木曜日, 12月 08, 2016

市場の失敗(Wikipedia、八田達夫、ゲーリー・ベッカー)

                 (経済学マルクスリンク::::::::::

市場の失敗(Wikipedia、八田達夫、ゲーリー・ベッカー)

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NAMs出版プロジェクト: 八田達夫『ミクロ経済学 Expressway』:目次
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/expressway.html

NAMs出版プロジェクト: パレート最適:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_82.html

NAMs出版プロジェクト: コースの定理 Coase's theorem
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/coase-theorem.html


市場の失敗 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/市場の失敗

市場の失敗 (しじょうのしっぱい、market failure)とは、市場メカニズムが働いた結果において、パレート最適ではない状態、つまり経済的な「効率性」が達成されていない現象を指す。

概要編集

ある前提の下では、需要供給の均衡によりパレート最適な配分を実現し、安定した経済を形成すると考えられている市場メカニズムは、多くの経済学者から支持を得ている方法である。ただし、人々や企業が利潤を最大化しようと利己主義的に行動(見えざる手)したことで、社会的に望ましくない・最適(パレート最適)ではない結果がもたらされるケースもある[1]。例えば、独占寡占失業公害、貧富や地域格差などの「市場の失敗」が生じる[2]

事例編集

経済学者の八田達夫は市場の失敗は一般的に、1)外部性(外部経済・外部不経済)、2)公共財、3)情報の非対称性、4)規模の経済、の4つの類型があるとしている[3]

経済学者の飯田泰之は市場の失敗は、1)自然独占、2)外部性、3)情報の非対称性、の3つに大別できるとしている[4]

市場の失敗の代表的なものとして、次のようなものが挙げられる。

  • 不完全競争による独占寡占の存在[5]
  • 外部性の存在[5](正の外部性による過少供給、負の外部性による過大供給。例:公害、発明[6]
  • 情報の非対称性の存在[7]
  • 公共財の存在[8]フリーライダーによる過少供給)
  • 失業[6]
  • 市場の欠落[6]
  • 不確実性(リスク回避的な供給者による過少供給)
  • 費用逓減産業の存在[8]。巨大な固定費のかかる産業(電力産業が典型)では供給曲線が右下がりとなる。このような場合、自然独占状態を認め、かつ価格規制を行うことが最適となる。日本では電力産業に事実上の地域独占が認められており、そのかわり、電力価格は国会で決められる公共料金となっている(生産規模の拡大でコストが低下する場合の独占や寡占)

市場の失敗と公平性・社会問題編集

失業貧困犯罪率増加、自殺などの社会問題格差社会の発生は、従来の定義では経済的な「公平性」が達成されていない現象に属し、定義の上からは市場の失敗とは別の分類であるとされた。しかしアマルティア・センらの研究などにより社会的費用の拡張が試みられ失業や貧困などの社会問題が経済成長などに大きく寄与することとなると貧困などの社会問題が市場の失敗と見なされるようになっている。

環境問題として、ダイオキシンアスベストのほか、身近なものとして騒音大気汚染水質汚濁・廃棄物の不法投棄などがある[9]。こうした環境問題は、環境を悪化させた当事者が社会全体のコストを負担せずに済むという「外部性」が存在するため、汚染した当事者が「出し得」となり、環境を改善させようとするインセンティブが働きにくい[9]。これは市場の失敗の典型例であり、市場に任せていては解決が困難な問題の典型例である[9]

識者の見解編集

市場の失敗について、西部邁(評論家)は次のように述べている。「市場経済そのものが「失敗」の危険にさらされている。「不確実性」、「大規模生産の有利性」そして「公共財の存在」という条件があれば、それらの条件は遍在している市場競争は効率的たりえず、その意味でいわゆるマーケット・フェイリュア(市場の失敗)は必然なのである。」[10]

また市場の失敗の原因について、西部は次のように述べている。「市場経済そのものは人類史における偉大な発明品の一つである。それに対立するものとしての計画経済は、とくに情報の生産・交換・消費の効率において、市場経済にはるかに遅れをとっている。しかし、すでに指摘したように、マーケット・フェイリュア(市場の失敗)もまた遍在している。通常に指摘されているその失敗因はおおよそ三つであって、第一に「将来の不確実性が強い場合」、第二に「規模の経済(つまり大規模生産の効率性)が大きい場合」、そして第三に「公共財(つまり人々が集合的に消費する財)が重きをなす場合」に市場経済は効率的たりえない。第四の要因として「市場の均衡が不安定な場合」も挙げられるが、それは以上の三つの場合から派生した結果であることが多い。」[11]

経済学者の大竹文雄は「サブプライム問題は、市場の失敗の一例であり、情報の非対称性の問題である」と指摘している[12]

経済学者の中谷巌は「市場メカニズムが果たしている役割の本質、効率的な資源配分の意味、所得分配の決まり方、人々にインセンティブを与えている機能などの市場の利点を充分理解しないで、市場の欠点だけをあげつらうと『政府にすべて介入してもらおう』という間違った方向に関心がいってしまう可能性がある」と指摘している[13]

経済学者のゲーリー・ベッカーは「市場は決して完璧なものではなく、それは世界的に深刻化する公害に歯止めをかけられない点からも明白である。(ただし)中央政府による計画経済などの選択肢に比べれば、多くの状況においてはまだ機能する。正しくは、それ以上でもそれ以下でもない」と指摘している[14]

経済学者の岩田規久男は「市場とは資源配分・所得分配を決める手段であって、規制・ルールのあり方によってその性能は良くも悪くもなる。性能に問題が生じた場合は原因を追究し、規制・ルールを変えることが重要である」と指摘している[15]

大竹文雄は「市場の失敗は、完全に解決することはできない。規制はきちんと働くように監視するコストがかかる。様々なトレードオフを考え、社会の仕組みを考えていくしかない」と指摘している[16]

「市場の失敗に対策を立てた場合、市場に任せておけば効率的な資源配分が達成される」という「厚生経済学の基本定理」という命題がある[3]。八田達夫は「このときの効率的な資源配分が達成されている状況とは、誰かの生活水準を引き上げるために、ほかの誰かの生活水準を引き下げざるをえないという状況を指す」と指摘している[3]。また八田は「誰かの生活水準を引き下げずに、ほかの誰かの生活水準を引き上げることができるなら、それは無駄のある、非効率的な状況だったと言える」と指摘している[3]

政府の役割編集

政府の役割の一つは、市場メカニズムが働かない分野、つまり市場の失敗を是正することである[17]。政府は、市場の失敗を補うために公共財を供給したり、独占企業を規制したりし、市場の失敗に対応する[18]。またもう一つの役割として所得の再配分がある[19]

政府は、麻薬の取り締まりや[20]、国防・警察・義務教育・国立病院などの公共サービスの提供・拡充を行う[21]。警察・検察・司法制度は自発的な交換ルールを破ったものに対してペナルティを科すための制度であり[22]、医師の資格免許制度は不適切な医療行為から患者を守るための制度であり[22]、弁護士・税理士・会計士の国家資格制度は情報の非対称性を原因とする被害から人々の守る制度であり[23]、銀行業の開業に対する許可制度は人々の預金の安全性維持するための制度である[23]

政府は、外部経済がある場合は、そのような社会によい影響を与える活動をより増やそうとし、一方で外部不経済がある場合は、そのような社会に悪い影響を与える活動を制限しようとする[24]。外部経済に対しては、公園・都市計画をつくったり、補助金をつけたりするなどの手段を用い、外部不経済に対しては、規制を設けて禁止したり、徴税を行うなどの手段を用いて、外部経済を増やし外部不経済を減らすように努める[24]。独占企業によって自由な競争が阻害される場合(価格の釣り上げなど)、独占を禁止したり(独占禁止法)、価格の制限を行う[17]

経済学者の竹中平蔵は「民間企業の活動は市場ルールに基づいて行われるべきであるが、市場ルールの違反を取り締まるのは政府の役割である」と指摘している[25]

経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは「政府と市場は相互で補いあう同士である。市場に任せっきりにせずバランスをとるべきである」と指摘している[26]

経済学者の田中秀臣は「政府自身が必ずしも『完全な情報』を所有しているとは限らない」と指摘している[27]

竹中は「ミルトン・フリードマンは市場が失敗することもありうるが、政府も失敗する。市場の失敗は、不景気やインフレをもたらす程度で済むが、政府の失敗ははるかに大きな犠牲をもたらすと主張している」と指摘している[28]

八田達夫は「政府の失敗がある場合にも、政府は介入する必要がある」と指摘している[3]

脚注編集

  1. ^ 野口旭 『ゼロからわかる経済の基礎』 講談社〈講談社現代新書〉、2002年、156-157頁。
  2. ^ 日本経済新聞社編 『やさしい経済学』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、112頁。
  3. a b c d e 政治家と官僚の役割分担RIETI 2010年12月7日
  4. ^ 飯田泰之 『世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで』 エンターブレイン、2010年、113頁。
  5. a b 伊藤元重 『はじめての経済学〈上〉』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、145頁。
  6. a b c 田中秀臣 『日本型サラリーマンは復活する』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2002年、147頁。
  7. ^ 伊藤元重 『はじめての経済学〈上〉』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、148頁。
  8. a b 伊藤元重 『はじめての経済学〈下〉』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、17頁。
  9. a b c 三菱総合研究所編 『最新キーワードでわかる!日本経済入門』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2008年、81頁。
  10. ^ 西部邁 『虚無の構造』 中央公論新社〈中公文庫〉、2013年、144頁。
  11. ^ 西部邁 『虚無の構造』 中央公論新社〈中公文庫〉、2013年、204頁。
  12. ^ 大竹文雄 『競争と公平感-市場経済の本当のメリット』 中央公論新社〈中公新書〉、2010年、65頁。
  13. ^ 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、175頁。
  14. ^ ノーベル賞経済学者 ゲーリー・ベッカー自殺の経済学を手がけた真意市場万能論が看過する社会を動かす“生身の人間”の行動 2007年2月10日号掲載ダイヤモンド・オンライン 2010年2月2日
  15. ^ 岩田規久男 『スッキリ!日本経済入門-現代社会を読み解く15の法則』 日本経済新聞社、2003年、41頁。
  16. ^ 大竹文雄 『競争と公平感-市場経済の本当のメリット』 中央公論新社〈中公新書〉、2010年、67頁。
  17. a b 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、184頁。
  18. ^ 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、185頁。
  19. ^ 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、186頁。
  20. ^ 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、180頁。
  21. ^ 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、181頁。
  22. a b 岩田規久男 『経済学的思考のすすめ』 筑摩書房、2011年、136頁。
  23. a b 岩田規久男 『経済学的思考のすすめ』 筑摩書房、2011年、136頁。
  24. a b 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、183頁。
  25. ^ 竹中平蔵 『あしたの経済学』 幻冬舎、2003年、132頁。
  26. ^ 中谷巌 『痛快!経済学』 集英社〈集英社文庫〉、2002年、210頁。
  27. ^ 田中秀臣 『日本型サラリーマンは復活する』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2002年、201頁。
  28. ^ 竹中平蔵 『経済古典は役に立つ』 光文社〈光文社新書〉、2010年、184頁。

関連項目編集

外部リンク編集






2010年12月7日(火)10:30~12:00       RIETI 10周年記念セミナー      政治家と官僚の役割分担 八田達夫 RIETI/政策研究大学院大学  Ⅰ 政策の分類  A.パイの再分配(政治家―選挙)  B.パイの拡大(官僚 学者・シンクタンク)    成長戦略    効率化    ①ODAによる学校建設    ②LED    ③前島密    ④石炭から石油    ⑤羽田の国際化     →経済学      費用便益分析(外部不経済的)  C.激変緩和措置   -政策は犠牲者を生む  
Ⅱ 政治主導の意味  
A.政権の転換期。  旧政権下では、官僚は、パイ拡大政策や長期的なビジョンを示す役割を十分果たさず、むしろ官の力を強めるために、族議員と結びついて既得権を守る役割を果たす場合もあった。好意的に言っても、激変緩和措置に目を奪われていた。このため、新政権では、官僚が元来行うべきパイ拡大政策形成の範を、政治家が主導権を持って示そうとしているのだと見ることができる。 

 「政治家が主導権を持ってパイ拡大政策の範を示す。」これが、目下の「政治主導」という言葉の意味のようにも見える。 
B.平時 政権の転換期においては、この意味での政治主導は必要かも知れない。しかしパイ拡大政策を形成できるのは、元来は、分析力を持ち、情報を持っている官僚だ。 したがって、転換期の後の平時における「政治主導」の要素は次の通り。 ①再分配 ②激変緩和措置 ③官僚が利益集団の影響を受けずにパイ拡大の政策形成できるような環境をつくること。→例えば、規制改革会議、経済財政諮問会議 

Ⅲ  効率化原則 A.厚生経済学の基本定理 
1.市場の失敗 (なお、取引費用は「規模の経済」に含まれる。 『日本の農林水産業』pp.10-11参照) 
2.直感的説明
 3.政府の失敗 
4.効率的資源配分の定義 「与えられた資源と技術の制約の下で、経済にいる他の誰かの生活水準を引き下げることなく、ある人の生活水準を引き上げることができる」状況は、非効率的な状況である。 反対に、効率的な状況というのは、そういう形ではある人の生活水準の改善がもはやできない状況である。言い換えると、効率的な状況というのは、「与えられた資源と技術の制約の下で、経済の中のある人の生活水準を引き上げるためには他の誰かの生活水準を引き下げなければならない状況である。」 

5.基本定理 「市場の失敗がなく、政府が市場に介入しない場合には、市場は効率的な資源配分を達成する。」 
6.効用フロンティア(図1) 経済全体の所与の総資源量と技術水準の下で、A さんの効用のそれぞれの水準に対して、B さんが最大限達成可能な効用水準を示す曲線を、効用フロンティアと言う。 B.効率化 1.補償原理に基づいた効率化の定義 改革によって生活水準が上がった人が、下がった人に対して補償を与えても、なお改革前よりも高い生活水準を維持しうるのならば、この改革は経済の資源配分をより効率化すると言う。   2.効率化原則 効率化原則である。これは、「効率化政策はすべて遂行する」という原則である。   3.(歪みを前提にした)効用可能性曲線(図1) 実際の経済は、独占や公害、あるいは情報の非対称性といった市場の失敗によって歪んでいるのが普通。その歪みを前提にしたまま、A さんの効用のそれぞれの水準に対して、B さんがこの歪んだ経済で最大限達成可能な効用水準を示す曲線を、描くことができる。これを、歪みを前提にした効用可能性曲線(あるいはたんに効用可能性曲線)と言う。すなわち、一定の社会制度、税、あるいは独占の状況などに対応して、1つの効用可能性曲線を描くことができる。 したがって、ある政策が効用可能性曲線を一様に外に押し出すならば、それは効率化政策であると言える。図1でJ点からN点に行く政策は、背後で効用可能性曲線をaからcに押し出しているから、効率化政策だ。 





Ⅳ  厚生逐次改善原則 
A.社会的厚生関数(図2)
 B.効率化VS厚生逐次改善(図3)
 C.補償の困難性 ①まず、独占企業が被る損失は、改革の前後における独占企業の利潤の差として計測するのが自然である。しかし、そうやって測定した損失に基づいて補償をすることにすると、補償を受ける企業は、改革後に利潤が下がれば下がっただけ補償を受けられることになる。その場合には、企業は経営的努力をまったく怠ってしまう。このような測定法は、非効率的な生産のインセンティブを引き起こして、改革による損失額自体を増大させてしまう。 ②次に、価格の低下が消費者にもたらす恩恵を正しく表す指標は、消費者余剰の増加である。しかし、これを個人について直接計測するのは困難である。たとえば、消費量が多いほど消費者余剰も大きいだろうという前提の下に、消費者余剰を代理する変数としての消費量に応じて税金を課すことにすると、消費者は税を避けるために消費量を減らす。これは新たな死重の損失を生む。
 D.厚生逐次改善原則の問題点 第 1 に、政策決定を選挙で選ばれた政治家自身が行う必要があるため、膨大な手間がかかる。 第 2 に、政策の判断に分配に関する価値観の導入が不可欠であるため、判定基準の透明性を欠く。透明性の高い政策基準なしで、政策を判断していくと、結局は権力者や特定の人びとの利権に奉仕することになる可能性がきわめて高いと言えよう。 




Ⅴ 効率化原則VS厚生逐次改善原則 
長期的なパレート改善:ヒックスの楽観主義 長期的な社会的厚生の改善 効率化原則採用の条件 第1は、他の効率化政策が行われる頻度。 第 2は、職業選択の自由や居住地選択の自由があること。   第3は、どの程度セーフティネットが充実しているか。 

Ⅵ 両原則混合の不可能性 
ところが、厚生改善政策と効率化政策の両方を採用すると、何の政策も行わない場合よりもパレート劣化する可能性がある。 このことを、図4を用いて示す。初期点J点で経済産業省がある効率化政策を行うと、E 点に移るとする。もし厚生労働省がある厚生改善政策を行うと、初期のJ点からW点に達するとする。 次に、経済産業省がJ点からE点に移る効率化政策をまず行った後に、厚生 労働省が厚生改善政策を行いE点からQ点に移るとする。 この政策の組み合わせは、パレート劣化を引き起こす。Q 点では、初期点Jに比べてこの国のすべての人の生活水準が下がっているからである。これは、2省がそれぞれ効率化政策と厚生改善政策という別の政策をバラバラに用いたためである。
 Ⅶ 正しい政治主導≠厚生逐次改善原則 
Ⅷ 政策形成と社会科学 




2010年12月7日
スピーカー八田 達夫 (RIETI顧問/政策研究大学院大学学長)
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議事録

八田 達夫写真世論や政策を決めるパワーエリートの選ばれ方はさまざまである。政治家は選挙で選ばれ、それが彼らの権威の根拠になっている。官僚は試験で成績の良い人がなる。

このように、政治家と官僚は、明らかに違う基準で選ばれている。では、両者は、政策決定にどのような役割を果たすべきなのだろうか。つまり、選挙で選ばれた人と、試験で選ばれた人がどのように政策決定過程における役割を分担すべきなのだろうかという問題を考えてみたい。

政策の分類

政策を大きく分類すると、所得再分配と効率的な資源配分とに分けられる。前者はパイの分割に関してであり、後者はパイを大きくすることが目的である。

まずは所得再分配は非常に大きな問題で、経済学者は昔から頭を悩ませてきた。再分配の考え方は価値観に大きく影響を受けるものなので、結局は政治家が選挙に基づいて、どこまで再分配するかを決めるべきだろう。

一方、資源配分の効率化によるパイの拡大に関する政策は、価値観ではなく、分析によって形成される。たとえば効率化に関して、「ある改革により利益を得た人が、損失を受けた人に仮に補償したとしても、まだ社会全体でおつりが残る」という改革を続けていけば、長期的に見て国は成長していく。しかし、改革の効果は分析しなければ予測できないので、そこに官僚や学者、シンクタンクの役割が明確にあるといえる。元来は、効率化政策は官僚の役割であるが、特殊で新しい問題については学者が、あるいは学者と官僚が協力して考えれば良い。

しかし、事業仕分けで明らかになったように、専門的な知識を用いなくても非効率を指摘できる事業がある。たとえばJICAがカンボジアで建設している学校の建設コストは、他国の援助による学校建設の2~3倍かかっている。それは、すべてを日本の業者に発注しているからだ。その表向きの理由は、質の良い学校を建てたいというものである。しかし、カンボジアの人からすれば、当然日本以外の国が建設しているような学校を倍の数建ててもらう方がいいと考えるだろう。このような状況を改善するには経済分析はさほど必要ない。専門的な知識がなくても、単なる無駄と汚職に近いものがあるのだろうという判断ができるため、このような問題の解決は、恐らく事業仕分けが向いている。

経済分析が必要ないもう1つの事例として、交差点の信号機に使われていた電球がある。LEDは電球に比べ、1)電力の消費が少ない、2)明るい、に加え、3)寿命が長いのでメンテナンスのコストが非常に少ない、という3つの利点がある。しかし、電球からLEDへの切り替えは、電球会社の抵抗により膨大な時間がかかった。

ところで、カンボジアの学校建設とLEDの問題に共通するのは、改革をすれば必ず損をする人がいるということだ。効率化により質のいい学校を建てていた建設会社や、電球の会社が損をすることになる。それにもかかわらず、これらの事例では、社会全体の得の方が一部の人の損失より大きいことははっきりしている。

もう少し複雑なものとして、近代郵便事業の例がある。前島密が西洋の郵便事業を見て日本でも郵便事業を立ち上げようとしたとき、飛脚業界が猛反対した。飛脚業界は大変な政治力を持っていたため、前島密は非常に苦しんだ。最終的には飛脚たちを郵便事業に雇用することによって一応の解決を見た。それでも飛脚たちは転職にまつわる大きな犠牲を払ったが、これも郵便事業という新しい技術を入れることのメリットは明白だろう。

もう少し分かりにくい例が、通産省が1960年代前半に行った、石炭から石油への転換策だ。石炭は戦後、「傾斜生産」政策で政府が手厚い保護をして、コークス以外は日本でほとんど自給自足できるほど立派な産業に育て上げた。雇用も多く、三井三池炭坑だけでも30万人が働いていた。ところが、中東の石油が輸入される可能性が出てきた途端に考えられないぐらい安い値段で石油が輸入できるようになった。

私の高校時代はテレビが一般家庭になかったため、学校行事でよく記録映画を観に行った。その中の1つに、カラコルム山脈を舞台にした作品があった。京都大学の人類学や生物学の学者で構成された探検隊が、イランからカラコルム山脈に行くというものだった。最初のシーンはイランの砂漠で火が燃えている場面で、「これが将来、世界の石油のかなりの部分をまかなうかもしれない中東の石油で、それが砂漠で燃えているのだ」と説明があって、なるほどそういう状況になるのかと思った。それが1950年代の話だ。

1960年代になると、それは現実的なものとなった。私が大学に入った1961年には、近所の銭湯の人から、コストダウンのため、風呂の燃料を石炭から石油に替えたいのだが、条例か法律かによって、石炭保護のために石炭の使用が義務付けられていると話を聞いた。そのような矛盾が、1961年に既に明白になりつつあった。そこでまもなく国は大々的に石油を輸入することを決断したが、その結果、石炭産業で大量の失業が生じた。それに対して国は、雇用促進事業団を作り、多くのアパートを東京や大阪に建設し、炭坑離職者が移住できるようにした。さらに、炭坑離職者を雇用した会社には補助金を出した。この石炭から石油への転換策は、日本が誇れる構造改革だったと思う。この政策のすごいところは、炭坑のあった筑豊や夕張ではなく、炭坑離職者が移っていく東京や大阪に資金を投入し、炭坑離職者の移動を促進したことだ。その意味で、素晴らしい模範的な構造改革だったといえる。

しかし、巨大な既得権を失う人々を説得するためには、改革の利点を説明する確固たる理屈の構築が必要となる。これは今の農業自由化の話と似ている。農業自由化では農業そのものに金をつぎ込んでいるという違いはあるが、パイの拡大に関する原理原則の説明はどうしても必要だろう。このような政策を理論的に正当化するためには、経済学の知識が不可欠である。

特に、外部不経済がある場合には、費用便益分析が必要になる。しかし、外部不経済などの市場の失敗がない場合には、特別な費用便益分析をしなくとも経済学の分析ツールによって、自由化の是非を判断できる場合がある。

いずれにしても、パイの拡大策では、確かに得をする人も損をする人もいるのだが、パイがそもそも拡大するのかどうかを分析する必要がある。それが、官僚や学者、シンクタンクの役割だ。

効率的資源配分

パイの拡大策とはいかなるものか。また拡大するために必要な市場と政府の役割は何かを詳しく見よう。

市場には、効率的な資源配分をする役割がある。しかし、市場の失敗がある場合には政府が介入しなければならない。

市場の失敗には、一般的に4つの類型がある。「外部性(外部経済・外部不経済)」「公共財」「情報の非対称性」「規模の経済」だ。

さらに、政府の失敗がある場合にも、政府は、それを自然に戻すために介入する必要がある。市場に任せておけば資源は生産性の高い方向に流れていくのに、参入制限など資源の移動を妨げるような規制や法律によって、資源の流れが滞っている状態を指す。

実は、「市場の失敗にも対策を立てた場合、市場に任せておけば効率的な資源配分が達成される」という命題を証明することができる。この命題は、「厚生経済学の基本定理」と呼ばれている。

このときの効率的な資源配分が達成されている状況とは、誰かの生活水準を上げるためには、ほかの誰かの生活水準を下げるほかないという状況を指す(もし、ほかの人の生活水準を下げずに、ある人の生活水準を上げることができるなら、それは無駄のある状況、非効率的な状況だったといえる)。

効率的資源配分を図で見てみよう。図1の外側の実線は、効用可能性フロンティア(効用フロンティアとも呼ばれる)である。これは、ある経済で資源が一定で技術が与えられているとき、Aさんの効用水準(生活水準)を一定にして、Bさんの効用を最大限達成しようとするとき、どこまで達成できる効用の組み合わせを連ねたものだ。効用の組み合わせがこのフロンティアの上にある状況で効率的な資源配分が達成されている。つまり、Aさんの生活水準を上げようと思うと、Bさんの生活水準を下げるしかない。ところが、もしJ点にあるならまだ無駄があるので、両方の生活水準を上げることができる。要するに厚生経済学の基本定理は、「市場の失敗も政府の失敗もないのなら、市場に任せておけば経済はフロンティアの上に乗る」と言い換えることができる。

しかし、実際にはわれわれの経済はゆがみだらけで、市場の失敗や政府の失敗が頻発するため、実際の経済はフロンティアの上ではなく内側にある。点線はゆがみを前提にした効用可能性曲線だ。独占もあり、農業もうまくいかないなど、さまざまなことを前提にして所得再分配すると、生活水準はこの線上を動いていく。

農業の貿易の自由化の結果、J点からE点に移ったと仮定する。農民(A)の生活水準が少し下がり、ほかの人たち(B)が得をすることになる。ところが、所得を再分配すればK点の方へ動く。そうであれば、得をしたBはAに補償してもなおおつりが来るということで、効率化したといえるだろう。先ほど定義した、得をした人が損をした人に補償してもなお得をするという状況というのはこういうところで、結果的には両方ともが前よりもいい状況になり得るというわけだ。つまり、所得再分配によってJ点を頂点とする斜線領域に移り得る場合には、その政策は効率化政策だといえる。

問題は、補償はなかなかできないということだ。これは後で説明するが、改革で損害を受ける人全員に対して補償することなどできない。したがって、結局、補償せずに政策を実施して、次はまた別の政策を行うというように、失う人を作り続けていってしまう。

とは言え、徹底的に効率化政策を実施することで、いずれは効用フロンティアに到達するだろう。

社会的厚生の最大化

さて、効率化政策によって効用フロンティアの上に到達したとしよう。しかし効用フロンティア上には無数の点がある。そのうちどの点が社会的な観点から最も望ましいのだろうか。

その評価基準は、所得分配を含めた価値観に基づく「社会的厚生」だ。異なる人々の効用のさまざまな組み合わせに対して、社会的厚生水準の評価を与える関数を社会的厚生関数と呼ぶ。図2の無差別曲線は、AさんとBさんの効用水準の組み合わせに対して順位付けを行っている。もちろん、上の方に行けば行くほど社会的に望ましいと評価される。L点では平等だが、それより多少Aさんが貧しくなってもBさんが非常に豊かになるJ点に移るなら、L点と同じぐらいの社会的価値があるだろう。あるいはBさんだけが非常に豊かでAさんが貧しい状況と、Aさんだけが豊かでBさんが貧しい状況というのは、似たような社会的厚生の水準だと考える。この曲線群が、特定の社会的厚生関数-価値観-を表している。図2では、フロンティア上で社会的厚生を最大化している点はMである。

このような価値観は、選挙で選ばれた政治家が表明するもので、政党ごとに違った価値観の体系があって構わない。効用フロンティアと社会的厚生関数を組み合わせて、自分の党が目指すべきところ、社会的に最大化する位置を示すことが政治家の役割なのである。

効率化政策を続けて行けば、次第に、フロンティア側に近づく。その間に併行して、低所得者に対しては高所得者から所得再分配をしていけばM点に近づくのではないか、あるいは一度Q点へ来てからM点にへ行ってもいいので、とにかくその2つを並行して別の次元でやっていけば、いつかはM点に来るのではないかと考えるのである。このように効率化は、所得再配分政策と併用することで長期的に社会的厚生を上げることができると考えるのである。

厚生改善と効率化の矛盾

図3の曲線(a)は、ゆがみを前提にした効用可能性曲線だ。たとえばこの曲線上のJ点からE点に移るのは明らかに効率化している。しかし、E点は、J点を通る社会的厚生関数の無差別曲線より下にあるため、社会的厚生は落ちている。J点より不平等になっているからだ。一方、W点はかなり平等化しているので、社会的厚生関数の観点では厚生は上がっているが、明らかに効率は下がっている。つまり、効率化と社会的厚生改善という2つの基準は矛盾しているのだ。

効率だけ考えれば、厚生の水準は全く無視するため、W点への移動は拒否する。それに対して、社会的厚生関数で逐次に改善する必要があるという人たちは、W点を受け入れ、E点は拒否するという問題が起きる。

私が思うに、政治主導という考え方は、社会的厚生の逐次改善を意味しているのではないか。要するに、初めから効率が改善するかどうかは関係なく、政治的判断で1つずつ見ていくのだという考え方が後ろに潜んでいるのではないかと思う。

補償は不可能

このような矛盾を解決する1つの方法には、個々の政策ごとにAさんもBさんもベターオフするような的確な補償を行うことだ。図1でいえば、ある政策によってE点に行ったものを放置するのではなく、再分配によってK点に戻す。そのようにひとつひとつ丹念に補償していけば、社会的厚生も当然上がり、矛盾は生じないではないかと考えられる。しかし、それはまず不可能だ。

たとえば独占禁止法を考えよう。独占企業が被る損失は、改革の前後における利潤の差として計測するのが第一次接近だろう。しかし、補償を受ける会社が改革後、利潤が下がっただけ補償を受けられるとなれば、モラルハザードが起きてしまい、経営努力を行うインセンティブがなくなってしまう。つまり、改革による損失額に基づいて補償することはできないため、何を補償していいかよく分からないのだ。

独占禁止法によって人1人の消費者が得る利益に基づいて課税し、独占企業の損失補填の財源にしようと思っても、余剰の変化の計測は難しいので、各自の消費量に応じて税金を課すとすると、消費者は税金を下げるために財の消費を減らしてしまう。このようにモラルハザードが起きる。従って、何らかの損失に対して補償しようとすると、原理的にできない面がある。だから、丹念に1つ1つ補償することはできず、よほど大きな産業がつぶれるようなときに、何らかの荒っぽい激変緩和措置を取るぐらいのことしかできない。

効率政策と分権化

では、効率化政策と厚生改善政策のどちらがいいのか。まず、厚生改善政策の問題点は、政治家自身がすべての判断を下さなければいけないことだ。そこでは価値観を導入する必要があるため、膨大な手間がかかり、実際には不可能である。政策の数があまりにも多いため、その1つ1つを価値観では判断できないのだ。もう1つの問題は、価値観であるが故に判断の透明性を欠くことだ。したがって、厚生逐次改善政策に基づいて政治家がトータルで判断していくやり方が「正しい政治主導」であるとは考えられない。

社会的厚生を逐次改善する必要があるという立場からは、効率性は関係がない。1つ1つの事柄について、社会的厚生が上がるかどうかを基準に政策決定を行うので、仮に社会的厚生が上がるなら非効率になっても構わずに推進するという考え方があり得る。この立場は、厚生逐次改善原理と呼ばれる。この原理は、分権化ができないために現実的ではない。

これに対して、効率化の判断にはある程度客観性があるので、膨大な政策の判定案件があるときにも官僚機構がそれを粛々と分析できる。分権化できるのだ。官僚は、変なことをするかもしれないが、それは情報公開でチェックすることができる。つまり、厚生改善政策と効率化政策は、運用に要する費用という意味においては非常に大きな違いがある。

効率化政策がもたらす長期的厚生改善

一方、効率化政策は行うたびに何らかの犠牲者を生む。それでもいいのだろうか。

実は、今われわれがごく当たり前に使っている消費者余剰という概念を作ったヒックスやホテリングが当時書いたものを読むと、これについて彼らは非常に楽観的だ。

たとえばホテリングは、The Tennessee Valley Authority(TVA)について次のように書いている。「TVAはテネシーバレーの近隣住民に治水による恩恵を与える。その一方で、テネシーバレーの近隣以外に住む納税者に負担を強いる。しかし、TVAのような事業は、全国で行うものだから、それらの事業全体でみれば、納税による損失を相殺して余りある利益をすべての人々に与えよう」このような効率改善政策を行うと、長期的視野ではみんながベターオフするというのがホテリングの主張だ。全部が良くなるというのは少し言いすぎだと思うが、大抵の人が良くなるということはいえると思う。

当時は社会的厚生という概念はなかったが、この概念を入れれば、効率化原理の採用によって、一部の人は多少前よりも悪くなるかもしれないが、全体的には良くなるので、社会的厚生は上がるだろうという楽観的な観測を持てるかもしれない。特に、再分配を並行して行うなら、そういうことがいえるだろう。

個々の効率化政策は、損をする人を生み出しても、すべての効率化政策を遂行していくならば、長期的にはほとんどの人が高い生活水準に移るだろうという見込みに基づいてすべての効率化政策を行う方針を効率化原則という。

効率化原則採用のための前提

ここで「効率化原則の採用が望ましい」と学問的にあるいは先験的にいえるわけではないことは確認しておく必要がある。

ただし、場合によっては、厚生改善政策の方が効率化原則で突き進むよりいいこともある。たとえば効率化政策がほとんど行われない途上国において、世銀のファイナンスによってダムができるとしよう。ダムができると、人々の生活は大きく改善するが、ダムで沈む町の人々はやはり損をする。しかも、この経済では、ほかの効率改善政策などは行われないので、一生に一度の政策変更になる。このように、得をする人は大きな利益を得るが、失う人の損失があまりに大きい、しかもまれな効率化政策は、やめておいた方がいいといえるかもしれない。

しかし、そうした国の状況と、日本の状況はかなり違うだろう。次の3つの前提を満たしている国では、効率化原則を採用することが望ましいといえよう。

第1は、その国で他に多くの効率化政策が行われていること。多くの効率化政策が行われていれば、それらの再配分効果が相殺し合う可能性がある。

第2に、職業選択や居住地選択の自由があること。先ほどのダム建設の例でも、居住地選択の自由があれば、住民は長い目で見て改革の恩恵を受ける場所に移っていくこともできるだろうが、そうでなければ建設すべきではないといえる。

第3に、セーフティネットが充実していること。前述の2つがあったとしても、運悪くどの政策でも救済が受けられなかったときでも、セーフティネットによって立ち上がるチャンスが与えられるかどうかである。

両原則混合の不可能性

効率化原則を採用すれば、基本的には官僚機構が客観的な基準で政策を選別し、ダイナミックに発展する社会を作ることができる。とはいえ、やはり政治家も分配に関する価値判断を一部には入れて厚生改善を評価したいという場合があるだろう。効率化原則に併行して社会厚生改善政策を混合しようというのが、今の政治主導なのかもしれない。

ところが、厚生改善政策と効率化政策の両方を採用すると、何の政策も行わない場合よりもパレート劣化する可能性がある。このことを示そう。

図4のJ点をスタート地点として2つの省庁が別の政策を実施することを考える。たとえば経済産業省がある政策を行うと、経済はJ点からE点に行くとしよう。この政策は、不平等化するので社会厚生は下げる。しかし、E点は(a)より上位の効用可能性曲線である(b)の上にあるので、効率化政策ではある。次に、厚生労働省が行う別の政策で、経済はE点からQ点に行くとしよう。Q点は明らかにE点より非効率化しているが、社会的厚生を上げる。

ところが、両省の政策の組み合わせの結果到達するQ点は、最初のJ点と比べてこの国全ての人の生活水準が下がっている。これは、2つの省が別の基準で政策を遂行した結果だ。それぞれの政策の悪い面の方が残ってしまい、効率も厚生も下がってしまっている。

厚生逐次改善原則(厚生改善政策のみを毎回採用する方針)か、効率化原則のどちらかで、首尾一貫するのならば、このようなパレート劣化は起こり得ない。したがってわれわれは、効率化原則か厚生逐次改善原則かの二者択一を迫られている。

日本のような先進国では、効率化原則を採用し、所得再分配の制度を併用することが、長期的な発展のためには望ましいといえよう。

八田 達夫写真

政治主導の意味

効率化原則の下における政治家の基本的な役割分担は、所得再分配である。しかし、政治家には、この原則の下でも、その他の役割もある。

(1)激変緩和措置

まず、効率化をもたらす改革は、勝者とともに敗者を生むので、敗者に対する激変緩和措置が必要な場合が多い。どのような激変緩和措置を取るべきかを決めることは、政治の役割だといえる。すなわち、政治は官僚が示す最終的に採用すべき政策を了解した上で、そこへのスピードを調整する役割を持つといえる。

(2)プライオリティー付け

効率化政策を実現するためには、オータナティブの手段の選択、それぞれの比較、国際比較、また関係者からのヒヤリング、利害の調整といった大変なエネルギーと努力と資源の投入が必要である。したがって、無数の改革のアジェンダの中から、何を優先的に選ぶかという選択をする必要がある。これは、政治の役割である。

(3)官僚機構の機能発揮のための環境作り―公務員制度改革

従来、日本の官僚は、パイ拡大政策や長期的なビジョンを示す役割を十分果たして来たわけではない。官の既得権を守るためにエネルギーを使ってきた。さらに族議員と結びついて民間の利益集団の既得権を守る役割も果たしてきた。日本の制度が、官僚にそうせざるを得なくなるよう仕向けてきたという側面がある。

公務員が定年まで勤められるように、公務員制度を改革し、民との癒着や非効率的な天下りポジションをつくらなくてもよいようにすべきである。このようなことをして、官僚が利益集団の影響を受けずにパイ拡大の政策形成に専心できる環境を整えることも、政治家の役割だろう。

(4)官僚機構の監視

官僚機構が企画立案している政策が真に効率化政策であるかどうかをチェックする必要がある。そのためには、官に情報開示をさせることが基本だが、政治主導によって、それをチェックするための正式の機関を設けることも重要である。

内閣府の「規制改革会議」(3年ごとに正式の名前が変わるが、この機関の一般的呼び方としてこの名称を用いる)は、国民全体の観点から、各官庁が効率的な資源配分を行っているかどうかをチェックする機関である。ついつい業界団体の利益を守ることに傾きがちな各官庁に対して、さまざまな情報の公開を求める。次に、役所側が非効率化する政策を行っていればそれを指摘し、担当官庁に直させる。もし納得しなければ内閣府の大臣と所管の大臣とが交渉する。政治主導で官のパフォーマンスをチェックする手段になっている。

また、省庁が省益を守るために改革を曲げようと化している場合には、それに対して首相のリーダーシップで牽制措置を取ることが必要だろう。経済財政諮問会議の役割は、これだったといえよう。政治主導によって、政策決定の一官庁による独占を排し、常に競合するもう1つの分析を示す体制を作ることにより、元来の官僚の役割が最大限に発揮される環境を整える機能を持っていたといえよう。

これらは自民党政権下で、一定の機能を発揮した時期もあったが、自民党政権末期には政権自体が、利益集団や特定官庁の圧力に負けて、これらの基幹を骨抜きにしていった。これらの基幹が、機能を果たしているか否かは、政権の「政治主導力」をはかるバロメータである。

(5)移行過程での政治主導

さて、新政権では、「政治主導」が大きなスローガンとなっていた。

「政治主導」の当初は、与党の政治家が直接個々の政策を決めた。これは、まさに厚生改善政策を行おうととした試みだとみなすことができる。しかし、これを試みた結果、①政治家が直接扱える範囲が少ないので、ごくわずかな政策しか実行できなかったこと、②それぞれの省の省益を代表した各省の政務三役間の意見が深刻に異なり、政府としての社会的厚生関数が示されていなかったこと、などによって、厚生逐次改善政策を全面的に実行するのは大変な困難を伴うことを露呈した。

これは効率化原則の下での政治家の役割分担を明らかに越えた政治主導を目指していたと考えられる。新政権は、効率化原則の下で官僚が元来行うべきパイ拡大政策形成の範を、政治家が主導権を持って示そうとしているのだと見ることができる。政権の転換期においてはこのような政治主導もやむを得なかったのかも知れない。

しかし政治主導の重要な課題の1つは、官僚が元来の役割を取り戻せる環境を作ることである。官僚の元来の役割が取り戻された後は、分析力と情報を持つ官僚をパイの拡大策にのびのびと専心させるべく、官僚との役割分担を明確にすべきであろう。

政策形成と社会科学

効率化政策(すなわちパイの拡大政策)は、官僚機構の役割として位置付けざるを得ない。官僚機構が、自信を持ってこの政策を行える社会にしなければ、活力のあるものにならないだろう。そのように官僚の役割を位置付けると、社会科学の役割も非常に大きいと思う。

諸外国では修士課程や博士課程の修了者が官僚になるというのが相場になりつつあり、政策研究大学院大学でも3分の2の学生が海外留学生だ。彼らは母国に戻って出世するが、日本ではそのようなことはない。もちろん、役所に既に就職した方は必要性を感じて来ておられるが、一般の学生は修士、博士を取って役所に入ろうとは普通は思わない。

公務員の採用自体を、現代的な基準に合わせ、効率化政策を遂行する使命感と分析能力を持った人によって構成される政府にすべきであろう。

官僚の役割はパイの拡大策なのだということを社会全体が認識し、それに合う教育システムや官庁の昇進システムを作っていくべきなのではないか。

一方、政治家の役割は再分配と激変緩和措置だけでない。パイの拡大策に官僚が没頭でき、しかも誘惑に惑わされない環境を整えることも、政治家の非常に大きな役割であると思っている。

質疑応答

Q:

図4で、J点からE点に行く政策はたとえば官僚の役割で、ここでは厚生労働省の政策と言われたが、たとえば政治家が再分配を行うのは、J点からW点、E点からQ点に行くようなことなのか。

八田:

政治家のタイプによると思う。一旦、J点からE点に移ったあと再分配する場合には、正統的な再分配政策(すなわち、累進度を高める、相続税を高める、生活保護を充実する、大学進学への奨学金を出すなど)をすると、ゆがみのある効用可能性曲線沿いに移動するので、K点に行くことになる。ところが、政治家というのは往々にしてゆがみを作り出すような再分配を行ってしまう。たとえば、正規労働者と派遣労働者の待遇に格差を縮めるためと称して、政治家が雇用規制を強める形での再分配をしようとすると、非効率で社会的厚生も下がるQ点のようなところに行ってしまうという結果を招くことになる。

Q:

年金や医療保険制度のように、分配政策であると同時に効率と公平性がトレードオフになるような政策がある。官僚が常に効率を高める方に行くとなると、たとえば年金制度は小さければ小さいほどいいのか。

八田:

そうではない。たしかに、再分配は、累進課税や、相続課税、生活保護できちんと行うべきであり、年金に再分配機能を持たせるべきでない。しかし公的年金制度は、効率性の観点から政府が設置すべきなのだ。実際には年金に再分配機能を混ぜてしまったのでモンスターのようなシステムになっている。

まず、国民年金はなぜ必要かというと、生活保護制度に対するモラルハザードを防ぐためだ。もし国民年金がなくて生活保護というシステムがある場合、所得水準の低い人の場合には、65歳を過ぎて貯金を残しておくのは無駄になる。全部使ってしまって生活保護に入った方が得だからだ。従って、もし生活保護のある社会に国民年金がなければ、大変なモラルハザードが起きるだろう。国民年金は、それを防止するために存在する。要するに、老後のための貯蓄を強制し、老後に備えさせるという意味だ。これは、モラルハザードを防ぐという目的だから効率性のためだ。再分配機能がなくても必要だ。

厚生年金の存在意義は、民間年金の逆選択による市場の失敗を克服するためだ。民間の年金会社は、個々人の寿命が分かっていれば、それに応じた保険料をかけられるが、情報の非対称性のためにそれができない。各人の潜在的な余命に関係なく、一律の保険料をかけるから、親が早く病死したり自分も病気がちだったりする人は貯金でまかなおうと考え、年金に加入しない。このため、長生きできると考える人ばかりが年金保険に加入する。したがって平均余命の高い人のみが年金に加入する。このため民間の年金の収益率は極めて低く、普通の平均余命の人にとって魅力のないものになっている。この状況を克服するために、厚生年金をつくって全員に加入させているのである。これも効率的な制度構築のためだ。

Q:

決断する政治家と、選挙民の意を吸い上げる政治家は、本当は同じであることが望ましいが、なかなかそうはいかない。アリストテレスの時代から民主制はベストではなく、独裁制や貴族制の方が優れている面もある。民主制の弊害を取り除くために大統領制や総理大臣制ができ、貴族制的な官僚や学者の役割が取り入れられ、それでバランスが取れているのではないかと思う。この決断と吸い上げに関してお考えを教えていただきたい。

八田:

民意を吸い上げる方法には、市場と選挙の2つがあり、その役割分担をどうするかという話だと思う。アリストテレスの時代には、それほど市場の役割を認識していなかったかもしれないが、民意を吸収するために市場の役割は非常に大きいことが徐々に分かってきた。それは完璧ではなくさまざまな弊害があるが、「市場の失敗」と呼ばれるその弊害の是正のかなりの部分は、選挙をしなくても行うことが可能だ。

たとえば田中角栄氏は1960年代の高度成長を1974年にある意味で止めて地方再分配を始めたが、当時はその費用便益分析を誰も行わなかった。地方へのばらまきが国の将来にとって結果的に有益かどうかは、本来なら役所や学者が分析すべきことだが、まだマルクス経済学に支配されていた当時はとても考えつかなかったのだ。しかし、今後の地域政策は、市場をどう見るかというレベルで判断すべきではないかと思う。

なお、今回の講演において政治の役割に言及したのは、資源の配分に関する話だけで、外交政策のように不確実性が高く、経済分析だけでは解決できないところは外している。すなわち、市場の情報が役に立つ部分では官僚がそれをなるべく生かすべきで、そうでない部分を政治家が担うべきだ。たとえば北朝鮮への対応を市場の情報だけで決めるのは難しく、民意を問わずにできることではない。

Q:

効率化政策の問題点は、どう補償するかということだ。効率化政策によって税収が大きく増え、それに基づいて何かできればいいのだが、必ずしもそうではない。実際にそういう政策はうまくいかないものだ。ウルグアイ・ラウンドの対策費として当てられた毎年1兆円、計6兆円は補償政策の典型だが、ある意味で一番失敗した政策だと思う。日本の場合、補償政策がうまくいったことはこれまでない。結果的にほかに増大するセクターがあり、そこを吸収することによって成功してきたのだと思う。今の民主党は未知のところから出発して何かをやろうとしていて、ある意味では非常にチャレンジングな場所にいるのではないか。

八田:

補償というのは非常に難しい問題だが、たとえば雇用規制をなくすことに関して言えば、一見不平等に見えるかもしれないが、長い目で見ると平等化するだろう。つまり、既得権を持った正規労働者の生活水準の低下によって、既得権を持たない人の生活水準が大幅に上がり、併せて効率化もできるということだ。

要するに、効率化政策は一見すると人を痛めつけているように見えてしまう面があるが、長期的に考えると違う。必ずしも補償しなくても、長い目で見れば誰もが得をする可能性があるのに、なかなかそれを信じてもらえない。その点は自民党も民主党も共通している面があるので、学者や官僚機構、特にメディアにはそこをきちんと強調してほしい。たとえば、ロシアが市場化したときはひどい状況で、もう無理ではないかと言っていたが、あのショック療法も長期的に見れば効果があり、非常に成功した。それに類する改革が日本は幾つも必要なのではないか。確かに今の立ち位置がどうかということもあるが、やはり市場を活用した改革に対する根本的な理解がメディアも含めて全くないことが根源的な問題ではないかと思う。

なお、水産については、今はオリンピック方式で、全体の漁獲量が一定になるまでできるだけ急いで捕れと言われている。だからどんな小さな魚でも捕ってしまうため、稚魚が根こそぎにされてしまう。そうではなく、船ごとに漁獲量を割り当て、気長に1年間かけて漁業をさせれば、大きい魚しか捕らなくなって稚魚が守られる。しかし、稚魚が育つ前の段階では、漁業者は随分と損をする。そうすると、短期的にはそれを補償しなければならない。

Q:

以前、産業調整政策を調べたところ、繊維も石炭も、200海里水域の国際交渉に負けたときの水産の減船対策も、産業調整政策としてはそれなりに機能していた。問題は、本来は政治主導ですべきではないことを政治主導でされてしまうことなのだ。現に今の民主党による戸別所得補償政策も、豊かな兼業農家の人たちまで所得補償の対象とした。

このように、必要のない人まで所得補償をするという政治主導の政策をチェックする役割について、もしお考えがあればお聞かせ願いたい。

八田:

戸別所得補償も、原則から言えば、生産調整をやめて、その代わりに所得補償の対象とするなら筋は通る。今は生産調整をした人へのご褒美だというのだから、初めから全く筋が通っていないのだ。

現実はさておき、本当にあるべき姿は何かというと、官僚は、効率化に反することを政治家が行うのはまずいと指摘できる仕組みを作ることだ。一方、激変緩和措置として変なゆがみを伴わないランプサムの補償をするなら、それは政治家の裁量に任せようということになる。このように、よい政治主導と悪い政治主導を、仕分ける考え方が、ジャーナリズムや学者、官僚など、すべてに行き渡ることがまず必要なのだろう。今は黎明期だが、それをしなければ、いつまでたっても混沌とした議論だけで終わっていくと思う。

今後のRIETIに向けて

八田:RIETIは設立以来、大変大きな役割を果たしてきたと思っている。私はいろいろと研究領域を広げていて、最近は規制改革会議で担当した農水産業の分野についても本を書いた(『日本の農林水産業』日本経済出版社)が、その過程では山下SFの本も随分読ませていただいた。さまざまな圧力はあるようだが、幅広い日本の政策に関して分析を行うという観点からは、RIETIがぜひとも必要だと思う。学術的な分析についても、特定の省庁に独占権を与えると、いい加減になってしまう。色々な分野の研究について、常にチェックが入ることが必要だろうと思うので、その役割を今後とも続けていってほしい。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。



八田ミクロ263頁







別書

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ノーベル賞経済学者 ゲーリー・ベッカー自殺の経済学を手がけた真意市場万能論が看過する社会を動かす“生身の人間”の行動 2007年2月10日号掲載|週刊ダイヤモンド アーカイブズ|ダイヤモンド・オンライン(20100202)

http://diamond.jp/articles/-/1092

世界的に増え続ける自殺者の数。日本でも2009年の自殺者は全国で3万2753人(暫定値)と、統計を取り始めた1978年以降で5番目に多かった。では、人はどのような状況に陥ったときに、生き続けるよりも今死ぬほうがよいと判断するのか――2004年、経済学の見地からそのメカニズムの解明に挑んだのが、ノーベル賞経済学者のゲーリー・ベッカー・シカゴ大学教授だった。そもそも彼の研究は、離婚、家族、麻薬、差別など従来の経済学の枠を超えた様々な分野に広がっていた。市場主義を重視するシカゴ学派の重鎮が、行き着いた境地を語った、貴重なインタビューを再掲する。(2007年2月10日号掲載)

ゲーリー・S・ベッカー
ゲーリー・S・ベッカー
(Gary S. Becker)
シカゴ大学教授(ノーベル賞経済学者)
人的資本理論の先駆者。人間を設備などと同じ資本としてとらえ、そこに教育や医療などの投資をすることによって生産能力を高めることができると主張。個人の労働力を所与のものとしてとらえてきた経済学に大きな影響を与えた。1992年にノーベル経済学賞を受賞。1930年生まれ。現在、シカゴ大学の経済学部、社会学部、ビジネススクールの教授。法曹界の権威、リチャード・ポズナー・シカゴ大学教授と共同ブログを開き、79歳の今も移民政策から性道徳、家族の問題に及ぶ広範な分野でオピニオン活動を展開している
Photo(c)AP Images

 メディアのインタビューでは決まって「現在の研究テーマは何か」という質問を受ける。そんなとき、私は「人的資本、平たくいえば生身の人間にまつわることです」と答える。

 経済学の存在意義は、単にドル札やコインを数えることではない。政治、社会、そしてなによりわれわれの生活はどうなっているのか、その状況を解釈し明日に役立てることにある。その際、世の中を動かしている人の行動を解明することはなににも増して必須の作業だ。

 在来の経済学者の分析と違って、私は、人の行動は必ずしも物質的な利得や自己愛だけから発生しているものではないと考えている。愛や憎しみ、羨望や嫉妬、社会からの圧力といった諸要素を取り込み、行動に移るものだ。

 離婚や麻薬、差別など、およそ在来の経済学者が取り上げてこなかったテーマを私が手がけてきた理由がそこにある。2004年には、米控訴裁判所元判事のリチャード・ポズナー現シカゴ大学教授とともに、自殺の経済学を題材に論文をまとめた。どのような状況に陥ったときに、人は生き続けるよりも今死ぬほうがよいと判断するのか。そのメカニズムの解明に挑んだ。生身の人間の行動を研究するうえでは欠かせないテーマだったと考えている。

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 翻って、市場経済のメカニズムを分析対象とする在来の経済学を考えるとき、いまだに物的諸要素に偏向し過ぎている感は否めない。要するに、市場で取引されるモノやサービスばかりに注視しているのである。本来、経済は“生きた人間的諸要素”も取り込んでいるものだ。

 経済学のあり方を問いかけた最近の好例は、2006年来こじれている世界貿易機関(WTO)の多角的通商交渉、ドーハ・ラウンドだろう。

 議論が紛糾した主因はなんと農業分野の補助金や関税をめぐる米国や日本、欧州の対立だった。

 先進国経済で果たす農業の役割はすでに小さく、自由化こそが先進国の農業を効率化し、途上国に輸出の機会を与える経済的解決策であるにもかかわらず、政治的にその変化を受容できなかったのだ。

 やや話が拡散するが、私は昨今の中国脅威論も在来の経済学では説明できない諸要素を含んでいると思う。
 
 そもそも米国や日本の消費者にとって中国は製品の価格低下を加速させてくれる“補完的国家”である。著作権侵害などの負の部分もあるが、中国の経済成長から他国の消費者が得る経済的利益はそれを上回る。また、なにより中国は相対的にいまだ貧しい国。恐れる必要などないのだ。

 最後に、自由市場に関する持論を伝えたい。私は、最近の経済学者は自由市場万能論をいたずらに吹聴し過ぎていると考えている。市場は決して完璧なものではない。それは世界的に深刻化する公害に歯止めをかけられない点からも明白だ。中央政府による計画経済などの他の選択肢に比べれば多くの状況において、ましに機能する。正しくいえば、それ以上でもそれ以下でもない。(談)

聞き手/ジャーナリスト、マイケル・フィッツジェラルド

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ゲーリー・スタンリー・ベッカー(Gary Stanley Becker、1930年12月2日 - 2014年5月3日)は、アメリカ合衆国経済学者

シカゴ大学経済学部社会学部、そして同校ブース・ビジネススクールにて教授職を勤める。従来、金銭経済問題だけを分析してきた経済学の適用範囲を、極めて広範かつ多様な人間行動社会問題に拡張し、それに基づく多くの政策提言を導き、現実の政策に大きな影響を与えてきたことで知られる。


生誕1930年12月2日
ペンシルヴァニア州ポッツヴィル
死没2014年5月3日(満83歳没)
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究機関シカゴ大学(1968年–現在)
コロンビア大学(1957年–1968年)
研究分野社会経済学
母校プリンストン大学
シカゴ大学
実績人的資本分析
Rotten kid Theorem
受賞1967年ジョン・ベーツ・クラーク賞
1992年ノーベル経済学賞
1997年Pontifical Academy of Sciences
2000年アメリカ国家科学賞
2004年ジョン・フォン・ノイマン理論賞
2007年大統領自由勲章


人的資本 教育を中心とした理論的・経験的分析

 著者名等  ゲーリー・S.ベッカー/著  

 著者名等  佐野陽子/訳  

 出版者   東洋経済新報社

 出版年   1976.7

 大きさ等  22cm 299p

 注記    Human capital : a theoretical and empiri

cal analysis,with special reference to e

ducation. 2. ed./の翻訳


人的資本―教育を中心とした理論的・経験的分析 | ゲーリー・ベッカー, 佐野 陽子 |本 | 通販 | Amazon

https://www.amazon.co.jp/dp/4492310851/ 
  • 単行本: 299ページ
  • 出版社: 東洋経済新報社 (1976/1/1)
  • 言語: 日本語
まさに『人的資本』の教科書と言っていい名著である。著者は1992年にノーベル経済学賞を受賞したG・S・ベッカー。1960年代に労働者を資本として捉えることで労働経済学に画期的な革命をもたらした人物である。企業において個人の人的資本を高めるための訓練を一般的訓練と企業特殊的訓練に区別した。個人が所属する会社だけではなくどこの会社でも生産能力を高めることが出来る訓練を一般的訓練とし、そこから得られる能力を一般的生産能力とした。一方、個人が所属する企業の訓練が他社よりももっと大きく生産能力を高めるような訓練を企業特殊的訓練と定義した。つまり他社ではあまり役に立たないかもしれない訓練である。個人が受けた訓練が仮に企業特殊的であれば、他社での応用は難しい。逆にどこの企業でも役に立つ一般的訓練であれば、個人は転職によって能力をいかすことが可能となるが、教育費用を負担した企業は転職によって投資した費用を回収できず損失を被る。よって企業は、そのような種類の投資は行わないことを説明している。この本を読んで、多くのサラリーマンが転職しない理由は、企業特殊的訓練にあるのかもしれないと感じた。所属している企業以外では役に立たない教育しか日本企業は提供してこなかった結果、労働の流動性が損なわれているように思う。かつて世界に誇った終身雇用制度や年金制度が制度疲労をおこしている今、自助努力によって人的資本を高める事の重要性はますます高まっている。人的資本の本質を理解しておかなければ、就職や転職のみならず人生において適切な意思決定を行なうことは難しいだろう。少子高齢化による年金不安や金利なき時代に人的資本の意味をしっかり考えるためにも、じっくり読んでおきたい一冊である。
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Amazon.co.jp:ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで 1998

https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4492312501/
レビュー:
 もっと自由放任の人かと思っていましたが、案外、広義の意味での規制というか、インセンティブ(道義づけ。特に金銭的インセンティブ)を利用して人間の行動を操ろう、という公共政策の提案が多いです。
 私は提案のすべてに同意できるわけではないですが、徹底的にインセンティブから、経済性から、既存の政策を吟味してみる思考法は有益だと思います。

 ちなみに著者は徴兵制に反対しています。
「一般社会で高額を稼げる人間を徴兵し、軍隊で安く雇う場合、所得の差額は隠れた税金といえる。その金額は、志願制にした場合の税金の支出額を上回る」と(200頁)。

1 Comments:

Blogger yoji said...

ezaka takeru's memo: ●ゲーリー・S・ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』
http://edit-real.com/esaka/archives/2005/02/post_368.html
2005年02月11日
●ゲーリー・S・ベッカー『ベッカー教授の経済学ではこう考える』

この人の本も、もっと早く読むべきだったな・・。ここで展開される論理は明快。自由主義にもとづく市場経済原理で、世の中簡単。その鋭さ、明解さは、一部で‘経済学帝国主義’などと呼ぶ方もいるようだけれど。
目次から大まかにピックアップすると、
・宗教も自由市場によって栄える
・乱獲を断念させるために、漁獲に課税せよ
・最低賃金を引き上げると、失業者は増加する
・対価を払いさえすれば、迅速に移民できるようにしよう
・所得の不均衡は悪いことばかりではない
・いわゆる差別撤廃措置はやめるべきだ
・刑期を厳しくすれば、銃器携帯者による発砲は抑止されよう
・麻薬の合法化を肯定する人が増えつつある
・安い石油は歓迎すべきである
・高齢層へのパイの分け前は多すぎる
・日本株式会社が日本を強くしたわけではない
・最良の産業政策とは、何もしないことである
・大きな政府は時代遅れだ
・スウェーデンを手本にするのは疑問がある
・通貨統合は忘れよう:通貨同士で競争を
・自由市場によって人口爆発に対処しよう
・冷めた頭で地球温暖化に対処しよう
・終末論を信じるな
・マイクロソフトに連邦政府は干渉するな

「教育・結婚から税金・通貨問題まで」論じられるテーマは幅広いが、展開のベースとなっている考え方はすべて同じ。環境や共生を語る側からは反発も大きいことは想像できる。しかし、無視できないほど強力だと思う。

投稿者 esaka : 2005年02月11日 23:38

9:36 午後  

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