火曜日, 9月 04, 2018

Bancor:メモ(Keynes 1944)


http://nam-students.blogspot.com/2017/02/19841986.html
マルクス・貨幣・言語 現代思想 1983.03.01 思考のパラドックス、ダイアローグII 再録

柄谷 だから以前に岩井さんに言ったことがあるんだけど、「ケインズ主義」なんていうものはないんですよね。ケインズは当り前のことを言っている。「ケインズ主義」が出てきてからこうなったということではない。もともとそうなのですから、古典派経済学および新古典派こそがケインズの認識を「ケインズ主義」におとしめてしまう、ありもしない均衡体系を設定している。





                 ( 経済学リンク::::::::::
NAMs出版プロジェクト: バンコール(経済学)1940~2
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_11.html ☆
Bancor:メモ
http://nam-students.blogspot.com/2018/09/bancorkeynes-1944.html@

NAMs出版プロジェクト: 経済成長と分配理論 カルドア(&アバ・ラーナー)
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/blog-post_29.html
ケルトン教授、クルーグマン、ラリー・サマーズ 2019
http://nam-students.blogspot.com/2019/03/httpsthenextrecession.html

約束するお金と感謝するお金 単行本(ソフトカバー) – 2015/10/30




『約束するお金と感謝するお金』(ブイツーソリューション)著者矢野洋二氏ブログより
(前半部分は☆で引用した)
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_49cf.html



ケインズ案を簡単に説明すると、こういうことになります。(例によって初学者の理解なので、間違いがあればご指摘ください。) ICUに加盟する国のあいだの貿易では、決済通貨としてバンコールが使われます。各国の通貨とバンコールは、基本的には一定のレートで固定されていて、ICUの仲介によって貿易収支の決済を行なうことになります。バンコールは貿易決済専用の通貨ですから、実体ある紙幣のようなものである必要はありません、ICUの帳簿上に存在すればいいのです。各国の通貨当局がICUに口座を開き、そこに貿易収支を記帳して行くイメージです。ね、これって何かに似ていませんか? そうです、地域通貨の代表格であるLETSそのものじゃないですか! LETSが発案されたのは、1983年にカナダのバンクーバーでだったと記憶しますが、それより40年も前にケインズは国際版LETSともいうべきものを考えていたんですね。(この点ではゲゼルのIVAは現実の紙幣(為替券)を想定していましたから、まだLETSのシンプルさにはたどり着いていませんでした。) しかも、ICUに参加する国には、多額の拠出金を求めないという点でも、ケインズの考え方は地域通貨のLETSに通じるものがありました(この点はゲゼルのIVAも同じ発想でした)。さらには現在のLETS通貨が抱えている問題、すなわち参加者のある人はマイナスばかりためてしまい、ある人はプラスばかりためてしまうという問題に対しても、ケインズは対策を考えていました。常に輸入超過または輸出超過でバンコール残高の大きくなってしまう国には、一定の課税を行なうことを盛り込んでいたのです。これは通貨の価値保蔵機能に制限を付ける持ち越し税、つまりマイナス利子のアイデアに他なりません。これによって、参加国は常に貿易収支がバランスすることを努力目標として求められるのです。

 もしもブレトン・ウッズで、ケインズのこの案が採択されていれば、その後の世界経済はどんなに違ったものになっていたでしょう。ある超大国の通貨が、世界の基軸通貨を兼ねることにより、ますます経済的な一極集中が進むといった状況も避けられた筈です。すべての国々が平等に交易を行なえる理想的なフェアトレードの世界。しかし、この画期的なケインズ案は、圧倒的な経済力で世界に君臨し始めていたアメリカの提案に敗れてしまいます。アメリカ案は、現在まで続いている「国際通貨基金」(IMF)を中心にしたものでした。これは参加各国の拠出金によって設立される基金で、その割り当て額は参加国の経済力に応じたものになっていました。しかも、ケインズのICUでは、すべての参加国が公平に一票の議決権を持つのに対し、IMFでは拠出金の額によって票数が決められていました。つまり最初からアメリカ一国が支配出来る体制が目論まれていたのです。そこにはバンコールに相当するような中立な国際通貨の仕組みもありませんでした。それどころか、米ドルにのみ金兌換の特権が与えられ、ここに実質的にドルが世界の基軸通貨となる路線が敷かれた訳です。ケインズは失意のうちにアメリカを去りました。そして2年後にケインズが没したあとには、ICU構想も歴史の忘れられたエピソードになってしまったのです。

 もちろんケインズの構想を、単に人道主義に貫かれた理想論とだけ捉えることは出来ません。チャーチル内閣の特使でもあったケインズは、あくまでイギリスの利益を守るために、ICU構想によってアメリカに牽制をかけようとした、それが歴史の真実でしょう。しかし、それでも二十世紀前半、ゲゼルからケインズに受け継がれた理想主義の流れがあったことは間違いないと思います。そしてそれはこれからの世界経済に対しても大きな指針を与えてくれるものではないかと思うのです。何故私たちは、いまのこの経済のあり方を唯一絶対のものとして受け入れなくてはならないのでしょう? 世界の貧しい国同士が貿易をする際にも、何故ドルが使われなければならないのでしょう? 私はケインズの考えたバンコールの考え方が、いまほど有効な時代はないのではないかという気がします。もしもそれが国際社会におけるLETSのようなものだとすれば、それを始めるのは簡単なことです。搾取されるばかりの貧しい国々、グローバリズムの恩恵にあずかれない負け組の国々が団結して、バンコールでの取り引きを始めればいいのです。いったん軌道に乗れば、これは大きな流れになるような気がします。資源の無い日本、今後世界の中で経済的地位の低下が決定づけられている日本は、この流れの先頭に立てばいい。外貨準備も、現在のように米ドル一辺倒ではなく、ドルを三分の一、ユーロを三分の一、そしてバンコールを三分の一の割合で持つ。これは有望な先行投資になり得ます。やがて地球上のエネルギー資源が枯渇し、世界が一定の貧しさのレベルに落ち込む日が来れば、主役に踊り出るのは貧困に耐えられるバンコール諸国かも知れないからです。

(今回の記事を書くきっかけになったのは、フランスのル・モンド紙から転載されたこちらの記事です。示唆に富む内容なので、興味のある方には一読をおすすめします。)

ケインズの忘れられた貿易機関構想

スーザン・ジョージ(Susan George)
文筆家、トランスナショナル研究所(アムステルダム)理事長

訳・青木泉

line
 2001年に始まった世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンドは破綻した。欧州には、国単位あるいは地域単位での保護主義に戻ろうという動きもある。しかし私たちは、かつてケインズが提唱した国際貿易機関(ITO)の構想の、現代的な活用を図れるのではないだろうか。この構想には、完全雇用や福祉向上など、数々の目標も掲げられていた。[フランス語版編集部]
 このような新たな貿易秩序を作る努力がなされたのは、世界が戦争の廃墟から立ち直ろうともがいている時だった。アメリカ以外に、財政的に余裕のある国などなかったと言ってよい。マーシャル・プランも、米欧間の貿易を再開することで新たな景気後退を未然に防ごうとしたものだった。アメリカは、支払能力のある消費者が買ってくれる以上に、自国の工業生産量が増え続けて、だぶつくことを危惧していた。
 では、各国が立ち直り、生産と貿易を再開するには、どうすればよいのか。ケインズは1940年代はじめに解決策を考え出した。戦争勃発の一因は、より安く売ることで他の国を出し抜こうとする諸国の貿易政策であり、競争激化によって引き起こされた市場の争奪戦だった。『雇用・利子および貨幣の一般理論』の著者は、いかなる国も市場を独占し、膨大な貿易黒字の累積を得ることができないような仕組みを望んだ。それがICUである。ICUは諸国の中央銀行にとっての中央銀行であり、貿易決済のための国際通貨バンコールを発行する。

黒字国にも科せられるペナルティー

ICUの仕組みは次のようなものだ。ある国の保有するバンコールは、輸出によって増え、輸入によって減る。会計年度末に、その国のICU勘定が黒字でも赤字でもなく「清算」された状態、つまりプラスマイナスがゼロに近い状態になることが目標とされる。各国通貨とバンコールの為替レートは固定されるが、調整は可能とする。ケインズ案の革新性は、バンコール残高が黒字の国もまた赤字の国と同様に世界経済システムの動揺を引き起こす、言い換えれば、債権国が債務国と同じように安定と繁栄を脅かすという認識にある。 では、各国の勘定残高を限りなくゼロに近づけ、その状態を維持させるにはどうしたらよいのか。ケインズはすばらしく巧みな方法を考え出した。ICUは新通貨バンコールを発行する中央銀行として、各国に当座貸越枠を設定する。市中銀行と個人顧客との関係と全く同じだ。当座貸越の限度額は、過去5年間の貿易額平均の2分の1とする。限度額を超えた場合、超えた分に対して利子を支払う。このように、債務国は赤字分に対してペナルティーを科せられるが、ここで実に独創的なのは、債権国、つまり国際収支勘定が黒字の国も、超過分に対して利子を払うことだ。赤字額または黒字額が大きくなるほど利子は高くなる。
 更に、赤字国は、輸出を伸ばすために平価を切り下げ、輸出品の価格を下げることを義務づけられる。黒字国は、その逆で、輸出を抑えるために平価を切り上げ、輸出品の価格を上げる。黒字国が輸出超過を改めない場合は、当座貸越の限度額を超えた分をICUが没収し、準備金に組み込む。ケインズは、この資金を国際警察部隊や災害時の救助活動など、全加盟国にとって有益な活動に用いることを考えた。
 よくできた仕組みである。利子を払ったり、更には利益を没収されたりするのを避けるために、黒字国は、こぞって赤字国からの輸入を増やすだろう。赤字国の側では輸出が増え、貿易収支が改善に向かう。誰もが得をする仕組みなのだ。これが実現されていれば、国際貿易は拡大し、労働者の生活も保障され、より多くの富がより公平に分配され、国際関係はより平和になり、途上国の発展に向けられる資金も増えていたはずだ。そして、途上国の債務が現在のように膨れ上がることもなかっただろう。
 しかし、ケインズのこの構想は実現せず、彼が想像したような戦後世界は日の目を見なかった。そして世銀とIMFが推進した構造改革政策が、恐るべき事態を生み出してきた。途上国の膨大な債務は完済不可能だ。諸々の政策を決めているのは、民主的に選ばれた諸国の政府ではなく、ウォール・ストリートである(それに対してアルゼンチンなどの国がついに反旗を翻した)。最貧国は世界貿易の恩恵を受けていない。富める者は豊かになるほどにエゴイズムを膨張させている。
 WTOとそのルールがすでに存在する今、どうすれば均衡の取れた貿易が実現できるのだろうか。ジョージ・モンビオによれば、途上国は世界の金融システムに対して、26兆ドルの債務をいわば核の脅威のように突き付けて、ITOの創設を迫ることができる。あるいは途上国が、当初案よりは小規模な、独自の清算同盟を創設することもできるだろう。ラテンアメリカが先陣を切ってもよいのではないか。たとえばフランスなどで、新政権が発足した際に、このような構想を政策に組み入れるのも一案だ。それほど突飛なことではないだろう。いずれにせよ、仕組みについての細かい議論をする前に、頭に入れておくべきことがある。貿易システムの新たな骨組みを改めて考え出す必要はない。それはケインズが、とっくの昔に済ませているのだから。
(1) George Monbiot, The Age of Consent, Flamingo, London, 2003 では、世銀とIMFの構想を先頭に立って推進したのがケインズだったという通説に反論が加えられている。モンビオはまた、歴史学者の著作 Armand Van Dormael, Bretton Woods : Birth of a Monetary System, Palgrave Macmillan, London, 1978 に依拠して、ケインズがアメリカから一定の譲歩を得ることに成功しつつも、IMFが返済不可能な債務を作り出すだろうと予想していたことについても述べている。ケインズは結局アメリカ案を呑んだが、それは、ルールのない組織よりはルールのある組織の方がよいと考えたからであって、彼は創設された機関に満足はしていなかった。
(2) この会議の名称に注目したい。WTOは雇用問題に関心を向けることをはっきりと拒否してきたからだ。
(3) この時の経緯は以下の著作に詳述されている。Susan Ariel Aaronson, Trade and the American Dream : A Social History of Power Trade Policy, University Press of Kentucky, Lexington, 1996.

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2007年1月号)All rights reserved, 2007, Le Monde diplomatique + Aoki Izumi + Saito Kagumi





不確実性の時代 7、The Age of Uncertainty Episode 7 The Mandarin Revolution
https://youtu.be/cUKGhjnOSuY
https://youtu.be/cUKGhjnOSuY?t=50m30s
50:30~ ブレトン=ウッズ関連のケインズの肉声あり(案内はガルブレイス)



1944年7月22日

会議の終了と同時に、ケインズとホワイトはBBCの夕方のニュースで銀行と基金に関するステートメントを行なった。ケインズの行なったステートメントは、次のとおりである
131:
現在の雇用を提供し、将来の生産性を増大させるうえで、かくも大規模で広範な提案が行なわれた例はいまだかつてありません。われわれははるか隔たったニューハンプシャーの冷やかな森と山に囲まれて、静かに仕事をしてまいりました。そして、われわれがいかに偉大なものを産み出そうとしているかを、世界の人びとはまだ十分に理解していないのではないかと疑わしく思うのであります。
(全集#26,131頁参照)

227~8
Keynes on the Wireless

There has never been such a far-reaching proposal on so great a scale to provide
employment in the present and increase productivity in the future. We have been working quietly
away in the cool woods and mountains of New Hampshire and I doubt if the world yet understands
how big a thing we are bringing to birth.

ケインズ1944 写真
1944/1/1? [7/1?]
Bretton Woods Conference 1944. John Maynard Keynes and Harry Dexter White founding fathers of the IMF and the World Bank.
John Maynard Keynes addressing the Bretton Woods conference on Post War reconstruction and economic order 1944. John Maynard Keynes, 1st Baron Keynes, 1883 1946), British economist whose ideas have fundamentally affected the theory and practice of modern macroeconomics.
1944 Bretton Woods International Monetary Conference
The Keynes Bancor Plan
https://youtu.be/6qDGMzXiiIs(ゲゼルの優先権を指摘するコメントあり)
The Inspiration Behind Bancor
https://youtu.be/7zmWyqxYyBo(bancorは商標化されているかも知れない)
…ブレトン・ウッズの名を世界に知らしめているのはやはりこの地で締結されたブレトン・ウッズ協定[system]である。1944年に開かれた国際通貨金融会議によって国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD)が設立され、これらの組織とアメリカ合衆国ドル中心の固定為替相場制を軸とした、いわゆる「ブレトン・ウッズ体制」が生まれた。このブレトン・ウッズ体制は、1971年ニクソン・ショックで崩壊するまで、四半世紀に亘って第二次世界大戦後の世界経済を支えた。
1944/7/1~22 
写真は7月中のものでなければおかしい

議事録リンク:

Bretton Woods Conference, 1944

ドキュメント:
126
一九四四年七月二二日、ブレトン・ウッズ最終日本会議において、最終協定承認を提案したケインズ卿の演説Address by Lord Keynes, Chairman of the Delegation of the United Kingdom, at the Closing Plenary Session, July 22, 9:45 p.m.

議長閣下この記念すべき会議において、最終協定承認の提案を求められ、まことに光栄に存じます

.…
26
128,9

I28
およびイギリス代表団のベキットの諸氏に多大の感謝の念を捧げるものであります。彼らに対してはただひとつだけ
苦情がありまして、昨日第二委員会で、あえてそれを申し述べたのであります。それは、法律家たちがわれわれの出
生証明書のあよりにも多くの部分を、葬礼讃美歌、聖書朗読などに関する、こまごまとした規定などで埋めつくし
てしまわなければよかったのにと思われることであります。
議長閣下、われわれは今宵,決定的な点に到達いたしました。しかし、それはほんの始まりにしかすぎません。わ
れわれは、熱意と誠実とにより鼓舞された伝導者として、ここから出発しなければなりません。われわれ自身はこれ
らすべてをよく承知しています。しかし、世界全般に対しては、なお説得する必要があります。
103
われわれの議事は、外の世界では批判的、懐疑的そしてあげ足とりの気持をもってすら見守られ、待ちうけられて
きたのでありますが、正直に申しまして、私はそれによりおおいに勇気づけられております。われわれの計画が幻滅
の状態で終わるよりも、幻滅の状態で始まる方がはるかによいでありはしょう。われわれは自分たちの仕事にあまり
にも間近にいるので、その輪郭をはっきりと見定めることができないかもしれません。しかし、批判や疑いをさしは
さむ人びとが、より一層精しくそれを調べて見ると、計画は予想したところよりもはるかに優れたものであることが
明らかとなり、われわれが受けてきた批判や疑いが、かえって事態をわれわれにとり有利なものとすることになるこ
とを望んでおります。
 最後に、われわれはここブレトン·ウッズにおいて、この最終協定のなかに具体化されているところよりも、おそ
らく一層重要なことを成し遂げました。われわれは、四四カ国が相集い力をあわせて、親密でなにものにも破られな
い調和を保ちつつ、建設的な仕事をなすことができることを、目のあたりに示したのであります。それができると信
じた人はほとんどありませんでした。もしも、われわれがこの限られた仕事において初めてなしてきたところを、さ
らに一層大きな仕事に受け継ぐことができるならば、世界の前途には大きな希望があるといいうるでありましょう。
ともかく、いまやわれわれは新しい友情に固く結ばれ、新しい親睦の実をあげて、それぞれの国に分かれて帰ろうと
しています。われわれは協力することを学んでまいりました。もし、われわれがこの協力を持ち続けることができま
すならば、ここに出席しているわれわれの大部分のものが、その生涯のあまりにも多くを費やしてきた戦争というこ
の悪夢は終りを告げるでありましょう。そして、人類の兄弟の絆という言葉は、単なる言葉以上のものとなるであり
よしょう。

 議長閣下、私はここに最終協定の承認を提案いたします。
演説
:129
議事録:
原文
vol.2,p.1242
Address by Lord Keynes, Chairman of the Delegation of the United Kingdom, at the Closing Plenary Session, July 22, 9:45 p.m.


https://www.globalpolicy.org/component/content/article/209/42675.html

Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of forty-four nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world.


最後に、私たちはおそらく、この最終法で具体化されているものよりも重要な何かをブレトンウッズでここで達成したでしょう。 私たちは、44カ国の会合が、実際には親密さと途切れのない合意の建設的な仕事で一緒に働くことができることを示しました。 それは可能であると信じている 私たちがこの限られた仕事から始めたより大きな仕事を続けることができれば、世界に希望があります。


https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss630304_137144.pdf
神谷解説

1944 年7月に世界43ヵ国の代表が米国ニューハンプシャー州ブレトンウッズに集結し,国際通貨基金(IMF)協定と国際復興開発銀行(IBRD)創設に関する条項が起草されたが,その大本となったのは戦後の国際通貨体制を巡って交渉された英国側の「国際清算同盟案(Keynes 案)」と米国側の「国際安定化基金案(White 案)」であることは有名な話である.会議の終わりに Keynes と White の両雄が夕刻の BBC ニュースで声明を発表したが,BrettonWoods(1944 年 7 月22日放送)にはその時の Keynes の想いが綴られている.IBRD の役割は日常生活の救済や復帰に必要な資金と,その後の恒久的な再建と産業の復興に必要な資金の両方を満たすことと,低開発地域の発展に資することである.特に,後者の目的を遂行するために,各国が債権国の融資を分担して保証すべきことも提案されたり,保証国を保護するための周到な準備も色々となされている中にあって,現在における大規模な雇用創出と将来の生産性向上に寄与するであろう,こうした広範囲に及ぶ提案はかつてなかったという.世界はこのニューハンプシャーという地から,大きなことが生まれることをまだ理解していないようだと締め括ったKeynes のフレーズが実に印象的である.

129:
会議の終了と同時に、ケインズとホワイトはBBCの夕方のニュースで銀行と基金に関するステートメントを行なった。ケインズの行なったステートメントは、次のとおりである
131:

この偉大な計画から世界が受けうる莫大な利益は、ま
ずもって誇張しすぎることのできないものであります。資源は解放された地域の復興にあてられるでしょう。購買力
は、需要に対して物理的に対応できる、いかなる国の製品の購買にも使用することができるでしょう。債権・債務国
間の国際収支の均衡維持な助けるため、強力な手段が提供されることになります。現在の雇用を提供し、将来の生産性を増大させるうえで、かくも大規模で広範な提案が行なわれた例はいまだかつてありません。われわれははるか隔たったニューハンプシャーの冷やかな森と山に囲まれて、静かに仕事をしてまいりました。そして、われわれがいかに偉大なものを産み出そうとしているかを、世界の人びとはまだ十分に理解していないのではないかと疑わしく思うのであります。


227~8
Keynes on the Wireless


I can scarcely exaggerate, the vast benefits which may
flow to the world from this great scheme. Resources
will be available to reconstruct the liberated areas.
Buying power will be available for the output of
manufacturers in every country physically capable
of meeting the demand. A powerful means will be
provided to assist the maintenance of equilibrium
in the balance of payments between debtor and
creditor countries. There has never been such a far-
reaching proposal on so great a scale to provide
employment in the present and increase productiv-
ity in the future. We have been working quietly
away in the cool woods and mountains of New
Hampshire and I doubt if the world yet understands
how big a thing we are bringing to birth.

ラジオ
BBC World Service - Omnibus, Mr John Maynard Keynes







from a June 1939 radio talk for the BBC entitled ‘Will Rearmamanent Cure Unemployment?’
“If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments,
we can cure it for the productive purposes of peace.”
1939年5月23日BBC

「もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、
われわれは平和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。」
(邦訳全集21巻612頁) 
ケインズ全集 第21巻 世界恐慌と英米における諸政策



keynes on wireless p.193
Will Re-armament Cure Unemployment?

again as this, or even double. And this isn't the end.
Two hundred thousand young men are going to be
called up; and the raising of the school-leaving age
this autumn will make a big cut in the numbers of
lads coming forward.
What a difference all this makes! It is not an exag-
geration to say that the end of abnormal unemploy-
ment is in sight. And it isn't only the unemployed
who will feel the difference. A great number besides
will be taking home better money each week. And
with the demand for efficient labour outrunning
the supply, how much more comfortable and secure
everyone will feel in his job. There will be other rea-
sons for plenty of anxiety. But one of the worst anx-
ieties is anxiety about getting and keeping work.
There should be less of that than for years past.
I have a special extra reason for hoping that trade
unionists will do what they can to make this big
transition to fuller employment work smoothly. I
began by saying that the grand experiment has
begun. If it works, if expenditure on armaments
really does cure unemployment, I predict that we
shall never go back all the way to the old state of
affairs. If we can cure unemployment for the wasted
purposes of armaments, we can cure it for the pro-
ductive purposes of peace. Good may come out of
evil. We may learn a trick or two which will come in
useful when the day of peace comes, as in the full-
ness of time it must.

Facts & other stubborn things: Keynes on the War Economy
http://factsandotherstubbornthings.blogspot.jp/2011/10/keynes-on-war-economy.html
Doing a little more reading on the war economy and post-war expectations. This was interesting - it's from a radio broadcast "Will Re-armament Cure Unemployment" (1939):


"What a difference all this makes! It is not an exaggeration to say that the end of abnormal unemployment is in sight. And it isn't only the unemployed who will feel the difference. A great number besides will be taking home better money each week. And with the demand for efficient labour outrunning the supply, how much more comfortable and secure everyone will feel in his job. There will be other reasons for plenty of anxiety. But on of the worst anxieties is anxiety about getting and keeping work. There should be less of that than for years past.


I have a special extra reason for hoping that trade unionists will do what they can to make this big transition to fuller employment work smoothly. I began by saying that the grand experiment has begun. If it works, if expenditure on armaments really does cure unemployment, I predict that we shall never go back all the way to the old state of affairs. If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments, we can cure it for the productive purposes of peace. Good may come out of evil. We may learn a trick or two which will come in useful when the day of peace comes, as in fullness of time it must."

(21:607~612頁)
5月23日ケインズはBBC放送で再軍備と失業の関係について話した。この談話はその後刊行された。
『リスナー』誌、1939年6月1日
 再軍備は失業を救済するか?

 すべてのことは何という違いをもたらすことであろうか! 異常な失業の終わりが視野に入っているといっても過
言ではない。違いを感じるのは失業者だけではない。それ以外の多くの人は毎週より多くの金を家庭に持って帰るだ
ろう。
そして有能な労働に対する需要が供給を上回っているので、誰でもがその仕事において如何にずっとより快適
で安全であると感じることであろうか。多くの不安には他の理由はあるだろう。しかし最悪の不安のーつは仕事を得
ること、また、それを続けることについての不安である。過去の年よりもそれは少ないに違いない。
 わたしは労働組合員たちがより完全な雇用ヘのこの大きな移行が円滑に働くように彼らがなし得ることをすると望
む特別の追加的な理由を持っている。わたしは大きな実験が始まっていると初めに言った。もしそれがうまくいくな
らば、すなわち軍備への支出が本当に失業を救済するならば、われわれは、はるばると過去の状態ヘ戻ることは決し
てないとわたしは予言する。もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、われわれは平
和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。
善は悪から生まれるかもしれない。われわれは平和の時が来れ
ば役に立つ一つ二つの秘訣を学ぶだろう、時満ちて必ず然るごとく(訳注*)。


*「ガラテヤ書」第四章四「時満つるに及びては…」。 

keynes 1939 Will Re-armament Cure Unemployment?
https://youtu.be/LIbwKk1z7bk
J. M. Keynes, When the Day of Peace Comes
https://youtu.be/tomLfciG5z0 [なぜか有名な平和への言及がカットされている]

修復版


keyoes on the wireless :187~193
:193
John Maynard Keynes Explains Cure to High Unemployment in His Own Voice (1939) | Open Culture
http://www.openculture.com/2012/06/john_maynard_keynes_explains_cure_to_high_unemployment_in_his_own_voice_1939.html
The British economist John Maynard Keynes argued that there is a role for government intervention when aggregate demand for goods and services drops, as it did during the Great Depression. Without increased public spending to make up for decreased private spending, he said, an economy will slide into a vicious circle of low demand and low output, ensuring a prolonged period of high unemployment. Government thrift at such times will only deepen the problem. “The boom, not the slump,” said Keynes, “is the right time for austerity.”
In 1939 dark clouds of war were gathering over Europe, but Keynes saw a silver lining: an opportunity to prove his theory correct. He believed that the massive government-funded war mobilization would finally give sufficient stimulus to end the Great Depression. On May 23 of that year Keynes gave his famous BBC radio address, “Will Re-armament Cure Unemployment?” He said, in part:
It is not an exaggeration to say that the end of abnormal unemployment is in sight. And it isn’t only the unemployed who will feel the difference. A great number besides will be taking home better money each week. (And with the demand for efficient labor outrunning the supply, how much more comfortable and secure everyone will feel in his job. ) The Grand Experiment has begun. If it works–if expenditure on armaments really does cure unemployment–I predict that we shall never go back all the way to the old state of affairs. ☆Good may come out of evil. We may learn a trick or two, which will come in useful when the day of peace comes.
邦訳全集25:612頁では☆に “If we can cure unemployment for the wasted purposes of armaments, we can cure it for the productive purposes of peace.”が入る。



Statement by Lord Keynes on the proposed Bank for Reconstruction and Development (1944) 
_______















カルドア
http://lonestarwhitehouse.blogspot.com/2018/03/the-case-for-commodity-reserve-currency.html
google翻訳
商品準備通貨の場合
ここの読者は、私たちは常に金融システム改革のアイデアを探していることを知っています。私は幸運にも、様々なアイデアや改革の提案を話し合うエコノミスト間の電子メールの議論を聞いて、随時耳を傾けてきました。

Dr. Leanne Ussherは、このリンクを「商品準備通貨」の考え方を見せた2009年の論文に送ってくれてとても親切でした。以下は、提案の要約を提供する要約です。エッシャー博士は、このペーパーで提示されている主な考え方に基づいて拡大する将来の潜在的なグローバル準備通貨のためのいくつかのコンセプトに取り組んでいると私に助言します。
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グローバル・インバランスと主要通貨制度:商品準備通貨の場合

抽象
この論文では、カルドアの1964年の商品準備通貨(CRC)に対する提案が、現在のシステムに対する重大な代替案として考慮されています。これは、米ドルの準備通貨の状態が、現在の危機に先駆けて世界的な不均衡と財政的脆弱性を生み出すのに役立ったと主張している。 CRCの第一の目標は、1960年のトリフィンのジレンマを解決することでした。代替的な金融改革提案の簡単な歴史の後、CRCが概説されている。 CRCは、30余りの商品のバスケットに支えられて、国際準備金の観点から価格指数を修正し、個々の商品価格の乱雑な変動を減らすだろう。ソブリン政府は自国の通貨をCRCに固定するか自由に浮動させる。地球温暖化と国家の安全保障、特に世界最貧国での懸念が高まる中で、CRCの導入は供給の制約を緩和し、生産コストを安定化し、周辺国からの世界的な効果的な需要を促進し、
-------------------------------------------------- -------------------------------------------------- ------
私のコメント:これまでの読者は、現在の通貨システムを改革する方法としてエコノミストが真剣に議論している様々なアイデアや提案があることを理解しておく必要があります。私は読者がそれらを知っているかもしれないようにここにそれらの様々な機能を加えようとし、彼らが望むならさらにそれを探検しようとしました。私はこのブログのページにこの記事を追加します。ここで私はこれらの様々なアイデアや提案をいくつか挙げました。 Dr. Ussherがこのアイディアに関する作業に基づいていくつかの追加情報を提供することができたら、それを将来のフォローアップ記事で紹介します。
投稿者:Larry White時刻:6:00

カルドア
バンコールについては
Essays on Economic Policy2: Policies for international stability. Country studies

https://www.concertedaction.com/wp-content/uploads/2014/02/Nicholas-Kaldor-Collected-Economic-Essays.pdf
目次証拠

The Case for an International Commodity Reserve Currency: Measures for Stabilization of Primary Commodity Markets at Equitable and Renumerative Prices Including Commodity Arrangement

"The Case for a Commodity Reserve Currency", with A.G. Hart and J. Tinbergen, 1964, UNCTAD

cruel.org
戦後期にカルドアは 開発政策で技能を活かした。発展途上国に対する政策提言としては有名な「支出税」 (1955) 方式 (これはカルドアがインドとスリランカで顧問を務めていたときに、両国で実際に導入された)がある。バンコール「商品準備通貨」方式 (1964, ハートや ティンバーゲンと共著) はまだ実施した国はない。

カルドア
144:
A far more impor"tant consideration is that the income-stabilisingeffect of the monetary standard applies not merely to that partof the output of the standard commodities which is actually addedto the reserve(1), but to the entire output of these commodities. 
It should also be emphasised that the advocacy of a commodity-reserae is not the same thing as the advocacy of commodity-money. any more than .the gold reserve is the same thing as a goldcurrency. There is no suggestion that individual currencies shouldhave a fixed and unalterable par value in terms of commodities:on the contrary, the proposal is advanced in order to makechanges in par value (i.e. adjustments in exchange rates) easier tointroduce than it is under the so-called "gold-exchange standard"at present.(2)

1 As wiil be argued below (p. 164), the rate ofaddition to reserves under this systemis likely to approximate, over a run ofyears, the rate ofincrease in the world productionand consumption of the commodities included in the "standard."

2 The proposal is therefore entirely free from the objection Keynes advanced againstthe commodity reserve proposal that in a world of rising money wages stabilising theprice level by means of a commodity-money might lead to highly undesirable resultssince it would prevent the rise in prices that is necessary to compensate for the risein money costs (cf. Economic Journal, June-Septemberr rg43.p. 176).This would betrue only ifindividual countries were not free to devalue in terms ofan international standard when their "efficiency wages" rose in relation to others. But since the move
ment of "efficiency wages" of different countries is far from uniform, the possibility
of individual devaluations does not obviate the advantages of having a stable inter-
national standard in terms of commodities or the parallel advantages of stabilising the
price level of commodities in terms of an international standard.
貨幣標準の所得安定化効果は、実際に積立金に追加された標準品目の産出分だけに適用されるものではなく1、しかしこれらの商品の生産高全体に適用されるということがはるかに重要である。
また、コモディティ・リサイタルの主張はコモディティー・マネーの主張と同じではないことも強調すべきである。 ゴールドリザーブ以上のものは、金銭の流れと同じものです。 反対に、個々の通貨が商品の面で固定かつ変更不可能な額を持つべきであるという示唆はない:反対に、提案は、所得格付けの変更(すなわち、為替レートの調整)を、現時点では「金取引基準」と呼ばれています。2

1 以下で議論されるように(p.164)、この制度のもとでの埋蔵量への追加率は、世界の生産の増加率と「標準」に含まれる商品の消費率を近似して推計する可能性が高い。

したがって、ケインズは、財貨によって価格水準を安定させている貨幣賃金が上昇する世界では、必要な物価の上昇を防ぐことができないため、非常に望ましくない結果を招く可能性があるとしている(経済学ジャーナル、June-Septemberr 1943.p. 176参照)。これは、個々の国が他の国と比較して「効率賃金」が上がったときに、国際基準で安価で安価ではない場合にのみ成立する。 しかし、異なる諸国の「効率賃金」の統一性が一様ではなく、個々の切り下げの中で、コモディティの観点からの国家基準、あるいは商品の価格水準を国際的な基準で評価している。

internatiONAL COMMODITY RESERVE CURRENCY 

146:

II. OUTLINE OF A PROPOSAL

An I.M.F. Currencltr. It is suggested that, in line with other monetary reformproposals, the I.M.F. should establish its own currency-let us call it the "bancor"-which after an initial ,,build-up period,'should be convertible into (a) gold, (D) a bundte of commoditiesconsisting of the thirty or so principal commodities in worldtrade which combine a high degree of standardisation withreasonable durability in storage.e. Bancor issued by the I.M.F. should be fully covered by goldand commodities, except for a fiduciary issue which should befixed in amount (subject to possible revision by re-negotiation inlater years).3. Bancor operations should be held distinct from the existing
system of drawing rights of members to purchase each others'currencies out of holdings at the disposal of I.M.F.; such drawingsshould not lead to emission of bancor.4. Bancor should be exclusively a deposit currency, and only thecentral banks of member countries should be entitled to holdbancor balances with I.M.F. The bancor unit shouid be distinctfrom the monetary unit of any member country, and should beassigned a gold par value that is large in relation to that of anynational currency unit (equivalent, perhaps, to Ioo or r,ooo IJ.S.dollars). Member countries should undertake to accept bancor insettlement of claims in the same manner as gold.5. It is suggested (the figures are intended as illustrative) thatinitially the I.M.F. should aim at an issue of bancor of theorder of the present equivalent of U.S. $3o billion, made up asfoilows:
(i) $5 billion in exchange for gold.
(ii) $zo billion in exchange for commodities of various kinds,according to the procedure described below.
(iii) $S billion against loan obligations of member countries(constituting the fiduciary issue).

Commodit2 Bundles6. The composition of the "commodity bundle" should beagreed upon at the outset, on the basis of the followingprinciples:(i) As many internationally traded commodities,as possibleshould be included, provided that each commodityincluded satisfies four basic criteria:(a) A high degree of standardisation (which means that itpossesses a clearly defined world-market price, whenquantity, grade, place and date of delivery are speci-fied).(D) Reasonable durability in storage (which means thatthe stock need not be turned over, to avoidphysical deterioration, more often than say, once aYear).


146:


II。 提案の概要

IMFカレンダー IMFは、他の通貨改革提案に沿って、自国の通貨を確立しなければならないと示唆しています。これは、最初の建設期間の後に、(a)金、(b) D)貯蔵の中での高度な標準化と合理的な耐久性を兼ね備えたワールドトレードにおける30以上の主要商品からなる商品の束。 IMFが発行するBancorは金額で固定すべき信託上の問題を除いて、金とコモディティによって完全にカバーされるべきである(その後の再交渉による可能性のある改訂を条件として)。 バンカーの運営は、既存の
IMFの処分に際し、各国の通貨を保有する国の外貨を購入する権利を引き出す制度。 そのような図面はバンカーの排出につながるものではない。 Bancorは専ら預金通貨でなければならず、加盟国の中央銀行だけがIMFとバンバンマー残高を保有する権利があるべきであるバンコク・ユニットはいかなる加盟国の通貨単位とも異なる必要があり、任意の国の通貨単位(これは、おそらく、Iooまたはr、ooo IJ.S.dollarsに相当するもの)です。 加盟国は、ゴールドと同様にクレームのバンカー・インサテーションを受け入れるべきである。 IMFは、最初に、現在の300億米ドル相当のバンコアの問題を目指すべきであることを示唆している(数字は例示的なものである)
(i)金と引き換えに50億ドル。
(ii)下記の手順に従って、様々な種類の商品と引き換えに十億ドル。
(iii)信託問題を構成する加盟国のローン債務に対する10億ドル。

Commodit2 Bundles6。 (i)可能な限り多くの国際貿易商品が含まれているが、含まれる各商品は以下の4つの基本的基準を満たすことを条件とする。 (D)在庫の合理的な耐久性(これは、在庫を裏返す必要がないことを意味する。物理的な劣化を避け、より頻繁に、一度年に1回)。



カルドアが参照したのはケインズの以下、
Keynes, J. M., “The Objective of International Price Stability”, Economic Journal, June-September 1943.


邦訳ケインズ全集
39-43頁

国際価格安定の目標
42:
 国際通貨計画は、為替の安定を維持する分野では完璧に働きうるものであるが、なおかつ価格の方はかなり動くかもしれないということになる。もし賃金と価格がすべてのところで同じく二倍になるならば、国際的な為替の均衡は乱されない。もしある特定の国で効率性賃金がその規準よりも一〇パーセント多く上昇するならば、その場合は注目を要する厄介な問題が起こるということになる。
 国際通貨計画の目標をこのように限定する根本的な理由は、価格水準の安定を外部から押しつけることが不可能であること、ないしはともかく望ましいことではないことにある。金本位制の誤りは国ぐにの賃金政策を外からの命令に従わせようとするところにある。国内価格の安定(ないし不安定)は、国内政策と政治の問題であると考えるのがより賢明である。商品本位制はこれを外部から押し付けようとするものであって、厳格な金本位制とまったく同様に必ずや崩壊するであろう。
論考

Economic Development, Payments Deficit, and Payment Restriction

前表紙
Librairie Droz, 1963 - 168 ページ

of the Monetary System, Vol. 3, London, 1959, p. 144(58).
I.M.F., 1956, p. 6
р.
R.F.Kahn, Memorandum of Evidence, Radcliffe Committee on the Working
5 M.W. Holtrop, Summary Proceedings of the Eleventh Annual Meeting of
Hans Karl Von Mangoldt-Ruboldt, Summary Proceedings, IM.F., 1956,
t This brings one to the question of international price stability an
objective which failed to find its way into the aims of the International
Monetary Fund. It was the failure to pursue this objective which has been
responsible for the erosion of the real value of existing liquidity resources
including the endowments made by member countries to the International
Monetary Fund. The exclusion of the objective of international price stability
from the domain of the International Monetary Fund was in no small measure
due to the influence of Keynes. Keynes categorically rejected the objective
of international price stability since he refused to accept the discipline of the
_ "Internatioial prices
which are stable in ternis of Unitas or Bancor cannot be translated into
stable national price levels except by the old gold standard methods of
influencing domestic money costs. And failing this there is not much point
in an international price level providing stability in terms of an international
unit which is not reflected in corresponding stability of actual price levels of
member countries." J.M. Keynes, "The Objective of International Price
international gold standard. To quote his words
Stability", Economic Journal, June-Sept, 1943, p. 186.
8 Deficit should be understood to mean deficit in the "market balance of
payments". For a definition of the market balance of payments, see F. Mach-
lup, "Three Concepts of Balance of Payments", Economic Journal, March 1950.
36

26,41:
…国際価格は、ユニタスまたはバンコールに関して安定していても、国内のマネーコストの水準に影響を与える古い金本位制の方法によらない限り、国内価格水準の安定にはつながらないからである。そして、国際的単位による安定は図ることができても、加盟国の現実の価格水準の面において、それに対応した安定をもたらさないような国際価格水準であってみれば、その安定が達成されなくても、さして重要なことではない。
ここだけ引用すると誤解を生む
______
ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203) (祥伝社新書 203) 新書 – 2010/6/1
武田知弘 (著)
5つ星のうち 4.2 14件のカスタマーレビュー


アーリア化については詳述なし

シャハトに言及


151頁

第4章 新しい国際経済システムを

金本位ではない国際金融システムを

 ケインズは、国際経済を金本位制から切り離し金によらない決済方法を提案した。それ
は「バンコール」という国際決済通貨を作るというものだった。パンコールは、各国の過去
3年間の貿易額の75 %が、あらかじめ自動的に各国の「持ち分」として割り振られる。各国
は、輸出と輸入の差額をこのバンコールのやり取りで調整するのである。
 貿易黒字国は黒字分のバンコールを受け取り,赤字国は赤字分のバンコールを支払うのだ。
つまりバンコールは、金を使わずに貿易の決済ができる新しい国際通貨だったのだ。
 しかし、これは金を大量に保有しているアメリカには、絶対に飲めない条件でもあった。
金 を使わずに貿易ができるようになれば、金を大量に保有しているアメリカの優位が失われ
る。というより、アメリカの保有している大量の金は、宝の持ち腐れになってしまう。
 だからアメリカは、あくまで金本位制に固執した。

黒字国も赤字国も、同じように責任を負う

 ケインズの提案の中で特筆すべきは、貿易黒字国も赤字国も、収支均衡を保つ義務を負う
という点である。














3:42 午後  
______

The Case for an International Commodity Reserve Currency: Measures for Stabilization of Primary Commodity Markets at Equitable and Renumerative Prices Including Commodity Arrangement

前表紙
UN, 1964 - 40 ページ
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書誌情報

QR code for The Case for an International Commodity Reserve Currency
書籍名 The Case for an International Commodity Reserve Currency: Measures for Stabilization of Primary Commodity Markets at Equitable and Renumerative Prices Including Commodity Arrangement
International commodity problems
出版社 UN, 1964
1:28 午前  



7:31 午後 削除
Blogger yoji さんは書きました...
8:42 午後  
 
バンコール - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/バンコール
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・ フリードリッヒ・シューマッハーが提案した ...
ニコラス・カルドア (Nicholas Kaldor) - cruel.org
cruel.org/econthought/profiles/kaldor.html
ケインズ『一般理論』(1936) 登場と共に、カルドアは LSE のルーツを捨ててケインズ 革命に参加した――そしてその ... バンコール「商品準備通貨」方式 (1964, ハートや ティンバーゲンと共著) はまだ実施した国はない。
Bancor(バンコール)とは?ケインズ発想の通貨が現代に復活 ...
coinotaku.com>トップ>通貨
2018年3月5日 ... バンコールという名前は、1944年のブレトン・ウッズ会議でケインズとシューマッハが提唱したが、結局採用され ...
政策家としてのニコラス・カルドア1 - 日本大学商学部 (Adobe PDF) -htmlで見る
www.bus.nihon-u.ac.jp/laboratory/pdf/KimuraYuichi_86-4.pdf
していたこと,第三に,カルドアはケインズの衣鉢を継いだ経済学者であること,である。 政策家としてのニコラス・カルドア1) ...
ケインズの分析視角と開発論 Keynes' Angles of View and ... (Adobe PDF) -htmlで見る
shotoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository...
すなわちケインズ(J. M. Keynes)思想と開発論との関係について議論する。 ...... ケインズは国際清算同盟の創設のための国際通貨としてバンコールを発行する .... その他にはカルドア(N. Kaldor)もネオケインジアン.
戦時対外金融政策と戦後国際経済秩序 (Adobe PDF) -htmlで見る
kanazawa-u.repo.nii.ac.jp/?action...uri...1
は,ケインズが命名した「バンコール」(Bancor)という新しい国際通貨単 ...... カルドア( ECO"o加允ノリ"、αノlMarch,1983,.
ジョン・メイナード・ケインズ - Wikiwand
www.wikiwand.com/ja/ジョン・メイナード・ケインズ
初代ケインズ男爵、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1st Baron Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)は、イギリスの経済学者、官僚、貴族。
NAMs出版プロジェクト: 経済成長と分配理論 カルドア(&アバ・ラーナー)
nam-students.blogspot.com/2017/07/blog-post_29.html
代替的な分配諸理論 リカードマルクス新古典派ケインズ派 を概観していて秀逸. カルドアによるリカード経済学の図解あり.
貨幣供給内生説vs貨幣供給外生説 - LAW,ECONOMICS& ...
chicagoyale.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/vs-d0bb.html
... ありがとうございます · カルドアとオーストリアン貨幣理論 · 放置 · 最近の ... 国際的信用創造、バンコール案、民主党は? ... 貨幣供給の内生説は、このケインズの考え方に対応していると言える。」.
現実世界の経済学 Political Economy of the Real World : 6月 2015
antimainstreameconomics.blogspot.com/2015/06/
ケインズのバンコールと異なり、ユーロは為替調整を不可能とした。 ..... また今年、トニー・サールウォール(A, Thirlwall)の『ケインズ派とカルドア派の経済学』、パルグレイブ社から出版されています。
8:46 午後  

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB
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バンコール
バンコール(bancor)は、1940年から1942年にジョン・メイナード・ケインズとエルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーが提案した超国家的な通貨のことを言う。第二次世界大戦後に世界経済を安定させるため、英国がブレトン・ウッズ会議でバンコールの導入を公式提案したが、アメリカ合衆国の合意をとりつけることができず、実現には至らなかった。この会議では最終的に、バンコールではなく、世界銀行とIMFによって管理された制度において、物理的な金(きん)と結び付けられる固定為替相場制(金本位制)が採用された。そして、金との兌換性を維持した米ドルを基軸通貨とするブレトン・ウッズ体制は1971年のニクソンショックまで続くことになる。一部、IMFのSDR(特別引出権)が、バンコールの機能を継承されているという考え方もある。

発案当初、バンコールの他に超国家通貨の命名には次の候補があった。

ユニタス
ドルフィン
ベザント
ダリック
目次
概要 編集

バンコールは、多国間決済制度を通し、会計帳簿上の単位として国際貿易において使用される。この制度を敷くにあたり、ICU(The International Clearing Union; 国際清算同盟)という機関が想定されていた。多くの国において、「銀行」に対して「中央銀行」が存在するのと同様に、ICUは、「各国の中央銀行」に対する「中央銀行」となるような、国家間の貿易・取引の決済を行う機関となる。 つまり、全ての国際貿易は、ICUを通してバンコール建てとなる。バンコールは固定為替相場となるが、その為替相場は調整可能とされる。

グローバル経済安定化の方法論 編集

輸出は全て、国の会計帳簿でバンコールが加算され、輸入は全て、国の会計帳簿で減算される。ここで、一般的な銀行の“当座貸越”の概念を用いて、バンコールとICUの説明がなされる。ICUでの当座貸越の限度額は、過去5年間の貿易収支平均の2分の1とされる。この限度額を超えた場合、債務国は超えた赤字分に対して利子を支払わなければならない。ここで注意しなければならないのは、一般銀行の当座貸越とは違い、国際収支帳簿上の黒字国である債権国も、超過分に対して利子を支払わなければならないことである。赤字額、あるいは黒字額が大きくなるほど利子は高くなる。

赤字国(債務国)はバンコールに対する通貨を引き下げ、輸出を増やさなければならず、輸入品はより高額に設定され、輸入を減らすように促される。同様に、黒字国(債権国)はバンコールに対する通貨を引き上げ、赤字国の輸出品を買わなければならない。それでも黒字国が輸出の限度額を超えたまま決済を迎えた時には、その超過分をICUに没収される。ちなみに、このICUで没収された積立金は、国際警察(現在のICPOとは別のものと思われる)や災害救助活動など、加盟国に対して有効利用される。

このため、没収されないように黒字国は輸入を増やそうとするので、赤字国の改善が見出される。つまり、各国はバンコールの貿易収支差額が0になるよう調整することになる。このシステムによって、物理的な金と国の通貨は、国際貿易の中で使用されず、国家間での移動も失くすことができ、グローバル経済の影響を抑えるというのがバンコールとICUの考え方である。

バンコールの特徴 編集

バンコールは国際通貨とはならず、国際的な会計帳簿の単位となる。
金はバンコールへの交換はできるが、バンコールを金にする交換はできない。
一般流通はされない。例えば、個人がバンコールの保持や取り引きをすることはできない。
ここで、ビットコインとは全く別の性質ということが明確にわかる。
国際取引・貿易はすべてバンコールで評価され、決済が行われる。
債務国と債権国の関係は二国間とは限らない。N:Nである。
バンコールは貯金ができない。このため国内流通に影響を与えない。
国家間の貿易収支を測定するために使用される。
21世紀における注目 編集

近年、特に2008年の金融危機の発生に伴い、ケインズの提案は再び注目されることになる。

2007年1月、スーザン・ジョージは「これらの機関ができていたら、先進国と途上国、双方の住民の必要に応じた貿易システムが構築され、世界は現在よりも理にかなったものとなっていただろうからだ。」と「ル・モンド・ディプロマティーク」で述べている。

2009年3月、「国際通貨制度を改革せよ(Reform the International Monetary System)」という題の演説の中で、中国人民銀行の周小川総裁は、ケインズのバンコールの働きかけを「先見の明有」と称し、金融危機に対する反応では、「グローバルな準備通貨として、国際通貨基金 (IMF) の特別引出権 (SDR) を採用すべし」と提案した。彼は、トリフィンのジレンマ(流動性のジレンマ;ある国内の金融政策の目標を達成しながら、同時に他国の準備通貨の需要に合わせられないという矛盾)を理由に挙げ、国家の通貨がグローバルな準備通貨となるのは、不適切であると主張した。

2009年9月、「国連・国際通貨金融システム改革の専門家委員(Experts on reforms of the international monetary and financial system)」の報告書で、上記同様に、トリフィンのジレンマを挙げ、米ドル本位制の反省とSDRに着想を得た世界準備通貨構想について述べられている。

ジャーナリストのジョージ・モンビオットは、「ICUの提案されたメカニズムが発展途上国の意思決定に対して、より強い力を与え、今現在の状態ほど極度に国際貿易に巻き込まれてはいなかった」と主張している。

参考文献 編集

E.F.Schumacher, Multilateral Clearing Economica, New Series, Vol. 10, No. 38 (May, 1943), pp. 150-165
Xiaochuan, Zhou(周小川) (2009). "Reform the International Monetary System" (PDF). BIS Review. Bank of International Settlements. Retrieved 2010-11-28.
http://www.ft.com/cms/s/0/7851925a-17a2-11de-8c9d-0000779fd2ac.html
Recommendations by the Commission of Experts of the President of the General Assembly on reforms of the international monetary and financial system, 20.3.2009. http://www.un.org/ga/president/63/letters/recommendationExperts200309.pdf
Reserve Accumulation and International Monetary Stability, 13.4.2010, http://www.imf.org/external/np/pp/eng/2010/041310.pdf
Susan George(スーザン・ジョージ)、『Le Monde diplomatique - Alternative finances』、January 2007
小樽商科大学、http://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/lecture/gakushi2013/Keynes_doc.pdf
「戦後世界の形成 ブレトン・ウッズと賠償 1941〜46年の諸活動 モグリッジ編」 石川健一・島村高嘉訳 1988
ノート
8:48 午後  

The collected writings of John Maynard Keynes - 第 26 巻 - 417 ページ
https://books.google.co.jp/books?isbn...

John Maynard Keynes, Royal Economic Society (Great Britain) - 1980 - スニペット表示 - 他の版
To White, H. D. (T247/35), 14 July 1944 93-4 To White, H. D. (T247/65), 6 October 1944 142-6 To White, H. D. (T247/39), ... Statement for B.B.C. on International Bank for Reconstruction and Development (T23 1/353), 22 July 1944 103-5 ...
12:33 午前  

Statement for B.B.C. on International Bank for Reconstruction and Development (T23 1/353), 22 July 1944 103-5

https://www.cvce.eu/obj/statement_by_lord_keynes_on_the_proposed_bank_for_reconstruction_and_development_1944-en-bc2b4019-d66e-4c22-9889-51ac82aba0fa.html

Statement by Lord Keynes on the proposed Bank for Reconstruction and Development (1944)
Texte
In 1944, at the close of the Bretton Woods (New Hampshire) monetary conference, John Maynard Keynes, renowned international economist and financial adviser to the British Treasury, gives a speech in which he emphasises the urgent need to set up an International Bank for Reconstruction and Development (IBRD).
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12:38 午前  


26
539
ハ ケインズがこれら三つの章をとおし、 一貫して強く主張している一つの点にふれておきたい。それは国際協調の重要性である。人類が平和に生存し、繁栄していくためには、国際協調を措いて他に求めるべき道はないということである。本巻の随所において、この考えは注目されるが、それが最も印象深く述べられているのは、ブレトン・ウッズで基金協定案が本会議に上程された際、ケインズの行なった演説の結びにおいてである(本文一二八―九頁参照)。かつ
12:48 午前  

最後に、われわれはここブレトン一ウツズにおいて、この最終協定のなかに具体化されているところよりも、おそらく,層重要なことを成し遂げました。われわれは、四四カ国が相集い力をあわせて、親密でなにものにも破られない調和を保ちつつ、建設的な仕事をなすことができることを、日のあたりに示したのであります。それができると信した人はほとんどありませんでした。もしも、われわれがこの限られた仕事においで初めてなしてきたところを、さど゛がぐ■一獣やおれわれは新しいた情に回↑結ばれ、新しい親睦の実をあげて、それぞれら国にかがれで帰ろうと‐しています。われわれは協力することを学んでまいりましたoもし、われわれがこの協力を持ち続けることができますならば、ここに出席しているわれわれの大部分のものが、その生涯のあまりにも多くを費やしてきた戦争というこの悪夢は終りを告げるでありましょうoそして、人類の兄弟の絆という言葉は、単なる言葉以上のものとなるでありましょうo議長閣下、私はここに最終協定の承認を提案いたしますo
12:50 午前  

26
128,9

I28
およびイギリス代表団のベキットの諸氏に多大の感謝の念を捧げるものであります。彼らに対してはただひとつだけ
苦情がありまして、昨日第二委員会で、あえてそれを申し述べたのであります。それは、法律家たちがわれわれの出
生証明書のあよりにも多くの部分を、葬礼讃美歌、聖書朗読などに関する、こまごまとした規定などで埋めつくし
てしまわなければよかったのにと思われることであります。
議長閣下、われわれは今宵,決定的な点に到達いたしました。しかし、それはほんの始まりにしかすぎません。わ
れわれは、熱意と誠実とにより鼓舞された伝導者として、ここから出発しなければなりません。われわれ自身はこれ
らすべてをよく承知しています。しかし、世界全般に対しては、なお説得する必要があります。
103
われわれの議事は、外の世界では批判的、懐疑的そしてあげ足とりの気持をもってすら見守られ、待ちうけられて
きたのでありますが、正直に申しまして、私はそれによりおおいに勇気づけられております。われわれの計画が幻滅
の状態で終わるよりも、幻滅の状態で始まる方がはるかによいでありはしょう。われわれは自分たちの仕事にあまり
にも間近にいるので、その輪郭をはっきりと見定めることができないかもしれません。しかし、批判や疑いをさしは
さむ人びとが、より一層精しくそれを調べて見ると、計画は予想したところよりもはるかに優れたものであることが
明らかとなり、われわれが受けてきた批判や疑いが、かえって事態をわれわれにとり有利なものとすることになるこ
とを望んでおります。
 最後に、われわれはここブレトン·ウッズにおいて、この最終協定のなかに具体化されているところよりも、おそ
らく一層重要なことを成し遂げました。われわれは、四四カ国が相集い力をあわせて、親密でなにものにも破られな
い調和を保ちつつ、建設的な仕事をなすことができることを、目のあたりに示したのであります。それができると信
じた人はほとんどありませんでした。もしも、われわれがこの限られた仕事において初めてなしてきたところを、さ
らに一層大きな仕事に受け継ぐことができるならば、世界の前途には大きな希望があるといいうるでありましょう。
ともかく、いまやわれわれは新しい友情に固く結ばれ、新しい親睦の実をあげて、それぞれの国に分かれて帰ろうと
しています。われわれは協力することを学んでまいりました。もし、われわれがこの協力を持ち続けることができま
すならば、ここに出席しているわれわれの大部分のものが、その生涯のあまりにも多くを費やしてきた戦争というこ
の悪夢は終りを告げるでありましょう。そして、人類の兄弟の絆という言葉は、単なる言葉以上のものとなるであり
よしょう。
 議長閣下、私はここに最終協定の承認を提案いたします。


團会議の終了と同時に、
ンズの行なったステートメントは、
ケインズとホワイトはBBCの夕方のニュースで銀行と基金に関するステートメントを行なった。
ケイ

次のとおりである。
私は、復興開発銀行の設立が通貨基金よりも重要であるとは申しませんが、おそらく、それは一層緊急を要するも
のでありぼす。アソラは解放直後の期間における救済と修復に必要な資金を提供するでしょう。しかし、それはより
一層長期にわたる農工業の再建と復興のための融資を行なうものではありよせん。このギャップを埋めることが、ブ
レトン·ウッズでわれわれが設立のために努力してきた銀行の主要目的の一つであります。銀行のその他のおもな目
的は、
を拡張することであります。

04

生活水準や労働条件2般的利益のため世界の低開発地域を開発すること、
および世界中いたるところで貿易
われわれが目標としており、
最終的に調達することを希望する資本金は二五億ポンドであります。銀行の創業資本
12:53 午前  

26
126
一九四四年七月二二日、ブントン・ウッズ最終日本会議において、最終協定承認を提案したケインズ卿の演説


議長閣下この記念すべき会議において、最終協定承認の提案を求められ、まことに光栄に存じます
12:54 午前  




On July 22nd 1944, finance experts who had spent the past three weeks gathered at a hotel in New Hampshire, produced two documents setting out their plan for the post-war monetary system. In response, The Economist published this leader article on July 29th, paying particular attention to whether the British government should ratify the Bretton Woods Agreements.

THE Monetary Conference at Bretton Woods closed its session at the end of last week with the unanimous agreement of all the participants to the text of two documents, one of them setting up an International Monetary Fund, the other setting up an International Bank for Reconstruction and Development. (The terminology is confusing, since the Fund will conduct a banking business—that is, will deal in currencies—while the Bank is, in the main, a guarantee fund.) The Agreements now go to the governments for ratification, and it has been made clear that no government is committed by the vote of its delegation at Bretton Woods. What has been decided is the form that these two institutions will assume when (or if) they come to birth.
1:15 午前  

Fathom Editor's note:
The second half of the twentieth century witnessed international economic coordination on a scale never previously achieved. But the nature of the system has changed since the 1944 Bretton Woods Agreement. Here, John Braithwaite and Peter Drahos trace the highs and lows of the international economic climate over 50 years.

Toward the end of the Second World War it was realized that more than just a gentlemen's agreement would be needed to achieve meaningful economic coordination between states. An international monetary system administered by an international organization was required if states were to renew their economies and live in peace. With this in mind, delegates from forty-four countries met in July 1944 at a place called Bretton Woods.

Bretton Woods is just a little beyond Mt Washington in New Hampshire. In this tiny place plans were laid for three big global institutions--the International Monetary Fund (IMF), the World Bank and the International Trade Organization (ITO). At the closing Plenary Session of the Conference, John Maynard Keynes, one of the principal architects of the Agreement, opened with these words (see D. Moggeridge (ed.), The Collected Writings of John Maynard Keynes, London, vol. 26, p. 101, 22 July 1944):

We, the Delegates of this Conference, Mr President, have been trying to accomplish something very difficult to accomplish. We have not been trying, each one to please himself, and to find the solution most acceptable in our own particular situation. That would have been easy. It has been our task to find a common measure, a common standard, a common rule applicable to each and not irksome to any.

He concluded on an optimistic note (Moggeridge, p. 103, 22 July 1944):

Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of forty-four nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world.

Thirty years after Keynes had delivered these words, analysts were producing tracts describing the breakdown of the Bretton Woods system. Keynes was right to think of the Final Act at Bretton Woods as a magnificent achievement. For the first time there was a codified form of rules and principles that imposed some obligations on states in the conduct of their monetary affairs. Given that money had always been a symbol of political power, the incursion of Bretton Woods into state sovereignty was considerable.

Moreover, the institutions of Bretton Woods were part of a planned global regulatory system for trade and finance. Financial regulatory cooperation among states in the past had been bilateral. It had been based on the need to deal with a crisis, as in the case of cooperation between the central banks of England and France during the nineteenth century, or it had been cooperation based on following the Bank of England's lead. Bretton Woods represented a different kind of cooperation. It was a shift away from the tacit, convention-based cooperation of central bankers to a sweeping, rule-based, multilateral cooperation of states.


https://www.globalpolicy.org/component/content/article/209/42675.html
 
Fathom編集者メモ:
20世紀の後半はこれまでに実現できなかった規模の国際経済調整を目撃した。 しかし、1944年のブレトンウッズ協定以来、制度の性質は変わってきている。 ここで、ジョン・ブレイスウェイトとピーター・ドラオスは、50年以上の国際経済環境の高低を辿っています。

第二次世界大戦の終わりに向けて、国家間の有意義な経済調整を達成するためには、紳士協定以上のものが必要であることが認識された。 国家が経済を更新して平和に暮らすためには、国際機関によって運営される国際通貨制度が必要でした。 このことを念頭に置いて、44カ国の代表が1944年7月にブレトンウッズと呼ばれる場所で会合した。

ブレトンウッズはニューハンプシャー州のワシントンを少し越えています。 この小さな場所では、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、国際貿易機関(ITO)という3つの大きなグローバルな機関のために計画が立てられました。 本会議の閉会総会では、協定の主要建築家の一人であるジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)が、これらの言葉で開かれた(D.Moggeridge(編)、John Maynard Keynes、London、vol.26、 101頁、1944年7月22日):

この会議の議長、大統領は、達成するのが非常に困難なものを達成しようとしています。 われわれは自分自身を喜ばせようと努力しておらず、私たち自身の特定の状況で最も受け入れられる解決策を見いだしていません。 それは簡単だったでしょう。 共通の基準、共通の基準、それぞれに適用される共通のルールを見つけ出すことは、私たちの仕事でした。

彼は楽観的なメモで結論づけた(Moggeridge、p。103、July 1944):

最後に、私たちはおそらく、この最終法で具体化されているものよりも重要な何かをブレトンウッズでここで達成したでしょう。 私たちは、44カ国の会合が、実際には親密さと途切れのない合意の建設的な仕事で一緒に働くことができることを示しました。 それは可能であると信じている 私たちがこの限られた仕事から始めたより大きな仕事を続けることができれば、世界に希望があります。

ケインズがこれらの言葉を納入してから30年が経つと、アナリストはブレトンウッズ制度の故障を記述する小道を作り出していました。 ケインズは、ブレトン・ウッズの最終法を偉大な成果と考えるのは正しかった。 はじめて、国家に金銭的な行為の義務を課した規則と原則が成文化されていた。 お金は常に政権の象徴であったことを考えると、ブレットン・ウッズの国家主権への侵入は相当なものでした。

さらに、ブレトンウッズの機関は、貿易と金融のための計画された世界的な規制制度の一部であった。 過去の国家間の金融規制協力は双方向的であった。 それは19世紀のイングランドとフランスの中央銀行間の協力の場合のように、危機に対処する必要性に基づいていたか、またはイングランド銀行のリードを踏襲した協力であった。 ブレトンウッズは異なる種類の協力を代表した。 これは、暗黙の、条約に基づいた中央銀行の協力から、統治のルールベースの多国間の協力への転換であった。

ブレークダウンするスライド

1930年代には、金の不足、為替相場の不安定性、域内外の「暑い」貨幣の動き、そして国際収支上の問題を調整する仕組みの欠如という一連の問題が発生しました。 IMFは、通貨の転換可能性のために提供された再評価のための一定の為替レート制度(「調整されたが調整可能」)を含む国際通貨制度を整備することにより、これらの困難に対処するように設計された。 -term流動性危機とシステムを管理するための組織俳優(J. Williamson、世界通貨改革の失敗、New York、1977、pp.2-28)。 世界銀行は、欧州の経済および産業の復興を支援し、途上国が工業化を達成するのを支援するように設計された。 ITOの目的は、自由貿易の道を、(例えば、通貨を切り下げる代わりに輸入割当を課すなどして)収支上の問題に対応する方法として、保護主義への逃避を止めるように、国家を推進させることでした。 ITOは、米国の懸念から、決して出現しなかった。 その代わりに、関税と貿易に関する一般協定として知られているより弱い協定が採択された。 戦後の国際機関のためのこの壮大な計画では、規制対象として、欠席していた。 ブレトンウッズ時代のケインズの手紙と報告書は、州間の税制の調整については議論していない。 税制は、国家によって保持されると思われるが、そうであるように思われる。
1:27 午前  


https://www.globalpolicy.org/component/content/article/209/42675.html

Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of forty-four nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world.

最後に、私たちはおそらく、この最終法で具体化されているものよりも重要な何かをブレトンウッズでここで達成したでしょう。 私たちは、44カ国の会合が、実際には親密さと途切れのない合意の建設的な仕事で一緒に働くことができることを示しました。 それは可能であると信じている 私たちがこの限られた仕事から始めたより大きな仕事を続けることができれば、世界に希望があります。
1:29 午前  

http://probeinternational.org/library/wp-content/uploads/2010/11/Odious-Debts.pdf

70

formally moving that the two Bretton Woods institutions, the World Bank and the IMF, be created. For a world torn asunder by war, it was no mean feat: Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of 44 nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world. At any rate we shall now disperse to our several homes with new friendships sealed and new intimacies formed. We have been learning to work together. If we can so continue, this nightmare, in which most of us here present have spent too much of our lives, will be over. The brotherhood of man will have become more than a phrase.

Mr. President, I move to accept the Final Act. 
1:33 午前  

Keynes' extraordinary intellect, oratorical eloquence, and prominence as an economic advisor to governments through four decades of war, peace, and depression made him the greatest economist of his time. He had dedicated his career to steadying the economic ship of nations throughout those tumultuous events, and Bretton Woods was his command performance. After weeks of negotiations, Keynes closed the Bretton Woods Conference with a speech


http://probeinternational.org/library/wp-content/uploads/2010/11/Odious-Debts.pdf

70

formally moving that the two Bretton Woods institutions, the World Bank and the IMF, be created. For a world torn asunder by war, it was no mean feat:

Finally, we have perhaps accomplished here in Bretton Woods something more significant than what is embodied in this Final Act. We have shown that a concourse of 44 nations are actually able to work together at a constructive task in amity and unbroken concord. Few believed it possible. If we can continue in a larger task as we have begun in this limited task, there is hope for the world. At any rate we shall now disperse to our several homes with new friendships sealed and new intimacies formed. We have been learning to work together. If we can so continue, this nightmare, in which most of us here present have spent too much of our lives, will be over. The brotherhood of man will have become more than a phrase.

Mr. President, I move to accept the Final Act.

https://books.google.co.jp/books?isbn...
By the end of the Bretton Woods Conference, however, Keynes told the British public on the BBC evening news: There has never been such a far-reaching proposal [as that of the Bank] on so greatscale to provide employment in the present and increase productivity in the futureWe have been working quietly away in the  ...
... the BBC evening news: There has never been such a far-reaching proposal [as that of the Bank] on so great a scale to provide employment in the present and increase productivity in the futureWe have been working quietly away in the cool woods and mountains of New Hampshire and I doubt if the world yet understands ...
John Maynard Keynes, Donald Edward Moggridge, Royal Economic Society (Great Britain) - 1980 - スニペット表示 - 他の版
There has never been such a far-reaching proposal on so great a scale to provide employment in the present and increase ... We have been working quietly away in the cool woods and mountainsof New Hampshire and I doubt if the world yet ...
https://books.google.co.jp/books?id...
1977 - スニペット表示 - 他の版
There has never been — never been — such a far-reaching proposal on so great a scale to provide employment for the present and increased productivity for the futureWe've been working quietly away in the cool woods and mountains of New Hampshire. And I doubt if the world yet understands how big a thing we are bringing to birth. Well, such were ... For the next 20 years, in Europe and in the United States, employment was good, production everywhere increasing. The losses of ...


39 Comments:

Blogger yoji said...

5月23日ケインズはBBC放送で再軍備と失業の関係について話した。この談話はその後刊行された。
『リスナー』誌、1939年6月1日
 再軍備は失業を救済するか?

 すべてのことは何という違いをもたらすことであろうか! 異常な失業の終わりが視野に入っているといっても過
言ではない。違いを感じるのは失業者だけではない。それ以外の多くの人は毎週より多くの金を家庭に持って帰るだ
ろう。そして有能な労働に対する需要が供給を上回っているので、誰でもがその仕事において如何にずっとより快適
で安全であると感じることであろうか。多くの不安には他の理由はあるだろう。しかし最悪の不安のーつは仕事を得
ること、また、それを続けることについての不安である。過去の年よりもそれは少ないに違いない。
 わたしは労働組合員たちがより完全な雇用ヘのこの大きな移行が円滑に働くように彼らがなし得ることをすると望
む特別の追加的な理由を持っている。わたしは大きな実験が始まっていると初めに言った。もしそれがうまくいくな
らば、すなわち軍備への支出が本当に失業を救済するならば、われわれは、はるばると過去の状態ヘ戻ることは決し
てないとわたしは予言する。もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、われわれは平
和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。善は悪から生まれるかもしれない。われわれは平和の時が来れ
ば役に立つ一つ二つの秘訣を学ぶだろう、時満ちて必ず然るごとく(訳注*)。

*「ガラテヤ書」第四章四「時満つるに及びては…」。

keynes 1931 Will Re-armament Cure Unemployment? 全集21巻
https://youtu.be/bC1Lw06nzg0

12:39 午前  
Blogger yoji said...

5月23日ケインズはBBC放送で再軍備と失業の関係について話した。この談話はその後刊行された。
『リスナー』誌、1939年6月1日
 再軍備は失業を救済するか?

 異常な失業の終わりが視野に入っているといっても過
言ではない。違いを感じるのは失業者だけではない。それ以外の多くの人は毎週より多くの金を家庭に持って帰るだ
ろう。

わたしは大きな実験が始まっていると初めに言った。もしそれがうまくいくな
らば、すなわち軍備への支出が本当に失業を救済するならば、われわれは、はるばると過去の状態ヘ戻ることは決し
てないとわたしは予言する。もしわれわれが軍備という無駄な目的のために失業を救済し得るならば、われわれは平
和と言う生産的な目的のためにもそれを救済できる。善は悪から生まれるかもしれない。われわれは平和の時が来れ
ば役に立つ一つ二つの秘訣を学ぶだろう、時満ちて必ず然るごとく(訳注*)。

*「ガラテヤ書」第四章四「時満つるに及びては…」。

keynes 1939 Will Re-armament Cure Unemployment? 全集21巻
https://youtu.be/bC1Lw06nzg0

12:42 午前  
Blogger yoji said...

直先スプレッド(読み)じきさきスプレッド(英語表記)forward spread
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

直先スプレッド
じきさきスプレッド
forward spread


外国為替相場における直物為替相場と先物為替相場の乖離 (かいり) をいう。通常,年率で表示される。自国通貨を基準として外国通貨をみた場合,先物相場のほうが直物相場より高ければプレミアム premium,先物相場のほうが直物相場より安ければディスカウント discountという。まったく先物相場と直物相場が同じならば直先フラット flatまたはパー parという。国際資本移動が完全で金利裁定が行われれば,直先スプレッドは2国間の金利差と一致するはずである。 1970年代まではスワップ・レート (一般的な呼び方) ,スワップ・コスト (ディスカウントの状態のとき) またはスワップ・プロフィット (プレミアムの状態のとき) と呼ばれていた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典 第2版の解説

じきさきスプレッド【直先スプレッド】

外国為替市場における直物相場と先物相場との差をいう。そして,先物相場が直物相場より高いとき先物プレミアムの状態にあるといい,逆の場合には先物ディスカウントの状態にあるという。たとえば先物プレミアムの状態を考えると,外国為替が直物市場よりも先物市場で相対的に高く評価されていることになるが,これは市場参加者が為替相場について将来に上昇すると予想していることの反映とみることができる。なお,直先スプレッドの直物相場に対する比の年率を直先スプレッド率というが,これは先物カバー(〈為替ヘッジ〉の項参照)つきの金利裁定式において重要な役割をはたす。

11:25 午前  
Blogger yoji said...

直先?

はお金のケンブリッジのキャッシュバランス説に貢献した。そしてアルフレッド・マーシャル、アーサー・C・ピグー、デニス・H・ロバートソン など他の ケンブリッジの経済学者たちがこれを発展させた。また、ケインズが初めてヘッジ取引と投機についての『直線逆転現象 (normal backwardation)』理論を提唱したのは、1923 年の新聞記事でのことだった。

11:26 午前  
Blogger yoji said...

ケインズ全集 第18巻 賠償問題の終結
出版者  
東洋経済新報社
出版年  
1989.11
大きさ等 
22cm 496,29p
注記   
Activities 1922-1932:the end of reparations./の翻訳
NDC分類
331.74
件名   
賠償問題  ≪再検索≫
要旨   
第1次大戦後、ドイツに対する過大な賠償請求に断固反対しつづけたケインズ。10年間にわたる活動記録を集大成。
目次   
第1章 マルクの衰退;第2章 新政府、決着への新たな試み;第3章 ある親友との交信;第4章 ルール問題の行き詰り;第5章 休息期―ドーズ案;第6章 最終決着の模索―ヤング案;第7章 それはいかに終結したか
ISBN等
4-492-81318-7
書誌番号 
3-0190329640

11:35 午前  
Blogger yoji said...

オーウェン・D・ヤング(Owen D. Young、1874年10月27日 - 1962年7月11日)は、アメリカ合衆国の財政家、法律家、外交官。ニューヨーク州ハーキマー郡スターク出身。

1919年にRCAを創立、1929年までその会長を務めた。さらに1922年から1939年までゼネラル・エレクトリックの会長も務めた。その後はNBCの設立を援助した。1942年から1945年までゼネラル・エレクトリックの会長を再び務めた。

第一次世界大戦終結後、ドイツ賠償委員会に参加。ヴェルサイユ条約に基づくドイツ帝国の賠償返済を円滑に進めるべく1924年にドーズ案をまとめた。その後、1929年に同委員会議長となり、さらに賠償額を減額したヤング案を成立させた。その功績が評価され、同年にタイムのマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。この年にはAEG の監査役にも就任している。ヤングはいわば、モルガン資本の利益を代表する、欧州経済への切り込み隊長であった。翌1930年にはドイツの賠償金支払いを統括する国際決済銀行を設立した。


"マン・オブ・ザ・イヤー"に選ばれたヤングはタイム誌1930年1月6日号の表紙を飾った
外部リンク
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3:51 午前  
Blogger yoji said...

270 考える名無しさん[] 2019/03/19(火) 20:44:19.15 ID:0
アメリカでケインズ・ブームを巻き起こしたアルヴィン・ハンセン氏
が提唱した長期停滞論を現代に復活させて話題を呼んだラリー・サマーズ氏が、
イングランド銀行のウォーカシ・ラーへル氏とともにそれを裏付ける証拠を集めた
調査リポートを公表したね。
アメリカやヨーロッパも実は日本のような長期停滞にすでに陥っていたかもしれない
という話。
どうなるか分からないけど、日本で起こってきたことが日本だけの特殊な経済状態だとは
言いきれなくなりつつあるのかもしれない。

4:50 午前  
Blogger yoji said...

ローレンス・ヘンリー・サマーズ(英語: Lawrence Henry Summers、1954年11月30日 - )はアメリカ合衆国の経済学者、政治家。

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国の政治家
ローレンス・サマーズ
Lawrence Summers
Lawrence Summers 2012.jpg
ローレンス・サマーズ(2012年7月)
生年月日
1954年11月30日(64歳)
出生地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国、コネティカット州ニューヘイヴン
出身校
マサチューセッツ工科大学
ハーバード大学
現職
経済学者
所属政党
民主党
配偶者
エリサ・ニュー
サイン
Lawrence H Summers sig.jpg
アメリカ合衆国の旗 第8代アメリカ合衆国国家経済会議委員長
在任期間
2009年1月20日 - 2010年12月31日
代理官
ディアナ・ファレル
ジェイソン・ファーマン
第27代ハーバード大学学長
在任期間
2001年7月1日 - 2006年6月20日
アメリカ合衆国の旗 第71代アメリカ合衆国財務長官
在任期間
1999年7月2日 - 2001年1月20日
大統領
ビル・クリントン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国財務副長官
在任期間
1995年 - 1999年
大統領
ビル・クリントン
世界銀行チーフエコノミスト
在任期間
1991年 - 1993年
テンプレートを表示
16歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学、28歳にしてハーバード大学教授に就任した俊秀として早くから名望が高く、当初は世界銀行チーフエコノミストとして活躍した[1]。クリントン政権の第71代アメリカ合衆国財務長官(1999年 - 2001年)、オバマ政権の国家経済会議(NEC)委員長(2009年−2010年)[2]などを歴任。

目次
生い立ち
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1954年11月30日コネチカット州ニューヘイブンに経済学者で、ペンシルベニア大学教授の両親の子として生まれる。家系は東欧系ユダヤ人移民[1]。

ノーベル経済学賞受賞者のポール・サミュエルソンは父ロバート・サマーズ(サミュエルソンから、サマーズに改姓)の兄弟、ケネス・アローは母の兄弟に当たる。幼年期の多くをペンシルベニア州ペン・バリー(Penn Valley)で過ごす。 その後フィラデルフィア郊外のハリトン高等学校(Harriton High School)に学んだ[2]。

1970年16歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学する。当初は物理学を専攻するが、1975年に経済学部に移る。また、MITディベートチームの会員として活動した。MIT卒業後、ハーバード大学大学院に進み、マーティン・フェルドシュタインの下で学び、1982年博士号を取得する[1]。かくして、MIT、ハーバード双方で教壇に立つ資格を得たサマーズは、1983年に、28歳の若さでハーバード大学史上最年少の教授となった。この頃悪性リンパ腫と診断されたが、治療で完治している[2]。

経済学者として
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研究者としてのサマーズは、財政学、労働経済学、金融経済学そして、マクロ経済学など多くの分野でめざましい業績を上げた。これらの分野と比較すれば貢献度は低いものの、国際経済学、経済における人口統計学、経済史、開発経済学の分野についても多くの論文を発表している。サマーズの研究手法は経験的な経済データの分析を重視したもので、貯蓄が税控除後の利率を制御するか、といったテーマを扱っている[2]。

サマーズの業績に対しては、1987年に社会科学系の学者としては初めてアメリカ国立科学財団からアラン・T・ウォーターマン賞を、1993年にはアメリカ経済学会からジョン・ベイツ・クラーク賞をそれぞれ授与された。全米科学アカデミーの会員でもある[1]。

公職など
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1982年から1983年にかけてレーガン政権の大統領経済諮問委員会スタッフを務めた。また1988年大統領選挙では、民主党のマイケル・デュカキス候補の経済アドバイザーとなった[1]。1991年に、ハーバード大学教授を辞し、世界銀行上級副総裁(世界銀行チーフエコノミスト)に就任する。1993年に、クリントン政権が成立するとアメリカ合衆国財務省に移り、財務次官。1995年に、財務副長官に。日本でも榊原英資との円高是正の協調介入で知られている[2]。1999年7月に、ロバート・ルービンの辞任に伴い、後任の財務長官に就任する。財務長官として国内の経済・財政政策や日本などの対外経済関係、通貨危機などの国際経済を担当した[3]。

4:53 午前  
Blogger yoji said...

アルヴィン・ハンセン
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アルヴィン・ハーヴィ・ハンセン(Alvin Harvey Hansen、1887年8月23日 - 1975年6月6日)は、アメリカの経済学者。1937年からハーバード大学教授として活躍。専門はマクロ経済学。ケインズ革命をアメリカにもたらすことに尽力し、アメリカン・ケインジアンとも呼ばれたが、一方では、幅広い経済問題をも取り上げた。日本ではアーヴィン・ハンセンとも呼ばれる。

アルヴィン・ハンセン
ネオケインジアン経済学
生誕
1887年8月23日
サウスダコタ州ヴィボルグ
死没
1975年6月6日(87歳)


ヴァージニア州アレクサンドリア
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ
研究機関
ハーバード大学
研究分野
マクロ経済学, 政治経済学
母校
ウィスコンシン・メディソン大学
ヤンクトン・カレッジ
影響を
受けた人物
ジョン・メイナード・ケインズ
影響を
与えた人物
ジョン・ヒックス
ポール・サミュエルソン
ジェームス・トービン
ロバート・ソロー
実績
IS-LMモデル
(ヒックス=ハンセン総合)
テンプレートを表示
目次
経歴
編集
1887年 デンマークからの移民である両親のもと、サウスダコタ州ヴィブルグ(Viborg)に生まれる。
1910年 Yankton Collegeダコタ校でBSを終了。数年間、教師をした後、ウィスコンシン大学の大学院に進む。
1916年 ブラウン大学で教え始める。
1918年 ウィスコンシン大学マディソンでPh.D.を得る。
1919年 ミネソタ大学で景気循環を教える。
ワシントンでEdwin E. Witteの「1935年社会保障法」ドラフト作成に協力。
ブラウン大学で教える。
1923年 ミネソタ大学で教える。
1933年 - 1934年 ルーズヴェルト大統領が主催する国際経済関係の国家政策調査委員会の長官を務める。
1937年 政治経済学教授としてハーバード大学へ移る。
1937年 アメリカ統計学会の副会長になる。
1937年 - 1938年 社会保障に関する大統領諮問会議の委員となる。
1940年 - 1945年 連邦準備銀行制度の理事会の特別経済顧問を務める。 
1941年 - 1943年 米加経済委員会の議長となる。
1957年 ハーバード大学を退官(その後、ボンベイ大学やアメリカの多くの大学で客員教授として教える)。
1967年 アメリカ経済学会の会長を務める。
1975年 バージニア州アレクサンドリアで死去(87歳)
経済学者としての貢献
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ケインズ革命をアメリカにもたらすことに尽力した。1930年代後半~1940年代初めを通じ、J.E.ウィリアムスと共に指導したハーバード大学の財政政策セミナーを中心に、ポール・サミュエルソン、ジョン・ケネス・ガルブレイス、ジェームズ・トービン、ロバート・ソロー、オスカー・ランゲ、ニコラス・カルドア、都留重人といった学生に、ケインズ主義に肯定的な態度を伝授した。
IS-LMモデル(Hicks-Hansen総合)
ハンセンの在庫循環モデル
主要著作
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『景気循環論』、小川福太郎訳、日本評論社、1933年 
『経済政策と完全雇用』、小原敬士訳、好学社、1949年
『財政政策と景気循環』、都留重人訳、日本評論社、1950年
“Business Cycles and National Income”,1951(P471-476、在庫循環モデル)
『ケインズ経済学入門』、大石泰彦訳、東京創元新社、1953年
『貨幣理論と財政政策』、小原敬士・伊東政吉訳、有斐閣、1953年
『アメリカの経済』、小原敬士・伊東政吉訳、東洋経済新報社、1959年
『1960年代の経済問題』、小原敬士訳、ダイヤモンド社、1961年
『ドルと国際通貨制度』、鈴木浩次訳、東洋経済新報社、1966年
『戦後のアメリカ経済』、名和献三・大川勉訳、雄渾社、1967年
『ケインズ経済学入門』入門シリーズ、大石泰彦訳、東京創元新社、1973年
『ケインズ経済学入門』現代社会科学叢書(新装版)、大石泰彦訳、東京創元社、1986年
外部リンク
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Biography
Biography
IS-LM Model
ノート

4:55 午前  
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Lukasz Rachel | Bank of England

5:08 午前  
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…で省略した部分

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2007年5月20日 (日)

ゲゼル思想研究日誌(4)

 タイトルにゲゼル思想研究と銘打ってはいますが、この一連のエッセイでは、シルビオ・ゲゼルという思想家の足跡をたどったり、テキストを読み解くことを目指してはいません。むしろゲゼル思想に惚れ込んでしまった一思索人の立場から、彼の思想を現代に甦らせるためのアイデアや、日本におけるその可能性について考察しようと思っています。すでに私は、ゲゼルの〈減価するお金〉という考え方を、政府レベルで実現するための方法について、その概略の構想を書いて来ました(構想というより、夢想に近いものですね)。基本となるコンセプトは、本位通貨とは別立ての国内向け第二通貨を、一定のプレミアム付きで政府自らが発行するというものです。私の考えでは、この政策は景気の拡大と税収の安定を同時にもたらします。一見、夢物語のような話ですが、これが決して実現不可能な政策ではない理由は、政府がまさに国内における通貨発行の特権(セイニアーリッジ特権)を持っているからに他なりません。特に政府部門が莫大な借金を抱える我が国では、財政建て直しのためにも、政府通貨発行を行なうべしという意見が一部の経済学者や政治家から出されています。政府によるマイナス利子のお金の発行は、セイニアーリッジ政策のひとつのバリエーションとも言えます。

 しかし、これを一国の経済政策としてだけではなく、もっと広く地球規模で考えてみたらどうでしょう。この場合、私たちはすぐにひとつの壁に突き当たります。というのも、国際的に通用する減価する新通貨などというものを、一体どうやって実現したらいいのか、そのイメージさえも私たちは思いつかないからです。ユーロというのは画期的な取り組みだと思いますが、これは米ドルに対抗するために、必要に迫られて生み出された戦略的な通貨であって、ゲゼル思想とはまったく関係の無いものです。世界中で試行されている小規模な地域通貨は、ゲゼルの思想を正統に受け継ぐものだと思いますが、また一面では現在の凶暴なグローバリズムへの対抗手段として支持されて来たものであり、それ自体グローバルな展開を志向したものではありません。それは米国流の自由主義経済から身を守ると同時に、従来からの自由な世界交易に対しても身構えているように見えます(「地産地消」というのは、要するにそういうことでしょう?)。世界経済全体をどう建て直すかという視点はそこにはありません。たとえ日本政府が国内にマイナス利子の通貨を流通させても、または世界中でもっともっと地域通貨が盛んになったとしても、そのことでアフリカの貧しい国が救われるとは思えないし、さらには世界的なエネルギー危機や環境問題が解決の方向に向かうとも思えない。ここに〈私の〉不満があります。私が考えるゲゼルの経済思想は、これらの問題を含めて、世界をまるごと救済すべきものだからです。

 ゲゼル自身がどのように世界経済の理想的な未来を思い描いていたかは、主著『自然的経済秩序』の中に出て来る「国際通貨連盟」(Internationale Valuta Assoziation)というコンセプトに現れていると思います。ゲゼルはそこでこの構想の頭文字を取ったIVAという新しい通貨を提唱しています。要するに、各国の国内通貨からは独立した、輸出入のための国際通貨を作って、加盟国のあいだで流通させようというアイデアです。明快なコンセプトではあっても、これが実現の難しい提案であることは素人の私にも分かります。当時はまだ金本位制の時代でしたが、IVAは金との兌換を認めない信用通貨として構想されていました。金本位制がすでに過去のものとなってしまった現代では、通貨の価値を保証するものはそれを発行した国家の信用だけです。ところが〈国際通貨〉というものには、この信用を担保するものがどこにも無いのです。今日、米ドルが世界の基軸通貨であるのは、別に国連や世界銀行がそのことを認定しているからではなく、アメリカという国の経済力や安定性を世界が評価しているからだと思います(最近はユーロが追い上げて来ていますが)。たとえ今の時代にIVAのような国際通貨を作ろうという運動があったとしても、それをドルやユーロに代わるものとして流通させることは難しい、というより不可能でしょう(何よりも基軸通貨の特権を持ったアメリカがそれを許さない筈です)。ところが、歴史を振り返ると、ゲゼルが没してわずか十数年後に、この構想が世界の中で実現するかも知れない局面があったのです。

 経済学を学んだ方なら誰でも知っている事実だと思いますが、不勉強な私はこれを知りませんでした。たまたまゲゼルつながりでインターネットを検索していて見付けた記事にあったのです。これを知った時、ゲゼルの提唱した通貨革命を世界規模で起こすためのヒントが見付かったような気がしました。今回はそれについて書きます。今回の主役はゲゼルさんではなくて、二十世紀を代表する経済学者だった英国人、ジョン・メイナード・ケインズです。時はまだ日本が絶望的な戦争を戦っていた1944年にまで遡ります。第二次世界大戦の帰趨が見え始めていたこの年の7月、連合国側はニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで戦後の経済体制について話し合いを持ちます。会議で対立したのは、イギリスとアメリカでした。もっと端的に言えば、それまで世界の基軸通貨だったポンドと、新しく基軸通貨の地位を狙うドルの対立だったと言ってもいいと思います。この時、イギリス代表として驚くべき提案を持って会議に臨んだのが、ケインズその人だったのです。それは(私見によれば)ゲゼルの「国際通貨連盟」と、ほとんど瓜ふたつの構想でした。ケインズの方は「国際清算同盟」(International Clearing Union、略称ICU)と呼び、そこが発行する国際通貨は「バンコール」と名付けられてはいましたが。

 ケインズ案を簡単に説明すると、こういうことになります。(例によって初学者の理解なので、間違いがあればご指摘ください。) ICUに加盟する国のあいだの貿易では、決済通貨としてバンコールが使われます。各国の通貨とバンコールは、基本的には一定のレートで固定されていて、ICUの仲介によって貿易収支の決済を行なうことになります。バンコールは貿易決済専用の通貨ですから、実体ある紙幣のようなものである必要はありません、ICUの帳簿上に存在すればいいのです。各国の通貨当局がICUに口座を開き、そこに貿易収支を記帳して行くイメージです。ね、これって何かに似ていませんか? そうです、地域通貨の代表格であるLETSそのものじゃないですか! LETSが発案されたのは、1983年にカナダのバンクーバーでだったと記憶しますが、それより40年も前にケインズは国際版LETSともいうべきものを考えていたんですね。(この点ではゲゼルのIVAは現実の紙幣(為替券)を想定していましたから、まだLETSのシンプルさにはたどり着いていませんでした。) しかも、ICUに参加する国には、多額の拠出金を求めないという点でも、ケインズの考え方は地域通貨のLETSに通じるものがありました(この点はゲゼルのIVAも同じ発想でした)。さらには現在のLETS通貨が抱えている問題、すなわち参加者のある人はマイナスばかりためてしまい、ある人はプラスばかりためてしまうという問題に対しても、ケインズは対策を考えていました。常に輸入超過または輸出超過でバンコール残高の大きくなってしまう国には、一定の課税を行なうことを盛り込んでいたのです。これは通貨の価値保蔵機能に制限を付ける持ち越し税、つまりマイナス利子のアイデアに他なりません。これによって、参加国は常に貿易収支がバランスすることを努力目標として求められるのです。

6:42 午後  
Blogger yoji said...

『約束するお金と感謝するお金』(ブイツーソリューション)著者矢野洋二氏ブログより
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_49cf.html


ケインズ案を簡単に説明すると、こういうことになります。(例によって初学者の理解なので、間違いがあればご
指摘ください。) ICUに加盟する国のあいだの貿易では、決済通貨としてバンコールが使われます。各国の通貨と
バンコールは、基本的には一定のレートで固定されていて、ICUの仲介によって貿易収支の決済を行なうことになり
ます。バンコールは貿易決済専用の通貨ですから、実体ある紙幣のようなものである必要はありません、ICUの帳簿
上に存在すればいいのです。各国の通貨当局がICUに口座を開き、そこに貿易収支を記帳して行くイメージです。ね、
これって何かに似ていませんか? そうです、地域通貨の代表格であるLETSそのものじゃないですか! LETSが
発案されたのは、1983年にカナダのバンクーバーでだったと記憶しますが、それより40年も前にケインズは国際版
LETSともいうべきものを考えていたんですね。(この点ではゲゼルのIVAは現実の紙幣(為替券)を想定していまし
たから、まだLETSのシンプルさにはたどり着いていませんでした。) しかも、ICUに参加する国には、多額の拠出金
を求めないという点でも、ケインズの考え方は地域通貨のLETSに通じるものがありました(この点はゲゼルのIVAも
同じ発想でした)。さらには現在のLETS通貨が抱えている問題、すなわち参加者のある人はマイナスばかりためて
しまい、ある人はプラスばかりためてしまうという問題に対しても、ケインズは対策を考えていました。常に輸入
超過または輸出超過でバンコール残高の大きくなってしまう国には、一定の課税を行なうことを盛り込んでいたの
です。これは通貨の価値保蔵機能に制限を付ける持ち越し税、つまりマイナス利子のアイデアに他なりません。これ
によって、参加国は常に貿易収支がバランスすることを努力目標として求められるのです。

(今回の記事を書くきっかけになったのは、フランスのル・モンド紙から転載されたこちらの記事です。示唆に富む内容なの
で、興味のある方には一読をおすすめします。)
ケインズの忘れられた貿易機関構想
スーザン・ジョージ(SUSAN GEORGE)
文筆家、トランスナショナル研究所(アムステルダム)理事長 訳・青木泉
http://www.diplo.jp/articles07/0701-3.html

7:04 午後  
Blogger yoji said...

580 考える名無しさん[] 2019/03/27(水) 11:07:09.48 ID:0
『約束するお金と感謝するお金』(ブイツーソリューション)著者矢野洋二氏ブログより
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_49cf.html

ケインズ案を簡単に説明すると、こういうことになります。(例によって初学者の理解なので、間違いがあればご
指摘ください。) ICUに加盟する国のあいだの貿易では、決済通貨としてバンコールが使われます。各国の通貨と
バンコールは、基本的には一定のレートで固定されていて、ICUの仲介によって貿易収支の決済を行なうことになり
ます。バンコールは貿易決済専用の通貨ですから、実体ある紙幣のようなものである必要はありません、ICUの帳簿
上に存在すればいいのです。各国の通貨当局がICUに口座を開き、そこに貿易収支を記帳して行くイメージです。ね、
これって何かに似ていませんか? そうです、地域通貨の代表格であるLETSそのものじゃないですか! LETSが
発案されたのは、1983年にカナダのバンクーバーでだったと記憶しますが、それより40年も前にケインズは国際版
LETSともいうべきものを考えていたんですね。(この点ではゲゼルのIVAは現実の紙幣(為替券)を想定していまし
たから、まだLETSのシンプルさにはたどり着いていませんでした。) しかも、ICUに参加する国には、多額の拠出金
を求めないという点でも、ケインズの考え方は地域通貨のLETSに通じるものがありました(この点はゲゼルのIVAも
同じ発想でした)。さらには現在のLETS通貨が抱えている問題、すなわち参加者のある人はマイナスばかりためて
しまい、ある人はプラスばかりためてしまうという問題に対しても、ケインズは対策を考えていました。常に輸入
超過または輸出超過でバンコール残高の大きくなってしまう国には、一定の課税を行なうことを盛り込んでいたの
です。これは通貨の価値保蔵機能に制限を付ける持ち越し税、つまりマイナス利子のアイデアに他なりません。これ
によって、参加国は常に貿易収支がバランスすることを努力目標として求められるのです。

参考
ケインズの忘れられた貿易機関構想 スーザン・ジョージ(SUSAN GEORGE)
文筆家、トランスナショナル研究所(アムステルダム)理事長 訳・青木泉
http://www.diplo.jp/articles07/0701-3.html

7:08 午後  
Blogger yoji said...


バンコール(>>580)がゲゼル案の受け売りであることは自明として、ケインズも通帳式に改変するなどの工夫をしている
ケインズはそこにさらにコモド案という国連が主要一次産品を常備する案を付随させた
これでバンコールという通帳だけのお金に実態が伴うようになる

このコモド・コントロール案(国際緩衝在庫案)は、柳田国男が着目し、柄谷行人も言及した朱子発案の三倉のなかの常平倉に似ている
実際似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は本当に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ

9:47 午後  
Blogger yoji said...

追記:
バンコール(>>580)がゲゼル案の受け売りであることは自明として、ケインズも通帳式に改変するなどの工夫をしている
ケインズはそこにさらにコモド・コントロール案という国連が主要一次産品を常備する案を付随させた
これでバンコールという通帳だけのお金に実態が伴うようになる(はずだった)

このコモド・コントロール案(国際緩衝在庫案)は、柳田国男が着目し、柄谷行人も言及した朱子発案の三倉のなかの常平倉に似ている
実際似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は本当に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")からアイデアを得たようだ

資本主義も国家覇権争いもこうしたアイデアとその実行なくして解消はできない
LETSの理念はそのなかでも鍵になる

9:50 午後  
Blogger yoji said...

追記:
バンコール(>>580)がゲゼル案の受け売りであることは自明として、ケインズも通帳式に改変するなどの
工夫をしている
ケインズはそこにさらにコモド・コントロール案という国連が主要一次産品を常備する案を付随させた
これでバンコールという通帳だけのお金に実態が伴うようになる(はずだった)

このコモド・コントロール案(国際緩衝在庫案)は、柳田国男が着目し、柄谷行人も言及した朱子発案の
三倉のなかの常平倉に似ている
実際似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は本当に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")から
アイデアを得たようだ

資本主義も国家覇権争いもこうしたアイデアとその実行なくして解消はできない
LETSの理念はそのなかでも鍵になる

9:52 午後  
Blogger yoji said...

追記:
バンコール(>>580)がゲゼル案の受け売りであることは自明として、ケインズも通帳式(LETS方式??)に
改変するなどの工夫をしている
ケインズはそこにさらにコモド・コントロール案という国連が主要一次産品を常備する案を付随させた
これでバンコールという通帳だけのお金に実態が伴うようになる(はずだった)

このコモド・コントロール案(国際緩衝在庫案)は、柳田国男が着目し、柄谷行人も言及した朱子発案の
三倉のなかの常平倉に似ている
実際似たアイデアを先に出したウォーレス副大統領は本当に中国の常平倉("The Ever-Normal Granary")から
アイデアを得たようだ

資本主義も国家覇権争いもこうしたアイデアとその実行なくして解消はできない
LETSの理念はそのなかでも鍵になる

9:52 午後  
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1332夜『グローバル資本主義の危機』ジョージ・ソロス|松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/1332.html

 ブレトンウッズ体制は、①大恐慌後のブロック経済によって世界の貿易経済が縮小したことをたてなおすとともに、②国際通貨システムの秩序の回復をはかるべく為替レートを安定させ、③貿易障害となっていた経常取引による為替規制を取り払う役目を担うものだった。
 ここに一応は、戦前までの「保護・差別・双務主義」は「自由・無差別・多角主義」に移行した。なかでもIMFは、加盟国の国際収支上の不均衡(つまり外貨準備不足)を補填する融資をおこなうことによって、当初はめざましいバランス装置として機能した。しかし、問題はこのあとにおこっていく。
 この体制は、いまだ固定相場制のもとでのドルと金の価値を強固に結びつけるものだったのだ。金1オンス=35米ドルの、つまりは“金=ドル本位制”なのである。
 だからこのアメリカ中心の“金=ドル本位制”が機能しているあいだは、また、国際経済はアメリカの独走とソ連の抑制を是とするかぎりはそれでもよかったのだが(つまり二極体制の一方に加担しているかぎりはいいのだが)、しだいにドルの実質価値が低下していくと、おかしくなった。とりわけ、ベトナム戦争の戦費拡大によってアメリカの財政収支がいちじるしく悪化すると、ドルの信認はどんどん下がりはじめたのである。
 これが限界だった。なんとかこれに歯止めをかけようとしたのが、いわゆる「ニクソン・ショック」(ドル・ショック)である。
 1971年8月、ニクソンはドルと金との交換を停止してしまった。かくて世界の主要国はいっせいに「変動相場制」に移動した。ブレトンウッズ体制はあっけなく崩れたのだ。
 それならIMFが世界の通貨安定を支えるという役割も終わってもよかったわけである。ところが直後に2度にわたっての「オイル・ショック」(石油危機)がおきたため、非産油諸国の経済状況が急激に悪化した。IMFはそのまま融資機関としての役割をずるずると拡大させてしまい、80年代にはラテンアメリカ諸国の債務危機に出動、90年代には1232夜の『反米大陸』でもふれたように、構造調整融資の名目のもと、アメリカの南米コントロールのための介入などが巧妙にも執行されていったのだった。
 それでどうなったのか。さまざまな国の資本収支危機が露呈することになり、その一方で、各国の「経済の自由化」「市場の自由化」がIMFプログラムの執行によって拍車をかけられたのである。
 これはあきらかに過剰な勇み足か、失敗である。そして、この時期にこそソロスの錬金術が大いに発揮されたわけだった。
 かくてIMFは国際調整をいつまでも謳い文句としながらも、リフレクシビティを発揮することなく、まして、そこにファリビリティ(誤謬性)を認める視点をもつ者も少ないままに、金融工学的乗り越えに軌道転換していったのである。
 しかし、ソロスはそうしなかった。ソロスはファリビリティを含ませた投資計画によって、事態を乗り越えた。その計画にはIMFや世銀の失敗は織りこみずみだったのだ。

 IMFはソロスの最大の友であって、最大の敵だったろう。目を覆うIMFの失敗に、ソロスは新スキームを提案してセフティネットづくりに資金を供する用意があることを申し出たことがあった。1992年のことだ。けれどもIMFは見向きもしなかった。
 そこでソロスは独自の財団を設けたり、トービン税に代わる課税制度を提案したりした。トービン税はノーベル経済学賞のジェームズ・トービンが案出した国際通貨取引への課税だが、ソロス税は金融取引への課税案である。たちまち金融界が反対し、ソロスは孤立した。
 堪忍袋の緒が切れたソロスが最後に袋の中から持ち出したのは、IMFがSDR(特別引き出し権)を配分して、富める国が自国に配分されたSDRを国際協力のために“贈与”するというスキームだった。ソロスは革新的なアイディアを加えた。SDRが利付き資産であることに着目し、そこから国際援助資金を金融市場とはべつに創出できないかというものだ。
 詳細は省くけれど、このSDR贈与スキームには、①贈与メニューの設定委員会とドナーの贈り先とを切り離す、②贈与適確プログラムは保健・教育・デジタルデバイド・司法改革などに絞る、③貧困対策は除外する、④こうした社会投資のための取引所を創設する、⑤以上の組み合わせのためのマッチングにはマイクロクレジットを使う、といったかなり斬新な提案が含まれていた。
 ぼくはこの提案を聞いたとき、やはりソロスは只者ではないと感じたものだ。なるほど、贈与こそはモースやポランニーが未来に積み残した唯一の「経済を社会に埋めこむための可能性」であったからである。

5:15 午前  
Blogger yoji said...


ジョージ・ソロス(英: George Soros、1930年8月12日[1] - )は、ハンガリーブダペスト生まれのハンガリー系ユダヤ人の投資家、慈善家。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%82%B9

更に、2015年3月に、Boomberg TVに出演したソロスは、中国の現状について「(これまでの輸出依存型経済から)内需主導型経済への移行が失敗した場合、彼らは国を束ね権力を維持するために外部との紛争を作り出す可能性があり、ゆえに我々は第三次世界大戦の瀬戸際にあると言っても過言ではない」と述べた[28]。

同年5月19日の世界銀行におけるブレトンウッズ会議でも「中国経済が悪化すれば、第三次世界大戦が起きる可能性がある」と発言。同時に「米中両国は経済における協力関係を強化し、第三次世界大戦が発生する可能性を減らさねばならない」「米国は人民元を新たにIMFの特別引出権 (SDR) の通貨バスケットへ編入するために譲歩すべきだ」と述べた[29]。また翌6月12日には中国株の大暴落が起こったが、ソロスは暴落前に保有していた中国株のほとんどを売り払っている。


^ http://www.valuewalk.com/2015/05/soros-china-is-risk-for-world-war-3/
^ http://www.focus-asia.com/socioeconomy/economy/418574/

5:19 午前  
Blogger yoji said...


編集
投資家・投機家として著名なソロスであるが、自由主義的な政治運動家としても知られる。例えば、ポーランド民主化運動において、労働組織である「連帯」へ支援を行い、チェコスロバキアにおける反体制運動であった憲章77と同様に、ソビエト連邦によるこれらの国々への支配を終わらせることに寄与した。また、2003年にグルジアで起こった政変(バラ革命)でも彼の資金提供があったとされ、その成功に重要な役割を果たしたとロシアと西欧双方の識者から評された(ソロスはこの見方を、誇張されたものだとコメントしている)。その他、2004年のアメリカ大統領選挙において、ジョージ・W・ブッシュの再選に反対する陣営に支援を行った[要出典]。

連邦準備制度議長ポール・ボルカーは、ソロスの著書『ソロスの錬金術』(原題:The Alchemy of Finance)の序文に寄稿し、以下のように述べた。

ジョージ・ソロスは、非常に成功した投機家として、あるいは、まだゲームが有利なうちに手を引く賢明さを具えていることで、その名を知られている。現在、彼の得た大金の大半は、途上国と新興国の社会が「開かれた社会」になるために使われている。ここで言う「開かれた社会」とは、"商業の自由"のことだけを意味しているわけではない。もっと重要なこと、すなわち(人々が)新しい考え方や、自分とは異なった考え方や行動に対して、寛容の心を持っていることを意味している。


The Alchemy of Finance (Simon & Schuster, 1987) ISBN 0-671-66238-4 (paperback: Wiley, 2003; ISBN 0-471-44549-5)『相場の心を読む』講談社(1988)、『ソロスの錬金術』総合法令出版(1996、2009)

5:20 午前  
Blogger yoji said...

古典派の使用例最古はマルクス

哲学の貧困2:1:7

宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することをたすけるプロレタリアの苦悩に無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらがブルジュワ的生産のふつごうとよぶところのものに対して無関心である。この宿命論学派のなかには古典派とロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、なお封建社会の遺物とたたかいつつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や商業に新しい飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。この闘争にあずかるプロレタリアートは、この熱狂的な仕事に夢中になって、ただ一時的偶然的苦悩をもつにすぎず、み

…ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量に産出される、現代に属する。



ロマン派はシスモンディあたりを考えているのだろう



ケインズ一般理論
序章
1一般理論

(1)「古典派経済学者」とは、リカード、ジェームズ・ミル、および彼らの先行者たち、すなわち、リカードの経済学において最高潮に達する理論の創設者たちをひっくるめて言うために、マルクスがひねり出した呼称である。通常の用法には外れるかもしれないが、私は私なりに、リカードの追随者、すなわちリカードの経済理論を採用し完成させた人たち、(たとえば)J・S・ミル、マーシャル、エッジワース、それにピグー教授も一緒に「古典派」に含めることにしている。

2:45 午後  
Blogger yoji said...

古典派の使用例最古はマルクス。それをケインズが流用した。

マルクス哲学の貧困2:1:7

宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することをたすけるプロレタリアの苦悩に
無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらがブルジュワ的生産のふつごうとよぶところのものに対して
無関心である。この宿命論学派のなかには古典派とロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、
なお封建社会の遺物とたたかいつつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や商業に新しい
飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。この闘争にあずかるプロレタリアートは、この
熱狂的な仕事に夢中になって、ただ一時的偶然的苦悩をもつにすぎず…
…ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量に産出される、現代に属する。


[マルクスはシスモンディあたりをロマン派として考えているのだろう。]

ケインズ一般理論
序章
1一般理論

(1)「古典派経済学者」とは、リカード、ジェームズ・ミル、および彼らの先行者たち、すなわち、リカードの経済学に
おいて最高潮に達する理論の創設者たちをひっくるめて言うために、マルクスがひねり出した呼称である。通常の用法に
は外れるかもしれないが、私は私なりに、リカードの追随者、すなわちリカードの経済理論を採用し完成させた人たち、
(たとえば)J・S・ミル、マーシャル、エッジワース、それにピグー教授も一緒に「古典派」に含めることにしている。

5:20 午後  
Blogger yoji said...

古典派の使用例最古はマルクス。それをケインズが流用した。

マルクス哲学の貧困2:1:7

宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することをたすける
プロレタリアの苦悩に無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらがブルジュワ的
生産のふつごうとよぶところのものに対して無関心である。この宿命論学派のなかには古典派と
ロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、なお封建社会の遺物とたたかい
つつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や商業に新しい
飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。この闘争にあずかるプロレタリアート
は、この熱狂的な仕事に夢中になって、ただ一時的偶然的苦悩をもつにすぎず…
…ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量に産出される、
現代に属する。


[マルクスはシスモンディあたりをロマン派として考えているのだろう。]

ケインズ一般理論
序章
1一般理論

(1)「古典派経済学者」とは、リカード、ジェームズ・ミル、および彼らの先行者たち、すなわち、
リカードの経済学において最高潮に達する理論の創設者たちをひっくるめて言うために、マルクスがひ
ねり出した呼称である。通常の用法には外れるかもしれないが、私は私なりに、リカードの追随者、
すなわちリカードの経済理論を採用し完成させた人たち、(たとえば)J・S・ミル、マーシャル、
エッジワース、それにピグー教授も一緒に「古典派」に含めることにしている。


5:22 午後  
Blogger yoji said...

316 名無しさん@お腹いっぱい。
2018/07/10(火) 07:04:29.58 ID:+yd5YV22

経済学における古典派の命名はマルクスによるものと一般に言われている。ケインズが
一般理論#1注で言及している。

以下は『経済学批判』より
http://web1.nazca.co.jp/hp/nzkchicagob/DME/KeiHi1.html

《商品を分析して二重の形態の労働に帰すること、つまり使用価値を現実の労働または合
目的的な生産的活動に帰し、交換価値を労働時間または同質の社会的労働に帰することは、イ
ギリスではウィリアム・パティ、フランスではボアギュベールにはじまり(15)、イギリスではリカア
ド、フランスではシスモンディにおわる古典派経済学の一世紀半以上にわたる諸研究の批判
的な成果である。》

通常『経済学批判』1859年第1章が参照されるが、『哲学の貧困』1847年#2:1:7の方が早い。

《 宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することを
たすけるプロレタリアの苦悩に無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらが
ブルジュワ的生産のふつごうとよぶところのものに対して無関心である。この宿命論学派のな
かには古典派とロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、なお封建社会
の遺物とたたかいつつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や
商業に新しい飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。

…ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量
に産出される、現代に属する。

…つぎには人道学派がくる。これは現在の生産関係の悪い方面を気にかける。これは、気や
すめや、現実の対照をすこしでもごまかそうとつとめる。それはプロレタリアートの悲嘆、ブル
ジュワ相互間の拘束のない競争を、心からなげく。

…博愛学派は完成された人道学派である。これは対立の必然性を否定する。これはすべて
の人をブルジュワにしようとする。

…経済学者がブルジュワ階級の科学的代表者であるのとおなじように、社会主義者と共産
主義者とはプロレタリア階級の理論家である。

…氏[プルードン]はただ、資本と労働とのあいだを、経済学と共産主義とのあいだを、たえず
動揺する、… 》


プルードンが中間に位置付けられている

5:28 午後  
Blogger yoji said...

古典派の使用例最古はマルクス。それをケインズが流用した。

マルクス哲学の貧困2:1:7

宿命論派経済学者があり、ブルジュワ自身が実践において、かれらが富を獲得することをたすける
プロレタリアの苦悩に無関心であるのとおなじく、かれらの理論においてかれらがブルジュワ的
生産のふつごうとよぶところのものに対して無関心である。この宿命論学派のなかには古典派と
ロマン派とがある。古典派はアダム・スミスやリカードのように、なお封建社会の遺物とたたかい
つつ、ただ経済関係から封建的汚点をふきとり、生産力を増大し、産業や商業に新しい
飛躍をあたえることのみをつとめているブルジュワジーを代表する。この闘争にあずかるプロレタリアート
は、この熱狂的な仕事に夢中になって、ただ一時的偶然的苦悩をもつにすぎず…
…ロマン派は、ブルジェワジーがプロレタリアートに直接対立し、貧困が富とおなじほど大量に産出される、
現代に属する。


ケインズ一般理論
序章
1一般理論

(1)「古典派経済学者」とは、リカード、ジェームズ・ミル、および彼らの先行者たち、すなわち、
リカードの経済学において最高潮に達する理論の創設者たちをひっくるめて言うために、マルクスがひ
ねり出した呼称である。通常の用法には外れるかもしれないが、私は私なりに、リカードの追随者、
すなわちリカードの経済理論を採用し完成させた人たち、(たとえば)J・S・ミル、マーシャル、
エッジワース、それにピグー教授も一緒に「古典派」に含めることにしている。

5:30 午後  
Blogger yoji said...

ケインズ全集 全30巻
イギリス王立経済学会編
日本語版編集委員会
編集委員:中山伊知郎/塩野谷九十九/高橋泰蔵/安井琢磨
編集幹事:荒憲治郎/大石泰彦/福岡正夫/花輪俊哉/堀内昭義/平井俊顕/吉川洋

第1巻 インドの通貨と金融 則武保夫/片山貞雄訳
第2巻 平和の経済的帰結 早坂忠訳第3巻 条約の改正 千田純一訳
第4巻 貨幣改革論 中内恒夫訳
第5巻 貨幣論I 貨幣の純粋理論 小泉明。長澤惟恭訳
第6巻 貨幣論Ⅱ 貨幣の応用理論 長澤惟恭訳
第7巻 雇用・利子および貨幣の一般理論 塩野谷祓一訳
第8巻 確率論 佐藤隆三訳
第9巻 説得論集 宮崎義一訳
第10巻 人物評伝 大野忠男訳
未第11巻 経済論文と書簡 I
未第12巻 経済論文と書簡 Ⅱ
未第13巻 一般理論とその後:第I部 準備
第14巻 一般理論とその後:第Ⅱ部 弁護と発展 清水啓典・柿原和夫・細谷圭訳
第15巻 インドとケンブリッジ:1906~14年の諸活動 三木谷良一・山上宏人訳
未第16巻 大蔵省とヴェルサイユ:1914~19年の諸活動
第17巻 条約改正と再興:1920~22年の諸活動 春井久志訳
第18巻 賠償問題の終結:1922~32年の諸活動 武野秀樹・山下正毅訳
第19巻 金本位復帰と産業政策11922~29年の諸活動 西村閑也訳
未第20巻 雇用と失業対策の再考:1929~31年の諸活動
第21巻 世界恐慌と英米における諸政策:1931~39年の諸活動 舘野敏・北原徹・黒木龍三・小谷野俊夫訳
未第22巻国内戦時金融:1939~45年の諸活動
未第23巻対外戦時金融:1940~43年の諸活動
第24巻平和への移行:1944~46年の諸活動 堀家文吉郎・柴沼武・森映雄訳
第25巻戦後世界の形成一清算同盟:1940~44年の諸活動 村野孝訳
第26巻戦後世界の形成―ブレトン・ウッズと賠償:1941~46年の諸活動 石川健一・島村高嘉訳
第27巻戦後世界の形成一雇用と商品:1940~46年の諸活動 平井俊顕・立脇和夫訳
第28巻社会・政治・文学論集 那須正彦訳
未第29巻一般理論とその後:第13巻および第14巻への補遺
未第30巻参考文献と索引

2016年現在

注:太字は既刊

10:54 午後  
Blogger yoji said...

2つの経済学方法論:フリードマンとロビンズ - 平井俊顕 (ひらい・としあき ...
blogs.yahoo.co.jp/olympass/50435524.html
いわば、これはプルートロジーとして経済学を規定する方法、あるいはマクロ経済学的な見方であるといえる。
講座: 彷徨 (さまよ) える世界経済 ― 資本主義とグローバリゼーション ...
olympass.blogspot.com/2014/06/blog-post_8959.html
スミスの経済学の中心は、どちらかといえばプルートロギーであろうが、しかし交換現象の説明にも需給均衡論 ...
市場社会の検証 - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを ...
www.minervashobo.co.jp/book/b46712.html
自由と統治」および「均衡と変動」という2つの問題軸からイギリスにおける経済思想・ 経済理論の変遷をたどるとともに、最近の ...
マーシャルにおける組織 - 経済学史学会 (Adobe PDF) -htmlで見る
jshet.net/docs/journal/56/562fujii.pdf
ヒックスは,一般均衡論化をプルートロジー(生産の学)からキャタラクティクス(交換の学). への転換と見なすべきだと主張して ...

7:00 午前  
Blogger yoji said...

『ケインズ : 経済学者・経済システム立案者・人間』(平井俊顕 著) を読み終えたところです

ケインズの遺言
晩年に詳しい

7:07 午前  
Blogger yoji said...

古川顕 イネスとケインズの
貨幣論より
ケインズの 「古代通貨論」 は, ケインズ全集全28巻の最後の巻 (第28巻)に掲載されたもので, 彼の数多くの著作の中ではほとんど注目されず, 読まれることのなかった一編ではあるまいか。 しかしこれは, 貨幣の起源や貨幣の歴史について数多くの示唆を与えてくれる貴重な小編であることは確かであるように思われる。 ケインズは次のように述べている。 「記録された歴史のほとんど全期間を通じて, 貨幣価値の低下は, 簡単な議論に値する。 それは, 貨幣が造られる金属の大量の増加, ないしは貨幣単位の金属の含有量の減少による失敗という2つの方法によってもたらされた。 前者を貨幣価値の下落 (Depreciation), 後者を貨幣価値の切り下げ (Debasement)と呼ぶのが便利である。 もし歴史の推移と本質が前者を生じさせないならば, 人間は一般に後者を頼みとするものである」 (Keynes [(19201926) 1982] p.226)。ケインズはこの記述に続いてこう指摘する。 「最初に貨幣の使用が物々交換に取って代わるとき, 鋳貨は金塊にほかならず, それに捺された刻印が品質と数量を証明するものの, その金塊の価値を除いては流通しない。 この初歩的な段階では, 貨幣価値切り下げという方法は利用できない。 契約の発達につれて計算貨幣 (money of account) の概念が現れ, 国家によって発行された鋳貨が法貨 (legal tender) の性格を獲得し, この計算貨幣で測られた債務の法的履行を経験する。 われわれが理解する意味で, 貨幣が人類の制度に登場するようになるのはこの段階である」 (Ibid., p.226)」。 ケインズはこうして貨幣制度が実現する初期の段階として, ①物々交換に代わる貨幣の生成,

1:28 午前  
Blogger yoji said...

「単なる経済学者」ではなかった知の巨人ケインズの幅広い活動を示す待望の一巻。
目次   
第1章 ケインズとキングズリー・マーティン;第2章 ケインズと古代通貨;第3章 ケインズと芸術;第4章 ヒューム;第5章 雑纂
内容   
「単なる経済学者」ではなかった知の巨人ケインズの幅広い活動を示す待望の一巻。本巻はケインズの社会的、政治的および文学的分野における著作と関わり、ケインズ自身の現存する文書などを原資料とした。
ISBN等
4-492-81328-4
ISBN等
978-4-492-81328-7
書誌番号 
3-0500036912

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1:31 午前  
Blogger yoji said...

2 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2011/05/05(木) 02:23:07.60 ID:CDy4pSqE
80年前当時の状況でケインズ卿が考え出した理論を数式で焼き直したのが今日のマクロ経済学
現代をケインズ卿が生きていたら全く同じ理論を作るだろうか?
これはノーだと断言できる

「彼はある程度まで、数学者で、歴史家で、政治家で、哲学者でなければならない。
彼は記号もわかるし、言葉も話さなければならない。
彼は普遍的な見地から特殊を考察し、抽象と具体とを同じ思考の動きの中で取り扱わなければならない。
彼は未来の目的のために、過去に照らして現実を研究しなければならない。
人間の性質や制度のどんな部分も、まったく彼の関心の外にあってはならない。
彼はその気構えにおいて目的意識に富むと同時に公平無私でなければならず、
芸術家のように超然として清廉、しかも時には政治家のように世俗に接近していなければならない」

これはケインズ卿の考える経済学者の理想像である
要約すれば「経済学者は、数学者、歴史家、政治家、哲学者、芸術家でいなければならない。」
刻々と変化する状態に対してあらゆる知識を総動員せよとのことである
80年前と現代では大きく変わったであろう
大変化を迎えたのか変わらず、それを取り扱う理論は進歩したとは到底言えない
当時の理論を模倣することにどれほどの価値があろうか?
通用していないからこそ今日の世の中なのではないか?
天才画家が書いた絵を上からなぞっても名画が生まれないのは当たり前だ
模倣しているだけの今日のマクロ経済学に何の価値があるのだろうか?

3:17 午前  
Blogger yoji said...

413 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2019/05/09(木) 11:52:35.62 ID:1AWquDjk
ケインズ経済学では投資は外生変数なのでそこは一定と仮定する
これはケインズの主張とは逆の発想なんだがサムエルソンがケインズを最単純モデル化する時に投資を外生に設定した
これでケインズは古典派の経済学者にも受け入れられるようになって 失業対策という武器を得た西側の経済学は学界からマル経を追放した
古典派には失業の概念が無かったからそれまでマル経の独壇場だったのだ
この功績でサムエルソンはノーベル賞を貰ったが 投資を外生と設定する理論上の齟齬は金本位制の終焉と共に明らかになってインフレーションに対応出来なくなり
ケイジアンはマネタリストによって根絶やしに近い弾圧を受ける事になる

8:04 午後  
Blogger yoji said...

45 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 7fad-Fpyl)[] 2019/05/25(土) 23:49:41.61 ID:4VnoRGB/0
>>42
もちろん、各国に当てはまるのは間違いない
MMTの説明自体は俺が思うに100%正しい

ただ、それですべてを説明できているわけではなく
実際に素朴なケインズ論みたいなレベルで財政出動論に繋げちゃうと
例えば国内で調達できないものは外国から買うしかないから、海外に金が流れるので
どこに支出するかは「MMTの外」で考えなきゃいけないとかあるわけで

ブレトンウッズ体制の原案であるケインズの「各国が金の裏付けを用意するのではなく
国際通貨だけを金で裏付けて、各国の通貨はその国際通貨との交換で裏付け」という
国際通貨ポジションがドルにとられ、プラザ合意でそのドルが金の裏付けを無くしたという
純粋理論のMMTとはべつの、歴史的な流れも把握しておかなきゃいかんと思うの

6:12 午後  
Blogger yoji said...

51 にゅん (ワッチョイ df10-9b2Z)[] 2019/05/25(土) 23:59:52.55 ID:ENfLyhOn0
>>45
そのへんのパワーバランスの話はMMTを超えてマイケル・ハドソンですね。

114 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ガラプー KK7b-1K6x)[sage] 2019/05/26(日) 08:45:13.91 ID:L9rtCnOcK
>>45
MMTerはケインズの提唱した過度の貿易黒字や赤字にペナルティを課す貿易不均衡の是正を目指した
国際清算同盟に代わる、肥大化した金融資本主義の是正を目指したシステムの提示と、
IMFへの批判的なスタンスはセットのようなイメージがあります
その際に小国はともかく大国へのペナルティ問題はどうするんだぜ的なツッコミは不可避なんでしょうが

>>51
マイケル・ハドソンを尼で調べてみたんですが、アメリカや正統派経済学に挑戦的な
タイトルの著作が多いですね(最新作は貨幣についての歴史的考察みたいですが)
ハドソンファンらしき人のレビューも辛辣で面白いです

6:13 午後  
Blogger yoji said...

超帝国主義国家アメリカの内幕 単行本 – 2002/5
マイケル ハドソン (著), Michael Hudson (原著), 広津 倫子 (翻訳)
5つ星のうち 5.0 1 件のカスタマーレビュー

5つ星のうち5.0アメリカが他国搾取の説明本
2012年2月22日
形式: 単行本Amazonで購入
マイケル・ハドソン博士は、1972年に{SuperImperialism:EconomicStrategy of American Empire}を執筆した.

この本は金本位制に代わる「財務省証券(米国債)本位制を確立することによって(それは1971年に確立された)、アメリカがどのように他の諸国を搾取しようとしているかを諸外国に説明するために書かれたものであった。しかし、出版された本のほとんどを買い占めたのはアメリカの政府機関で、それを職員の教育用マニュアルとして使用したのである。また、米国防省は、金に代わり財務省証券で貿易赤字の資金調達を行なうことにょって、どうすれはアメリカが他の諸国から「ただ乗り」を享受できるかを説明するために、ハドソン氏を雇ったという。

日本の出版社もごの本の版権を買い取り、日本語に翻訳した。しかし、アメリカ側は、この本が日本の読者を動揺させ、日米関係の緊張にっながるとして、出版社に庄力をかけ出版を中止させたのである。2002年要約翻訳版が出版された。

との事でこの本を読んで見る気になりました。
もう一面からは、警察として国民の命を掛けて日本を守る側面であるので両面から見る必要ありそうです。
もっと少なく読む
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています

6:16 午後  
Blogger yoji said...

新国際経済秩序―世界経済の亀裂と再築 (1980年) - – 古書, 1980/5
マイケル・ハドソン (著), 佐藤 和男 (翻訳)
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6:17 午後  
Blogger yoji said...

https://book.asahi.com/article/11609642
新通貨体制めぐる英米闘争鮮やかに

2018.06.08

ブレトンウッズの闘い ケインズ、ホワイトと新世界秩序の創造 著者:ベン・ステイル 出版社:日本経済新聞出版社 ジャンル:金融・通貨
価格:4968円
ISBN: 9784532356026
発売⽇:
サイズ: 20cm/567p

傑出した頭脳を誇る型破りの経済学者ケインズ。実はソ連のスパイでもあった切れ者官僚ホワイト。英米それぞれの国益を背負って衝突する知的構想力、両者の息詰まる激闘を人間味豊かに…

評者:諸富徹 / 朝⽇新聞掲載:2014年10月26日

ブレトンウッズの闘い ケインズ、ホワイトと新世界秩序の創造 [著]ベン・ステイル

 本書は、膨大な文献、会議資料、当事者の手書きメモまで駆使し、1944年に米国で開催されたブレトンウッズ会議における英米間の闘争を描いた大作だ。この会議は、世界経済の中心が大英帝国から米国に移ることを決定づけた分水嶺(ぶんすいれい)でもあった。
 この移行作業を遂行するのに、米国財務省官僚ホワイトほど適任の人物はいなかった。経済学者である彼は、国際通貨問題の本質を理解し、アメリカの国益に沿う形で国際金融秩序を構想する力と、国際会議でそれを具現化する実務能力を兼ね備えていた。彼は、「連合国国際安定基金」(現在の国際通貨基金)と「連合国国際復興開発銀行」(現在の世界銀行)の創設に加え、金と交換性をもつドルを支配的な国際通貨の地位に押し上げる構想を練っていた。
 ホワイトは、実務面でも入念な準備を怠らなかった。彼にとって最大の難敵は、イギリス代表団の団長を務める高名な経済学者ケインズであった。ケインズがドル本位制に強く反対することをホワイトは知り抜いていたので、彼はまず、この問題を取り扱う基金委員会の議長を自分が取り、ケインズには銀行委員会議長を割り当て、この問題から遠ざけた。さらに各委員会には、米国政府選(え)りすぐりの精鋭官僚が研修を受けて配置され、議事進行を取り仕切る体制を整えた。こうして彼らはケインズ、ロバートソン、ロビンズといった当時世界第一級の経済学者を擁したイギリス代表団を迎え撃ち、見事に撃破したのだ。
 基金委員会では、ケインズが事前協議で意味不明として何度も採用を拒否した「金兌換(だかん)通貨」という言葉が再び持ち出された。その定義を明確にするよう求めるインド代表に対し、イギリス代表のロバートソンが、単なる帳簿上の問題と勘違いして不用意に「それなら『金および米ドル』と表現してはどうか」と提案する。この千載一遇の機会をホワイトが見逃すはずがない。彼は巧妙にそのまま議事を確定させ、金・ドル本位制という野望を実現してしまったのだ。
 しかし、意外な側面も明かされている。ホワイトは、実はソ連のスパイだったのだ。彼自身は議会証言で否定するが、著者は公表されたソ連の暗号電文の解読結果に基づいて、ホワイトがなんと、米国政府の機密情報をソ連に流していたことを明らかにしている。
 総じて本書はブレトンウッズ会議をアメリカ側の視点から捉え、ケインズについてもその卓越性だけでなく欠点を指摘して多面的な人物像を浮かび上がらせている点が新鮮だ。本書はしたがって、ケインズとイギリスに肩入れしがちな日本のブレトンウッズ会議観への「解毒剤」ともなるだろう。
    ◇
 小坂恵理訳、日本経済新聞出版社・4968円/Benn Steil 米外交問題評議会シニア・フェロー、国際経済学ディレクター。著書に『Money,Markets,and Sovereignty』(2010年ハイエク・ブック・プライズ受賞)。

ブレトンウッズの闘い ケインズ、ホワイトと新世界秩序の創造 著者:ベン・ステイル 翻訳:小坂 恵理 出版社:日本経済新聞出版社 価格(紙書籍):4968円

諸富徹(モロトミトオル) 京都大学教授=経済学
1968年生まれ。著書に「環境税の理論と実際」「地域再生の新戦略」「私たちはなぜ税金を納めるのか 租税の経済思想史」など。

6:58 午後  
Blogger yoji said...

7 件目/ 7 件中 次資料>>

タイトル 
ブレトンウッズの闘い ケインズ、ホワイトと新世界秩序の創造
著者名等 
ベン・ステイル/著  ≪再検索≫
著者名等 
小坂恵理/訳  ≪再検索≫
著者等紹介
【ステイル】米外交問題評議会シニア・フェロー、国際経済学ディレクター。2010年ハイエク・ブック・プライズ受賞。
著者等紹介
【小坂】慶應義塾大学文学部卒。翻訳家。主な訳書にカリアー「ノーベル経済学賞の40年上・下」「オバマ大統領就任演説」、コヤマ「ドル帝国の崩壊」、ローゼンバーグ「クール革命」ほか。
出版者  
日本経済新聞出版社
出版年  
2014.8
大きさ等 
20cm 567p
注記   
The battle of Bretton Woods.の翻訳
NDC分類
338.97
件名   
国際通貨‐歴史  ≪再検索≫ ケーンズ,ジョン・メーナード
件名   
ブレトンウッズ協定  ≪再検索≫ ホワイト,ハリー・デクスター
要旨   
波乱の時代は歴史に立ち返れ!傑出した頭脳を誇る型破りの経済学者、ケインズ。実はソ連のスパイでもあった切れ者官僚、ホワイト。英米それぞれの国益を背負って衝突する知的構想力。中国台頭後の世界への洞察に富む世紀の激闘をヒューマン・ドキュメントとして描いた金字塔!
目次   
第1章 はじめに;第2章 世界がホワイトマウンテンズにやって来る;第3章 ハリー・ホワイトの破格の出世;第4章 メイナード・ケインズと貨幣という厄介者;第5章 「もっとも寛大な行い」;第6章 ホワイトとケインズ、それぞれの最高のプラン;第7章 ホワイトの策略;第8章 歴史がつくられる;第9章 ファラのように懇願する;第10章 古き秩序は去り、新しき秩序が訪れる;第11章 エピローグ
内容   
傑出した頭脳を誇る型破りの経済学者、ケインズ。実はソ連のスパイでもあった切れ者官僚、ホワイト。英米それぞれの国益を背負って衝突する知的構想力。世紀の激闘をヒューマン・ドキュメントとして描いた金字塔。
ISBN等
4-532-35602-4
ISBN等
978-4-532-35602-6
書誌番号 
3-0500191903

7:00 午後  
Blogger yoji said...

936 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ 9acc-YCmz)[sage] 2019/06/16(日) 18:57:23.79 ID:4yUsSwf30
>>926
ケインズ案を今現実的に立ち上げ直すとどうなるのかなという話。

俺はその議論の土台をポール・デヴィッドソンのIMCU(国債清算通貨同盟)構想(?)に置いている。
デヴィッドソンが上記の問題を解くとこうなるぜという構想。

ぱっと見はMMTとの接続で非常に親和的なものに思えるし、こういう議論なくしてグリーンニューディールとかやっても、
貿易不均衡の問題は大きく残ったままになるだろうから、是非、MMTer の皆さんには、
こういうのをもっと突っ込んで議論してもらえたらなと思ってるのだけど、どうだろうね。
日本も関係大有りだからね。中国もど真ん中ってか、世界中これ問題だよね。
みんなこういう問題で緊縮方向で締め上げるのと、資本移動の規制の緩さとかで、
相当おかしくなってるわけでしょ、世界的に。だからやっぱりケインズ案の話に戻ってくるよね。

ただ一方で俺も気になるアメリカの「覇権」なるものの中身がよく分からないまま、
そういうのとの兼ね合いでどうなのかなぁと思いつつ、わからんもんはわからんから、
誰か掘り下げて仲良く喧嘩しながら議論してくれるとおもしろいんだけどなw
イッチーとスクラッチ―のように仲良く喧嘩するのじゃ!

IMCUの大枠は興味深いlとは思うけど(俺は素人なのでその程度の不理解・無理解?な状態での思考実験としてね)、
具体策がいろいろ提案されているところまで深く掘り進んで考える程の能力は俺にはまったくないので、
現実的にどうなのかというのも今一つ分からんのだけど、本家のMMT論者も似たようなこと言ってるのかな。
それか対立する議論でもあるのだろうか。

3:32 午前  

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