http://www.freeassociations.org/
著作集
『森嶋通夫著作集』(岩波書店, 2003年-2005年)
「動学的経済理論」
「均衡・安定・成長」
「経済成長の理論」
「資本と信用」
「需要理論――実物と金融」
「リカードの経済学」
「マルクスの経済学」
「価値・搾取・成長」
「ワルラスの経済学」
「ケインズの経済学」
「計量経済モデルはどう作動するか」
「近代社会の経済理論」
「なぜ日本は「成功」したか?」
「なぜ日本は行き詰ったか」
https://hcbooks.blogspot.com/2011/04/michio-morishima.html
全集?巻
Morishima, Michio. 1984. "The Good and Bad Uses of Mathematics 森嶋
Morishima, ‘The Good and Bad Uses of Mathematics’, in P.J.D.Wiles & G.Routh (eds.), Economics in Disarray (Oxford: Basil Blackwell, 1984), pp.51-73.
such parts of the bare bones of economic theory as are expressible in mathematical forms are extremely easy compared with the economic interpretation of complex and incompletely known facts of experience, and lead one but a very little way towards establishing useful results." (Keynes, 1972, pp. 186(注6))
複雑で不完全に知られている経験の事実の経済的解釈と比較して、数学的形式で表現可能な経済理論の裸の骨のような部分は非常に簡単であり、有益な結果を確立するための方法はほとんどない」(Keynes、1972 、186頁(注6))。
人物評伝
ケインズ全集10,249ページ
249
第14章アルフレッド·マーシャル
がして成り
ために、正当に、近代の図形的経済学の創始者たる資格を要求しうるであろう、
り、一般に頭のよい初学者を強く引きつけ、われわれすべてが自分の直観を活潑にしたりチェックしたりするものと
して、また自分の得た成果の速記的な記録として使用するものではあるが、しかし一般には、われわれがさらに主題
の奥深くまで突き進むにつれて表面から退く、あのエレガントな用具のことである。マーシャルの得た成果が少しず
つ外部の世界に滲み出て行って、完全な形では、わずかに限られたサークルにのみ達したにすぎないという事実が、
さもなければ彼のものになっていたであろう国際的名声を多分に失わせ、またおそらく、経済学の進歩を遅らせ
もした。にもかかわらず、よく考えてみれば、マーシャルがその図形的用具をただそれだけで発表することによって
自分の生涯を始めたがらなかった気持は、われわれにも了解できるように思う。
111図形的経済学というのは、
つま
86
というわけは,それは彼が経済学に知的に接近するうえに不可欠な付属物ではあったが、そういった方法を強調も
ャ しくは称揚するかのように見えることは、彼がその生涯のごく早い時代から経済学研究への正しい態度と見なしてい
たものと、正反対な方向であったから。のみならず、マーシャルは、かつて数学科優等学位試験の第二位合格者であ
ドり、分子物理学を探求しようという野心を燃やしたことのある身として、知的ないし美的見地から、数理経済学を構
成している初歩の代数や幾何や微分学などの、やや「たわいない」切れはしに対して、常にいささか軽侮の念を抱い
ていた。たとえば物理学とは違って、数学形式で表現しうるような経済理論のただの骨格の部分は、複雑で不完全に
章しか知られていない経験上の事実の解釈に比べれば、しごく容易なものであり、有益な成果の確立に寄与するところ
4
が甚だもって乏しいのである。
(1)
あらかじめ大して専門数学の素養もなくこの学科に取りかかろうとする学生たちに、
不当に大き
数理経済学はしばしば、
な魅力と影響力を及ぼしている。
49
それはほとんど誰にでも理解できるほどやさしく、
しかも学生たちをして、
小規模ながら、
たとえば物理学とは違って、
数学形式で表現しうるような経済理論のただの骨格の部分は、複雑で不完全に
章しか知られていない経験上の事実の解釈に比べれば、しごく容易なものであり、有益な成果の確立に寄与するところ
が甚だもって乏しいのである。
たとえば物理学とは違って、
数学形式で表現しうるような経済理論のただの骨格の部分は、複雑で不完全にしか知られていない経験上の事実の解釈に比べれば、
しごく容易なものであり、有益な成果の確立に寄与するところが甚だもって乏しいのである。
ケインズ全集10
http://kameleon-kameleon.blogspot.com/2010/10/blog-post_654.html
ケインズはあるところで次のように言っています。
「経済学の研究には、なんらかの人並み外れて高次な専門的資質が必要とされるようには見えない。それは知的見地から言って、哲学や純粋科学などのより高級な部門に比べると、はなはだ平易な学科ではあるまいか。それなのにすぐれた経済学者、いな有能な経済学者すら、類まれな存在なのである。平易で、しかもこれに抜きんでた人のきわめて乏しい学科! こういうパラドックスの説明は、おそらく、経済学の大家はもろもろの資質のまれなる組合せを持ち合わせていなければならない、ということのうちに見出されるであろう。そういう人はいくつかの違った方面で高い水準に達しており、
めったに一緒には見られない才能をかね具えていなけれなならない。彼はある程度まで、数学者で、歴史家で、政治家で、哲学者でなければならない。彼は記号も分かるし、言葉も話さなければならない。彼は普遍的な見地から特殊を考慮し、抽象と具体とを同じ思考の中で取り扱わなければならない。彼は未来の目的のために、過去に照らして現在を研究しなければならない。人間の性質や制度のどんな部分も、まったく彼の関心の外にあってはならない。
彼はその気構えにおいて目的意識に富むと同時に公平無私でなければならず、芸術家のように超然として清廉、しかも時には政治家のように世俗に接近していなければならない。」
#14アルフレッド・マーシャルより
一般均衡分析 単行本 – 1976/3/20
K.J. アロー (著), F.H. ハーン (著), 福岡 正夫 (翻訳), 川又 邦雄 (翻訳)
5つ星のうち 5.0 2件のカスタマーレビュー
その他()の形式およびエディションを表示する
単行本
¥ 4,257 より
¥ 4,257 より 5 中古品の出品
飛ばない飛行機
1971
ノイマン モルゲンシュテルン共著『遊戯の理論と経済行動』
Other Titles:
John von Neuman, and Oskar Morgenstern : Theory of Games and Economic Behavior 2nd ed. 1947
Authors: 関, 恒義
Issue Date: 1-Feb-1951
Publisher : 日本評論社
Citation:
p.4
kepler newton
John von Neuman, and Oskar Morgenstern : Theory of Games and Economic Behavior 2nd ed. 1947
FORMULATION OF THE ECONOMIC PROBLEM
science of social, of human phenomena, has to take psychology into account,
etc. Such statements are at least premature. It is without doubt reason
able to discover what has led to progress in other sciences, and to investigate
whether the application of the same principles may not lead to progress
in economics also. Should the need for the application of different principlss
arise, it could be revealed only in the course of the actual development
of economic theory. This would itself constitute a major revolution
But since most assuredly we have not yet reached such a state-and it is
by no means certain that there ever will be need for entirely different
scientific principles-it would be very unwise to consider anything else
than the pursuit of our problems in the manner which has resulted in the
establishment of physical science
1.2.4. The reason why mathematics has not been more successful in
economics must, consequently, be found elsewhere. The lack of real
success is largely due to a combination of unfavorable circumstances, some
of which can be removed gradually. To begin with, the economic problems
were not formulated clearly and are often stated in such vague terms as to
make mathematical treatment a priori appear hopeless because it is quite
uncertain what the problems really are. There is no point in using exact
methods where there is no clarity in the concepts and issues to which they
are to be applied. Consequently the initial task is to clarify the knowledge
of the matter by further careful descriptive work. But even in those
parts of economics where the descriptive problem has been handled more
satisfactorily, mathematical tools have seldom been used appropriately
They were either inadequately handled, as in the attempts to determine a
general economic equilibrium by the mere counting of numbers of equations
and unknowns, or they led to mere translations from a literary form of
expression into symbols, without any subsequent mathematical analysis
Next, the empirical background of economic science is definitely inade
quate. Our knowledge of the relevant facts of economics is incomparably
smaller than that commanded in physics at the time when the mathe
matization of that subject was achieved. Indeed, the decisive break which
came in physics in the seventeenth century, specifically in the field of
mechanics, was possible only because of previous developments in astron
omy. It was backed by several millennia of systematic, scientific, astro-
nomical observation, culminating in an observer of unparalleled caliber,
Tycho de Brahe. Nothing of this sort has occurred in economic science. It
would have been absurd in physics to expect Kepler and Newton without
Tycho,-and there is no reason to hope for an easier development in
economics
These obvious comments should not be construed, of course, as a
disparagement of statistical-economic research which holds the real promise
of progress in the proper direction
経済問題の処方
社会科学、人間現象の科学は、心理学を考慮に入れなければならず、
このような記述は、少なくとも時期尚早である。間違いなく理由がある
他の科学において進歩をもたらしたことを発見し、調査することができる
同じ原則の適用が進歩をもたらさないかもしれないかどうか
経済学においても。異なるプリンシプルのアプリケーションの必要性
実際の開発の過程でのみ明らかになる可能性があります
経済理論のこれはそれ自体が大きな革命を構成するだろう
しかし、確かに我々はまだそのような状態には至っていないので、
決して完全に異なったものが必要となることは確かではありません
科学的原則 - 他の何かを考慮することは非常に賢明ではありません
私たちの問題を追求するよりも、
物理科学の確立
1.2.4。数学がもっと成功しなかった理由
その結果、経済学は他の場所で見出されなければならない。実在の欠如
成功は主に不利な状況の組み合わせによるものであり、
そのうち徐々に除去することができる。まず、経済的問題
明確に公式化されておらず、しばしば
先験的に、数学的な治療をすることは、かなりの
問題が本当に何であるかは不明です。正確な使用には何の意味もありません
彼らが抱いている概念や問題がはっきりしない方法
適用される。したがって、最初のタスクは、知識を明確にすることです
さらに慎重な記述作業によって問題のしかし、それらの中でさえ
説明的な問題がより多く処理された経済学の部分
十分に、数学的ツールが適切に使用されることはめったにない
彼らは不十分に扱われていました。
方程式の数を数えるだけで一般的な経済の均衡
そして未知の文章からの単なる翻訳につながった。
後続の数学的解析を行わずに記号に変換する
次に、経済学の経験的背景は明らかに崩れている
quate。経済学の関連する事実に関する知識は比類なく
マッハの時代に物理学者に命じられたものよりも小さい
その対象の成熟化が達成された。確かに、
特に17世紀の物理学では、
機械工学者は、以前のアストロンの発展のためにしかできなかった
オミー。それは数千年にわたる体系的、科学的、
比類のない口径のオブザーバーで頂点に立つ、
ティコ・デ・ブラーエ。この種のものは経済学には何も起きていない。それ
ケプラーとニュートンが期待していた物理学で不合理だっただろう
ティコ、そしてより簡単な発展を望む理由はない
経済
これらの明らかなコメントは、当然のことながら、
実質的な約束を保持している統計的経済学の研究の逸脱
正しい方向への進歩
1/3
タイトル ゲームの理論と経済行動 1
叢書名 ちくま学芸文庫 ≪再検索≫ Math & science
著者名等 J.フォン・ノイマン/著 ≪再検索≫
著者名等 O.モルゲンシュテルン/著 ≪再検索≫
著者名等 銀林浩/監訳 ≪再検索≫
著者名等 橋本和美/監訳 ≪再検索≫
著者名等 宮本敏雄/監訳 ≪再検索≫
著者名等 阿部修一/訳 ≪再検索≫
著者名等 橋本和美/訳 ≪再検索≫
出版者 筑摩書房
出版年 2009.5
大きさ等 15cm 506p
注記 Theory of games and economic behavior.3r
d ed./の翻訳
NDC分類 331.19
件名 ゲーム理論 ≪再検索≫
要旨 今や経済学にとどまらず社会学・生物学など様々な分野において、現象の分析や意思決定
の方法論として応用されるようになったゲーム理論。その歴史は本書をもって始まった。
複雑な人間行動を厳密かつ数学的に記述する新たな可能性を開き、後世に絶大な影響を与
えた記念碑的著作。本巻は“戦略ゲーム”の形式的記述、およびゼロ和2人ゲームの理論
と実例について論じる。
目次 第1章 経済問題の定式化(経済学における数学的方法;理性的行動の問題に関する定性
的議論 ほか);第2章 戦略ゲームの一般的な形式的記述(序論;ゲーム概念の単純化
ほか);第3章 ゼロ和2人ゲーム:理論(予備的考察;関数計算 ほか);第4章
ゼロ和2人ゲーム:実例(いくつかの基礎的なゲーム;ポーカーとハッタリ)
ISBN等 4-480-09211-0
ISBN等
Max Weber, Economy and Society: An Outline of Interpretive Sociology, Guenther Roth and Claus Wittich, eds. (Berkeley: University of California Press, 1978), vol. I, ch. 2., sec. 12, pp. 100–03.
Quoted in Roth, Guenther and Claus Wittich. 1978. Economy and Society: an outline of interpretive sociology. University of California Press, Google Print, p. xxxiii
Spinoza's work, which is at the same time
metaphysics, epistemology, ethics and religious doctrine, persua-
sively demonstrates that axiomatization and scrupulous
mathematical proof are by no means the monopoly of modern
science, and that such techniques could also be used as weapons
by the dogmatists, sophists and scholastics who were the enemies
of modern scientists.
As Max Weber has said,
the mathematically-based natural science of the West is a combina-
tion of two things: rational modes of thought developing out of the
philosophy of ancient Greece; and technical 'experimentation', the
specifically modern element in any naturalistic discipline, which
originated during the Renaissance, and then not at first in the
sphere of science but in the sphere of art. (1978, p. 439)
There is a qualitative difference between the ability to carry out
observations and conduct experiments which will play an essential
part in the progress of science on the one hand, and on the other
the ability to construct a system of hypotheses which will provide
a rational explanation of the results of such observations and ex-
periments and the ability to clarify the logical implications of the
ustemothe ty main nillars of science fact-finding and
Max Weber: Selections in Translation by Weber. Max ( 1978 ) ?
The religion of China: Confucianism and Taoism
思想としての近代経済学
ウェーバーの引用あり
儒教と道教
6:3
254頁
第六章
儒教的生活指針
255
ものの間も
第三節
自然科学的思惟の欠如
254
あったあの性格を保有していたのであった。
第三節
自然科学的思惟の欠如
このようにして、哲学的および神学的論理のほかに、法学的『論理』の発展も存在しなかったし、体系的な自
然主義的思惟の展開 Entfaltung systematischen naturalistischen Denkensもなかったのである。
数学的下部構造をもつ西洋の自然科学は、古代の〔ギリシア〕哲学という土壌のうえに成長した合理的な思
惟形式 rationale Denkformenと、ルネッサンスという土壌のうえに、それも最初は、科学のte野においてでは
なくて芸術の分野において発生した技術的な『実験』technische 》Experiment«との, つまり、あらゆる自然
主義的規律のとくに近代的な要素との、結合である。ルネッサンスの『実験する』高級芸術 die 》experimentierende《 hohe Kunstは, つぎの二つの要素の比類のない結婚の生んだ子供であった。その両要素とは、ひと
つはiceses芸術家たちの.手工業という基礎のうえに生長した経験的な熟練 empirisches Konnenであり、他
は、芸術を『科学』と
同一の地位に高めることによってみずからの芸術には永遠の意義をえ、また自分自身には
社会 声望をえようとするところの,文化史的にまた社会的に制約された、まったく合理主義的な、芸術家たち
の名誉心 Ehrgeiaとであった。このあとの点(つまり、芸術を科学に高めることによって自分自身や芸術その
ものの地位を高める立場)は、まさしく西徉に特殊なことであった。ここに、当時のひとびとが理解した意味で
の、古代への『復帰』》Ruckkehr《 zur Antikeのもっとも強い衝動もひそんでいたのである。
レオナルドによって代表された類型の話かにも,とくに音楽ーーとりわけ十六世紀に仕その実験的鍵盤
Experimentier-Klaviaturen (ツァルリーノ Zarlino 、1517ー1590年、イタリアの音楽評論家、作曲家。安藤・池宮・門倉訳解「音楽社会学」237ー241頁参照])をそなえていたーーは、ルネッサンスの特徴的な芸術的『自然』=概念をもって作業した巨大な努力の中
心点であった。芸術活動の高度な競技的形成のための特別の社会的条件が、このばあいも、古代におけると同様
に、協働していた。さらに、北欧経済の経済的技術的な関心、とりわけ、鉱業の需要が、実験を自然科学のなか
に持ち込むに当たっての精神史的な力を助けた。さらにくわしい事情をここでのべるのは適切ではない。〔が、
ともあれ〕巨匠的に洗練された中国の芸術には、合理主義的な名誉心 Ehrgeiz に駆りたてるあらゆるこうした
起動力 Antriebe (西洋のルネッサンスの意味における)が欠けていたし、支配者層の競技は、家産官僚制の状況
内では,すっかり、受禄者や典籍的な学位取得者たちの競争に終わり、この競争が他のあらゆるものを窒息させ
たのであった。おまけに、産業的資本主義gewerbliche Kapitalismus が比較的に僅かしか発達していなかっ
たことが、経験的技術から合理的技術への移行に必要な経済的な報償を発生せしめなかった。このようにして、 [440]
[中国では〕すべては洗練された経験sublimierte Empirie の域を出なかったのである。
(八)
だからその結果、
中国においては、
生活にたいする官公吏Beamtenschaft
の内在的な態度は、
この官公吏に
固有な実践的合理主義のなかで生命を全うし、また、この官公吏に適合した倫理をつくりだしえたのであった。
tin-この内在的な態度に対しては、なにものも、合理的な科学も、合理的な芸術活動も、合理的な神学·法律
学·医学·自然科学および技術も、神的な権威も、また同格の人間的な権威も、競争者たる地位を占めえなかっ
た、111との官公吏の内在的態度が制限されたのは、ただ、氏族のなか、および鬼神信仰のなかの伝統の力への
顧慮によってだけであった。すぐれて近代的な合理主義の、西洋の文化にとって建設的であった他の諸要素のう
も、あらわれてこなかった"(中国
ちのどれひとつとして、
この中国の官僚主義に対して、
競合的にも支持的に
ウェーバー 数学を使う西欧の自然科学は 合理的思考法と 技術的に実験 古代ギリシャ哲学 成立したのである。
別訳
数学的下部構造をもつ西洋の自然科学は、古代の〔ギリシア〕哲学という土壌のうえに成長した合理的な思
惟形式 rationale Denkformenと、ルネッサンスという土壌のうえに、それも最初は、科学の分野においてでは
なくて芸術の分野において発生した技術的な『実験』technische 》Experiment«との, つまり、あらゆる自然
主義的規律のとくに近代的な要素との、結合である。
エーーー、ハー『\般社 経済史贾ses
<プロイセンの世襲財産問題
社
「古代ゲルマン人の
「社会科
」、
題」、
シ
ュタムラーの唯物
·
(vi)
「ルードルフ
学のemmoの分野における批判的研究」、
10 ヴ
倫理と経済
一九世紀は科学の時代であったから、ウェーバーもまた、ワルラス同様、何ごとをも科学的
に見ようとしていた。
ウェーバーは『儒教と道教』の中で、次のように科学を規定している。
「数学を使う酉欧の自然科学は、古代ギリシャ哲学から発展した合理的思考法と、ルネッサン
スに始まる技術的に実験するという考え方の、二つを組み合わせることによって成立したので
ある。」アインシュタインも私信の中でこれと全く同じことを述べている。
2)
しかし社会科学の場合、実験は不可能であるから、合理的思考と実験の二つが社会科学の柱
であることはない。ノイマンは経験の源泉を、実験でなく現実の観察に求める。現実の観察が
不充分だと、数学的思弁だけが近親繁殖して、結局その学問は退化してしまうとノイマンは考
える。ウェーバーの社会科学方法論は、このノイマンの精神に合致するような形で展開されて 25
いる。ウェーバー自身、歴史研究と実情調査を精力的に行ない、そのような観察を基にして、
バ
http://www.ustream.tv/recorded/40727153
20121109 安冨歩氏講義「森嶋通夫の人間観に学ぶ」(文化政策・まちづくり大学校 特別講義)
4年前 884 視聴数
2012年11月9日(金)、京都市下京区の文化政策・まちづくり大学校(通称:市民大学院)において、「森嶋通夫の人間観に学ぶ」と題した特別講義が開かれた。講師は安冨歩氏(東京大学東洋文化研究所教授)が務めた。森嶋通夫氏(故人)は、大阪大学名誉教授や英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授などを歴任し、日本人が唯一受賞していないノーベル経済学賞の有力候補と目された、世界的な経済学者である。特別講義を開いた同校は、文部科学省に大学等設置認可を申請中の大学校で、産官学の社会人による対話と社会貢献を重視した、「寺子屋型の大学院教育」を提唱している。 講義の冒頭、大学設立準備室室長を務める池上惇氏(京都大学名誉教授)が挨拶した。池上氏は、森嶋氏の研究論文や著書を、夫人の森嶋瑤子氏(数学者)から寄贈を受け、同校にて「森嶋文庫」を開設していることや、森嶋氏による経済学を考察する「森嶋学」の授業を隔週で実施していることなどを説明した。続いて、安冨氏は、京都大学大学院在籍時にマルクス経済学とケインズ経済学を学んでいた際、森嶋氏の著書を読んで感銘を受けたことや、講師として招聘した森嶋氏から講義を受けたことなどを、瑤子氏とともに振り返った。また、安冨氏は、森嶋氏が最初に出版した英語版の書物に注釈を付けたことがきっかけに、英訳をたびたび手伝うようになり、やがて「森嶋先生の弟子」と自称するほどに関係を深めていくようになった経緯を語った。 記事詳⇒http://iwj.co.jp/wj/open/archives/39444
https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/list.cgi?q=%E6%A3%AE%E5%B6%8B%E9%80%9A%E5%A4%AB&sc=on&so=&nod=&lib_nod_op=AND&fy=&fm=&fd=&ty=&tm=&td=&np=10&cal_edit=&or=&o=1&hitCount=0
ニッポンの実力 海外在住日本人からの年賀状 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月06日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 1 近代経済学と私 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月13日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 2 ワルラス 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月20日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 3 ワルラス 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月27日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 4 シュンペーター 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月03日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 5 ヒックス 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月10日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 6 高田保馬 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月17日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 7 ヴィクセル 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月24日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 8 ウェーバー 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月31日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 9 ウェーバー 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年09月07日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 10 シュンペーター 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年09月14日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 11 パレート 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年09月21日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 12 <終> パレート 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年12月27日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 特別シリーズ「対談・国家とは何か」 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年12月28日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 特別シリーズ「対談・国家とは何か」 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1997年12月05日
午後10:45
教育テレビ 金曜フォーラム 知の創造と大学の未来像 ~京都大学創立百周年記念シンポジウムから~ 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1998年09月28日
午後09:50
教育テレビ 視点・論点 いまなお英国に学ぶこと
テレビではケインズは扱っていない
森嶋通夫はミーゼスに批判的
5つ星のうち5.0近代経済学史の森嶋的解釈
2018年2月28日
形式: 新書Amazonで購入
NHK教育テレビ「人間大学」講座(1993)のテキストをベースにした近代経済学史である。森嶋氏はイギリスで活躍した著名な経済学者であるが、1980-1990年代には、日本経済をめぐってさまざまな有益な提言も行ってきた。中道リベラルとも言える、その姿勢は純粋(新古典派的)経済学者とは立ち位置を異にする、マックス・ウエーバーやシュムペーターら社会学者の知見を大幅に取り入れたものだった。
本書においても、これらの社会学者の学説紹介に紙面を割いている。終章において著者は、現代の資本主義経済のありようについて、「近代的な資本主義は、狭い意味での「資本主義」部門と福祉、教育部門の複合体であり、両者は必ず対をなして存在していなければならない。(略)混合経済こそが永続可能な資本主義経済であり、純粋「資本主義」経済は欠陥体制である。」と指摘したうえで「資本主義」部門と福祉部門はバランスを保って発展しなければならないとしている。
残念ながらアメリカを制し、周回遅れで日本に浸透した新自由主義・市場原理主義にはこうした混合経済に対する視座を失い、「経済学を学ぶと自己中心的になる」(スティグリッツ)という悲惨な現況をつくりだした。本書ではこうした新自由主義・シカゴ学派の源流として、フォン・ミーゼスの理論に2章を割き、徹底的な批判を加えている。
読みやすく、かつ論理明快であり、経済学を学ぼうとする学生にも今なお有益な書だと考える。
もっと少なく読む
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
5つ星のうち5.0社会学の視点を導入した経済学の必要性を説く
2015年5月1日
形式: 新書Amazonで購入
著者の森嶋通夫(1923-2004年)は、ノーベル経済学賞の候補にも何度か名前が挙がっていて、「ノーベル経済学賞に最も近かった日本人」と言われています。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)名誉教授・元LSE Sir John Hicks Professor、大阪大学名誉教授で、LSEでは、1978年に Suntory Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines (STICERD) という研究所の設立に貢献し、初代所長に就任しました。数理経済学者として、レオン・ワルラス、カール・マルクス、デヴィッド・リカードなどの理論の動学的定式化に業績を残しました。
本書では、何故、現実の経済を分析するのに経済学だけでは足りないのかについて、リカード、ワルラス、シュンペーター、ヒックス、高田保馬、ヴィクセル、マルクス、ウェーバー、パレート、フォン・ミーゼス、ケインズといった経済学者の業績と思想を振り返り、経済学において現実を反映した理論を構築するためには、社会学の視点を導入する必要があると結論付けています。
著者によれば、近代の資本主義は、狭義の資本主義部門と福祉・教育部門の複合体であり、二つの部門は必ず対をなして存在し、バランスを保って発展しなければならず、一方を欠く場合には、他方は長期にわたって存続することは難しくなります。もし福祉部門が過大になれば、資本主義部門はそれを支えることができず、その結果、福祉部門を縮小し過ぎると、資本主義部門に対する批判が高まり、資本主義を維持するためにも、福祉の拡大を認めざるを得なくなるということです。即ち、近代資本主義は両者のバランスの上に初めて存命できるのであって、純粋な「資本主義」経済は欠陥体制であると言っています。
もっと少なく読む
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
役に立たなかった
コメント 違反を報告
Mkengar
ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0知的になれる本
2004年12月16日
形式: 新書Amazonで購入
本書はリカードからケインズに至るまでの「セイ法則時代」に登場する数々の大社会経済学者を紹介した本である。近代経済学がどのようなフレームで発展し、どのような視点が生み出されたかが森嶋氏によって簡潔明瞭に記述されている。「供給はそれ自体の需要を生み出す」というセイ法則が経済発展に伴って世迷い事になり、反セイ法則時代であることを非常にわかりやすく解説してある。その意味で、本書は大経済学者の紹介寄せ集めだけでなく、全体を通してセイ法則がなぜ間違っているか一貫して解説した本とも言える。
古典を読んだことのない経済学部生や21世紀の経済学のあり方を模索されている方、また経済学に対して色々な意味で違和感を感じておられる方に本書をお薦めします。下手な大学の講義より何倍も役に立ちます。
24人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
役に立たなかった
コメント 違反を報告
けるよ
5つ星のうち4.0あるべき経済学への想い。
2009年7月6日
形式: 新書Amazonで購入
本書は、近代経済学の形成について、リカードを初め著者の選ぶ11人の経済学者を
取り上げ、その考え方や問題点を著者の視点から検討していくものです。本文にも
あるように、恐らく一般的な経済学史とは若干異なる展開の仕方であるようです。
著者の基本的スタンスだと思われますが、これからの経済学は社会学など他の分野と
の統合なしでは、現在の複雑な状況に対応しきれないという考えから、社会学的要
素の強い人物を主に取り上げているようです。
読んだ人の誰もが注目するのが、「セイの法則」の果たした役割であり、それが、経済
理論と現実の経済との乖離を生み出し、経済学の発展の障害となっていたようです。
ケインズの指摘によって初めて認識され、その後の経済学の発展へと繋がるとのこと。
著者はケインズを、相当高く評価していることが窺えますが、それは、経済学者と
いうよりも、その一貫した政治的態度の崇高さによるものであり、恐らくこれは、
著者の経済学への考えも反映されていると思われ、マーシャルの言葉とケインズの
行動から、「経済学者に必要なものは、冷たい理性と暖かい心、そして勇気である」
ということを述べています。
ここから、著者の理想とする経済学への想いが伝わってきます。
著者の結論として、資本家のみを優遇する社会体制では、それ以外の人たちの反感を
買い、必ずその体制は崩壊するため、資本主義経済の維持発展には福祉部門を包含す
る混合経済であるべきだとし、また社会主義では、有能な経営者の不足と、社会主
義的搾取という、需要に関係なく人々に不用な労働を強いる状況などの非効率性を指
摘し、社会学的視点の経済学を拡充する必要性を強調します。
そして、国家体制についても、民族国家は縮小し、欧州連合的な国境を越えた広域連合
体の成立を予言しており、それに見合った経済学の登場を要請しています。
本書は、一般的経済学とは異なる見解も幾分含まれているようであり、経済学にある
程度馴染みがないとその違いもわからず、内容的にも専門的用語や経済理論があまり
解説もなく使われたりするため、理解し辛いところも少なくありません。
そういう意味で、私的にはあまり初心者向きとは思われませんが、近代経済学形成の
一つの視点を得られることや、セイ法則の影響の重要性、そしてケインズの偉大さを再
認識するという意味でも、著者の経済学への想いのこもった、意義深い本だと思われます。
レンタル、減価償却の分析によってセイの法則は不成立と説く
生産者は弱いと言うわけだ
だがこれは標準商品が確立していないからという前提のもとでの結論だ
多分減価マネーにしか答えはない
fly mathematical model General Competitive Analysis airplane Frank Hahn
The Nobel Factor: The Prize in Economics, Social Democracy, and the Market Turn
前表紙
Avner Offer, Gabriel Söderberg
Princeton University Press, 2016/10/03 - 344 ページ
0 レビュー
Economic theory may be speculative, but its impact is powerful and real. Since the 1970s, it has been closely associated with a sweeping change around the world—the "market turn." This is what Avner Offer and Gabriel Söderberg call the rise of market liberalism, a movement that, seeking to replace social democracy, holds up buying and selling as the norm for human relations and society. Our confidence in markets comes from economics, and our confidence in economics is underpinned by the Nobel Prize in Economics, which was first awarded in 1969. Was it a coincidence that the market turn and the prize began at the same time? The Nobel Factor, the first book to describe the origins and power of the most important prize in economics, explores this and related questions by examining the history of the prize, the history of economics since the prize began, and the simultaneous struggle between market liberals and social democrats in Sweden, Europe, and the United States.
The Nobel Factor tells how the prize, created by the Swedish central bank, emerged from a conflict between central bank orthodoxy and social democracy. The aim was to use the halo of the Nobel brand to enhance central bank authority and the prestige of market-friendly economics, in order to influence the future of Sweden and the rest of the developed world. And this strategy has worked, with sometimes disastrous results for societies striving to cope with the requirements of economic theory and deregulated markets.
Drawing on previously untapped Swedish national bank archives and providing a unique analysis of the sway of prizewinners, The Nobel Factor offers an unprecedented account of the real-world consequences of economics—and its greatest prize.
もっと見る »
書籍のプレビュー »
(PDF) The Conceptual Flaw in the Microeconomic Foundations of ...
www.researchgate.net/.../324960485_The_Conceptual_...
2018年11月21日 ... Article (PDF Available) in Review of Political Economy ... The Hahn problem reveals three things. First .... Hahn (1980, 1981, 1982, p.1) then consistently ... or Arrow-Debreu GE model to a mock-up of an aircraft an engineer.
Hahn likened the Walrasian or Arrow-Debreu GE model to a mock-up of an aircraft an engineer might build and expressed amazement that economists were passing it off as an airworthy craft on which politicians, commentators and bankers were scrambling to get seats.
“This at a time when theorists all over the world have become aware that anything based on this mock-up is unlikely to fly, since it neglects some crucial aspects of the world, the recognition of which will force some drastic re-designing” (Hahn 1981, p. 1036).
Similarly, Hahn (1982: xi) regarded the theory as no more than ‘scaffolding’. Clearly, scaffolding should not be confused with foundations.
Review of Economic Studies 40 (4): 449-461.Hahn, F. H. 1980. ‘General Equilibrium Theory.’ The Public Interest 58: 123-128.
Hahn, F. H. 1981. ‘Review of A neoclassical Analysis of Macroeconomic Policy’, by MichaelBeenstock, Economic Journal 91: 1036-1039.
https://www.researchgate.net/publication/324960485_The_Conceptual_Flaw_in_the_Microeconomic_Foundations_of_Dynamic_Stochastic_General_Equilibrium_Models
https://www.jstor.org/stable/2232512?seq=1#page_scan_tab_contents
JOURNAL ARTICLE
Review
Reviewed Work: A Neoclassical Analysis of Macroeconomic Policy by Michael Beenstock
Review by: F. H. Hahn
The Economic Journal
Vol. 91, No. 364 (Dec., 1981), pp. 1036-1039
Published by: Wiley on behalf of the Royal Economic Society
DOI: 10.2307/2232512
https://www.jstor.org/stable/2232512
Page Count: 4
I have always regarded Competitive General Equilibrium analysis as akin to the mock-up an aircraft engineer might build. My amazement in recent years has accordingly been very great to find that many economists are passing the mock-up off as an airworthy plane, and that politicians, bankers, and commentators are scrambling to get seats. This at a time when theorists all over the world have become aware that anything based on this mock-up is unlikely to fly, since it neglects some crucial aspects of the world, the recognition of which will force some drastic redesigning. Moreover, at no stage was the mock-up complete.⁶⁶
[...]
Excerpt from: "The Nobel Factor: The Prize in Economics, Social Democracy, and the Market Turn" by Avner Offer. Scribd.
This material may be protected by copyright.
Read this book on Scribd: https://www.scribd.com/book/360540393
私は常に競争一般均衡分析を、航空機技術者が作り上げるかもしれないモックアップと同じように見なしてきました。 近年の私の驚きは、多くのエコノミストがこのモックアップを耐空機として渡していること、そして政治家、銀行家、そしてコメンテーターが議席を奪うために混乱していることを発見することに非常に素晴らしかった。 世界中の理論家がこのモックアップに基づいたものは飛べそうにないことに気付いていたとき、これは世界のいくつかの重要な側面を無視しており、その認識は劇的な再設計を余儀なくさせるでしょう。 さらに、モックアップが完了した段階はありませんでした。
[...]
抜粋:「ノーベルファクター:経済学、社会民主主義、および市場の転換における賞」 - Avner Offerによる。 走り書き。
この素材は著作権によって保護されている可能性があります。
Scribdでこの本を読む:https://www.scribd.com/book/360540393
推薦図書
教科書
経済学入門(第3版)2015 | 金子 昭彦, 田中 久稔, 若田部 昌澄 Kindle
『ミクロ経済学の力』神取道宏 著(2014年)kindle
レヴィット ミクロ経済学 基礎編 | 東洋経済
ちなみにレヴィットは以下が有名
https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWTLCS/ ヤバい経済学 (字幕版)
テーマはインゼティヴ(誘因)。やりがいや成功報酬のこと。
新書
森嶋通夫『思想としての近代経済学』(岩波新書 新赤版321)
経済数学入門の入門 (岩波新書) 新書 – 2018/2/21 田中 久稔 (著)
長沼伸一郎『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』
根井雅弘『「ケインズ革命」の群像』
ラヴォア『ポストケインズ派経済学入門 』(株式会社ナカニシヤ出版)
カレツキに触れた上の2冊は貴重
行動経済学
『行動経済学 : 感情に揺れる経済心理』中央公論新社 依田高典 2010)
セイラー教授の行動経済学入門 | リチャード・セイラー, 篠原 勝 2007
https://www.amazon.co.jp/dp/4478002630/
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』
2017年ノーベル経済学賞受賞 リチャード・セイラー(行動経済学)
マネー・ショート華麗なる大逆転 より
Richard H. Thaler
The Big Short (2015) - Mark Baum (Steve Eisman) Meets a CDO Manager [HD ...
https://youtu.be/A25EUhZGBws?t=3m31m
https://video.twimg.com/ext_tw_video/917344233928802304/pu/pl/be6NBg9k6_68LVJJ.m3u8
図解
図解 使えるマクロ経済学 (中経出版) | 菅原 晃 ( kindleあり)
まんがDE入門経済学 西村和雄 (1999)
(野球ネタが多い)
岩波文庫、
宇野弘蔵『経済原論』
ヒッグス
ケインズ
番外編
ピケティ『21世紀の資本』統計の勝利、マンキューマクロ併読を薦める
越村 信三郎『マルクス主義計量経済学―労働価値説体系への行列および行列式理論の応用に関する一研究』 (1961年)
古い本だが経済学史の興味深い分類方がある
岩村充他『新しい物価理論』入手困難だが推薦
198 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2019/01/25(金) 01:18:32.49 ID:32daU7ye
やたら数式を使ってあるのも衒学趣味の一種だよ。
経済学における数式の濫用を森嶋さんや置塩さんや
最近ではポール・ローマさんらがmathinessとか言って嘆いていた。
8森嶋は 、数理経済学の本を二つに大きく分けた 。一つはドブリュ ーのように本文中に数式を展開していくというフランス式であり 、もう一つは本文中では極力数学は使わず 、数式は文末の付録で展開するというイギリス式である 。サミュエルソンは後者に分類されるであろう 。そして 、森嶋はイギリス式が好ましいとしており 、自分もそう書きたいがなかなか難しいと言ってみせるのである 。 『森嶋通夫著作集 (別巻 ) 』 (岩波書店 、二〇〇五年 )一七六ペ ージおよび三〇六ペ ージ 。
根井雅弘『ノーベル賞…』
実は 、ヒックスに非常に大きな影響を受け 、日本人で最初のノ ーベル経済学賞を受賞するのではないかと言われていた人物に 、森嶋通夫がいる 。彼は 、今とは違って海外の文献がなかなか手に入らない時期に 、遠く異国の地で数理経済学が花開いているのを眺め 、日本で独自に研究を続けていた 。その彼は 、サミュエルソンの 『基礎 』にはたいした印象は受けず 、役に立つか立たぬかがわからない 、ありとあらゆる道具が展覧されている 「玩具箱を引っ繰り返したような書物 」と評価している 8 。
http://www.snsi.jp/tops/kouhou/2037
副島隆彦(そえじまたかひこ)の学問道場 - 今日のぼやき(広報)
SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦です。今日は2018年4月30日です。
本日は、副島隆彦先生の最新刊『今の 巨大中国は 日本人が作った』(副島隆彦著、ビジネス社、2018年4月28日)をご紹介いたします。本作は副島先生の11冊目の中国研究本となります。大型連休中盤までに全国の大型書店に配本されます。今の巨大中国は日本が作った
本書には中国の政治と経済の最新情報と副島先生による大発見がたくさん書かれています。私が大変驚いたのは、タイトルである「今の巨大中国は日本人が作った」につながる第3章「今の巨大な中国は日本人学者が作った」の部分です。
中国の現在の発展の礎を築いたのは鄧小平です。鄧小平は、1970年代に改革開放路線を推進することを決断しました。そして、ヘンリー・キッシンジャーの助言に従って、多くの優秀な若者をアメリカに留学させました。日本も幕末から明治初期にかけて優秀な若者たちを欧米に留学させました。これとよく似ています。
ニューヨーク訪問中の鄧小平(右)と会談中のヘンリー・キッシンジャー(真ん中)
いくら優秀とは言え、生活様式が全く違い、英語もほぼ話せない、聞き取れない中国からの留学生たちは大変苦労したと思います。人種差別も経験したことでしょう。中国で習った政治学や経済学の知識など全く役に立たなかったことでしょう。そもそもその数年前まで文化大革命が約10年間猛威を振るい、勉強どころではなかったのですから、中国人留学生は知識も経験もほぼ何もないままアメリカに放り出されてしまいました。
幕末から明治初期にかけて日本から欧米に留学した若者たちの中にも自信を喪失して発狂した者、勉強を頑張りすぎて過労で亡くなる者が多く出ました。こうした無名の人々の犠牲は日本が近代化をするためにはやむを得ないものでした。中国人留学生たちも似たような状況だったと思います。
そうした中国人留学生たちの「バイブル」となったのが森嶋通夫(もりしまみちお、1923-2004年)LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)教授が英語で書いた『マルクスの経済学(Marx’s Economies)』(1973年)でした。先生となる人の役目というのは難しいことを初めて学ぶ人に分かりやすく教えるということです。『マルクスの経済学』を通じて、中国人留学生たちは経済学の基礎を学ぶことが出来ました。
青木昌彦と森嶋通夫
そして、青木昌彦(1938-2015年)スタンフォード大学教授もまた、中国人留学生たちの「恩人」「恩師」となりました。アメリカのサンフランシスコ郊外にある名門大学スタンフォード大学で、青木昌彦教授は中国人留学生に熱心に近代経済学を教えたということです。
この両者の「弟子」の代表が、現在の中国の習近平体制を支える、王岐山(おうきざん、1948年―)国家副主席、王滬寧(おうこねい、1955年―)中央政治局常務委員・中央書記処書記・中央精神文明建設指導委員会主任、周小川(しゅうしょうせん、1948年―)中国人民銀行(中央銀行)総裁です。
王岐山、王滬寧、周小川
森嶋、青木両教授は「日本人でノーベル経済学賞をもらうならこの人」というほどの経済学者でしたが、残念ながらノーベル経済学賞を受賞することはできませんでした。しかし、両教授の業績は21世紀の中国の勃興という形で姿を現しました。
著者名等 森嶋通夫/著
出版者 岩波書店
出版年 2005.3
大きさ等 22cm 404p
注記 Theory of economic growth./の翻訳
NDC分類 330.8
件名 経済学
要旨 さまざまな成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡
成長理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。森嶋経済学はこれ以降新古典派経済学
に別れを告げることとなる。
目次
ほか);
半直線;ヒックス=マランヴォー軌道;規範的特性));
大化:第一ターンパイク定理;消費者の選択による振動 ほか);
(可変的な人口とマルサス的貧困の回避;代替アプローチ:修正と精緻化 ほか)
内容 様々な成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡成長
理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。これ以降新古典派経済学に別れを告げる後
期森嶋経済学の出発点。本邦初訳。