学からマルクスを考える。4章は「現代社会とマルクス」。ソ連は国家独占資本主義の究極の形態とするp138(搾取と収奪を国家を通じて労働者国家の名の下に行う)。13章は「社会運動とマルクス」として筆者の考えをまとめている。
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