水曜日, 1月 11, 2017

『思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015』 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人


                 (リンク:::::::::柄谷行人
『思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015』 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/1995-2015-httpwww.html
NAMs出版プロジェクト: ルソー
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/blog-post_12.html


2冊の講演集成で各著作の要約を読むことができる。

13・固有名をめぐって 1988
10・単独性と個別性について 1987    

8・スピノザの「無限」 1987     探究2


11 移動と批評―トランスクリティーク  トランスクリティーク
3 近代文学の終り          日本近代文学の起源、世界史の構造B
10 山人と山姥            世界史の構造A、遊動論
9 「哲学の起源」とひまわり革命    哲学の起源
8 帝国の周辺と亜周辺         帝国の構造

2冊とも後ろから読むのがポイント

世界史の構造後半部Bの要約(『帝国の構造』に組み込まれた)は「資本主義と国家の未来」(ボブ・ジェソップに「資本主義国家の未来』という著作あり)がいいのだが…*

知の現在と未来――岩波書店創業百年記念シンポジウム 単行本(ソフトカバー) – 2014/8/29

2013年11月23日 知の現在と未来:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/20131123.html




思想的地震 柄谷行人講演集成1995-2015 (ちくま学芸文庫) 柄谷行人/著
http://www.neowing.co.jp/product/NEOBK-2044834
発売日 2017年01月発売

1 地震とカント
2 他者としての物
3 近代文学の終り
4 日本精神分析再考
5 都市プラニングとユートピア主義を再考する
6 日本人はなぜデモをしないのか ☆
7 秋幸または幸徳秋水
8 帝国の周辺と亜周辺
9 「哲学の起源」とひまわり革命
10 山人と山姥
11 移動と批評―トランスクリティーク
12思想的地震について

『言葉と悲劇』『戦前の思考』に続く講演集(『倫理21』『日本精神分析』も講演記録だが)。
冒頭の地震は東北ではなく神戸のそれ(だから311関連の発言はあまり選ばれていない。震災ユートピアに関しては講演でもっと発言していたはずだが)。最後の講演がわかりやすく自らのキャリアをまとめている。
巻末の講演場所を見ると、とにかく海外を含めてよく移動していることがわかる。そうした意味でこれは思想的な地震というよりは思想的な津波である。思想的放射能でもある。

#6
115~6:
《国家権力の前に平等にひれ伏す臣民の造出が、ほとんど抵抗らしい抵抗をみないで成功したことの背景には、むろん、教育権を国家がいち早く独占したことが大きな意味をもっております。国家が国民の義務教育をやるということは、今日近代国家の常識になっておりますが、この制度が、日本ほど無造作に、スムーズに行われた国は珍しいのであります。なぜかといえば、ヨーロッパでは、教会という非常に大きな歴史的存在が、国家と個人との間にあって、これが自主的集団といわれるもの、つまり、国家によって作られた集団ではなく、権力から独立した集団のいわゆる模範になっております。この教会が、教育を伝統的に管理していた。そこでこの教会と国家との間に、教育権をめぐって非常に大きな争いをどこの国でも経験している。ところが日本では、徳川時代からすでに、たとえば仏教のお寺は完全に行政機構の末端になっておった。つまり日本では、寺院がすでに自主的な集団ではなくなっておった。ですから寺子屋教育を国家教育にきりかえることは、きわめて容易だったわけです。そのほか、ヨーロッパでは、自治都市や地方のコンミューンがやはり国家権力の万能化に対するとりでとなり、自主的楽園の伝統をつくる働きをしましたが、この点でも、日本では、都市はほとんど行政都市でしたし、また徳川時代の村にわずかに残った自治も、町村制によって、完全に官治行政の末端に包みこまれてしまったので、中央集権国家ができ上がると、国家に対抗する自主的集団というものはほとんどなく、その点でも、自由なき平等化、帝国臣民的な画一化が、非常に早く進行しえたわけです。》(「思想と政治」丸山真男集第7巻p128―129)

参照:
丸山真男とアソシエーショニズム (2006) - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-68.html

120:
《 日本における統一国家の形成と資本の本源的蓄積の強行が、国際的圧力に急速に対処し「とつ国におとらぬ国」になすために驚くべき超速度で行われ、それがそのまま息つく暇もない近代化──末端の行政村に至るまでの官僚制支配の貫徹と、軽工業及び巨大軍需工業を機軸とする産業革命の遂行──にひきつがれていったことはのべるまでもないが、その社会的秘密の一つは、自主的特権に依拠する封建的=身分的中間勢力の抵抗の脆さであった。明治政府が帝国議会開設にさきだって華族制度をあらためて創設(作られた貴族制というのは本来形容矛盾である)しなければならなかった皮肉からも、ヨーロッパに見られたような社会的栄誉をになう強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院など、国家権力にたいする社会的なバリケードがいかに本来脆弱であったかがわかる。前述した「立身出世」の社会的流動性がきわめて早期に成立したのはそのためである。政治・経済・文化あらゆる面で近代日本は成り上り社会であり(支配層自身が多く成り上りで構成されていた)、民主化を伴わぬ「大衆化」現象もテクノロジーの普及とともに比較的早くから顕著になった。》

#6

 アセンブリとは「集まり」であり、日本語でいえば「寄り合い」です。近代以前からそれはあった。日本だけではない。どんな社会にも古来、寄り合いのようなものがあった。それが議会(アセンブリ)に発展したのです。だから、デモ・集会と議会は同根です。ルソーはいう。《人民はアセンブリにおいてだけ、主権者として行動しうるだろう》(『社会契約論』)。この場合、アセンブリは、代議制の議会ではありえません。そこでは、「寄り合い」にあった直接民主主義的な要素は失われてしまうからです。代議制では、人民が主権者となるのは投票する時だけで、そのあとは奴隷となってしまう、とルソーはいう。《代表という考えは近代のものである。古代の共和国では、いな君主国においてすら、人民は決して代表者をもたなかった》。


 ルソーはこういいます。《人民のアセンブリは、いつの時代にも、支配者たちの恐れるところであった。だから、彼らは、集まっている市民に嫌がらせをするために、つねに、配慮、反対、妨害を惜しまなかった》(同前))。ルソーがそういったわけではないが、このような人民のアセンブリは、街頭のデモ・集会以外に考えられません。実際、日本では、デモはたえず妨害され嫌がらせを受けている。なぜか。それはそこに真のアセンブリがあるからで、それこそ「支配者たちの恐れるところ」だからです。 

 要するに、日本において民主主義は、デモをするほかに実現できません。デモなどで社会が変わるか、といってはいけない。デモをする以外に、日本の社会は変わらないのです。



参照:
「日本の思想」岩波新書及び『丸山眞男集 第七巻』(岩波書店)
または、
丸山眞男 & 杉田敦「丸山眞男セレクション」
https://itun.es/jp/_1249.l


#6
135:

《人民はアセンブリ(集会したとき・寄り合い)においてだけ、主権者として行動しうるだろう》(ルソー「社会契約論」)。3:12 岩波文庫

《代表という考えは近代のものである。…古代の共和国では、いな君主国においてすら、人
民は決して代表者をもたなかった》(同)3:15

「代表者という考えは近世のものである。それは封建政治に、すなわち人間が堕落し、人間という名前が恥辱のうちにあった、かの不正でバカげた政治に、由来している。古代の共和国では、いな君主国においてすら、人民は決して代表者をもたなかった。こうした言葉を、ひとは知らなかったのだ。」(岩波文庫p.133-134)3:15

「だからわたしはいう、主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲りわたすことは決してできない、と。またいう、主権者とは集合的存在にほかならないから、それはこの集合的存在そのものによってしか代表されえない、と。権力は譲りわたすこともできよう、しかし、意志はそうではない。」(p.42)2:1
ルソー『社会契約論』を読む -
http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20120627


《ルソーはこういっています。人民は集会に来たときにだけ主権者として行動しうると。》
柄谷行人「憲法9条の今日的意義」(2016年1月23日講演のテキスト起こし) 
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/300.html

人民は集会したときにだけ、 主権者として行動しうるであろう (第三編 第一 二章).


#11

 私は『トランスクリティーク』以来、一〇年あまり、『トランスクリティーク』で提起した「交換様式」の問題を発展させようとしてきました。それが『世界史の構造』であり、また、『哲学の起源』、『帝国の構造』です。このような仕事を今後も続けるだろうと思います。と同時に、私は過去の仕事をふりかえることを考えています。


#12

 私はこれまで講演集を二冊出した。『言葉と悲劇』(一九八九年)と『〈戦前〉の思考』(一九九四年)である。前者は一九八四年から八八年まで、後者は一九九〇年から九三年までの講演を集めたものだ。





収録内容(講演年月@講演場所~初出:原題):
1 地震とカント (1995年6月@ソウル~『Anywise』1999年所収 :原題「建築と地震」)
2 他者としての物 (2000年6月@ニューヨーク~『Anything』2001年所収)
3 近代文学の終り (2003年10月@近畿大学~『近代文学の終わり』2005年所収)
4 日本精神分析再考 (2008年12月@ラカン協会~「IRS(#9,10)」2012年所収)
5 都市プラニングとユートピア主義を再考する (2009年5月@トルコ~「現代思想」臨時増刊2015年1月所収)
6 日本人はなぜデモをしないのか (2008年11,12月@早稲田大,京都造芸大)
7 秋幸または幸徳秋水 (2012年8月@新宮市~「文學界」2012年10月所収)
8 帝国の周辺と亜周辺 (2014年5月@釜山~「atプラス(#21)」2014年所収:原題「東アジア世界の構造」)
9 「哲学の起源」とひまわり革命 (2014年11月@台北)
10 山人と山姥 (2014月12月@城西大学)
11 移動と批評―トランスクリティーク(2015年1月@新宿紀伊国屋ホール~「現代思想」2015年3月所収)

追記:
柄谷のカントへの転向以降の講演。
ただしカントへの転回はジジェクが先行する。ジジェクはラカンのサド論*を参照しているから、
柄谷がラカン協会で講演するのは意味がある
柄谷はフロイトに遡行するがラカンは柄谷の思想史的には大きい

311関連は少ない
九条関連もない

ただ思考の基盤は出揃っている
マルクスよりルソーが重要になる
アソシエーションを体現するカントから考察が始まるが全体としてはネーションの比重が大きい
政治的な文学、文化論ということになる

ミシェル・フーコーの世紀 単行本 – 1993/10
蓮實 重彦 (編集), 渡辺 守章 (編集)
この時点ではジジェクのカント理解の方が進んでいる
柄谷のカントへの転回はジジェクに触発されたものだろう


柄谷行人:
『世界史の構造』日本語版目次

『世界史的构造』大陸版目次

『世界史的結構』台湾版目次

『세계사의 구조』韓国語版目次

Kojin Karatani「The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange (Unabridged)」

Kojin Karatani: 洋書


Isonomia and the Origins of Philosophy (英語) 2017/9
Kojin Karatani (著), Joseph Murphy (翻訳)
出版社: Duke Univ Pr (Tx) (2017/09) 『哲学の起源』の翻訳
この他にNation and Aesthetics: On Kant and Freud (Global Asias)2017/6
Kojin Karatani、 Jonathan E. Abel こちらは『定本柄谷行人集 4 ネーションと美学』の翻訳

参考:
柄谷行人
『世界史の構造』日本語版目次
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html
大陸版目次
http://book.douban.com/subject/19897923/
台湾版目次
http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=
韓国語版目次
http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991706592
Kojin Karatani「The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange (Unabridged)」
https://itun.es/jp/bQpJ-

Kojin Karatani: 洋書
https://www.amazon.co.jp/s/ref=dp_byline_sr_book_1?ie=UTF8&text=Kojin+Karatani&search-alias=books-us&field-author=Kojin+Karatani&sort=relevancerank

世界史的構造-柄谷行人文集  [(日)柄谷行人] 3720円 中央編訳
跨越性批判-柄谷行人文集.2  [(日)柄谷行人] 3120円 中央編訳
歴史与反復-柄谷行人文集.3  [(日)柄谷行人] 2700円 中央編訳
作為隠喩的建筑-柄谷行人文集.1  [(日)柄谷行人] 2530円 中央編訳 

______

以下カント『判断力批判』#28より

《力 [Macht]とは大きな障害に優越している能力である。その同じ力は、力をそれ自身所持し
ているものの抵抗にもまた優越しているとき威力[Gewalt]と称せられる。…
われわれは雷雨、暴風雨、地震などにおいて神が憤怒しており、しかも同時に神の崇高性が
表出されていると表象するのをつねとするが……
われわれの職分がその力を超えて崇高であると考えるところのわれわれの内に存する能力に
よって、深い畏敬をわれわれの内に起こさせる存在者の崇高性の理念へ達することができる…》

1790年『判断力批判』#28(岩波文庫上179頁)でカントは地震に触れその節の末尾を
柄谷は定本①(29頁)で引用している。カントの思考がここまで行きつくには、
スウェーデンボルグ(霊魂)ルソー(倫理)ヒューム(論理)を経なければならなかった。
そうでなければ1750年代の自然科学論文で満足したままだったろう。

1756年地震論文(リスボン地震を考察)では唯物論、
1766年視霊者の夢でスウェーデンボルグを独断論/懐疑論で切るが十分ではない。
1788年第二批判末尾(天文学)ですら通過点なのだから。

カントの強みは自然科学、倫理学、論理学が渾然としているところだ。
(だからそれらを整理するカテゴリーが逆に意味を持つ。)
1798年の人間論にフーコーが着目した理由もそこだし、柄谷の文学論の意義もそこにある。

柄谷行人は1995地震講演での錯誤でその渾然としたカントを体現してしまっている。
2000年代マルクスの唯物論に物足りなくなった柄谷と、
1760年代自然科学に物足りなくなったカントとはパラレルだ。

ちなみに、
1755年 リスボン地震その翌年1756年地震論 カント
1875年 ゴータ綱領批判         マルクス
1995年 地震講演              柄谷

対抗運動も120年周期になる。
60年ズレて対抗運動も集積的ではなく分散的になるはずだが、
彼らはさらに60年後の集積的対抗運動を準備する。

ただし、
カントを独断論のまどろみから目覚めさせたのがヒュームなら
柄谷を思弁的思考から目覚めさせたのはプルードンだ
(柄谷地震講演ではヒュームより地震が強調されるが、視霊者の夢はヒュームなしにはあり得ない)
それが2000年代のNAMにつながる
1755年の地震がカントを揺さぶったように1995年の地震(240年周期?)が柄谷を揺さぶったが
出口を指し示したのはプルードンだ


参考:
『思想的地震』「近代文学の終り」の表(52~3頁)では以下の表に
エートス、社会心理(リースマン『孤独な群衆』参照)、主要芸術が加わっている。
エートスのみ世界資本主義と同じく循環的になる。

「資本主義の世界史的諸段階」:メモ

NAMs出版プロジェクト: 世界資本主義の諸段階(資本主義の世界史的諸段階):メモ


世界資本主義の諸段階(柄谷行人『帝国の構造』181頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、『知の現在と未来』97頁)
__________________________________________
      |1750~ |1810~ |1870~ |1930~ |1990~ 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|_______
覇権国家  オランダ   |    イギリス     |    アメリカ   インド?
______|______|_____________|_____________循
世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____環
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__一八四八_\_____|__一九六八_\______↕︎_
経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______リ
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 
______|______|______|______|______|______
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    ニ
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
______|______|______|______|______|______ア
国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|_______
宇野経済学 |        段階論        |     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟*
*柄谷はロシア革命よりも国連を重視する。

ネットワーク型対抗運動も循環する。
世界資本主義と経済政策の位置付けが訂正され、図の名称も変わった。
宇野経済学(段階論と現状分析)はリニアだが原理論は循環的だ。

世界資本主義の諸段階:


世界資本主義の諸段階(柄谷行人『帝国の構造』181頁、「近代文学の終わり」『思想的地震2』52~3頁より)
参照:資本主義の世界史的諸段階(『世界史の構造』412頁、『知の現在と未来』97頁)
__________________________________________
      |1750~ |1810~ |1870~ |1930~ |1990~ 
      |1810  |1870  |1930  |1990  |      
______|______|______|______|______|_______
覇権国家  オランダ   |    イギリス     |    アメリカ      インド?
______|______|_____________|_____________循
世界資本主義|帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 |自由主義的 \帝国主義的 
______|______|_______\_____|_______\_____
対抗運動  |分散的   |集積的   \分散的   |集積的   \分散的   
______|______|__一八四八_\_____|__一九六八_\_____環
エートス  |消費的   |禁欲的   |      |消費社会  | 
______|______|______|______|______|________↕︎_
社会心理  |伝統志向  |内部志向  |      |他人志向  | 
______|______|______|______|______|______リ
主要芸術  |  物語  |  小説  |  映画  | テレビ  マルチメディア
______|______|______|______|______|______
経済政策  |後期重商主義|自由主義  |帝国主義  |後期資本主義|新自由主義 
______|______|______|______|______|______
資本    |商人資本  |産業資本  |金融資本  |国家独占資本|多国籍資本 ニ
______|______|______|______|______|______
世界商品  |繊維産業  |軽工業   |      |耐久消費財 |情報    
  &   |(マニュファ|(機械生産)|重工業   |(フォーディ|(ポスト・フォ
(生産形態)| クチャー)|      |      | ズム   |ーディズム) 
______|______|______|______|______|______ア
国家    |絶対主義王権|国民国家  |帝国主義国家|福祉国家  |地域主義  
______|______|______|______|______|_______
宇野経済学 |        段階論        ☆|     現状分析
                          ロシア革命
                          国際連盟*
*柄谷はロシア革命よりも国連を重視する。

ネットワーク型対抗運動も循環する。



 序文____『世界史の構造』の構造______

|     |     |2(氏族社会)1   |

| 1国家 |3世界帝国|贈与と呪術| 定住革命|

|    第2部ギリシア|    第1部    |

|___世界=帝国___|__ミニ世界システム_|

|    (B)    |    (A)    |

|     |     |     |序説   |

|2世界貨幣|4普遍宗教|     |交換様式論|

|_____|_____|_____|_____|

|     |3    |     |     |

|1近代国家|ネーション|     |     |

|    第3部    |    第4部    |

|_近代世界システム__|___現在と未来___|

|    (C)4   |1   (D) 2  |

|2産業資本|アソシエー|世界資本主|世界   |

|     |ショニズム|義の段階と|共和国へ |

|_____|____☆|反復___|_____|


☆が現在地か?

追記:

柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇 2017年10月27日 電子版 (初出1989)





柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇 2017年10月27日 電子版初版発行 


初出一覧  

   (それぞれ、講演日/講演場所/主催/初出を示す)  

1・言葉と悲劇 1982年5月15日/青山女子短期大学/日本シェイクスピア学会 

2・ドストエフスキーの幾何学 1985年6月15日/早稲田大学/ドストエーフスキイの会/

「ドストエーフスキイ研究」Ⅲ号、1986年、原題「ドストエーフスキイとバフチン」 

3・漱石の多様性 1985年2月27日/川口市栄町公民館/川口市立前川図書館 

4・江戸の注釈学と現在 1985年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会 

5・「理」の批判 1986年1月31日/エコール・ノルマル・シュペリウール/フランス外務省/

「現代詩手帖」1986年5月号 

6・日本的「自然」について 1986年10月25日/都立婦人情報センター/東京女性史研究会/

「フェミニテ」第5号、1987年 

7・世界宗教について 1986年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会 

8・スピノザの「無限」 1987年7月17日/──/「現代思想」インタビュー/「現代思想」1987年9月号 

9・政治、あるいは批評としての広告 1987年9月10日/機械振興会館/「広告学校」(「広告

批評」主催)/「広告批評」第100号、1987年 

10・単独性と個別性について 1987年11月2日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会 

11・ファシズムの問題 1988年1月15日/──/「現代思想」インタビュー/「現代思想」1988年3月号

12・ポストモダンにおける「主体」の問題 1988年4月11日/デューク大学/The Duke Center 

for Critical Theory/「季刊思潮」創刊号、1988年 

13・固有名をめぐって 1988年5月28日/赤坂草月ホール/「季刊思潮」/「図書新聞」1988年6月25日号 

14・坂口安吾その可能性の中心 1988年9月24日/東洋大学/日本近代文学会


本書は、1989年第三文明社より刊行され、1993年講談社学術文庫に収録された。本文庫化に際

しては、講談社学術文庫版を底本とし、左記の改変を加えた。 

 一、「バフチンとウィトゲンシュタイン」については、割愛した。 

 一、「漱石の多様性」「坂口安吾その可能性の中心」については、『定本 柄谷行人文学

論集』(岩波書店、2016年)所収の改訂稿に差し替えた。

本作品は、2017年5月、ちくま学芸文庫として刊行された。



https://itunes.apple.com/jp/book/id1300462537


参考:

柄谷行人「柄谷行人講演集成1995‐2015 思想的地震」

https://itun.es/jp/8hnvjb.l 





カントの年表

カントの年表

カントの年表です。有福孝岳・坂部恵編『カント事典』(弘文堂、1997年)に収められている菅沢龍文・平野登士・小野原雅夫編「カント年譜」を限りなく参考にしております。
年代年齢内容
1724年0歳4月22日、イマヌエル・カント(1724-1804)、ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)に9人の子供のうち第四子として生まれる。父の名はヨハン・ゲオルク・カント(1683-1746)で馬具職人、母の名はアンナ・レギーナ・ロイター(1697-1737)。
1730年5歳聖ゲオルク養老院付属小学校に入学する。
1732年8歳コレギウム=フリデリキアヌム(フリードリッヒ学院)に入学する。
1737年13歳母(1697-1737)没す。
1740年16歳ケーニヒスベルク大学に入学する。
1746年22歳大学を卒業。卒業論文の題名は「活力の真の測定に関する考察」。父没(1683-1746)す。
1747年23歳ダニエル・アンデルシュ家の家庭教師となる。
1749年25歳処女作『活力の真の測定に関する考察』を出版する。
1751年27歳ヒュンゼン家の家庭教師になる。
1754年30歳「ケーニヒスベルク週報」で「地軸の回転によって地球がこうむる変化」、「地球は老衰するか」を発表。
1755年31歳『天界の一般自然史と理論』を出版する。マギスター論文「火について」を発表。私講師就職論文『形而上学的認識の第一原理の新解明』についての公開討論、出版。ケーニヒスベルク大学の私講師になる。論理学、数学、物理学、形而上学を講義。
1756年32歳「ケーニヒスベルク週報」でリスボンの大地震についての論文「地震の原因について」、「地震における注目すべき出来事」、「地震論続編」を発表。クヌーツェンの没後に空席となった数学と哲学の院外教授の席を申請するが却下。『物理的単子論』についての公開討論をし、教授資格を得る。「風の理論の解明に関する新註」を発表。倫理学講義を開始。
1757年33歳「自然地理学講義概要 付録:西風論」を発表。
1758年34歳「運動と静止の新概念」を発表。ケーニヒスベルク大学でJ.D.キュプケの後任として論理学・形而上学教授の席を申請するが却下。この年、ロシア軍によってケーニヒスベルクは占領(1958-1962)される。
1759年35歳力学を講義。冬学期講義予告の『オプティミズム試論』を出版。
1760年36歳「フンク氏の早世をいたんで」を発表。
1762年38歳ケーニヒスベルク大学の学長であったボックの後任として詩学教授の後任に推薦されるが辞退する。『神の現存在の論証の唯一可能な証明根拠』を出版。ウィーンでは禁書扱いになる。『三段論法の四つの格の誤った煩瑣性』を出版。ルソーの『エミール』が出版され、これを読んだカントは後年、ルソーから「人間を尊敬する」ことを学んだと告白する(『美と崇高の感情に関する考察』覚え書き)。ヘルダー、カントの講義を聴く。
1763年39歳ベルリンアカデミーの懸賞論文「自然神学と道徳の原則の判明性」が次席に選ばれる。一位はメンデルスゾーン。『負量の概念を世界知に導入する試み』を出版。
1764年40歳「ケーニヒスベルク学術政治新聞」で「脳病試論」、「ジルバーシュラークの著作"1762年7月23日に現れた火の玉に関する理論"の論評への補遺」を発表。再び詩学教授職への就任を要請する勅書が発せられるが、辞退する。『美と崇高の感情に関する考察』を出版。
1765年41歳1765-1766年冬学期講義計画公告」を発表。
1766年42歳『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』を出版。ケーニヒスベルク王立図書館副司書になる(1766-1772)。
1767年43歳自然法と哲学概論を講義する。
1768年44歳「ケーニヒスベルク週報」で「空間における方位の区別の第一根拠について」を発表。
1769年45歳エアランゲン大学の論理学・形而上学の教授に招かれ一旦は承諾するが、後に辞退する。
1770年46歳イェナ大学より招聘されるが、辞退する。ランクハンゼンの後任としてケーニヒスベルク大学の論理学・形而上学の正教授となる。正教授就任論文『感性界と知性界の形式と原理』を出版。鉱物学を講義する。
1771年47歳ケーニヒスベルク学術政治新聞で「モスカティの著作"動物と人間の構造の間にある身体上の本質的な相違について"の論評」を発表。
1772年48歳王立図書館副司書を辞任(1766-1772)。人間学を講義する。
1773年49歳
1774年50歳自然神学を講義する。
1775年51歳「夏学期講義計画; さまざまな人種について」を発表。
1776年52歳「ケーニヒスベルク学術新聞」で「汎愛学舎論」を発表。哲学部学部長を務める。教育学を講義する。
1778年54歳ハレ大学への招聘を辞退する。
1779年55歳哲学部学部長を務める。
1780年56歳ケーニヒスベルク大学評議委員会会員になる。
1781年57歳『純粋理性批判』を出版。
1782年58歳「ケーニヒスベルク学術政治新聞」で「ランベルトの往復書簡の公告」、「医者に対する声明」を発表。
1783年59歳『将来の形而上学のためのプロレゴーメナ』を出版。
1784年60歳「ベルリン月報」で「世界市民的見地における一般史の理念」、「啓蒙とは何かという問いに対する回答」を発表。
1785年61歳「一般文芸新聞」で「ヘルダー論評」(第一ヘルダー論評)、「抗弁」(第二ヘルダー論評)、「ヘルダー論評」(第三論評)を発表。「ベルリン月報」で「月の火山について」、「偽版の違法について」、「人種の概念の規定」を発表。『人倫の形而上学の基礎づけ』を出版。
1786年62歳「ベルリン月報」で「人類史の憶測的起源」、「思考において方位を定めるとはいかなることか」を発表。ケーニヒスベルク大学学長に就任(任期は半年)。『自然科学の形而上学的原理』を出版。「一般文芸新聞」で「自然法の原則に関するフーフェラントの試論に対する論評」を発表。ベルリン・アカデミーの会員に選ばれる。
1787年63歳『純粋理性批判』第二版を出版。『実践理性批判』を出版(年号には1988年と記してある)。
1788年64歳「ドイツ・メルクール」で「哲学における目的論的原理の使用について」を発表。ニヒスベルク大学学長に再任される。
1789年65歳
1790年66歳『判断力批判』、『新しい純粋理性批判は古い批判によってすべて無用にされるはずだという発見について』を出版。「一般文芸新聞」で「声明」を発表。これは『カント小著作集・注釈付』と題したまがい物が出回っている事に対する警告である。
1791年67歳哲学部学部長。「ベルリン月報」で「弁神論におけるあらゆる哲学的試みの失敗について」を発表。フィヒテが経済的支援を求めてきたのに対し『あらゆる啓示の批判の試み』の出版の口利きをすることで応える。勅令により出版物の検閲が厳しくなる。
1792年68歳「ベルリン月報」で「人間の本性における根本悪について」(後の『たんなる理性の限界内の宗教』の第一論文)を発表。「人間の支配をめぐる善原理と悪原理の戦いについて」(のちの『たんなる理性の限界内の宗教』の第二論文)に出版不許可の決定が下る。「一般文芸新聞」で「声明」を発表。この中で『あらゆる啓示の批判の試み』の著者がフィヒテであり、自分とは関係の無いことを主張する。
1793年69歳『単なる理性の限界内の宗教』を出版。「ベルリン月報」で「『それは理論では正しいだろうが、実践では役に立たない』という俗言について」を発表。人倫の形而上学を講義する。
1794年70歳『単なる理性の限界内の宗教』の改訂第二版を出版。「ベルリン月報」で「月が天候に及ぼす影響について」、「万物の終わり」を発表。ロシアのペテルブルク科学アカデミーの会員に選ばれる。宗教・進学に関する講義、著作を禁ずるフリードリッヒ・ヴィルヘルム2世の勅令が出される。カントは嫌疑を否定しながらも「陛下の忠実な臣下として」勅令を感受することを表明。
1795年71歳「魂の器官について」の私見をゼンメリンク宛書簡で述べる。「永遠平和のために」を出版。この頃から講義を縮小していく。
1796年72歳学長を辞退する。「ベルリン月報」で「哲学において最近高まってきた尊大な語調」、「誤解に基づいた或る数学上の論争の調停」を発表。「一般文芸新聞」で「フォン・ピッペルの著者としての資格に対する声明」を発表。『永遠平和のために』の改訂第二版を出版。論理学で最終講義を行う。
1797年73歳『人倫の形而上学 第一部 法論の形而上学的原理』を出版。「ベルリン月報」(終刊号)で「哲学における来るべき永遠平和条約の締結を告知」を発表。『人倫の形而上学 第二部 徳論の形而上学的原理』を出版。「ベルリン雑誌」で「人類愛から嘘をつく権利の虚妄」を発表。バンジャマン・コンスタンの「政治的反動について」(1796年刊)のどtsu訳語が発表される。この中でコンスタンはカントの窮余の嘘について批判する。
1798年74歳フーフェラントに論文「自己の病的な身体的感覚についての心意の力」を送付。『法論の形而上学的原理』改訂第二版を出版。講義録『実用的見地における人間学』を出版。『諸学部の争い』を出版し、序文で宗教・進学に関する講義、著作を禁じたフリードリッヒ・ヴィルヘルム2世の勅令が、ヴィルヘルム2世の亡くなった今や無効であると宣言する。『出版業について』を出版。
1799年75歳「一般文芸新聞」で「フィヒテの知識学に関する声明」を発表。
1800年76歳イェッシェの編集で講義録『論理学』を出版。ヤッハマンの『菅と宗教哲学の吟味』のために「カントの宗教哲学に関するヤッハマンの試論のための序文」を寄稿。クリスティアン・ゴットリープ・ミールケの『リトアニア語・ドイツ語辞典』に「後期」を寄稿。この頃から老衰がひどくなり、ヴァジアンスキーがカントの世話をする。
1801年77歳書籍商フォルマーが同年に無断で出版した『カント自然地理学』に対する「抗議声明」を発表。大学評議員を辞する最後の公式「声明」。
1802年78歳約40年間カントに仕えた召使のマルティン・ランペを解雇する。メモには「ランペの名は今後忘れてしまわねばならない」と記す。リンクの編集で講義録『自然地理学』を出版。
1803年79歳亡き弟の末娘ヘンリエッテに父親代わりとして結婚を祝福する手紙を送る。現存する最後の書簡で、ヴァジアンスキーによる代筆。リンクの編集で講義録『教育学』を出版。
1804年80歳2月3日、ひどく衰弱しながらも検診に来たエルスナー医師(当時ケーニヒスベルク大学学長)を立ち上がって迎え、「まだ人間性に対する感情を失っていません」と告げる。2月12日、末妹カタリーナやヴァジアンスキーが見守る中、老衰により死亡。ぶどう酒を水で薄め砂糖を混ぜたものを口にして「これでよい(Es ist gut.)」と言ったのが最後の言葉。2月28日、大学墓地に埋葬。カントは極力質素な葬儀を望んでいたが、16日間かけて町中の市民がカントに別れを告げ、数千人以上が葬儀の列に参加した。復活祭に、カントが1788年のベルリン・アカデミー懸賞論文へ応募せずにいた未完の論文をリンクが編集し『形而上学の進歩』として出版する。


SEIICHI MORIMOTO <森本誠一>
kant1724@hotmail.com



15 Comments:

Blogger yoji said...

柄谷行人

《世界史の構造》日本語版目次
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236930/top.html

大陸版目次
http://book.douban.com/subject/19897923/

台湾版目次
http://www.psygarden.com.tw/book.php?func=visit&bookid=MjAxMzAxMjIxODMzMDA=

韓国語版目次
http://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ISBN=8991706592

Kojin Karatani「The Structure of World History: From Modes of Production to Modes of Exchange (Unabridged)」
https://itun.es/jp/bQpJ-

Kojin Karatani: 洋書
https://www.amazon.co.jp/s/ref=dp_byline_sr_book_1?ie=UTF8&text=Kojin+Karatani&search-alias=books-us&field-author=Kojin+Karatani&sort=relevancerank

5:44 午前  
Blogger yoji said...

遊動性は幸か不幸か資産格差を不可能にする。
アリストテレス『アテナイ人の国制』(岩波文庫)を読むとポータブルな抽選器もあったらしい。
どちらが先かは分からない。

基本はアフリカからの移動で平等性を(部族内)システムとして獲得した民族が生き延びた


ユダヤの最初の王サウルもくじ引きで決まった
その後の遊動性を準備するものと言える



《定住以前の狩猟採集社会には、共同寄託はあるが互酬的交換はなかったと考えるべきである。》遊動論



戦場で貧乏籤をひかされるケースもあったろうし、遊動性が平等性と切り離せないのは確かだろう。

アリストテレスは法による支配を重視し、イソノミアという言葉を使わない。
ヘロドトスからは乖離がある。
イオニアが植民都市であることが重要で移動を宿命づけられているのだ。戦争で負ける場合もあるし、
商業に従事するケースもある。

5:21 午前  
Blogger yoji said...


以下カント判断力批判#28より
《力 Macht とは大きな障害に優越している能力である。その同じ力は、力をそれ自身所持しているもの
の抵抗にもまた優越しているとき威力 Gewalt と称せられる。…
われわれは雷雨、暴風雨、地震などにおいて神が憤怒しており、しかも同時に神の崇高性が表出されて
いると表象するのをつねとするが……
われわれの職分がその力を超えて崇高であると考えるところのわれわれの内に存する能力によって、深い
畏敬をわれわれの内に起こさせる存在者の崇高性の理念へ達することができる》

カントは判断力批判#28(岩波文庫上179)で地震に触れその節の末尾を柄谷は定本①(29頁)で引用している。
カントの思考がここまで行きつくには、
スウエーデンボルグルソーヒュームを経なければならなかった。
そうでなければ1750年代の自然科学論文で満足したままだったろう。

1756年地震論文(リスボン地震に触発された)では唯物論、
夢は独断論に対して批判哲学ではなく懐疑主義的歴史観で対抗しているが弱いし、
1766夢論文でスウエーデンボルグを独断論/懐疑論で切るが十分ではない。

カントの強みは自然科学、論理学、倫理学が渾然としているところだ。
(だからそれらを整理するカテゴリーが逆に意味を持つ)

柄谷行人の地震論での錯誤でその渾然としたカントを体現してしまっている。
2000年代マルクスの唯物論に物足りなくなった柄谷と、
1760年代自然科学に物足りなくなったカントとはパラレルだ。

2:06 午前  
Blogger yoji said...


以下カント『判断力批判』#28より
《力 [Macht]とは大きな障害に優越している能力である。その同じ力は、力をそれ自身所持しているもの
の抵抗にもまた優越しているとき威力[Gewalt]と称せられる。…
われわれは雷雨、暴風雨、地震などにおいて神が憤怒しており、しかも同時に神の崇高性が表出されて
いると表象するのをつねとするが……
われわれの職分がその力を超えて崇高であると考えるところのわれわれの内に存する能力によって、深い
畏敬をわれわれの内に起こさせる存在者の崇高性の理念へ達することができる》

カントは『判断力批判』#28(岩波文庫上179)で地震に触れその節の末尾を柄谷は定本①(29頁)で引用している。
カントの思考がここまで行きつくには、
スウェーデンボルグルソーヒュームを経なければならなかった。
そうでなければ1750年代の自然科学論文で満足したままだったろう。

1756年地震論文(リスボン地震に触発された)では唯物論、
1766夢論文でスウェーデンボルグを独断論/懐疑論で切るが十分ではない。

カントの強みは自然科学、論理学、倫理学が渾然としているところだ。
(だからそれらを整理するカテゴリーが逆に意味を持つ。
1798人間論にフーコーが着目した理由もそこだ。)

柄谷行人の地震論での錯誤でその渾然としたカントを体現してしまっている。
2000年代マルクスの唯物論に物足りなくなった柄谷と、
1760年代自然科学に物足りなくなったカントとはパラレルだ。

ちなみに
1880年マルクスは労働者へのアンケート、
https://de.m.wikipedia.org/wiki/Fragebogen_f%C3%BCr_Arbeiter
1881年ザスーリチへの手紙を書いた
全集#19
第19巻 1875年 - 大月書店 マルクス=エンゲルス全集 online
maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK01...
M, フランス語版(1880年)へのまえがき, 181. E, ドイツ語初版(1882年)への序文, 183. E, 空想から科学への社会主義の発展, 186. 1, 186. 2, 198. 3, 206. M, 『哲学の 貧困』について, 226. M, 労働者へのアンケート, 227 ... マルクスとエンゲルスの生活と 活動.

ミシェル・フーコーの世紀 単行本 – 1993/10
蓮實 重彦 (編集), 渡辺 守章 (編集)
この時点ではジジェクのカント理解の方が進んでいる

4:46 午前  
Blogger yoji said...


1755 1875 1995

1755年 リスボン地震その翌年1756年地震論 カント
1875年 ゴータ綱領批判         マルクス
1995年 地震講演              柄谷

4:54 午前  
Blogger yoji said...

以下カント『判断力批判』#28より
《力 [Macht]とは大きな障害に優越している能力である。その同じ力は、力をそれ自身所持しているもの
の抵抗にもまた優越しているとき威力[Gewalt]と称せられる。…
われわれは雷雨、暴風雨、地震などにおいて神が憤怒しており、しかも同時に神の崇高性が表出されて
いると表象するのをつねとするが……
われわれの職分がその力を超えて崇高であると考えるところのわれわれの内に存する能力によって、深い
畏敬をわれわれの内に起こさせる存在者の崇高性の理念へ達することができる》

カントは『判断力批判』#28(岩波文庫上179)で地震に触れその節の末尾を柄谷は定本①(29頁)で引用している。
カントの思考がここまで行きつくには、
スウェーデンボルグルソーヒュームを経なければならなかった。
そうでなければ1750年代の自然科学論文で満足したままだったろう。

1756年地震論文(リスボン地震に触発された)では唯物論、
1766夢論文でスウェーデンボルグを独断論/懐疑論で切るが十分ではない。

カントの強みは自然科学、論理学、倫理学が渾然としているところだ。
(だからそれらを整理するカテゴリーが逆に意味を持つ。
1798人間論にフーコーが着目した理由もそこだ。)

柄谷行人の地震論での錯誤でその渾然としたカントを体現してしまっている。
2000年代マルクスの唯物論に物足りなくなった柄谷と、
1760年代自然科学に物足りなくなったカントとはパラレルだ。

ちなみに

1755年 リスボン地震その翌年1756年地震論 カント
1875年 ゴータ綱領批判         マルクス
1995年 地震講演              柄谷

対抗運動も120年周期

5:25 午前  
Blogger yoji said...

以下カント『判断力批判』#28より
《力 [Macht]とは大きな障害に優越している能力である。その同じ力は、力をそれ自身所持し
ているものの抵抗にもまた優越しているとき威力[Gewalt]と称せられる。…
われわれは雷雨、暴風雨、地震などにおいて神が憤怒しており、しかも同時に神の崇高性が
表出されていると表象するのをつねとするが……
われわれの職分がその力を超えて崇高であると考えるところのわれわれの内に存する能力に
よって、深い畏敬をわれわれの内に起こさせる存在者の崇高性の理念へ達することができる》

カントは『判断力批判』#28(岩波文庫上179)で地震に触れその節の末尾を柄谷は定本①(29頁)で引用している。
カントの思考がここまで行きつくには、
スウェーデンボルグ(霊魂)ルソー(倫理)ヒューム(論理)を経なければならなかった。
そうでなければ1750年代の自然科学論文で満足したままだったろう。

1756年地震論文(リスボン地震に触発された)では唯物論、
1766夢論文でスウェーデンボルグを独断論/懐疑論で切るが十分ではない。

カントの強みは自然科学、倫理学、論理学が渾然としているところだ。
(だからそれらを整理するカテゴリーが逆に意味を持つ。
1798人間論にフーコーが着目した理由もそこだ。)

柄谷行人の地震論での錯誤でその渾然としたカントを体現してしまっている。
2000年代マルクスの唯物論に物足りなくなった柄谷と、
1760年代自然科学に物足りなくなったカントとはパラレルだ。

ちなみに、

1755年 リスボン地震その翌年1756年地震論 カント
1875年 ゴータ綱領批判         マルクス
1995年 地震講演              柄谷

対抗運動も120年周期

5:30 午前  
Blogger yoji said...

中森明夫 (@a_i_jp):
新宿・風花の朗読会で総会屋よろしく柄谷行人に公開質問…注目の韓国人
批評家ジョ・ヨンイルは柄谷行人の一番いい作品は最新作だ、柄谷の
代表作はまだ書かれていないと。他方、東浩紀は昔の『探求』の頃の
「批評という病」を患ってた頃の柄谷はいいが、近年では癒えて
健康になってしまったと批判…

中森明夫 (@a_i_jp):
柄谷行人自身は後身の評価をどう思うのか? と直撃すると、
一瞬だまった後「僕の代表作はまだ書かれていない。病…なんて、
どうでもいいんだ。俺はもっとすごいところへ行くんだから。
これから百歳まで生きるんだ。これからだ…」と意気軒昂!

中森明夫 (@a_i_jp):
柄谷行人75歳…超元気で、何か健康法はあるんですか? と訊くと
「毎日、シコを踏んでるんだ」という。深夜・午前1時半、
新宿の路上で柄谷がシコを踏み出したのには仰天!? ちょうどそこは7年前、
東浩紀が若手らと上半身ハダカで記念撮影、大暴れして新宿警察が
出動したのと同じ場所だった!

7:38 午後  
Blogger yoji said...

柄谷行人「憲法9条の今日的意義」(2016年1月23日講演のテキスト起こし) 烏滸の者
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/300.html
[6:28] 私は以前デモについて考えた時、つぎのようなことに気づきました。日本語ではデモは集会と区別されています。しかし英語でいうと、デモを表すいい方はいろいろありますが、正式にはassemblyです。それは日本語で「集会」と訳されています。だからデモも集会もassemblyなんですね。日本の憲法21条には「集会、結社、表現の自由」というのがありますけれども、「デモの自由」がない。だからかつては「デモの自由」を「表現の自由」から根拠づけるような論がありましたけど、単純な誤解です。デモはassemblyである。だから「集会の自由」が「デモの自由」を意味しているわけです。ちなみに憲法21条にある「結社の自由」という表現、これはわからないものです。これは英語でいうとassociationの自由なんです。「結社」というとほとんどの人は秘密結社ぐらいしか思い浮かばないんです。associationというのはどこにでもあるものです。小学校に行けばあります。PTAのAだから。親と教師のassociationなんですよ。つまり非常にありふれた言葉です。日本語でいえばassemblyというのは寄合です。どの村や町にも寄合がありました。今もあると思います、所によっては。それが元になるわけです。西洋ではそういう寄合が議会にもなったわけです。だから議会はassemblyというんです。寄合です。つまり議会とデモは親戚のようなものですね。たとえば、ルソーが『社会契約論』で「権力は民衆のassemblyを嫌う」と書いている。その場合、assemblyというのは議会というよりも集会・デモという意味だと思います。歴史的には絶対王政に対するassemblyですね。集会・デモがだんだんと大きくなって議会として承認されるようになったわけです。その意味で議会の起源はデモ・集会なんですね。またルソーはこういっています。人民は集会に来たときにだけ主権者として行動しうると。人民という主権者は個々人ではないんです。個々人が集会をしたときに登場するものです。そこにルソーがいう「一般意思」も存在してるわけです。個々人を集めた総和ではありません。その集会において「一般意思」が存在する。だからルソーは同時代の議会制が発達したイギリスにかんしてこういっています。イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人は奴隷となり、無に帰してしまうと。またルソーはこうもいっています。代表者という考えは近世のものである。それは封建政治に由来していると。つまり、代表制議会には主権者としての人民はいません。代表者は封建制における領主のようなものです。そのことは現在の日本の代議士をみるとよくわかります。安倍首相を初め、彼らの多くは何代にもわたる世襲です。徳川時代の方が養子制があったから今よりはましです。こんな議会に主権者として人民が存在するはずがない。それが存在するのはもう一つのassemblyすなわちデモ・集会においてです。

9:00 午後  
Blogger yoji said...



《昨晩、読み返しよ(少しばかり)、『資本論』をね!! ぼくはあれを読んだ数少ない人間の1人だ。
ジョレス〔当時代表的な社会主義者〕自身は--(読んでいないように見える)。(…)『資本論』と
いえば、この分厚い本はきわめて注目すべきことが書かれている。ただそれを見つけてやりさ
えすればいい。これはかなりの自負心の産物だ。しばしば厳密さの点で不十分であったり、
無益にやたらと衒学的であったりするけれど、いくつかの分析には驚嘆させられる。ぼくが
言いたいのは、物事をとらえる際のやり方が、ぼくがかなり頻繁に用いるやり方に似ている
ということであり、彼の言葉は、かなりしばしば、ぼくの言葉に翻訳できるということなんだ。
対象の違いは重要ではない。それに結局をいえば、対象は同じなんだから!》
(ヴァレリー、1918年5月11日、ジッド宛書簡、山田広昭訳)

山田『三点確保』より孫引き

蚊居肢: マルクスとラカンの三角形
http://kaie14.blogspot.jp/2016/08/blog-post_88.html


柄谷がTCで引用
三点確保は批評空間に連載

柄谷はブリコラージュの達人

10:28 午前  
Blogger yoji said...

親戚や肉親に戦犯がいれば改憲して全てをなかったことにしたくなるだろう。しかしそれは戦死した人々の死を無駄にするものだ。柄谷は戦争放棄が人類の獲得した宝だと認識している。中国が攻めてくるというがそのあとどうやってその戦争を終わらせるというのか?
先を見ているのは柄谷の方だ。親戚や肉親の弔いは別の形でやって欲しい。とりあえずA級戦犯の分祀を宣言し天皇に靖國へ行ってもらえるようにすべきだろう。

8:45 午前  
Blogger yoji said...


https://ja.wikipedia.org/wiki/ナポレオン3世#.E6.AD.BB.E5.8E.BB
太平洋では、ニュージーランドを併合したイギリスへの対抗、またオーストラリアとの貿易の拠点および犯罪者の流刑地にする目論見で1853年にニューカレドニアを併合している[438][439]。この際に先住民と戦闘になったが、結局フランス軍が勝利している。ナポレオン3世はこの島を政治犯(とりわけ社会主義者)の流刑地として使用した。現在ニューカレドニアに住む白人はほとんどがその子孫である[439]。

6:26 午後  
Blogger yoji said...

『言葉と悲劇』2017年5月10日ちくま学芸文庫
 初出一覧 (それぞれ、講演日/講演場所/主催/初出を示す)

言葉と悲劇
 1985年5月15日/青山女子短期大学/日本シェイクスピア学会
ドストエフスキーの幾何学
 1985年6月15日/早稲田大学/ドストエーフスキイの会/「ドストエーフスキイ研究」Ⅲ号、
1986年、原題「ドストエーフスキイとバフチン」
漱石の多様性
 1985年2月27日/川口市栄町公民館/川口市立前川図書館
江戸の注釈学と現在
 1985年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
「理」の批判
 1986年1月31日/エコール・ノルマル・シュペリウール/フランス外務省/「現代詩手帖」1986年5月号
日本的「自然」について
 1986年10月25日/都立婦人情報センター/東京女性史研究会/「フェミニテ」第五号、1987年
世界宗教について
 1986年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
スピノザの「無限」
 1987年7月17日/…/「現代思想」インタビュー/「現代思想」1987年9月号
政治、あるいは批評としての広告
 1987年9月10日/機械振興会館/「広告学校」(「広告批評」主催)/「広告批評」第100号、1987年
単独性と個別性について
 1987年11月2日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
ファシズムの問題
 1988年1月15日/…/「現代思想」インタビュー/「現代思想」一九八八年三月号
ポストモダンにおける「主体」の問題
 1988年4月11日/デューク大学/The Duke Center for Critical Theory/「季刊思潮」創刊号、1988年
固有名をめぐって
 1988年5月28日/赤坂草月ホール/「季刊思潮」/「図書新聞」1988年6月25日号
坂口安吾その可能性の中心 
 1988年9月24日/東洋大学/日本近代文学会

本書は、 1989年第三文明社より刊行され、 1993年講談社学術文庫に収録された。
本文庫化に際しては、講談社学術文庫版を底本とし、左記の改変を加えた。
一、「バフチンとウィトゲンシュタイン」については、割愛した。
一、「漱石の多様性」「坂口安吾その可能性の中心」については、『定本柄谷行人文学
論集』(岩波書店、2016年)所収の改訂稿に差し替えた。
一、内容の関連性等を考慮し、一部講演の配列を入れ替えた。
一、その他、全体を通して改稿を施した。

1:09 午前  
Blogger yoji said...

『言葉と悲劇』2017年5月10日ちくま学芸文庫
 初出一覧 (それぞれ、講演日/講演場所/主催/初出を示す)

言葉と悲劇
 1985年5月15日/青山女子短期大学/日本シェイクスピア学会
ドストエフスキーの幾何学
 1985年6月15日/早稲田大学/ドストエーフスキイの会/「ドストエーフスキイ研究」Ⅲ号、
1986年、原題「ドストエーフスキイとバフチン」
漱石の多様性
 1985年2月27日/川口市栄町公民館/川口市立前川図書館
江戸の注釈学と現在
 1985年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
「理」の批判
 1986年1月31日/エコール・ノルマル・シュペリウール/フランス外務省/「現代詩手帖」1986年5月号
日本的「自然」について
 1986年10月25日/都立婦人情報センター/東京女性史研究会/「フェミニテ」第五号、1987年
世界宗教について
 1986年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
スピノザの「無限」
 1987年7月17日/…/「現代思想」インタビュー/「現代思想」1987年9月号
政治、あるいは批評としての広告
 1987年9月10日/機械振興会館/「広告学校」(「広告批評」主催)/「広告批評」第100号、1987年
単独性と個別性について
 1987年11月2日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
ファシズムの問題
 1988年1月15日/…/「現代思想」インタビュー/「現代思想」一九八八年三月号
ポストモダンにおける「主体」の問題
 1988年4月11日/デューク大学/The Duke Center for Critical Theory/「季刊思潮」創刊号、1988年
固有名をめぐって
 1988年5月28日/赤坂草月ホール/「季刊思潮」/「図書新聞」1988年6月25日号
坂口安吾その可能性の中心 
 1988年9月24日/東洋大学/日本近代文学会

本書は、 1989年第三文明社より刊行され、1993年講談社学術文庫に収録された。
本文庫化に際しては、講談社学術文庫版を底本とし、左記の改変を加えた。
一、「バフチンとウィトゲンシュタイン」については、割愛した。
一、「漱石の多様性」「坂口安吾その可能性の中心」については、『定本柄谷行人文学
論集』(岩波書店、2016年)所収の改訂稿に差し替えた。
一、内容の関連性等を考慮し、一部講演の配列を入れ替えた。
一、その他、全体を通して改稿を施した。

1:09 午前  
Blogger yoji said...



柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇 2017年10月27日 電子版 (初出1989)

柄谷行人「柄谷行人講演集成1985‐1988 言葉と悲劇」
https://itunes.apple.com/jp/book/%E6%9F%84%E8%B0%B7%E8%A1%8C%E4%BA%BA%E8%AC%9B%E6%BC%94%E9%9B%86%E6%88%901985-1988-%E8%A8%80%E8%91%89%E3%81%A8%E6%82%B2%E5%8A%87/id1300462537?mt=11




柄谷行人講演集成 1985-1988 言葉と悲劇 2017年10月27日 電子版初版発行

初出一覧
   (それぞれ、講演日/講演場所/主催/初出を示す)
・言葉と悲劇 1982年5月15日/青山女子短期大学/日本シェイクスピア学会
・ドストエフスキーの幾何学 1985年6月15日/早稲田大学/ドストエーフスキイの会/
「ドストエーフスキイ研究」Ⅲ号、1986年、原題「ドストエーフスキイとバフチン」
・漱石の多様性 1985年2月27日/川口市栄町公民館/川口市立前川図書館
・江戸の注釈学と現在 1985年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
・「理」の批判 1986年1月31日/エコール・ノルマル・シュペリウール/フランス外務省/
「現代詩手帖」1986年5月号
・日本的「自然」について 1986年10月25日/都立婦人情報センター/東京女性史研究会/
「フェミニテ」第5号、1987年
・世界宗教について 1986年11月1日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
・スピノザの「無限」 1987年7月17日/──/「現代思想」インタビュー/「現代思想」1987年9月号
・政治、あるいは批評としての広告 1987年9月10日/機械振興会館/「広告学校」(「広告
批評」主催)/「広告批評」第100号、1987年
・単独性と個別性について 1987年11月2日/早稲田大学/早稲田大学文学研究会
・ファシズムの問題 1988年1月15日/──/「現代思想」インタビュー/「現代思想」1988年3月号
・ポストモダンにおける「主体」の問題 1988年4月11日/デューク大学/The Duke Center
for Critical Theory/「季刊思潮」創刊号、1988年
・固有名をめぐって 1988年5月28日/赤坂草月ホール/「季刊思潮」/「図書新聞」1988年6月25日号
・坂口安吾その可能性の中心 1988年9月24日/東洋大学/日本近代文学会

本書は、1989年第三文明社より刊行され、1993年講談社学術文庫に収録された。本文庫化に際
しては、講談社学術文庫版を底本とし、左記の改変を加えた。
 一、「バフチンとウィトゲンシュタイン」については、割愛した。
 一、「漱石の多様性」「坂口安吾その可能性の中心」については、『定本 柄谷行人文学
論集』(岩波書店、2016年)所収の改訂稿に差し替えた。

本作品は、2017年5月、ちくま学芸文庫として刊行された。


https://itunes.apple.com/jp/book/id1300462537

参考:
柄谷行人「柄谷行人講演集成1995‐2015 思想的地震」
https://itun.es/jp/8hnvjb.l

12:04 午後  

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