月曜日, 7月 18, 2016

マルサス@資本論




資本論1:22:3
四一 …諸君は一度、スピノザの規定は否定であるという言葉について沈思してみるがよい。

マルクスはマルサスを批判しているが学んでもいる。三大階級(ブルジョア経済学の三位一体)もマルサスを踏襲している(岩波新上63頁)。有効需要の認識においてケインズに近づく。カレツキのように資本家-投資家-労働者という区分であるべきだった。

トマス・ロバート・マルサス - Wikipedia

ja.wikipedia.org/wiki/トマス・ロバート・マルサス

トマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus、1766年2月14日 - 1834年12月 23日)は、イングランドのサリー州ウットン出身の経済学者。古典派経済学を代表する 経済学者で、過少消費説、有効需要論を唱えた人物として知られる。



マルサス@資本論

1:7:1
二六a 「充用固定資本の価値を投下資本の一部分として計算するならば、われわれは、その年度末におけるこうした資本の残存価値を、年収入の一部分として計算しなければならない。」(マルサス『経済学原理』、第二版、ロンドン、一八三六年、二六九頁。)

th5:1
The reader will be aware that if we reckon the value of the fixed capital employed as a part of the advances, we must reckon the remaining value of such capital at the end of the year as a part of the annual returns. 

旧下89頁
初版にはない

1:10
「生活必需品の価格は、事実上、労働の生産費である。」(マルサス『地代の……研究』、ロンドン、一八一五年、四八頁注。)
The price of the necessaries of life is, in fact, the cost of producing labour. 

An inquiry into the nature and progress of rent, and the principles by which it is regulated : Malthus, T. R. (Thomas Robert), 1766-1834 : Free Download & Streaming : Internet Archive 1815

1:12:4
五一 サー・ジェームズ・ステュアートはこの点を最もよく論じている。『諸国民の富』の一〇年前にでた彼の著作が今日ひとに知られることのいかに少ないかは、なかんずく次ぎのことから分かる、──すなわち、マルサスはその「人口」にかんする著述の第一版では、純粋に演説口調の部分は別として、坊主のウォレスとタウンセンドとを除けばほとんどもっぱらステュアートを剽窃しているということを、マルサス讃美者たちはちっとも知らないということ、これである。

1:13:10
三二五 …リービヒはつけ加えていう、──「この法則はJ・S・ミルにより、彼の『経済学原理』第一巻一七頁で初めてつぎのようにいい表わされている、『土地の収益は、他の事情が同じならば、使用労働者数の増加にくらべ漸減的な割合で増加する』──(ミル氏はむしろ、リむしろ、リカード学派の法則を誤った形式で反復しているのだ、…)…」
総じて剽窃の大家たるマルサス(彼の人口論全体が破廉恥な剽窃である)が一八一五年にわがものとしたものであり、…

1:15:4
一五 「穀物と労働と〔の価格〕がまったく並行することは滅多にない。だが、それ以上にはそれらが引離されえない明白な限界がある。高物価時代──これは証言(すなわち一八一四─一八一五年の議会調査委員会での)で注意されている賃銀下落を生みだす──における労働階級によってなされる異常な刻苦精励についていえば、それは、個々人においては最も賞すべきことであり、また確かに資本の増大に好都合である。だが、人道をわきまえる何びとも、それをそのまま何時までも続けさせたいとは願わないであろう。それは一時的救済策としては極めて賞讃に値することである。だが、それが絶えず行なわれるならば、一国の人口がその食物の極限ぎりぎりのところまで増加したばあいと類似の結果を生ずるであろう。」(マルサス『地代の本性および前進にかんする研究』、ロンドン、一八一五年、四八頁注。)リカードその他はきわめて明白な事実にもかかわらず労働日の不変的大いさを彼らのいっさいの研究の基礎としたのに、マルサスが、彼のパンフレットの他の個所でも直接に言及した労働日延長を強調していることは、たしかにマルサスの名誉である。だが、彼をその奴僕たらしめた保守的利益のために、マルサスは、機械のひじょうな発展と婦人=および児童労働の搾取とを同時にともなう労働日の無制限な延長は──殊に戦争需要およびイギリスの世界市場独占がやむや否や──労働者階級の一大部分を「過剰」ならしめざるをえない、ということを見ることができなかった。この「過剰人口」を、資本制的生産のたんに歴史的な自然法則から説明しないで自然の永遠的法則から説明することは、もちろんはるかに便利であり、また、マルサスがまことに坊主らしく偶像的に崇拝している支配階級の利益にとっては、はるかにふさわしいことであった。

1:19
マルサスは当時、議会によって公けにされた事実にかんして述べた、──「白状するが、私は、個数賃銀の慣行の甚だしい発展を見るのは不快である。一日に一二時間または一四時間、またはもっと長時間にわたる真に激しい労働は、人間たるものにとって過大である」と。〔584〕…
五八 マルサス『地代の本性および前進にかんする研究』、ロンドン、一八一五年〔四九頁注〕。

1:21
三 「労働者に賃銀を前払するために資本が使用されても、それは、労働を維持するための元本に何も附加しない。」(カゼノーヴ編、マルサス著『経済学における諸定義』、ロンドン、一八五三年、二二頁におげる編者注。)
3. ‘When capital is employed in advancing to the workman his wages, it adds nothing to the funds for the maintenance of labour’ (Cazenove, in a note to his edition of Malthus’s Definitions in Political Economy, London, 1853, p. 22).
マルサスの言葉ではない。

一一 「本来の意味での唯一の生産的消費は、再生産のためにする資本家によっての富の消費または破壊(彼は生産手段の消費のことをいっている)である。……労働者……は、彼を使用する個人にとっては・また国家にとっては・生産的消費者であるが、厳密にいえば・彼自身にとっては・そうではない。」(マルサス『諸定義』、三〇頁。)岩波文庫193頁

Def. 59. The only productive consumption, properly so called, is the consumption [259] or destruction of wealth by capitalists with a view to reproduction. This is the only marked line of distinction which can be drawn between productive and unproductive consumption. The workman whom the capitalist employs certainly consumes that part of his wages which he does not save, as revenue, with a view to subsistence and enjoyment; and not as capital, with a view to production. He is a productive consumer to the person who employs him, and to the state, but not, strictly speaking, to himself. Consumption is the great purpose and end of all production. The consumption of wealth, as revenue, with a view to support and enjoyment, is even more necessary and important than the consumption of wealth as capital; but their effects are essentially different in regard to the direct production of wealth, and they ought therefore to be distinguished.

[260]

Definitions in Political Economy - Online Library of Liberty 1827
http://oll.libertyfund.org/titles/malthus-definitions-in-political-economy


1:22:1

 いかにして剰余価値が資本から発生するかは、さきに考察したので、いまやわれわれは、いかにして資本が剰余価値から発生するかを考察しよう。資本としての剰余価値の充用、または、剰余価値の資本への再転化は、資本の蓄積と呼ばれる。 

 二一 「資本の蓄積、──資本としての、収入の一部分の使用。」(マルサス『経済学における諸定義』、カゼノーヴ編、一一頁。)「収入の資本への転化」(マルサス『経済学原理』第二版、ロンドン、一八三六年、三二〇頁)。

 二五 「資本は、利得を目的に使用される蓄積された富である。」(マルサス『原理』。)…

1:22:2

二八 「現在の経済学者で、貯蓄なるものを貨幣蓄蔵の意味にのみ解する者はありえない。そして、この短縮された不充分ないい方は別として、国民的富にかんするこの貯蓄という言葉については、貯蓄されたものの──それによって維持される様々な種類の労働のあいだの現実的差異にもとづく──異なる使用から生ぜざるをえない用法以外には、何らの用法も思いうかべられない。」(マルサス『原理』、三八、三九頁。)

12. “No political economist of the present day can by saving mean mere hoarding: and beyond this contracted and insufficient proceeding, no use of the term in reference to the national wealth can well be imagined, but that which must arise from a different application of what is saved, founded upon a real distinction between the different kinds of labour maintained by it.” (Malthus, l. c., pp. 38, 39.)

th1:2

No political economist of the present day can by saving mean mere hoarding; and beyond this contracted and inefficient proceeding, no use of the [39] term in reference to the national wealth can well be imagined, but that which must arise from a different application of what is saved, founded upon a real distinction between the different kinds of labour maintained by it.

Principles of Political Economy - Online Library of Liberty
http://oll.libertyfund.org/titles/malthus-principles-of-political-economy

岩波文庫旧上61,新上53


1:22:3

資本家の胸を享楽衝動と致富衝動との不幸な衝突から守るために、マルサスは今世紀の二〇年代の初めに一つの分業を弁護したのであるが、その分業というのは、現実に生産にたずさわる資本家には蓄積の仕事を割りあて、剰余価値の分配にあずかる他の人々──土地貴族、国家や教会からの受祿者、など──には浪費の仕事を割りあてるものである。彼はいう、──「支出慾と蓄積慾とを分離させておくこと」がきわめて重要である、と。久しい以前から享楽主義の社交家に転化している資本家諸君はわめき立てた。彼らの代弁者の一人である一リカード学徒は叫んでいった、──マルサス氏が高地代や高税などを説教するのは、不生産的消費者によって絶えず産業家を刺戟させるためである。もちろん、生産、たえず拡大される規模での生産、と標語にはいうが、しかし「生産は、こうしたやり方では促進されるどころか、むしろ妨害される。また、強制的に働かせうるならばその性格から見ておそらく成功的に働くであろう若干の人々を、ただ他人を締めあげるためにのみ怠けさせておくことは、まったく公平でもない」と。

三八 マルサス『原理』、三一九、三二〇頁。 

三九 『最近マルサス氏によって主張された需要の本性および消費の必要にかんする諸原理の研究』、六七頁。

1:23:1

七五 もし読者が、『人口論』を一七九八年に公けにしたマルサスはどうだというのであれば、私は読者に注意する、──この著述は、その最初の形態では、デフォー、サー・ジェームズ・ステュアート、タウンセンド、フランクリン、ウォレス、などからの、幼稚で浅薄な、坊主らしく暗誦的な剽窃いがいの何ものでもないのであって、自分で考え出した命題は一つも含んでいない、と。

 このパンフレットの博した評判はまったく党派的利害のせいであった。フランス革命はすでにイギリス王国で熱情的擁護者を見いだしていた。「人口原理」は一八世紀に徐々に作り上げられ、ついで、一大社会的危機のただ中で、コンドルセーその他の学説にたいする確実解毒剤として鳴りものいりで吹聴されたものであるが、イギリスの寡頭政府によって、人間の進歩発展を求めるあらゆる熱望を根絶する妙薬として歓迎された。その成功にびっくり仰天したマルサスは、そこで、皮相に編集された材料をもとの図式につめこみ、また新たな、しかしマルサスによって発見されたのでなく併呑されたにすぎぬ材料を追加することに、とりかかった。──ついでにいっておく。マルサスは、イギリスの高教会の僧侶ではあったが、前から、独身という修道僧的誓いを立てていた。けだしこれは、新教的ケンブリッヂ大学の校友たる条件の一つである。「われわれは既婚者の校友たるを許さない、また誰でも妻をもてば校友でなくなる。」(『ケンブリッヂ大学委員会報告』、一七二頁。)この事情は、マルサスを有利に、新教の他の僧侶たちから区別する。…


1:25:3(現行1:23:3)
「結婚にかんする賢明な習慣は、主として商工業に依存する国の労働者階級の間でひどく行なわれるならば、その国にとって有害となろう。……特殊的需要によって追加労働者を市場に提供することは、人口の本性上、一六年ないし一八年たつまで不可能であるが、貯蓄による収入の資本への転化は、はるかに迅速に行なわれうる。一国はつねに、その労働元本が人口よりも急速に増加するということに直面する

八一 マルサス『経済学原理』、二五四、三一九、三二〇頁。この著作で、マルサスはついに、シスモンディを媒介として、過剰生産──過剰人口──過剰消費という資本制的生産のうるわしい三位一体を、まことに極めて微妙な三つの怪物を発見した! F・エンゲルス『国民経済学批判大綱』、前出、一〇七頁以下〔ディーツ版『M・E全集』第一巻、五一八頁以下〕参照。
マルサス『経済学原理』岩波新上3:10.350,下7:3.169頁
旧上426,下194頁

Principles of Political Economy - Online Library of Liberty
http://oll.libertyfund.org/titles/malthus-principles-of-political-economy
th3:9
Prudential habits with regard to marriage carried to a considerable extent, among the labouring classes of a country mainly depending upon manufactures and commerce, might injure it. In a country of fertile land, such habits would be the greatest of all conceivable blessings. (216)
(新岩波は「結婚」を訳していない)

th7:3
Mr. Ricardo then adds, “This admission does not impugn the general principle.”* In this last remark I can by no means agree with him. It appears to me most completely to impugn the general principle. Even if we suppose with Mr. Ricardo, what is not true, that an increase of population would certainly remedy the evil; yet as from the nature of a population, an increase of labourers cannot be brought into the market, in consequence of [320] a particular demand, till after the lapse of sixteen or eighteen years, and the conversion of revenue into capital by saving, may take place much more rapidly; a country is always liable to an increase in the quantity of the funds for the maintenance of labour faster than the increase of population. But if, whenever this occurs, there may be an universal glut of commodities, how can it be maintained, as a general position, that capital is never redundant; and that because commodities may retain the same relative values, a glut can only be partial, not general?

2:20:10
〔445〕この意味では、奴隷も──ただし彼は、第三者によって一度きりに商品として売られるのだが──資本家となる。というわけは、この商品・労働奴隷・の本性は、その買手がこれを毎日あらたに労働させるばかりでなく、これにたいし、たえずくりかえし労働しうるための生活手段を与える、ということを伴なうからである。──(これについては、シスモンディおよびセイのマルサスあての書簡を参照せよ。)

参考:
ジャン=バプティスト・セイ (Jean-Baptiste Say)
http://cruel.org/econthought/profiles/say.html
市場についてのセイの法則は、この当時の一般供給過剰論争で経済学者たちを二分させた。セイ自身も議論に加わり、マルサス宛の手紙 (1820) や、ライバルの同郷人 シモンド・ド・シスモンディとの Revue Encyclopédique. における 1824 年の論争などで過少消費理論を罵倒した。


3:1
この推論は、マルサスにならって露骨かつ簡単に「資本家はじぶんの投下する資本のすべての部分に等しい利益を期待する」というとき、さらに大いに短縮されうる。 
 三 マルサス『経済学原理』、第二版、ロンドン、一八三六年、二六七、二六八頁。

The capitalist ... expects an equal profit upon all the parts of the capital which he advances.” [3]

Economic Manuscripts: Capital, Vol.3, Chapter 1
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1894-c3/ch01.htm
“The capitalist ... expects an equal profit upon all the parts of the capital which he advances.” [3]

3. Malthus, Principles of Political Economy, 2nd ed., London, 1836, p. 268.

4. “Capital is that which is expended with a view to profit.” Malthus, Definitions in Political Economy, London, 1827, p. 86.

th5:1
旧下88頁(初版にはない)

3:9
資本の各部分は均等に利潤を生むという──剰余価値の利潤への最初の転形についての──理論的見解(25)は、一つの実際的事実を表現する。
二五 マルサス〔『経済学原理』、第二版、ロンドン、一八三六年、二六八頁〕。