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NAMs出版プロジェクト: 経済学入門 - ミネルヴァ書房 2017
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/2017.htmlNAMs出版プロジェクト: 現金の呪い、国家は破綻する:S・ロゴフ
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/s-httpswww.html経済学入門 - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社
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中学校レベルの数学で初学者に向けたマクロ・ミクロ経済学を網羅し、学ぶべきポイントを整理した入門書
著者 中村 保 編著
大内田 康徳 編著
シリーズ 経済 > MINERVAスタートアップ経済学 2
出版年月日 2017年03月30日
ISBN 9784623079193
判型・ページ数 A5・296ページ
定価 本体2,600円+税
目次
はしがき(中村 保/大内田康徳)
序 章 経済学へのナビゲーション(中村 保)
1 経済学とは何か
2 経済学の誕生
3 マクロ経済学の誕生
4 ミクロ経済学とマクロ経済学
5 経済学の学習に向けて
Column
1 アダム・スミス(Adam Smith: 1723-1790)
第Ⅰ部 ミクロ経済学
第1章 市場メカニズムの基礎(中村 保)
1 経済活動と市場経済
2 市場経済と分業
3 交換からの利益
4 分業のシステムとしての経済
5 見えざる手の理解に向けて
Column
2 デイビッド・リカード(David Ricardo: 1772-1823)
3 生産可能性フロンティアと機会費用
第2章 需要曲線と消費者余剰(中村大輔)
1 需要曲線
2 消費者余剰
3 需要曲線のシフトと形状
4 効用最大化
5 需要曲線から消費者行動へ
Column
4 アーサー・C.ピグー(Arthur Cecil Pigou: 1877-1959)
5 効用最大化行動
第3章 供給曲線と生産者余剰(小野 宏)
1 供給曲線
2 生産者余剰
3 供給曲線のシフトと形状
4 企業行動と費用
5 企業行動と利潤最大化
6 供給曲線と企業行動
Column
6 ロナルド・H.コース(Ronald Harry Coase: 1910-2013)
7 利潤最大化行動
第4章 市場の効率性(藤井隆雄)
1 経済学における2つの評価基準
2 効率的資源配分
3 市場への介入の効果
4 市場を評価する2つの視点
Column
8 アルフレッド・マーシャル(Alfred Marshall: 1842-1924)
9 税と効率性
第5章 部分均衡と一般均衡(安岡匡也)
1 部分均衡分析
2 一般均衡分析
3 純粋交換経済での分析
4 部分均衡分析と一般均衡分析の比較
Column
10 タウンゼント・ハリス(Townsend Harris: 1804-1878)
11 高年齢者の雇用政策と労働市場
第6章 市場の失敗(大内田康徳)
1 独占市場と寡占市場
2 外部性
3 公共財
4 情報の非対称性
5 市場が失敗する状況
Column
12 A.A.クールノー(Antoine-Augustin Cournot: 1801-1877)
13 ゲーム理論とミクロ経済学の発展
第Ⅱ部 マクロ経済学
第7章 GDPと国民所得会計(中村 保)
1 経済規模・経済活動の成果の測定
2 国内総生産(GDP)とは何か
3 経済循環と三面等価の原則
4 実質vs.名目,水準vs.成長率
5 現実の中のマクロ経済データ
Column
14 石田三成(1560~1600年)
15 成長率に関する近似式
第8章 総所得の決定と財政政策(室 和伸)
1 総需要とは何か
2 総所得決定のメカニズム
3 乗数効果
4 財政政策
5 合成の誤謬
6 政策的処方箋としてのマクロ経済学
Column
16 高橋是清(1854~1936年)
17 乗数を簡単に求める方法
第9章 貨幣と物価(三宅敦史)
1 貨幣の機能と定義
2 金融と金融仲介機関
3 銀行の役割
4 貨幣貸借の対価としての金利
5 貨幣と物価の関係
6 貨幣量の調節と物価の安定
Column
18 荻原重秀(1658~1713年)
19 減価する貨幣
第10章 投資関数と金融政策(秋山太郎)
1 投資の定義と投資の決定理論
2 金利,投資とGDPの関係
3 金融政策とその波及経路
4 波及経路と近年の金融政策の動向
5 投資の重要性と行き詰まる金融政策
Column
20 ケインズの限界効率
21 ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes: 1883-1946)
第11章 国際マクロ経済学入門(三宅伸治)
1 国際収支統計
2 外国為替レートと外国為替市場
3 為替レートの決定理論
4 開放経済における経済政策の効果
5 海外とのつながりを考えるために
Column
22 ロバート・A.マンデル(Robert A.Mundell: 1932-)
23 マーシャル=ラーナー条件
第12章 経済成長入門(池下研一郎)
1 なぜ経済成長について学ぶのか
2 生産性と物的資本
3 技術進歩の役割
4 経済成長論と日本経済
Column
24 ロバート・M.ソロー(Robert M.Solow: 1924-)
25 知的財産保護制度は本当に研究開発を促進するのか
終 章 経済学の可能性(中村 保/大内田康徳)
1 ミクロ経済学の可能性
2 マクロ経済学の可能性
3 経済学の可能性
4 経済の課題と経済学の課題
5 経済と経済学の可能性
Column
26 ヨーゼフ・A.シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter: 1883-1950)
索 引
関連書籍
日本経済史
経済
日本経済史
石井 里枝 編著
橋口 勝利 編著
☆
現金の呪いーー紙幣をいつ廃止するか? | ケネス・S・ロゴフ, 村井 章子 2017
https://www.amazon.co.jp/dp/4822255077/第10章 紙幣廃止以外の方法でマイナス金利は可能か?
2 ゲゼルのスタンプ紙幣
《現代の人々にはいささか滑稽なアイデアに聞こえるかもしれないが、私はそうは思わない。というのも子供の頃、母親が「グリーン・スタンプ」なるものを集めていたことを覚えているからだ。》
2 Comments:
タウンゼント・ハリス(英語: Townsend Harris, 1804年10月3日 - 1878年2月25日)は、アメリカ合衆国の外交官。初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使。民主党員、敬虔な聖公会信徒で生涯独身・童貞を貫いた。タウンゼンド・ハリスと表記されることもある。
タウンゼント・ハリス
Townsend Harris
Townsend Harris.jpg
Flag of the United States (1859-1861).svg 初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使
任期
1859年11月5日 – 1862年4月26日
大統領
ジェームズ・ブキャナン
後任者
ロバート・プルイン
個人情報
生誕
1804年10月3日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国、ニューヨーク州ワシントン郡サンデーヒル(英語版)
死没
1878年2月25日(73歳没)
Flag of the United States (1877-1890).svg アメリカ合衆国、ニューヨーク州ニューヨーク
国籍
Flag of the United States (1877-1890).svg アメリカ合衆国
職業
外交官
宗教
聖公会
日本の江戸時代後期に訪日し、日米修好通商条約を締結したことで知られる。
目次
生涯
苦学の末に貿易業を開始
アジアでの活動を経て初代駐日領事に
日米修好通商条約 締結、初代駐日公使へ
開市の延期活動
帰国
人物
脚注
参考文献
登場作品
関連項目
外部リンク
荻原 重秀(おぎわら しげひで、万治元年(1658年) - 正徳3年9月26日(1713年11月13日))は、江戸幕府の旗本。勘定奉行を務め、管理通貨制度に通じる経済観を有し、元禄時代に貨幣改鋳を行ったことで有名。通称は彦次郎、五左衛門。官位は従五位下・近江守。
目次
元禄時代になると新たな鉱山の発見が見込めなくなったことから金銀の産出量が低下し、また貿易による金銀の海外流出も続いていた。その一方で経済発展により貨幣需要は増大していたことから、市中に十分な貨幣が流通しないため経済が停滞する、いわゆるデフレ不況の危機にあった。それをかろうじて回避していたのが将軍綱吉とその生母桂昌院の散財癖だったが、それは幕府の大幅な財政赤字を招き、この頃になると財政破綻が現実味を帯びたものになってきていた。そうした中で、綱吉の治世を通じて幕府の経済政策を一手に任されたのが重秀だった。
重秀は、政府に信用がある限りその政府が発行する通貨は保証されることが期待できる、したがってその通貨がそれ自体に価値がある金や銀などである必要はない、という国定信用貨幣論を200年余りも先取りした財政観念を持っていた。従前の金銀本位の実物貨幣から幕府の権威による信用通貨へと移行することができれば、市中に流通する通貨を増やすことが可能となり、幕府の財政をこれ以上圧迫することなくデフレを回避できる。そこで重秀は元禄8年(1695年)、慶長金・慶長銀を改鋳して金銀の含有率を減らした元禄金・元禄銀を作った。訊洋子が著した『三王外記』には、このときの重秀の決意を表した「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な言葉を伝えている。
幕府の改鋳差益金は約500万両にもなった。従来この貨幣改鋳は経済の大混乱を招き、未曾有のインフレ(元禄バブル)をもたらしたと考えられてきたが、金沢大学教育学部教授の村井淳志の研究によれば、元禄期貨幣改鋳の後11年間のインフレ率は名目で平均3%程度と推定され[1]、庶民の生活への影響はさして大きなものではなく、また改鋳直後の元禄8・9年に米価が急騰したのは冷夏の影響としている[2]。その一方で、改鋳により豪商や富裕層が貯蓄していた大量の慶長金銀の実質購買力は低下し、商人たちは貨幣価値の下落に直面して貯蓄から投資へ転じた。こうして従前は幕府の御金蔵から商家の蔵へ金銀が流れる一方だった経済構造に変化が生じ、これ以上幕府財政に負担をかけずに緩やかなインフレをもたらすことが実現された。その結果経済は元禄の好景気に沸いたのである。現代の観点から、重秀の最大の業績はこの改鋳であり、この改鋳を「大江戸リフレーション(通貨膨張)政策」と評価する説もある[3]。綱吉時代が終わり、新井白石らがこの政策を転換して以降の経済停滞は「白石デフレ」とも呼ばれる。
しかしこの時期は、関東の元禄地震、東海 - 南海の宝永地震、富士山の宝永大噴火など大規模な自然災害に加え、宝永の大火による内裏焼失や将軍代替わりによる出費が続いたこともあり、幕府の赤字財政からの脱却は困難を極めた。重秀は一方では佐渡金山にテコ入れ策を講じ、また一方では長崎貿易を増加して運上金を徴収、幕府史上初めての大名への課税、さらには全国の酒造家にも50%の運上銀をかけるなど、一貫して幕府歳入の増加に努めたが、焼け石に水だった。そこで財政赤字の補填を目的として宝永3年(1706年)には宝永銀、宝永7年(1710年)には宝永金・永字銀と立続けの貨幣改鋳を行ったが、今回は特に銀貨の品位が大幅に低下して通貨量が増大したことから著しいインフレが発生、商人が保有する資産価値が低下し景気悪化した。撩乱した元禄文化はここに終止符を打ったのである[4]。
死後 編集
東京都台東区谷中の長命寺にある荻原重秀の墓
荻原重秀は書物を残さなかった。これに対し、重秀を追い落とした新井白石は『折たく柴の記』で「荻原は26万両の賄賂を受けていた」などと繰り返し、一方的な悪評が定着した[5]。
しかし重秀の意見が後世に伝わらなかったことがもたらした最大の災厄は、幕末の開国時に起きた。実物貨幣から信用貨幣へのシフトという政策を支える経済理論が後世に伝わらなかったため、改鋳により金地金より高い価値を持つようになった金貨および南鐐二朱銀以降秤量貨幣から計数貨幣へ切り替わるとともに銀地金の数倍の価値を持つようになった銀貨の仕組みについて、幕府は金本位制が主流の欧米諸国を納得させる説明ができず、地金の価値に基づく為替レートを承認させられた。諸外国では金銀比価が金1:銀15に対し、日本では金1:銀5であった。その結果、金が国外に大量に流出し、流出防止のために金貨の価値を銀貨の価値に対し相対的に引き上げる必要が生じ、金貨の量目を低下させたので、インフレーションが発生し、日本経済は混乱した(幕末の通貨問題参照)。
参考文献 編集
村井淳志著『勘定奉行荻原重秀の生涯』(集英社新書)集英社,2007年 ISBN 978-4-08-720385-1
脚注 編集
^ 『勘定奉行荻原重秀の生涯』119-125頁。
^ 『勘定奉行荻原重秀の生涯』125-127頁。
^ 若田部昌澄 『もうダマされないための経済学講義』 光文社〈光文社新書〉、2012年、141頁。
^ 瀧澤武雄,西脇康『日本史小百科「貨幣」』東京堂出版、1999年
^ 村井淳史の研究によれば、重秀が受けたという26万両の賄賂の件は、幕府の公式記録(『柳営日次記』など)には一切残されていないとのことである(『勘定奉行荻原重秀の生涯』226頁)。
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