火曜日, 7月 12, 2016

チェスで遊ぶキリスト教徒とイスラム教徒(アルフォンソ10世)


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宗教:インデックス
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NAMs出版プロジェクト: チェスで遊ぶキリスト教徒とイスラム教徒(アルフォンソ10世)
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/blog-post_12.html
(本頁)

    

Christian and Muslim playing chess in al-Andalus, from The Book of Gamesof Alfonso X, el Sabio, c. 1285. The game of chess originated in India, but was transmitted to Europe by the Islamic world.[1]


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NAMs出版プロジェクト: イスラム教徒とキリスト教徒が仲良く音楽を演奏している姿を描いた中世の絵
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_8.html




イスラム教徒とキリスト教徒が仲良く音楽を演奏している姿を描いた中世の絵です。 
http://www.pbm.com/~lindahl/cantigas/images/12small.gif

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The Cantigas de Santa Maria: All Images

http://www.pbm.com/~lindahl/cantigas/images/all.html
Cantiga 120


http://www.pbm.com/~lindahl/cantigas/images/
http://troubadours.locirdoc.fr/histoire.php

手塚治虫も風刺が漫画の命と言いましたが、次の段階へ行くべきでしょう。
フランス人はイスラムを知らなさすぎる。

31 :自治スレでLR変更等議論中@転載は禁止:2015/01/13(火) 19:25:42.99 ID:W6e3NCl90
Emmanuel Todd(仏歴史人類学者・仏国立人口統計学研究所研究員) 

私はテロを断じて正当化しない。 
だが、フランスが今回の事態に対処したいのであれば、冷静になって社会の構造的に問題を直視すべきだ。 
北アフリカ系移民の2世3世の多くが社会に絶望し野獣と化すのはなぜなのか。 
背景にあるのは、経済の長期低迷で移民の子供たちが職に就けないことだ。 
さらに、日常的にヘイトスピーチにさらされている。 
「文化人」らが移民の文化そのものを邪悪だと非難する。 
移民の若者の多くは人生の意味を見出だせず、一部は道を誤り犯罪に手を染める。 
収監された刑務所で受刑者との接触を通じて過激派に転じる。 
真の問題はフランスが文化的道義的危機に陥っていること。 
誰も何も信じていない。人々は孤立している。 
社会に絶望する移民の若者がイスラムに回帰するのは何かにすがろうとする試みだ。 
私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。 
だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける「シャルリー・エブド」のあり方は不信の時代では有効ではないと思う。 
移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。 
ところがフランスは今誰もが「私はシャルリーだ」と名乗り、犠牲者と共にある。 
私は感情に流されて理性を失いたくない。 
今フランスで発言すれば「テロリストにくみする」と受け止められ袋叩きに合うだろう。 
だからフランスでは取材に応じていない。 
独りぼっちの気分だ。 


 エマニュエル・トッド、インタビュー「パリ銃撃テロ 移民の子、追い込む風潮」(読売新聞1月12日付)

 


Ciclo 'O ceo das letras': 'Martín Códax, o son das ondas' | Galería fotográfica | Web Oficial de Turismo de Santiago de Compostela y sus Alrededores
http://www.santiagoturismo.com/galeria-fotografica/ciclo-o-ceo-das-letras-martin-codax-o-son-das-ondas

 Alfonso X El Sabio, Cantigas de Santa Maria[E写本]

Cantiga 120[バルドサ]

ダンテやペトラルカら人文主義者Umanistaは、中世南欧の吟遊詩人Troubadourの系譜によります。オック語の作者trobaire・見つけるtrobar[ラテン語のtropāre]、アラビア語の歌うṭaraba・心が動かされるtariba(طرب)とされます。

 

10世紀頃、南フランスのアキテーヌ・リムーザン・プロヴァンス、北スペインのカタルーニャ・アラゴン・ガリシアにイスラム文化が流入して、11世紀末、ビザンツのコンスタンティノープル、シチリアのパレルモ、カタルーニャのリポール、カスティーリャのトレドなどで学芸の書物が大量に翻訳されました。

 

キンディは『旋律の構成(رسالة في خبر صناعة التّأليف)』で古代ギリシアの音楽理論により、音高・音程・旋法・移高を記述、ファーラービーは『音楽大全(كتاب الموسيقى الكبير)』で古典アラビアの音楽理論を大成しました。

 

ハイサム、ビールーニー、イブン=スィーナー、イブン=ルシュドらは、人類史上、最高の知性で洗練された発想と思考により、科学や医学の基礎を構築しました。

 

 

Alfonso X El Sabio, Cantigas de Santa Maria[E写本]

Cantiga 120[バルドサ]・170[リュートとレベッカ]


アルフォンソ10世(アルフォンソじゅっせい、スペイン語Alfonso X1221年11月23日 - 1284年4月4日)は、カスティーリャ王国国王 (在位:1252年 - 1284年)。一時はドイツ王(在位:1257年 - 1275年)でもあった。

フェルナンド3世と最初の王妃ベアトリス・デ・スアビアの長男である。母のベアトリスは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の従姉妹であり、ボヘミア王オタカル2世は母方の従兄にあたる。

学芸の振興に努めたため「賢王」「賢者」「学者」を意味するel Sabioの別名で知られている[1][2]。アルフォンソ自身は権力の基盤は英知にあると考えており[3]キリスト教イスラム教ユダヤ教を統べる「三宗教の王」と称されることを好んだ[4]。また、現在のスペイン語の母語となったカスティーリャ語の確立者の一人とみなされており[5]、「カスティーリャ語散文の創始者」と呼ばれている[6]。彼の治世にカスティーリャの文化・宗教双方の中心地はコルドバから首都のトレドに移り、アラビア文化を学ぼうとするヨーロッパ各地の研究者がトレドに集まった[7]

学術面の功績とは逆に、政治の実績には否定的な評価が下されることが多い[1][2][8][5]


アルフォンソ10世 (カスティーリャ王) - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%BD10%

アルフォンソの宮廷では、著述活動とともにアラビア語文献の翻訳が推進された。1085年から続いていたトレド翻訳学派(トレド翻訳学校)は国の後援を受け[23]、翻訳学派にはイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の学者の集団が属していた[8]。学術書以外に、図説書『チェス、賽子、双六の書英語版』、説話集『ムハンマドの梯子の書』が翻訳された。翻訳事業には即位前から着手しており、1250年に『宝石の書(宝石名鑑)』、1251年に寓話『カリーラとディムナ』のアラビア語からカスティーリャ語への翻訳を後援している[24]。ただし、『カリーラとディムナ』については、彼が翻訳を命じたかは定かではない[25]

アルフォンソの即位より前のトレド翻訳学派はカスティーリャ語に翻訳した書籍をラテン語に重訳していたが、アルフォンソの時代に重訳は行われなくなる[26]。カスティーリャ語で記述された文献が参照された地域は、カスティーリャ内にとどまった[27]。アルフォンソは13世紀当時のカスティーリャで支配的言語の地位にあったラテン語からの脱却を目指し、歴史学、宗教、文学の分野でもラテン語に代えてカスティーリャ語の使用を推進した[28]。そして、カスティーリャ語は著述活動以外に、司法の場でも公用語として用いられるようになった[29][30]。しかし、国外に発せられる公文書では、依然としてラテン語が使用されていた[31]

アルフォンソが後援したカスティーリャ語による著述活動においては、書き言葉として必要な語彙がラテン語・ギリシャ語からカスティーリャ語に輸入され、既存の単語から多くの派生語が生まれた[31]。新しい語彙の輸入に際して、編纂者には単語の出所の明示と定義付けが厳しく要求された[6]。綴り字には一定の原則が設けられ、アルフォンソの時代の文献に表れた綴り字の体系は「アルフォンソ正書体」と総称される[31]。アルフォンソ正書体は不完全なものだったが、基盤となる部分は後世に継承された[6][32]

アルフォンソが行ったカスティーリャ語の推進活動は政治・文化的な意図が含まれていた[31]。その活動は政治と文化の大衆化、支配者から民衆への意思伝達の改善による、国内の統一の強化を目的としていたと思われる[33]。アルフォンソの時代にカスティーリャ語に文章語としての規則と文化的権威が付加され、イベリア半島の一方言だったカスティーリャ語の使用範囲は拡大した[34]

天文学編集

アルフォンソ天文表

様々なアラビア語文献の中でもアルフォンソが興味を持っていた天文学占星術の書籍が、多く訳された[27]

『天文学の書』ではプトレマイオスの天動説に基づく天体の動きが体系的に説明され、随所に道徳・宗教的な説話が挿入されている[35]。他に天体の動きと宝石の関連性について述べた『宝石の書』が訳された。

トレドではアストロラーベや時計などを用いて天体観測が行われ、その結果を元にアッ=ザルカーリーが作成した天文表を修正した[36]。天文表は彼の名前をとってアルフォンソ天文表と呼ばれるが、実際にアルフォンソの元で作成されたかを疑う意見もある[3][5]

歴史、文芸編集

『スペイン史』の写本

アルフォンソ在位中のカスティーリャ王国ではイベリア史と世界史の編纂事業が行われ、『スペイン史』(Estoria de España)と『世界史』(General Estoria)、の2冊の年代記が完成した。史書の編纂に際してはアルフォンソ自らが編者を選定し、校閲にあたった[20]

『スペイン史』の編纂にあたっては国王年代記、古典史料以外にイスラームの史料、叙情詩も用いられた[37]。叙情詩は散文化された状態で『スペイン史』に収録されており、その中には元の詩が散逸したものも含まれている[38]。いずれの年代記の記述も史実と虚構が混在しているが、こうした傾向には中世ヨーロッパ人の歴史観が現れているとも見なせる[8]。『スペイン史』では1252年までのイベリア史が扱われているが後の時代に何度も増補・改訂され、アラゴンやポルトガルでも参照された[37]1906年、メネンデス・ピダルは『スペイン史』を『第一総合年代記』と題して出版した。

当初『世界史』は天地創造からアルフォンソの治世までを記述することが予定されていたが、天地創造から聖母マリアの家譜を記述するところで終わっている[35]。『世界史』にはギリシャ神話の英雄が多く登場する点が特徴として挙げられる。

アルフォンソは詩作を好んだほか、作曲も手がけている。1257年から1279年にかけての時期に[8]詩人、楽士、ムーア人の踊り手の協力を受けて400超のカンティーガ(叙情的な歌謡)から構成される『聖母マリアのカンティーガ集(Cantigas de Santa María、「聖母マリア頌歌集」、「カンティーガス・デ・サンタ・マリーア」とも)』を完成させた[39][40]。『聖母マリアのカンティーガ集』はガリシア語で書かれており、西ゴート王国時代の典礼歌と民衆の歌謡曲、東方起源の賛歌、中世の舞踊の影響を受け、トルバドゥールトルヴェールの技法を取り入れている[39]。『聖母マリアのカンティーガ集』の挿絵にはアルフォンソとともに当時使用されていた楽器や衣服が描かれており、貴重な史料となっている[40]。また、挿絵にはキリスト教徒とイスラム教徒(ムーア人)の奏者が描かれており、アルフォンソのカンティーガの多文化性を確認できる[40]

1943年にはイヒニオ・アングレススペイン語版によって、アルフォンソのカンティーガが復刻された[39]


*40,滋郎「音楽」『スペイン』収録(増田義郎監修, 読んで旅する世界の歴史と文化, 新潮社, 1992年2月)、225頁

Alfonso X el Sabio - Cantigas Santa Maria (1221-1284) [FULL ALBUM]
https://youtu.be/nj5Bc8zwwU0

Alfonso X "El Sabio": Cantigas de Santa Maria
https://youtu.be/TJfM9QWKbLU



The game of astronomical tables, from Libro de los juegos 

The Libro de los Juegos, ("Book of games"), or Libro de axedrez, dados e tablas, ("Book of chess, dice and tables", in Old Spanish) was commissioned by Alfonso Xof CastileGalicia and León and completed in his scriptorium in Toledo in 1283,[1][2] is an exemplary piece of Alfonso’s medieval literary legacy.

The book consists of ninety-seven leaves of parchment, many with color illustrations,[2] and contains 150 miniatures.[1] The text is a treatise that addresses the playing of three games: a game of skill, or chess; a game of chance, or dice; and a third game, backgammon, which combines elements of both skill and chance. The book contains the earliest known description of these games. These games are discussed in the final section of the book at both an astronomical and astrological level. Examining further, the text can also be read as an allegorical initiation tale and as a metaphysical guide for leading a balanced, prudent, and virtuous life.[3] In addition to the didactic, although not overly moralistic, aspect of the text,[4] the manuscript’s illustrations reveal a rich cultural, social, and religious complexity.

It is one of the most important documents for researching the history of board games. The only known original is held in the library of the monastery of San Lorenzo del Escorial near Madrid in Spain. The book is bound in sheepskin and is 40 cm high and 28 cm wide (16 in × 11 in).[2] A 1334 copy is held in the library of the Spanish Royal Academy of Historyin Madrid.


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1 Comments:

Blogger yoji said...

井筒俊彦 part.1
1 :名無し:2012/06/08(金)00:21:23 ID:LaDN2mvb3(主) ×
とりあえずたてとく
2 :名無し :2012/06/08(金)01:40:56 ID:???
『イスラーム文化』の人か。イスラームは因果を否定してるってのは
おれは驚いた。○○をしたら××になるからやっちゃダメってのが宗教
だと思ってたから。
3 :名無し :2012/06/08(金)02:36:06 ID:LaDN2mvb3(主) ×
世界原子論 ね。 アリストテレス経由の因果律に対して神の存在論。
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