木曜日, 2月 11, 2016

ドラッカーと孔子


                (孔子リンク:::::::::

NAMs出版プロジェクト: ドラッカーと孔子

http://nam-students.blogspot.jp/2016/02/blog-post_11.html

 先月、東京大学東洋文化研究所教授・安冨歩氏が『ドラッカーと論語』(東洋経済新報社)という本を出した。『マネジメント』で知られるピーター・ドラッカーの思想を、孔子の『論語』をサブテキストにして読み解いていく、というもので、私(引用者注:窪田順生氏)も少しお手伝いをさせていただいている。

 そんな関係もあるので、発売前から周囲の人間に、「今度面白い本が出るよ」と話していたのだが、そこでくる反応というのはだいたいこんなものが多い。

 「ドラッカーと孔子を結びつけるなんていくらなんでも強引なんじゃないの?」

 確かに、かたや紀元前の思想家、かたや20世紀を代表する経営学の祖、この2人を一緒に語ろうというのは無理矢理感があるように思うかもしれない。が、本書を読んでいただければ分かるが、この2人、ビックリするほど同じようなことを言っているのだ。

 例えば、『マネジメント』でドラッカーは組織が正しく機能をしていくためには、意思決定に「フィードバック」が含まれていないといけない、と説いている。ここでいう「フィードバック」とは、サイバネティックス理論を唱えたノーバート・ウィナーが示した「フィードバックと学習(learning)」という概念がベースにあるとして、安冨氏はこう定義する。

「いかなる場面においても、自らの過ちを認めて反省し、自分自身のあり方を改めていく」

 このような姿勢をドラッカーは「integrity」と表現した。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』にも登場した「真摯(しんし)さ」というやつだ。そんな「フィードバック」を、孔子の『論語』の中にも見つけることができる。

 子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

 先生が言われた。何かを学び、それがある時、自分自身のものになる。よろこばしいことではないか。それはまるで、旧友が、遠方から突然訪ねてきてくれたような、そういう楽しさではないか。そのよろこびを知らない人を見ても、心を波立たせないでいる。それこそが君子ではないか。(訳は『ドラッカーと論語』より引用)


ドラッカーと孔子の思想が似ているのは2人とも「ファシズム」を憎んでいたから? (2/3) - ITmedia ビジネスオンライン

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1407/08/news021_2.html

 真摯な態度で学び、それを苦労の末、身につけることで新しい自分になることに喜びを見出す――。確かに、それはドラッカーの言う「フィードバック」のことに他ならない。

 さらに言えば、ここで出た「君子」という概念も然りだ。これは孔子が考える、「徳治」(徳によって世を治める)ができる理想の国家君主のことなのだが、実はドラッカーも『マネジメント』の中で同じようなことを述べている。それは「マネジメント」を行うために必要不可欠な存在であり、最も必要とされる資質は、「フィードバック」を続けていく「真摯さ」――。

 もうお分かりだろう、「マネージャー」である。実際、ドラッカーの言う「マネジメント」というのは、孔子が述べる「徳治」と双子のように瓜二つなのだ。

 このような両者の共通点が、本書ではまるで推理小説のように次々と明らかになっていくわけだが、そもそも、なぜ2500年も時を隔て、民族も違う2人の思想が似通うのかという疑問が浮かばないだろうか。

 実はそれは両者が生きた「時代背景」が関係している、と安冨氏は考察する。

 孔子が『論語』を生み出した時代は、「秦」という巨大な官僚組織・軍隊がさまざまな民族を統制していくという激動の時代だった。それまでは比較的のんびりとした国だったのに、圧倒的な武力を盾にして巨大国家ができていく。法律やモラルも今と違うので、逆らう者は容赦なく殺される。これを孔子の流れをくむ孟子は「覇道」と呼んだ。孔子は「覇道」を憎んだ。だからこそ、力ではなく、「徳治」(マネジメント)ができる「君子」の必要性を説いたのである。

 一方、ドラッカーも「マネジメント」ということを考えたのも「覇道」を憎んだからである。彼の時代では、それを「ファシズム」と呼んだ。

 若きドラッカーはナチスドイツが台頭する、フランクフルトにいた。彼はファシズムを目の当たりにして、ファシズムを憎み、現代社会がどうすればファシズムに対抗することができるのか、という問いに対して向き合い続けた思想家でもある。

 事実、『マネジメント』の冒頭にはこのように述べている。

成果をあげる責任あるマネジメントが、専制に代わる唯一のものであり、それへの唯一の防衛策である(Management,p.x)



Performing, responsible management is the alternative to tyranny and our only protection against it.
– Peter F. Drucker(Management,p.x)


  • 1973: Management: Tasks, Responsibilities, Practices' (New York: Harper & Row)


4 Comments:

Blogger yoji said...

【経営】セブンイレブンだけがなぜ売れるのか? [無断転載禁止]©2ch.net | 2chスマホ ブラウザitest.2ch.net
http://itest.2ch.net//test/read.cgi/bizplus/1455187518/-100
 ところが、1店舗あたりの売上高を見ると、セブン-イレブンは67万円と、ローソンの55万円、
ファミリーマートの53万円を圧倒している。その原因は、店づくり以外のところにあるということになる。それがここでの問いである。

 結論からいうと、商品が買い上げられるスピードが違うのだ。これは有名な話なのだが、
海辺の町で、釣り船の発着場へ続く道沿いにセブン-イレブンの店があった。
ここで、いつも同じおにぎりの品揃えをしていれば、商品が買い上げられるスピードは他社と同じになる。
 ところが、「この週末は暑くなりそうだ。そうすると、お客さんも早朝に買いに来たとき、
炎天下でも痛みにくい梅のおにぎりを選ぶのではないか」という仮説を立てるのがセブン-イレブンなのだ。
そして、梅のおにぎりをいつもより多めに品揃えしておくと、それが瞬く間に売れる。
 長い冬の終わりごろ、少し温かくなる日がある。そうしたとき、
「冬の間食べていなかった冷やし中華やアイスクリームを、急に食べたくなる人たちがいるのではないか」
と仮説を立てる。それに合わせて品揃えを充実させておくと、それがまた売れる。こうした仮説を立て、
商品が買い上げられるスピードを極限まで高めた結果が、圧倒的な1店舗あたりの売上高に表れているのだ。
 鈴木会長が、常々「我々の競争相手は同業他社でなく、めまぐるしく変化する顧客ニーズである」
というのはここに理由がある。同業他社の店づくりを見ていても、結局フォーマットに収束していくだけで、
差別化にはならない。本来の差別化を追求するなら、顧客の心の内側を見にいく必要があるということだ。
鈴木氏がよく「経営を心理学で捉える」といわれる所以はそこにある。

4:06 午前  
Blogger yoji said...

ドラッカー『マネジメント』の冒頭にはこう述べられている。

「成果をあげる責任あるマネジメントが、専制に代わる唯一のものであり、それへの唯一の防衛策である」(Management,p.x)

8:21 午前  
Blogger yoji said...


ドラッカー『マネジメント』の冒頭にはこう述べられている。
「成果をあげる責任あるマネジメントが、専制に代わる唯一のものであり、それへの唯一の防衛策である」

Performing, responsible management is the alternative to tyranny and our only protection against it.
– Peter F. Drucker(Management,p.x)


“Tyranny substitutes one absolute boss for the pluralism of competing institutions….To make our institutions perform responsibly, autonomously, and on a high level of achievement is thus the only safeguard of freedom and dignity in the pluralist society of institutions. Performing, responsible management is the alternative to tyranny and our only protection against it.”

– Peter F. Drucker

8:25 午前  
Blogger yoji said...



http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1407/08/news021.html
 …『マネジメント』でドラッカーは組織が正しく機能をしていくためには、意思
決定に「フィードバック」が含まれていないといけない、と説いている。ここでいう「フィ
ードバック」とは、サイバネティックス理論を唱えたノーバート・ウィナーが示した「フィ
ードバックと学習(learning)」という概念がベースにあるとして、安冨氏はこう定義する。
「いかなる場面においても、自らの過ちを認めて反省し、自分自身のあり方を改めていく」
 このような姿勢をドラッカーは「integrity」と表現した。『もし高校野球の女子マネージ
ャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』にも登場した「真摯(しんし)さ」とい
うやつだ。そんな「フィードバック」を、孔子の『論語』の中にも見つけることができる。

 子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

 先生が言われた。何かを学び、それがある時、自分自身のものになる。よろこばしいこと
ではないか。それはまるで、旧友が、遠方から突然訪ねてきてくれたような、そういう
楽しさではないか。そのよろこびを知らない人を見ても、心を波立たせないでいる。それ
こそが君子ではないか。(訳は『ドラッカーと論語』より引用)

 孔子が『論語』を生み出した時代は、「秦」という巨大な官僚組織・軍隊がさまざまな民
族を統制していくという激動の時代だった。それまでは比較的のんびりとした国だったのに、
圧倒的な武力を盾にして巨大国家ができていく。法律やモラルも今と違うので、逆らう者は容
赦なく殺される。これを孔子の流れをくむ孟子は「覇道」と呼んだ。孔子は「覇道」を憎ん
だ。だからこそ、力ではなく、「徳治」(マネジメント)ができる「君子」の必要性を説いた
のである。
 一方、ドラッカーも「マネジメント」ということを考えたのも「覇道」を憎んだからである。
彼の時代では、それを「ファシズム」と呼んだ。

3:31 午前  

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