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「われわれの欲求は、量よりはむしろ多様性を目ざすことは明瞭である」シーニョア (ジェボンズ経済学の理論41頁より孫引き)
An Outline of the Science of Political Economy - 133 ページ
Nassau William Senior - 1836 -
It is obvious, however, that our desires do not aim so much at quantity as at diversity. Not only are there limits ...Senior
シーニョア 経済学概説 1836
《各人が活動の排他的な領域をもつのではなく、むしろそれぞれの任意の部門で自分を
発達させることができる共産主義社会においては、社会が全般的生産を規制し、そして、
まさにそのことによって私は、今日はこれをし、明日はあれをするということができるという
ようになり、狩人、漁師、牧人、あるいは批評家になることなしに、私がまさに好きなように、朝
には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批評をするという
ことができるようになる。》
(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』渋谷正訳、岩波文庫版)
エンゲルス執筆の箇所ですが、
「…共産主義社会では、各人は一つの排他的な活動範域をもたず、
各〔範域〕を任意の各部門で自己形成をとげることができるのだが、共産
主義社会においては社会が生産の全般を規制しており、まさしくそのゆえに可能に
なることなのだが、私は今日はこれを、明日はあれをし、朝はそして昼には
午後には庭師、夕方には俳優になる、〔私の気のおもむくままに〕狩りをし、
午後には漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をする-狩師、漁夫、
あるいは牧夫あるいは批判家〔という固定的な専門家〕になることなく、私の
気のおもむくままにそうすることができるようになるのである。」
(廣松渉版 ドイツイデオロギー邦訳テキスト篇p.34)
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/17054/2/010081091.pdf
「われわれの欲求は、量よりはむしろ多様性を目ざすことは明瞭である」シーニョア (ジェボンズ経済学の理論41頁より孫引き)
An Outline of the Science of Political Economy - 133 ページ
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Nassau William Senior - 1836 -
It is obvious, however, that our desires do not aim so much at quantity as at diversity. Not only are there limits ...
Senior
シーニョア
経済学概説 1836
https://blog.goo.ne.jp/goo6613/e/30b9d1390358723fcd1d01e848cda808
マルクスの分析は、第5章「労働過程と価値増殖過程」、第6章「不変資本と可変資本」、第7章「剰余価値率」と続く。
この章の第3節『シーニョアの「最後の一時間」』。19世紀マルクスの時代、イギリスでは18歳未満の者は、1日に11時間半以上働かせてはならないとう法律があった。(現在の日本の労働基準法では8時間労働)
それを、1日10時間労働をという要求運動に対して、オックスフォード大学のシーニョア教授が「最後の一時間」説を唱えて反対した。それは、資本家の利潤は労働者の労働時間の最後の1時間から得られるのだから、もし10時間労働にしたら資本家の利益が無くなってしまうという珍説であった。
この節の最後にマルクスは言う。(P332)「わざわいにみちた『最後の一時間』について、諸君は、千年王国信者が世界の終末について広めた以上の空想物語をくりひろげているが、これはまったくのナンセンスである。最後の一時間が失われたところで、諸君の『純利得』が失われることもなければ、諸君に使われている少年少女の『魂の純潔』が失われることもけっしてないだろう。」
『魂の純潔』について、(P333)(註32a)「作業場の暖かく純粋な道徳的雰囲気の中に閉じこめておかずに、冷酷で猥雑な下界に『一時間』早く放りだすようなことをすれば、彼らの魂の平安がその怠惰と悪徳のために奪われることになる」との註書きがある。
ナッソウ・ウィリアム・シーニョア(Nassau William Senior、1790〜1864)とは、イギリスの経済学者である。
概要
ナッソウ・ウィリアム・シーニョアは、リカードからミルの間に活躍した独創的な理論を持った古典派経済学者であった。
彼は価値、地代、人口、貨幣、国際貿易についての理論に独創的な貢献をしているが、彼の最も有名で、悪名高い意見は、利潤制欲説(利潤とは、資本家が自分自身の資本の現在の消費を控えたことに対する報酬であるという考え)であり、これが「ブルジョワ経済学」の謝罪の本質に対するマルクスのもっとも大きなためらいを招くことになった。しかし、需要理論と全く関連のない限界効用逓減の法則の叙述と、固定供給のもとでの要素に関するリカード地代概念の一般化、それに国際収支の均衡が国際的な賃金や物価に予測される不平等をもたらすという彼の証明は、もっと賞賛に値するとされる。彼はまたリカードの追従者の中でも、経済学のあらゆる命題を経済学上の動機付けについての四つの公理と、工業や農業の科学技術から引き出そうとすることによって方法論的に洗練させることを大いに促進した。
シーニョアは当時のウィッグ党の相談役を務めた初めて経済学者であり、労働組合法、地方自治体の改革、アイルランドの貧民救済行政に取り組み、四つの王立委員(救貧法、工場条例、手織り職人問題、大衆教育)を任され、どの場合にも委員会報告書の多くは彼が作成した。