アメリカ経済学会の会長を務めたこともあったガルブレイスであるが、その主張は、主流派(古典派的)経済学者からは偶像破壊主義者的に見做されることも多い。その理由としては、ガルブレイスが経済学の数学的なモデリングを忌避し、平易な記述の政治経済学を指向していることが挙げられる。また、さらに進んで、彼の論理が確固とした実証研究に基づいていないと批判する経済学者も少なくない。彼は、進歩主義的価値を重視する古典的な意味でのケインジアンであり、文筆の才にも恵まれている。彼の著作には、経済学上のトピックを扱った数多くの通俗的な著書(うち数冊は1950年代、60年代のベストセラーとなった)が含まれ、その中で彼は経済学上の理論が必ずしも実生活とうまく調和しないことを説いている。
2004年に出版され、高い評価を得た彼の伝記"John Kenneth Galbraith: His Life, His Politics, His Economics"は、彼の経歴と思想に関する新たな関心を呼び起こした。
ガルブレイスの著作は、多くの経済学者にとって批判的議論の対象となっている。特に古典的自由主義の立場をとる者、あるいはオーストリア学派の流れを汲む者はガルブレイスの主張に反対し、その研究の正確性に疑問を提起している。
1952年に刊行された『アメリカの資本主義(邦題)』において、ガルブレイスは、将来のアメリカ経済が三頭政治的、すなわち大企業、大規模労働組合および政府による支配を受けるであろうことを、大恐慌以前には大企業のみが経済に対する支配力を持っていたことと対比して論じている。
1958年に著された彼の最も有名なベストセラー『ゆたかな社会(邦題)』では、アメリカ経済が成功に向かうためには、大規模な公共事業、例えば高速道路、教育といった分野への投資が必要になるであろうと述べている。また、生産者側の宣伝によって消費者の本来意識されない欲望がかき立てられるとする依存効果(dependence effect)を説いた。さらに、彼は、それまで疑われることのなかった前提、すなわち「物質生産の持続的増大が経済的・社会的健全性の証である」という考えに対して、疑問を投げかけている。この立場から、彼は、しばしば最初の脱物質主義者の一人と考えられている。この著作は、(ガルブレイスのケネディ大統領への影響力からみて)ケネディ、ジョンソン両政権で実施された公共投資政策、いわゆる「貧困との戦い」に大きく貢献したと考えられている。
なお、同著書は、大きな論争の的となり、リバータリアニズムのアイン・ランドは、この著を評して「ガルブレイスが主張しているのは、中世の封建主義に過ぎない」と述べた。また、マレー・ロスバードは、『ゆたかな社会』について、「錯誤、ドグマ的前提、昔ながらのレトリック技法に満ち溢れ、そこには筋道立った議論は存在しない」と批評した。
1967年の『新しい産業国家』の中で、彼は、アメリカでは完全競争の仮定に当てはまるような産業は実際にはほとんど存在しないとを述べている。ガルブレイス自身は『ゆたかな社会』『新しい産業国家』『経済学と公共目的』を三部作と呼んでいる。また、『ゆたかな社会』『新しい産業国家』を自分の最良の著作と考えている。
1977年の"The Age of Uncertainty"は、英国で13回のBBCテレビドキュメンタリーになった。また、『不確実性の時代』は、日本で1978年のベストセラーになった。その他、『不確実性の時代』に対して、マネタリスト、特にミルトン・フリードマンの反論は激しかった。フリードマンは、『選択の自由』というテレビ番組を作成し、その著作もベストセラーとなった。フリードマンの『選択の自由』で示された政策は、新保守主義の経済政策の支柱であり、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権において実施され、日本でも中曽根政権から小泉政権による「聖域なき構造改革」にいたるまで、さまざまな政策で実施された。『選択の自由』は、影響力の点では一時的には『不確実性の時代』を凌ぐものとなったが、サブプライムローン問題に端を発する2008年の世界同時株安によって、その評価は急落した。2008年のノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、ネオケインジアンの立場から、「変動為替相場では、投機家の思惑は自己成就的な相場の変動を作り出し、変動為替相場は本質的に不安定である」ことを示し、論争に終止符を打った。
1990年の『バブルの物語――暴落の前に天才がいる(邦題)』の中で、ガルブレイスは、数世紀にわたる金融バブルの状況を追い、その全てに共通する原理はレバレッジであるとした上で、「来たるべき偉大な」と称される類の過大な期待は、多くが非合理的要因による錯覚に過ぎず、とりわけバブルの絶頂においては、懐疑に対する排斥が激しくなるとの警鐘を鳴らしている。自身の体験としてブラック・マンデーの崩壊を予測して批判を受けた経緯が語られている。ただし、ケインジアンであるクルーグマンが指摘したように、従来、経済学者の多くは、景気後退に際して金融緩和を行うと利子率が低下することで民間投資や消費が増加すると考えていたが、利子率を下げ続けて一定水準以下になると流動性の罠が発生し、マネーサプライをいくら増やしても、民間投資や消費に火がつかないため、通常の金融政策は効力を喪失する。この問題については、フリードマンや同じシカゴ学派の竹中平蔵もサプライサイド経済学の観点から説明することはできず、日本の「失われた10年」を招いたが、ガルブレイスもまた見逃している。
☆
【2006年5月4日】
ガーディアンによると、イギリスのブラウン蔵相は、5月1日「ガルブレイス氏は立派な経済学者でありイギリスの偉大な友人であり、氏の著作は、これから幾世代にもわたって広く読まれるであろう」と賛辞を送った。また、「私達に適時に助言してくれて、氏が博識で、判断力に富み、雄弁で、特に我々の世代に対する経済的な洞察力は記憶されてゆくだろう。」とも語っている。
経済の難しい問題を分かり易く分析するのが得意であると言われた。1958年に発表した『豊かな社会』では、消費中心の社会に警鐘を鳴らし公共サービス拡大を訴えた。1977年の『不確実性の時代』では、巨大企業、大都市化、途上国の貧困などの問題を指摘した。
ヴェトナム戦争や1990年代の株式バブル、イラク戦争を批判し、経済学以外の分野でも積極的に発言を行った。1960年から63年にかけて、米国のインド大使を務めた。日経によれば、2000年に自由勲章を受章した。
出典
☆☆
ルーズベルトやケネディら米国の歴代民主党大統領に仕え、終戦直後は日本統治の顧問も務めた経済学の巨人ジョン・ガルブレイス(2006年没)。1994年のインタビューでは、当時話題となっていた「文明の衝突」論(ハンチントン論文)や日米貿易摩擦の宿命論に噛みつき、「頭を冷やせ」といさめた。(ダイヤモンド社「グローバルビジネス」1994年8月15日号掲載)
経済的利益が勝る
―サムエル・ハンチントンによると、ポスト冷戦時代の世界の対立は異なる文明間、例えば、西洋対イスラム、西洋対儒教文化というかたちで起きると予測している。こういう見方にあなたに賛成か。
ガルブレイス:賛成できない。ハンチントン教授は私の大学の同僚であり、友人でもあるのだが、まずいことに彼は、昔からよく言われている経済優位論を過小評価している。現代の生活においては、どの国も地域も、経済的繁栄の追求が大きな既成事実となっている。今日の世界を左右しているのは、文明間の違いというより経済的繁栄の追求なのだ。
―経済的繁栄を競うことが各国間、あるいは異なる地域間の衝突を誘うことにならないか。
大づかみに言うと、地域間の経済発展には安定剤の力がある。最近の歴史を振り返ればその例証に事欠かない。西欧諸国間、米国とカナダ、米国と東アジア、そして最近では米国と中南米など、地域間の経済発展は、それが同一文明圏であっても異なった文明間であっても、すべて平和共存を強める方向に働いている。かつてフランスとドイツは“犬猿の仲”と言われた。しかし、今や両国とも経済が発展したおかげで、友好関係が自明のこととなっている。
サム・ハンチントンは、国々の基本にある経済的な向上心をないがしろにしすぎているのだ。国々が望み、あこがれ、かつ政治を左右する要因になっているものは、西洋とその文明ではなく、西洋とその生活水準なのである。現代の先進経済は本質的に平和・安定的であって、密接な貿易関係・通信、旅行、金融取引など、すべてが平和・安定的に作用する。これと対照的に、昔の農業経済の時代は領土の所有が重要であり、そのため今よりはるかに好戦的であった。われわれは長い間、異なる文明間、民族間の抗争を見てきた。
しかし現在および未来の抗争が過去のそれより悪質で、激しいものになるという兆しはどこにもない。
…
ジョン・ケネス・ガルブレイス (John Kenneth Galbraith、1908年10月15日~2006年4月29日) ルーズベルト、トルーマン、ケネディ、ジョンソンら米国の歴代民主党政権に仕えた、20世紀を代表する経済学者。その偉大な業績に加えて、身長が2メートルを超えることから、「経済学の巨人」と呼ばれた。ハーバード大学で長い間経済学部教授を務め、1975年引退。1994年に行われたインタビュー当時は同大ウォーバーグ記念名誉教授。多くの名著を世に出したが、中でも『ゆたかな社会』『新しい産業国家』『不確実性の時代』は世界的なベストセラーに。そのほかにも『経済学の歴史』『バブルの物語』、小説『ハーバード経済学教授』(いずれもダイヤモンド社刊)など著書多数。第二次大戦後には日本の戦後統治のアドバイザーを務めたほか、ケネディ政権下ではインド大使として活躍するなど、国際政治・経済の世界で異彩を放った。Photo(c)AP Images
8 Comments:
アメリカの資本主義
著者名等 ジョン・K.ガルブレイス/著 ≪再検索≫
著者名等 新川健三郎/訳 ≪再検索≫
著者等紹介 【ジョン・K.ガルブレイス】1908年、カナダ・オンタリオ州に生まれる。1934
年に米カリフォルニア大学で博士号取得。その後、ハーヴァード大学、プリンストン大学
で教鞭を執るとともに、第二次世界大戦から戦後直後にかけては物価統制官や『フォーチ
ュン』誌編集委員を務める。1948年ハーヴァード大学に戻り翌年以降経済学教授。1
961年から63年にかけて、ケネディ政権下でインド大使、1972年にはアメリカ経
済学会会長も務める。2006年没。著書に『アメリカの資本主義』(1952年)他。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
著者等紹介 【新川健三郎】1937年生まれ。1960年東京大学教養学部卒業。東京女子大学助教
授、東京大学教授を経て、東京大学名誉教授。2000年から02年にかけてアメリカ学
会会長を務めた。2016年没。著書に『ニューディール』(近藤出版社)他。(本デー
タはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版者 白水社
出版年 2016.9
大きさ等 20cm 256,2p
注記 原タイトル:American Capitalism 原著改訂版の翻訳
NDC分類 332.53
件名 資本主義-アメリカ合衆国-歴史-1901~1945 ≪再検索≫
件名 恐慌-アメリカ-歴史-1901~1945 ≪再検索≫
要旨 巨大かつ強力な市場支配にいかに対峙すべきか?チェーンストアや生協、労組に「拮抗力
」を見出した異端派経済学者の輝ける出発点。
目次 幻影による不安;信頼感の基礎;権力の問題;競争モデルの破棄;経済的権力の鬼;不況
恐怖症;技術開発の経済学;不体裁な富裕の経済学;拮抗力の理論;拮抗力と国家;農業
の場合;分散した決定権の役割;中央集権化した決定権の役割;抑制の問題
内容 巨大かつ強力な市場支配にいかに対峙すべきか?チェーンストアや生協、労組に「拮抗力
」を見出した異端派経済学者ジョン・K・ガルブレイスの輝ける出発点となる著書を邦訳
。
内容 巨大かつ強力な市場支配にいかに対峙すべきか?チェーンストアや生協、労組に「拮抗力
」を見出した異端派経済学者ジョン・K・ガルブレイスの輝ける出発点となる著書を邦訳
。
ISBN等 4-560-09511-6
不確実性の時代
叢書名 講談社学術文庫 ≪再検索≫
著者名等 ジョン・K.ガルブレイス/〔著〕 ≪再検索≫
著者名等 斎藤精一郎/訳 ≪再検索≫
出版者 講談社
出版年 2009.4
大きさ等 15cm 498p
注記 The age of uncertainty./の翻訳
NDC分類 332
NDC分類 330
件名 経済-歴史 ≪再検索≫
件名 経済学-歴史 ≪再検索≫
要旨 大恐慌、世界大戦、巨大企業の支配、貧困問題、核の脅威…「不確実性」はどこまで増大
するのか?アダム・スミスから約二百年、経済思想は現実の政治・社会とどう関わり合い
ながら変遷してきたか。鋭い時代感覚とジャーナリスティックな視点で現代資本主義の本
質を抉り出した「経済学の巨人」がわかりやすく解説する、「未来のための経済思想史」
。
目次
1予言者たちと古典的資本主義の約束;
2資本主義最盛期の行動と紀律;
3カール・マルクスの異議申し立て;
4植民地の思想;
5レーニンと大いなる解体;
6貨幣の浮き沈み;
7ケインズ革命
8致命的な競争;
9大企業;
10土地と住民;
11大都市圏;
12民主主義、リーダーシップ、責任
ISBN等 4-06-291945-1
本
不確実性の時代
講談社学術文庫 1945
ジョン・K.ガルブレイス/〔著〕 斎藤精一郎/訳
出版社名 講談社
出版年月 2009年4月
ISBNコード 978-4-06-291945-6
(4-06-291945-1)
税込価格 1,512円
頁数・縦 498P 15cm
商品内容
要旨
大恐慌、世界大戦、巨大企業の支配、貧困問題、核の脅威…「不確実性」はどこまで増大するのか?アダム・スミスから約二百年、経済思想は現実の政治・社会とどう関わり合いながら変遷してきたか。鋭い時代感覚とジャーナリスティックな視点で現代資本主義の本質を抉り出した「経済学の巨人」がわかりやすく解説する、「未来のための経済思想史」。
目次
予言者たちと古典的資本主義の約束
資本主義最盛期の行動と紀律
カール・マルクスの異議申し立て
植民地の思想
レーニンと大いなる解体
貨幣の浮き沈み
ケインズ革命
致命的な競争
大企業
土地と住民
大都市圏
民主主義、リーダーシップ、責任
おすすめコメント
資本主義の未来を「経済学の巨人」が読む!大恐慌、戦争、超巨大企業の支配、貧困問題……拡大する不確実性を予見した恐るべき炯眼。資本主義経済システムはどこへ行くのか?未来のための経済思想史。
出版社・メーカーコメント
資本主義の未来を「経済学の巨人」が読む! 大恐慌、戦争、超巨大企業の支配、貧困問題……拡大する不確実性を予見した恐るべき炯眼。資本主義経済システムはどこへ行くのか? 未来のための経済思想史。
満足の文化
叢書名 ちくま学芸文庫 ≪再検索≫
著者名等 J.K.ガルブレイス/著 ≪再検索≫
著者名等 中村達也/訳 ≪再検索≫
出版者 筑摩書房
出版年 2014.5
大きさ等 15cm 212p
注記 The culture of contentment.の翻訳
NDC分類 330.4
件名 経済 ≪再検索≫
要旨 ゆたかな社会を実現した先進資本主義社会では、政財官学が一体となり、ゆたかな人びと
の満足度を高めるための政治が行われる。選挙で勝つために、そして最終的には超富裕層
をさらに富ませるために。結果、彼らを潤す規制緩和や金融の自由化が急務となり、増税
につながる福祉の充実や財政再建は放置される。経済学はトリクルダウン仮説、マネタリ
ズム、サプライサイドエコノミクスなどで政策を正当化し、その恩恵が国全体にも及ぶか
のように人びとを洗脳する。かくして度重なる選挙でも低所得層の叫びはかき消され、経
済格差が固定化されていく。異端の経済学者ガルブレイスによる現代の資本論。
目次 満足の文化;満足の社会的性格―その概観;下層階級なしには社会は機能しない;課税と
公共サービス―ねじれ効果;金融荒廃の放任;官僚症候群;経済学の適応;満足の外交政
策―遊戯と現実;軍部の拡張;満足の政治;将来の予測;レクイエム
内容 なぜ選挙で何も変わらないのか。それは政財官学が作り出した経済成長の物語に、多くの
人が洗脳されているからだ。先進資本主義社会の病巣に迫る。
ISBN等 4-480-09605-1
ISBN等 978-4-480-09605-0
書誌番号 3-0500161228
Stephanie Kelton
@StephanieKelton
John Kenneth Galbraith was an intellectual celebrity 50 years ago—and it would be a mistake to ignore him today. foreignpolicy.com/2021/01/15/for…
2021/01/18 1:44
https://twitter.com/stephaniekelton/status/1350846430911590402?s=21
紙の本の価格: ¥3,260
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英語版 John Kenneth Galbraith (著), James K. Galbraith (はしがき) 形式: Kindle版
1975
In the fifteen years following the granting of the original charter the government continued in need, and more capital was subscribed by the Bank. In return, it was accorded a monopoly of joint-stock, i.e., corporate, banking under the Crown, one that lasted for nearly a century. In the beginning, the Bank saw itself merely as another, though privileged, banker. Similarly engaged in a less privileged way were the goldsmiths, who by then had emerged as receivers of deposits and sources of loans and whose operations depended rather more on the strength of their strongboxes than on the rectitude of their transactions. They strongly opposed the renewal of the Bank’s charter. Their objection was overcome, and the charter was renewed. Soon, however, a new rival appeared to challenge the Bank’s position as banker for the government. This was the South Sea Company. In 1720, after some years of more routine existence, it came forward with a proposal for taking over the government debt in return for various concessions, including, it was hoped, trading privileges to the Spanish colonies, which, though it was little noticed at the time, required a highly improbable treaty with Spain. The Bank of England bid strenuously against the South Sea Company for the public debt but was completely outdone by the latter’s generosity, as well as by the facilitating bribery by the South Sea Company of members of Parliament and the government. The rivalry between the two companies did not keep the Bank from being a generous source of loans for the South Sea venture. All in all, it was a narrow escape.4 For the enthusiasm following the success of the South Sea Company was extreme. In the same year that Law’s operations were coming to their climax across the Channel, a wild speculation developed in South Sea stock, along with that in numerous other company promotions,
#4
1694
最初の憲章が与えられた後の15年間、政府は引き続き必要としており、世銀はさらに多くの資本を引き受けた。その見返りとして、世銀は王室の下で株式会社の銀行業務を独占することになり、その状態は1世紀近くも続いたのである。当初、世銀は自らを特権的な銀行家の一人としか見ていませんでした。金細工師たちは、当時、預金の受け手、融資の受け手として登場していたが、彼らの活動は、取引の正確さよりもむしろ、金庫の強さに依存していた。彼らは、世銀のチャーターの更新に強く反対した。しかし、彼らの反対を押し切って、銀行はチャーターを更新した。しかし間もなく、政府の銀行としての世銀の地位に挑戦する新たなライバルが現れた。それが、南海会社である。1720年、南洋会社は、スペインの植民地への貿易特権など、さまざまな譲歩と引き換えに政府の債務を引き受けるという提案をしてきた。イングランド銀行は、公的債務のために南海会社に激しく対抗したが、南海会社の気前の良さに完全に負けてしまい、さらに南海会社が議会や政府の議員への賄賂を助長したこともあって、南海会社に負けてしまった。両社の対立があったからこそ、世銀は南海のベンチャー企業のために寛大な融資を行うことができたのである。4 南海会社の成功を受けて、熱狂的なファンが増えた。海峡でローの事業がクライマックスを迎えようとしていた同じ年に、南海の株式には、他の多くの会社の宣伝とともに、乱暴な投機が展開された。
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