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Sarangapani Temple - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Sarangapani_Temple
対数スケールでの n < 16,000に対する |τ(n)| の値.青い線は 121 の倍数であるような n の値だけを拾い出している.
ラマヌジャンの生涯を描いた映画『奇蹟がくれた数式』(2016年10月22日公開)では、(文系にもかろうじてわかる)いくつかの数式が出てくる。なかでも印象的なのは、ラマヌジャンとハーディの別れのシーンに出てくる、タクシーのナンバープレートのエピソードだ。
そこに記された「1729」というなにげない数を、ハーディは「つまらん番号だ」と言うのが、ラマヌジャンは「とても面白い番号です。1729は3乗数2つの和として2通りにあらわされるいちばん小さな数です!」と反論する。これはつまり、こういうことだ。
12×12×12=1728 これに1×1×1=1を足すと1729
10×10×10=1000に9×9×9=729を足すと1729
1から1728までの数字では、このような現象は起こらない。これを少し変形すると、103+93+(−1)3=123となるのだが、この数式は、ラマヌジャンの生きた時代では未解決だったフェルマーの最終定理「xn+yn=znとなるような自然数x,y,zはnが3以上の整数ならば、存在しない」を連想させる。
「x3+y3=z3」となる自然数x, y, zが存在しないことはラマヌジャンよりも前の数学者レオンハルト・オイラー(1707〜1783)がすでに証明しており、普通の数学者ならば、未解決問題である「nを大きくするとどうなるか?」という方向に考えが進む。しかし、ラマヌジャンは「では、変数をひとつ増やすとどうか?」という思いもよらぬ方向に発展させ、
(6a2-4ab+4b2)3=(3a2+5ab-5b2)3+(4a2-4ab+6b2)3+(5a2-5ab-3b2)3
という不思議な数式を問題形式にして、インドの数学ジャーナルに発表するのだ。
「こんな式をどうやって見つけたのか、見当もつかない」と木村は言うが、同時にこれこそがラマヌジャンが天才たるゆえんだと語る。
「ラマヌジャンが優れていたのは空想力、夢想力なのだと思います。普通の数学者には見えていないものが、彼には見えていたのでしょう。この発想の源をラマヌジャンは『ナマギーリ女神が舌に数式を書いてくれる』と言っています」
…
多変数複素関数論を発表した岡潔(1901〜1978)をモデルにした映画『好人好日』(1961)では、父娘の情愛を描いた物語がコメディタッチで描かれている。このように、一見とっつきにくそうな数学者が映画のモデルになることに対し、木村は次のように語る。
「数学者の人生が、ほかの人と比べて面白いというのは当然だと思います。普通の人は周囲と歩調を合わせないと社会生活を送れませんが、ぼくたち数学者は、ほかの人と同じ発想しかできないと存在価値がないんです。いかに誰も考えたことがない着想で新しい定理を導き出せるかが、数学者にとっての生命線です。だから日常では、ずれた面が出てくるんでしょうね」
数学の進歩の速度──ヒルベルトの23の数学の問題
今日においても、世界中の数学者たちはラマヌジャンの数式に挑んでいる。ラマヌジャンのいくつかの研究は、現在、弦理論やブラックホール、量子重力の研究を行う物理学者や数学者を支えているという。
ラマヌジャンはインドに帰ったあとも数学の研究を続け、「偽テータ函数と擬テータ函数というものを思いついて研究しています」とハーディに手紙を送っている。その研究ノートの140ページは、1976年に擬テータ関数の専門家、ジョージ・アンドリュースによって発見された。さらに、一見、インターネットと関係のない彼の整数論も、タウ函数についてのいくつかの予想を通して、現在ぼくたちが効率よくインターネットを使えるシステムにつながっているという。
-::- Namakkal Namagiri Narashimha Swami & Hanuman Temple . . ! -::-
http://www.srinamagiri.com/namagirithayaar/appearance/
Namagiri Thayar (Tamil: நாமகிரித்தாயார்) is a form of Hindu goddess Lakshmi worshipped in Namagiri, a city also called Namakkal, in modern Tamil Nadu, India.[1] In Hindu mythology she is the consort of MahaVishnu.
Namagiri and Srinivasa RamanujanEdit
Srinivasa Ramanujan credits his mathematical findings to the Goddess of Namagiri. According to Ramanujan, she appeared in his visions, proposing him mathematical formulae, which Ramanujan would then have to verify. One such event was described by him as follows:
"While asleep, I had an unusual experience. There was a red screen formed by flowing blood, as it were. I was observing it. Suddenly a hand began to write on the screen. I became all attention. That hand wrote a number of elliptic integrals. They stuck to my mind. As soon as I woke up, I committed them to writing."[2]
Furthermore, Ramanujan's mother received permission from Namagiri Amman for Ramanujan to go to England in a dream.[3]
ReferencesEdit
- ^ http://www.srinamagiri.com/namagirithayaar/introduction/default.htm
- ^ Katz, Michael (2011). Tibetan Dream Yoga. Bodhi Tree Publications.
- ^ Hardy, G. H. (June 1920). "Obituary, S. Ramanujan". Nature. 105 (7): 494. Bibcode:1920Natur.105..494H. doi:10.1038/105494a0.
NAMs出版プロジェクト: 数学:インデックス
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http://kok.on.coocan.jp/book/book0894.htm
2006.01.03 国家の品格 藤原正彦 新潮文庫 新潮新書141 数学者の藤原さんだが、いつになく、ストレートにずけずけと、 酒でも飲んでくだを巻くような調子で書いている。いつもは単刀直 入だが、もう少しひねった言い方をしていたはずだ。それだけ最近 の日本の状況について、歯がゆさというより危機感を抱いているの かもしれない。気取ったものいいでは一般には伝わらないというこ とか。
藤原が講師を勤めたNHKの教育でやっていた「天才の栄光と挫 折」という番組の中で、インドのラマヌジャンという数学者の話が でてくる。毎日のように、なぜ思いつくのか不思議に思えるような 美しい定理を発見するのだが、自分ではその証明ができない。藤原 はその才能の秘密を探ってインドまで足を運ぶ。ラマヌジャンの生 まれた町を訪れたときに、その疑問が解ける。藤原はそこで、バラ モン教寺院の建築の息を飲むような美しさに打たれたのだ。このよ うな美しい建築の中で生まれ育ったとすると、あの不可解だが美し い数学の定理の数々を思いつくのも納得できたという。バラモンと はインドの階級の中でもっとも上位に位置づけられる階級である。 物質的な現実の処理能力はないから経済的には恵まれないが、その 知識や精神性の高さによって尊敬をうける存在である。寺院建築に みられるような、ある種の「美」に対する感覚、これを担っている のがバラモンである。ラマヌジャンも家は極貧を極めたが、石版に 数式を書きつけて毎日を過ごすラマヌジャンを許すという環境があ った。藤原は、そうした「美しさ」に対する感覚、精神性の高さが 国家には必要だと語る。
そのひとつの象徴が、藤原によると武士道だという。日本はかつ ては武士道という精神的な柱を持っていた。国家を引っ張るエリー トとして武士がいた。やはり物質的には恵まれない場合もあったが 漢文などの学識、身体の鍛練など高貴な精神性を担っていた。武士 は食わねど高楊枝である。藤原は父親、新田次郎の影響もあってか 英雄主義的な指向もある。明治期のエリートの伝統を引き継いでい る面もあるのだろう。そうした日本が本来持つ優れた「国柄」が、 最近の国際化の中で失われつつあるという。 まず、近代的合理精神の限界を指摘する。先進国においても社会 の荒廃が進行している。それは近代的合理精神にたよりすぎている からだという。 近代的合理精神が拠り所とする「論理」だが、論理を徹底すれば 問題が解決できるという考え方は誤りである。全てについて論理を 徹底することはできないし、人間にとって重要な価値について論理 は教えてくれない。論理は前提を必要とするが、前提が正しいかど うかはわからない。モデル化した前提に論理を組み立てても適用範 囲はおのずと限られたものでしかない。論理は何段階か経ると急速 に複雑さを増し、正しいかどうか判断するのが難しくなる。コンピ ュータでさえ計算不可能な論理はいくらでもあるのだ。 こうした論理の上にたつ西欧の自由、平等、民主主義も実は疑わ しい。自由と平等の概念はフィクションである。民主主義の前提条 件である「成熟した国民」など存在しない(このへんはプラトンの ようなエリート主義である)。また自由と平等は、両立しえない。 その点、日本は論理とは異なる「形」と「情緒」によって国が支 えられている。自然への感受性、もののあわれ、懐かしさ、惻隠の 情といったもの。いきづまりの西欧に比べて、日本のこうした美徳 のほうが可能性がある。仏教、禅における無常観やもののあわれと いったものが日本人の精神的な土壌となっている。それを象徴する のが茶道、花道、書道、そして武士道である。藤原は武士道のテキ ストとして新渡戸稲造「武士道」をあげる。 なぜ「情緒と形」が大切なのか。 ①日本だけにとどまらない普遍的価値。跋扈するグローバリズムは アメリカの戦略にすぎず画一化を進めるものである。能率、効率と いった価値に対抗するものとして「情緒と形」の意味は大きい。 その他、②文化、学問の基礎 ③国際人にとって必要 ④人間本来 の総合判断力 ⑤人間中心主義の抑制 ⑥戦争をなくすための手段 といった点があげられる。 最後に国の力とはなにか。結局は人間の力である。そして人間の 力を引き出すには品格ある国家たることが必要である。品格ある国 家は天才を育てる。それが冒頭のラマヌジャンの例である。日本は 戦前まで保っていた品格を戦後のアメリカ化の中で失いつつ有る。 数学などはすでにアメリカのレベルになってしまったという。 最後に品格のある国家の指標として4点あげている。 ①独立不羈 ②高い道徳 ③美しい田園 ④天才の輩出 少々気負い過ぎている部分もあるが傾聴すべき話でもある。21 世紀の日本の国家の形を考える上でのひとつのテキストではある。 内容的には、養老などが言っていることと重なる部分も多い。すで に明らかに方向性は見えてきているのだ。その状況証拠のひとつと なる本だ。
138『心は孤独な数学者』 藤原正彦 初版1997年: さくらの読書スイッチ
http://book-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/1381997-eaa9.html
◆ラマヌジャンの公式を見て感じる感嘆と苛立ち
ラマヌジャンは、「我々の百倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくとも、2年以内に誰かが発見しただろうと言われる。数学や自然科学における発見のほとんどすべては、ある種の論理的必然、歴史的必然がある。だから「10年か20年もすれば誰かが発見する」のである。
ラマヌジャンの公式を見て私が感ずるのは、まず文句なしの感嘆であり、しばらくしてからの苛立ちである。なぜそのような真理に想到したかが理解できないと、その真理自体を理解した気に少なくとも私はなれないのである。
数学では、大抵の場合、少し考えれば必然性も分る。ところがラマヌジャンの公式群に限ると、その大半において必然性が見えない。ということはとりもなおさず、ラマヌジャンがいなかったら、それらは100年近くたった今日でも発見されていない、ということである。
◆ラマヌジャンの独創の源泉
マドラスに戻った私は、再びラマヌジャン高等数学研究所にランガチャリ教授を訪れた。彼にどうしても聞きたいことが私にはあった。ラマヌジャンの独創の源泉に関するランガチャリ教授の見解である。ラマヌジャンとは同一宗派、同一カースト、同一職業の人だから、何か興味があることが聞けるかも知れない、と考えたのである。
普段なら打てば響くように応答する彼が、しばらく間をおいてから、「チャンティング(詠唱)が独創の一因と思う」、と言った。詠唱とは詩文などに単調なメロディーをつけて唱えることである。ヒンドゥー寺院を訪れると、小声で歌うように祈禱文を詠唱している人をよく見かけるが、独創との関係が私にはよく分からない。
狐につつまれた思いで彼の顔を覗き込むと、「インドでは古代より、数学と文学は混淆していました」、と言う。ランガチャリ教授は、独創との関連をなお把握できないでいる私には構わず続ける。「インドでは長い間、教科書でさえすべて詩文で書かれていたのです」、「国語と数学の教科書がですか」、「違います。理科も社会もです。子供たちはそれを詠唱により頭に入れたのです。独創との関連について述べてみましょう。まず、詠唱により大量の知識を大量に蓄えることができます。次に一つ一つの知識が孤立した点でなく、広がりを持って記憶されるということです」。
これで得られるのはいくつかの基礎知識ばかりではない。孤立点としての知識は結ばれ、広がっており、大規模な鳥瞰さえ与えている。ガンジス河口で糸をたれる釣り人は、ヒマラヤの氷河に思いを馳せることさえできるのである。一見無関係なもの同士を結ぶ糸を発見するのが独創なら、鳥瞰図つきの知識はきわめて有用のはずである。
ランガチャリ教授はさらに、「折にふれ口ずさむことは、得られた知識や概念をもてあそぶということです」。数学上のひらめきは、頭の中やノート上で対象をもてあそんでいるうちに得られることが多い。孤立した知識に比べ、連想的に結びついた知識は、引き出してもてあそびやすいうえ、詠唱することはそのままもてあそぶことになるとも言えよう。私はランガチャリ教授が、言葉少なながら、心理学上の本質的な問題を提起しているように感じた。
clover著者
Hujiwaramasahiko_2藤原 正彦(ふじわら まさひこ、1943年7月9日 - )は、満州国新京生まれの数学者、エッセイスト。専門は数論、特に不定方程式論。
戦後いずれも作家となった新田次郎、藤原てい夫妻の次男として、満州国の新京に生まれる。ソ連軍の満州国侵攻に伴い汽車で新京を脱出したが、朝鮮北部で汽車が停車したため、日本への帰還の残る区間は母と子3人による1年以上のソ連軍からの苦難の逃避行となった。母親の機転がなければ死亡、よくて残留孤児になっていたであろう。
アメリカ留学記『若き数学者のアメリカ』(1977年)が話題となり、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。以後エッセイストとして人気を博している。身辺雑記からイギリス滞在記や科学エッセイ、数学者の評伝に至るまで対象は広く、端正な文章とユーモア溢れる筆致にファンが多い。
エッセイではしばしば「武士道」や「祖国愛(ナショナリズムではなくパトリオティズム)」、「情緒」の大切さを諧謔を交えて説いてきたが、そのエッ センスを平易な語り口でまとめた『国家の品格』(2005年11月、新潮新書)が200万部を超えるベストセラーとなり、翌2006年の新語・流行語大賞 に選ばれるなど大きな話題となった。同書では数学者の立場でありながら、あえて「論理より情緒」「英語より国語」「民主主義より武士道」と説いている。
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2016/12/22(木) 14:15:13.59 ID:F9850prx
>278 : 名無しのひみつ@無断転載は禁止2016/12/20(火) 19:04:05.90 ID:NuAhinc7
>天文学者、物理学者、数学者の3人が
>アイルランドで車窓から縞模様の羊を見た時の感想が違った話があったよな、
イアンスチュアートな。確かこんな感じ。
数学者と物理学者と天文学者が休暇を取ってアイルランドを汽車に乗って旅行していた時、車窓から黒い毛をまとった羊が見えた。
天文学者「おもしろい。アイルランドの羊は黒いのだ」
物理学者「一般化してんじゃねえ。アイルランドの羊には黒いものもあるってことだろJK」
数学者「(ハア、お前ら頭悪すぎ)アイルランドには少なくとも一つの原っぱが含まれ、その原っぱには少なくとも一つの羊が存在し、その羊の少なくとも一方の面は黒いってことだよ」
インドと数学 ~ゼロの概念 - NAVER まとめ
『オイラー,リーマン,ラマヌジャン-時空を超えた数学者の接点 (岩波科学ライブラリー)』(黒川 信重 著) を紹介します。サンプル: http://a.co/9A5Hhj8
ティルチ ーで一泊した翌朝 、車で東に小一時間のタンジャブ ールへ向かった 。ここは十世紀頃 、東南アジアにまで勢力を伸ばしたチョ ーラ王朝の首都でありバラモン文化の中心地でもある 。ここからクンバコナムへは車で一時間の距離だが 、クンバコナムによいホテルがないので 、タンジャブ ールに泊まることにしていた 。
この地域一帯は、カーヴェリ河口デルタをなしていて、インドでも最も肥沃な地である。十三世紀にこの辺りまで来たマルコ・ポーロは、『東方見聞録』の中で、インドでも最良の土地であり、王様は比類なき富に恵まれている、と記している。
この肥沃の地を背景に、チョーラの王様達は、あり余る財力で寺院を建立したから、タンジャブールからクンバコナムにかけては、多くの立派な寺院がある。
中でもチョ ーラ王朝最盛期の紀元一〇〇〇年頃に建築の始まった 、タンジャブ ールのブリハディシュワラ寺院は 、インドにある数え切れない寺院の中で 、最も壮麗なものの一つである 。横七十五メ ートル 、縦百五十メ ートルの長方形の境内は 、周壁に沿った回廊で囲まれ 、中心軸上に 、高さ六十メ ートルにも達する本殿や仁王様に似た彫刻をほどこしたヴィマ ーナ (神殿屋根 )がそびえている 。インドのヒンドゥ ー寺院の中では最も高く 、四角錐の形をした頂上部には八角形の帽子のようなものがある 。これは八十トンもある花崗岩であり 、この巨岩をどうやって六十メ ートルも持ち上げたかは謎である 。
寺院全体の雄大さもさることながら 、幾何学的とも言える均斉のとれた配置 、シヴァ ・リンガの並ぶ回廊を飾る壁画 、本殿やゴプラム (門塔 ) 、祠堂壁面の彫刻などがことごとく見事で 、南インド人の高い芸術性を十二分に立証している 。
私はふと 、ラマヌジャンの発見した公式の美しさを思い起こした 。それらはよく 「奇抜 」と称せられるが 、それは単に珍しいという意味ではない 。常人が想像できないほどの美と調和を有している 、という意味に近い 。リトルウッドはかつて 、ラマヌジャンの仕事を見て 、 「この世のものとは思われぬほど美しく特異 」と評した 。
純粋数学というのは 、種々の学問のうちでも 、最も美意識を必要とするものと思う 。実社会や自然界からかけ離れているため 、研究の動機 、方向 、対象などを決めるガイドラインが 、美的感覚以外にないからである 。論理的思考も 、証明を組み立てる段階で必要となるが 、要所では美感や調和感が主役である 。この感覚の乏しい人は 、いくら頭がよくとも数学者には不向きである 。
美からかけ離れたように見える 、インドの如き混沌からラマヌジャンが生まれたということは 、インドに来て以来 、私の脳裏を離れない謎であった 。それは 、モ ーツァルトがインドで生まれたとしたら 、世界中の人が抱くだろう疑問と 、全く同質のものであった 。
頭脳が極端に秀れた人間というだけなら 、確率的にどこにでも発生するのだろうが 、美感や調和感の方はそうはいかない 。これらは 、五感を通して体得しない限り 、培うのが難しい 。そのためには 、美や調和の存在とそれを尊ぶ伝統の両方が不可欠である 。数学の天才は 、人口さえ充分にあればどこにでも出現するというものではない 。
インドの都市はどこもお世辞にも美しいと言えないし 、ラマヌジャンの育った地域は 、起伏に欠けただだっ広いデルタに過ぎず 、単調な海岸線も美しいとは言えない 。
実は 、この近辺で育った天才は 、ラマヌジャンばかりでない 。ラマン効果の発見者で 、アジア初のノ ーベル賞に輝いた物理学者ラマンも 、ラマヌジャン生誕の一年後に 、先ほどのティルチ ーで生まれているのである 。
ラマヌジャンと同様 、このラマンも美意識の強烈な人だった 。空の青さ 、虹の高貴 、星のまたたき 、蝶の羽のゆらめきなどが彼を物理学へ導き 、また彼の研究動機ともなったという 。
7 Comments:
ラマヌジャンも何度か見たであろう 、タンジャブ ールの 、このブリハディシュワラ寺院
を見て疑問が氷解した 。これだけの雄大かつ精緻な石造建築を造営するには 、長い歳月
にわたり 、芸術的感性と技巧を有する 、多数の建築家や石工を必要とする 。芸術家の分
厚い層がこの地に存在したことを意味する 。美的感覚がこの地には濃厚に存在したのである 。
…
タンジャブ ールとクンバコナムばかりでなく 、この辺りには 、こんな所と思えるような
寒村に 、壮大かつ極端に美しい寺院があったりする 。クンバコナム北方三十キロの 、
ガンガイコンダチョ ーラプラムという誰も知らない村にも 、度胆を抜く寺院がある 。
それまでにいくつものヒンドゥ ー寺院を見て 、感動することのなかった私が 、この地で
はいくたびか息を呑んだ 。そしてこれら寺院が 、私には 、ラマヌジャンの公式自体に
よく似て見えたのである 。
…
ラマヌジャンは 、家から歩いて二分のサ ーランガ ーパニ寺院をはじめとするこれら寺院
を 、毎日訪れては祈り 、また大伽藍のひんやりした石畳にあぐらをかき 、静寂の中で
数学を考えていたのである 。
心は孤独な数学者(新潮文庫)Kindle版 藤原 正彦 (著)
日本人にはバラモンのすごさがわかりにくい
天才数学者ラマヌジャンは正統バラモンの末裔だった
_____
純粋数学というのは 、種々の学問のうちでも 、最も美意識を必要とするものと思う 。
実社会や自然界からかけ離れているため 、研究の動機 、方向 、対象などを決めるガイド
ラインが 、美的感覚以外にないからである 。論理的思考も 、証明を組み立てる段階で
必要となるが 、要所では美感や調和感が主役である 。この感覚の乏しい人は 、いくら頭がよく
とも数学者には不向きである 。
美からかけ離れたように見える 、インドの如き混沌からラマヌジャンが生まれたという
ことは 、インドに来て以来 、私の脳裏を離れない謎であった 。それは 、モ ーツァルトが
インドで生まれたとしたら 、世界中の人が抱くだろう疑問と 、全く同質のものであった 。
ラマヌジャンも何度か見たであろう 、タンジャブ ールの 、このブリハディシュワラ寺院
を見て疑問が氷解した 。これだけの雄大かつ精緻な石造建築を造営するには 、長い歳月
にわたり 、芸術的感性と技巧を有する 、多数の建築家や石工を必要とする 。芸術家の分
厚い層がこの地に存在したことを意味する 。美的感覚がこの地には濃厚に存在したのである 。
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タンジャブ ールとクンバコナムばかりでなく 、この辺りには 、こんな所と思えるような
寒村に 、壮大かつ極端に美しい寺院があったりする 。クンバコナム北方三十キロの 、
ガンガイコンダチョ ーラプラムという誰も知らない村にも 、度胆を抜く寺院がある 。
それまでにいくつものヒンドゥ ー寺院を見て 、感動することのなかった私が 、この地で
はいくたびか息を呑んだ 。そしてこれら寺院が 、私には 、ラマヌジャンの公式自体に
よく似て見えたのである 。
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を 、毎日訪れては祈り 、また大伽藍のひんやりした石畳にあぐらをかき 、静寂の中で
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実社会や自然界からかけ離れているため 、研究の動機 、方向 、対象などを決めるガイド
ラインが 、美的感覚以外にないからである 。論理的思考も 、証明を組み立てる段階で
必要となるが 、要所では美感や調和感が主役である 。この感覚の乏しい人は 、いくら頭がよく
とも数学者には不向きである 。
美からかけ離れたように見える 、インドの如き混沌からラマヌジャンが生まれたという
ことは 、インドに来て以来 、私の脳裏を離れない謎であった 。それは 、モ ーツァルトが
インドで生まれたとしたら 、世界中の人が抱くだろう疑問と 、全く同質のものであった 。
ラマヌジャンも何度か見たであろう 、タンジャブ ールの 、このブリハディシュワラ寺院
を見て疑問が氷解した 。これだけの雄大かつ精緻な石造建築を造営するには 、長い歳月
にわたり 、芸術的感性と技巧を有する 、多数の建築家や石工を必要とする 。芸術家の分
厚い層がこの地に存在したことを意味する 。美的感覚がこの地には濃厚に存在したのである 。
…
タンジャブ ールとクンバコナムばかりでなく 、この辺りには 、こんな所と思えるような
寒村に 、壮大かつ極端に美しい寺院があったりする 。クンバコナム北方三十キロの 、
ガンガイコンダチョ ーラプラムという誰も知らない村にも 、度胆を抜く寺院がある 。
それまでにいくつものヒンドゥ ー寺院を見て 、感動することのなかった私が 、この地で
はいくたびか息を呑んだ 。そしてこれら寺院が 、私には 、ラマヌジャンの公式自体に
よく似て見えたのである 。
…
ラマヌジャンは 、家から歩いて二分のサ ーランガ ーパニ寺院をはじめとするこれら寺院
を 、毎日訪れては祈り 、また大伽藍のひんやりした石畳にあぐらをかき 、静寂の中で
数学を考えていたのである 。
心は孤独な数学者(新潮文庫)Kindle版 藤原 正彦 (著)
日本人にはバラモンのすごさがわかりにくい
例えば天才数学者ラマヌジャンは正統派バラモンの末裔だった
_____
純粋数学というのは 、種々の学問のうちでも 、最も美意識を必要とするものと思う 。
実社会や自然界からかけ離れているため 、研究の動機 、方向 、対象などを決めるガイド
ラインが 、美的感覚以外にないからである 。論理的思考も 、証明を組み立てる段階で
必要となるが 、要所では美感や調和感が主役である 。この感覚の乏しい人は 、いくら頭がよく
とも数学者には不向きである 。
美からかけ離れたように見える 、インドの如き混沌からラマヌジャンが生まれたという
ことは 、インドに来て以来 、私の脳裏を離れない謎であった 。それは 、モ ーツァルトが
インドで生まれたとしたら 、世界中の人が抱くだろう疑問と 、全く同質のものであった 。
…
ラマヌジャンも何度か見たであろう 、タンジャブ ールの 、このブリハディシュワラ寺院
を見て疑問が氷解した 。これだけの雄大かつ精緻な石造建築を造営するには 、長い歳月
にわたり 、芸術的感性と技巧を有する 、多数の建築家や石工を必要とする 。芸術家の分
厚い層がこの地に存在したことを意味する 。美的感覚がこの地には濃厚に存在したのである 。
…
それまでにいくつものヒンドゥ ー寺院を見て 、感動することのなかった私が 、この地で
はいくたびか息を呑んだ 。そしてこれら寺院が 、私には 、ラマヌジャンの公式自体に
よく似て見えたのである 。
…
ラマヌジャンは 、家から歩いて二分のサ ーランガ ーパニ寺院をはじめとするこれら寺院
を 、毎日訪れては祈り 、また大伽藍のひんやりした石畳にあぐらをかき 、静寂の中で
数学を考えていたのである 。
参考:
ブリハディシュワラ寺院
http://www.kamit.jp/02_unesco/07_thanjavur/exteri.jpg
サーランガーパニ寺院
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Gopuras_in_Kumbakonam_-_India.JPG/1920px-Gopuras_in_Kumbakonam_-_India.JPG
日本人にはバラモンのすごさがわかりにくい
例えば天才数学者ラマヌジャンは正統派バラモンの末裔だった
_____
《 純粋数学というのは 、種々の学問のうちでも 、最も美意識を必要とするものと思う 。
実社会や自然界からかけ離れているため 、研究の動機 、方向 、対象などを決めるガイド
ラインが 、美的感覚以外にないからである 。論理的思考も 、証明を組み立てる段階で
必要となるが 、要所では美感や調和感が主役である 。この感覚の乏しい人は 、いくら頭がよく
とも数学者には不向きである 。
美からかけ離れたように見える 、インドの如き混沌からラマヌジャンが生まれたという
ことは 、インドに来て以来 、私の脳裏を離れない謎であった 。それは 、モ ーツァルトが
インドで生まれたとしたら 、世界中の人が抱くだろう疑問と 、全く同質のものであった 。
…
ラマヌジャンも何度か見たであろう 、タンジャブ ールの 、このブリハディシュワラ寺院
を見て疑問が氷解した 。これだけの雄大かつ精緻な石造建築を造営するには 、長い歳月
にわたり 、芸術的感性と技巧を有する 、多数の建築家や石工を必要とする 。芸術家の分
厚い層がこの地に存在したことを意味する 。美的感覚がこの地には濃厚に存在したのである 。
…
それまでにいくつものヒンドゥ ー寺院を見て 、感動することのなかった私が 、この地で
はいくたびか息を呑んだ 。そしてこれら寺院が 、私には 、ラマヌジャンの公式自体に
よく似て見えたのである 。
…
ラマヌジャンは 、家から歩いて二分のサ ーランガ ーパニ寺院をはじめとするこれら寺院
を 、毎日訪れては祈り 、また大伽藍のひんやりした石畳にあぐらをかき 、静寂の中で
数学を考えていたのである 。》
心は孤独な数学者(新潮文庫)Kindle版 藤原 正彦 (著)
参考:
ブリハディシュワラ寺院
http://www.kamit.jp/02_unesco/07_thanjavur/exteri.jpg
サーランガーパニ寺院
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Gopuras_in_Kumbakonam_-_India.JPG/1920px-Gopuras_in_Kumbakonam_-_India.JPG
日本人にはバラモンのすごさがわかりにくい
例えば天才数学者ラマヌジャンは正統派バラモンの末裔だった
_____
《 純粋数学というのは 、種々の学問のうちでも 、最も美意識を必要とするものと思う 。
実社会や自然界からかけ離れているため 、研究の動機 、方向 、対象などを決めるガイド
ラインが 、美的感覚以外にないからである 。論理的思考も 、証明を組み立てる段階で
必要となるが 、要所では美感や調和感が主役である 。この感覚の乏しい人は 、いくら頭がよく
とも数学者には不向きである 。
美からかけ離れたように見える 、インドの如き混沌からラマヌジャンが生まれたという
ことは 、インドに来て以来 、私の脳裏を離れない謎であった 。それは 、モーツァルトが
インドで生まれたとしたら 、世界中の人が抱くだろう疑問と 、全く同質のものであった 。
…
ラマヌジャンも何度か見たであろう 、タンジャブールの 、このブリハディシュワラ寺院
を見て疑問が氷解した 。これだけの雄大かつ精緻な石造建築を造営するには 、長い歳月
にわたり 、芸術的感性と技巧を有する 、多数の建築家や石工を必要とする 。芸術家の分
厚い層がこの地に存在したことを意味する 。美的感覚がこの地には濃厚に存在したのである 。
…
それまでにいくつものヒンドゥー寺院を見て 、感動することのなかった私が 、この地で
はいくたびか息を呑んだ 。そしてこれら寺院が 、私には 、ラマヌジャンの公式自体に
よく似て見えたのである 。
…
ラマヌジャンは 、家から歩いて二分のサーランガーパニ寺院をはじめとするこれら寺院
を 、毎日訪れては祈り 、また大伽藍のひんやりした石畳にあぐらをかき 、静寂の中で
数学を考えていたのである 。》
心は孤独な数学者(新潮文庫)Kindle版 藤原 正彦 (著)
参考:
ブリハディシュワラ寺院
http://www.kamit.jp/02_unesco/07_thanjavur/exteri.jpg
サーランガーパニ寺院
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/10/Gopuras_in_Kumbakonam_-_India.JPG/1920px-Gopuras_in_Kumbakonam_-_India.JPG
Sarangapani temple, Kumbakonam , Root in finding Tamil vedas
https://youtu.be/75EvH7du5c8
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