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由利公正筆「議事之体大意」(五箇条の御誓文の原型。福井県立図書館所蔵) |
明治元年(1868年)3月14日、新政府は五箇条からなる国家の基本方針を公布しました。これが世に言う「五箇条の御誓文」です。
三岡八郎(由利公正) 『由利公正伝』より |
この「広く会議を興し万機公論に決すべし」で始まる誓文の原型となったのが、本県ゆかりの由利公正が著した「議事之体大意」です。
このたび県では、この「五箇条の御誓文」の原型とも言われる由利筆「議事之体大意」および由利案に加筆修正した福岡孝弟筆「会盟」を入手いたしました。
これを記念し、「議事之体大意」に始まる「五箇条の御誓文」の変遷をたどるとともに、様々な分野で広く活躍した由利の生涯を紹介します。
あわせて由利公正に関する伝記や小説なども展示します。
そこで、新政府の基本政策(公約?マニフェスト?アジェンダ?)をまとめなくてはならぬと相談するのですが、たたき台すらありません。あるのは五箇条の御誓文だけです。
ここで、明治元年3月に発布された御誓文の制定のいきさつを振り返ってみます。
まず、登場するのが坂本龍馬の盟友・越前の三岡八郎(由利公正)です。船中八策をベースに、五箇条の基本方針をまとめます。本来は、土佐の後藤が提案すべきところですが、後藤には、龍馬の意図がよく理解できていなかったんでしょうね。
三岡八郎の案(たたき台)
1、 庶民志を遂げ、人心をして倦まざらしむるを欲す (人民主体・民主主義?)
2、 士民心を一にして、盛んに経綸(けいりん)を行うを要す (経済重視)
3、 知識を世界に求め、広く皇基(こうき)を振起すべし (開国・外交)
4、 貢士(こうし)期限をもって賢才に譲るべし (世襲廃止、能力主義)
5、 万機公論に決し、私に論ずるなかれ (議会制)
これを、土佐の福岡孝悌が文章を一部修正しています。細かい字句修正は割愛し、変更点は5項です。「万機公論に決し、私に論ずるなかれ」を「列公会議を興し、万機公論に決すべし」としています。薩摩の島津久光、長州の毛利の殿様、土佐の山内容堂などを意識していますね。細かい言葉づかいも、殿様たちへの配慮がうかがえます。
さらに、木戸孝允が手を加えます。4項「貢士期限をもって賢才に譲るべし」を「旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基づくべし」とします。最終的に岩倉が手を加えてできたのが五箇条の御誓文…明治新政府の基本方針でした。三岡案とは順番が違います。木戸、福岡などが殿さまに遠慮しているのを、あっさりと元に戻してしまいます。
1、 広く会議を興し万機公論に決すべし
2、 上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし
3、 官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめん事を要す
4、 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
5、 知識を世界に求め、広く皇基を振起すべし
ともかく、江戸と京都の二重政権ですから手間がかかります。
基本方針ができたのは鳥羽伏見戦争の直前で、発布をしましたが、誰も理解できていません。薩長土肥の政府軍士官すら、何のことかわかっていませんでした。
このことが、東北を制圧した後の軍制にゆがみを作り、遺恨を後世に伝えてしまいました。
新政府軍の兵士たちが戊辰戦争の後に残した言葉に「白河以北、一山百文」があります。…東北人は全く値打ちがない…と、バカにしきった言葉で、後に平民宰相といわれた南部藩出身の原敬などは、自らを「一山」と号して、爵位も拒否していますね。
中国、韓国が歴史問題をしきりに持ち出すのも、背景は感情論でしょう。バカにされた、という怨恨でしょうが、感情論を政治の世界に持ち込むのは非常識です。なぜ日本が朝鮮統合をやったか、…この後、西郷さんの征韓論が出てきますが、当時の朝鮮政府は維新政府を国家として認めず、バカにしきった対応を繰り返します。天皇の国書を「皇の字を使ってよいのは中国皇帝だけ」などと、突き返してきています。「広く皇基を振起すべし」という日本政府としては我慢ならなかったと思います。西郷の征韓論、その後の日韓併合、朝鮮政府の外交政策のミスですね。ただし、日本の侵略行為であったことは事実です。
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http://www.jinriki.info/kaidolist/tokaido/nihonbashi_shinagawa/rengaginzanohi.html坂本龍馬がほれた経済の達人、福井藩・由利公正(ゆりきみまさ)。思いついたら走り出し危機突破!やがて気づいた庶民の爆発力の強さとは?人の心をつかんであなたも突破?
幕末、坂本龍馬がほれこんだ経済の達人、福井藩士・由利公正(ゆりきみまさ)。その魅力は、何か思いついたらただちに一人で走り始め、危機があってもどんどんぶち破っていく突破力!ところがやがて、庶民と心を一つにした時の爆発力の方がはるかに強いと気づく。激動と謀略と戦乱の明治維新、由利はどうやって人々の心をつかみ、新政府の経済的な難問を解決していったのか?人の心をつかんで味方を得る、その極意を紹介します。
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