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上の概念図に用いられている2個のキーワード、難波と安積を得たのは、「いろは歌」の暗号に関心を持つものには到底認めることの出来ない、古今集仮名序の次の箇所からです。 |
難波津の歌は、帝の御代の御始めを祝ったものである。安積山の歌は、采女の戯れの心から詠んだもので、この二つの歌は、歌の父母のようにして、手習いする人の最初に習うものにさえしてある。 (この二つの歌を詠みこんだ特異な31首の歌(クリック)があります。是非ご覧おき下さい。) そもそも、歌の体(さま)は六つある。唐(から)の歌もそのようであろう。 六種の歌の第一としては、そえ歌。仁徳天皇をなぞらえまつった王仁(わに)の歌の、 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 ○難波津に咲く梅の花よ、今は咲くべき春として、うるわしく咲く梅の花よ。 という歌が、それであろう。 『日本の古典10』(河出書房新社)の窪田空穂訳「古今和歌集」による |
この部分がおかしい理由は、おいおい述べます。要は、古今集仮名序に、納得できない記述によって、平城天皇・難波・安積に注意を向けさせようとする意図があることです。 このような受け取り方の意義を保証するものに、『口遊』の著者として知られる源為憲が10世紀後半に作った「いろは歌」があります。 それというのも、「いろは歌」には、万葉の異色の歌人山上憶良と古今集の代表的歌人である撰者紀貫之の名を用いた次のような暗号が仕組まれているからです。 |
「上」字型の暗号
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「止」字型の暗号
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山上憶良(山のうえのおくら)
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山上憶良・紀貫之(きのつらゆき)
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時代を異にする2人の名を合体させているこの「止」字型の暗号は、万葉集と古今集が10世紀後半に現在のような形になったことを表わすものではないかと考えられます。 |
対幻想というタームには可能性がある。
ヘーゲル的に市民社会と理解されたり、氏族制と一緒にされるが、
柳田國男に足りない部分を見事についている。
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