木曜日, 7月 20, 2017

藤井システム 1995


NAMs出版プロジェクト: 藤井システム
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/blog-post_20.html@
NAMs出版プロジェクト: 羽生善治三冠 特別講演「格言から学ぶ将棋」2013
http://nam-students.blogspot.jp/2017/06/2013.html
(羽生格言解説連載雑誌2014/09~11に偶然藤井猛の連載がぴったり3号重なっている)

藤井猛の著書 @将棋 棋書ミシュラン!
http://rocky-and-hopper.sakura.ne.jp/Kisho-Michelin/author/fujii-takeshi.htm
【将棋】藤井先生の超・初心者向け振り飛車講座 最初は中飛車がオススメ
https://youtu.be/RTNS8MAkacI

振り飛車最強決定戦(本戦) in Qhapaq - qhapaq’s diary
http://qhapaq.hatenablog.com/entry/2017/02/17/171720
勝率:1072-48-1069(50%) そう、藤井システムこそQhapaqが思う最強の振り飛車システムなのです。

将棋世界2014年11月号に掲載された「ぼくはこうして強くなった 藤井猛九段の巻」後編は、ほぼまるごと藤井システム創作秘話といっていい内容です。
  • 藤井システムの名の由来(命名は島朗)
  • 藤井システムの原形の一局
  • 力将棋だった棋風から研究を武器にしたきっかけ
将棋に革命を起こした戦法の裏話がテーマとあって、見所はたくさんあります。

《この対局?[H5/10/11郷田羽生戦]から1年後の対局で新研究をぶつけて、振り飛車勝ちの証明をすることができた。この将棋を島朗八段(当時)が将棋雑誌コラムで、「藤井君が指す四間飛車は藤井システムといえる」と書いた。これが藤井システムという言葉の出始めだった。》2014/11,77頁


わらしべ長者

世界!ニッポン行きたい人応援団 2017年11月20日 171120

【将棋】藤井てんてー 終盤力を大いに語る【藤井猛】
序盤は趣味判断

【将棋】藤井てんてー Ponanzaを斬る
複数の正解

藤井猛の 初出し 攻め方フォーラム  14 藤井流満載!攻め方総まとめ
格言
遠見の角に
居玉
角交換


藤井システムはクライフのトータルフットボールに似ている。
規律のあるカオスなのだ。

1974年W杯 独対蘭 決勝冒頭 クライフ ニースケンス Johan Cruijff - niconico
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm4428132

アナーキズムと言ってもいいが非論理的というわけではなくそこではひとつの論理が貫徹されている。
クライフ(14番)の動きは自分にはシステムにおける振り飛車の動きと同じに見える。
本人が野球ファンだから不適切なアナロジーかも知れないが。

あるいは形式化を徹底することで形式を内側から壊そうとした柄谷行人の姿勢とも似ている。
柄谷の詩を拒絶する姿勢は文芸批評におけるガジガジ流である。

飛躍としての革命は突然もたらされる、と傍目には見えるが、
論理的とも言える不断の努力によって支えられているのは言うまでもない。
クライフも柄谷も藤井猛もそのジャンルの風景を一変させてしまった。


佐藤康光九段、藤井猛九段、菅井竜也王位座談会「創造の原動力」(1)|将棋情報局
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77983 ~5
藤井 僕の場合は、対局中に浮かぶことは少ないです。それよりも対局が終わったあとの修正が新手になることがほとんどですね。ただし「藤井システム」に関してはちょっと特別で、少し前の将棋世界(2014年11月号「ぼくはこうして強くなった」藤井猛九段の巻・後編)で詳しく述べましたけど、あれは必要に迫られてというところはありました。ただそれも修正の積み重ねという見方もできますし、やっぱり僕の新手は対局の修正から生まれています。

エルモがよくやるのは78玉79金68銀の形で仕掛ける右銀急戦
右金は大体居金のまま

asahi.com :第24回朝日オープン将棋選手権五番勝負第1局 - 将棋
http://www.asahi.com/shougi/open24/5ban01/04.html
▲7九金。この手は定跡書にほとんど見かけない実戦的な備えで、解説の鈴木八段は
「中飛車には多いが四間飛車ではあまり見ない手」という。

練習対局(難しい)で右穴熊から左穴熊に振ったら
相手の玉が空き、金と飛車だけで最短手数で勝てた
このレベルのAIの図形認識には穴があると思う 

elmoの入玉芸といい
玉の動きには新手の可能性がある



Fujii's System
Famous Shogi Games: FUJII vs INOUE (Dec. 22th, 1995)


藤井猛の将棋観 20120701



2012年7月 1日
http://indy.main.jp/wp/?p=1955
  • 将棋フォーカス -NHKEテレ/10:00~10:30 将棋講座と特集が合体した新番組。将棋講座では、1年で初段に近いレベルまでのステップアップを目指す。特集では、あなたが知りたいさまざまな話題を取り上げる。講座は「少ない攻め駒どう増やす」。特集は「新講師・藤井猛九段の将棋観」。将棋に革命を起こしたといわれる「藤井システム」の誕生秘話などとともに、藤井九段の将棋人生について、じっくりと話を聞く▼講師・藤井猛(九段)▼司会・つるの剛士、岩崎ひろみ

藤井てんてー藤井システムを語る




居飛車穴熊撃破―必殺藤井システム (パーフェクトシリーズ) | 藤井 猛 |本 | 通販 | Amazon
1997
https://www.amazon.co.jp/dp/4819703358/ref=pe_1162082_181361352_cm_rv_eml_rv0_dp
形式: 単行本
藤井システムの第1局として知られる1995年12月22日対井山慶太との対戦の棋譜が載っている。
ネット上で読めるので希少価値はないが本人による解説は貴重だ。四十七手で終局した圧倒的棋譜だ。
藤井猛 vs. 井上慶太 順位戦 - 無料の棋譜サービス 将棋DB2

藤井システム1号局 藤井猛 vs 井上慶太 将棋王




羽生善治四冠(当時)が藤井猛竜王(当時)を語る - 将棋ウェーブログ
http://shogiweblog.net/archives/198

羽生 例えば森下システムだと矢倉がずっと指されてきたなかで、基本があってシステムが生まれてきたわけですが、藤井システムは角道止めて飛車回って四間飛車にする、あとは全部彼の独創だからそれがすごいところです。

《藤井猛「藤井システムは羽生将棋にかなりのヒントを得ているんです。」》『最新戦法の話』112頁


羽生善治名人が語る藤井システム | 将棋ペンクラブログ
https://shogipenclublog.com/blog/2010/09/09/羽生善治名人が語る藤井システム/


羽生善治名人が語る藤井システム


将棋世界1999年2月号の、佐藤康光名人(当時)と羽生善治四冠(当時)の対談「進化を続ける藤井システム」より。
佐藤康光名人と羽生善治四冠が語る、藤井猛竜王(当時)と藤井システム。会話の中からいくつかを抜粋。
羽生 例えば森下システムだと矢倉がずっと指されてきたなかで、基本があってシステムが生まれてきたわけですが、藤井システムは角道止めて飛車回って四間飛車にする、あとは全部彼の独創だからそれがすごいところです。
羽生 指されてみるとコロンブスの卵みたいになるほどと思うところはありますね。でも穴熊の発想自体が今までのセオリーと異質であるから、その異質に対して異質で立ち向かうところがいいのかもしれません。
羽生 私はどちらをもってもやりますが、藤井さんがやるとうまくいくんですよ。これが不思議なところなんです。最近は他の人もやるようになっていますが、でも見ていると彼が一番うまいですね。当たり前ですが(笑)。
佐藤 やはり藤井さんはよく研究していて、私達がよく、盤の前に座ってみると手がよく見えるという言い方をしますが、藤井さんは研究している時からそうじゃないかなと思うんです。これはある若手棋士から聞いた話ですが、藤井さんは家で横になっているといい手がうかぶそうです(笑)。だから普段からそれだけ真剣に根を詰めて考えているんだと思うんです。
羽生 藤井システムは指しながら進化している部分もあるんじゃないですか。(中略)微調整をしながら進化している感じですね。だからこの形が本当の基本図というのは出せないのかもしれません。
羽生 少なくとも朝10時に対局が始まって11時半には穴熊に囲えたでしょう、遅くとも。今は3時くらいにどうかっていう感じですか、組めたとしても。
対談では藤井システムについて技術的な話も多く出るが、次の羽生四冠の言葉が、現在を見事に言い当てている。
羽生 居玉で最初からこの形でやっていくのは、どれくらいかは分かりませんが、しばらくは続くような気がします。でも10年後も藤井システムばかりやっているとは思えないですね(笑)。
羽生 余談になりますが彼がたまたま矢倉をやっているのを見たんですよ。それでとても驚いたんですが、あまり指していない人とは思えないぐらいのうまさで快勝していたんですよ。実は他の戦法もやれるんじゃないかと思っているんですけど(笑)。
今日からの王座戦で、藤井猛九段がどのような戦法を繰り出してくるか興味深いところだ。

______

インタラクティブ囲碁入門
http://playgo.to/iwtg/jp/

こてふトナル (@gofukutea)
@KISABURO_X iPhoneお持ちでしたら、有料ですが「黒猫のヨンロ」もお勧めです。問題を解いていくアプリですが、黒猫と白犬が碁石になっていてアタリになるとぶるぶる震えるのがかわいいです。(^^)

「日本棋院 張栩の黒猫のヨンロ」
appsto.re/jp/keY0E.i pic.twitter.com/TgE3T4VcFV
ーー
羽生善治四冠当時が「藤井システム炸裂」の対局を解説をしていたので

羽生が藤井システム! ]第30期棋王戦第1局「谷川vs羽生」を藤井九段が解説

【将棋】藤井九段のすべらない話
藤井システム

【将棋】藤井猛九段が語る藤井システムが生まれたワケ

【将棋】藤井システムの近況

【将棋世界11月号 ちょい見せ】藤井猛九段、銀河戦優勝自戦解説|将棋情報局
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=69871
――藤井システム採用の理由は?
「初形から▲2六歩△3四歩▲2五歩という出だしだったのですが、この先手の指し方は角交換振り飛車やゴキゲン中飛車を牽制しているんですよ。正直、意外でしたね。逆にいうと、斎藤君はシステムなら組みし易しと見ているわけです。そのような手を指されると普段は反発したくなりますが、この日は相手の研究を見てみたくなりました。これがシステム採用の理由です」

将棋 ▲斎藤慎太郎六段 vs △藤井猛九段 第24期銀河戦本戦 四間飛車 藤井システム

俺は藤井システムの藤井だ
niconicoで再生
http://nico.ms/sm27845886

【将棋】乃木坂46伊藤かりんちゃんへの自己紹介が強烈すぎる藤井九段

【将棋】相振り飛車のヒント【藤井猛 中村桃子】
「端攻めが勝利のコツ」

【将棋】藤井の妙技 (解説:橋本崇載・中村桃子)
先手を取って受ける
手稼ぎの犠打
金底の歩 岩より固し

【将棋】藤井九段のすべらない話
「振り飛車(のよさ)は人間的(人間ぽさ)」
「振り飛車のよさは長手数の人間ドラマ」

【初回無料】藤井猛の将棋講座「藤井システムの極意」第1回 対穴熊△3三角 講義
http://nico.ms/1398980538


羽生善治四冠当時が「藤井システム炸裂」の対局を解説をしていたので
https://youtu.be/D17nw0gVas8 2005年12月 55手



2016年四間飛車名局集
大山x中原
藤井x羽生

かりん「四間飛車…カッコいい…興奮してます」

藤井「俺は藤井システムの藤井だけど知って いるか」


藤井システムの核心部は建長寺の茶屋で思いついたらしい…(将棋世界2014/11)

藤井猛九段の「本当に将棋を指す相手がいなかった」修業時代 - 将棋ウェーブログ
http://shogiweblog.net/archives/1076
将棋世界2014年9~11月号に短期連載された「ぼくはこうして強くなった 藤井猛九段の巻」という企画がありました。
3ヶ月に渡って連載された藤井九段の半生は、全国の藤井ファン必見の名文です。
これまでも藤井猛九段についての情報は断片的に伝わっていましたが、それらをひとまとめにして書かれた文章は、これが初めてかもしれません(・・・いや、さすがにそれはないか?)。
まずは、将棋世界2014年9月号に掲載された前編、時系列で言うと「将棋との出合い~奨励会試験」まで。



将棋世界2014/11
 婚約中だった妻と鎌倉を散策しているときだった。建長寺山腹の茶屋で、抹茶
をいただきながら、鎌倉の景色を眺めていると、ふと、第12図で▲3五歩と突く
手を思いついた。


取れる歩を逃すので、全く盲点になっていた手だった。以下△
同歩▲6四歩△同歩▲3四銀△4二角▲5五角(第13図)の局面は先ほどとはガ
ラリと変わって先手必勝形。これはいけると思った。「考えが行き詰まったとき
には歩け」とは、よく言ったものだ。



「藤井矢倉」激増の理由 速攻矢倉の現在地。 - 二森日和。
http://nisin.hatenablog.com/entry/2014/03/04/224036
つまり、藤井矢倉なら
後手が先攻を狙って急戦矢倉を仕掛けてくるよりさらに早く
速攻の形を見せて自分の形に持ち込むことができる。
藤井矢倉の採用数が増えているのは、そういうことなのだと思います。
後手の急戦矢倉が有力となったなかで、それよりも先攻して先手から仕掛け、
相手の想定を崩しつつ、自分の想定局面に誘導していく。
藤井矢倉が現れた5局のうち、王座戦以外は
朝日杯、NHK杯と早指し棋戦だったわけですが、
それも短時間の中で相手に用意の作戦を指させず、
自分はある程度形をきめて指すことができるという優位性が
結果にも表れたのではないか、という気がします。

藤井矢倉2



【将棋】これぞ藤井流角交換四間飛車!! - niconico
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm25389718



藤井猛九段が4二玉での角交換にこだわる理由を佐藤天彦八段が証言。NHK杯、行方尚史八段戦 | 将棋ワンストップ・ニュース
http://shogi1.com/post-10416/
佐藤天彦八段は、藤井九段がこのタイミングで角交換をする理由について「理屈の話じゃないんですけど」と前置きして話し始めた。
「理屈の話じゃない」
じゃあ何の話なのか?
佐藤天彦八段は、最近藤井九段と会った時に、以下のような藤井流の「こだわり」がある、と聞いたそうだ。

藤井流こだわりの理由(佐藤天彦八段証言の要約)

2二に馬を置く時に、普通は2三の歩に(少し当てながら)滑らせて置く事が多いんですけど、そうすると置く馬が2三の歩とか2一の桂馬とかに当たって、乱れてしまう。
だから、藤井九段は3二から(駒同士がぶつからないように)馬をすべらせて2二に持っていく。そうやって2三の歩とか2一の桂馬に触れないようにする。
これが藤井九段のこだわり。
そのために、4二玉型でやっている(3二玉では、3二玉から馬を滑らせて置くことができないため)

https://i.imgur.com/VEp9JfC.gif
【将棋】これぞ藤井流角交換四間飛車!!


【将棋】これぞ藤井流角交換四間飛車
https://youtu.be/J2PooQdnz8U?t=4m20s
https://i.imgur.com/VEp9JfC.gif

藤井猛九段が4二玉での角交換にこだわる理由…
http://shogi1.com/post-10416/ 

わらしべ長者


https://i.imgur.com/8TIt7CN.gif


初心者用講座
将棋わらしべ長者
歩→桂→銀→金→角→(飛)

藤井猛の 初出し 攻め方フォーラム  02 得する?損する?駒の交換



『藤井猛の攻めの基本戦略』2014
36~40頁

テキスト
藤井猛の攻めの基本戦略 (NHK将棋シリーズ) 
https://www.amazon.co.jp/dp/4140162201




次の一手

弱点を突けば安い駒で高い駒を取れるという例

わらしべ長者
藤井猛の 初出し 攻め方フォーラム  02 得する?損する?駒の交換

参考:『藤井猛の攻めの基本戦略』2014年 36~40頁







27 Comments:

Blogger yoji said...

藤井猛の将棋観
https://youtu.be/naWgQ72gbXg

藤井てんてー藤井システムを語る
https://youtu.be/qiIpNaqZyXA

居飛車穴熊撃破―必殺藤井システム 1997
https://www.amazon.co.jp/dp/4819703358/
(1995年12月22日対井山慶太戦の棋譜掲載)

藤井猛 vs. 井上慶太 順位戦 - 無料の棋譜サービス 将棋DB2
https://shogidb2.com/games/2e1f336573b0224b8a6856b6c5a29a2846b748db

藤井システム1号局 藤井猛 vs 井上慶太 将棋王
https://youtu.be/3_-HJLPINNw

羽生善治四冠(当時)が藤井猛竜王(当時)を語る
http://shogiweblog.net/archives/198
羽生 例えば森下システムだと矢倉がずっと指されてきたなかで、基本があってシステムが
生まれてきたわけですが、藤井システムは角道止めて飛車回って四間飛車にする、あとは
全部彼の独創だからそれがすごいところです。
(引用:「羽生善治名人が語る藤井システム」より)


「藤井システムは羽生将棋にかなりのヒントを得ているんです。」『最新戦法の話』112頁

11:19 午前  
Blogger yoji said...

藤井システムは数少ない革命だ
各ジャンルに1世紀に一つあるかないかの

クライフのトータルフットボール
赤塚不二夫のギャグ漫画に匹敵する


クライフ「カオスでアドバンテージを得る」
赤塚不二夫「これでいいのだ」

10:02 午後  
Blogger yoji said...


将棋名対局 羽生王位王座vs橋本四段 解説:藤井九段 2004
https://youtu.be/KfMioSRiU5Q?t=56m48s

10年以上前の藤井九段による羽生評が的確

6:32 午前  
Blogger yoji said...

将棋駒で、「桂馬」と「香車」の裏は、各々何という字ですか?
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benridennoさん2011/5/3017:29:15
将棋駒で、「桂馬」と「香車」の裏は、各々何という字ですか?
共感した 1
閲覧数:12,275 回答数:3 違反報告
ベストアンサーに選ばれた回答
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ritpjwaetさん 2011/5/3018:18:46
wikiより。

便宜的に成銀を「全」、成桂を「圭」、成香を「杏」と表示している。この表記は、将棋駒の活字がない環境で(特に詰将棋で)しばしば用いられる。成銀を「全」、成桂を「今」、成香を「仝」、と金を「个」で表す流儀もある。 成銀、成桂、成香、と金は全て「金」と表記されているのが実際で、くずし方を変えることで成る前の駒がわかるようにしている。

wikiより。...
ナイス 4
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質問した人からのコメント2011/5/30 21:36:09

2:28 午前  
Blogger yoji said...


http://www.wikiwand.com/ja/角行

駒の裏面(龍馬)
角と略す。成駒の竜馬は飛車の成駒の竜王と区別するため馬と略す。

俗に、斜め後ろに動ける共通点から、角行と銀将を総称して「斜め駒」と呼ばれる。

元の駒 動き 成駒 動き
角行(かくぎょう)
\ ■ ■ ■ /
■ \ / ■

/ \
/ \
斜めに何マスでも動ける。飛び越えては行けない。 竜馬(りゅうま、りゅうめ)
\ ■ ■ ■ /
■ \ ○ / ■
○ 馬 ○
/ ○ \
/ \
斜めに何マスでも動け、縦横に1マス動ける。飛び越えては行けない。
小将棋・中将棋・大将棋・天竺大将棋・大局将棋
中将棋では角と略す。猛豹の成駒。成ると龍馬。猛豹の成駒としての角行は小角(ちょろかく)とも呼ばれる。

元の駒 動き 成駒 動き
角行(かくぎょう)
\ ■ ■ ■ /
\ /


/ \
/ \
斜めに何マスでも動ける。飛び越えては行けない。 龍馬(りゅうま、りゅうめ)
\ ■ ■ ■ /
\ ○ /
○ 龍
馬 ○
/ ○ \
/ \
斜めに何マスでも動け、縦横に1マス動ける。飛び越えては行けない。
大大将棋
成ることはできない。

元の駒 動き 成駒 動き
角行(かくぎょう)
\ ■ ■ ■ /
\ /


/ \
/ \
斜めに何マスでも動ける。飛び越えては行けない。 - - -
摩訶大大将棋・泰将棋
平安大将棋の飛龍と同じ性質の駒である。成ると金将になるのも同じである。

元の駒 動き 成駒 動き
角行(かくぎょう)
\ ■ ■ ■ /
\ /


/ \
/ \
斜めに何マスでも動ける。飛び越えては行けない。 金将(きんしょう)
■ ■ ■ ■ ■
○ ○ ○
○ 金
将 ○


縦横と斜め前に1マス動ける。
参考文献
梅林勲・岡野伸共著『改訂版 世界の将棋・古代から現代まで』(将棋天国社、2000年)
関連項目

2:29 午前  
Blogger yoji said...

2016年四間飛車名局集
藤井羽生戦 (2000年)一歩竜王
https://youtu.be/znRVkpi2lcg?t=6m39s
https://youtu.be/znRVkpi2lcg?t=13m28s
かりん「興奮しています」

https://youtu.be/znRVkpi2lcg?t=13m4s
かりん「四間飛車って…かっこいいですね」

7:25 午前  
Blogger yoji said...

浅川書房/商品詳細 四間飛車上達法
https://www.asakawashobo.co.jp/products/detail.php?product_id=56
四間飛車上達法
四間飛車上達法
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【書名】四間飛車上達法
【著者】藤井猛
【仕様】四六判・232頁・本文2色刷
【定価】1,512円(税込)
【ISBN】978-4-86137-048-9
【初版】2017年12月
【内容】稀に見る親切さ。かつてない四間飛車講義、開講!

■こんな方におすすめします
・初心者~有段者向け
・これから四間飛車を覚えたい方
・対抗形を基礎から学び直したい方
・定跡書を読んだけど、読みこなせなかった方
・方針で迷うことが多い方
・伸び悩みを感じている方
■本書の特徴

四間飛車は入門者に適した戦法と言われます。ところが、形や手順を覚えても、いざ実戦では「何をすればいいかわからない」と途方に暮れることはありませんか。形や手順は覚えても、その深い意味を理解しなければ、実戦ではなかなか応用できません。

たとえば「待つ」とはどういうことなのでしょう? 「振り飛車はここで▲4六歩と突いて待つ」という表現は定跡書などでよく出てきます。でも、▲5六歩と突いて待つこともあれば、▲9八香と待つこともあります。待ってはいけないケースも、もちろんあります。
あるいは逆に、居飛車が仕掛けるとき、すぐに攻めるか、もう少し待つか、という問題も出てきます。「待つ」というのはとても深い概念で、初めて定跡に出会って、すぐに腑に落ちるように理解するのは大変です。

本書は、四間飛車の大家である藤井九段が、振り飛車(四間飛車)という戦法について一から説いた、渾身の一冊です。形や手順を丸覚えするのではなく、将棋を指すにあたって軸となる考え方が養えます。「待つ」ということもそのひとつで、ファンにとってなかなか理解しづらいポイントについて、じっくり、ていねいに語っていきます。これまで四間飛車の本を読んだことはある、でも全部は理解できなかった、という方には、特におすすめです。

この本には、将棋本には珍しく、聞き手が登場します。この聞き手が藤井九段にさまざまな疑問を投げかけ、それに藤井九段が答える中で、藤井理論が展開されていきます。対話形式の文章は読み物のように気軽に読み進めることができ、その中で自然と大事な考え方が身についていきます。

本書の内容は基礎から始まりますが、あまり聞いたことのないような考え方が次から次へと出てきます。基本的なことに潜む本質が浮かび上がってくるようです。その過程は有段者(四段レベル)にも多くの発見を与えるでしょう。これから振り飛車を学ぶ方はもちろん、これまで「なんとなく」で振り飛車を指してきた方にもおすすめです。

第1章では主に駒組みの基本を、第2章からは急戦と持久戦それぞれについて、いくつかの題材から基本的な攻防を学びます。最後は、藤井システムの原型となった積極的な指し方についてもカバーしました。

本書をマスターした方は、序盤から終盤まで、急戦に対しても持久戦に対しても、一本の軸ができているはずです。この軸さえしっかりしていれば、新しい知識や情報が入ってきても大丈夫、ちゃんと咀嚼できます。あとはその軸を太くし、どんどん磨きをかけていけばいい。伸び悩んでいる方、行き詰まりを感じている方は、ぜひ本書を読み、そのもやもやとした感じを吹っ飛ばしてください!
■著者からひとこと

子どもの頃に「こんな本に出会いたかった!」と思うような本を作ってみました。四間飛車のよさを引き出すための指針となる考え方をていねいに語ったつもりです。拠りどころとなる一本の「幹」を育てるための手助けになれば幸いです。──藤井猛
■目次

第1章 対抗形とは何か──駒組みの基本と隠された仕組み
第2章 攻めについて――6七銀型と棒銀
第3章 一手争いについて――7八銀型と右銀急戦
第4章 主導権をにぎったら――持久戦と6六銀型
第5章 攻めエリアを拡大せよ――5六銀型と藤井システム

1:57 午前  
Blogger yoji said...


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1219589817

先手藤井システムが指されなくなったきっかけは、
第54期王座戦本戦2回戦
久保利明 - 深浦康市 2006-06-02
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=34993...
だと思います。
この44手目△3六歩が攻守です。
(▲同銀なら△6四歩▲4四歩△同銀▲6四飛の際に
△4六角が飛車桂両取りになります)
その後43手目▲6四歩のところで▲4八金直と指した実戦もありますが、
第20期竜王戦決勝トーナメント4回戦
久保利明 - 佐藤康光 2007-07-23
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=43276...
後手が勝ちました。
また、43手目で▲1四歩と指した実戦もありますが、
第66期順位戦A級05回戦
久保利明 - 谷川浩司 2007-11-16
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&ki=63100&...
これも後手の勝ちに終わりました。
この久保八段の先手を持っての3連敗が、
大きな理由だと思います。

また、後手急戦も有力です。
今期、順位戦A級01回戦 藤井猛-谷川浩司 戦などです。
このときの観戦記でも藤井九段は感想戦で先手なら矢倉を
指すべきだったかと語っていて、実際2回戦では後手番ながら
木村八段を相手に矢倉で戦いました。

この時点で、四間飛車の2大巨頭が
藤井システムを指さなくなりました。

後手藤井システムはやはり▲3五歩の急戦でも
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=34609...
穴熊を目指されても大変だという認識ですが
当然それ以前になります。

4:07 午後  
Blogger yoji said...

藤井猛九段「5割勝つのが目標なら戦法はなんでもいいんです。でも、7割勝とうと思ったら普通に指していてはできない」 | 将棋ペンクラブログ
https://shogipenclublog.com/blog/2017/08/31/fujiitakeshi-5/
将棋世界2003年2月号、「棋士たちの真情 大いなる戦法、大きなる研究 ―藤井猛九段」より。記は鈴木宏彦さん。

「沼田には奨励会の初段、高校卒業までいました。将棋を覚えたのも沼田です。小学校4年のとき、雨の日に友達の家に行ったらいきなり将棋盤を出してきた。ルールはほとんど知らなかったけど、その日のうちに20番くらい指しました。そのあと学校の友だちともやってみたけど、初手に角が横に動いたら、相手してもらえなくなった(笑)。ちゃんとルールを覚えたのは小学校6年のとき。本を買ってきて、すぐに夢中になった。近所に将棋好きのおじさんがいたんですよ」

(中略)

「中学では忙しくなって、将棋はたまに本を読むくらいしかできなくなった。勉強は嫌いでした。小学校の成績は話にならない。中学に入ったら、試験の結果が貼り出される。あまりにも順位が低いのが悔しくて、順位を上げるためだけに勉強しました。230番が最高で6番まで行った。でも、6番を取ったことに満足したので、その後は徐々に落ちて行きました(笑)。中学2年のとき家庭訪問に来た担任の先生に、「趣味は将棋」と言ったら、当時市内で将棋の普及活動をしていた堀さんという方を紹介してくれたんです」

(中略)

「当時から指していたのは振り飛車ばかり。最初に本で三間飛車と居飛車の戦型を見て、舟囲いはかっこ悪いのに、振り飛車の美濃囲いはかっこいいと思った。それ以来ずっと振り飛車党です」

(中略)

「四段になって、すぐに四間飛車を始めました。プロになると持ち時間が長くなって対局数も増える。1年を通して戦うには、何か柱になる戦法が必要だと思ったからです。いつまでも穴熊では苦しい。そこで目をつけたのが小林流(健二九段)のスーパー四間飛車。ここで初めて四間飛車の定跡を勉強した。恥ずかしい話だけど、定跡書を買って一から調べ直したんです。大山先生(康晴十五世名人)の将棋を並べ始めたのも四段になってから。大山将棋は玄人受けするタイプだと思っていたので、奨励会時代はあまり並べなかったけど、四間飛車に取り組んでみて、初めてその面白さが分かった。大山将棋は細かい部分で斬新なアイデアが多い。当時の棋力では善悪は判断できなかったけど、アイデアとしてはそれまで知らなかった手をずいぶん知ることができた。強くなってくると、筋や形にとらわれずフォームを崩しながら指すのは難しいんです。大山先生はいつもそこで勝負しているのがすごいと思った」

(中略)

 羽生と藤井の対決は日本中のファンを沸かした。2年目に敗れたとはいえ、それは藤井システム自体の敗北を意味するものではない。藤井システムの今後を、藤井自身はどう見ているのだろう。

「最初はすぐに行き詰まると思って始めた戦法。竜王になってみんなに研究されたらもっと厳しくなると思っていたのに、いまだに生き残っているということは、それなりの戦法なのかもしれません。5割勝つのが目標なら戦法はなんでもいいんです。でも、7割勝とうと思ったら普通に指していてはできない。それには新しいことをやるしかない。藤井システムは自分の中ではずっと成長してきています。その反面、一つの戦法に慣れてしまうと、それに頼ってつい研究をなまけてしまうところもある。中飛車や三間飛車で第3の藤井システムを開発したらどうかという人もいますが、それは難しい。今の藤井システムを作るまでには、四間飛車の定跡を一から勉強して10年かかっているのだから。去年はタイトルを取られたこともそうだけど、将棋の内容が悪かったのがつらかった。内容がいいと頑張る気になるから、今は将棋の内容を高めるのが一番の目標です。勝率が上がれば、またタイトルに挑むチャンスも出てくると思っています」

(以下略)

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藤井猛少年の中学生時代、勉強をしたからといっても、試験成績が230番から6番に上がるのは並大抵のことではない。奇跡に近い。

『230番から6番になれる、最強の勉強法』という体験記の本を出したら相当に売れるのではないか。

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とはいえ、藤井猛少年の驚異的な集中力が6番に上がる最大の原動力だったとも考えられ、そのような本が出たとしても、全く参考にならない可能性がある。

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藤井猛九段の中学時代の担任の先生は、2000年1月に行われた藤井猛竜王就位式で祝辞を述べている。

→「あの藤井君がこんなに立派になるなんて・・・」

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「5割勝つのが目標なら戦法はなんでもいいんです。でも、7割勝とうと思ったら普通に指していてはできない。それには新しいことをやるしかない」

この言葉は名言だと思う。

藤井猛九段の主力戦法の歴史は次の通り。

片ツノ銀中飛車→振り飛車穴熊(ここまでが研修会・奨励会時代)→四間飛車→藤井システム→藤井流早囲い矢倉→角交換振り飛車

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昨日の王位戦七番勝負第5局で、菅井竜也王位が誕生した。

今回の王位戦で見せた菅井王位の工夫をこらした三間飛車も、全く新しい戦法だ。

菅井王位にしかできない指し回しと言えるだろうが、本当に見事なものだった。

羽生善治二冠は、竜王戦で藤井猛竜王(当時)に2年連続で挑戦し、2年目に竜王位を奪還しているが、この時も藤井システムの対策には苦労している。

今回の王位戦は、藤井システムと真っ向から対峙して敗れた、この竜王戦の1年目と同じような状況と考えられる。

羽生二冠が、今後、菅井流三間飛車にどのような対策を編み出していくのかも含めて、来期王位戦七番勝負での再びの激突を楽しみにしたい。

4:15 午後  
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「あの藤井君がこんなに立派になるなんて・・・」 | 将棋ペンクラブログ
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「あの藤井君がこんなに立派になるなんて・・・」
2016/08/18 末席幹事 コメントする
将棋世界2000年4月号グラビア、第12期竜王就位式『21世紀も竜王で…』より。

 藤井猛竜王の就位式が1月24日、東京・丸の内のパレスホテルで行われた。式には関係者ら約200人が出席した。

 藤井竜王には竜王推挙状の他、秩父宮さま寄贈の竜王杯と優勝賞金3,200万円が贈られた。

 こころなしか、落ち着きがなく見えたのは、中学時代の恩師・中村千恵子さんが来賓で出席していたからだ。

「藤井君は、中学の頃からあまり人前でしゃべるのが得意ではなく、休みになると家に閉じこもっては一日中”一人将棋”をしていました。心配になって『そんなに将棋が好きなの?』と聞いてみると『はい、好きです!』と元気な声で答えた顔が印象に残っています。あの藤井君がこんなに立派になるなんて…」

 中学時代のことを暴露され、思い出が甦ったのか大照れの藤井竜王だったが、

「今年は2000年で、30歳になる節目の年。竜王として迎えることができ、自信につながりました。21世紀(来年)も竜王として迎えたい」と力強い謝辞を述べ、逞しく成長した姿を恩師に見せた。

藤井

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藤井猛竜王(当時)が鈴木大介六段(当時)の挑戦を受け、4勝1敗で竜王位防衛を果たした時の就位式。

相振り飛車戦が予想された七番勝負だったが、藤井竜王は全局、居飛車で鈴木六段の振り飛車に対抗した。

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小学校の恩師が来賓なら、どのような話をされても、「まあ、子供の頃のことだから」と笑って誤魔化せるが、中学の恩師が来賓だと、少しドキドキするかもしれない。

お目出度い席、中村先生も大いに喜んだことだろう。

——–

よくよく考えると、近所に将棋の相手や道場がなくて、将棋が大好きだったら、昔は一人将棋にならざるを得なかったと思う。

将棋世界や近代将棋や実戦集を見て気に入った棋譜を何度も並べたり、自分で研究をしたり。

中学生の頃は、私も家では一人将棋がほとんどだった。

『大野の振り飛車』と『升田式石田流』が友達というか師匠だった。

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→藤井猛四段(当時)「一人将棋でつかんだ将棋観」



4:17 午後  
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藤井猛四段(当時)「一人将棋でつかんだ将棋観」 | 将棋ペンクラブログ
https://shogipenclublog.com/blog/2013/06/25/藤井猛四段(当時)「一人将棋でつかんだ将棋観/
近代将棋1991年10月号、「若手棋士インタビュー 藤井猛四段の巻 一人将棋でつかんだ将棋観」より。

 上州沼田は、長野、新潟、福島を背に負い、山梨、栃木を側面に見、目前には東京、埼玉の武蔵野が開けている要衝の地だ。戦国時代には、武田、上杉、真田、織田、北條などの武将がこの地を狙って謀略の限りを尽くしたという。

 平和の世に、この地から盤上の武将を目指す若武者が出てきたことは頼もしい限りだ。

   

 奨励会に入ったのは高一とやや遅いが、四段は20歳と早い。しかし途中は必ずしも順調ではなく、足踏みで悩んだ時期もあったという。

 将棋をはじめたころは。

 「小学校の5年生ごろ。そのころ学校で流行っていまして。ええ、よく負けました。負けず嫌いだったんでしょう、それから将棋の本を買い込んで夢中でやっていたらいつのまにか強くなっていまして」

 棋士になる人はほとんどが負けず嫌い。同じ上州は前橋の関根紀代子女流四段も負けず嫌いが高じてその後プロになった人で、数々のエピソードが残っている。

 ところで沼田には将棋の会があるんですか。

 「日将連沼田支部は約100人も会員がいるんです。でも僕はそちらにはあまり行っていませんで、中二の時に研修会に入りました。Cクラスから入りましたが、ほとんどノンストップでAクラスに上がって、奨励会入りしました」

 ずい分順調のようですね。

 「いや、それが一度受験して落ちまして。この時逆に気が楽になりましたね。1年後受けてダメならもういいや。それで秋の試験めざしてやってたらノンストップでAⅡに上がり、自動的に6級入会ということになったんです」

 1年後受けてダメならいいや、というのは、もう奨励会(=プロ棋士)は諦めたという意味ですか。

 「そうです。年齢的にもその辺りが限度じゃないかと思っていましたから」

 客観的な目を持った人は勝負事に向いている。

 入会時はいくつですか。

 「15歳。高一の秋になっていました。もう入ってからは高校(県立)はそっちのけで将棋に熱中しました」

 1級までは早かったとか。

 「ええ、順調でした。ところが1級で足踏み状態になって、かなり焦りました。歳も17、8歳でしたし」

 学校は。

 「ええ、なんとか理解あって卒業しましたけど。それよりも将棋の方が・・・」

 何が原因だったんですか。

 「ハッキリわからなかったんですが、今考えると、勝ちにくい将棋だったんじゃないか、と」

 どういう将棋だったんですか?

 「金銀が左右に分かれている中飛車みたいのが多かったんです。それが玉が薄くなる分、居飛穴なんかやると不利でして。でも、2級まではそれでなんとか勝ってきたんですけどね・・・」

 奨励会を務める人は1級から初段の壁に泣いている人が多い。やはり級位者はアマに近い将棋だが、有段者ともなるとプロに近くなるせいか。

 「それまで、3ヵ月で1級ずつ上がるペースで来たのがバタリと止まりまして。上がり目ができないんですから計算のしようがない。そのうち1級のBに2回も陥ちたり。歳は18になるし、辛かったですね」

 3ヵ月ごとに上がるとはまた快調なペースだが、よほど力が溜まっていたのだろう。その預金がちょうど2級の時にゼロになった。また一から預金をしないといけない状態になったのではないか。

 それでどうやって脱出したんですか。

 「はじめはちょっとくらい負けが込んでもいいと思っていましたけど、そのうちだんだん深刻になってきて、これはとにかく勝たなくては、と思いました。それまで僕は、細かい味の将棋が好きで、穴熊は嫌いだったんです。でも薄い振り飛車玉では居飛穴に勝てないんじゃないかと思うようになりまして」

 自分が負けるのは戦法のせいじゃないか、と認めるのは相当に現実が厳しく、本人もいい素質を持っていたせいだろう。自分の通ってきた道を否定するのが怖いあまり、意地でも認めたくないという人も多いはず。特に勝負の世界では、自分のやり方が間違っていたとは認めたくない空気がある。

 居飛車穴熊の威力を認めて振り飛車をやめちゃった、なんてことは。

 「いえ、僕も穴熊に入ったんです(笑い)。それからは穴熊一辺倒(笑い)。それで急に勝てるようになった」

 戦法もさりながら、預金がなくって勝てなくなり、悩みに悩み、あれこれ動いているうちに力が溜まってきたこともあるのではないか。

 「勝ち越すと、それまで忘れていた昇級の感覚ももどってきて、連勝できるようになりました。

 三段リーグは2期目で四段と、早かったですね。

 「はい。1期目が12勝6敗で4位。今期が2位の位置で15勝3敗の昇級でした」

 藤井の昇級を決めた一番には、非常な大胆で印象的な局面があった。藤井玉は低い美濃囲い。相手は銀多伝のような高い囲い。その敵玉頭に飛車が頭から突っ込んでゆく。飛車には角のヒモがついているから、飛車と銀歩交換になる。

 「攻めが切れさえしなければ」という大局観だったらしいが、大事な昇級の一番というのに、ちっとも震えが感じられない指し方だった。

   

 奨励会時代はどんな勉強をしていたのですか。詰将棋だとか研究会だとか。

 「それが詰将棋とか実戦とかあまりやってなかったんです。時々、沼田から1時間の距離にある赤城村の都橋さん(元奨励会でのち赤旗名人)のところへ月に1回くらい父に連れていってもらうくらいで・・・」

 実戦不足になりませんか。

 「小学生のころから、一人で将棋をやるクセがついてて、一人将棋ばかりやっていました。可笑しいでしょ」

 いや、可笑しくなんかないですよ。私も小学生のころはずい分やって、家族にそんなの面白いのかなんていわれてましたから。それにしても、プロを目指す人が一人将棋を楽しんでいて、それで強くなってゆくなんて、愉快ですね。

 「詰将棋は難しい、という意識があってあまりやっていません」

 ところで順位戦初参加ですが、手応えはいかが。

 「2回戦の松浦五段との一戦は、真夜中の12時までかかったのですが、千日手になりまして指し直し。負け将棋だったので丸々もうかったかなと思っていました。後手番だったし、それで30分休んで指し直したのですが、必勝に近い将棋になったのですが、終盤目が見えなくなって・・・・・・」

 C2にはベテランの力のある人はいるからねェ。

 「富沢先生(幹雄八段・71歳)にも王座戦の予選で富沢キックをやられてしまいました。この形ならという磨きこんだ戦法を持っていられるようです」

 戦法的にはやはり穴熊が多いんですか。

 「ええ。でも居飛穴も組むと強いんですが組むまでにかなり神経使います。右金をどうやって穴熊にくっつけるか、角をいつ引くか。師匠の西村先生にも一門の研究会で教わりまして、角を早く引くようにと」

 どんなメンバーですか。

 「高橋道雄さん、森下さん、などめったに教えていただけない方々がいますのでとても嬉しいですね」

 ほかには研究会は。

 「それが、ありません」

 やりたくないわけじゃない。

 「はい。コネがないんです。遠いせいでしょうか」

 藤井さんは酒もタバコも麻雀もしない、真面目人間で今も沼田の実家にいる。そんな関係で人間関係が少ないのかも。

 そうすると、ふだんはヒマがあるんでしょう。

 「ええ、ヒマです(笑い)」

 まだプロ棋士の生活がどういうものかよくわからないのかもしれない。将棋指しで伸びてゆくには、伸びる環境を自分でつくりだす力もなくてはいけない。1級から初段への壁があったように、四段なから五段(C2からC1)への壁も厚い。

 藤井さんは闘志も見えず努力家ふうでもない。淡々としている様子だが、冷静に自分を見つめ、修正してゆく現実的な能力がある。

 戦国の世でもみくちゃになりながら生き抜いてきた、上州沼田というしたたかな土地柄が彼の中に宿っているのかもしれぬ。

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藤井猛九段が四段になったのが1991年4月なので、このインタビューはそれから3~4ヵ月後のこと。

「藤井さんは闘志も見えず努力家ふうでもない。淡々としている様子だが、冷静に自分を見つめ、修正してゆく現実的な能力がある」

とあるが、まさに三つ子の魂百まで、若い頃から藤井猛九段は藤井猛九段だったことがわかる。

片ツノ銀中飛車→振り飛車穴熊→四間飛車→藤井システム→藤井流早囲い矢倉→角交換振り飛車という展開も、冷静に自分を見つめ修正していく継続があったからこそ。

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この頃の藤井猛四段(当時)にはまだ硬さがあったのか、現在の藤井猛九段のように面白い会話がポンポン出てくるような流れというわけではないが、それはそれで新鮮だ。

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(藤井猛九段の少年~四段時代の関連記事)

→藤井猛少年と三浦弘行少年の「山賊ラーメン」「海賊ラーメン」

→藤井猛三段(当時)玉を取られた一局

→藤井猛九段の研修会時代

→豪腕 藤井猛三段(当時)

→藤井猛四段と三浦弘行四段

→1994年の藤井猛九段(前編)

→1994年の藤井猛九段(後編)

→藤井猛九段の子供の頃の得意戦法。

→藤井猛九段の少年時代

4:20 午後  
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インタビュー・対談
https://shogipenclublog.com/blog/2011/07/24/%E8%97%A4%E4%BA%95%E7%8C%9B%E4%B9%9D%E6%AE%B5%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%99%82%E4%BB%A3/

藤井猛九段の少年時代
2011/07/24 末席幹事 コメントする
Number最新号に藤井猛九段のインタビューが掲載されている。

特集が、”非エリートの思考法。~乱世を生き抜く力をつけろ!~”で、サッカー界、野球界などのプレイヤーとともに藤井九段の名前が並んでいる。→目次

タイトルは、将棋界孤高の革命家 藤井猛 「常識を打破して頂点に立った男」 。

非常に興味深い内容で、藤井ファンは必見の記事。

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今日は、Numberの記事と一緒に読むと良いような、1999年の藤井猛竜王誕生時のインタビューから。

将棋世界1999年1月号、「藤井猛新竜王に聞く」より。

(4連勝で谷川浩司竜王を破り、新竜王に)

-竜王位奪取おめでとうございます。1日たって感想はいかがですか?

藤井 とりあえず終わってほっとしています。昨夜は3時くらいまで飲んでいてあまり寝てないんです(笑)あまりにうまく行きすぎたと思います。そんなに簡単なものではないと思っていました。勝てるとは予想していませんでしたから。自分の力以上のものが出せました。内容に満足しています。

(中略)

-昔は実戦よりも一人で研究する方が好きだったそうですが。

藤井 アマチュアの頃は近所に指す人があまりいなかったということもありますが、積極的に相手を求めてあちこち行くというタイプじゃないですから(笑)。近所にいないなら、まあいいかというか。指すより将棋の本を見て研究したり、テレビで将棋番組見たりする方が好きでした。本は振り飛車のものが中心でしたね。大山十五世名人の書かれた本とか、振り飛車党の人が書いた定跡書や実戦集、雑誌とかが好きでよく読んでいました。

-将棋を覚えたきっかけは小学4年の時、クラスの友達からということですが、強くなっていったきっかけというのは。

藤井 まず友達に負けるのがいやだからなんですが、ちょっと勉強すると学校ではすぐ一番になりますね。その延長で勝つと面白いじゃないですか。それで好きになっちゃったんですよ。やっぱり好きでやっているとすぐに強くなるんですよね。6年くらいからまじめにやるようになって中学2年で三段くらいまでいきました。それで研修会に入りました。その頃は真田さんや木村さん、鈴木さん、行方さんがいましたね。

-あまり実戦をこなすタイプではなかったそうですが、研修会に入ってみていかがでしたか。

藤井 すぐに将棋がいやになりましたね(笑)。普通は入会したての時は相手のレベルに合わなくてまず負けますよね。最初は東京の人達に勝てなかった。大抵は半年くらい負けっぱなしなんですよ。そうすると今まで将棋は楽しいなあってやっていたのが、負けるたびにつまんなくなっていくんですよ(笑)。だから将棋は好きなんだけどしばらくは勝負に対していやになりましたね。勝負が好きじゃないんですね、慣れるまでが。でも負けず嫌いなところもありますから、その落差が大きいけれども、勝つと楽しいし段々上っていきました。

-藤井システムの成り立ちは。

藤井 3年前ですから六段の頃ですが、対居飛車穴熊の将棋が多かったんです。対穴熊もいいんですが、毎回指しているといやになっていくんですよ。将棋を指すとまず相手が穴熊でやってくる、そうするとストレスがたまると。10局に1局くらいならいいんですが、10局のうち5局も対穴熊をやっているとさすがにストレスがたまるので、囲わせない指し方はないかと、そういう発想ですからね。穴熊対策が中心だったわけです。また他の方も穴熊攻略でいろいろやられたので、それも参考にしていました。しかし、形も大分変わってきましたね。当時の方が普通でした。今はメチャクチャですから(笑)。攻める展開が多くなりました。まあ基本的には攻めるのが好きですから。での振り飛車戦法というのは受けの将棋なわけで、そこが私の攻めの棋風と矛盾していますが。

-自分の将棋は変わってきましたか。

藤井 自分なりの指し方をするようになってきたと思います。自分で考えた手をやるようになりました。

-藤井さんの同世代には早くから活躍してきた人が多いですが、そういう人達を見ていてどう思っていましたか。

藤井 例えば羽生さんとはあまりに差があって、雲の上の人という感じで焦りとか悔しいという気持ちはなかったです。

-一番魅力を感じる棋士は。

藤井 昔からやはり大山十五世名人ですね。ずっと憧れていました。

-ご自分の性格はどう思いますか。

藤井 よく分からないですね。考えたことがないです。のんびりやですね。

(以下略)

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藤井九段が奨励会に6級で入った時、同じ歳の羽生二冠は四段、森内名人と先崎八段は三段、郷田九段と丸山九段は初段だった。

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4:24 午後  
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1994年の藤井猛九段(前編)
2012/07/09 末席幹事 コメントする
将棋マガジン1994年6月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳 藤井猛 振飛車党期待の新旗手」より。

足腰を鍛えた逞しさ

 とりたてて目立った成績を上げているわけではないのに、気になる棋士というのがある。こんどC1に昇級した藤井猛五段は、私にとってそんな棋士のひとりだった。

 なぜ、気になるか。ひとつには、風貌のせいである。大都市出身者が大勢を占めている若手棋士のなかにあって、いかにも地方出身らしい芯の強そうな顔をしている。およそ秀才タイプではないけれど、そのかわりに、足腰を鍛えた逞しさを感じさせる。サラリーマン社会でも、エリート族は、こういうタイプに追いかけられるのが、いちばんいやなのではないかと思う。

 藤井が振飛車一本で通しているのも、興味を惹かれた。谷川浩司の登場以後、タイトル戦に登場した若手棋士で、振飛車党はひとりもいない。将棋界は、居飛車党による一党支配に向かいつつあるような感じさえする。そんな時流のなかで、振飛車で一貫しているのは、かなり頑固な性格にちがいない。

 藤井は群馬県沼田市出身。近年、若手棋士は東京、大阪を中心にした都市出身者が圧倒的に多い。藤井のような地方都市出身者は少数派に属する。しかも、振飛車党とくれば、居飛車党による中央集権体制を打破すべく、地方分権主義を推進する若き改革派の旗手、というイメージを重ねることもできる。

 前期は昇段昇級を果たしただけではない。通年の成績は32勝13敗。勝率七割一分一厘は全棋士中第六位。「大山、森安亡きあと、四間飛車は藤井がいちばんうまいのではないか」と評価する棋士もいる。

 研究熱心で知られているが、腕力にも定評がある。通称「ハンマー猛」。かつて”ハンマー・パンチ”で世界を制した、ハワイ生まれの藤猛にあやかっている。

 藤井のような地方派の振飛車党は、いまや将棋界では貴重な存在になりつつある。これは、いよいよ気になるじゃないですか。

 いつか司馬遼太郎がテレビでしゃべって、妙に印象に残った話がある。

 旧幕時代の教育は、藩によってテンデンバラバラだった。全国共通のカリキュラムなんかないから、それぞれの流儀ができあがった。A藩とB藩では、まったくちがうことを教わる。維新後には、そういう教育を受けた、相異なる個性の持ち主が中央に集まった。

 司馬説によれば、日本が明治時代に近代化に成功したのは、個性と個性がぶつかり合って、新しいものを生みだしたからだという。現代のように北海道から沖縄まで同じ教育が実施されているのを見ると、日本の将来に不安を感じる、ともいっていた。

 プロ棋士になろうという子どもは、学校教育の外れ者といってもいいくらいだから、棋士の個性がどうのと心配するほどのこともない。が、タイトル戦に振飛車党が顔を出さない現状は、いささか問題がある。

 かつて米長邦雄名人は「矢倉は将棋の純文学である」と定義した。米長、中原、加藤の”三強”が矢倉の芸を競った時代である。「矢倉純文学説」は、米長の実績も手伝って、矢倉の大流行に拍車をかけた。矢倉を指さなければ、天下は取れないという風潮まで生んだ。

 たしかに、相矢倉戦には、彫心鏤骨の文章を重ねる純文学に通じるものがある。米長の解釈に異を唱えるつもりはないけれど、純文学ばかりが栄えては、文学全体が衰退してしまう。手に汗にぎらせる大衆小説が広く読まれてこそ、純文学の読者もふえる。

 ヘボ将棋には、棒銀と中飛車がだんぜん多い。振飛車には大衆小説=縁台将棋のにおいがある。ひところの矢倉全盛のプロ将棋界は、縁台将棋のファンから遠ざかったきらいがないではない。こうみてくると、いっそう藤井への期待は大きくなってくる。

小学生名人戦を見て

 藤井は小学校四年のときに、学校の友だちに将棋を教わった。昭和五十五年、ちょうど”将棋ブーム”のころである。藤井も「将棋が流行った時期がありましたよ」といっている。「クラス二十人の男子生徒の半分は、将棋を知っていた。もっとも、最近は、実家の近所で将棋を指す子どもを見たことがないそうだ。

 最初のうちは、たまに友だちと指す程度だったが、五年生の終わりごろ、入門書を読んでから、突然、興味がふくらんだ。六年生になってからは、学校ではだれにも負けないくらい強くなっていた。棋力はアマ初段程度はあったという。

 そのころ、テレビで小学生名人戦を見た。決勝戦に出る選手は、ゆうにアマ四、五段の棋力がある。当時の藤井少年より相当に強いはずだが、ご当人はこういっている。

「自分より強そうだとは思いましたけど、ぜんぜん勝負にならないという気はしなかったですね。指す手がどういう意味か、いちおうわかりましたから」

 のんびり屋なのか、気が強いのか、あるいは、知らない強みというのか。

 藤井は羽生四冠王と同年で、誕生日も二日しかちがわない。羽生少年は小学校二年のときから、毎週一回、八王子の道場に通った。藤井少年が入門書を読みはじめたころには、五段と認定されている。六年生のときには、小学生名人戦で優勝した。藤井は「とうぜん、見たはずなんですけれども、記憶にないですね」とあっさりいっている。

 沼田市には将棋道場がなかったから、強くなるにはひとりで勉強するしかなかった。いっぽう、羽生は小学校六年生の十二月に奨励会にはいった。これは、ひとえに環境によって生じたハンディキャップというしかない。

 地方の将棋少年は、スタートにおいてハンディを背負わされているということにもなる。このハンディは、けっして小さくないはずだが、才能というのは、年月がかかっても、いつか確実に開花する。

(つづく)

—–

私が将棋を最も熱心に勉強したのが中学2年の後半から中学3年の頃。

大野源一八段(当時)の振飛車、升田幸三九段(当時)の振飛車や升田流ひねり飛車、大山康晴名人(当時)の振飛車、の棋譜ばかりを並べていた。

特に、大野・升田の振飛車が大好きだった。

思えば、アマチュアの振飛車党にとって最も良い時代だったのかもしれない。

将棋世界や近代将棋を見ても、ほとんどが振飛車-居飛車の対抗形。

もし、将棋に興味を持ち始めた頃が相矢倉全盛時代にぶつかっていたら、私はこれほど将棋を好きになっていたかどうかは、正直いって分からない。

江戸川乱歩なら読むが、大江健三郎はちょっと・・・という感じ。

現代は、戦法の選択肢が広くなって、とても面白い時代になっていると思う。

4:27 午後  
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1994年の藤井猛九段(後編)
2012/07/10 末席幹事 コメントする
将棋マガジン1994年6月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳 藤井猛 振飛車党期待の新旗手」より。

二十歳・初段の関門

 中学に入ってからも、しばらくは、藤井の独学時代はつづく。学校の成績は、上のほうにいた。平凡に高校から大学に進学する道も考えないではなかったが、それ以上に、将棋のほうがおもしろすぎた。

 将棋にプロの世界があるとは知っていたが、夢のような話で、現実味がなかった。たまたま、将棋界の事情に通じている知り合いがいて、そんなに好きなら研修会に行ってみないかとすすめてくれた。研修会というのは、奨励会にはいるための塾みたいなものだという。

 少年の心は動いた。両親も反対しなかった。中学一年の三学期から、月に二回、日曜日に将棋会館に通うようになった。

(中略)

 研修会はBからFのクラスに分かれている。一日四局指して、成績によって昇級し、Aに上がると奨励会の仮入会死角を得る。

 それまで相手に恵まれなかった藤井は、めきめき腕を上げた。自分でも「この時期に、ずいぶん強くなった」といっている。いちど奨励会試験に落ちたが、中学三年のときに、Aクラスに昇格した。アマ五段くらいの力はついていた。昭和六十一年四月、高校入学と同時に6級で奨励会に入会した。

 前年の十二月に、羽生は四段に昇段して、加藤一二三、谷川浩司につづく三人目の”中学生棋士”になっていた。藤井のように中学を卒業して奨励会入りした”十五歳入門組”は、それだけスタートが遅れているということになる。その感想を藤井に聞いてみた。

「たしかに、十五歳では遅いんですが、とくに意識することはなかったですね。ただ、年齢制限がありますから、のんびりはしていられないんです」

 二十歳までに初段にならなければいけない、という規定があった(現在は二十一歳)。藤井は1級まではすんなり昇級できたが、ここで足踏みをしているうちに十八歳になった―。

「あせりましたよ。いま考えれば、初段なんて、なんでもないんですけれども。やっぱり、年齢制限というのはきついですね」

 高校卒業までに第一関門は通過できた。卒業と同時に、東京でアパート生活をはじめた。それまでは、月二回の奨励会の対局日には沼田市の自宅から通っていた。

 その日は、朝五時に起きて、上越新幹線・上毛高原駅発、六時四十五分の列車に乗る。自宅から駅まで、クルマで約三十分、父君に送ってもらった。東京の通勤圏にいる奨励会員にくらべれば、かなりのハンディだが・・・。

「べつにたいへんだとは思いませんでした。勝つか負けるかしか、考えていないですから」

一ヵ月間のプレッシャー

 東京の生活がはじまって、将棋を勉強する機会が一気にふえた。研究会に参加し、仲間の奨励会員とぶつかり稽古をする。藤井は「将棋漬けになって、順調に昇段できた」と東京生活の効用を認めている。

 研修会時代から、振飛車は指すのも見るのも好きだったという。きっかけは、大内延介九段の本を読んだことにある。当時は、もっぱらひとりで勉強するしかなかったから、大内の本を買い漁った。さらに森安秀光九段、大山康晴名人の本に手を広げていった。

 奨励会時代は居飛車アナグマの全盛期だった。振飛車党は奨励会でも一割程度だから、藤井は、いつも居飛車アナグマか左美濃を相手にする。かえって、研究しやすいので、ありがたいと思ったそうだ。

 すでに「四間飛車の藤井」で通っていたが、わき目もふらずにというわけでもなかった―

「調子がわるくて、勝てない時期があるでしょう。居飛車の勉強をして、相矢倉をやったこともありますよ。でも振飛車をやめようと思ったことはないですね」

 平成二年の四月から、三段リーグに参加した。これは、本当の意味でのサバイバルレースである。藤井はこういっている。

「二段までの対局とはちがうんですね。格が上だという意識が強かったですから、どのくらいやれるか不安でした。三期以内に上がらないと、水につかっちゃうんじゃないかという気がして・・・。気合いが新鮮なうちに上がりたかったんです」

 一期目が12勝6敗で、なんとかやれそうだと自信がついた。二期目は、競争相手が急に脱落してくれたので、二局をあまして四段昇段を決めた。終わってみれば、実力どおりの昇段だったが、藤井自身は、とてもそんな余裕はなかったという。

 そこでホッとしたわけではないのだが、順位戦にのぞむ心境は一転する―

「昇級するの何年かかるかわからないと思っていましたからね。三段リーグのときとは気分がちがいました。一年周期でしょう。闘志を燃やしつづけたら、もたないんですよ」

 二期目に、自力昇級の目が出たとたんに、力みすぎて負けた。順位戦は、あまり力むと、負けたときのショックが大きい、という教訓を学んだ。

 三期目の前期は、早くも二回戦でつまづいた。ことしもダメかと思ったが、なんとか立ち直って、一敗を守りつづけた。

 八回戦までは四番手。九回戦でわるい将棋を勝ったとき、なんと三番手に浮上していた。最終局に勝てば昇級―力むなといっても、むりな話で、その胸中をこう語っている。

「棋士になってから、こんな大きい勝負はなかったんです。順位戦にしても、ほかの棋戦にしても、燃える一番という感じではなかった。こんどは、ぜんぜんちがうんです。最終局まで、ちょうど一ヵ月あったんですけど、長かったですね。ずーっと凄いプレッシャーでした。なにをやっていても、ちらついてくるんです。勝ったときと、負けたときの差が大きすぎる。負ければ一年間がむだになる。負けて後悔する自分を想像すると、つらいものがあるんです。夢も見ましたよ、勝った夢、負けた夢・・・」

 当方の願いとしては、こういう大勝負をもっともっと経験するほど活躍してもらいたい。もちろん、振飛車で―念のために、振飛車をつづけるかと訊いたら、

「いまは振飛車党はすくないですし、ぼくが居飛車を指しても、つまらないでしょう」

—–

1993年度の順位戦C級2組、昇級は真田圭一四段(9勝1敗)、神崎健二五段(9勝1敗)、藤井猛四段(9勝1敗)。

藤井四段が二回戦で敗れたのは佐藤秀司四段、最終戦の相手は6勝3敗の森信雄六段だった。

「ぼくが居飛車を指してもつまらないでしょう」は名言だ。

4:29 午後  
Blogger yoji said...

棋士のエピソード
藤井猛四段と三浦弘行四段
2012/06/19 末席幹事 コメントする
将棋世界1994年5月号、神谷広志六段(当時)の「今月の眼 関東」より。

 西村門下の新鋭、藤井、三浦両四段は奨励会の頃から目立った存在だった。

 二人とも三段リーグを二期でスンナリ通過するなど昇進の早いことでもそうなのだがそれより二人の持つ独特の雰囲気、芯が強いというかふてぶてしいというか、ともかくそういうムードを持ち、こいつらはいかにも強くなりそうだと周りの誰もが思っていた。

 顔自体はそれ程似ているとは思えないが奨励会幹事の相棒だった大野がいつまでたっても二人を間違えて呼び、その度に二人とも不満そうな顔をしたものだ。

 四段にデビューしてからも二人とも期待通りの活躍で、藤井は9勝1敗でC級2組からの昇級を果たしているし、三浦は先崎、真田らの若手と勝率一位を争っている。

 今月はこの二人の将棋を見ていただこう。

 図は94年2月22日の王座戦二次予選決勝、藤井四段-高橋九段戦。

 藤井の四間飛車に高橋の居飛穴と互いに得意の戦型から。

photo (4)

図以下の指し手

▲4二角成△同金上▲4五銀△8四飛▲5四桂△3三金右▲6二桂成△8七飛成▲3四銀

photo_2 (4)

 ここまでは割と細かい動きで歩得を重ねてきた藤井だがハンマー猛(筆者より年上でボクシングに興味のある方ならピンとくるだろう)の異名通り決断すればズバリと行く。角を切った後▲4三銀ではなく▲4五銀と打つのが手厚い。

 そして銀取りに構わず▲3四銀と絶好調といえる攻めだ。

 ただししての高橋もさるもので図から△4六歩▲同飛△5四桂と反撃、以下猛烈に追い込んでヒヤリとさせたが藤井が何とかしのぎ切り本戦進出を決めた。

    

 図は3月10日真田四段-三浦四段の新人王戦。

photo_3 (2)

 やや変則的な手順で角交換となりここから△6四金▲7八金△5五金▲5九飛△5四金と進行。

 何でもないようだがこの△6四金~△5五金というのはなかなか凄い手である。

 というのも△5五金とした局面は後手の駒がバラバラ。

 特にこの場合先手は角を駒台にのせているのでいかにも手にされそう。普通の棋士なら浮かんでも一寸指せない手なのだが三浦は自分の読みに余程自身を持っているのだろう。真田も色々考えたろうが結局うまい手がなく、△5四金となっては歩の食い逃げに成功の形だ。

 それから十数手進んだのが下図。

photo_4

 三浦ハッキリ優勢の局面から、

△4五桂▲1五角△1四歩▲5一角成△2八飛成▲4九金△6四金

 最初この手順を見た時は棋譜の間違いかと思ってしまった。さして働いていない敵の角を桂を使ってまで成らせる。

 なんじゃこりゃというところだが続いて△2八飛成と金取りで成れるのが厳しく優位は少しも動いていない。△6四金以下は▲当然の▲5三飛成に△1九竜▲5八金△5五香と攻め、以下短手数で寄せ切っている。

photo_5

 二人を比べると振飛車党で研究家(四間飛車ならすでに第一人者という説あり)の藤井。何でも指し実戦派(家では詰将棋ばかり解いているとのウワサ)の三浦と分かれているが二人ともこれからドンドン活躍するのは間違いない。

 通のファンなら藤井、三浦の名を忘れないでいただきたい。

—–

神谷広志七段の予言が見事に当たっている。

藤井猛九段は1970年生まれで群馬県沼田市出身、三浦弘行八段は1974年生まれの群馬県群馬郡群馬町(現高崎市)出身。

群馬県出身で西村門下という共通点はあるものの、4歳も離れているので二人を間違えそうにないものだが奨励会幹事が間違えてしまう。

それほど二人に似たようなオーラがあったということなのだろう。

—–

私が大学時代に憧れていた女子大生も群馬県出身だった。

—–

ハンマー猛は、昭和40年代前半に活躍した元WBA・WBC世界スーパーライト級王者の藤猛選手のこと。

藤猛はハワイ生まれの日系3世で、「オカヤマのおバアちゃん、(僕が勝った瞬間を)見てる?」という台詞が当時の流行語になった。

—–

紹介されている藤井四段の棋譜。

まさしくハンパーパンチ、あるいは故・佐藤大五郎九段の薪割り流的な指し手だ。ガチガチの4枚穴熊があっという間に薄くなっている。

三浦四段の棋譜。

邪魔者(角)を無理やり高級レストランに招待して、邪魔者がいなくなったところで思う存分暴れまわるという指し回し。ユーモラスな手順だ。

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4:31 午後  
Blogger yoji said...

棋士のエピソード
豪腕 藤井猛三段(当時)
2012/07/31 末席幹事 コメントする
将棋マガジン1991年4月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 第二対局室で、泉と見知らぬ少年が対局している。部屋に入ったとたん、盤面を見なくても、いい勝負をしているな、と判る。記録用紙を見ると、三段 藤井猛とある。

 いつか桐谷が話していたが、奨励会の少年が桐谷の所に将棋を指しに来たとき、菓子折りを持って来た。

「手土産を持って来たのはあの子だけだったな。親のしつけがいいんですね。将棋も強く、負かされましたよ」

 その少年が、この藤井君だったと思う。もっとも、棋士は、人柄は二の次、将棋の才能があるかどうかだが、泉を負かすようなら、文句なしだ。

 局面は第1図。相振り飛車は棋才のあるなしを見るのにいちばん適した戦法で、この後の藤井君の指し方が見物である。

photo (1)

(中略)

 感想戦を取材できなかったので、正確なところは判らないが、見たところ華麗な戦いである。

(中略)

 一本道の攻め合いから、▲6三金と打ち込んで藤井君の勝ちが決まった。強い。その根拠はいくつかある。

photo_2 (2)

 まず、怖がらないこと。本局でいえば、△2六歩と打たれ、△3六歩と桂頭を攻められるなど、先手玉は危ない形だがびくともしない。そして、読みが正確である。第2図から△7一玉▲5三桂成のとき、△3七歩成の殺到は、▲2九玉と引いて詰みなしと読み切っている。

 もう一つの強みは、秒読みに平気でいられることだ。三段クラスはみんな早見えするが、それでも秒読みはいやに決まっている。藤井君にはそんな気配が見えない。第2図で一分将棋になっていたが、以下誤らなかった。

 三段リーグは間もなく終わるが、現在藤井君がトップである。あるとき三段陣の噂をしていて「藤井君も王様を取られての一敗が痛い」という者がいた。すると師匠の西村が、「集中している証拠だから、そういうことがあってもいいよ」と笑っていた。

 そんなわけで、藤井君に注目していただきたい。なにしろ、四段になったその年に、タイトルを取ったりするご時世なのだ。三段のときに目をつけるようでないと、通とはいえない。

—–

藤井猛三段(当時)は、この期の三段リーグで15勝3敗、1位の成績で四段に昇段することになる。

出だしの第1戦目で勝勢だったものの、王手をかけられているのを見落とし、近藤正和三段(当時)に敗れるなど8戦目までで5勝3敗という戦績だったが、その後は10連勝。

三段リーグ最終日を待たずして昇段を確定させた。

4:32 午後  
Blogger yoji said...

奨励会
藤井猛九段の研修会時代
2012/08/07 末席幹事 コメントする
将棋世界2002年7月号、藤井猛九段の「四段昇段の一局 システムの原点」より。

 決心をしたからと言ってその通りになるわけではないが、決心をしなければ何も始まらない・・・。

〔阪神優勝の陰で〕

 昭和60年11月2日。明日は奨励会試験。

 中学校生活最後の文化祭を翌日に控え、クラス皆が準備に追われている中、そっと学校を後にした。

 家に帰りテレビをつける。9回裏。マウンドにゲイルが見える。間もなく吉田監督が宙に舞った。阪神が日本一を決めた瞬間だった。

 11月3日。15歳での奨励会受験。年齢的に考えて最初で最後のつもりで臨んだが、1勝2敗。もう後がない。明日3連勝するしか道はない。落胆著しい。

 11月4日。開き直って2連勝。最終局に望みを託す。さっきまで抜けていた肩の力が入ってしまった。逆転負け。自分の人生はこれで終わった。死にたい気分だった。

 思えばこの一年、力はあるはずなのに、大事な対局は負けてばかりだった。

 次の奨励会試験は一年後。16歳だと5級からの受験でさらに厳しくなる。研修会から編入という手もあるが、1月にC2で入会して現時点でやっとC1。Aまで上がり、15歳以下なら奨励会入会資格が与えられるのだが、このペースで行くと気の遠くなる話。

 高校受験もある。前途多難。しかし、研修会には残ることにした。

〔大山-米長戦の陰で〕

 朝4時起床。父の運転するワゴン車に布団を持ち込み、研修会に向かう。

 月2回の研修会には、群馬県沼田市の自宅から、父の車で送ってもらっていた。

 7時。父が後部座席で眠っている私を起こす。母の手作りの弁当で朝食。

 7時40分。鈴木大介君が会館に入って行くのが見える。彼はいつもこの時間に決まって一番乗りだった。9時に始まる研修会まで何をしているんだろうと思っていた。

 その後の研修会では、溜まっていたマグマが一気に噴火。B2に上がると、8連勝でB1へ。そのまま7連勝して合計15連勝。あんなに遠く思えたAクラスに、あっという間に3ヵ月で王手をかけた。

 ところがまた、ここぞという時に逆転負け。

 それでも勢いは止まらず、すぐに次のチャンスが訪れた。

 昭和61年3月23日、もう春だというのに、その日は朝から大雪だった。

 特別対局室では、伝説の大山-米長のA級プレーオフがあり、熱気に包まれていた。

 同じ日、壁一つ隔てた大広間で、研修会がひっそりと行われ、私は静かに奨励会入りを決めた。

 数日前には高校にも合格し、春だった。

 奨励会試験に一度は失敗したが、その後数ヵ月の研修会での好成績は、私の将棋人生に大きな自信をもたらしている。

 帰途、私は奨励会での目標を心に誓った。年齢制限の25歳まであと10年あるが、半分の5年、20歳でプロになること。そして、ここ一番には必ず勝つ、そう決心した。

(つづく)

—–

鈴木大介少年が、そのような朝早くから何をやっていたのか、とても気になるところだ。

—–

藤井猛少年が、中学校生活最後の文化祭を翌日に控え、クラス皆が準備に追われている中、そっと学校を後にした1985年11月2日(土)。

昨年の記事でも書いたことだが、この日、私は六本木の飲茶料理の店で、3人で飲んでいた。

この店は大手食品メーカーが後援している人気のある店だったが、閉店に近い時刻になると客席は私たちと別の席の二組だけになった。

品の良いロマンスグレーの店長がニコニコした笑顔で奥から出てきて、私たちに話しかけてくる。

「今日、タイガースが優勝いたしまして。よろしければ一緒に”六甲おろし”を歌っていただけませんか」

阪神が優勝したことをこの時はじめて知った。元・巨人ファンとしては”六甲おろし”を歌うのはかなり不本意だが、郷に入れば郷に従え。

「はい、いいですよ」

別の席のお客さんが私たちの席へ集まってくる。

よく見ると黄色と黒のタイガース応援グッズを持っている人たちだ。店長の友人グループなのだろう。

”六甲おろし”の歌詞は知らないが曲は聞いたことがある。合わせて歌っていればどうにかなる。

「六甲おろしに颯爽と  蒼天翔かける 日輪の・・・」

3番までのフルコーラス。

少しだけ阪神ファンの気持ちが理解できたような感じがした。

歌が終わったあと、店長は、

「お邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」

と言って、その後、

「これは、歌っていただいたお礼です」

と、桃饅頭を出してくれた。

藤井猛少年が翌日の奨励会試験を前に気合いを込めながら布団に入っていた頃、私は酔っ払いながら桃饅頭を食べていたということになる。

4:32 午後  
Blogger yoji said...

奨励会
藤井猛三段(当時)玉を取られた一局
2012/08/09 末席幹事 コメントする
将棋世界2002年7月号、藤井猛九段の「四段昇段の一局 システムの原点」より。

〔玉は取られたが・・・〕

 いよいよ三段リーグ開幕。いきなり連敗。相手が振り飛車党とは言え、居飛車連採は早計だったか。真剣勝負の場から遠ざかっていたのが痛かったか。次回からは得意の振り飛車で行こうと反省。

(中略)

 1期目は12勝6敗。始めの連敗がひびいて上がれなかったが、次期につながる自信になった。

 しかし、2期目の初戦、事件が起こる。

photo_3

 図は終盤戦。△8一玉以下、私の勝ちのはずだった。ところが△4九飛▲7一桂成―。

「王様って取ってもいいんだよねぇ?」

 誰に確認するともない近ちゃんの声と同時に、「あ~、そっかー!!!!」と叫んだ・・・。

 そんなこともあり、前半は5勝3敗と振るわない成績。しかし、たまたま引っ越したのと、年が明けたのとで、いい気分転換になったのか、そこから4連勝。山場と思っていた深浦戦を迎える。

 相手は用意周到な研究家。戦法選択に悩んだ末、中飛車穴熊は危険と読み、一夜漬けだが、四間飛車穴熊で勝負に行った。予想通り激戦となり、

(中略)

 この勝利で一気に波に乗り、後半戦は全勝。四段への切符を手に入れた。目標通り、20歳での昇段だった。

〔プロである限り〕

 ここ一番には必ず勝つ―この頃と今とでは、将棋の内容も考え方も随分変わったが、この決心だけは持ち続けている。決心をしたからと言ってその通りになるわけではない。初めは漠然とした図々しい決心だった。決心を可能にするのは自信だ。奨励会を通して分かったことだ。そして、その自信をもたらすのは何か。すべては自分の中にある。

 私は自分を信じて研究を続ける。プロである限りずっと。

—–

王手放置は反則負けのようなイメージがしないが、ルール上は反則負けとなる。

A級順位戦でも過去に、王手放置が起きたことがある。

大野源一八段-塚田正夫九段戦。

塚田九段には降級の目があった。

終盤、大野八段が勝勢の局面で塚田九段が王手をかけた。

大野「なんだい、こんな王手したってしょうがないじゃないか。王さん引けば投げの一手なんだあー」

と話した途端に、

「大野先生、ここから一分将棋です」の声。

大野八段は「えっ、もう時間か」と言うなり、塚田九段に王手をかけた。

塚田九段は、目にも止まらぬ速さで大野八段の玉を取り上げ、その手を高くかざして、

塚田「大野くん、悪いけどこれ、もらっとくよ」

大野「なにするんやっ!」

塚田「ぼく、いま苦しいんだ」

—–

非常に優勢な場合に、王手放置のリスクが高まるようだ。

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4:33 午後  
Blogger yoji said...

棋士のエピソード
藤井猛少年と三浦弘行少年の「山賊ラーメン」「海賊ラーメン」
2012/08/08 末席幹事 コメントする
将棋世界2002年7月号、藤井猛九段の「四段昇段の一局 システムの原点」より。

〔三浦弘行と穴熊〕

 奨励会でも勢いは続いた。一年半のスピードで1級へ。

 私はずっと四間飛車ばかり指してきたと思われがちだが、そうではない。研修会時代からこの頃までは、第1図のような中飛車一本だった。

photo

 ところが1級ではまったく勝てなくなった。このレベルには、中飛車は通用しないのか?悩んだ。

 その頃、弟弟子の三浦弘行が奨励会に入会し、師匠譲りの振り飛車穴熊で勝ちまくり、瞬く間に追いついて来た。

 同じ群馬からの通い組同士でもあり、三浦君の家に泊りに行って、徹夜で百番勝負を繰り広げたりもした。夜食に取ってくれた、山賊ラーメン、海賊ラーメン、各三千円也はものすごい量で、とても食べきれなかった。懐かしい。

 三浦君の振り飛車穴熊は、私にはいいかげんな将棋に思えて、なんであれで勝てるのか不思議だった。私もなかなか勝てなかった。

 彼の勝負に徹した指し方に、初めは疑問を持ったが、彼と何番も指すうちに、奨励会を生き残るには、このやり方しかないと悟った。

 そして私は振り穴党に変身し、それが原動力となって、1年ぶりに初段に昇段した。

 当時、プロ棋界では居飛車穴熊全盛。奨励会でも流行していた。

 居飛穴をやられて困るのは、昇段の一局など自分に勢いがある時でも、居飛穴の固さに、勢いが負けてしまうことがあるからだ。

 穴熊には穴熊。私は振り穴党に変身したのは、そんな理由もある。

photo_2 (1)

 私が得意にしていたのは上図の形だが、この局面は、はっきり言って、後手不利である。しかし、私はこの戦法で勝ち進む。もちろん、それは血の滲むような研究と経験値、勝負への執念に裏打ちされてのことだ。

 初段昇段後間もなく高校を卒業した私は、上京して、将棋漬けの生活に入る。

 研究会に参加するのも、記録係も務めるのも、初めてだった。

 環境の変化もプラスに働き、半年で一気に三段に駆け上がる。

 私がバンドエイドだらけの指で将棋を指しているのを見て、「藤井は、指から血が出るまで研究している」と、噂が立ったのはこの頃だ。食器用洗剤でひどく手が荒れて血を流していたのが真相だが(笑)。

 三段になったものの、リーグ参加までは半年待たされることになった。この半年を利用して、初めて居飛車の勉強をしようと思い立つ。矢倉、角換わり、横歩取り、すべて定跡本から買い漁り、一から勉強。新鮮だった。

 私の振り飛車は、よく居飛車感覚だと言われるが、この居飛車の勉強で身についたものは大きい。

(つづく)

—–

山賊ラーメン、海賊ラーメン、各3000円。

ネットでいろいろ調べてみたが、今はこれらのラーメンは作られていないようだ。

—–

現代、山賊ラーメン、海賊ラーメンと名のつくものはどのようなものか。

三浦八段の地元の高崎に、「山賊麺」というメニューがあった。950円

巨大チャーシュー、味玉、メンマ、もやし、キャベツ、ニンニクの芽、コーンがトッピングされ、スープは濃厚鶏スープ。950円。

→山賊麺の写真

結構なボリューム感だ。

当時の山賊ラーメンとは、店も内容も異なるのかもしれないが、相当すごいラーメンだったのだろう。

—–

三浦弘行八段のお母様は、ざっくばらんでとても楽しい雰囲気を持っている。

→「授業中に詰将棋解いていれば同じことですからね」

→三浦弘行棋聖誕生前夜

その優しいお母さんが、二人の夜食ということで出前で取ってくれた巨大ラーメン。

忘れられない味になることは確かだろう。

—–

「藤井は、指から血が出るまで研究している」と周りが誤解してくれたのも、藤井三段(当時)の日頃の精進の賜物だったのだと思う。

4:35 午後  
Blogger yoji said...

局面指定して各種の振り飛車vs居飛車をソフト同士で
対戦させると藤井ステムだけ互角らしいんだよ(残りは居飛車の勝率が高い)。
プロも研究して見直してるだろうしそういう情報の影響もあるのでは?

ちなみに久保は数年前に中飛車を主力戦法としながら
「振り飛車の理想系は四間飛車でいずれまた指したい」という
趣旨の発言をしているからプロの間では根強く研究はされてるはず。

4:48 午後  
Blogger yoji said...

(香川愛生の駒音だより)将棋の魅力は海に似ている:朝日新聞デジタル
2018/1/30
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13336280.html
 棋士の自分でも、どうしてこれほど将棋に魅入られてしまうのだろうと疑問に感じる瞬間がある。取材などで将棋の魅力を聞かれれば、答えはするものの、いつもいい言葉が浮かばず、もやもやしてしまう。

 25日、佐藤康光九段と森内俊之九段の紫綬褒章受章記念祝賀会に出席した。お二人は、共に「永世称号」の保持者であり、会長と専務理事という運営面でも将棋界を支える立場に昨年就かれている。いずれも現役棋士でありながら、そのような決断をされたことの重みに思いを巡らせると、今の自分に何ができるだろうということを改めて考えさせられる。

 佐藤九段は謝辞で、「将棋にも将棋界にも、無限の可能性がある」と語られた。その言葉を聞いているとふと、将棋盤の上には「海がある」と言えるのかもしれない、と思った。

 将棋の可能性がどこまでも広がっていることは、水平線の先が見えないことにも海底の闇にも似ていると思う。ファンの方々は、水面のキラキラした輝きを見るように、棋士の活躍を見てくださっている。ただ、私が本当に魅入られているのは、光の届かない海底の恐怖感なのかもしれない。

 将棋の魅力を伝えなくては、先輩から受け継いでいかなければという焦燥感も、自分の手の届かないところでも広い海はつながっていると思うと、気持ちもすこし大きく構えられる。(将棋女流棋士=おわり)

8:14 午後  
Blogger yoji said...

鰻屋本舗(将棋):藤井語録 - 藤井猛九段公認応援サイト
http://fujii-system.com/aphorisms.html
「清々しい気持ちで盤に向かう自分がいた。(入室の際)自然に出た笑顔に、女神様が少しだけ味方してくれたのかもしれない。」(第13期竜王防衛後、将棋年鑑平成13年度版P.40)
「▲9八香車の価値は10円、▲9九玉は500円しかないが、▲8八銀になると1万円の価値がある」(最前線物語 深浦康市著 浅川書房 P.95)

4:11 午後  
Blogger yoji said...

「最近は居飛車党でも四間飛車を指す人がふえましたが、戦法の好き嫌いがないっていうのが、また僕には不思議です。しかも、にわか四間飛車党が結構いい味出すんですよ(笑)。でも、こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない。」(「鰻屋」の元ネタ。将棋世界2004年5月号P.121)
私が居飛車を指していても、銀座で屋台を引いて頑張っていると思って、暖かい気持ちで応援して下さい(笑)(「銀座の屋台」の元ネタ。藤井九段の居飛車党転向について)
「これには△6九銀が絶品チーズバーガー。以下▲7九金に△5八銀打」です。(「絶品チーズバーガー」の元ネタ。第21期竜王戦七番勝負第二局)
藤井語録

4:15 午後  
Blogger yoji said...

将棋棋士の迷言bot (@kishinomeigen)
2018/02/07 10:06
いろいろ勝ちのある局面で芸術的な負けを選ぶんです。(藤井猛)

12:21 午前  
Blogger yoji said...

ソフトは四間飛車を評価しないが
細かく振ることは評価する
今後振り飛車は細かく振り続けることに意義がある
雁木における角と同じで複数の振り場所を用意する必要がある
増田は振り飛車自体は否定していない

2:59 午後  
Blogger yoji said...

20180213
藤井先生55角急戦に63銀型は諦めてくださいな
俺もソフトで血眼になって調べたけど勝ち筋ないよこの変化は
55角急戦には王位戦の羽生-藤井千日手指し直し局でやった65歩突き越して端桂含みで戦うのが最善なんだろうけど
その対局は序盤優勢だったけど途中紛れて負けたし65桂の筋が残るしで藤井先生の好みではないんだろうね
65歩は土下座みたいでこんな手指すならシステム指さねーよって感じなのかな

5:21 午前  
Blogger yoji said...

久保利明王将対藤井猛九段 竜王戦1組 本家藤井システム発動!
https://youtu.be/TJZEYqHEk-8


この解説動画は冷静だ
戦型については触れていないが…

穴熊に組まないのがあからさまな相手には三間飛車でいいと思う

9:31 午前  

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