日曜日, 7月 17, 2016

ニコラス・バーボン

                (マルクスリンク:::::::::

NAMs出版プロジェクト: ニコラス・バーボン

http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/blog-post_17.html @

〔抄訳〕ニコラス・バーボン『より軽い新貨幣の鋳造に関する論究』(ロンドン,1696年)

ニコラス・バーボン - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラス・バーボン
Nicholas Barbon

ニコラス・バーボンNicholas Barbon、フルネーム:Nicholas Unless-Jesus-Christ-Had-Died-For-Thee-Thou-Hadst-Been-Damned Barbon[1]1640年 - 1698年)は、イギリス経済学者医師、金融投機家である。重商主義者であり、自由市場の最初の支持者の一人とされる。世界初の火災保険会社の創設者としても著名である。



初期経済学者ペティとケネーが外科医だったという話は 面白い。
他にも医師から経済学研究に移行した人は多い。
蜂の寓話のマンデヴィルも精神科医だったそうだ。

マルクスが多々引用している火災保険の創始者ニコラス・バーボンも医師だった。

医師には経済的な余裕があるというだけでは説明出来ない。

血流★と貨幣流通のアナロジーも指摘されるが、人間生活を良くしようという動機が
彼らに共通しているのだろう。
中村哲医師が人々の生活を考えてアフガンで水路を作るようになったのに似ている。
経済学のための経済学には意味がない。

以下、マルクス『資本論』の指摘、

1:23:1
《注75 …もともと経済学は…特に理論的には──しかも極めて大きい成功をもって──ペディ、バーボン、マンデヴィル、ケネーのような医師によって研究された。…》

en1:25

Originally, political economy was …

and with the greatest success, by medical men like Petty, Barbon, Mandeville and Quesnay. 

_____


バーボン@資本論(河出版長谷部文雄訳)

1:1
二 「願望は慾望をふくむ。それは心の食慾であって、飢餓が肉体にとって自然的なのと同じく自然的である。……大多数(の物)は、心の慾望を充たすがゆえにその価値をもつ。」ニコラス・バーボン『新貨幣をより軽く鋳造することにかんする論策、ロック氏の「諸考察」に応答して」、ロンドン、一六九六年、二、三頁。
Things that have their Value by being useful to supply the Wants of the Mind, are all such Things that satisfy Desire, (Desire implies Want; it is the Appetite of the Mind, and as natural as Hunger to the Body:) such are all those Things that are any ways useful to satisfy the Mind, by contributing to the Ease, Pleasure, or Pomp of Life.


三 「物は、ある内在的な特長(vertue──これは、バーボンにあっては、使用価値をあらわす独自の言葉である)を有する。すなわち物は、あらゆる場所において、同じ特長を有する。たとえば、磁石は鉄を吸引すというように。」(前掲書、六頁。)鉄を吸引するという磁石の属性は、それに媒介されて磁極性が発見されたとき、はじめて有用となった。

七 「いかなる物も内在的な交換価値をもちえない。」(N・バーボン『新貨幣をより軽く鋳造することにかんする論策』、六頁。)あるいは、バトラーがいうように、──「ある物の価値は、ちょうど、それがもたらすであろうだけのものである。」

〔42〕あるいは、老バーボンがいうように、「交換価値の大いさが等しければ、ある種類の商品は、他の種類の商品と同じものである。同等な大いさの交換価値をもつ諸物のあいだには、何らの差異も区別も実存しない。」

八 …ポンドの価値ある鉛または鉄は、一〇〇ポンドの価値ある銀および金と、同等な大いさの交換価値をもつ。」〕(N・バーボン、前掲書、五三頁および七頁。)

1:3:2:c
八五 金銀は、鋳貨としては、あるいは流通手段としての排他的機能においては、それじしんの章標となる、ということからして、ニコラス・バーボンは、「貨幣の価値を高める」政府の権利、すなわち例えば、グロシェンと名づけられたある分量の銀に、ターレルというようなより多量の銀の称呼を与え、かくして、ターレルのかわりにグロシェンを債権者たちに償還する政府の権利を導きだした。「貨幣はたびたび人から人に支払われてゆくことによって、消耗して軽くなる。……人々が取引において気にするのは、貨幣の称呼と通用とであって、銀の量ではない。……金属を貨幣たらしめるものは、金属にたいする国家権力である」と。(N・バーボン『新貨幣をより軽く鋳造することにかんする論策』、二九、三〇、二五頁。)

1:3:3:c
一〇九 …「……鋳造貨幣の輸出は、その廉価によってひきおこされているのであり、貿易逆調の結果ではなく原因である」というリカードの誤ったドグマは、それゆえに、すでにバーボンにおいて見いだされる、──「貿易の差額なるものは、もしそうしたものがあるとしても、貨幣が一国から輸出される原因ではない。むしろこの輸出は、各国における地金の価値の相違から生ずる」と。(N・バーボン『新貨幣をより軽く鋳造することにかんする論策』、五九、六〇頁。)…

一一二 「為替相場は毎週騰落するのであって、一年のうち、特定の時期には一国民にとり逆高となり、他の時期には順高となる。」(N・バーボン『新貨幣をより軽く鋳造することにかんする論策』、三九頁。)

 
1:23:1
七五 …もともと経済学は、ホッブス、ロック、ヒュームのような哲学者や、トマス・モーア、テンブル、シュリー、ド・ヴィット、ノース、ロー、ヴァンダリント、カンティヨン、フランクリンのような実業家や政治家によって研究され、特に理論的には──しかも極めて大きい成功をもって──ペディ、バーボン、マンデヴィル、ケネーのような医師によって研究された。…

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ニコラス・バーボンNicholas Barbon、フルネーム:Nicholas Unless-Jesus-Christ-Had-Died-For-Thee-Thou-Hadst-Been-Damned Barbon[1]1640年 - 1698年)は、イギリス経済学者医師、金融投機家である。重商主義者であり、自由市場の最初の支持者の一人とされる。世界初の火災保険会社の創設者としても著名である。

政治経済学分野における著作は、古典派経済学の基礎の発展に貢献した。

Apology for the Builder; or, A Discourse Showing the Cause and Effects of the Increase of Building(1685年)
A Discourse of Trade(1690年)
久保芳和訳「交易論」『交易論・東インド貿易論 初期イギリス経済学古典選集 2』、1966年、東京大学出版会
A Discourse Concerning Coining the New Money Lighter(1696年)   

A discourse concerning coining the new money lighter in answer to Mr. Lock's Considerations about raising the value of money / by Nicholas Barbon, Esq.
http://quod.lib.umich.edu/e/eebo/A30882.0001.001?view=toc





 各国語版へのリンク 
英語版のテキスト (本訳文の原本)

Economic Manuscripts: Capital Vol. I - Chapter One
2. “Desire implies want, it is the appetite of the mind, and as natural as hunger to the body... The greatest number (of things) have their value from supplying the wants of the mind.” Nicholas Barbon: “A Discourse Concerning Coining the New Money Lighter. In Answer to Mr. Locke’s Considerations, &c.”, London, 1696, pp. 2, 3.


4. 『資本論』第1章第1節第9段落本文では、 
① 「かの老バーボンが言っているように、“一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、
他の商品と同じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、
少しの相違または差別がない(注8)。”」つまり、
 A:諸商品は、交換価値が同一ならば、同じだけのもので、相違・差別がない
  そして、バーボン(注8)では、
② 「一商品種は、もし価値が同一であるならば、他の商品種と同じものである。
 同一価値の物には相違も差別も存しない。・・・100ポンドの価値のある鉛または鉄は、
 100ポンドの価値ある銀や金と同一の大いさの交換価値をもっている」つまり、
 B:諸商品は、価値が同一ならば、相違・差別がなく、同じものである。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラス・バーボン
Nicholas Barbon

ニコラス・バーボンNicholas Barbon、フルネーム:Nicholas Unless-Jesus-Christ-Had-Died-For-Thee-Thou-Hadst-Been-Damned Barbon[1]1640年 - 1698年)は、イギリス経済学者医師、金融投機家である。重商主義者であり、自由市場の最初の支持者の一人とされる。世界初の火災保険会社の創設者としても著名である。

経歴[ソースを編集]

1640年頃ロンドンで、おそらくプレイズ=ゴッド・バーボンの息子として生まれ、ライデン医学を学んだ。1661年にユトレヒトでM.D.(Doctor of Medicine、医師)の学位を得た後にロンドンに戻り、1664年には内科医師会に名誉あるフェローとして認められた。1666年のロンドン大火が起こると、ロンドンの再建復興に尽力。火災保険の必要性を主張し、大火の翌年1667年から事業を始めた。1680年、バーボンの火災保険引受会社はロンドン初の消防隊を組織した。1690年と1695年には、ウェスト・サセックスブランバー選挙区から下院議員に選ばれた。[2]

ジョン・アスギルと共にLand Bank(土地銀行)を設立し、同時代の記録によるとこの事業はかなりの成功を収め、1696年にジョン・ブリスコーの土地銀行と合併した。

主著[ソースを編集]

Discourse of trade, 1905

政治経済学分野における著作は、古典派経済学の基礎の発展に貢献した。

  • Apology for the Builder; or, A Discourse Showing the Cause and Effects of the Increase of Building(1685年)
  • A Discourse of Trade(1690年)
    久保芳和訳「交易論」『交易論・東インド貿易論 初期イギリス経済学古典選集 2』、1966年、東京大学出版会
  • A Discourse Concerning Coining the New Money Lighter(1696年)

外部リンク[ソースを編集]

注釈[ソースを編集]

  1. ^ Letwin, William. The Origins of Scientific Economics. London: Routledge, 2003. p. 48.
  2. ^ London Fire Brigade”. 2007年10月27日閲覧。


血液循環説(けつえきじゅんかんせつ、theory of the circulation of the blood)とは「血液心臓から出て、動脈経由で身体の各部を経て、静脈経由で再び心臓へ戻る」という説。1628年ウイリアム・ハーベーによって唱えられた。

概要編集

当説は現代医学では循環器学の事実として知られているが、この仕組みは長きにわたって人類に知られていなかった。

かつて古代ギリシアガレノスが、現在とは異なる内容の生理学理論を纏め上げた。その影響で1600年代初頭の段階でも

  • 通気系 - 空気由来の動脈血を全身に運ぶ血管
  • 栄養配分系 - 栄養を運ぶ血管系

と2系統に分けて考えられていた。肝臓で発生した血液は人体各部まで移動し、そこで消費されるとされ、循環は想定されていなかった。

ウイリアム・ハーベー(William Harvey1578年-1657年)は、血管を流れる大量の血液が肝臓で作られてはいないだろうと睨み「血液の系統は一つで、血液は循環している」との仮説を立てた。この仮説が正しければ、血管のある部分では血液は専ら一方向に流れるはずであり、ハーベーは腕を固く縛る実験でそれを確認した。

1628年、ハーベーは『動物における血液と心臓の運動について』 (Exercitatio anatomica de motu cordis et sanguinis in animalibus) において血液循環説を発表した。発表当時これは激しい論争の的となり、1649年に反論に対する再反論の冊子をハーベーが発行した。その後血液循環説は多くの人々によって様々に実験・検証され、その正しさは次第に受け入れられていく。また、この血液循環説が後に心臓血圧の正しい理解へと繋がった。

関連項目編集



http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/%82%8Eakazawa98.html

あきらかにされた血液


 循環の理論を、正しく理解していました。体内を血液が循環していくように、有機

 体として生きているわれわれの社会の経済もまた、大きな規模での循環をおこなっ

 ているにちがいありません。静脈と動脈が違う方向に血液を流すように、経済では、

 支出と収入とによって違う方向に流れていく価値(これはもう一八世紀の話ですか

 ら、当然貨幣で換算されるようになっています)の総循環が、有機体の生命を維持

 していくための「再生産」をおこない、その過程の中から過剰分としての純益が生

 じて、富は増えていきます。


  ケネーは経済の流通を血液として生きる社会が、自分自身を維持(再生産)しな

 がら富を増殖していくプロセスの秘密を知ろうとしました。ケネーは貨幣そのもの

 は富の本体でないことを、よく知っていました。貨幣がいくら増えても、社会の実

 際の富は少しも増えないのです。それに商人が自分のもっている商品を実際よりも

 高い値段で売ったからといって、それで社会全体の富が増えるということもありま

 せん。こっちで得をする人があれば、向こうでは損をした人が出て、結局差し引き

 ゼロで富の増殖はおこっていません。


  職人や工業労働者の仕事も富を増やさない、というのがケネーの考えでした。そ

 の仕事は労働を投入して、モノを別の形をしたモノに変形するだけで、実質的な増

 殖がおこっていないという考えです。ケネーの考える「増殖」は、実際にモノの価

 値や量が増えなければ意味はないのです。


ロックバーボン価値論争

 ・・・ラウンズ氏の最近の報告書『銀鋳貨の改善に関する一試論』における
   この問題に関する氏の論説が、詳しく検討されている。・・・
1. 「 銀は、世界のあらゆる文明化され交易を営んでいる地域における。商業の道具であり尺度である。
 それはその内在的価値によって商業の道具となる。 貨幣とみなされる銀の内在的価値〔intrinsick value〕は、
一般的同意が銀に与えるその評価にあり、それによって銀は他のあらゆる事物に対して等価物になり、
その結果それは、人々が高価な代償を払って購入したり手離したりしようとする他の諸物品と交換に授受する
普遍的交易品または交換手段(Exchange)となる。かくして賢者が言うように、貨幣は万能である。
2. 銀は、その内在的価値の尺度でもあるその量目によって商業の尺度となる。
かりに銀1グレインがそのなかに或る内在的価値をもっているとすれば、
銀2グレインはその2倍の内在的価値をもち、3グレインは3倍、等々の比例的な〔proportionably〕
内在的価値をもつ。このことはわれわれが通常の売買において日常経験していることである。・・・

3. それゆえある量の銀は、等量の銀に対してつねに等しい価値があることは明らかである。
こうしたことは、市場が教えてくれるばかりでなく、常識的に知っていることである。
というのは銀はすべて同じ性質と品位をもち、質の上ではまったく同じであるので、
同じ量の中に同一の価値がないことはありえないからである。・・・
商業のこの尺度、すなわち銀の量によって、人々は他のあらゆる物品の価値をはかる。したがって小麦に対する
鉛の価値、ならびにある特定の麻布に対する小麦と鉛のそれぞれの価値をはかるためには、
それで各々の物品が評価され、それと交換に売られる、銀の量だけはぜひとも知られていなければならない。・・・

『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策、ロック氏の「考察」に答えて』
(以下、『再考察』と省略)

ジョン・ロックのラウンズ批判論文『再考察』に対して、翌96年、バーボンが『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする
論策、ロック氏の「考察」に答えて』を刊行して、論戦に参加した。ここで、バーボンの人物像となる特異な
経済・貨幣理論の持論をまえもって、紹介しておこう。1690年にバーボンは著書『交易論』を刊行していたが、
この著書は、ロックの「銀貨幣の内在的価値理論」との対比がとてもよく浮き上がってくるのである。

Ⅰ. バーボン『交易論』 A Discourse of Trade 1690年
1. 交易Trade および交易の資材 Stock ないし商品 Wares について
2. 商品の量と質について Of the Quantity and Quality of Wares
3. 商品の価値と価格について Of the Value and Price of Wares
4. 貨幣、信用および利子に」ついて Of Money, Credit and Interest
5. 交易の役目と便益について Of the Use and Benefit of Trade
6. 交易を促進する主要な諸原因について Of the Chief Causes that Promote Trade
7. イングランドにおける交易の衰退・および地代の下落・の主要な原因について
 以上7つのテーマによって、バーボンの持論が展開されている。
 ここでは、ロックに反対する論点を支えているバーボン理論について提示しよう。

1. 交易とは財を造ること、および一種の財を他種の財と引替えに売ること、をいう。
2. すべての商品の量は度量衡によって知られる。度量衡は国々によって確立されたものであり、
 それが交易に害を与えることはない。
 交易業者はかれが取引する土地の価格について用いられている度量衡を承知している。

3.-1. 商品の価値とすべての商品の価値はその有用性 Use から生ずる。有用性を欠くものは、
英語の言いまわしでいえば、それらは役に立たない They are good for nothing から、価値をもたないのである。
物の有用性は人間の欲望 Wants と必要をみたすにある。人類がうまれながらにしてもっている欲望には
二つの一般的欲望がある。身体上の欲望と精神上の欲望とがこれである。これら二つの必要をみたすうえで、
地球上のすべての物は有用となり、したがって価値をもつのである。・・・希少であって獲得するのが難しい物は、
栄誉の一般的象徴である。このような有用性から、真珠、ダイヤモンド、宝石はその価値をもつのである。
希少な物が栄誉の適当なしるしであるのは、困難な物を獲得することは栄誉だからである。

3.-2. 商品の価値は現在の価値である。そしてそれは、商品に対する必要 occasions または需要 use を、
その必要に役立つべき分量でもって計算することによって生ずる。なぜなら物の価値はその有用性に
依存するので、使用しきれないほどに存在する商品の過剰分は無価値となるからである。
だから必要に比しての豊富Plentyは、物を廉価cheapにし、希少Scarcityは物を高価dearにする。

3.-3. 交易の財としての如何なる物にも、固定した価格または価値なるものはない。
地球上の動植物は天の力に左右されるのもであって、それは時には悪疫、飢饉、凶荒を生み、
時には大豊作を生む。それゆえに、物の価値はこれに従って変動せざるをえない。
さらに、大抵の物の有用性は、身体の必要をではなくて、精神上の欲望をみたすことにあり、
しかもこれらの欲望も、大部分は想像より生ずるものであるから、人の心が変化すれば、
物は有用Useでなくなり、したがってその価値Valueを失う。

4.-1. 貨幣、信用および利子について
「貨幣とは法律によって作られた価値である。そしてその価値の差異は刻印と鋳貨の大いさによって知られる。
貨幣の効用Useの一つは、これによって他のすべての物thingsの価値が計算されるところの、
価値の尺度たる点にある。例えば、或る物の価値が表現される時、それはこれこれのシリング、
これこれのポンドの値打ちworthがあるといわれる場合のように。
4.-2. 貨幣のもう一つの効用は、それが他のすべての物の価値に対する代替物または担保たる点にある。
この理由から、貨幣の価値は法律によって確定されねばならず、そうでなければあらゆる物の価値に
対する一定の尺度とされることもできなければ、またこれに対する交換物とされることもできない。
4.-3. 貨幣が金または銀でもってつくられねばならないということは、絶対的に必要だというわけではない。
なぜなら貨幣の価値はもっぱら法律から生ずるのであるから、刻印が押される金属が何であるかは
重要ではないからである。

5.-1.  交易の役目Useと便益Benefitについて
「交易の役目は、必要品、すなわち生活の維持、防衛、安易、快楽および栄華のために役立つものを、
造ったり調えたりすることにある。
5.-2. 交易によって、一国の自然的資材は改善され、羊毛や亜麻は布に、皮革は皮製品に、仕上げられ、
木材、鉛、鉄、錫は加工されて多数の有用品となる。これら商品のうち使用されない剰余分は、
商人によって輸送され、ぶどう酒、オリーブ油、香料その他外国産の有用なすべてのものと交換される。
5.-3. 交易は土地の賃料を高めるものである。なぜなら各種の改良を施すことによって、
土地は一層大きな自然的資財natural Stockを生み、これによって地主の分け前は一層大きなものとなる
からである。地主の分け前が貨幣で支払われても、財で支払われても、同じことである。
そのような財を買うためには貨幣が支出されなければならないからである。
5.-4. 貨幣は交換の便宜のために、法律によってつくられた架空の〔仮想の〕価値 an Immaginary Value である。
 真実の価値であり、地代たるものは、自然的資財Natural Stockである。」

こうして、バーボン特有の思想と価値理論が示されている。
これらが背景となって、ロックの「価値と貨幣理論」への反論がなされたのである。
では、いよいよバーボンの『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策、
ロック氏の「考察」に答えて』1696年(以下、「論策」と省略する)を開いてみよう。


Ⅱ. 
バーボン『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策、
  ロック氏の「考察」に答えて』
 A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter. 
   IN Answer to Mr. Lock's Considerations about raising the Value of Money.1696年

 この「論策」は、日本語翻訳がなされていないこと、古い時代の英語ということもあり、
『資本論』のロック-バーボン論争に直接かかわる文脈を抄訳して紹介する。
最後尾に、訳出個所関連の英文を添付したので、必要に応じて参照してください。

1. 新貨幣の改鋳をめぐって、ラウンズ氏の提案とロック氏の批判論文とが、公開討議されている。
古い従来の標準で新貨幣を鋳造するというロック氏に対して、
「新貨幣は、1オンスの銀の価値が騰貴したのだから、これまでのように5シリング2ペンスにではなく、
6シリング3ペンスに鋳造しなければならない」と同様にラウンズ報告を支持。
2. ロック氏は、銀貨幣はその内在価値によって商業の道具であり、尺度であると主張する。
 物の価値は、銀の量によって、その内在的価値による、などと主張している。
3. これらの命題を証明するために、以下の検討が必要である。
① 物品の豊かさ・富 Richesと価値Valueについて
② 貨幣と鋳造硬貨の額面the Par of the Several Coinsについて
③ 交易の収支バランスBalanceと外国為替Foreign Exchangeについて
④ 貨幣価値を上げること、その根拠と影響について

4. 豊かさ・富 Richesによって、物品には大きな価値Valueがある。
価値Valueは、物品の価格Priceで理解され、つまり、物品が売られる値打ちworth にある。
5. 物品の価値Value は、それらの有用性から生じる。有用性のない物には、価値はなく、
英語の言いまわしでは、それらは役に立たない。(p.2)
6. 「願望をもつということは欲望を含んでいる。それは精神の食欲である。そして身体にたいする
飢餓と同じように自然的のものである。・・・大多数(の物)が価値 Value を有するのは、
それが精神の欲望を充足させるからである」(p.2)
(『資本論』注2で引用)
7. 価値 Value は、物の価格である。それは、固定した確かさはない。
なぜなら、"時とところにしたがって同じ価値ではなく"、それゆえどんなものも、
内在的な価値 an Intrinsick Value を持つことはできない。(p.6)
(『資本論』注7で引用)
8. しかし、物は内在的な特性をもっている。物の特性はどこにおいても同じ特性をもっている。
例えば、天然磁石は、どこにおいても鉄を引きつける。(p.6)
(『資本論』注3で引用)

9. バーボン本文の7ページから8ページに、
「等しい価値 equal valueの物には、相違や差別はない、
それは、一商品は同じ価値 the same Valueの他の物とは、同じ as good asである。
100ポンドの価値 worth のある鉛または鉄は、100ポンドの価値ある銀または
金と同じ大いさの交換価値〔Value : 価値〕である。
(『資本論』注8で引用されているが、次の文章が連続していることに注意が必要である。) 
100ポンドの価値ある穀物または畜牛〔Cattel:cattle〕は、手もとにある100ポンドの貨幣と同じように
豊かさ Rich である、なぜなら彼の穀物と畜牛はすぐに多くの貨幣に換えられるからである。
そして、商人や交易業者はいつでも多くの貨幣を商品とに換えている、なぜなら彼らは、
貨幣よりも商品の交換によってより多くを得ることができる。
すなわち、
それらの商品が希少なところにそれらを輸送することによって、または商品の形状を変えたりして、
さらに多くの有用となり、それゆえにより多くの価値Valueが作られるのである
。(p.8)

10.  さて、今もしすべての物品の価値がその有用性から生じるとすれば、
豊富さと希少性は商品を高価にしたり、安価にする。もし銀がいくつもの需要usesの商品であるならば、
そして他の場所よりその地域でより多くあるとすれば、その時、銀は固定した確かなまたは
内在的な価値もつことはできない、ということになる。そしてもし銀が不確かな価値であるとしたら、
その時、商業と運送業の道具には決してならないであろう。なぜならば、それ自身の価値が不確かであり、
他の価値の確かな尺度であることができないから。(p.8)

11. 交易の収支バランスBalance と外国為替 Foreign Exchangeについて p.53
「外国との交易による勘定の収支バランスに、貨幣で支払われるということにはならないであろう。
なぜなら、もし収支バランスが価値 Value によって支払われるならば、
その価値が支払われる物品にとって何の問題もない。というのは、もし一商品は、
もしその価値 Value が等しければ if the value be equal、他の商品と同じもの as good asである。
100ポンドの価値 worthのある鉛または鉄は、100ポンドある銀または金と同じものである。」
(「というのは、・・・他の商品と同じものである」までが、『資本論』(注8)に引用されている)

第5章 
『資本論』 ロック-バーボン論争の「価値 Value」 について

 以上、ロック-ラウンズ・バーボン論争をたどってくることにより、
『資本論』の対話篇が目指してきた論点が初めて浮かび上がってきた。

1. ロックの価値Value は、内在的価値 Intrisick Value を示しているが、
バーボンの価値は、有用性から発するものが価値 Value であること。
2. 『資本論』第1章第1節のバーボン(注8)では、バーボン原本7ページの「等しい価値 equal valueの物には、
相違や差別はない、それは、一商品は同じ価値 the same Valueの他の物とは、
同じ as good asである。」を外して、53ページの「もし一商品は、もしその価値 Value が
等しければ if the value be equal、他の商品と同じもの as good asである。」と差し替えている。

3. 差し替えられた個所の違いは、「同じ価値 the same Value 」を
「価値が等しければ the value be equal 」の具合で、「same」と「equal」の差替えである。
  
ame : 同一物の意味合いが強い
  
equal : 同一物ではないが、数量・大きさなどの点で等しい

4. 『資本論』第1章第1節第9段落本文では、 
① 「かの老バーボンが言っているように、"一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、
他の商品と同じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、
少しの相違または差別がない(注8)。"」つまり、
 
A:諸商品は、交換価値が同一ならば、同じだけのもので、相違・差別がない
  そして、バーボン(注8)では、
② 「一商品種は、もし価値が同一であるならば、他の商品種と同じものである。
 同一価値の物には相違も差別も存しない。・・・100ポンドの価値のある鉛または鉄は、
 100ポンドの価値ある銀や金と同一の大いさの交換価値をもっている」つまり、
 
B:諸商品は、価値が同一ならば、相違・差別がなく、同じものである。

③ 本文Aも(注8)Bも同じ結論になってしまっている。
しかし、ロックの「価値」とバーボンの「価値」は違っていることを何度も確認してきた。
これは、一体何が表現されているのだろか?これが、解かれなければならない問題であった。
④ ここで、もう一度本文に戻って、確認してみると、
かの老バーボン云々の直前に「この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の各使用価値と、
それが適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。」という具合に指摘されている。
なんていうことはない。ロックもバーボンも、交換関係の中では
「価値Valueは、ちょうど同じだけのものとなる」性質を有しているとマルクスは指摘しているわけだ。
ただ、どうして「同じだけのもの」になるのだろうか、問いかけをしている。
⑤ ここで思い出されるのは、バーボンの価値は有用性から発してきて、物品の価格が同じになった場合に、
「同じ価値Value」となる。
ロックの価値は、物品に投入された労働量が同じ価格に表示された場合に、「同じ価値」として扱われる。

⑥ しかし、バーボンは意識的にロックの「労働価値説」を避けているのである。
また、ロックのラウンズ批判論文『再考察』では「労働価値説」が正面に据えられて議論されていない。
これに先立つ1691年刊行の『利子の引下げおよび貨幣の価値引上げの諸結果に関する若干の考察』
(1 利子の引上げについて)のなかで、簡潔明瞭に「交易と貨幣の決済」の事例で説明されている。
以下、紹介しょう。
「王国が富裕になったり貧困になったりするのは、農業経営者の場合とまったく同じであって、
それと異なる方法によるのではない。ポートランド全島を一つの農場と仮定しよう。
そして所有者は自分の家族の生活にあてる分を除いて、市場へ牛、穀物、羊毛、毛織物、鉛および錫、
すなわちポートランドの彼の農場内で産出し、製造されるあらゆる商品を年々1000ポンドの金額まで運ぶとし、
そのかわりに島に塩、ぶどう酒、油、香料、リンネルおよび絹で900ポンド分を、残りの100ポンドを貨幣で
持ち帰ると仮定する。彼は毎年100ポンドずつ豊かになり、したがって10年後には間違いなく、
1000ポンドを所有するようになることは明白である。もし所有者がいっそう優秀な経営者で、彼の土地の産物で
間に合わせ、市場でぶどう酒、香料、絹を買うのを少しひかえて、年々500ポンドの貨幣を島にもたらすとすれば、
10年後にはかれは、1000ポンドではなく、5000ポンドを手元に所有し、それだけいっそう豊かになるであろう。」

 ここには、簡潔に労働生産物と貨幣の価値関係が説明されている。ロックの「価値Value」は、
投下された労働による生産物商品と、交換を媒介する貨幣に共通して存在している「交換価値」が
仲立ちをしていることが明白となっている。

⑦ バーボンの「価値Value」は、「物品の有用性が評価され、交易や市場で、物品の価格が同じになった場合に、
 同じ"価値Value"と呼ばれる」ことになっている。
 物品の「価値Value」は価格表示が同じ数値にあるときに、"同じもの"となる。
 諸商品は、同一価値の物であるとき、"同じもの"となる。

  ・・・・・ ・・・
        こうして、ロックとバーボンの「価値Value」をめぐる巨人たちの戦い
 (巨人ギガスたちとオリュンポスの神々の大戦)が、17世紀末から19世紀前半にいたるまで、
   イギリスの政界、財界でラウンズ報告の延長の激しい論戦が繰り広げられてきた。
   また21世紀の日本では、「通貨の番人」である日本銀行が、自国の通貨価値を下げて
   円安に誘導する"新時代"を迎え、黒い貨幣・アンフェアunfair時代となった。
   ・・・21世紀の日本でも、『資本論』続編の価値論戦が始まったのである。
     私たちも『資本論』入門5月号で、探索を続けてゆこう。 
  <番外編>
   週刊エコノミスト(毎日新聞出版)、4月19日号で、
  「識者7人が採点 黒田日銀3年の評価」を行っている。各人各様の採点。
  伊藤隆敏氏100点、浜田宏一氏85点、柳川範之氏75点、
  そして、0点と手厳しかった 浜 矩子(はまのりこ)氏の見解を紹介しよう。
 ・・・・ ・・・
 
どうしても、結論をお急ぎの場合、以下参照しながらご検討ください
 
⑧ 貨幣の尺度単位について
   『資本論』第3章 貨幣または商品流通

 一物財の名称は、その性質にとっては全く外的なものである。
私は、かりにある人がヤコブスということを知っても、その人間についてなんら知ることにはならない。
これと同様に、ポンド、ターレル、フラン、ドゥカート等々の貨幣名において、
価値関係のあらゆる痕跡は消えている。
このような秘教的な標章の秘儀にかんする混乱は、貨幣名が商品の価値を、そして同時にある金属 
重量の、すなわち、貨幣尺度標準の加除部分を表現するだけに、ますます大きくなっている。

   カール・マルクス『経済学批判』 貨幣の尺度単位に関する諸理論(注62)
「鋳造価格」を引き上げたり、または引き下げたりしようという妄想、
それは、法的に確定された金または銀の重量部分にたいする法的貨幣名を、
国家の力で、より多量のまたはより少量の重量部分に写し、
これによって例えば4分の1オンスの金を20シリングとするかわりに、
将来40シリングに鋳造しようということになるのであるが、
― このような妄想は、それが国家債権者にたいする拙劣な財政操作でなく、
経済学的「奇跡治療」を企てるかぎりにおいては、
ペティが、『貨幣漫筆、ロード・マーキス・オブ・ハリファックスへ』(1682年)において論じつくしている。
・・・「一国の富が、一つの法令によって10倍にされうるようなことがあるならば、こんな法令が、
わが政府によって、すでにはるか以前に発布されなかったことは、おかしなことである」(同上)

<<付属資料>>
バーボン原文抄訳
『新貨幣をより軽く改鋳することにかんする論策、ロック氏の「考察」に答えて』
A DISCOURSE Concerning Coining the New Money lighter. IN Answer to Mr. Lock's Considerations 
about raising the Value of Money.1696年

1. All the Arguments in Mr. Lock's Book against the raising the Value of Money,
are drawn from this single Supposition, that there is 
an Intrinsick Value in Silver,
which is the Price or Estimate that Common Consent hath placed on it, by which it comes 
it be the Measure of the Value of all other Things: which, if that should not be true,
then all his Consequences must be mistaken.
And to prove that he is so, It will be necessary to discourse of RICHES in general, 
and shew how the Value of Things do arise.

2. 
By Riches, is meant all such Things as are of great Value.
 By Value, is to be understood the Price of Things; that is, what any thing is worth to be sold:   
 according to the old Maxim, Valet quantum vendi potest.
The Value of all Things, arise from their Use.
Things of no Use, are of no Value; as the English Phrase is, They are good for nothing.


3. There are two general Uses by which all Things have a Value : 
They are either useful to supply the Wants of the Body, or the Wants of the Mind.
Things that have a
 Value from being necessary to supply the Wants of the Body, 
are all such Things as are useful to support Life, such as all sorts of Food and Physick.
Things that have their Value by being useful to supply the Wants of the Mind
are all such Things that satisfy Desire, (Desire implies Want; it is the Appetite of the Mind,
and as natural as Hunger to the Body:) such are all those Things that are 
any ways useful to satisfy the Mind, by contributing to the Ease, Pleasure, or Pomp of Life. (p.3)

4. Things that supply the Wants of the Body, and support Life, may be accounted to have a real 
and natural value : They are at all times and in all places of value ; and if any things could have
an Intrinsick Value in themselves, they would be Cattel and Corn ; and  
therefore in Ancient times
the computation of Riches was by the number of Cattel, according to the saying,
Pauperis ust numerare pecus. (p.4)

5. Value is only the Price of Things: That can never be certain, because it must be then 
at all times, and in all places, of the same Value; therefore nothing can have an Intrinsic Value.

But Things have an 
Intrinsic Vertue in themselves, which in all places have the same Vertue
as the Loadstone to attract Iron, and the several qualities that belong to Herbs,
and Drugs, some Purgative, some Diuretical,&s. ( p.6 )

6. (p.7)
 
There is no difference or distinction in things of equal Value 
That is , one Commodity is as good as another that's of
 the same Value
An Hundred Pounds worth of Lead or Iron, is of as great a value as an Hundred Pound worth of Silver or Gold :
And an Hundred Pounds worth of course Cloth is of as great a value as an Hundred Pounds worth of fine.
The Man is as Rich that has an Hundred Pounds worth of Corn or Cattel 〔cattle:畜牛〕, 
as he that has an Hundred Pounds in Money by him, for his Corn and his Cattel may be Merchant 
and Trader are always changing their Money for Commodities, because they can get more 
by Transporting of them where such Commodities are most scarce, or else
by changing the shapes of them, 
by which they are made more Useful, and thereby of more Value.

Now if the Value of all things arise from their use
 : If Plenty or Scarcity makes things Dear or
Cheap : If Silver be a Commodity for several uses , and more plentiful in some places than
in others ; then it must necessarily follow, that Silver be of an 
uncertain Value
then it can never be the Instrument of Commerce and Traffic :
For, that which it 
uncertain in its own Value, can never be a certain Measure of another Value. (p.8)

7. 
・・・yet it will not follow that the Balance of the Account must be paid in money. 
For 
One sort of wares are as good as another, if the Values be equal. 
An hundred pounds worth of Lead or Iron, is as good as an hundred pounds worth of Silver or Gold. (p.53)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




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3 Comments:

Blogger yoji said...


http://members.jcom.home.ne.jp/matumoto-t/%82%8Eakazawa98.html
あきらかにされた血液

 循環の理論を、正しく理解していました。体内を血液が循環していくように、有機

 体として生きているわれわれの社会の経済もまた、大きな規模での循環をおこなっ

 ているにちがいありません。静脈と動脈が違う方向に血液を流すように、経済では、

 支出と収入とによって違う方向に流れていく価値(これはもう一八世紀の話ですか

 ら、当然貨幣で換算されるようになっています)の総循環が、有機体の生命を維持

 していくための「再生産」をおこない、その過程の中から過剰分としての純益が生

 じて、富は増えていきます。

  ケネーは経済の流通を血液として生きる社会が、自分自身を維持(再生産)しな

 がら富を増殖していくプロセスの秘密を知ろうとしました。ケネーは貨幣そのもの

 は富の本体でないことを、よく知っていました。貨幣がいくら増えても、社会の実

 際の富は少しも増えないのです。それに商人が自分のもっている商品を実際よりも

 高い値段で売ったからといって、それで社会全体の富が増えるということもありま

 せん。こっちで得をする人があれば、向こうでは損をした人が出て、結局差し引き

 ゼロで富の増殖はおこっていません。

  職人や工業労働者の仕事も富を増やさない、というのがケネーの考えでした。そ

 の仕事は労働を投入して、モノを別の形をしたモノに変形するだけで、実質的な増

 殖がおこっていないという考えです。ケネーの考える「増殖」は、実際にモノの価

 値や量が増えなければ意味はないのです。

11:47 午後  
Blogger yoji said...

NAMs出版プロジェクト: 『これからの経済学』日本評論社:書評 ...
nam-students.blogspot.jp/2015/.../20150907-1600-httpwww.h...
吉川洋☆の初期経済学者ペティとケネーが外科医だったという話は面白い。経済の循環 を血液の循環のアナロジーとして把握することが有効な時代が確かにあった(吉川「経済 がないと経済学はない」は名言。図解された学説史の貧弱さがわかる)。 ピケティとの ...

11:48 午後  
Blogger yoji said...

政治経済学分野における著作は、古典派経済学の基礎の発展に貢献した。

Apology for the Builder; or, A Discourse Showing the Cause and Effects of the Increase of Building(1685年)

A Discourse of Trade(1690年)
久保芳和訳「交易論」『交易論・東インド貿易論 初期イギリス経済学古典選集 2』、1966年、東京大学出版会

A Discourse Concerning Coining the New Money Lighter(1696年)

12:27 午前  

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