水曜日, 9月 05, 2018

経路依存性(path dependence)クルーグマン



               (経済学リンク::::::::::
クルーグマン/マンキュー/スティグリッツ/サミュエルソン:メモ
NAMs出版プロジェクト: 空間不可能性定理(空間経済学)
http://nam-students.blogspot.jp/2016/09/blog-post_9.html
NAMs出版プロジェクト: 経路依存性(path dependence)クルーグマン
NAMs出版プロジェクト: Thorstein Veblen, 1857-1929.
ダグラス・ノース




 2008年にノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンの産業立地論は、経路依存性(path dependence)に関連している。

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行伸他訳 [Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]



  

《 1895年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン・エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフト*が施されて(tufted)おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は18世紀から19世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位20社のうち、6社がダルトンに集中している。残りの14社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は1万9千人にのぼっている。
 …ここで明らかにしておきたいことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁



[プロビデンス:]



《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン・アダムス・ダギール
(John Adams Dagyr)が1750年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る)は、1794年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、1820年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
とである。シリコン・バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁



《…ポール・デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

以下は訳者あとがきより、
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー・フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家・実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン・アダムズ・ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史のそれに通ずるものがある。つまり、こういった人物を紹
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフトとは、生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。



**
集積(locking in)

***
マーシャルは、1842年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
1924年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****

David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.


参考:
ポール・クルーグマン『経済政策を売り歩く人々 -エコノミストのセンスとナンセンス』
 [Peddling Prosperity,1994] 
監訳:伊藤隆敏 訳:北村行伸/妹尾美起 日本経済新聞社1995/ 9
 ちくま学芸文庫 2009/3
 ____






QWERTY経済学
『経済政策を売り歩く人々 -エコノミストのセンスとナンセンス』 Peddling Prosperity[1994] 
監訳:伊藤隆敏 訳:北村行伸/妹尾美起 日本経済新聞社1995/ 9

第9章 QWERTY経済学より、
《一九八〇年代の初頭に、ポール・デイビッドと彼のスタンフォード大学での同僚であるブライアン・
アーサー(Brian Arthur)は「なぜQWERTYUIOPでなけばならないのか」という疑間を持つと、
まもなくこの問題には深遠な意味があることに気づいた。「クリオとQWERTY経済学」(原題Clio
and the Economics of QWERTY) (原注*)という表題で一九八二年に発表された論文程の中で、デイ
ビッドはQWERTYキーボードを新しい経済観のシンボルとして用いた。保守派経済学が政治的勝利
を収めている間にも、この経済観は静かにではあるが支持を増やしつつあった。

(David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 クリオ(Clio)とはギリシャ神話の中の歴史の女神である。)

  • Arrow, Kenneth J. (1963), 2nd ed. Social Choice and Individual Values. Yale University Press, New Haven, pp. 119–120 (constitutional transitivity as alternative to path dependence on the status quo).
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E8%B7%AF%E4%BE%9D%E5%AD%98%E6%80%A7

経路依存性


経路依存性(けいろいぞんせい、path dependence)は人々が任意の状況で直面する決定の集合が、過去の状況がもう関係なくなっているとしても、人々が過去にした決定や経験した出来事にどのように制限されているかについての説明である。[1]
経済学社会科学において、経路依存は時間内の単発の結果またはプロセスの長期均衡のどちらかを指す。通常の使われ方では、経路依存性は以下のどちらかを指す。
  1. 広義では「歴史は重要である」、[2]または
  2. 小さな違いの予測できる増幅は将来の状況の不釣り合いな原因であり、「強く」言えば、歴史的遺物は非効率である。 [3]
最初のAの用法では、「歴史は重要である」というのは多くの文脈で自明に真である。すべてのものには原因があり、そして時に違う原因は違う結果を生む。この文脈では、ファイナンスにおける経路依存性のオプションのように歴史の影響が標準的でない英語版とみなされているところとは違って、過去の状態の直接の影響は注目に値しないかもしれない。[4]
狭い概念であるBが、最も高い説明力を持ち、この記事で解説される。

経済学


経路依存性理論はもともと経済学者が技術適応プロセスと産業進化を説明するために開発された。理論的アイデアは進化経済学に強い影響を与えた。[5]
経済プロセスが一定の事前決定されたユニークな均衡に向かって着実に進まない多くのモデルや経験的ケースがあるが、達成される均衡の性質は部分的にそこに到達するプロセスに依存する。したがって、経路依存プロセスの結果は、しばしば固有の平衡に向かって収束することはないが、代わりにいくつかの平衡(時には吸収状態として知られる)の1つに到達する。
この経済発展に対するダイナミックな視点は新古典派経済学の伝統とは大きく異なり、新古典派の最もシンプルな見方では初期の条件や一時的な出来事にかかわらず一つの結果だけが可能性としてもたらされるとした。経路依存性があると、スタート地点と「偶然」の出来事(ノイズ)が最終的な結果に対して大きな影響を持つ。次の例のそれぞれにおいて、不可逆的な結果を伴って進行中のコースを邪魔したいくつかのランダムなイベントを特定することができる。
  • 経済発展の分野では(1985年にポール・デイビッド英語版により)[6]最初に市場に現れた「標準」は(コンピュータ時代でもなお使われているタイプライター時代のQWERTYキーボードレイアウトのように)定着することができると言った。彼はこれを経路依存性と呼んだ、[7]そして、劣った標準が自身の作り上げたレガシーシステムによって持続することがあると言った。QWERTY対Dvorakはその現象の例であるという説は、何度も主張され、[8]疑問視され、[9]議論され続けている。[10]標準がどのように作られるかについての経路依存性の重要性についての経済論争は続いている。[11]
  • アダム・スミスからポール・クルーグマンまで、経済学者は似たビジネスは地理的にかたまりとなって集まる傾向があると言ってきた。近くと似たビジネスを起こすことはそのビジネスのスキルをもった労働者を惹きつけ、熟練労働者を求めるビジネスをもっと惹き付ける。産業が発展する前に、特定の場所を他の場所よりも選好する理由は何もないかもしれないが、地理的に集中してくるにつれて、他の場所にいるビジネスの参加者は不利になり、ハブに移るようになり、その場所の相対的な効率性を増加させる。このネットワーク効果は理想化されたケースでは統計学的な冪乗則に従うが、[12](地域のコストの上昇に伴い)ネガティブ・フィードバックが起きることもある。[13]
  • 売り手は買い手の周りに集まることが多く、そして関連したビジネスはビジネスクラスター英語版を形成することが多い。よって、(初期においては偶然と集まりによって)生産者が集まることは、同じ地域において相互依存したビジネスの出現の引き金を引くことになることがある。[14]
  • 1980年代、米ドル為替相場が上昇し、輸出入可能な商品の世界価格が多くの(以前は成功していた)米国の製造業者の生産コストを下回った。結果として閉鎖した工場の一部は、ドル相場の下落のあとにキャシュフロー利益で運営できたかもしれないが、再稼働はコストが高すぎた。これはヒステリシススイッチング・コスト、そして不可逆性の例である。
  • もし経済が適応的期待英語版に従うなら、将来のインフレーションは過去のインフレを伴う経験に部分的に決定される。経験が予想インフレを決め、そして予想インフレが実現したインフレの主な決定要因だからである。
  • 不況期の一時的な高い失業率は、失業者のスキルの損失(やスキルの陳腐化)やそれに伴う勤務態度の劣化により、永久に高い失業率をもたらすことがある。言い換えると、周期的失業は構造的失業を生むかもしれない。この労働市場構造的履歴現象モデルは自然失業率(NAIRU)の予測とは違い、「周期的」失業は「自然」率自体には影響せずに動くと言われている。
LiebowitzとMargolisは経路依存性をいくつかのタイプに区別する。[3]非効率性を示唆しないタイプもあれば、新古典派経済学の政策的含意に挑戦しないタイプもある。「三度」の経路依存性ーつまりスイッチングの利益が大きく、移行は実用的ではないーだけが新古典派に挑戦する。彼らは、理論的な理由からそのような状況はまれであり、実際の世界において、私的ロックインの非効率性は存在しないとする。[15]VergneとDurandは、経路依存性の理論を経験的にテストできる条件を特定することによりこの批判を適切であるとした。[16]
技術的には、経路依存性の確率過程はそれ自身の歴史過程の(関数としての)結果として進化する漸近分布英語版を持つ。[17]これは非エルゴード英語版確率過程とも呼ばれる。
エディス・ペンローズは、『会社成長の理論』(The Theory of the Growth of the Firm)(1959)の中で、有機的そして買収を通じた会社の成長がその会社の経営者の経験とその会社の発展の歴史に強く影響されていることを分析した。

歴史


比較政治および社会学における最近の方法論的研究は、経路依存性の概念を政治的および社会的現象の分析に適用した。経路依存性は、社会的だろうと、政治的だろうと、文化的だろうと、制度の発展と持続性の比較歴史的分析にまず用いられてきた。おそらく2つのタイプの経路依存性プロセスがある。
決定的合流点フレームワークは、国々の間でとりわけ、福祉国家の発展と持続、ラテンアメリカにおける労働法人、そして経済発展の変動を説明するために使用されてきた。キャスリーン・セレンなどの学者は経路依存性フレームワークに含まれる歴史的決定論は、制度的進化からの絶え間ない破壊の対象になると警告する。

社会科学


ポール・ピアソンの政治科学において経路依存性を厳密に定式化しようとする影響力を持った試みは、経済学からアイデアを部分的に持ってきている。ハーマン・シュワルツはこの努力に疑問を呈しており、経済学の文献で特定された力は、権力の戦略的な行使によって制度を作りそして変えることができる政治的領域には広まっていないとする。
緊急戦略の経路依存性は、個人およびグループに対する行動実験で観察されている。[19]
社会学組織論などの社会学において、経路依存とは区別されるが密接に関連する概念として、「刷り込み」がある。刷り込みは初期の環境条件がどのように永続的な印を組織や組織の集合(産業やコミュニティー)に押すかを扱う。刷り込みは、外部環境条件が変わったとしても長期的に組織行動や結果を形作り続ける。[20]

他の例


  • 経路依存性の一般的なタイプは形式学的痕跡である。
    • 例えば、タイポグラフィにおいて、習慣が存在するための理由がなくなったとしても、その習慣が継続することがある。例えば、アメリカのスペリングにおいて引用符(quotation)の中にピリオドを書くことなどである。活字において、コンマやピリオドなどの文の終わりの句読点は、比較的小さくて繊細だった(適切なカーニングで(小文字の)xの高さ英語版である必要があった)。単語が行の中または行間を移動する必要がある場合、完全な高さの引用符を外に置くと、より小さな金属の活字が損害から保護される。ピリオドが引用されるテキストに属していなくても、これは実行される。
  • 進化は経路依存性だと考える人がいる。過去に起きた突然変異は、現在の状況では非適応かもしれなくても、現在の生命の形態に長期的に影響している。例えば、パンダの親指が進化上残った形質かどうかについての論争がある。
  • コンピュータソフトウェアの市場では、レガシーシステムが経路依存性を示す。現在の市場の顧客のニーズは、過去の世代の製品のデータを読み込んだりプログラムを走らせることを含むことが多い。よって、例えば、顧客は単にベストのワードプロセッサーを必要とするのではなく、むしろ、Microsoft Wordのファイルを読み込める中でベストのワードプロセッサーを必要とするかもしれない。そのような互換性に関する制限はロックインに繋がり、あるいはもっと微妙に、互換性を保つために、独立して開発されたプロダクトに対して妥協することがある。3E戦略を参照。

関連項目



脚注


  1.  Definition from "Our Love Of Sewers: A Lesson in Path Dependence", Dave Praeger, 15 June 2008.
  2.  Liebowitz, S.; Margolis, Stephen (2000). Encyclopedia of Law and Economics. p. 981. ISBN 978-1-85898-984-6. "Most generally, path dependence means that where we go next depends not only on where we are now, but also upon where we have been."
  3. a b Liebowitz, S.; Margolis, S. (September 2000). Bouckaert, Boudewijn; De Geest, Gerrit. eds. Encyclopedia of Law and Economics, Volume I. The History and Methodology of Law and Economics. Cheltenham: Edward Elgar. p. 985. ISBN 978-1-85898-984-6 2010年5月20日閲覧. "path dependence can be weak (the efficiency of the chosen path is tied with some alternatives), semi-strong, (the chosen path is not the best but not worth fixing, or strong (the chosen path is highly inefficient, but we are unable to correct it)."
  4.  Bellaïche, Joël (2009). “On the path-dependence of economic growth” (PDF). Journal of Mathematical Economics 46 (2): 178. doi:10.1016/j.jmateco.2009.11.002.  オリジナルの2010-06-24時点におけるアーカイブ。. The standard economic growth rate measurements are path-dependent, and "the phenomenon of dependence of history might be ignored for short period of time (10 years, 20 years), but is not negligible for secular comparisons."
  5.  Nelson, R; Winter, S (1982). An evolutionary theory of economic change. Harvard University Press
  6.  Stack, Martin; Gartland, Myles (2003). “Path Creation, Path Dependency, and Alternative Theories of the Firm”. Journal of Economic Issues 37 (2): 487. "Paul David and Brian Arthur published several papers that are now regarded as the foundation of path dependency (David 1985; Arthur 1989, 1990)."
  7.  Paul David (May 1985). “Clio and the Economics of QWERTY”. American Economic Review 75 (2): 332–337. JSTOR 1805621. "In such circumstances "historical accidents" can neither be ignored, nor neatly quarantined for the purpose of economic analysis" Direct PDF link
  8.  Diamond, Jared (April 1997). “The Curse of QWERTY”Discover Magazine.
  9.  Liebowitz, S. J.; Margolis, S. E. (April 1990). “The Fable of the Keys”. Journal of Law and Economics (Blackwell Publishers) 30: 1–26. doi:10.1086/467198SSRN 1069950. "we conclude that QWERTY is about as good a design as any alternative"
  10.  David, Paul A. (5–12 September 1999). “At Last, a Remedy for Chronic QWERTY-skepticism!”. European Summer School in Industrial Dynamics (ESSID). l'Institute d'Etudes Scientifique de Cargèse (Corse), France
  11.  Puffert, Douglas (2008年2月10日). “Path Dependence”. 2010年5月20日閲覧。
  12.  D'Souza, Raissa M. (2007). “Emergence of Tempered Preferential Attachment from Optimization”Proc. Natl. Acad. Sci. USA 104 (15):  6112–6117doi:10.1073/pnas.0606779104PMC1839059.
  13.  Jennen, M.; Verwijmeren, P. (2009). “Agglomeration Effects and Financial Performance”. Urban Studies 47 (12):  2683–2703doi:10.1177/0042098010363495. ssrn 1009226.
  14.  Jen Nelles, Allison Bramwell and David Wolfe (2005). Global Networks and Local Linkages: The Paradox of Cluster Development in an Open Economy. Montreal and Kingston: McGill-Queens University Press for Queen's School of Policy Studies. p. 230. ISBN 978-1-55339-047-3 2010年5月20日閲覧。
  15.  Stephen E. Margolis. “Path Dependence 4. Evidence for Third-Degree Path Dependence”. 2010年5月20日閲覧。 “Our reading of the evidence is that there are as yet no proven examples of third degree path dependence in markets.”
  16.  Vergne, J. P.; Durand, R. (2010). “The Missing Link Between the Theory and Empirics of Path Dependence: Conceptual Clarification, Testability Issue, and Methodological Implications”. Journal of Management Studies 47 (4): 736. doi:10.1111/j.1467-6486.2009.00913.x. "In particular, we suggest moving away from historical case studies of supposedly path-dependent processes to focus on more controlled research designs[,] such as simulations, experiments, and counterfactual investigation.""
  17.  David, Paul (2005). Evolution and path dependence in economic ideas: past and present. Edward Elgar. p. 19. ISBN 978-1-84064-081-6. "as generally is the case for branching processes [in Path dependence, its critics and the quest for 'historical economics']"
  18.  Page, Scott E. (January 2006). “Path dependence”Quarterly Journal of Political Science (Now Publishing Inc.) 1 (1): 88. doi:10.1561/100.00000006. Pdf.
  19.  Egidi, Massimo; Narduzzo, Alessandro (October 1997). “The emergence of path-dependent behaviors in cooperative contexts”International Journal of Industrial Organization 15 (6): 677–709. doi:10.1016/S0167-7187(97)00007-6. ""[Some test subjects] adopted a strategy once and for all[,] and insisted on using it[,] even when the configurations could not be efficiently played with the strategy adopted.""
  20.  Marquis, Christopher; Tilcsik, András (2013). “Imprinting: Toward A Multilevel Theory”. Academy of Management Annals: 193–243. SSRN 2198954.

参考文献




 QWERTYミステリーの解答は読者にはすでにおわかりかもしれない。タイプライターのキーボ
ドの標準配列が成立したのは一九世紀にまで遡るが、指の動きという観点からはこの配列が最も効率的
であるというわけではない。しかし初期のタイプライターの構造では、あまり早く打つと文字を打ちつ
けるアームが絡まるという問題があり、すこしゆっくり打たざるをえないような配列の方が好ましいと
いう背景があったので、この配列が不利になることはなかったのである。やがてタイプライターも電動
化され、アームが絡まるという問題は解消され、より効率的なキーボードのデザインへ移行してもよく
なったのではあるが、時すでに遅しという状況になっていた。
 タイピストはタイプライターメーカーが作ったQWERTY配列のキーボードで学び、メーカーは
タイピストが使い慣れたQWERTY配列のタイプライターを作っていた。キーボードの標準配列は偶
然に採用されたものだが、いつの間にか、その配列が固定化されてしまったのである。
 ポール·デイビッドやブライアン·アーサー、その他の経済学者が一九七○年代後半から八○年代初
頭にかけて気づき始めたことは、タイプライターのキーボード配列に類似した話は社会経済のいたると
ころに見いだされるということであった。そのうち技術選択に関するケースはQWERTYの話と酷似
している。例えば、あなたが特別な映画好きでレーザーディスク·プレーヤーを持っているのでなけれ
ば、普通家庭で使っているのはVHSビデオを再生するビデオデッキだろう。これはVHSが特に優れ
たシステムだからという理由からではなく、ほとんどのビデオ店がVHSビデオを揃えており、また逆
にビデオ店がVHSビデオを揃えるのは、ほとんどの家庭にあるのがVHS再生システムだからである。
 私は本や論文をワードパーフェクト(Word Perfect)というワープロソフトを使って書くのだが、これ
は特に私が気に入っているからではなく、ほとんどの編集者が私の書く原稿をワードパーフェクトのフ
ォーマットで受け取りたがるからである。というのは、ほとんどの著者がワープロソフトとしてワード
パーフェクトを使っているからである。
 他のケースは少し違うように思われるかもしれないが、デイビッドとアーサーが気づいているように
根は同じことである。例えば、映画産業で働く場合、どこに住むかといえば、おそらく、ロサンジェル
スになるだろう。それは同業者がそこにたくさんいて、お互いを必要としているからである。もし、投
資銀行家であればニューヨークで働くというのも全く同じ理由からである。》254~6頁

《…QWERTYキーボードのエピソードは単にあたりまえのことを伝える気の利いた小咄ではな
い。アダム·スミスが『国富論』の書き出しでピン工場の例を用いたように、QWERTYは経済学に
対する全く違った考え方に目を見開かせてくれる寓話なのである(原注**)。つまり、この考え方は市場経
済が必ず最善の答えを出すという見方を否定するものである。その代わりに、市場経済の
は歴史的偶然に依存していることを示唆しているのである(ポール·デイビッドはこのことを歴史的経
路依存性(path dependence)と呼び、経済の帰結はその途中で何が起こったかということに依存して
くることを示した)。そして政略に長けた政府であれば、自らに都合のいいように歴史的偶然を演出し
ようとするかもしれないという意味で政治的な含意に満ちているのである。》257頁


《 …あまり知られていないことではあるが、アメリカで売られているカーペットのほとんどはジョ
ジア州の小さな町ドールトンの周辺で生産されている。多くの人にとって、この事実は大会社の副社
長のスーツのサイズが大きいということ以上に好奇心をそそられることとは思えないが、この例はより
一般的な原理を反映しているという意味で、はるかに重要なものである。しかもそのことは決して自明
ではない。
 どうしてカーペットはドールトンで生産されているのだろうか。もっと一般的にいえば、どうして多
くの産業において生産基地が一、二カ所に集中してしまうのだろうか。これは何も新しい問題ではない。
前世紀末から今世紀初頭にかけて活躍したイギリスの偉大な経済学者アルフレッド·マーシャルは、い
かに多くのイギリスの産業が特定の産業地区に集中しているかということに気づいていた。つまり刃物
類はシェフィールド、鉄製品はバーミンガム、レース編物はノッティンガム、主要綿織物業はマンチェ
スター周辺に集中していたという具合に。…》258~9頁


《…すでに見てきたように、産業局地化は、歴史的経路依存性を提示しているが、これは重要な
役割を演じている。シリコン·バレーはスタンフォード大学副学長のフレデリック·ターマン
(Frederick Terman) のビジョンにより一九四〇年代に少数のハイテク起業家を支援し、後に有名にな
ったハイテク産業群形成の種をまいたおかげで、今日の繁栄に結びついたのである。ドールトンへのカー
ペット企業の集中は一八九五年に10代の少女が結婚祝いに房飾りのついたベッドカバーを作ったこ
とに始まる。初めは地域の手工芸企業として出発したが、第二次大戦後、機織りで作っていた絨毬が大
量生産用の房で飾ったカーペットにとって代わられるようになると、その専門特化した技術が俄然重要
になってきたのである。》261~2頁

クリオ(Clio)とはギリシャ神話の中の歴史の女神である。
**
この新しい経済学説に対する決まった名称はまだない。ブライアン・アーサーは物理学用語を借りて「ポジ
ティブ·フィードバック」と呼んでいる。多くの経済理論家はそれを「戦略的補完性」と呼ぶ方が好ましいと
しているが、どうしてそう考えられているかを説明することは、正確を期すためには役立つかもしれないが
この場では必要はないだろう。私自身はポール·デイビッドの「QWERTY」が最も核心をついた表現だと
思うので、この章ではそれを使うことにする。
(350頁)


***
マーシャル:

《 …あまり知られていないことではあるが、アメリカで売られているカーペットのほとんどはジョ
ジア州の小さな町ドールトンの周辺で生産されている。多くの人にとって、この事実は大会社の副社
長のスーツのサイズが大きいということ以上に好奇心をそそられることとは思えないが、この例はより
一般的な原理を反映しているという意味で、はるかに重要なものである。しかもそのことは決して自明
ではない。
 どうしてカーペットはドールトンで生産されているのだろうか。もっと一般的にいえば、どうして多
くの産業において生産基地が一、二カ所に集中してしまうのだろうか。これは何も新しい問題ではない。
前世紀末から今世紀初頭にかけて活躍したイギリスの偉大な経済学者アルフレッド·マーシャルは、い
かに多くのイギリスの産業が特定の産業地区に集中しているかということに気づいていた。つまり刃物
類はシェフィールド、鉄製品はバーミンガム、レース編物はノッティンガム、主要綿織物業はマンチェ
スター周辺に集中していたという具合に。マーシャルは、そのような地域集中に関して明解な解説のお
手本のような説明をしている。
 第一に、関連企業が一カ所に集中すると、特殊技能労働者が集まって労働市場を形成するようになり
それが労働者にとっては失業を防ぐ保障となり、企業にとっても労働力不足を回避する保障となるので
ある。
 「地域特化産業は技能に対する持続的な市場を提供することからたいへんな利便を得てきている。
使用者は必要とする特殊技能をもった労働者を自由に選択できるような場所をたよりにするであろう
し、職を求める労働者はかれらのもっているような技能を必要とする使用者が多数おり、たぶんよい
市場が見いだせるような場所へ自然と集まってくるからである。孤立した工場を所有しているものが
普通の労働力の豊富な供給が近くにあっても、ある特殊な技能をもった労働者が手にはいらないため
に、遠くへ移動しなくてはならない場合も少なくない。また工場が孤立していると、技能をもった労
働者のほうも、失業するとなると、勤め口を見いだすのに骨を折らなくてはなるまい。(アルフレッ
ド·マーシャル『経済学原理Ⅱ』馬場啓之助訳、東洋経済新報社、一九六六年、二五五~二五六ぺージ)
 第二に、産業の中心地が形成されると、その産業に特化したさまざまなサービスが提供されるようになる。

「やがて近隣には補助産業が起こってきて、道具や原材料を供給し、流通を組織し、いろいろな点
で原材料の経済をたすける。……その地区の同種の生産物の総計量が大きくなると、たとえ個別企業
の資本規模はそれほど大きくなくても、高価な機械の経済的利用がひじょうによくおこなわれるよう
にもなろう。それぞれ生産工程の一小部品を分担し、多数の近隣企業を相手に操業している補助産業
は、ひじょうに高度に特化した機械をたえず操業させていけるだけの注文があるので、……その経費
を回収していけるからである。……」(前掲書、二五五ページ)
 最後に、企業が集中していれば情報交換も活発化し技術の波及が促進される。
「その業種の秘訣はもはや秘訣ではなくなる。……よい仕事は正しく評価される。機械、生産の工程、
事業経営の一般的組織などで発明や改良がおこなわれると、その功績がたちまち回のはにのぼる。あ
る人が新しいアイデアをうちだすと、他のものもこれをとりあげ、これに彼ら自身の考案を加えて、
さらに新しいアイデアを生みだす素地をつくっていく。」(前掲書、二五五ページ)
 ビクトリア時代の言葉づかいではあるが(無味乾燥な学術用語中心の現代経済学の表現やそれに輪を
かけたように言語感覚の全く欠如した現代ビジネス用語と比べると、たしかに一服の清涼剤の趣がある)、
この説明は現在でも十分通用するもので、マサチューセッツ州の一二人号線沿いあるいはカリフオルニ
ア州のシリコン・バレー周辺の企業群についてもあてはまる議論である。私の友人は自明だと言ったか
もしれないが、マーシャルのような偉大な経済学者でなければ産業の局地化がより根本的な原理に基づ
いていることを指摘しえなかっただろう。
 第一に、産業局地化は規模に関する収穫逓増の重要性を示唆している。効率性を下げることなく工場の規模を削減できるのであれば、労働者や企業の便益のために大きな労働市場が存在する必要はなくな
るだろう。というのは小さな町であっても各種多様化した企業群を支えることができるからである。ま
た特化した部品供給企業を支えるために大きな地元企業が存在する必要もない。そして小さな町であっ
ても多様な企業群を支えられるのであれば、情報交換を容易にするための大規模な産業集中も必要もな
くなるであろう。
 もちろん実際には、産業の多くは(必ずしもすべてのとは言わないが)大規模な地域集中によって支
えられているようである。(ロンドンの金融街である)シティーの交通渋滞やシリコン·バレーの不動
産高価格は、収穫逓増の原理が重要であることを証明している。それも交通渋滞に憤慨しながらも、ま
た不動産の高価格にも耐えさせるほどに重要なのである。
 第二に、産業局地化は収穫逓増の原理が個々の企業レベルをはるかに超えたレベルで働いていること
を示している。シリコン·バレーに集まってきている個々の企業は決して大きくはないが、明らかにそ
れら企業の集合体は個々の企業を単に足し合わせたものより大きいのである。経済学用語を用いれば
規模の外部経済が働いているのである。個々の企業が競争し合うほどの規模を持つだけではなく、それ
が産業の、あるいは産業の一群の中に組み込まれることが重要なのである。その産業群は熟練労働者の
労働市場や専門化した部品供給者、あるいは繁栄をもたらす知識の波及を支えることができるほど十分
に大きくなければならない。
 最後に、すでに見てきたように、産業局地化は、歴史的経路依存性を提示しているが、これは重要な
役割を演じている。シリコン·バレーはスタンフォード大学副学長のフレデリック·ターマン
(Frederick Terman) のビジョンにより一九四〇年代に少数のハイテク起業家を支援し、後に有名にな
ったハイテク産業群形成の種をまいたおかげで、今日の繁栄に結びついたのである。ドールトンへのカー
ペット企業の集中は一八九五年に10代の少女が結婚祝いに房飾りのついたベッドカバーを作ったこ
とに始まる。初めは地域の手工芸企業として出発したが、第二次大戦後、機織りで作っていた絨毬が大
量生産用の房で飾ったカーペットにとって代わられるようになると、その専門特化した技術が俄然重要
になってきたのである。
 アルフレッド·マーシャルはそのような仕組みをすべて理解していた。収穫逓増と外部経済という便
利な用語は彼が考え出したものである。それらの用語は一八九〇年に出版された『経済学原理』(原題
Principles of Economics) の中で使われている。しかし、QWERTY経済学が本当に流行し始めたのは
一九八〇年代に入ってからである。どうしてこれだけ明らかなことに気づくのにこれほど時間がかかっ
たのだろうか。
 その理由は、端的に言ってしまえば、10世紀のほとんどの経済学者にとってはQWERTY的要素
は無視した方が便利だったからである(原注cojo経済理論は、基本的には、経済モデルき寄せ集めたもの
である。そしてそのモデルとは現実を単純化したもので、必然的に焦点の当てられる側面と捨象される
側面が出てくる。そして収穫逓増は重要ではなく、外部経済は存在せず、また市場経済は資源賦与条件
によって形成されるもので、決して歴史の気まぐれによって形成されたりはしないと仮定して経済をモ
デル化した方がたまたま容易であったということである。
 特にQWERTY的要素を経済の数学的モデルに組み込むにはうまく仕込む必要がある(私が「うま
く仕込む」とわざわざ言ったのは、不可能ではないが、かなり巧妙な仕組みを使わなくてはならないと
いう意味である)。経済学はますますもって、数学的指向が強くなってきたので、多くの経済学者がQ
WERTYの重要性に多かれ少なかれ気づいていたとしても、経済学の主流派の議論は一九七〇年代後
半まで、この要素を取り込むことを回避してきたのである。》257~263頁



David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.

参考:

『経済政策を売り歩く人々 -エコノミストのセンスとナンセンス』 Peddling Prosperity[1994]


インタビュー1994

インタビュー2015字幕
_______

David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.

Cicero demands of hstorians, first, that we tell true stories. I intend fully to perform my duty on this occasion, by giving you a homely piece of narrative economic hstory in whch "one damn thing follows another." The main point of the story will become plain enough: it is sometimes not possible to uncover the logic (or illogic) of the world around us except by understanding how it got that way. A path-dependent sequence of economic changes is one of which important influences upon the eventual outcome can be exerted by temporally remote events, including happen- ings dominated by chance elements rather than systematic forces. Stochastic processes like that do not converge automatically to a fixed-point distribution of outcomes, and are called non-ergodic. In such circumstances "hstorical accidents" can neither be ignored, nor neatly quarantined for the purpose of economic analysis; the dynamic process itself takes on an essentially historical character. Standing alone, my story will be simply il- lustrative and does not establish how much of the world works this way. That is an open empirical issue and I would be presumptuous to claim to have settled it, or to instruct you in what to do about it. Let us just hope the tale proves mildly diverting for those wait- ing to be told if and why the study of eco- nomic history is a necessity in the malung of economists. 

*Department of Economics, Encina Hall, Stanford University, Stanford, CA 94305. Support provided for this research, under a grant to the Technological In- novation Program of the Center for Economic Policy Research, Stanford University, is gratefully acknowl-edged. Douglas Pufert supplied able research assistance. Some. but not the whole, of my indebtedness to Brian Arthur's views on QWERTY and QWERTY-like sub- jects is recorded in the References. I bear full responsi- bility for errors of fact and interpretation, as well as for the peculiar opinions abbreviated herein. A fuller ver- sion with complete references, entitled "Understanding the Economics of QWERTY or Is History Necessary?," is available on request. 

hystoriansのシセロの要求は、まず、私たちが真実の話をすることです。私はこの機会に私の義務を完全に果たすつもりです。あなたには、「別のことが別のものに続く」というナレーションの経済的趣旨をあなたに与えることによって、私は義務を果たすつもりです。ストーリーの要点は十分に分かりやすくなります。それがどうやって得られたかを理解することを除いて、私たちの周りの世界の論理(または非論理的)を明らかにすることは時々可能ではありません。経路に依存する経済変化のシーケンスは、時間的に遠隔の事象によってもたらされる最終的な結果への重要な影響の一つであり、系統的な力ではなく偶然の要素によって支配される事象を含む。そのような確率的プロセスは、結果の固定小数点分布に自動的に収束せず、非エルゴードと呼ばれます。このような状況では、「災害事故」は無視することも、経済分析のためにきれいに隔離することもできません。動的プロセス自体は基本的に歴史的な性質をとっています。一人で立つと、私の物語は単に叙述的であり、世界のどのくらいがこのように働くかを確立しません。それはオープンな経験的な問題であり、私はそれを解決したと主張するか、それについて何をすべきか教えてくれるでしょう。経済学の研究がエコノミストの必要性であるかどうか、そしてなぜそれがなぜ、なぜ、なぜ、なぜ待たれるのかについては、話が少し転用していることを証明してほしい。

スタンフォード大学経済学部エンシナホール経済学科スタンフォード大学経済政策研究センターの技術革新プログラムの助成を受けて、この研究の支援が感謝の意を表します。 
Douglas Pufertは有能な研究支援を行った。一部。 QWERTYとQWERTYのような対象に関するBrian Arthurの見解に対する私の負債の全体ではなく、全体が参考文献に記録されています。私は、事実や解釈の誤り、またここで省略された独特の意見について、完全な責任を負います。 「QWERTYの経済学を理解する、または歴史は必要ですか?」と題された、完全な参考文献を含む完全版は、要望に応じて入手可能です。


Message 
In place of a moral, I want to leave you with a message of faith and qualified hope. The story of QWERTY is a rather intriguing one for economists. Despite the presence of the sort of externalities that standard static analysis tells us would interfere with the achievement of the socially optimal degree of system compatibility, competition in the ab- sence of perfect futures markets drove the industry prematurely into standardization on the wrong system -where decentralized deci- sion making subsequently has sufficed to hold it. Outcomes of ths kind are not so exotic. For such things to happen seems only too possible in the presence of strong technical interrelatedness, scale economies, and irre- versibilities due to learning and habituation. They come as no surprise to readers pre- pared by Thorstein Veblen's classic passages in Germany and the Industrial Revolution (1915), on the problem of Britain's under-sized railway wagons and "the penalties of taking the lead" (see pp. 126-27); they may be painfully familiar to students who have been obliged to assimilate the details of de- servedly less-renowned scribblings (see my 1971, 1975 studies) about the obstacles whch ridge-and-furrow placed in the path of British farm mechanization, and the influence of remote events in nineteenth-century U.S. fac- tor price history upon the subsequently emerging bias towards Hicks' labor-saving improvements in the production technology of certain branches of manufacturing. I believe there are many more QWERTY worlds lying out there in the past, on the very edges of the modern economic analyst's tidy universe; worlds we do not yet fully perceive or understand, but whose influence, like that of dark stars, extends nonetheless to shape the visible orbits of our contemporary economic affairs. Most of the time I feel sure that the absorbing delights and quiet terrors of exploring QWERTY worlds will suffice to draw adventurous economists into the sys- tematic study of essentially hstorical dy-namic processes, and so will seduce them into the ways of economic hstory, and a better grasp of their subject. 




メッセージ
道徳的ではなく、信仰と希望のメッセージをあなたに残したいと思います。 QWERTYの話は、エコノミストにとってはかなり興味深いものです。 標準的な静的分析が社会的に最適なシステム互換性の達成を妨げるような外部性が存在するにもかかわらず、完璧な先物市場が存在しないための競争は、早期に誤ったシステムの標準化地方分権化の決定はその後それを保持するのに十分であった。 この種の成果はそれほど異質ではありません。 そのようなことが起こるのは、強い技術的相互関係、規模の経済、学習や習慣づけに起因する無関係の存在下では、あまりにも可能性が高いように見える。 Thorstein Veblenのドイツと産業革命(1915年)の古典的なパッセージ、英国の鉄道貨車の問題、「先導する罰則」については、驚くことではない(pp。126- 27)。 英国の農業機械化の道筋に位置する障害物について、あまり知られていないスクラブリング(1971年、1975年の研究を参照)の詳細を同化することを義務付けられている学生には、 19世紀の米国ファーマース価格の歴史におけるリモート・イベントの影響が、Hicksの特定の製造部門の生産技術における労働者の省力的な改善への後発的なバイアスの影響を受けている。 現代の経済アナリストのきちんとした宇宙の端には、QWERTYの世界がずっと存在していると私は信じています。 我々はまだ完全に知覚していないが、ダークスターのような影響は、それにもかかわらず現代の経済問題の目に見える軌道を形作るように拡張している。 ほとんどの時間は、QWERTYの世界を探索する際の喜びと静かな恐怖が、冒険的なエコノミストを本質的に奥行きのあるダイナミックなプロセスのシステム研究に引き込むのに十分であると確信しているので、経済的な方法、彼らの主題のより良い把握。

ヴェブレン:
帝政ドイツと産業革命
英国の鉄道貨車
Britain's under-sized railway wagons and "the penalties of taking the lead" (see pp. 126-27)

   Thorstein Veblen, Imperial Germany and the Industrial Revolution   

ヴェブレンは上記第四章で英国の鉄道の狭いゲージを例に挙げている(p52)。Davidもこれを再度例に挙げている。

翻訳 ソースタイン・ヴェブレン『帝政ドイツと産業革命』--第四章 イングランドの事例
著者Thorstein B. Veblen
著者佐藤 光宣 訳
出版地(国名コード)JP
注記記事種別: 翻訳
出版年(W3CDTF)2003-02
NDLCZF1
対象利用者一般
資料の種別記事・論文
掲載誌情報(URI形式)http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000032757-00
掲載誌情報(ISSN形式)03883329


第9章 QWERTY経済学
『経済政策を売り歩く人々 -エコノミストのセンスとナンセンス』 Peddling Prosperity[1994] 
監訳:伊藤隆敏 訳:北村行伸/妹尾美起 日本経済新聞社1995/ 9

《第9章 QWERTY経済学


 一九八〇年代の初頭に、ポール・デイビッドと彼のスタンフォード大学での同僚であるブライアン・
アーサー(Brian Arthur)は「なぜQWERTYUIOPでなけばならないのか」という疑間を持つと、
まもなくこの問題には深遠な意味があることに気づいた。「クリオとQWERTY経済学」(原題Clio
and the Economics of QWERTY) (原注1)という表題で一九八二年に発表された論文程の中で、ディ
ビッドはQWERTYキーボードを新しい経済観のシンボルとして用いた。保守派経済学が政治的勝利
を収めている間にも、この経済観は静かにではあるが支持を増やしつつあった。
 QWERTYミステリーの解答は読者にはすでにおわかりかもしれない。タイプライターのキーボ
ドの標準配列が成立したのは一九世紀にまで遡るが、指の動きという観点からはこの配列が最も効率的
であるというわけではない。しかし初期のタイプライターの構造では、あまり早く打つと文字を打ちつ
けるアームが絡まるという問題があり、すこしゆっくり打たざるをえないような配列の方が好ましいと
いう背景があったので、この配列が不利になることはなかったのである。やがてタイプライターも電動
化され、アームが絡まるという問題は解消され、より効率的なキーボードのデザインへ移行してもよく
なったのではあるが、時すでに遅しという状況になっていた。
 タイピストはタイプライターメーカーが作ったQWERTY配列のキーボードで学び、メーカーは
タイピストが使い慣れたQWERTY配列のタイプライターを作っていた。キーボードの標準配列は偶
然に採用されたものだが、いつの間にか、その配列が固定化されてしまったのである。
 ポール·デイビッドやブライアン·アーサー、その他の経済学者が一九七○年代後半から八○年代初
頭にかけて気づき始めたことは、タイプライターのキーボード配列に類似した話は社会経済のいたると
ころに見いだされるということであった。そのうち技術選択に関するケースはQWERTYの話と酷似
している。例えば、あなたが特別な映画好きでレーザーディスク·プレーヤーを持っているのでなけれ
ば、普通家庭で使っているのはVHSビデオ 再生するビデオデッキだろう。これはVHSが特に優れ
たシステムだからという理由からではなく、ほとんどのビデオ店がVHSビデオを揃えており、また逆
にビデオ店がVHSビデオを揃えるのは、ほとんどの家庭にあるのがVHS再生システムだからである。
 私は本や論文をワードパーフェクト(Word Perfect)というワープロソフトを使って書くのだが、これ
は特に私が気に入っているからではなく、ほとんどの編集者が私の書く原稿をワードパーフェクトのフ
ォーマットで受け取りたがるからである。というのは、ほとんどの著者がワープロソフトとしてワード
パーフェクトを使っているからである。
 他のケースは少し違うように思われるかもしれないが、デイビッドとアーサーが気づいているように
根は同じことである。例えば、映画産業で働く場合、どこに住むかといえば、おそらく、ロサンジェル
スになるだろう。それは同業者がそこにたくさんいて、お互いを必要としているからである。もし、投
資銀行家であればニューヨークで働くというのも全く同じ理由からである。
 このような話が経済政策と一体どのような関係にあるのかと読者は思われるかもしれない。実は大い
に関係があるのである。保守派が何よりも信じていることは、経済活動を組織するとすれば自由競争市
場が最も効率的だということである。保守派は個人に自由に選択させるがいい、その方が計画したり
命令したりするよりずっと生産的で効率的であるという。ミルトン·フリードマンが示したように「選
択の自由」は強力なスローガンとなりうるのである。しかし、もし個人の自由な選択の結果が社会的に
不都合な結果に固定化されてしまったとすればどうだろうか。もし未熟な技術水準から抜け出せないで
いたら、あるいは新しい都市へ移転すればもっとうまく機能するだろうに、混雑した都心の真ん中から
産業が抜け出せないでいたとしたらどうだろう。さらにいえば、他国政府が絶妙のタイミングで政策介
入し、主要産業の主導権を固定化してしまい、わが国の産業を締め出したとしたらどうだろう。
 いや、QWERTYキーボードのエピソードは単にあたりまえのことを伝える気の利いた小咄ではな
い。アダム·スミスが『国富論』の書き出しでピン工場の例を用いたように、QWERTYは経済学に
対する全く違った考え方に目を見開かせてくれる寓話なのである(原注2)。つまり、この考え方は市場経
済が必ず最善の答えを出すという見方を否定するものである。その代わりに、市場経済の
は歴史的偶然に依存していることを示唆しているのである(ポール·デイビッドはこのことを歴史的経
路依存性(path dependence)と呼び、経済の帰結はその途中で何が起こったかということに依存して
くることを示した)。そして政略に長けた政府であれば、自らに都合のいいように歴史的偶然を演出し
ようとするかもしれないという意味で政治的な含意に満ちているのである 結果はしばし
 本章では、保守派が政治的勝利を収めているまさにその期間中に、この新しい経済観が経済学者の間
にどのように広がっていったかを見ていこう。第0章では、もう少し穿った議論をする。つまり、そこ
では、右派の綿密な理論が右派政権の政策立案に援用されたように、左派からの高級な理論が単純な政
策案の隠れ蓑として使われた方法を見ることになる。
 しかし、そのような議論に入る前に、どうして一九七〇年代後半に入るまでQWERTY経済学が真
剣に受け止められなかったのか、という疑問に答えることから始めよう。 》254~7頁

  +

《 自明の理

 過去数年のうちに、経済学者の間で「経済地理学」への関心が広がってきた。それは国内および国家
間での産業立地について研究する学問分野である。上述の例が示すように、経済地理学では経済的帰結
を左右する歴史的偶然の役割が、しばしば重要な役割を果たす。一九世紀初頭にはフィラデルフィアー
ニューヨークより枢要な港湾都市であった。ニューヨークが優位に立つ契機となったのはエリー運河の
開通であった。その運河も過去一世紀の間に実用上の運送路というより観光コースになってしまったが
それでもニューヨークはいまだにアメリカ随一の都市であることに変わりはない。
 私が経済地理学に関する最近の研究を経済学者でない友人に興奮気味に説明したとき
友人は「そんなことあたりまえじゃないか」、と訝しげに答えたものである。
もちろん、それは自明のことであろう。しかし、それが重要であるという事実は自明ではない。とこ
ろが、ひとたびその事実が指摘されるや歴史的偶然が産業立地を決定づけるのに果たしてきた役割を理
解することは難しいことではない。経済は想像を絶するほど複雑なシステムであり、それに関してたく
さんの面白い事実があるところにむしろ問題がある。問題解決の成功の鍵は、経済上重要な意味を見い
だしうる観察事実を捉えることにある。アメリカの大企業の重役はおしなべて大柄な人が多いというこ
とは否定し難い事実ではあるが、この事実がアメリカ経済に関して何が重要な意味を持っているとは思
えない。あまり知られていないことではあるが、アメリカで売られているカーペットのほとんどはジョ
ジア州の小さな町ドールトンの周辺で生産されている。多くの人にとって、この事実は大会社の副社
長のスーツのサイズが大きいということ以上に好奇心をそそられることとは思えないが、この例はより
一般的な原理を反映しているという意味で、はるかに重要なものである。しかもそのことは決して自明
ではない。
 どうしてカーペットはドールトンで生産されているのだろうか。もっと一般的にいえば、どうして多
くの産業において生産基地が一、二カ所に集中してしまうのだろうか。これは何も新しい問題ではない。
前世紀末から今世紀初頭にかけて活躍したイギリスの偉大な経済学者アルフレッド·マーシャルは、い
かに多くのイギリスの産業が特定の産業地区に集中しているかということに気づいていた。つまり刃物
類はシェフィールド、鉄製品はバーミンガム、レース編物はノッティンガム、主要綿織物業はマンチェ
スター周辺に集中していたという具合に。マーシャルは、そのような地域集中に関して明解な解説のお
手本のような説明をしている。
 第一に、関連企業が一カ所に集中すると、特殊技能労働者が集まって労働市場を形成するようになり
それが労働者にとっては失業を防ぐ保障となり、企業にとっても労働力不足を回避する保障となるので
ある。
 「地域特化産業は技能に対する持続的な市場を提供することからたいへんな利便を得てきている。
使用者は必要とする特殊技能をもった労働者を自由に選択できるような場所をたよりにするであろう
し、職を求める労働者はかれらのもっているような技能を必要とする使用者が多数おり、たぶんよい
市場が見いだせるような場所へ自然と集まってくるからである。孤立した工場を所有しているものが
普通の労働力の豊富な供給が近くにあっても、ある特殊な技能をもった労働者が手にはいらないため
に、遠くへ移動しなくてはならない場合も少なくない。また工場が孤立していると、技能をもった労
働者のほうも、失業するとなると、勤め口を見いだすのに骨を折らなくてはなるまい。(アルフレッ
ド·マーシャル『経済学原理Ⅱ』馬場啓之助訳、東洋経済新報社、一九六六年、二五五~二五六ぺージ)
 第二に、産業の中心地が形成されると、その産業に特化したさまざまなサービスが提供されるようになる。

「やがて近隣には補助産業が起こってきて、道具や原材料を供給し、流通を組織し、いろいろな点
で原材料の経済をたすける。……その地区の同種の生産物の総計量が大きくなると、たとえ個別企業
の資本規模はそれほど大きくなくても、高価な機械の経済的利用がひじょうによくおこなわれるよう
にもなろう。それぞれ生産工程の一小部品を分担し、多数の近隣企業を相手に操業している補助産業
は、ひじょうに高度に特化した機械をたえず操業させていけるだけの注文があるので、……その経費
を回収していけるからである。……」(前掲書、二五五ページ)
 最後に、企業が集中していれば情報交換も活発化し技術の波及が促進される。
「その業種の秘訣はもはや秘訣ではなくなる。……よい仕事は正しく評価される。機械、生産の工程、
事業経営の一般的組織などで発明や改良がおこなわれると、その功績がたちまち回のはにのぼる。あ
る人が新しいアイデアをうちだすと、他のものもこれをとりあげ、これに彼ら自身の考案を加えて、
さらに新しいアイデアを生みだす素地をつくっていく。」(前掲書、二五五ページ)
 ビクトリア時代の言葉づかいではあるが(無味乾燥な学術用語中心の現代経済学の表現やそれに輪を
かけたように言語感覚の全く欠如した現代ビジネス用語と比べると、たしかに一服の清涼剤の趣がある)、
この説明は現在でも十分通用するもので、マサチューセッツ州の一二人号線沿いあるいはカリフオルニ
ア州のシリコン・バレー周辺の企業群についてもあてはまる議論である。私の友人は自明だと言ったか
もしれないが、マーシャルのような偉大な経済学者でなければ産業の局地化がより根本的な原理に基づ
いていることを指摘しえなかっただろう。
 第一に、産業局地化は規模に関する収穫逓増の重要性を示唆している。効率性を下げることなく工場の規模を削減できるのであれば、労働者や企業の便益のために大きな労働市場が存在する必要はなくな
るだろう。というのは小さな町であっても各種多様化した企業群を支えることができるからである。ま
た特化した部品供給企業を支えるために大きな地元企業が存在する必要もない。そして小さな町であっ
ても多様な企業群を支えられるのであれば、情報交換を容易にするための大規模な産業集中も必要もな
くなるであろう。
 もちろん実際には、産業の多くは(必ずしもすべてのとは言わないが)大規模な地域集中によって支
えられているようである。(ロンドンの金融街である)シティーの交通渋滞やシリコン·バレーの不動
産高価格は、収穫逓増の原理が重要であることを証明している。それも交通渋滞に憤慨しながらも、ま
た不動産の高価格にも耐えさせるほどに重要なのである。
 第二に、産業局地化は収穫逓増の原理が個々の企業レベルをはるかに超えたレベルで働いていること
を示している。シリコン·バレーに集まってきている個々の企業は決して大きくはないが、明らかにそ
れら企業の集合体は個々の企業を単に足し合わせたものより大きいのである。経済学用語を用いれば
規模の外部経済が働いているのである。個々の企業が競争し合うほどの規模を持つだけではなく、それ
が産業の、あるいは産業の一群の中に組み込まれることが重要なのである。その産業群は熟練労働者の
労働市場や専門化した部品供給者、あるいは繁栄をもたらす知識の波及を支えることができるほど十分
に大きくなければならない。
 最後に、すでに見てきたように、産業局地化は、歴史的経路依存性を提示しているが、これは重要な
役割を演じている。シリコン·バレーはスタンフォード大学副学長のフレデリック·ターマン
(Frederick Terman) のビジョンにより一九四○年代に少数のハイテク起業家を支援し、後に有名にな
ったハイテク産業群形成の種をまいたおかげで、今日の繁栄に結びついたのである。ドールトンへのカー
ペット企業の集中は一八九五年に10代の少女が結婚祝いに房飾りのついたベッドカバーを作ったこ
とに始まる。初めは地域の手工芸企業として出発したが、第二次大戦後、機織りで作っていた絨毬が大
量生産用の房で飾ったカーペットにとって代わられるようになると、その専門特化した技術が俄然重要
になってきたのである。
 アルフレッド·マーシャルはそのような仕組みをすべて理解していた。収穫逓増と外部経済という便
利な用語は彼が考え出したものである。それらの用語は一八九〇年に出版された『経済学原理』(原題
Principles of Economics) の中で使われている。しかし、QWERTY経済学が本当に流行し始めたのは
一九八〇年代に入ってからである。どうしてこれだけ明らかなことに気づくのにこれほど時間がかかっ
たのだろうか。
 その理由は、端的に言ってしまえば、10世紀のほとんどの経済学者にとってはQWERTY的要素
は無視した方が便利だったからである(原注**)経済理論は、基本的には、経済モデルき寄せ集めたもの
である。そしてそのモデルとは現実を単純化したもので、必然的に焦点の当てられる側面と捨象される
側面が出てくる。そして収穫逓増は重要ではなく、外部経済は存在せず、また市場経済は資源賦与条件
によって形成されるもので、決して歴史の気まぐれによって形成されたりはしないと仮定して経済をモ
デル化した方がたまたま容易であったということである。
 特にQWERTY的要素を経済の数学的モデルに組み込むにはうまく仕込む必要がある(私が「うま
く仕込む」とわざわざ言ったのは、不可能ではないが、かなり巧妙な仕組みを使わなくてはならないと
いう意味である)。経済学はますますもって、数学的指向が強くなってきたので、多くの経済学者がQ
WERTYの重要性に多かれ少なかれ気づいていたとしても、経済学の主流派の議論は一九七〇年代後
半まで、この要素を取り込むことを回避してきたのである。》257~263頁

  +

《 ところで、こういうことを言うと、読者は狭量な学者の世界を非難しているようにとられるかもしれ
ない。学者たちが好んで用いる理論的枠組みにうまく組み込めないからというだけの理由で、目と鼻の
先にある事実が無視されているように思われるだろう。しかし、このことは大学教授でなく、厳密性を
求めることにとらわれていないゼネラリストの方が好ましいということを意味するわけではないし、政
策プロモーターが必要であるというもっともらしい理由にもならない。
 もし大学教授が明白な事実に気づくのにしばらくかかったとすれば、政策プロモーターには何がどう
なっているのか皆目検討もつかなかっただろう。経済学者でない人の著作の中に、経済にとってのQW
ERTYの意義を見いだすことはできない。もちろんそれはサプライ·サイダーの著作の中にも見ぃだ
せない。ジュード·ワニスキーは『ザ·ウェイ·ザ·ワールド·ワークス』で経済の仕組みを説明しよ
うとしたかもしれないが、QWERTY的要素はその説明からは抜け落ちていた。もっとも、サプライ
·サイダーは自由競争市場を賛美し、それが間違った方向へ進む可能性については強調したがらない。
つまり、市場が間違った技術や間違った立地に固執してしまう可能性があることに彼らが気付かなくと
も驚くに値しないのである。
 もっと驚くべきことは、左派理論家の間に経済におけるQWERTY的要素についての認識がほとん
どないということである。大学教授のもったいぶった態度が嫌いな人には、戦略的貿易論者が自由貿易
礼賛の正統的考え方に異議を唱え、教授たちが無視していたものの何たるかを非正統的な考え方によっ
てはっきりと認識できたという事例は溜飲が下がる思いであろう。しかし以下で見るように、国際競争
力に関する論争になると、ロバート·ライシュやレスター·サローといった初期の主導者が多くの主流
派経済学者に先駆けてQWERTYの重要性に気づいていた形跡はない。
 実際、QWERTYの意味するところを理解すれば、国際競争力に関する見方が全く違ったものにな
るはずだという認識は他の経済学者の中から出てきたのである。そして、それは伝統的な国際貿易に関
する考え方を再検討することから始まったのであった。

 国際貿易再考

 一九七八年頃、世界中に散らばっている何人かの経済学者たちが「どうして国際貿易が行われるのか」
という一見素朴な疑問について再考し始めた。これはばかげた疑問のように聞こえるかもしれない。貿
易が起こるのは、お互いに他の国が欲しいものを生産し合っているからであるとただちに答えられるだ
ろう。しかし、よく考えてみるとこの答えは、はじめの疑問を「どうして各国が違ったものを生産する
のだろうか」という疑問に少し押し戻した程度の役割しか果たしていないのである。
 経済学者はこの問いに対しては、標準的な回答を用意してからもう長い年月がたっている。各国が違
ったものを生産するのは各国がそもそも異なっているからである。その違いは天然資源の賦与条件の違
いを反映しているのかもしれない。なぜブラジルはコーヒーを輸出し、サウジアラビアは石油を輸出し
ているのかは明らかであろう。あるいはまた、教育の違いや、労働者一人当たりの資本ストックの違い
などは人為的に創造された資源の違いを反映しているとも見ることができる。いずれにせよ、各国は天
然資源あるいは人的資源の賦与に応じた商品の製造に特化し、またその商品を他国で生産された商品と
交換するインセンティブを持つのである。このような論理は「比較優位の理論」と呼ばれるものである。》263~264頁


クルーグマン 2008年ノーベル経済学賞
ポール・クルーグマン『経済政策を売り歩く人々ーエコノミストのセンスとナンセンス』
 [Peddling Prosperity,1994] 
監訳:伊藤隆敏 訳:北村行伸/妹尾美起 日本経済新聞社1995/ 9 [ちくま学芸文庫 2009/3]
《一九八〇年代の初頭に、ポール・デイビッドと彼のスタンフォード大学での同僚であるブライアン・
アーサー(Brian Arthur)は「なぜQWERTYUIOPでなけばならないのか」という疑間を持つと、
まもなくこの問題には深遠な意味があることに気づいた。…》

《…QWERTYキーボードのエピソードは単にあたりまえのことを伝える気の利いた小咄ではな
い。アダム・スミスが『国富論』の書き出しでピン工場の例を用いたように、QWERTYは経済学に
対する全く違った考え方に目を見開かせてくれる寓話なのである。つまり、この考え方は市場経
済が必ず最善の答えを出すという見方を否定するものである。その代わりに、市場経済の
は歴史的偶然に依存していることを示唆しているのである(ポール・デイビッドはこのことを歴史的経
路依存性(path dependence)と呼び、経済の帰結はその途中で何が起こったかということに依存して
くることを示した)。そして政略に長けた政府であれば、自らに都合のいいように歴史的偶然を演出し
ようとするかもしれないという意味で政治的な含意に満ちているのである。》257頁


ダグラス・ノース 1993年ノーベル経済学賞
制度原論
ダグラス・C・ノース、瀧澤 弘和、中林 真幸
《生じる経路依存性は通常、変化を増分的なものとする。ただし、時折発生する急進的で
突然な制度変化は、進化生物学における断続平衡* 2 の変化に似たようなことが経済
変化にも発生しうることを示唆している。しかし、変化は、起業家たちが自分たちの競争上
の地位向上を目指して政策を成立させるたびに、不断に発生しているのである(その速度は
組織や組織の起業家たちの間での競争の程度に依存するだろうが)。》

生じる経路依存性は通常、変化を増分的なものとする。ただし、時折発生する急進的で突然な制度変化は、進化生物学における断続平衡* 2 の変化に似たようなことが経済変化にも発生しうることを示唆している。しかし、変化は、起業家たちが自分たちの競争上の地位向上を目指して政策を成立させるたびに、不断に発生しているのである(その速度は組織や組織の起業家たちの間での競争の程度に依存するだろうが)。

14 Comments:

Blogger yoji said...



経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 キャサリン·エヴァンズの話は後でまたふれることにするが、ひとまずここで明らかにしておきた
いことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない,
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁


《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る).は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二○年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
産 とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
講 はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

 
《…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁


(訳者あとがき)
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史の
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁



タフト:
生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 

5:30 午後  
Blogger yoji said...



経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

48:
 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 …ひとまずここで明らかにしておきた
いことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない,
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。



77:
 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る).は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二○年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
産 とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
講 はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル**があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。

 
115:
…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである***。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…

163:
(訳者あとがき)
 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史の
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。



タフト:
生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

***
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.

5:31 午後  
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経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 キャサリン·エヴァンズの話は後でまたふれることにするが、ひとまずここで明らかにしておきた
いことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない,
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る).は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二○年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
産 とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
講 はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

(訳者あとがき)
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史の
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフト:生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in):20頁

***
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 

5:32 午後  
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経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 …ここで明らかにしておきたいことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない,
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る)は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二○年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
産 とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
講 はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

(訳者あとがき)
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史の
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフト:生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 

5:35 午後  
Blogger yoji said...

経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 …ここで明らかにしておきたいことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない,
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る)は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二○年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
産 とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
講 はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史の
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフト:生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 

5:36 午後  
Blogger yoji said...

経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も一社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 キャサリン·エヴァンズの話は後でまたふれることにするが、ひとまずここで明らかにしておきた
いことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない,
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る).は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二〇年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
産 とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
講 はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

(訳者あとがき)
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史のそれに通ずるものがある。つまり、こういった人物を紹
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフト:生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 

5:55 午後  
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経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も一社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 キャサリン·エヴァンズの話は後でまたふれることにするが、ひとまずここで明らかにしておきた
いことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない,
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る)は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二〇年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
講 はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

(訳者あとがき)
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史のそれに通ずるものがある。つまり、こういった人物を紹
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフト:生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 

5:56 午後  
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経路依存性(path dependence)

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行信他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 一八九五年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン·エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は一八世紀から一九世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位110社のうち、六社がダルトンに集中している。残りの一四社も一社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は一万九〇〇〇人にのぼって,
る。
 キャサリン·エヴァンズの話は後でまたふれることにするが、ひとまずここで明らかにしておきた
いことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン·アダムス·ダギール
(John Adams Dagyr)が一七五〇年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る)は、一七九四年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、一八二〇年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
とである。シリコン·バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
第域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール·デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

(訳者あとがき)
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー·フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家·実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン·アダムズ·ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史のそれに通ずるものがある。つまり、こういった人物を紹
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフト:生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、一八四二年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
一九二四年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
 

5:59 午後  
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2008年にノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンの産業立地論は、経路依存性(path dependence)に関連している。

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行伸他訳
[Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 1895年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン・エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフトが施されて(tufted)*おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は18世紀から19世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位20社のうち、6社がダルトンに集中している。残りの14社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は1万9千人にのぼって,
る。
 …ここで明らかにしておきたいことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン・アダムス・ダギール
(John Adams Dagyr)が1750年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る)は、1794年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、1820年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
とである。シリコン・バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール・デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

(訳者あとがき)
《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー・フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家・実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン・アダムズ・ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史のそれに通ずるものがある。つまり、こういった人物を紹
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフトとは、生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、1842年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
1924年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
https://econ.ucsb.edu/~tedb/Courses/Ec100C/DavidQwerty.pdf 

参考:
『経済政策を売り歩く人々 -エコノミストのセンスとナンセンス』 [Peddling Prosperity,1994]
監訳:伊藤隆敏 ちくま学芸文庫 2009

3:56 午前  
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 2008年にノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンの産業立地論は、経路依存性(path dependence)に関連している。

ポール・クルーグマン『脱「国境」の経済学』 東洋経済新報1994年北村行伸他訳 [Paul Robin Krugman,Geography and Trade ,1991]

《 1895年、ジョージア州の小都市ダルトンに住むキャサリン・エヴァンズという十代の少女が、
婚礼祝いにベッドカバーをつくった。それにはタフト*が施されて(tufted)おり、当時ではめずらし
いベッドカバーだった。というのも、タフトの手工業は18世紀から19世紀初頭までは数多くみら
れていたが、その頃には消滅しかけていたためである。この婚礼祝いが発端となって、ダルトンは第
二次大戦後、米国のカーペット産業の中心地として名を馳せるようになった。今でも米国カーペット
産業の上位20社のうち、6社がダルトンに集中している。残りの14社も1社を除けばみなダルト
ン近隣にあり、ダルトンとその近郊のカーペット産業に従事する人々は1万9千人にのぼっている。
 …ここで明らかにしておきたいことは、カーペット産業の例は非常に興味深いが、地域集中化の例としてはべつだん珍しくない
のだということである。実際、米国内の製造業はかなり地域集中化されているが、その源泉をたど
と、一見何でもないような過去の出来事にたどり着くことが往々にしてある。》48頁

《 エヴァンズ嬢の話ほどほのぼのとしたものではないにしても、一つの出来事がきっかけで特定の地
域への産業集中が起こり、集中過程によって加速化されていくという、類似した事例が見出せる。例
えば、マサチューセッツ州の靴産業はウェールズ人の靴修理職人ジョン・アダムス・ダギール
(John Adams Dagyr)が1750年に店を開いたことがきっかけとなっている。プロヴィデンスの
宝飾産業の独占(われわれが作成した高度に地域集中化している産業のリストにもランクされてい
る)は、1794年にある男が「かぶせ金」の技術を発明したことが発端となっている。トロイが取
りはずし式のカラーとカフス産業の中心地として名を馳せるようになったのは、1820年代にメソ
ジスト派の牧師が着用するようになったことによる。
 ここで経済学者が重視すべきなのは、地域集中化が起こるきっかけとなる出来事そのものではなく、
そうした出来事が地域集中化につながるほど大きく、継続して影響を与えることになる集積[ロックイン]**過程の性
質である。歴史的資料から、二つのことがいえる。第一に、こうした集積過程は持続する、というこ
とである。シリコン・バレーは集積にかかった時間やその空間的広がりという観点からは特殊な例で
はなく、よくある事例のなかでたまたま目立ったというだけである。第二に、マーシャル***があげた地
域集中化が起こる理由のうち、最初の二つの労働集中と特化した中間投入財の供給は、三つめの純粋
な技術の波及に比べるとより大きな役割を担っているということである。》77頁

《…ポール・デヴィッド(Paul David, 1985)が、経済とは歴史と偶然によって逐次決
定されるものであるという点を強調して提示したのが、…QWERTY (恣意的に
決められたタイプライターのキーボードの配列にちなんだ名称)モデルである****。
 このQWERTYは、多くの経済学者にとっては、厄介な問題を生じさせるものと映ったが、私は
刺激的で示唆に富むものと考えている。…》115頁

《 クルーグマン教授が本書で強調している点の一つは、経済のあり方が各国の歴史的経緯、つまら初
期条件に依存している(path dependence)ということであり、それを裏づける必要からアメリカ経
済史上の事例をいくつかあげている。その際、彼が取り上げた人物は、ヘンリー・フォードやアンド
リュー・カーネギーあるいはビル・ゲイツなど功成り名を遂げた企業家・実業家ではなく、キャサリ
ン・エヴァンズやジョン・アダムズ・ダギールといった、いわば無名の起業家であった。そのような
人物を歴史資料のなかから発掘し、そこに歴史の大きな流れの源泉を見出すという手法は、従来の経
営史のアプローチではなく、むしろ社会史のそれに通ずるものがある。つまり、こういった人物を紹
介することで、経済発展が特別の才能のある人物によってもたらされた特別な出来事ではなく、ごく
普通の人物が、ごく普通の発想から商売を始め、それがきっかけとなって産業化が進んできたという
ことを読者に印象づけることができるのである。》(訳者あとがき)163頁


タフトとは、生地の裏から糸の束を通して、表面がタオル状あるいは毛足の長いボア状になるようにするこ
と。織物にとって代わる手法として幅広く用いられるようになった技術。

**
集積(locking in)

***
マーシャルは、1842年生れの英国ケンブリッジ大学の経済学教授で、
1924年に没するまで現代経済学の基礎となるさまざまな分野の研究を発表した。

****
David, P. (1985). "Clio and the economics of QWERTY." American Economic Review 75: 332-337.
https://econ.ucsb.edu/~tedb/Courses/Ec100C/DavidQwerty.pdf 

参考:
『経済政策を売り歩く人々 -エコノミストのセンスとナンセンス』 [Peddling Prosperity,1994]
監訳:伊藤隆敏 ちくま学芸文庫 2009

4:00 午前  
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QWERTY経済学
『経済政策を売り歩く人々 -エコノミストのセンスとナンセンス』 Peddling Prosperity[1994]
監訳:伊藤隆敏 訳:北村行伸/妹尾美起 日本経済新聞社1995/ 9

第9章 QWERTY経済学より、
《一九八〇年代の初頭に、ポール・デイビッドと彼のスタンフォード大学での同僚であるブライアン・
アーサー(Brian Arthur)は「なぜQWERTYUIOPでなけばならないのか」という疑間を持つと、
まもなくこの問題には深遠な意味があることに気づいた。「クリオとQWERTY経済学」(原題Clio
and the Economics of QWERTY) (原注*)という表題で一九八二年に発表された論文程の中で、ディ
ビッドはQWERTYキーボードを新しい経済観のシンボルとして用いた。保守派経済学が政治的勝利
を収めている間にも、この経済観は静かにではあるが支持を増やしつつあった。
 QWERTYミステリーの解答は読者にはすでにおわかりかもしれない。タイプライターのキーボ
ドの標準配列が成立したのは一九世紀にまで遡るが、指の動きという観点からはこの配列が最も効率的
であるというわけではない。しかし初期のタイプライターの構造では、あまり早く打つと文字を打ちつ
けるアームが絡まるという問題があり、すこしゆっくり打たざるをえないような配列の方が好ましいと
いう背景があったので、この配列が不利になることはなかったのである。やがてタイプライターも電動
化され、アームが絡まるという問題は解消され、より効率的なキーボードのデザインへ移行してもよく
なったのではあるが、時すでに遅しという状況になっていた。
 タイピストはタイプライターメーカーが作ったQWERTY配列のキーボードで学び、メーカーは
タイピストが使い慣れたQWERTY配列のタイプライターを作っていた。キーボードの標準配列は偶
然に採用されたものだが、いつの間にか、その配列が固定化されてしまったのである。
 ポール·デイビッドやブライアン·アーサー、その他の経済学者が一九七○年代後半から八○年代初
頭にかけて気づき始めたことは、タイプライターのキーボード配列に類似した話は社会経済のいたると
ころに見いだされるということであった。そのうち技術選択に関するケースはQWERTYの話と酷似
している。例えば、あなたが特別な映画好きでレーザーディスク·プレーヤーを持っているのでなけれ
ば、普通家庭で使っているのはVHSビデオ 再生するビデオデッキだろう。これはVHSが特に優れ
たシステムだからという理由からではなく、ほとんどのビデオ店がVHSビデオを揃えており、また逆
にビデオ店がVHSビデオを揃えるのは、ほとんどの家庭にあるのがVHS再生システムだからである。
 私は本や論文をワードパーフェクト(Word Perfect)というワープロソフトを使って書くのだが、これ
は特に私が気に入っているからではなく、ほとんどの編集者が私の書く原稿をワードパーフェクトのフ
ォーマットで受け取りたがるからである。というのは、ほとんどの著者がワープロソフトとしてワード
パーフェクトを使っているからである。
 他のケースは少し違うように思われるかもしれないが、デイビッドとアーサーが気づいているように
根は同じことである。例えば、映画産業で働く場合、どこに住むかといえば、おそらく、ロサンジェル
スになるだろう。それは同業者がそこにたくさんいて、お互いを必要としているからである。もし、投
資銀行家であればニューヨークで働くというのも全く同じ理由からである。

 …QWERTYキーボードのエピソードは単にあたりまえのことを伝える気の利いた小咄ではな
い。アダム·スミスが『国富論』の書き出しでピン工場の例を用いたように、QWERTYは経済学に
対する全く違った考え方に目を見開かせてくれる寓話なのである(原注**)。つまり、この考え方は市場経
済が必ず最善の答えを出すという見方を否定するものである。その代わりに、市場経済の
は歴史的偶然に依存していることを示唆しているのである(ポール·デイビッドはこのことを歴史的経
路依存性(path dependence)と呼び、経済の帰結はその途中で何が起こったかということに依存して
くることを示した)。そして政略に長けた政府であれば、自らに都合のいいように歴史的偶然を演出し
ようとするかもしれないという意味で政治的な含意に満ちているのである。》254~7頁


《 …あまり知られていないことではあるが、アメリカで売られているカーペットのほとんどはジョ
ジア州の小さな町ドールトンの周辺で生産されている。多くの人にとって、この事実は大会社の副社
長のスーツのサイズが大きいということ以上に好奇心をそそられることとは思えないが、この例はより
一般的な原理を反映しているという意味で、はるかに重要なものである。しかもそのことは決して自明
ではない。
 どうしてカーペットはドールトンで生産されているのだろうか。もっと一般的にいえば、どうして多
くの産業において生産基地が一、二カ所に集中してしまうのだろうか。これは何も新しい問題ではない。
前世紀末から今世紀初頭にかけて活躍したイギリスの偉大な経済学者アルフレッド·マーシャルは、い
かに多くのイギリスの産業が特定の産業地区に集中しているかということに気づいていた。つまり刃物
類はシェフィールド、鉄製品はバーミンガム、レース編物はノッティンガム、主要綿織物業はマンチェ
スター周辺に集中していたという具合に。…》258~9頁


《…すでに見てきたように、産業局地化は、歴史的経路依存性を提示しているが、これは重要な
役割を演じている。シリコン·バレーはスタンフォード大学副学長のフレデリック·ターマン
(Frederick Terman) のビジョンにより一九四〇年代に少数のハイテク起業家を支援し、後に有名にな
ったハイテク産業群形成の種をまいたおかげで、今日の繁栄に結びついたのである。ドールトンへのカー
ペット企業の集中は一八九五年に10代の少女が結婚祝いに房飾りのついたベッドカバーを作ったこ
とに始まる。初めは地域の手工芸企業として出発したが、第二次大戦後、機織りで作っていた絨毬が大
量生産用の房で飾ったカーペットにとって代わられるようになると、その専門特化した技術が俄然重要
になってきたのである。》261~2頁


クリオ(Clio)とはギリシャ神話の中の歴史の女神である。
**
この新しい経済学説に対する決まった名称はまだない。ブライアン・アーサーは物理学用語を借りて「ポジ
ティブ·フィードバック」と呼んでいる。多くの経済理論家はそれを「戦略的補完性」と呼ぶ方が好ましいと
しているが、どうしてそう考えられているかを説明することは、正確を期すためには役立つかもしれないが
この場では必要はないだろう。私自身はポール·デイビッドの「QWERTY」が最も核心をついた表現だと
思うので、この章ではそれを使うことにする。
(350頁)

8:05 午後  
Blogger yoji said...


《 …あまり知られていないことではあるが、アメリカで売られているカーペットのほとんどはジョ
ジア州の小さな町ドールトンの周辺で生産されている。多くの人にとって、この事実は大会社の副社
長のスーツのサイズが大きいということ以上に好奇心をそそられることとは思えないが、この例はより
一般的な原理を反映しているという意味で、はるかに重要なものである。しかもそのことは決して自明
ではない。
 どうしてカーペットはドールトンで生産されているのだろうか。もっと一般的にいえば、どうして多
くの産業において生産基地が一、二カ所に集中してしまうのだろうか。これは何も新しい問題ではない。
前世紀末から今世紀初頭にかけて活躍したイギリスの偉大な経済学者アルフレッド·マーシャルは、い
かに多くのイギリスの産業が特定の産業地区に集中しているかということに気づいていた。つまり刃物
類はシェフィールド、鉄製品はバーミンガム、レース編物はノッティンガム、主要綿織物業はマンチェ
スター周辺に集中していたという具合に。マーシャルは、そのような地域集中に関して明解な解説のお
手本のような説明をしている。
 第一に、関連企業が一カ所に集中すると、特殊技能労働者が集まって労働市場を形成するようになり
それが労働者にとっては失業を防ぐ保障となり、企業にとっても労働力不足を回避する保障となるので
ある。
 「地域特化産業は技能に対する持続的な市場を提供することからたいへんな利便を得てきている。
使用者は必要とする特殊技能をもった労働者を自由に選択できるような場所をたよりにするであろう
し、職を求める労働者はかれらのもっているような技能を必要とする使用者が多数おり、たぶんよい
市場が見いだせるような場所へ自然と集まってくるからである。孤立した工場を所有しているものが
普通の労働力の豊富な供給が近くにあっても、ある特殊な技能をもった労働者が手にはいらないため
に、遠くへ移動しなくてはならない場合も少なくない。また工場が孤立していると、技能をもった労
働者のほうも、失業するとなると、勤め口を見いだすのに骨を折らなくてはなるまい。(アルフレッ
ド·マーシャル『経済学原理Ⅱ』馬場啓之助訳、東洋経済新報社、一九六六年、二五五~二五六ぺージ)
 第二に、産業の中心地が形成されると、その産業に特化したさまざまなサービスが提供されるようになる。

「やがて近隣には補助産業が起こってきて、道具や原材料を供給し、流通を組織し、いろいろな点
で原材料の経済をたすける。……その地区の同種の生産物の総計量が大きくなると、たとえ個別企業
の資本規模はそれほど大きくなくても、高価な機械の経済的利用がひじょうによくおこなわれるよう
にもなろう。それぞれ生産工程の一小部品を分担し、多数の近隣企業を相手に操業している補助産業
は、ひじょうに高度に特化した機械をたえず操業させていけるだけの注文があるので、……その経費
を回収していけるからである。……」(前掲書、二五五ページ)
 最後に、企業が集中していれば情報交換も活発化し技術の波及が促進される。
「その業種の秘訣はもはや秘訣ではなくなる。……よい仕事は正しく評価される。機械、生産の工程、
事業経営の一般的組織などで発明や改良がおこなわれると、その功績がたちまち回のはにのぼる。あ
る人が新しいアイデアをうちだすと、他のものもこれをとりあげ、これに彼ら自身の考案を加えて、
さらに新しいアイデアを生みだす素地をつくっていく。」(前掲書、二五五ページ)
 ビクトリア時代の言葉づかいではあるが(無味乾燥な学術用語中心の現代経済学の表現やそれに輪を
かけたように言語感覚の全く欠如した現代ビジネス用語と比べると、たしかに一服の清涼剤の趣がある)、
この説明は現在でも十分通用するもので、マサチューセッツ州の一二人号線沿いあるいはカリフオルニ
ア州のシリコン・バレー周辺の企業群についてもあてはまる議論である。私の友人は自明だと言ったか
もしれないが、マーシャルのような偉大な経済学者でなければ産業の局地化がより根本的な原理に基づ
いていることを指摘しえなかっただろう。
 第一に、産業局地化は規模に関する収穫逓増の重要性を示唆している。効率性を下げることなく工場の規模を削減できるのであれば、労働者や企業の便益のために大きな労働市場が存在する必要はなくな
るだろう。というのは小さな町であっても各種多様化した企業群を支えることができるからである。ま
た特化した部品供給企業を支えるために大きな地元企業が存在する必要もない。そして小さな町であっ
ても多様な企業群を支えられるのであれば、情報交換を容易にするための大規模な産業集中も必要もな
くなるであろう。
 もちろん実際には、産業の多くは(必ずしもすべてのとは言わないが)大規模な地域集中によって支
えられているようである。(ロンドンの金融街である)シティーの交通渋滞やシリコン·バレーの不動
産高価格は、収穫逓増の原理が重要であることを証明している。それも交通渋滞に憤慨しながらも、ま
た不動産の高価格にも耐えさせるほどに重要なのである。
 第二に、産業局地化は収穫逓増の原理が個々の企業レベルをはるかに超えたレベルで働いていること
を示している。シリコン·バレーに集まってきている個々の企業は決して大きくはないが、明らかにそ
れら企業の集合体は個々の企業を単に足し合わせたものより大きいのである。経済学用語を用いれば
規模の外部経済が働いているのである。個々の企業が競争し合うほどの規模を持つだけではなく、それ
が産業の、あるいは産業の一群の中に組み込まれることが重要なのである。その産業群は熟練労働者の
労働市場や専門化した部品供給者、あるいは繁栄をもたらす知識の波及を支えることができるほど十分
に大きくなければならない。
 最後に、すでに見てきたように、産業局地化は、歴史的経路依存性を提示しているが、これは重要な
役割を演じている。シリコン·バレーはスタンフォード大学副学長のフレデリック·ターマン
(Frederick Terman) のビジョンにより一九四〇年代に少数のハイテク起業家を支援し、後に有名にな
ったハイテク産業群形成の種をまいたおかげで、今日の繁栄に結びついたのである。ドールトンへのカー
ペット企業の集中は一八九五年に10代の少女が結婚祝いに房飾りのついたベッドカバーを作ったこ
とに始まる。初めは地域の手工芸企業として出発したが、第二次大戦後、機織りで作っていた絨毬が大
量生産用の房で飾ったカーペットにとって代わられるようになると、その専門特化した技術が俄然重要
になってきたのである。
 アルフレッド·マーシャルはそのような仕組みをすべて理解していた。収穫逓増と外部経済という便
利な用語は彼が考え出したものである。それらの用語は一八九〇年に出版された『経済学原理』(原題
Principles of Economics) の中で使われている。しかし、QWERTY経済学が本当に流行し始めたのは
一九八〇年代に入ってからである。どうしてこれだけ明らかなことに気づくのにこれほど時間がかかっ
たのだろうか。
 その理由は、端的に言ってしまえば、10世紀のほとんどの経済学者にとってはQWERTY的要素
は無視した方が便利だったからである(原注cojo経済理論は、基本的には、経済モデルき寄せ集めたもの
である。そしてそのモデルとは現実を単純化したもので、必然的に焦点の当てられる側面と捨象される
側面が出てくる。そして収穫逓増は重要ではなく、外部経済は存在せず、また市場経済は資源賦与条件
によって形成されるもので、決して歴史の気まぐれによって形成されたりはしないと仮定して経済をモ
デル化した方がたまたま容易であったということである。
 特にQWERTY的要素を経済の数学的モデルに組み込むにはうまく仕込む必要がある(私が「うま
く仕込む」とわざわざ言ったのは、不可能ではないが、かなり巧妙な仕組みを使わなくてはならないと
いう意味である)。経済学はますますもって、数学的指向が強くなってきたので、多くの経済学者がQ
WERTYの重要性に多かれ少なかれ気づいていたとしても、経済学の主流派の議論は一九七〇年代後
半まで、この要素を取り込むことを回避してきたのである。》257~263頁

8:09 午後  
Blogger yoji said...

ダグラス・ノースが推奨するのは以下、

収益逓増と経路依存 複雑系の経済学
ブライアン・アーサー著
所収


自己強化機構と経済学
Self-reinforcing mechanisms in economics

Brian Arthur 1988


収益逓増と経路依存 複雑系の経済学
著者名等  W.ブライアン・アーサー/著  ≪再検索≫
著者名等  有賀 裕二/訳  ≪再検索≫
出版者   多賀出版
出版年   2003.1
大きさ等  22cm 294p
注記    Increasing returns and path dependence i
n the economy./の翻訳
NDC分類 331.19
件名    経済分析  ≪再検索≫
目次    第1章 経済にある正のフィードバック;第2章 競合する技術、収益逓増、歴史の小事
象によるロックイン;第3章 経路依存過程とマクロ構造の発現;第4章 産業立地パタ
ーンと歴史の重要性;第5章 収益逓増の観点とビジネスの二相の新世界(原著未収録H
arvard Business Review,1996論文);第6章 情報感染;
第7章 都市システムと歴史経路依存性;第8章 自己強化機構と経済学;第9章 経路
依存性、自己強化および学習;第10章 戦略的価格形成と収益逓増の働く市場;第11
章 経路依存確立過程の強法則
ISBN等 4-8115-6461-8


6:52 午後  
Blogger yoji said...

経路依存性 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E8%B7%AF%E4%BE%9D%E5%AD%98%E6%80%A7
経路依存性(けいろいぞんせい、英: path dependence)は人々が任意の状況で直面する決定の集合が、過去の状況がもう関係なくなっているとしても、人々が過去にした決定や経験した出来事にどのように制限されているかについての説明である。
Arrow, Kenneth J. (1963), 2nd ed. Social Choice and Individual Values. Yale University Press, New Haven, pp. 119–120 (constitutional transitivity as alternative to path dependence on the status quo).

2:59 午前  

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