土曜日, 9月 15, 2018

森嶋通夫 Michio Morshima (1923~2004)



                 ( 経済学リンク::::::::::
均斉成長経路(1937): ジョン・フォン=ノイマン (John von Neumann), 1903-1957
http://nam-students.blogspot.com/2016/06/john-von-neumann-1903-1957.html

John von Neuman, and Oskar Morgenstern : Theory of Games and Economic Behavior 2nd ed. 1947
http://jmvidal.cse.sc.edu/library/neumann44a.pdf

総計一致の二命題
https://nam-students.blogspot.com/2020/02/blog-post_73.html


数学もどき批判
https://www.rieti.go.jp/jp/columns/s16_0005.html
思想としての近代経済学
https://www.amazon.co.jp/dp/4004303214/
ヴォルテラ
森嶋通夫 Michio Morshima
マルクスの基本定理 The Fundamental Marxian Theorem 松尾匡HPより
http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/marxian-theorems.html
ジョン・ローマー『搾取と階級の一般理論』(未邦訳)/吉原直毅『労働搾取の 厚 生理論序説』
http://nam-students.blogspot.jp/2016/11/blog-post_15.html

森嶋 通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 2004年7月13日)は経済学者大阪府生まれ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)名誉教授・元LSE Sir John Hicks Professor。大阪大学名誉教授。 イギリス学士院会員。


《ノイマンは資本というものをマクロ的にひとつにまとめて捉える,という考え方をとらず,
消費される財と形式上区別しないで定式化した。…変形・変換される財の範囲を生産財ないし
資本財にまで拡張して,諸財を包括的に捉え,しかもひとつの集計値にまとめて扱うことを
回避しながら,それら包括的な諸財全体が,一定の成長率で増加を続けていく,という描像を,
数学的に描くことに成功したのが,フォン・ノイマンモデルの功績だった。
 このような,包括的に捉えられた諸財の一定率における成長の過程においては,それら諸財
のうち,ひとつひとつの財が,まったく同率で増加していく,と考えられる。》

《成長モデルが単なる空想(empty dream)モデルを脱脚するためには,多部門モデルで
なければならず,しかも結合生産を適切に取り扱わねばならない,このような要請を
満たす最初のモデルを提唱したのはフォン·ノイマンである.ノイマンは次のような
仮定をおいた.
(a)すべての財の生産について規模に関する収穫がー定である,
(b)労働の供給は際限なく拡大しうる,
(c)賃金は労働者が生存可能な生物学的に最小限の財を購入しうるに過ぎない水準に
固定されている,
(d)資本家の全所得は自動的に新たな資本財に投入される,
明らかにこのモデルは資本家の消費を無視し,また実質賃金率を決定する上での
労働供給の役割も考慮していない.労働者は農場の家畜と同等であり、資本家は資本の
セルフサービス・スタンドのようなものに過ぎない.》
森嶋通夫著作集3:118頁

経済成長論入門序章 経済成長論とは何か?宮 崎 耕 一
第7章 フォン・ノイマンの経済成長モデル
 日本の経済学者で国際的に有名な人としては,宇沢弘文とならんで森嶋道夫(故人)がいる。森嶋は経済成長に関する,有名な数学者フォン・ノイマンの論文[11]の着想を踏まえて,経済成長論を発展させた(1969年刊の書物[12]を見よ)。ここで,そのフォン・ノイマンの着想について簡単に説明しておこう。
 ノイマンは資本というものをマクロ的にひとつにまとめて捉える,という考え方をとらず,消費される財と形式上区別しないで定式化した。彼は生産過程を,沢山のステップに分けて,各々の生産ステップは,その活動レベル1単位当り,多くの種類の財の量から成る束たば(ベクトル)(これを「財の量の束たば」と呼ぶことにしよう)を,別の財の量の束に変換する,と仮定した。ひとつの生産ステップは,その活動レベル1単位当り,生産活動の前と後の財の量の束のペアから成る,と定式化される。沢山の生産ステップの構成要因となっている沢山の「財の量の束」を構成する諸財の中に,フォン・ノイマンは,消費される財だけでなく,生産設備,機械類,道具類,部品,原材料,半製品,仕掛(しかかり)品その他,いわゆる資本財ないし生産財に属すといわれる諸財も含めた。これらの資本財ないし生産財を含む生産ステップにおいては,労働の作用によって,それら資本財が変形または変換される。たとえば,ある機械は,労働によって生産に用いられることによって,多少,磨耗して,より古い機械に変形または変換される。その同じ生産ステップでは,原材料が,変形,変換されて,半製品に姿を変える。別の生産ステップでは,半製品が完成品に変形,変換される。しかし,変形・変換されるというのは,原材料から半製品,半製品から完成品,と言う変形・変換だけでなく,生産設備や機械類や道具が,生産過程の中で変形・変換されるということをも含む,というわけだ。
 このように,変形・変換される財の範囲を生産財ないし資本財にまで拡張して,諸財を包括的に捉え,しかもひとつの集計値にまとめて扱うことを回避しながら,それら包括的な諸財全体が,一定の成長率で増加を続けていく,という描像を,数学的に描くことに成功したのが,フォン・ノイマンモデルの功績だった。
 このような,包括的に捉えられた諸財の一定率における成長の過程においては,それら諸財のうち,ひとつひとつの財が,まったく同率で増加していく,と考えられる。
 フォン・ノイマンモデルは,資本の集計量や生産物の集計量という,高度に抽象的な概念を用いずに,経済成長の過程を分析できるということを示したので,そのユニークかつ有意味な着想が今日でも高く評価されているだけでなく,森嶋道夫のような,資本の集計量という概念に強い疑念を持つ経済学者に,高く評価され,より洗練された経済成長モデルに改良された。(資本の集計可能性に関する論争については,専門雑誌Quarterly Journal of Economicsの,森嶋の1966年論文[13]の掲載されたのと同じ号の特集を参照せよ。)

結 語
経済成長論は,戦前にケインズによって創始されたマクロ経済学のマクロ的貯蓄とマクロ的投資に関する概念に立脚して,戦後に創始され,微分方程式論などの比較的高度の数学の巧みな援用によって,発展してきた。その経済成長理論は,工業社会の生産規模や生産技術が年々増加していくという現実的現象を,科学的,数学的,計量的(実証的)に分析するという目的のために用いられてきており,経済学の中の重要な一部分をなすまでに発展してきた。

[11]John  von  Neumann, “A  Model  of  of  General  Equilibirium,” 1945-46,  The Review  of  Economic  Studies (Translation  of  an  original  paper  in  German  by J. von Neumann, 1936)[12]Michio  Morishima, “Theory  of  Economic  Growth,” 1969,  Oxford  University Press.[13]Michio  Morishima, “Refutation  of  the  Nonreswitching  Theorem,” 1966, The Quarterly Journal of Economics.

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森嶋通夫著作集 3 経済成長の理論
著者名等  森嶋通夫/著  
出版者   岩波書店
出版年   2005.3
大きさ等  22cm 404p
注記    Theory of economic growth./の翻訳
NDC分類 330.8
件名    経済学  
要旨    さまざまな成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡
成長理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。森嶋経済学はこれ以降新古典派経済学
に別れを告げることとなる。

目次    
第1部 プロトタイプ(マッチ箱サイズのワルラス・モデル;持続的成長均衡の可能性 
ほか);
第2部 ノイマン革命(「革命」の経済的含意;均衡成長(カッセル=ノイマン
半直線;ヒックス=マランヴォー軌道;規範的特性));
第3部 革命のあと(遺産の最
大化:第一ターンパイク定理;消費者の選択による振動 ほか);
第4部 さらなる展開
(可変的な人口とマルサス的貧困の回避;代替アプローチ:修正と精緻化 ほか)

内容    様々な成長理論を動学的なフォン・ノイマン・モデルの上に統合し、多部門一般均衡成長
理論の数理的な枠組を拡張した画期的な業績。これ以降新古典派経済学に別れを告げる後
期森嶋経済学の出発点。本邦初訳。

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Theory of oscillations, by A.A. Andronow and C.E. Chaikin

Khaikin, Semen Emmanuilovich,Lefschetz, Solomon, 1884-1972

詳細情報


Theory of Oscillations

前表紙


p.99

森嶋がマルサスの比喩として採用
全集3,317頁#14
可変的な人口とマルサス的貧困の回避

volterra


This example due to Volterra concerns the coexistence of two types of animals, for example two types of fishes. The first type feeds upon the products of the medium which we assume are always present in sufficient quantity. The second type feeds exclusively upon fishes of the first type. The numbers of each type are of course integers and can vary only by jumps, but to apply our general methods we shall consider them as continuous functions of time. Designate by Ni,Nz the numbers of animals of the first and second types. We assume that, if the first type existed alone, the number of animals would continually grow with a velocity proportional to their number. Thus ei > 0. The growth coefficient *i depends upon the mortality and the birth rates. If the second species existed alone, it would progressively starve out. For this type a natural law is «2 > 0. Assume now that both species live together. Then clearly ei will become smaller as N* becomes larger. We shall make the simplest possible assumption, namely, that ci decreases proportionally to N*. Similarly we may assume that e 2 varies proportionally to JVi. As a consequence we may write where ei, c 2 , 71, and 72 are all positive constants. Multiplying the first equation by 72 and the second by 71 and adding, we obtain 72#1 + 7l#2 = €172^1 ~ €271^2-Multiplying the first equation by ej/JVi and the second by ci/JVa and adding, we have €2 —Nl + €1 —# 2 = —€271^2 + NON-LINEAR CONSERVATIVE SYSTEMS Y |CH.


Vito Volterra
ヴィト・ヴォルテラ(Vito Volterra、1860年5月3日 -  1940年10月11日) は、イタリア数学者物理学者である。数学の分野では解析学に多くの業績を残し積分方程式ヴォルテラ方程式の名が残っている他、結晶の転位の概念を導入し、生態学に数学の手法を用いて競争のある環境での生物の個体数を解析するロトカ=ヴォルテラの方程式などに名前を残している。
教皇領アンコーナの貧しい家に生まれた。数学の才能を示し、ピサ大学にエンリコ・ベッティ(Enrico Betti)のもとで学び、1883年力学の教授になった。積分方程式を研究し、1930年に"Theory of functionals and of Integral and Integro-Differential Equations"(英題)を著した。
1892年トリノ大学の力学の教授、1900年にローマ大学の数理物理学の教授になった。ヴォルテラはイタリア統一運動(リソルジメント)の完成時期に育ち、ベッティとともに統一運動の協調者となった。教皇領がイタリア王国に併合されると、1905年には王国の議員に選ばれた。同じ1905年、結晶中の転位の理論を初めて発表した。第一次世界大戦が始まると、50代になっていたにもかかわらずイタリア陸軍に参加し、ジュリオ・ドゥーエのもとで気球の開発を行い、可燃性の水素ではなく不活性なヘリウムを使うアイデアを出し、気球の製作を指導した。
戦後は生物学に数学的手法を用いる研究を始めた。非線形方程式をもちいて人口問題を解析したピエール=フランソワ・フェルフルストの仕事に次ぐもので、最も有名な成果は競争のある環境での生物の個体数を解析したロトカ=ヴォルテラの方程式である。
1922年にムッソリーニに反対する党派に属し、1931年に大学教授の座を追われた。その後、主に海外で暮らし、死の直前にローマに戻った。
ロトカ・ヴォルテラの方程式(ロトカ・ヴォルテラのほうていしき、英語:Lotka-Volterra equations)とは、生物の捕食-被食関係による個体数の変動を表現する数理モデルの一種。2種の個体群が存在し、片方が捕食者、もう片方が被食者のとき、それぞれの個体数増殖速度を二元連立非線形常微分方程式系で表現する。ロトカ・ヴォルテラの捕食式ロトカ・ヴォルテラ捕食系ロトカ-ヴォルテラの捕食者-被食者モデルなどとも呼ばれる[1][2][3]
具体的には以下の方程式で表される[4]
ここで x は被食者の個体数、 y は捕食者の個体数、t は時間をあらわし、4つの係数 abcd は正の実数のパラメータである。
被食者と捕食者の個体数変動パターンの一つの例として、被食者が自然増殖して増えていくとそれを餌とする捕食者も増殖し、捕食者が増殖したことによって被食頻度が増えて被食者が減少し、被食者が減少したことによってそれを餌とする捕食者も減少し、捕食者が減少したことによって被食者の自然増殖数が被食頻度を上回って被食者が増え、そして最初に戻り…、このような形で被食者と捕食者が交互に増減し続けることが考えられる[1][5]。ロトカ・ヴォルテラの方程式は、このような個体数の周期的な増減の様子を示すことができる簡素で基礎的なモデルとなっている[6]
名称は、この方程式をそれぞれ独立発案したアメリカの数学者アルフレッド・ロトカとイタリアの数学者ヴィト・ヴォルテラに由来する[7]。ロトカは1910年に化学物質濃度の変動を説明するために[8][9]、ヴォルテラは1926年にアドリア海の魚数の変動を説明するために発案した[10]

ロトカ・ヴォルテラ方程式の解の一例。縦軸は個体数、横軸は時間。捕食者(Predatori、青)と被食者(Prede、赤)の個体数変動の位相は一般にずれており、捕食者が増加すると、急速に被食者が減少し、さらに捕食者が減少する、という時間変化を示す。

式の導出と前提条件編集

被食者の増殖速度編集


トラから逃げるイノシシ
モデルの連立方程式内の
{\displaystyle {\frac {dx}{dt}}=ax-bxy}
は被食者の個体数増殖速度 dx/dt を表している。上記の式は、以下のような生態学的な前提条件から導出される。
まず、捕食者が存在しない場合を仮定すると、被食者の個体数 x は順調に自然増していくと考えられる。この自然増は、マルサスモデルのようにその個体数に比例して増殖速度が増え、制限なく指数関数的に増殖すると仮定する[11]。すなわち、被食者にとっての餌は不足することなく十分あるような環境にあると仮定する[12]。これを表しているのが、右辺第一項 ax である[13]
しかし、捕食者が存在する場合、被食者の個体数は捕食によって減少し、捕食者の存在は被食者増殖速度を抑制する効果を持つ。よって、捕食者数 y に比例して被食者増殖速度 dx/dt が減少すると仮定できる[14]。またさらに、捕食者がランダムに被食者を探索しているとすれば、被食者個体数が多いほど出会う割合が高まると考えられる[4]。よって、被食者増殖速度は被食者個体数にも比例して減少すると仮定できる[15]。これを表しているのが、右辺第二項 −bxy である[13]。このような、それぞれの個体数の単純な積で個体数増殖速度への影響を表すことを、質量作用の法則や質量作用の仮定と呼ぶ[16]。ロトカ・ヴォルテラの方程式は、この原則を基礎としている[17]

捕食者の増殖速度編集

捕食者の個体数増殖速度 dy/dt は
{\displaystyle {\frac {dy}{dt}}=cxy-dy}
と表される。上記の式は、以下のような生態学的な前提条件から導出される。
まず、被食者が存在しない場合を考える。被食者にとっての餌はこの方程式系に現れる変数とは別に常に十分あると仮定したが、捕食者にとっての餌は被食者のみとする[18]。よって、被食者が存在しないことは食糧が尽きたことと同じであり、捕食者の死亡率は出産率を上回り、捕食者の個体数 y は減少の一途を辿ることになる。この減少の仕方も、被食者の自然増のように個体数が多ければ多いほど減少速度が大きくなる、すなわち個体数 y に減少速度 dy/dt が比例すると仮定する[11]。これを表しているのが、右辺第二項 −dy である[13]
そして、捕食者が増える速度は、捕食に成功した回数に比例すると考えられる[19]。捕食による被食者減少速度が −bxy と仮定されたように、捕食による捕食者増殖速度も同じ理屈から被食者数 x と捕食者数 y に比例するといえる。これを表しているのが、右辺第一項 cxy である[15]

個体数の振る舞い編集

このロトカ・ヴォルテラ方程式を解析的に解いて x と y の t に関する明示的な解を得ることはできない[20]。しかし、以下のような解の挙動を分析し、それぞれの個体数がどのように振る舞うかを知ることができる。

平衡点編集


ロトカ・ヴォルテラ方程式における2つの平衡点
どのようなときに、個体数 xy が増えも減りもしない、時間 t の経過によらず全く変化しない状態になるかについて考える。これは、方程式の dx/dt と dy/dt が 0 ということなので、次のような式が得られる。
{\displaystyle x(a-by)=0}
{\displaystyle y(cx-d)=0}
この式を満たす xy の組み合わせは
{\displaystyle x=0,\ y=0}
{\displaystyle x={\frac {d}{c}},\ y={\frac {a}{b}}}
という2組である[21]xy がこれら2組の値をとるとき、その xy の値は時間に関わらず一定となる。このような点を平衡点と呼ぶ[22]x = 0, y = 0 の平衡点は、捕食者も被食者も全滅してしまった状態である[21]。一方、x = d/cy = a/b の平衡点では、捕食者・被食者ともにある個体数で共存する状態となっている[19]
これらの平衡点から xy の状態点がわずかにずれて与えられるときに、状態点が時間発展によって平衡点に収束するのか、それとも離れていくのかを特徴づける安定性は、次のように判別できる。2次以上の項が無視できるほどズレが小さいとすれば、平衡点 (0, 0) 近傍で系は次のように表すことができる[23]
{\displaystyle {\frac {dx}{dt}}=ax}
{\displaystyle {\frac {dy}{dt}}=-dy}
これを行列表記すると、
{\displaystyle {\begin{pmatrix}{\frac {dx}{dt}}\\{\frac {dy}{dt}}\end{pmatrix}}={\begin{pmatrix}a&0\\0&-d\end{pmatrix}}{\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}}}
となる。
{\displaystyle A={\begin{pmatrix}a&0\\0&-d\end{pmatrix}}}
と置いたとき、A の固有値は a と −d となるので、正と負の固有値を持つことから平衡点 (0, 0) は鞍点となっている[24]。また、少なくとも1つの固有値は正であることから、指数関数的にズレが増加する不安定な平衡点である[23]
平衡点 (d/ca/b) についても同様に、 平衡点近傍で系を次のように表すことができる[25]
{\displaystyle {\begin{pmatrix}{\frac {dx}{dt}}\\{\frac {dy}{dt}}\end{pmatrix}}={\begin{pmatrix}0&-{\frac {bc}{d}}\\{\frac {ad}{b}}&0\end{pmatrix}}{\begin{pmatrix}x\\y\end{pmatrix}}}
固有値は {\displaystyle \pm i{\sqrt {ad}}} となる[26]。ここで i は虚数単位で、固有値は複素共役の純虚数となっており、平衡点 (d/ca/b) は渦心点となっている[27]。よって平衡点近傍の限りにおいては、平衡点周りで状態点が近づきも離れもしない、中立安定な平衡点となる[28]

アイソクライン法による概略編集

x と y を変数とする平面(相平面)上で、dx/dt = 0 または dy/dt = 0 を満たす直線に注目することで、個体数がどのような振る舞いを起こしているかの概略を知ることができる。このような手法をアイソクライン法等傾斜線法と呼ぶ[29][30]
相平面で横軸を x、縦軸を y とする。現実の生物では個体数は正の値であるので、x と y の値が正である相平面の第一象限が興味の対象となる[31]。相平面上では、dx/dt = 0 を満たす直線とは y = a/b と x = 0 の直線であり、dy/dt = 0 を満たす直線とは x = d/c と y = 0 の直線である[19]。このような dx/dt = 0 または dy/dt = 0 を満たす直線を アイソクライン等傾斜線と呼ぶ[32][21]。前者の直線上では dx/dt = 0 であるから、解曲線がこの直線を通るとき、x の値は変化せず、y の値のみが変化する。よって、解曲線は直線を上下方向(y軸方向)にだけ通過する。そのため、この直線を傾き無限大のアイソクラインと呼ぶ[33]。一方、後者の直線上では dy/dt = 0 であるから、同じ理屈から解曲線はこの直線を左右方向(x軸方向)にだけ通過する。そのため、この直線を傾きゼロのアイソクラインと呼ぶ[33]
相平面に y = a/b の水平線と x = d/c の鉛直線を描くと、平衡点 (d/ca/b) で2つの直線は交わり、相平面は4つの領域に分類される。y = a/bの直線より上側の領域では、dx/dt の値は常に負となっている。一方、下側の領域は dx/dt の値は常に正となる[34]。ここで、dx/dt の値が正ということは x の値が増加している状態であり、負ということは x の値が減少している状態である[35]。よって、方程式の解の曲線は、ya/b の直線より上側の領域では左向きに進み、下側の領域では右向きに進むことが予測できる[36]
また同様に、x = d/c の直線より左側の領域では dy/dt の値は常に負で、右側の領域は dy/dt の値は常に正となる[34]。これによって上記と同じように、方程式の解の曲線は、x = d/c の直線より左側の領域では下向きに進み、右側の領域では上向きに進むことが予測できる[36]。これらを組み合わせると、解の曲線は、平衡点 (d/ca/b) を中心にして反時計回りに回転する軌道となっていることが明らかになる[34]
1) 解曲線は、y = a/b の直線より上側領域では左向きに進み、下側領域では右向きに進む
2) 解曲線は、x = d/c の直線より左側領域では下向きに進み、右側領域では上向きに進む
3) 解曲線は、平衡点 (d/ca/b) を中心にして反時計回りに回転する軌道となる

保存量編集

ロトカ・ヴォルテラの方程式は力学系における保存系に該当し、保存量と呼ばれる量を持つ[23]。式から微分 dx/dy を求めると、
{\displaystyle {\frac {dx}{dy}}={\frac {{dx}/{dt}}{{dy}/{dt}}}={\frac {ax-bxy}{cxy-dy}}}
となる。この変数分離形は
{\displaystyle {\frac {cx-d}{x}}dx={\frac {a-by}{y}}dy}
となり、両辺を積分して
{\displaystyle H=cx+by-d\log x-a\log y}
が得られる[37]。ここで、log は自然対数である。右辺の H は一定の値を取る定数である。この式の意味は、時間経過に従って x と y が色々な値に変化しても、上式で与えられる H の値は常に同じに保たれるということである[38]。このような量は保存量や積分不変量と呼ばれ、保存量を持つ系は保存系と呼ばれる[38]。実際に H を t で微分すると、dH/dt = 0 となり、H が定数であることが確認できる[39][注釈 1]。平衡点 (d/ca/b) で H は最小値を取り、その値は
{\displaystyle H_{min}=a+d-a\log \left({\frac {a}{b}}\right)-d\log \left({\frac {d}{c}}\right)}
となる[40]H − Hmin はこの系におけるリアプノフ関数でもある[41]

解曲線と個体数振動編集


解曲線は平衡点 (d/ca/b) を周回する閉曲線となっており、1つの閉曲線が一意の保存量を持つ。初期値によってどの閉曲線となるかが決定される

x-y相平面に高さ軸 H を加え、保存量 Hと各閉曲線の関係を3次元的に示した図
上記のアイソクライン法による解析だけでは、解曲線の形状は確定しない。解曲線は、平衡点 (d/ca/b) を中心に反時計回りに回転していることは分かったが、平衡点を中心としてそこから離れていく渦巻形状なのか、逆に平衡点へ近づいていく渦巻形状なのか、あるいは円や楕円のように一周して元の点に戻る閉曲線なのか、などの可能性がある[42]。ロトカ・ヴォルテラの方程式の解は、これらの中の閉曲線に該当し、相平面の第一象限上で解曲線は平衡点 (d/ca/b) を中心にして一周する閉じた軌道を描く。これは、前述の保存量 H の存在などから証明される[41]
解曲線の形状は、純粋な円や楕円というよりは卵のような形となっている[43]。どの大きさの軌道を取るかは、被食者 x と捕食者 y の初期値 x0y0 によって決まる[42]。保存量 H の値は初期値 x0y0 によって決まり、H の各値に1つの閉曲線が対応する[37]。さらに、x と y の1周期中の平均量を計算すると、それらの値は、それぞれの平衡点 d/c と a/b に一致する[44]

縦軸は個体数、横軸は時間で、捕食者(青)と被食者(赤)の個体数変動の時間変化を示している
解曲線が閉じた曲線であることは、被食者と捕食者の個体数は一定周期で振動していることも意味する[45]。個体数の時間発展波形は複雑な形状となる[46]。捕食者と被食者の個体数変動の位相は1/4周期ほどずれており、
  1. 被食者増加後に、捕食者増加
  2. 捕食者増加後に、被食者減少
  3. 被食者減少後に、捕食者減少
  4. 捕食者減少後に、被食者増加
という変動の繰り返しを示す[36]
個体数の範囲を平衡点近傍に限り、線形安定解析によって近似的な解析を行えば、それぞれの個体数変動の振動数を得ることもできる[47]。このときの x と y は、上記の保存量 H と同じように、次のような関係で表される[48]
{\displaystyle C={\frac {a^{2}c^{2}}{b^{2}}}x^{2}+ady^{2}.}
ここで、C は一定値である。また、それぞれの個体数変動の振動数 ω あるいは周期 T は
{\displaystyle \omega ={\sqrt {ad}},\quad T={\frac {2\pi }{\sqrt {ad}}}}
で与えられる[25][49]

安定性編集

前述のとおり、点 (d/ca/b) は中立安定な平衡点となっている。その周りに存在し得る軌道も初期値によって一つに決定され、一定の閉曲線を保ち続ける。すなわち、平衡点以外の軌道も、そこから離れも近づきもしない状態となっている。被食者も捕食者も絶滅することはなく、一方で、どちらの個体数も際限なく増え続けるということもない[50]
これは、系の外部から小さな乱れが加わった場合には、元の軌道から離れ、元に戻らないことも意味している。このような性質を「構造的に不安定」などという[43]。現実にある多くの系を考えると、構造的に不安定であることは非現実的であることも多い[51][52]。そのためより現実に合うようにモデルの改善が模索され、例えば、大域的に安定なリミットサイクルとなるようにモデルの修正がされる[53][54]

実際の生物における例編集

ダンコナとヴォルテラの研究編集


ヴィト・ヴォルテラ (Vito Volterra)
イタリアの生態学者ウンベルト・ダンコナ(Umberto D'Ancona) は、漁業操業が低下した第一次世界大戦中に食用魚よりもサメなどの軟骨魚の年間漁獲率が増加したことに疑問を持った[55]。これについてヴィト・ヴォルテラに相談を持ち掛け、ヴォルテラがこの現象を説明するためのモデル作成に取り組んだことが、ヴォルテラがロトカ・ヴォルテラの方程式を発案したきっかけである[56][55]
ヴォルテラは、食用魚が被食者、軟骨魚が捕食者としてモデル(ロトカ・ヴォルテラの方程式)を作成した[57]。上記で説明したように、被食者の平均個体数は d/c で、捕食者の平均個体数は a/b である。漁業操業が行われており食用魚も軟骨魚も漁獲されているとすると、その効果は食用魚自然増加率の a を小さくして、軟骨魚自然減少率の d を大きくするように働くと考えることができる[58]。通常の操業量からある時期から操業量が低下したとする。これによって、通常の操業状態と相対的にみると、 a が大きくなり、 d が小さくなったということになる。したがって操業量低下により、被食者の平均個体数は減少し、捕食者の平均個体数が増加するということになる。これがダンコナの疑問に対するヴォルテラの説明である[59]

周期的変動の例編集


カンジキウサギカナダオオヤマネコの捕獲頭数記録 (1845年-1935年)
ロトカ・ヴォルテラの方程式で示された、被食者と捕食者の個体数が位相差を持ちながら一定振動を続ける振る舞いに近いといえる例は、実際の生物においていくつか確認されている。
野外環境における例としては、カナダにおいて、カンジキウサギ[注釈 2]とその捕食者であるカナダオオヤマネコの個体数が長期間にわたって振動していたデータがよく挙げられる[61][62]。2つの個体数振動は、周期はほぼ同じで、位相は少しずれている[60]。ただし、このデータは個体数を直接観測したものではなく、毛皮取引を行っていたハドソン湾会社による1845年から1935年までのカンジキウサギとカナダオオヤマネコの毛皮捕獲記録から、間接的に生息個体数を推定したものである[63]。また、1973年のギルピン(M. E. Gilpin) による解析によれば、これらの個体数変動を相平面上にプロットすると軌道が時計回りとなっており、カンジキウサギがカナダオオヤマネコを捕食していると解釈できる奇妙な結果となっている[63]
環境を制御した飼育実験における例としては、ハフェイカー(C. B. Huffaker) によるコウノシロハダニとその捕食者であるカブリダニによる飼育実験、内田俊郎によるアズキゾウムシとその寄生者であるコマユバチによる飼育実験のデータが挙げられる[64][61]。ハフェイカーの実験では、単純な環境だと捕食が早すぎてどちらかの絶滅が起きてしまった。そのため、橋を設けたり扇風機を回したり環境を複雑にすることで、長期間にわたってそれぞれの個体数が振動しながら共存するデータを得ている[64]

モデルの改良編集

現実にある多くの系を考えると、ロトカ・ヴォルテラの方程式
{\displaystyle {\begin{aligned}{\frac {dx}{dt}}&=ax-bxy,\\{\frac {dy}{dt}}&=cxy-dy\\\end{aligned}}}
は単純過ぎる部分がある。そのため、ロトカ・ヴォルテラの方程式を基礎としつつ、色々なモデルの研究がされてきた[65]。以下はその一例である。
問題点としてまず挙げられるのは、捕食者がいないときの被食者の増殖速度が ax となっており、青天井で増加し続ける点である。実際の系では、ロジスティック方程式のように、ある程度以上増加したら資源不足などが発生し、その増殖速度にブレーキがかかると考えるのが合理的である[66]。これを考慮に入れて、例えば、第1式の右辺第1項 ax をロジスティック型の ax(1 − x/K) に置き換えたモデルが考えられる。ここで K は正の定数で、ロジスティックモデルにおける環境収容力である[7]
また、被食者数に比例して無制限に捕食者増殖速度が増加する点も不自然である。これもある程度以上で飽和すると考えられる[66]。そのため、第1式の右辺第2項 −bxy を −bxy/(1 + hx) などと変形することが考えられる。ここで h は正の定数で、x が増加してもこの項による捕食者1個体当たり増殖速度は b/h で飽和する[67]

ロトカ・ヴォルテラの競争モデル編集

類似のロトカ・ヴォルテラの競争モデル
{\displaystyle {\begin{aligned}{\frac {dx}{dt}}&=r_{1}x\,{\frac {K_{1}-x-a_{21}y}{K_{1}}},\\{\frac {dy}{dt}}&=r_{2}y\,{\frac {K_{2}-y-a_{12}x}{K_{2}}}\end{aligned}}}
に関しては、ロトカ・ヴォルテラの競争方程式を参照。このモデルは、2種の個体群が捕食-被食関係というよりも競争関係にある場合を表している。このモデルも単にロトカ‐ヴォルテラの式などと呼ばれることもある[68]
ロトカ・ヴォルテラの競争モデルの解は捕食者-被食者モデルの場合と様相が異なり、それぞれの個体数 xy が周期変動しながら共存する解は存在しない。係数の値が K1 < K2/a21 かつ K2 < K1/a12 を満たすとき、x と y は平衡点に収束し、それぞれの種が個体数一定で共存する。それ以外の場合にはどちらかの種が絶滅し、残った種の個体数は環境収容力 K1 または K2 に落ち着く[69]

注釈編集

  1. ^ {\displaystyle {\begin{aligned}{\frac {dH}{dt}}&={\frac {\partial H}{\partial x}}{\frac {dx}{dt}}+{\frac {\partial H}{\partial y}}{\frac {dy}{dt}}\\&=\left(c-{\frac {d}{x}}\right)(ax-bxy)+\left(b-{\frac {a}{y}}\right)(cxy-dy)\\&=acx-bcxy-ad+bdy+bcxy-bdy-acx+ad\\&=0\end{aligned}}}
  2. ^ カワリウサギと記す文献もある[60]

出典編集

脚注編集

  1. a b 日本生態学会(編) 2004, p. 141.
  2. ^ 日本生態学会(編) 2015, p. 44.
  3. ^ Steven H. Strogatz 『ストロガッツ 非線形ダイナミクスとカオス―数学的基礎から物理・生物・化学・工学への応用まで』 田中久陽・中尾裕也・千葉逸人訳、丸善出版、2015年、208頁。ISBN 978-4-621-08580-6
  4. a b 巌佐 1990, p. 35.
  5. ^ 日本生態学会(編) 2015, pp. 40–41.
  6. ^ マレー 2014, p. 71.
  7. a b Berryman 1992, p. 1531.
  8. ^ Lotka, A.J., "Contribution to the Theory of Periodic Reaction", Journal of Physical Chemistry A|J. Phys. Chem.14 (3), pp 271–274 (1910)
  9. ^ Goel, N.S. et al., “On the Volterra and Other Non-Linear Models of Interacting Populations”, Academic Press Inc., (1971)
  10. ^ マレー 2014, pp. 65–66.
  11. a b マレー 2014, p. 65.
  12. ^ ハーバーマン 1992, p. 108.
  13. a b c 日本生態学会(編) 2015, p. 42.
  14. ^ 寺本 1997, p. 25.
  15. a b 伊藤 1994, p. 80.
  16. ^ 『「数」の数理生物学』 日本数理生物学会、瀬野裕美(責任編集)、共立出版〈シリーズ 数理生物学要論 巻1〉、2008年、初版、9頁。ISBN 978-4-320-05675-6
  17. ^ Berryman 1992, p. 1534.
  18. ^ ハーバーマン 1992, pp. 108–109.
  19. a b c 日本生態学会(編) 2015, p. 43.
  20. ^ 大串 1994, p. 71.
  21. a b c ハーバーマン 1992, p. 112.
  22. ^ 寺本 1997, p. 77.
  23. a b c マレー 2014, p. 67.
  24. ^ Hirsch et al. 2007, p. 246.
  25. a b ハーバーマン 1992, p. 116.
  26. ^ Hirsch et al. 2007, p. 247.
  27. ^ Hirsch et al. 2007, p. 60.
  28. ^ ハーバーマン 1992, pp. 116–117.
  29. ^ 寺本 1997, p. 21.
  30. ^ ハーバーマン 1992, pp. 71–73.
  31. ^ ハーバーマン 1992, p. 111.
  32. ^ 重定南奈子、日本数理生物学会(編)、1993、「第1章 数理生態学」、『生命・生物科学の数理』、岩波書店〈岩波講座 応用数学 4 [対象 8]〉 ISBN 4-00-010514-0 pp. 8
  33. a b 日本生態学会(編) 2005, p. 33.
  34. a b c ハーバーマン 1992, p. 114.
  35. ^ 大串 1994, pp. 71–72.
  36. a b c 日本生態学会(編) 2004, p. 144.
  37. a b ハーバーマン 1992, p. 119.
  38. a b 寺本 1997, p. 99.
  39. ^ 巌佐 1990, p. 36.
  40. ^ Shagi-Di Shih (1997年12月). “THE PERIOD OF A LOTKA-VOLTERRA SYSTEM”Taiwanese Journal of Mathematics (The Mathematical Society of the Republic of China) 1 (4): 453. ISSN 2224-6851 2016年3月2日閲覧。.
  41. a b Hirsch et al. 2007, p. 248.
  42. a b 日本生態学会(編) 2015, p. 45.
  43. a b 寺本 1997, p. 100.
  44. ^ ハーバーマン 1992, pp. 125–126.
  45. ^ マレー 2014, p. 66.
  46. ^ ハーバーマン 1992, pp. 122.
  47. ^ ハーバーマン 1992, pp. 115–117.
  48. ^ ハーバーマン 1992, p. 117.
  49. ^ 大串 1994, p. 73.
  50. ^ Hirsch et al. 2007, p. 249.
  51. ^ ハーバーマン 1992, pp. 128–129.
  52. ^ 日本生態学会(編) 2015, pp. 45–46.
  53. ^ マレー 2014, pp. 71–73.
  54. ^ 日本生態学会(編) 2015, pp. 46–49.
  55. a b ブラウン 2012, pp. 224–225.
  56. ^ Whittaker 1941, p. 707.
  57. ^ ブラウン 2012, p. 225.
  58. ^ Whittaker 1941, p. 710.
  59. ^ ブラウン 2012, pp. 229–230.
  60. a b 日本生態学会(編) 2015, p. 40.
  61. a b 日本生態学会(編) 2004, pp. 141–142.
  62. ^ ハーバーマン 1992, pp. 107–108.
  63. a b マレー 2014, pp. 68–69.
  64. a b 伊藤 1994, pp. 80–81.
  65. ^ マレー 2014, p. 73.
  66. a b マレー 2014, p. 72.
  67. ^ 日本生態学会(編) 2015, p. 46.
  68. ^ 法則の辞典の解説 ロトカ‐ヴォルテラの式【Lotka-Volterra equation】”. コトバンク. 朝倉書店. 2016年6月11日閲覧。
  69. ^ 巌佐 1990, p. 15.

文献リスト編集

※文献内の複数個所に亘って参照したものを示す。
  • R. ハーバーマン、稲垣宣生(訳)、1992、『生態系の微分方程式』初版、 現代数学社 ISBN 4-7687-0307-0
  • 寺本英、川崎廣吉・重定南奈子・中島久男・東正彦・山村則男(編)、1997、『数理生態学』初版、 朝倉書店 ISBN 4-254-17100-5
  • 巌佐庸、1990、『数理生物学入門―生物社会のダイナミックスを探る』初版、 HBJ出版局 ISBN 4-8337-6011-8
  • 伊藤嘉昭、1994、『生態学と社会―経済・社会系学生のための生態学入門』初版、 東海大学出版会 ISBN 4-486-01272-0
  • 大串隆之、2014、「3章 昆虫の個体群と群集」、『昆虫生態学』初版、 朝倉書店 ISBN 978-4-254-42039-5 pp. 49–98
  • 日本生態学会(編)、巌佐庸・舘田英典(担当編集委員)、2015、『集団生物学』初版、 共立出版〈シリーズ 現代の生態学 1〉 ISBN 978-4-320-05744-9
  • 日本生態学会(編)、2004、『生態学入門』初版、 東京化学同人 ISBN 4-8079-0598-8
  • ジェームス・D・マレー、三村昌泰(総監修)、瀬野裕美・河内一樹・中口悦史・三浦岳(監修)、勝瀬一登・吉田雄紀・青木修一郎・宮嶋望・半田剛久・山下博司(訳)、2014、『マレー数理生物学入門』初版、 丸善出版 ISBN 978-4-621-08674-2
  • Morris W. Hirsch; Stephen Smale; Robert L. Devaney、桐木紳・三波篤朗・谷川清隆・辻井正人(訳)、2007、『力学系入門 原著第2版―微分方程式からカオスまで』初版、 共立出版 ISBN 978-4-320-01847-1
  • M. ブラウン、シュプリンガー・ジャパン(編)、一樂重雄・河原正治・河原雅子・一樂祥子(訳)、2012、『微分方程式 下―その数学と応用』、丸善出版 ISBN 978-4-621-06234-0
  • Alan A. Berryman (1992年10月). “The Orgins and Evolution of Predator-Prey Theory”Ecology (Ecological Society of America) 73 (5): 1530–1535. doi:10.2307/1940005.
  • E. T. Whittaker (1941年12月). “Vito Volterra. 1860-1940”. Obituary Notices of Fellows of the Royal Society (Royal Society) 3 (10): 690–729. JSTOR 769174.

外部リンク編集



ja.wikipedia.org からのvolterra
ヴィト・ヴォルテラ(Vito Volterra、1860年5月3日 - 1940年10月11日) は、イタリアの数学者、物理学者である。数学の分野では解析学に多くの業績を残し積分方程式にヴォルテラ方程式の名が残っている他、結晶の転位の概念を ...



数学もどき批判

大物経済学者の大ゲンカ:「Mathiness」と経済学


荒田 禎之
研究員

2016年の日本経済の行方を考える時、経済学はどのように貢献できるのだろうか。言い換えれば、今の経済学はどの程度"役に立つ"学問となっているのだろうか。2015年、この経済学の現状についてのとある論争、というより"大ゲンカ"が経済学界で話題になった。仕掛けたのは経済成長論の大御所、P. Romerである。

「Mathiness」とは?

2015年、経済学のトップジャーナルの1つであるAmerican Economic Review (AER) にP. Romerの短いエッセイ(注1)が載った。その中で彼は、現在の経済学(特に成長論)が真の意味で科学ではなくなっており、「Mathiness」がまかり通っているとして嘆いている。Mathinessとは彼の造語で、分析をより正確に表現するために数学を用いるのではなく、言わば"ごまかし"のために数学を用いているという意味である。つまり、そこでは数学的概念と経済学的概念が結び付いておらず、したがって実際の経済的事象を説明することには何の役にも立たない。現実と乖離した、ただ無意味な装飾品のように数理モデルがあるだけ、と現状を批判しているのである。
彼はいくつかの論文をやり玉にあげているが、批判の矛先はこれもまた経済学の大御所、ノーベル賞受賞者でもあるR. Lucasである。特にLucasがRomerの逆鱗に触れたのは、トップジャーナルの1つであるJournal of Political Economy (JPE) に載ったLucas and Moll (2014)(注2)の論文である。実はこの論文、数学的(極限のとり方)に問題があり、モデルの内容と言葉での説明が食い違っていることをRomer自身がワーキングペーパーの段階で著者たちに指摘したにもかかわらず、完全に無視され、さらには査読プロセスも通過し、JPEにそのまま載ってしまったのである。
Romerは決して数学的な問題があったこと自体を非難しているのではない。ワーキングペーパーの読者も、JPEの査読者も、その論文の数理モデルが何を意味しているかを理解せず、真剣に検証することをしない。また、そういった状況を著者自身も認識しており、問題を指摘されても一顧だにしない。この現状に彼は激怒しているのである。なお、彼の怒りはAERのエッセイでは収まっていないようで、自身のブログ(注3)でも痛烈な批判を続けている。またこれらの一連の批判は、他の経済学者達の関心もひいたようで、たとえばP. Krugmanもこれに関連して、自身の考えを述べている(注4)。

数学と経済学:The Good and Bad Uses of Mathematics

さて、現在の経済学(特に理論経済学)で数学的なモデルが無い論文は、ほとんど皆無と言っても過言ではないだろう。しかし、数学的に正しいからといって、経済学的に意味があるとは限らない。仮に明らかな数学的な誤りが無くとも、その数理モデルが表現している中身が、言葉で表現している論文の主旨と乖離していれば、それはRomerの言うMathinessに他ならない。数学を経済学の中でどのように用いるべきか。この点に関し、今から30年以上前の論文であるが、森嶋通夫(Morishima 1984(注5))の論文は示唆に富んでいる。タイトルもズバリ"The Good and Bad Uses of Mathematics"である。
この中で彼は、経済モデル (competitive general-equilibrium analysis) を飛行模型に例えたF. Hahnの例えを引き合いに出しながら、この模型では空を飛ぶことは出来なさそうだと言う。また、"悪魔の見えざる手"によって経済学者たちは誤った道に入り込んでしまい、エンジンの無い巨大飛行機を作ることになってしまったとも述べている。さて、それはどういう意味か。それは、経済理論が、制度的側面や歴史的事象などの実証的な部分を切り捨て、ただ数学的に"洗練"されただけのものになってしまい、目の前にある現実を説明できないという意味である。彼は日本の和算の例を出している。和算は周知のごとく、当時の西洋の数学と比較しても高い水準にあった。しかし、あくまで和算は将棋や碁と同じように知的遊戯であって、自然科学や産業技術に結びつくことはなく、それ故、明治維新とともに西洋の数学(洋算)に取って代わられ、姿を消した。目の前にある現実から遊離すれば、いかに美しい理論であろうとも、経済理論も和算と同じ運命をたどることになると述べている。
さて、この批判、30年以上前のものであるが、このコラム冒頭に述べたRomerの批判と本質的に同じことを述べている。つまり、経済理論が数学モデルの枠内で完全に閉じてしまっている点だ。これは、日本が誇る大経済学者、森嶋通夫には30年後を見通す先見の明があったということだろうか。いや、単に(マクロ)経済学がこの30年、同じところをグルグルと回っていたことを示しているに過ぎないのだろう。むしろ、彼の先見の明は以下の内容にある。
"However, I am not sufficiently optimistic to think that economists ... will easily co-operate in pursuing this kind of methodological transformation." (p.70)
彼は、この状況を解決する唯一の方法は、数学的なモデル化 (Mathematization) のスピードを緩め、組織や産業構造、経済史などの知見、事実に沿った形で数学を用い、理論を発展させることであるが、これはそう簡単にはいかないだろうと述べている。というのも、数学はそれ自体強力であり、仮定された仮説の単なる論理的帰結に過ぎない命題 (Proposition) が、あたかも科学的発見であるという幻想を抱かせるからだ。
"Mathematical economists construct a mountain as it were from these sorts of quasi-scientific (or pseudo-scientific) pieces, and worship as gods those who have contributed to making the mountain a high one." (p.70)
そして、経済学者はそれら似非科学の断片を集めて"山"を作り、その山をより高くすることに勤しむ。本当にそれが現実を説明できるものなのか、飛行機の例えで言えば"飛行可能なもの"(airworthy) なのかを顧みることなしに。
なるほど、確かに彼の予言は的中したようだ (少なくともRomerの認識が正しい限りは)。

まとめ

以上のことは、決して経済学者が数学を学ばなくてよいなどと主張するものではない。むしろ、経済学者に数学的な内容についてより深い理解を要求するものである。面倒だからと数式を追うことを怠り、結論のみ何となく直感的に分かったつもりになっていては、それはMathinessを蔓延させるのみである。
しかし、その一方、数学的な厳密性だけを追っていればよいと考えるのも大きな誤りだ。Morishima (1984) にも引用されている以下のケインズの認識は、経済学者が心に留めておくべき経済学の一面を表しているのかもしれない。
"... such parts of the bare bones of economic theory as are expressible in mathematical forms are extremely easy compared with the economic interpretation of complex and incompletely known facts of experience, and lead one but a very little way towards establishing useful results." (Keynes, 1972, pp. 186(注6))
結局、当たり前のことだが、表面上の数学的な表式に惑わされず、そこに現れている本当の意味を自身の頭で理解するのが、何よりも重要ということに他ならないのだろう。
2015年12月21日掲載

謝辞

  • 本内容についてのW. Thorbecke上席研究員との議論は大変有意義なものであった。また、近藤恵介研究員、荒木祥太研究員には貴重なコメントを頂いた。ここに深く謝意を示したい。
脚注
  1. ^ Romer, Paul M. 2015. "Mathiness in the Theory of Economic Growth." American Economic Review, 105(5): 89-93.
  2. ^ Lucas, Jr. Robert E., and Benjamin Moll. 2014 "Knowledge Growth and the Allocation of Time." Journal of Political Economy, 122(1): 1-51
  3. ^ http://paulromer.net/category/blog/新規ウィンドウが開きます
  4. ^ http://krugman.blogs.nytimes.com/2015/08/02/freshwaters-wrong-turn-wonkish/?_r=0新規ウィンドウが開きます
  5. ^ Morishima, Michio. 1984. "The Good and Bad Uses of Mathematics" in Economics in Disarrayedited by P. Wiles and G. Routh. Basil Blackwell. pp. 51-73.
  6. ^ Keynes, John. M. 1972. "Essays in Biography" in The Collected Writings of John Maynard Keynes. Macmillan, St. Martin's Press for the Royal Economic Society.



https://rabocchi.blog.fc2.com/blog-entry-1147.html

森嶋通夫『思想としての近代経済学』(岩波新書 新赤版321)

目次
はしがき
序章 近代経済学私観・・P1
第Ⅰ部 ビジョンと理論 ―市場の多様化と価格機能―
 1 リカード―分配と成長の一般均衡理論・・P14
 2 ワルラス(1)―「価値自由」の提唱・・P26
 3 ワルラス(2)―大衆間の完全競争・・P38
 4 シュンペーター(1)―エリート主義の経済学・・P50
 5 ヒックス―市場の類型学・・P63
 6 高田保馬―人口と勢力・・P75
 7 ヴィクセル―資本理論と人口・・P87
第Ⅱ部 ビジョンの充実 ―経済学と社会学の総合―
 8 マルクス―経済学的歴史分析・・P100
 9 ウェーバー(1)―合理的行動の社会学・・P113
10 ウェーバー(2)―倫理と経済・・P125
11 ウェーバー(3)―私企業官僚制・・P137
12 シュンペーター(2)―エリートの転進・・P149
13 パレート(1)―脱合理的行動の社会学・・P162
14 パレート(2)―エリート層内の興亡・・P174
第Ⅲ部 パラダイムの転換 ―自由放任から修正主義へ―
15 フォン・ミーゼス(1)―自由放任の予定調和・・P188
16 フォン・ミーゼス(2)―社会主義と価格機構・・P200
17 ケインズ(1)―新ヨーロッパの構想・・P213
18 ケインズ(2)―セイ法則の清算・・P226
終章 若干の結論的覚え書・・P239


これまで引用・言及した記事へのリンク、その記事のタグ、言及要約

15/04/04 (パレートの方法3)
この記事につけたタグ:「パレート」 「メソッド」 「クローチェ」 「経済学」 「便宜」 「仮説演繹法」 「演繹」 「帰納」
「このようにパレートの社会学と純粋経済学は―前述したように―方法論的に対照的である。前者は帰納法に則っているが、後者における帰納的部分はゼロか無視しうる程度であるから、それはほとんどもっぱら演繹的(ないし公理論的)である。」P175

15/03/21 (パレート最適をめぐって2)
この記事につけたタグ:「パレート」 「厚生経済学」 「マーケットメカニズム」 「ケインズ」 「最後になって」 「法律学的には」
「・・・反セイ法則の経済では、完全競争の一般均衡は一般に成立しえないから、「一般均衡は最適状態(専門語ではパレート・オプティマム)である」というアロー、ドゥブローの「厚生経済の基本定理」は空文になってしまう。・・・」P159、160
「本書は近代経済学と思想―ビジョン、価値観、意志、願望―のかかわり合いを論じたから、最後に思想と科学的思考が密接に関連している部門である厚生経済学について述べておくべきだと思う。私の厚生経済学の評価は次の理由により、極めて低い。・・・」P245、246

15/03/07 (経済学と社会学2)
この記事につけたタグ:「経済学」 「社会学」 「パレート」 「メソッド」 「演繹」 「帰納」 「数」 「統計」 「対」
「もっとも彼の経済理論の「均衡」概念は古典力学的であり、社会理論のそれは確率論的、流体力学的であるから、こういう異質の均衡を調和、両立させることは簡単なことではないが、以下ではそのことは問題にしない。」P162
「このようにパレートの社会学と純粋経済学は―前述したように―方法論的に対照的である。前者は帰納法に則っているが、後者における帰納的部分はゼロか無視しうる程度であるから、それはほとんどもっぱら演繹的(ないし公理論的)である。」P175

15/02/21 (パレートの方法2)
この記事につけたタグ:「パレート」 「メソッド」 「均衡」 「ワルラス」 「ソシュール」 「構造」 「形」 「階層」 「循環」
「パレートの場合には、彼の社会学と一般均衡理論が総合されるであろう。・・・もっとも彼の経済理論の「均衡」概念は古典力学的であり、社会理論のそれは確率論的、流体力学的であるから、こういう異質の均衡を調和、両立させることは簡単なことではないが、以下ではそのことは問題にしない。」P162

15/02/14 (残り物エレメント)
この記事につけたタグ:「パレート」 「翻訳」 「位置づけ」 「マクロとミクロ」 「ヴェーバー」 「経済学」 「社会学」 「ゲームで言うと」 「林檎風」
「パレートは・・・本能や感動ないし感情が人間の非論理的行動を決定する有力な要素であると考え、それらを「基本要素」と呼んだ。」P174
「「基本要素」の原語は residue(残余)である。雑物を取り除いて後に残る残余はその物のエキスであるから、私は基本要素と訳した。日本の社会学界では「基本要素」を「残基」または「恒常体」、また「誘導」は「派生体」と訳しているようであるが、これらの訳は感心しない。」P185

15/02/07 (パレートの方法)
この記事につけたタグ:「パレート」 「メソッド」 「翻訳」 「創造」 「シュンペーター」 「イノベーション」
「パレートは次の六つの基本要素を指摘した。(1)組合せ(あるいは結合)への本能、・・・」P175
「・・・というのは彼らによれば、イタリア語の“combinazione”は英語のそれよりも意味が広く、組合せへの本能は「発明の才能、考案の才、独創性、想像力その他」を意味しうる。事実、パレートも組み合わせるという活動を次のように説明している。「実験室にいる科学者は、ある基準または仮説に従っていろいろの組合せを試みる。それらは大部分合理的であるが、時には行きあたりばったりにやったりするのである。」そして、すべての種類の革新は、このような組合せ活動の成果である。」P176

15/01/31 (官僚制と勢力論の行方)
この記事につけたタグ:「ヴェーバー」 「高田保馬」 「官僚」 「株式会社制度」 「共同体」 「人口」 「ケインズ」 「お金」 「権力」 「ゲームで言うと」
「私は、特に高田の勢力論やウェーバーの官僚制の研究を発展させ、経済学内に取り入れることが必要であると思う。」P243
「こうして日本の会社は、形式的には会社法型の会社であり続けながら、実質的には community type の会社に、戦後変質してしまった。
 官僚化した会社員は、社内で出世することを望むから、一般労働者のように賃金だけを目当てにして働いているのではない。・・・」P145、146
「高田理論は、戦後の日本経済構造を説明するのに、非常に有効と思われる。・・・」P85

15/01/24 (高田保馬伝説)
この記事につけたタグ:「高田保馬」 「年代」 「2」 「ヴェーバー」 「王様風」
「講義は高田教授の次の開講の辞を以て始まった。・・・」P76

15/01/17 (経済学と社会学)
この記事につけたタグ:「経済学」 「社会学」 「ヴェーバー」 「パレート」 「高田保馬」 「大学」 「対」
「経済学をその他の社会科学(例えば、社会学)と総合するという観点からは、マルクス、ウェーバー、パレート(一八四八-一九二三)、シュンペーター、高田の五人が重要視される。」P162

15/01/10 (シュンペーターとパレート2)
この記事につけたタグ:「シュンペーター」 「パレート」 「ファシズム」 「自由」 「お金」 「マクロ経済」 「年代」 「対」
「彼がファシストであったかどうかも大問題だが、それに関しても、二人は共に否定する。」P186

15/01/03 (歴史の述べ方)
この記事につけたタグ:「歴史」 「プライオリティ」 「連関」 「言葉の生命」 「経済学」
「・・・というのは、理論の発展は、過去の理論が形成された時代順序に、強く依存しないからである。後進の者には、過去の学説は、提唱者の時代を無視して、全部が一つの袋に入って、一挙に与えられる。もちろん同時代に属する諸業績は、フローとして順次現われるが、それらもまたストックの袋に入れられると、出現の順序は重要でなくなる。
 それゆえ、時代順序にこだわるよりも、論理的順序にこだわった方が、学説研究は一層有用になるであろう。だから本書では、そういう方針を大段に採用した。その結果、思わぬ関係が発見されたのではないかと思っている。」P2

14/12/27 (シュンペーターとパレート)
この記事につけたタグ:「シュンペーター」 「パレート」 「マルクス」 「マクロ経済」 「社会学」 「イノベーション」 「位置づけ」 「対」
「・・・このように彼はパレートの空箱に貴重な材料をつめこむという仕事をした。」P169、170
「このような非マルクス的な社会理論と正統的な経済学を総合したパレートの全体系は、マルクス的でないという意味で「新古典派総合」と呼ぶにふさわしいが、パレートのこの壮大な意図を受け継いだのが、シュンペーターであると見ることができる。」P170
「私は、シュンペーターこそがパレート総合に肉付けを施した一人だと思っている。」P183、184

14/12/13 (シュンペーターとニーチェ)
この記事につけたタグ:「シュンペーター」 「ニーチェ」 「ワルラス」 「プレイヤー」 「マルクス」 「イノベーション」 「位置づけ」 「成功」 「対」
「これに反しシュンペーターの資本主義社会は、ただ者ならぬ企業者と銀行家が経済を引っ張っていくニーチェ的な英雄主義の世界である。」P60、61

14/11/29 (賢者・聖者・企業家)
この記事につけたタグ:「成功」 「シュンペーター」 「パレート」 「イノベーション」 「倫理」 「道徳」 「情熱」 「X・Y・Z」
「極端な場合には、企業者の中には、自分が考えた経済革新が果たしてうまく成功するかどうかをテストすることだけに、意義を感じ興味を持っている人もいる。・・・こういう風変わりの企業者は充分存在するし、現にイギリスにはいる。そしてこのような人こそは企業者中の企業者―純粋企業者―であるとすらいえる。・・・」P167

14/11/22 (成る話)
この記事につけたタグ:「倫理」 「幸福」 「成功」 「官僚」 「かったるい」 「やる話」
「彼らははっきりと「出世主義者」であり、日々の生活から得られる効用よりも、一生の勤務生活の終点で到達する「地位」を極大にするように、彼らは働いているのである。」P7

14/11/15 (官僚制の利害)
この記事につけたタグ:「ヴェーバー」 「官僚」 「ホッブズ」 「階層」 「公私」 「利害」 「悪」 「アナーキー」 「自己言及」
「このことは、事務部で管理・経営にたずさわっている人に対しては、彼らが同じく会社の被雇用者であるとはいえ、一般労働者と異なった取扱いをする必要があることを意味している。・・・これらの人の人生の目的は、出世するということにあることになり、一般労働者のように金を目当てにして働いているのではなくなる。」P140、141
「・・・労働者の方も、工場労働者と事務労働者は、生活様式も人生設計も非常に異なっているし、特に管理系の事務労働者は、単なる快楽主義者では決してない。彼らははっきりと「出世主義者」であり、日々の生活から得られる効用よりも、一生の勤務生活の終点で到達する「地位」を極大にするように、彼らは働いているのである。」P7

14/10/11 (ヴェーバーからの官僚制の流れの中で)
この記事につけたタグ:「ヴェーバー」 「官僚」 「公私」 「文脈」
言及のみ ウェーバーと官僚制のつながりはこの本で気づいたのではあるけれど

14/09/26 (さぼる話)
この記事につけたタグ:「ヴェーバー」 「インセンティブ」 「楽」 「倫理」 「官僚」 「マーケットメカニズム」 「社会学」 「マルクス」 「さぼる」 「やる話」
言及のみ
私的大経営体の管理事務職員の行動様式
第Ⅱ部の副題が「―経済学と社会学の総合―」

14/09/19 (昇る話)
この記事につけたタグ:「ヴェーバー」 「官僚」 「マーケットメカニズム」 「インセンティブ」 「人生」 「お金」 「社会保障」 「公私」 「期待効用」 「やる話」
「官僚制の問題は、ウェーバーの重要な実質的研究題目の一つである。官僚とは、通常、政府ないし公共団体の職員であるが、軍人や近代大企業でデスク・ワークする職員もまた官僚である。」P137
「このことは、事務部で管理・経営にたずさわっている人に対しては、彼らが同じく会社の被雇用者であるとはいえ、一般労働者と異なった取扱いをする必要があることを意味している。」P140、141
「・・・工場労働者と事務労働者は、生活様式も人生設計も非常に異なっているし、特に管理系の事務労働者は、単なる快楽主義者では決してない。彼らははっきりと「出世主義者」であり、日々の生活から得られる効用よりも、一生の勤務生活の終点で到達する「地位」を極大にするように、彼らは働いているのである。」P7

14/09/12 (官僚制の問題はどこにあるか)
この記事につけたタグ:「ヴェーバー」 「官僚」 「ずれ」
「官僚制の問題は、ウェーバーの重要な実質的研究題目の一つである。」P137



《ウェーバーは『儒教と道教』の中で、次のように科学を規定している。
「数学を使う西欧の自然科学は、古代ギリシャ哲学から発展した合理的思考法と、ルネッサン
スに始まる技術的に実験するという考え方の、二つを組み合わせることによって成立したので
ある。」アインシュタインも私信の中でこれと全く同じことを述べている。》

125頁

"The Good and Bad Uses of Mathematics"1984でも引用。

40 Comments:

Blogger yoji said...

著作集
『森嶋通夫著作集』(岩波書店, 2003年-2005年)
「動学的経済理論」
「均衡・安定・成長」
「経済成長の理論」
「資本と信用」
「需要理論――実物と金融」
「リカードの経済学」
「マルクスの経済学」
「価値・搾取・成長」
「ワルラスの経済学」
「ケインズの経済学」
「計量経済モデルはどう作動するか」
「近代社会の経済理論」
「なぜ日本は「成功」したか?」
「なぜ日本は行き詰ったか」

https://hcbooks.blogspot.com/2011/04/michio-morishima.html

7:14 午後  
Blogger yoji said...

全集?巻

Morishima, Michio. 1984. "The Good and Bad Uses of Mathematics 森嶋

7:14 午後  
Blogger yoji said...

Morishima, ‘The Good and Bad Uses of Mathematics’, in P.J.D.Wiles & G.Routh (eds.), Economics in Disarray (Oxford: Basil Blackwell, 1984), pp.51-73.

7:29 午後  
Blogger yoji said...

such parts of the bare bones of economic theory as are expressible in mathematical forms are extremely easy compared with the economic interpretation of complex and incompletely known facts of experience, and lead one but a very little way towards establishing useful results." (Keynes, 1972, pp. 186(注6))


複雑で不完全に知られている経験の事実の経済的解釈と比較して、数学的形式で表現可能な経済理論の裸の骨のような部分は非常に簡単であり、有益な結果を確立するための方法はほとんどない」(Keynes、1972 、186頁(注6))。


人物評伝

1:58 午前  
Blogger yoji said...

ケインズ全集10,249ページ

249
第14章アルフレッド·マーシャル
がして成り
ために、正当に、近代の図形的経済学の創始者たる資格を要求しうるであろう、
り、一般に頭のよい初学者を強く引きつけ、われわれすべてが自分の直観を活潑にしたりチェックしたりするものと
して、また自分の得た成果の速記的な記録として使用するものではあるが、しかし一般には、われわれがさらに主題
の奥深くまで突き進むにつれて表面から退く、あのエレガントな用具のことである。マーシャルの得た成果が少しず
つ外部の世界に滲み出て行って、完全な形では、わずかに限られたサークルにのみ達したにすぎないという事実が、
さもなければ彼のものになっていたであろう国際的名声を多分に失わせ、またおそらく、経済学の進歩を遅らせ
もした。にもかかわらず、よく考えてみれば、マーシャルがその図形的用具をただそれだけで発表することによって
自分の生涯を始めたがらなかった気持は、われわれにも了解できるように思う。
111図形的経済学というのは、
つま
86
というわけは,それは彼が経済学に知的に接近するうえに不可欠な付属物ではあったが、そういった方法を強調も
ャ しくは称揚するかのように見えることは、彼がその生涯のごく早い時代から経済学研究への正しい態度と見なしてい
たものと、正反対な方向であったから。のみならず、マーシャルは、かつて数学科優等学位試験の第二位合格者であ
ドり、分子物理学を探求しようという野心を燃やしたことのある身として、知的ないし美的見地から、数理経済学を構
成している初歩の代数や幾何や微分学などの、やや「たわいない」切れはしに対して、常にいささか軽侮の念を抱い
ていた。たとえば物理学とは違って、数学形式で表現しうるような経済理論のただの骨格の部分は、複雑で不完全に
章しか知られていない経験上の事実の解釈に比べれば、しごく容易なものであり、有益な成果の確立に寄与するところ
4
が甚だもって乏しいのである。
(1)
あらかじめ大して専門数学の素養もなくこの学科に取りかかろうとする学生たちに、
不当に大き
数理経済学はしばしば、
な魅力と影響力を及ぼしている。
49
それはほとんど誰にでも理解できるほどやさしく、
しかも学生たちをして、
小規模ながら、

2:05 午前  
Blogger yoji said...

たとえば物理学とは違って、
数学形式で表現しうるような経済理論のただの骨格の部分は、複雑で不完全に
章しか知られていない経験上の事実の解釈に比べれば、しごく容易なものであり、有益な成果の確立に寄与するところ
が甚だもって乏しいのである。

2:06 午前  
Blogger yoji said...

たとえば物理学とは違って、
数学形式で表現しうるような経済理論のただの骨格の部分は、複雑で不完全にしか知られていない経験上の事実の解釈に比べれば、
しごく容易なものであり、有益な成果の確立に寄与するところが甚だもって乏しいのである。

ケインズ全集10

2:07 午前  
Blogger yoji said...

http://kameleon-kameleon.blogspot.com/2010/10/blog-post_654.html

ケインズはあるところで次のように言っています。
「経済学の研究には、なんらかの人並み外れて高次な専門的資質が必要とされるようには見えない。それは知的見地から言って、哲学や純粋科学などのより高級な部門に比べると、はなはだ平易な学科ではあるまいか。それなのにすぐれた経済学者、いな有能な経済学者すら、類まれな存在なのである。平易で、しかもこれに抜きんでた人のきわめて乏しい学科! こういうパラドックスの説明は、おそらく、経済学の大家はもろもろの資質のまれなる組合せを持ち合わせていなければならない、ということのうちに見出されるであろう。そういう人はいくつかの違った方面で高い水準に達しており、


めったに一緒には見られない才能をかね具えていなけれなならない。彼はある程度まで、数学者で、歴史家で、政治家で、哲学者でなければならない。彼は記号も分かるし、言葉も話さなければならない。彼は普遍的な見地から特殊を考慮し、抽象と具体とを同じ思考の中で取り扱わなければならない。彼は未来の目的のために、過去に照らして現在を研究しなければならない。人間の性質や制度のどんな部分も、まったく彼の関心の外にあってはならない。


彼はその気構えにおいて目的意識に富むと同時に公平無私でなければならず、芸術家のように超然として清廉、しかも時には政治家のように世俗に接近していなければならない。」

2:17 午前  
Blogger yoji said...

#14アルフレッド・マーシャルより

2:30 午前  
Blogger yoji said...

一般均衡分析 単行本 – 1976/3/20
K.J. アロー (著), F.H. ハーン (著), 福岡 正夫 (翻訳), 川又 邦雄 (翻訳)
5つ星のうち 5.0 2件のカスタマーレビュー
その他()の形式およびエディションを表示する
単行本
¥ 4,257 より
¥ 4,257 より 5 中古品の出品

飛ばない飛行機

1971

2:33 午前  
Blogger yoji said...

ノイマン モルゲンシュテルン共著『遊戯の理論と経済行動』
Other Titles:
John von Neuman, and Oskar Morgenstern : Theory of Games and Economic Behavior 2nd ed. 1947
Authors: 関, 恒義
Issue Date: 1-Feb-1951
Publisher : 日本評論社
Citation:

p.4
kepler newton
John von Neuman, and Oskar Morgenstern : Theory of Games and Economic Behavior 2nd ed. 1947

7:42 午後  
Blogger yoji said...

FORMULATION OF THE ECONOMIC PROBLEM
science of social, of human phenomena, has to take psychology into account,
etc. Such statements are at least premature. It is without doubt reason
able to discover what has led to progress in other sciences, and to investigate
whether the application of the same principles may not lead to progress
in economics also. Should the need for the application of different principlss
arise, it could be revealed only in the course of the actual development
of economic theory. This would itself constitute a major revolution
But since most assuredly we have not yet reached such a state-and it is
by no means certain that there ever will be need for entirely different
scientific principles-it would be very unwise to consider anything else
than the pursuit of our problems in the manner which has resulted in the
establishment of physical science
1.2.4. The reason why mathematics has not been more successful in
economics must, consequently, be found elsewhere. The lack of real
success is largely due to a combination of unfavorable circumstances, some
of which can be removed gradually. To begin with, the economic problems
were not formulated clearly and are often stated in such vague terms as to
make mathematical treatment a priori appear hopeless because it is quite
uncertain what the problems really are. There is no point in using exact
methods where there is no clarity in the concepts and issues to which they
are to be applied. Consequently the initial task is to clarify the knowledge
of the matter by further careful descriptive work. But even in those
parts of economics where the descriptive problem has been handled more
satisfactorily, mathematical tools have seldom been used appropriately
They were either inadequately handled, as in the attempts to determine a
general economic equilibrium by the mere counting of numbers of equations
and unknowns, or they led to mere translations from a literary form of
expression into symbols, without any subsequent mathematical analysis
Next, the empirical background of economic science is definitely inade
quate. Our knowledge of the relevant facts of economics is incomparably
smaller than that commanded in physics at the time when the mathe
matization of that subject was achieved. Indeed, the decisive break which
came in physics in the seventeenth century, specifically in the field of
mechanics, was possible only because of previous developments in astron
omy. It was backed by several millennia of systematic, scientific, astro-
nomical observation, culminating in an observer of unparalleled caliber,
Tycho de Brahe. Nothing of this sort has occurred in economic science. It
would have been absurd in physics to expect Kepler and Newton without
Tycho,-and there is no reason to hope for an easier development in
economics
These obvious comments should not be construed, of course, as a
disparagement of statistical-economic research which holds the real promise
of progress in the proper direction

7:49 午後  
Blogger yoji said...

経済問題の処方
社会科学、人間現象の科学は、心理学を考慮に入れなければならず、
このような記述は、少なくとも時期尚早である。間違いなく理由がある
他の科学において進歩をもたらしたことを発見し、調査することができる
同じ原則の適用が進歩をもたらさないかもしれないかどうか
経済学においても。異なるプリンシプルのアプリケーションの必要性
実際の開発の過程でのみ明らかになる可能性があります
経済理論のこれはそれ自体が大きな革命を構成するだろう
しかし、確かに我々はまだそのような状態には至っていないので、
決して完全に異なったものが必要となることは確かではありません
科学的原則 - 他の何かを考慮することは非常に賢明ではありません
私たちの問題を追求するよりも、
物理科学の確立
1.2.4。数学がもっと成功しなかった理由
その結果、経済学は他の場所で見出されなければならない。実在の欠如
成功は主に不利な状況の組み合わせによるものであり、
そのうち徐々に除去することができる。まず、経済的問題
明確に公式化されておらず、しばしば
先験的に、数学的な治療をすることは、かなりの
問題が本当に何であるかは不明です。正確な使用には何の意味もありません
彼らが抱いている概念や問題がはっきりしない方法
適用される。したがって、最初のタスクは、知識を明確にすることです
さらに慎重な記述作業によって問題のしかし、それらの中でさえ
説明的な問題がより多く処理された経済学の部分
十分に、数学的ツールが適切に使用されることはめったにない
彼らは不十分に扱われていました。
方程式の数を数えるだけで一般的な経済の均衡
そして未知の文章からの単なる翻訳につながった。
後続の数学的解析を行わずに記号に変換する
次に、経済学の経験的背景は明らかに崩れている
quate。経済学の関連する事実に関する知識は比類なく
マッハの時代に物理学者に命じられたものよりも小さい
その対象の成熟化が達成された。確かに、
特に17世紀の物理学では、
機械工学者は、以前のアストロンの発展のためにしかできなかった
オミー。それは数千年にわたる体系的、科学的、
比類のない口径のオブザーバーで頂点に立つ、
ティコ・デ・ブラーエ。この種のものは経済学には何も起きていない。それ
ケプラーとニュートンが期待していた物理学で不合理だっただろう
ティコ、そしてより簡単な発展を望む理由はない
経済
これらの明らかなコメントは、当然のことながら、
実質的な約束を保持している統計的経済学の研究の逸脱
正しい方向への進歩

7:50 午後  
Blogger yoji said...

1/3

タイトル  ゲームの理論と経済行動 1
叢書名   ちくま学芸文庫  ≪再検索≫ Math & science
著者名等  J.フォン・ノイマン/著  ≪再検索≫
著者名等  O.モルゲンシュテルン/著  ≪再検索≫
著者名等  銀林浩/監訳  ≪再検索≫
著者名等  橋本和美/監訳  ≪再検索≫
著者名等  宮本敏雄/監訳  ≪再検索≫
著者名等  阿部修一/訳  ≪再検索≫
著者名等  橋本和美/訳  ≪再検索≫
出版者   筑摩書房
出版年   2009.5
大きさ等  15cm 506p
注記    Theory of games and economic behavior.3r
d ed./の翻訳
NDC分類 331.19
件名    ゲーム理論  ≪再検索≫
要旨    今や経済学にとどまらず社会学・生物学など様々な分野において、現象の分析や意思決定
の方法論として応用されるようになったゲーム理論。その歴史は本書をもって始まった。
複雑な人間行動を厳密かつ数学的に記述する新たな可能性を開き、後世に絶大な影響を与
えた記念碑的著作。本巻は“戦略ゲーム”の形式的記述、およびゼロ和2人ゲームの理論
と実例について論じる。
目次    第1章 経済問題の定式化(経済学における数学的方法;理性的行動の問題に関する定性
的議論 ほか);第2章 戦略ゲームの一般的な形式的記述(序論;ゲーム概念の単純化
 ほか);第3章 ゼロ和2人ゲーム:理論(予備的考察;関数計算 ほか);第4章 
ゼロ和2人ゲーム:実例(いくつかの基礎的なゲーム;ポーカーとハッタリ)
ISBN等 4-480-09211-0
ISBN等

7:52 午後  
Blogger yoji said...

Max Weber, Economy and Society: An Outline of Interpretive Sociology, Guenther Roth and Claus Wittich, eds. (Berkeley: University of California Press, 1978), vol. I, ch. 2., sec. 12, pp. 100–03.


Quoted in Roth, Guenther and Claus Wittich. 1978. Economy and Society: an outline of interpretive sociology. University of California Press, Google Print, p. xxxiii

1:26 午前  
Blogger yoji said...

Spinoza's work, which is at the same time
metaphysics, epistemology, ethics and religious doctrine, persua-
sively demonstrates that axiomatization and scrupulous
mathematical proof are by no means the monopoly of modern
science, and that such techniques could also be used as weapons
by the dogmatists, sophists and scholastics who were the enemies
of modern scientists.

As Max Weber has said,
the mathematically-based natural science of the West is a combina-
tion of two things: rational modes of thought developing out of the
philosophy of ancient Greece; and technical 'experimentation', the
specifically modern element in any naturalistic discipline, which
originated during the Renaissance, and then not at first in the
sphere of science but in the sphere of art. (1978, p. 439)

There is a qualitative difference between the ability to carry out
observations and conduct experiments which will play an essential
part in the progress of science on the one hand, and on the other
the ability to construct a system of hypotheses which will provide
a rational explanation of the results of such observations and ex-
periments and the ability to clarify the logical implications of the
ustemothe ty main nillars of science fact-finding and

1:48 午前  
Blogger yoji said...

Max Weber: Selections in Translation by Weber. Max ( 1978 ) ?

4:56 午後  
Blogger yoji said...

The religion of China: Confucianism and Taoism

5:22 午後  
Blogger yoji said...

思想としての近代経済学

5:33 午後  
Blogger yoji said...

ウェーバーの引用あり

3:52 午前  
Blogger yoji said...

儒教と道教
6:3
254頁

第六章
儒教的生活指針
255
ものの間も



第三節
自然科学的思惟の欠如
254
あったあの性格を保有していたのであった。
第三節
自然科学的思惟の欠如
このようにして、哲学的および神学的論理のほかに、法学的『論理』の発展も存在しなかったし、体系的な自
然主義的思惟の展開 Entfaltung systematischen naturalistischen Denkensもなかったのである。
数学的下部構造をもつ西洋の自然科学は、古代の〔ギリシア〕哲学という土壌のうえに成長した合理的な思
惟形式 rationale Denkformenと、ルネッサンスという土壌のうえに、それも最初は、科学のte野においてでは
なくて芸術の分野において発生した技術的な『実験』technische 》Experiment«との, つまり、あらゆる自然
主義的規律のとくに近代的な要素との、結合である。ルネッサンスの『実験する』高級芸術 die 》experimentierende《 hohe Kunstは, つぎの二つの要素の比類のない結婚の生んだ子供であった。その両要素とは、ひと
つはiceses芸術家たちの.手工業という基礎のうえに生長した経験的な熟練 empirisches Konnenであり、他
は、芸術を『科学』と
同一の地位に高めることによってみずからの芸術には永遠の意義をえ、また自分自身には
社会 声望をえようとするところの,文化史的にまた社会的に制約された、まったく合理主義的な、芸術家たち
の名誉心 Ehrgeiaとであった。このあとの点(つまり、芸術を科学に高めることによって自分自身や芸術その
ものの地位を高める立場)は、まさしく西徉に特殊なことであった。ここに、当時のひとびとが理解した意味で
の、古代への『復帰』》Ruckkehr《 zur Antikeのもっとも強い衝動もひそんでいたのである。
レオナルドによって代表された類型の話かにも,とくに音楽ーーとりわけ十六世紀に仕その実験的鍵盤
Experimentier-Klaviaturen (ツァルリーノ Zarlino 、1517ー1590年、イタリアの音楽評論家、作曲家。安藤・池宮・門倉訳解「音楽社会学」237ー241頁参照])をそなえていたーーは、ルネッサンスの特徴的な芸術的『自然』=概念をもって作業した巨大な努力の中
心点であった。芸術活動の高度な競技的形成のための特別の社会的条件が、このばあいも、古代におけると同様
に、協働していた。さらに、北欧経済の経済的技術的な関心、とりわけ、鉱業の需要が、実験を自然科学のなか
に持ち込むに当たっての精神史的な力を助けた。さらにくわしい事情をここでのべるのは適切ではない。〔が、
ともあれ〕巨匠的に洗練された中国の芸術には、合理主義的な名誉心 Ehrgeiz に駆りたてるあらゆるこうした
起動力 Antriebe (西洋のルネッサンスの意味における)が欠けていたし、支配者層の競技は、家産官僚制の状況
内では,すっかり、受禄者や典籍的な学位取得者たちの競争に終わり、この競争が他のあらゆるものを窒息させ
たのであった。おまけに、産業的資本主義gewerbliche Kapitalismus が比較的に僅かしか発達していなかっ
たことが、経験的技術から合理的技術への移行に必要な経済的な報償を発生せしめなかった。このようにして、 [440]
[中国では〕すべては洗練された経験sublimierte Empirie の域を出なかったのである。

(八)
だからその結果、
中国においては、
生活にたいする官公吏Beamtenschaft
の内在的な態度は、
この官公吏に
固有な実践的合理主義のなかで生命を全うし、また、この官公吏に適合した倫理をつくりだしえたのであった。
tin-この内在的な態度に対しては、なにものも、合理的な科学も、合理的な芸術活動も、合理的な神学·法律
学·医学·自然科学および技術も、神的な権威も、また同格の人間的な権威も、競争者たる地位を占めえなかっ
た、111との官公吏の内在的態度が制限されたのは、ただ、氏族のなか、および鬼神信仰のなかの伝統の力への
顧慮によってだけであった。すぐれて近代的な合理主義の、西洋の文化にとって建設的であった他の諸要素のう
も、あらわれてこなかった"(中国
ちのどれひとつとして、
この中国の官僚主義に対して、
競合的にも支持的に



3:55 午前  
Blogger yoji said...

ウェーバー 数学を使う西欧の自然科学は 合理的思考法と 技術的に実験 古代ギリシャ哲学 成立したのである。

4:10 午前  
Blogger yoji said...

別訳

数学的下部構造をもつ西洋の自然科学は、古代の〔ギリシア〕哲学という土壌のうえに成長した合理的な思
惟形式 rationale Denkformenと、ルネッサンスという土壌のうえに、それも最初は、科学の分野においてでは
なくて芸術の分野において発生した技術的な『実験』technische 》Experiment«との, つまり、あらゆる自然
主義的規律のとくに近代的な要素との、結合である。

4:18 午前  
Blogger yoji said...

エーーー、ハー『\般社 経済史贾ses
<プロイセンの世襲財産問題

「古代ゲルマン人の
「社会科
」、
題」、

ュタムラーの唯物
·
(vi)
「ルードルフ
学のemmoの分野における批判的研究」、
10 ヴ
倫理と経済
一九世紀は科学の時代であったから、ウェーバーもまた、ワルラス同様、何ごとをも科学的
に見ようとしていた。

ウェーバーは『儒教と道教』の中で、次のように科学を規定している。
「数学を使う酉欧の自然科学は、古代ギリシャ哲学から発展した合理的思考法と、ルネッサン
スに始まる技術的に実験するという考え方の、二つを組み合わせることによって成立したので
ある。」アインシュタインも私信の中でこれと全く同じことを述べている。


2)
しかし社会科学の場合、実験は不可能であるから、合理的思考と実験の二つが社会科学の柱
であることはない。ノイマンは経験の源泉を、実験でなく現実の観察に求める。現実の観察が
不充分だと、数学的思弁だけが近親繁殖して、結局その学問は退化してしまうとノイマンは考
える。ウェーバーの社会科学方法論は、このノイマンの精神に合致するような形で展開されて 25
いる。ウェーバー自身、歴史研究と実情調査を精力的に行ない、そのような観察を基にして、

6:31 午後  
Blogger yoji said...



http://www.ustream.tv/recorded/40727153

20121109 安冨歩氏講義「森嶋通夫の人間観に学ぶ」(文化政策・まちづくり大学校 特別講義)
4年前 884 視聴数
2012年11月9日(金)、京都市下京区の文化政策・まちづくり大学校(通称:市民大学院)において、「森嶋通夫の人間観に学ぶ」と題した特別講義が開かれた。講師は安冨歩氏(東京大学東洋文化研究所教授)が務めた。森嶋通夫氏(故人)は、大阪大学名誉教授や英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授などを歴任し、日本人が唯一受賞していないノーベル経済学賞の有力候補と目された、世界的な経済学者である。特別講義を開いた同校は、文部科学省に大学等設置認可を申請中の大学校で、産官学の社会人による対話と社会貢献を重視した、「寺子屋型の大学院教育」を提唱している。  講義の冒頭、大学設立準備室室長を務める池上惇氏(京都大学名誉教授)が挨拶した。池上氏は、森嶋氏の研究論文や著書を、夫人の森嶋瑤子氏(数学者)から寄贈を受け、同校にて「森嶋文庫」を開設していることや、森嶋氏による経済学を考察する「森嶋学」の授業を隔週で実施していることなどを説明した。続いて、安冨氏は、京都大学大学院在籍時にマルクス経済学とケインズ経済学を学んでいた際、森嶋氏の著書を読んで感銘を受けたことや、講師として招聘した森嶋氏から講義を受けたことなどを、瑤子氏とともに振り返った。また、安冨氏は、森嶋氏が最初に出版した英語版の書物に注釈を付けたことがきっかけに、英訳をたびたび手伝うようになり、やがて「森嶋先生の弟子」と自称するほどに関係を深めていくようになった経緯を語った。 記事詳⇒http://iwj.co.jp/wj/open/archives/39444

11:16 午後  
Blogger yoji said...

https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/list.cgi?q=%E6%A3%AE%E5%B6%8B%E9%80%9A%E5%A4%AB&sc=on&so=&nod=&lib_nod_op=AND&fy=&fm=&fd=&ty=&tm=&td=&np=10&cal_edit=&or=&o=1&hitCount=0

ニッポンの実力 海外在住日本人からの年賀状 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月06日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 1 近代経済学と私 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月13日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 2 ワルラス 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月20日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 3 ワルラス 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年07月27日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 4 シュンペーター 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月03日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 5 ヒックス 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月10日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 6 高田保馬 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月17日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 7 ヴィクセル 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月24日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 8 ウェーバー 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年08月31日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 9 ウェーバー 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年09月07日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 10 シュンペーター 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年09月14日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 11 パレート 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年09月21日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 思想としての近代経済学 12  <終> パレート 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年12月27日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 特別シリーズ「対談・国家とは何か」 1 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1993年12月28日
午後11:00
教育テレビ NHK人間大学 特別シリーズ「対談・国家とは何か」 2 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1997年12月05日
午後10:45
教育テレビ 金曜フォーラム 知の創造と大学の未来像  ~京都大学創立百周年記念シンポジウムから~ 番組詳細番組表ヒストリー当時の番組表
1998年09月28日
午後09:50
教育テレビ 視点・論点 いまなお英国に学ぶこと

11:27 午後  
Blogger yoji said...

テレビではケインズは扱っていない

森嶋通夫はミーゼスに批判的

3:53 午後  
Blogger yoji said...

5つ星のうち5.0近代経済学史の森嶋的解釈
2018年2月28日
形式: 新書Amazonで購入
NHK教育テレビ「人間大学」講座(1993)のテキストをベースにした近代経済学史である。森嶋氏はイギリスで活躍した著名な経済学者であるが、1980-1990年代には、日本経済をめぐってさまざまな有益な提言も行ってきた。中道リベラルとも言える、その姿勢は純粋(新古典派的)経済学者とは立ち位置を異にする、マックス・ウエーバーやシュムペーターら社会学者の知見を大幅に取り入れたものだった。

本書においても、これらの社会学者の学説紹介に紙面を割いている。終章において著者は、現代の資本主義経済のありようについて、「近代的な資本主義は、狭い意味での「資本主義」部門と福祉、教育部門の複合体であり、両者は必ず対をなして存在していなければならない。(略)混合経済こそが永続可能な資本主義経済であり、純粋「資本主義」経済は欠陥体制である。」と指摘したうえで「資本主義」部門と福祉部門はバランスを保って発展しなければならないとしている。

残念ながらアメリカを制し、周回遅れで日本に浸透した新自由主義・市場原理主義にはこうした混合経済に対する視座を失い、「経済学を学ぶと自己中心的になる」(スティグリッツ)という悲惨な現況をつくりだした。本書ではこうした新自由主義・シカゴ学派の源流として、フォン・ミーゼスの理論に2章を割き、徹底的な批判を加えている。

読みやすく、かつ論理明快であり、経済学を学ぼうとする学生にも今なお有益な書だと考える。
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5つ星のうち5.0社会学の視点を導入した経済学の必要性を説く
2015年5月1日
形式: 新書Amazonで購入
著者の森嶋通夫(1923-2004年)は、ノーベル経済学賞の候補にも何度か名前が挙がっていて、「ノーベル経済学賞に最も近かった日本人」と言われています。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)名誉教授・元LSE Sir John Hicks Professor、大阪大学名誉教授で、LSEでは、1978年に Suntory Toyota International Centres for Economics and Related Disciplines (STICERD) という研究所の設立に貢献し、初代所長に就任しました。数理経済学者として、レオン・ワルラス、カール・マルクス、デヴィッド・リカードなどの理論の動学的定式化に業績を残しました。
本書では、何故、現実の経済を分析するのに経済学だけでは足りないのかについて、リカード、ワルラス、シュンペーター、ヒックス、高田保馬、ヴィクセル、マルクス、ウェーバー、パレート、フォン・ミーゼス、ケインズといった経済学者の業績と思想を振り返り、経済学において現実を反映した理論を構築するためには、社会学の視点を導入する必要があると結論付けています。
著者によれば、近代の資本主義は、狭義の資本主義部門と福祉・教育部門の複合体であり、二つの部門は必ず対をなして存在し、バランスを保って発展しなければならず、一方を欠く場合には、他方は長期にわたって存続することは難しくなります。もし福祉部門が過大になれば、資本主義部門はそれを支えることができず、その結果、福祉部門を縮小し過ぎると、資本主義部門に対する批判が高まり、資本主義を維持するためにも、福祉の拡大を認めざるを得なくなるということです。即ち、近代資本主義は両者のバランスの上に初めて存命できるのであって、純粋な「資本主義」経済は欠陥体制であると言っています。
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Mkengar
ベスト1000レビュアー
5つ星のうち5.0知的になれる本
2004年12月16日
形式: 新書Amazonで購入
本書はリカードからケインズに至るまでの「セイ法則時代」に登場する数々の大社会経済学者を紹介した本である。近代経済学がどのようなフレームで発展し、どのような視点が生み出されたかが森嶋氏によって簡潔明瞭に記述されている。「供給はそれ自体の需要を生み出す」というセイ法則が経済発展に伴って世迷い事になり、反セイ法則時代であることを非常にわかりやすく解説してある。その意味で、本書は大経済学者の紹介寄せ集めだけでなく、全体を通してセイ法則がなぜ間違っているか一貫して解説した本とも言える。
古典を読んだことのない経済学部生や21世紀の経済学のあり方を模索されている方、また経済学に対して色々な意味で違和感を感じておられる方に本書をお薦めします。下手な大学の講義より何倍も役に立ちます。
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けるよ
5つ星のうち4.0あるべき経済学への想い。
2009年7月6日
形式: 新書Amazonで購入
本書は、近代経済学の形成について、リカードを初め著者の選ぶ11人の経済学者を
取り上げ、その考え方や問題点を著者の視点から検討していくものです。本文にも
あるように、恐らく一般的な経済学史とは若干異なる展開の仕方であるようです。

著者の基本的スタンスだと思われますが、これからの経済学は社会学など他の分野と
の統合なしでは、現在の複雑な状況に対応しきれないという考えから、社会学的要
素の強い人物を主に取り上げているようです。

読んだ人の誰もが注目するのが、「セイの法則」の果たした役割であり、それが、経済
理論と現実の経済との乖離を生み出し、経済学の発展の障害となっていたようです。
ケインズの指摘によって初めて認識され、その後の経済学の発展へと繋がるとのこと。

著者はケインズを、相当高く評価していることが窺えますが、それは、経済学者と
いうよりも、その一貫した政治的態度の崇高さによるものであり、恐らくこれは、
著者の経済学への考えも反映されていると思われ、マーシャルの言葉とケインズの
行動から、「経済学者に必要なものは、冷たい理性と暖かい心、そして勇気である」
ということを述べています。
ここから、著者の理想とする経済学への想いが伝わってきます。

著者の結論として、資本家のみを優遇する社会体制では、それ以外の人たちの反感を
買い、必ずその体制は崩壊するため、資本主義経済の維持発展には福祉部門を包含す
る混合経済であるべきだとし、また社会主義では、有能な経営者の不足と、社会主
義的搾取という、需要に関係なく人々に不用な労働を強いる状況などの非効率性を指
摘し、社会学的視点の経済学を拡充する必要性を強調します。

そして、国家体制についても、民族国家は縮小し、欧州連合的な国境を越えた広域連合
体の成立を予言しており、それに見合った経済学の登場を要請しています。

本書は、一般的経済学とは異なる見解も幾分含まれているようであり、経済学にある
程度馴染みがないとその違いもわからず、内容的にも専門的用語や経済理論があまり
解説もなく使われたりするため、理解し辛いところも少なくありません。

そういう意味で、私的にはあまり初心者向きとは思われませんが、近代経済学形成の
一つの視点を得られることや、セイ法則の影響の重要性、そしてケインズの偉大さを再
認識するという意味でも、著者の経済学への想いのこもった、意義深い本だと思われます。



8:49 午前  
Blogger yoji said...

レンタル、減価償却の分析によってセイの法則は不成立と説く
生産者は弱いと言うわけだ

だがこれは標準商品が確立していないからという前提のもとでの結論だ

8:52 午前  
Blogger yoji said...

多分減価マネーにしか答えはない

4:30 午後  
Blogger yoji said...

fly mathematical model General Competitive Analysis airplane Frank Hahn

The Nobel Factor: The Prize in Economics, Social Democracy, and the Market Turn

前表紙
Avner Offer, Gabriel Söderberg
Princeton University Press, 2016/10/03 - 344 ページ
0 レビュー

Economic theory may be speculative, but its impact is powerful and real. Since the 1970s, it has been closely associated with a sweeping change around the world—the "market turn." This is what Avner Offer and Gabriel Söderberg call the rise of market liberalism, a movement that, seeking to replace social democracy, holds up buying and selling as the norm for human relations and society. Our confidence in markets comes from economics, and our confidence in economics is underpinned by the Nobel Prize in Economics, which was first awarded in 1969. Was it a coincidence that the market turn and the prize began at the same time? The Nobel Factor, the first book to describe the origins and power of the most important prize in economics, explores this and related questions by examining the history of the prize, the history of economics since the prize began, and the simultaneous struggle between market liberals and social democrats in Sweden, Europe, and the United States.

The Nobel Factor tells how the prize, created by the Swedish central bank, emerged from a conflict between central bank orthodoxy and social democracy. The aim was to use the halo of the Nobel brand to enhance central bank authority and the prestige of market-friendly economics, in order to influence the future of Sweden and the rest of the developed world. And this strategy has worked, with sometimes disastrous results for societies striving to cope with the requirements of economic theory and deregulated markets.

Drawing on previously untapped Swedish national bank archives and providing a unique analysis of the sway of prizewinners, The Nobel Factor offers an unprecedented account of the real-world consequences of economics—and its greatest prize.

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書籍のプレビュー »

(PDF) The Conceptual Flaw in the Microeconomic Foundations of ...
www.researchgate.net/.../324960485_The_Conceptual_...
2018年11月21日 ... Article (PDF Available) in Review of Political Economy ... The Hahn problem reveals three things. First .... Hahn (1980, 1981, 1982, p.1) then consistently ... or Arrow-Debreu GE model to a mock-up of an aircraft an engineer.

12:06 午前  
Blogger yoji said...

 Hahn likened the Walrasian or Arrow-Debreu GE model to a mock-up of an aircraft an engineer might build and expressed amazement that economists were passing it off as an airworthy craft on which politicians, commentators and bankers were scrambling to get seats.



“This at a time when theorists all over the world have become aware that anything based on this mock-up is unlikely to fly, since it neglects some crucial aspects of the world, the recognition of which will force some drastic re-designing” (Hahn 1981, p. 1036).


Similarly, Hahn (1982: xi) regarded the theory as no more than ‘scaffolding’. Clearly, scaffolding should not be confused with foundations.

Review of Economic Studies 40 (4): 449-461.Hahn, F. H. 1980. ‘General Equilibrium Theory.’ The Public Interest 58: 123-128.

Hahn, F. H. 1981. ‘Review of A neoclassical Analysis of Macroeconomic Policy’, by MichaelBeenstock, Economic Journal 91: 1036-1039.

https://www.researchgate.net/publication/324960485_The_Conceptual_Flaw_in_the_Microeconomic_Foundations_of_Dynamic_Stochastic_General_Equilibrium_Models







12:09 午前  
Blogger yoji said...


https://www.jstor.org/stable/2232512?seq=1#page_scan_tab_contents
JOURNAL ARTICLE
Review

Reviewed Work: A Neoclassical Analysis of Macroeconomic Policy by Michael Beenstock
Review by: F. H. Hahn
The Economic Journal
Vol. 91, No. 364 (Dec., 1981), pp. 1036-1039
Published by: Wiley on behalf of the Royal Economic Society
DOI: 10.2307/2232512
https://www.jstor.org/stable/2232512
Page Count: 4

12:13 午前  
Blogger yoji said...

I have always regarded Competitive General Equilibrium analysis as akin to the mock-up an aircraft engineer might build. My amazement in recent years has accordingly been very great to find that many economists are passing the mock-up off as an airworthy plane, and that politicians, bankers, and commentators are scrambling to get seats. This at a time when theorists all over the world have become aware that anything based on this mock-up is unlikely to fly, since it neglects some crucial aspects of the world, the recognition of which will force some drastic redesigning. Moreover, at no stage was the mock-up complete.⁶⁶
[...]

Excerpt from: "The Nobel Factor: The Prize in Economics, Social Democracy, and the Market Turn" by Avner Offer. Scribd.
This material may be protected by copyright.

Read this book on Scribd: https://www.scribd.com/book/360540393

12:27 午前  
Blogger yoji said...

私は常に競争一般均衡分析を、航空機技術者が作り上げるかもしれないモックアップと同じように見なしてきました。 近年の私の驚きは、多くのエコノミストがこのモックアップを耐空機として渡していること、そして政治家、銀行家、そしてコメンテーターが議席を奪うために混乱していることを発見することに非常に素晴らしかった。 世界中の理論家がこのモックアップに基づいたものは飛べそうにないことに気付いていたとき、これは世界のいくつかの重要な側面を無視しており、その認識は劇的な再設計を余儀なくさせるでしょう。 さらに、モックアップが完了した段階はありませんでした。
[...]

抜粋:「ノーベルファクター:経済学、社会民主主義、および市場の転換における賞」 - Avner Offerによる。 走り書き。
この素材は著作権によって保護されている可能性があります。

Scribdでこの本を読む:https://www.scribd.com/book/360540393

12:30 午前  
Blogger yoji said...


推薦図書
教科書
経済学入門(第3版)2015 | 金子 昭彦, 田中 久稔, 若田部 昌澄 Kindle
『ミクロ経済学の力』神取道宏 著(2014年)kindle
レヴィット ミクロ経済学 基礎編 | 東洋経済
ちなみにレヴィットは以下が有名
https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWTLCS/ ヤバい経済学 (字幕版)
テーマはインゼティヴ(誘因)。やりがいや成功報酬のこと。

新書
森嶋通夫『思想としての近代経済学』(岩波新書 新赤版321)
経済数学入門の入門 (岩波新書) 新書 – 2018/2/21 田中 久稔 (著)
長沼伸一郎『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』
根井雅弘『「ケインズ革命」の群像』

ラヴォア『ポストケインズ派経済学入門 』(株式会社ナカニシヤ出版)
カレツキに触れた上の2冊は貴重

行動経済学
『行動経済学 : 感情に揺れる経済心理』中央公論新社 依田高典 2010)
セイラー教授の行動経済学入門 | リチャード・セイラー, 篠原 勝 2007
https://www.amazon.co.jp/dp/4478002630/
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』
2017年ノーベル経済学賞受賞 リチャード・セイラー(行動経済学)
マネー・ショート華麗なる大逆転 より
Richard H. Thaler
The Big Short (2015) - Mark Baum (Steve Eisman) Meets a CDO Manager [HD ...
https://youtu.be/A25EUhZGBws?t=3m31m
https://video.twimg.com/ext_tw_video/917344233928802304/pu/pl/be6NBg9k6_68LVJJ.m3u8


図解
図解 使えるマクロ経済学 (中経出版) | 菅原 晃 ( kindleあり)
まんがDE入門経済学 西村和雄 (1999)
(野球ネタが多い)
岩波文庫、
宇野弘蔵『経済原論』
ヒッグス
ケインズ


番外編
ピケティ『21世紀の資本』統計の勝利、マンキューマクロ併読を薦める
越村 信三郎『マルクス主義計量経済学―労働価値説体系への行列および行列式理論の応用に関する一研究』 (1961年)
古い本だが経済学史の興味深い分類方がある
岩村充他『新しい物価理論』入手困難だが推薦

5:52 午後  
Blogger yoji said...

198 名無しさん@お腹いっぱい。[] 2019/01/25(金) 01:18:32.49 ID:32daU7ye
やたら数式を使ってあるのも衒学趣味の一種だよ。
経済学における数式の濫用を森嶋さんや置塩さんや
最近ではポール・ローマさんらがmathinessとか言って嘆いていた。

9:02 午前  
Blogger yoji said...

8森嶋は 、数理経済学の本を二つに大きく分けた 。一つはドブリュ ーのように本文中に数式を展開していくというフランス式であり 、もう一つは本文中では極力数学は使わず 、数式は文末の付録で展開するというイギリス式である 。サミュエルソンは後者に分類されるであろう 。そして 、森嶋はイギリス式が好ましいとしており 、自分もそう書きたいがなかなか難しいと言ってみせるのである 。 『森嶋通夫著作集 (別巻 ) 』 (岩波書店 、二〇〇五年 )一七六ペ ージおよび三〇六ペ ージ 。

8:42 午後  
Blogger yoji said...

根井雅弘『ノーベル賞…』
実は 、ヒックスに非常に大きな影響を受け 、日本人で最初のノ ーベル経済学賞を受賞するのではないかと言われていた人物に 、森嶋通夫がいる 。彼は 、今とは違って海外の文献がなかなか手に入らない時期に 、遠く異国の地で数理経済学が花開いているのを眺め 、日本で独自に研究を続けていた 。その彼は 、サミュエルソンの 『基礎 』にはたいした印象は受けず 、役に立つか立たぬかがわからない 、ありとあらゆる道具が展覧されている 「玩具箱を引っ繰り返したような書物 」と評価している 8 。

8:44 午後  
Blogger yoji said...




http://www.snsi.jp/tops/kouhou/2037

副島隆彦(そえじまたかひこ)の学問道場 - 今日のぼやき(広報)

 SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦です。今日は2018年4月30日です。

 本日は、副島隆彦先生の最新刊『今の 巨大中国は 日本人が作った』(副島隆彦著、ビジネス社、2018年4月28日)をご紹介いたします。本作は副島先生の11冊目の中国研究本となります。大型連休中盤までに全国の大型書店に配本されます。今の巨大中国は日本が作った
 本書には中国の政治と経済の最新情報と副島先生による大発見がたくさん書かれています。私が大変驚いたのは、タイトルである「今の巨大中国は日本人が作った」につながる第3章「今の巨大な中国は日本人学者が作った」の部分です。

 中国の現在の発展の礎を築いたのは鄧小平です。鄧小平は、1970年代に改革開放路線を推進することを決断しました。そして、ヘンリー・キッシンジャーの助言に従って、多くの優秀な若者をアメリカに留学させました。日本も幕末から明治初期にかけて優秀な若者たちを欧米に留学させました。これとよく似ています。

ニューヨーク訪問中の鄧小平(右)と会談中のヘンリー・キッシンジャー(真ん中)

 いくら優秀とは言え、生活様式が全く違い、英語もほぼ話せない、聞き取れない中国からの留学生たちは大変苦労したと思います。人種差別も経験したことでしょう。中国で習った政治学や経済学の知識など全く役に立たなかったことでしょう。そもそもその数年前まで文化大革命が約10年間猛威を振るい、勉強どころではなかったのですから、中国人留学生は知識も経験もほぼ何もないままアメリカに放り出されてしまいました。

 幕末から明治初期にかけて日本から欧米に留学した若者たちの中にも自信を喪失して発狂した者、勉強を頑張りすぎて過労で亡くなる者が多く出ました。こうした無名の人々の犠牲は日本が近代化をするためにはやむを得ないものでした。中国人留学生たちも似たような状況だったと思います。

 そうした中国人留学生たちの「バイブル」となったのが森嶋通夫(もりしまみちお、1923-2004年)LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)教授が英語で書いた『マルクスの経済学(Marx’s Economies)』(1973年)でした。先生となる人の役目というのは難しいことを初めて学ぶ人に分かりやすく教えるということです。『マルクスの経済学』を通じて、中国人留学生たちは経済学の基礎を学ぶことが出来ました。

青木昌彦と森嶋通夫

 そして、青木昌彦(1938-2015年)スタンフォード大学教授もまた、中国人留学生たちの「恩人」「恩師」となりました。アメリカのサンフランシスコ郊外にある名門大学スタンフォード大学で、青木昌彦教授は中国人留学生に熱心に近代経済学を教えたということです。

 この両者の「弟子」の代表が、現在の中国の習近平体制を支える、王岐山(おうきざん、1948年―)国家副主席、王滬寧(おうこねい、1955年―)中央政治局常務委員・中央書記処書記・中央精神文明建設指導委員会主任、周小川(しゅうしょうせん、1948年―)中国人民銀行(中央銀行)総裁です。

王岐山、王滬寧、周小川

 森嶋、青木両教授は「日本人でノーベル経済学賞をもらうならこの人」というほどの経済学者でしたが、残念ながらノーベル経済学賞を受賞することはできませんでした。しかし、両教授の業績は21世紀の中国の勃興という形で姿を現しました。

12:15 午前  

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