水曜日, 2月 10, 2016

由利公正筆「議事之体大意」(五箇条の御誓文の原型。福井県立図書館所蔵)

由利公正筆「議事之体大意」(五箇条の御誓文の原型。福井県立図書館所蔵)

2011-09-17 12:37:57 
テーマ:
 議事の体大意

一 庶民志を遂け
  人心をして倦ま
  さらしむるを欲す

一 士民心を一にし盛に
  經綸を行ふを要す

一 知識を世界に求め
  廣く
  皇基を振起すへし

一 貢士期限を以て
  賢才に讓るへし

一 萬機公論に決し
  私に論するなかれ

諸矦會盟之御趣意
右等之筋ニ可被
仰出哉 大赦之勅
一 列矦會盟式  一 列藩巡見使ノ式


明治維新と外圧/石井 孝

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由利公正筆「議事之体大意」(五箇条の御誓文の原型。福井県立図書館所蔵)


明治元年(1868年)3月14日、新政府は五箇条からなる国家の基本方針を公布しました。これが世に言う「五箇条の御誓文」です。 

三岡八郎(由利公正)『由利公正伝』より
三岡八郎(由利公正) 『由利公正伝』より

この「広く会議を興し万機公論に決すべし」で始まる誓文の原型となったのが、本県ゆかりの由利公正が著した「議事之体大意」です。

このたび県では、この「五箇条の御誓文」の原型とも言われる由利筆「議事之体大意」および由利案に加筆修正した福岡孝弟筆「会盟」を入手いたしました。

これを記念し、「議事之体大意」に始まる「五箇条の御誓文」の変遷をたどるとともに、様々な分野で広く活躍した由利の生涯を紹介します。

あわせて由利公正に関する伝記や小説なども展示します。




八重の桜 30 失意の八重
http://www.khan7.jp/bunko/yaenosakura/030.html

そこで、新政府の基本政策(公約?マニフェスト?アジェンダ?)をまとめなくてはならぬと相談するのですが、たたき台すらありません。あるのは五箇条の御誓文だけです。

ここで、明治元年3月に発布された御誓文の制定のいきさつを振り返ってみます。

まず、登場するのが坂本龍馬の盟友・越前の三岡八郎(由利公正)です。船中八策をベースに、五箇条の基本方針をまとめます。本来は、土佐の後藤が提案すべきところですが、後藤には、龍馬の意図がよく理解できていなかったんでしょうね。

三岡八郎の案(たたき台)

1、 庶民志を遂げ、人心をして倦まざらしむるを欲す  (人民主体・民主主義?)

2、 士民心を一にして、盛んに経綸(けいりん)を行うを要す    (経済重視)

3、 知識を世界に求め、広く皇基(こうき)を振起すべし     (開国・外交)

4、 貢士(こうし)期限をもって賢才に譲るべし         (世襲廃止、能力主義)

5、 万機公論に決し、私に論ずるなかれ        (議会制)

これを、土佐の福岡孝悌が文章を一部修正しています。細かい字句修正は割愛し、変更点は5項です。「万機公論に決し、私に論ずるなかれ」を「列公会議を興し、万機公論に決すべし」としています。薩摩の島津久光、長州の毛利の殿様、土佐の山内容堂などを意識していますね。細かい言葉づかいも、殿様たちへの配慮がうかがえます。

さらに、木戸孝允が手を加えます。4項「貢士期限をもって賢才に譲るべし」を「旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基づくべし」とします。最終的に岩倉が手を加えてできたのが五箇条の御誓文…明治新政府の基本方針でした。三岡案とは順番が違います。木戸、福岡などが殿さまに遠慮しているのを、あっさりと元に戻してしまいます。

1、 広く会議を興し万機公論に決すべし

2、 上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし

3、 官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめん事を要す

4、 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし

5、 知識を世界に求め、広く皇基を振起すべし

ともかく、江戸と京都の二重政権ですから手間がかかります。

基本方針ができたのは鳥羽伏見戦争の直前で、発布をしましたが、誰も理解できていません。薩長土肥の政府軍士官すら、何のことかわかっていませんでした。

このことが、東北を制圧した後の軍制にゆがみを作り、遺恨を後世に伝えてしまいました。

新政府軍の兵士たちが戊辰戦争の後に残した言葉に「白河以北、一山百文」があります。…東北人は全く値打ちがない…と、バカにしきった言葉で、後に平民宰相といわれた南部藩出身の原敬などは、自らを「一山」と号して、爵位も拒否していますね。

中国、韓国が歴史問題をしきりに持ち出すのも、背景は感情論でしょう。バカにされた、という怨恨でしょうが、感情論を政治の世界に持ち込むのは非常識です。なぜ日本が朝鮮統合をやったか、…この後、西郷さんの征韓論が出てきますが、当時の朝鮮政府は維新政府を国家として認めず、バカにしきった対応を繰り返します。天皇の国書を「皇の字を使ってよいのは中国皇帝だけ」などと、突き返してきています。「広く皇基を振起すべし」という日本政府としては我慢ならなかったと思います。西郷の征韓論、その後の日韓併合、朝鮮政府の外交政策のミスですね。ただし、日本の侵略行為であったことは事実です。


煉瓦銀座の碑(東海道 - 日本橋~品川) - 旧街道ウォーキング - 人力

http://www.jinriki.info/kaidolist/tokaido/nihonbashi_shinagawa/rengaginzanohi.html

明治5年(1872)、和田倉門から出火した火事は、銀座一帯から築地にまで及ぶ大火となった。時の府知事由利公正は、不燃性の街づくりを強く主張。銀座通りに面してレンガ造りの二階建アーケード式建築が並んだ。ここは通称煉瓦通りと呼ばれ、銀座通り商店街形成の基礎となった。

≫日本橋~品川を歩く




先人たちの底力 知恵泉「みんなの心をつかむ突破力~経済の達人・由利公正」

坂本龍馬がほれた経済の達人、福井藩・由利公正(ゆりきみまさ)。思いついたら走り出し危機突破!やがて気づいた庶民の爆発力の強さとは?人の心をつかんであなたも突破?

幕末、坂本龍馬がほれこんだ経済の達人、福井藩士・由利公正(ゆりきみまさ)。その魅力は、何か思いついたらただちに一人で走り始め、危機があってもどんどんぶち破っていく突破力!ところがやがて、庶民と心を一つにした時の爆発力の方がはるかに強いと気づく。激動と謀略と戦乱の明治維新、由利はどうやって人々の心をつかみ、新政府の経済的な難問を解決していったのか?人の心をつかんで味方を得る、その極意を紹介します。