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Protogaea[1] is a work by Gottfried Leibniz on geology and natural history. Unpublished in his lifetime, it was conceived as a preface to his incomplete history of the House of Brunswick.[2]
Protogaea built on, and criticised, the natural philosophy of René Descartes, as expressed in his Principia Philosophiae.[5] Leibniz in the work adopted the Cartesian theory of the Earth as a sun crusted over with sunspots.[2] He relied on the authority of Agostino Scilla writing about fossils to discredit speculations of Athanasius Kircher and Johann Joachim Becher;[6] he had met Scilla in Rome a few years earlier.[7] He took up suggestions of Nicolaus Steno that argued for the forms of fossils being prior to their inclusion in rocks, for stratification, and for the gradual solidification of the Earth.[8]
ドイツ人哲学者・自然学者 G.W. ライプニッツは、17世紀の近代科学の形成期の中で育まれていた諸地球論についての広範な知識を有し、自らの経験的データとをもって地球論史上の記念碑的な著作『プロトガイア』(Protogaea)を執筆する。専門家によると、この著作はおそらく1691年頃に執筆されたと見られているが、その公式な出版は1749年まで待たなければならない。それ以前には、その手稿を運良く見ることができたものや、ライプニッツと直接に地球に関するテーマについて書簡を交わしたもの以外、その内容を知ることは殆どできなかった。唯一の例外は、ライプニッツが深くその運営に関わっていた『ライプツィヒ学報』 (Acta eruditorum) に、1693年に発表された出版予告文である(2)。ライプニッツの地球論は18世紀の半ばまで、主にこの予告文の内容によって知られていたわけである。本邦においても『プロトガイア』自体は、数年前に企画されたライプニッツの著作集に運良く入ることができ、翻訳され広く親しまれるようになっているが(3) 、この予告文は未だ翻訳されていない。今回は、この予告文の翻訳・紹介をすることにしたい(4)。 ハルツの山々と海の間に位置する地域の自然資源に関する調査が、この考察のきっかけを与えた。著者は、一般に考えられている以上の変化を地球が受けてきたと評価している。彼は、モーゼの記述において光と闇が分離されたとされるとき (5) に 、地球を構成する物質の大部分が炎に飲み込まれたという考えを提出している。不透明体、つまり惑星(地球は惑星の一つに数えられている)は、かつては不動の光り輝く星であり、火災の後に一種の外殻を形成するシミによって覆われたと考える人々の意見は以上のように理解されるべきであるという。さらに、この外殻は一種のガラス状の物質であり、ガラスが地球の基礎であり、砂はその滓からできていると推測している。また、全ての種類の土類は、様々な塩の混合、水の循環そして蒸気の作用によって形成されると考えている。(灰化された物質が湿気を引き寄せるように)火の力によって空気中に排出された水は、外殻の冷却化の後に凝集され、一種の「洗剤」或は、化学の術語で言うところの「滴る油」を形成する。それは、焼かれた地表を洗いながら、海を出現させ、その固定塩分を与えた。そういう理由でもってモーゼは、霊感下に、光と闇の分離を最初に記したのである、つまり火という能動的な原理と他の受動的な原理を。そして、次に(モーゼは)受動的な原理を流体と固体に分離しながら、それらが相反発する様にしたがい、土に水を繋げたのである。さらに、著者は、かつて海は現在では陸地となっているところの大部分を覆っていたと考えており、何処も彼処も空洞であった地球の外殻が自身と水の重みと、そしておそらくは地震によって皺を作るときまで、海は高くそびえる山の上まであったと考えている。そこから、傾斜した断層のある山々から、しばしば無数の貝殻やサメの歯、その他の海生動物の遺骸が硬化した沈殿物の中に閉じ込められているのを見るのである。また、著者は、最も高くそびえていた山をも凌駕していた海が、ひび割れや大きく開いた裂け目から地中の深淵に入っていったとも考えている。その後、大部分の地表は固い大地へと変化したのである。著者は、これら全ての事象を [ノアの] 大洪水のみに帰すべきでないと考えている。大きめの地域的浸水でそれらの幾つかは起こるのである。著者は、海の固定塩を火の作用の証拠とするだけでなく、化学実験室での生成物に比するような自然の地下世界での形成物は火山が原因の溶解、昇華、液化、凝集に帰されなければならないと考えている。水からの沈殿は、陸あるいは海起源の事物を包含する幾つもの層を見せたり、結晶化によって硬化した物体の様相を現す。しかしながら、事が火と水の作用を区別することとなると慎重にならざるを得ないだろう。なぜなら、自然は、その目的を達するためには時として「乾」を「湿」として用いることがあるからである。溶解や昇華の状態を経て冷却を受けた物体は、液化や凝集を受けた後に凝結する物のように、実際のところ幾何学的な形態を取ることができるからである。(終)
(1) リェージュ大学科学史研究所。 (2) Acta eruditorum (Leipzig), 1693, januari, pp. 40-42. (3) 『ライプニッツ著作集』第10巻「中国学・地質学・普遍学」(工作舎、1991年)、121-202頁。 (4) Jean-Marie Barrande (ed.), G.W.Leibniz : Protogaea. Mirail, Toulouse, 1993. pp. 198-201 を底本にした。 (5) 『創世記』第1章、第4節。 |
20世紀後半の地球観の大転換に先立つ科学革命の時代、地球観がいかに変容をとげたのかをまとめた貴重な一著が刊行されました。山田俊弘著・ヒロヒライ編『ジオコスモスの変容:デカルトからライプニッツまでの地球論』(勁草書房)です。
山田俊弘氏は1985年以来、勤務先であった千葉県立船橋高校の『研究紀要』にニコラウス・ステノの主著『プロドロムス』の翻訳を掲載されてきた方。工作舎とのご縁は、2001年1月、修士論文『ニコラウス・ステノと17世紀地球論』の最終仕上げ段階に、当時東大駒場裏の松濤にあったオフィスを訪ねてこられ、ライプニッツ『プロトガイア』(第I期10巻)の手稿の未収録分も併せてコピーされたのが始まりでした。同年3月には晴れて修士号を取得。7月にはコピーされた図をテーマとした論文「ライプニッツ『プロトガイア』手稿中の未発表素描図」(英文)が掲載された地質学史懇話会の英文ニューズレター(JHIGEO Newsletter, No. 3, 4-6)の抜刷りをお送りくださいました。同誌は国際地質学史学会の会員に送付され、ライプニッツの手稿中の図に対するステノの影響を示した山田氏の同論文はさまざまな国の研究者に引用されているそうです。
2004 年春には「ステノ的革命かライプニッツ的再生か?:17世紀における地球史の構築」(英文)と題した論文が掲載された日本科学史学会の欧文誌(Historia Scientiarum,13, 2003, 75-100)の抜刷りを拝受。同論考は、2006 年に創設された日本科学史学会賞の第1回論文賞を受賞したとのことです。
2004年秋には長年推敲を重ねた、ステノの『プロドロムス:固体論』(東海大学出版会)をついに上梓。相前後して、アラン・カトラー『なぜ貝の化石が山頂に?:地球に歴史を与えた男ニコラウス・ステノ』(2003; 鈴木豊雄訳、清流出版 2005)が刊行されたことは、鈴木氏が『テスラ』の訳者であり、同書の装丁者が元工作舎アートディレクターの西山孝司氏でもあったので、相乗効果をひそかに祝したものでした。
「ヘルメスの図書館」(Bibliotheca Hermetica: BH)と題したウェブサイトを1999年以来運営しているヒロヒライ氏は、同サイトに集った研究者の成果発表の場として『ミクロコスモス:初期近代精神史研究』第1集を上梓(月曜社 2010)。ご自身の論考「ルネサンスにおける世界精気と第五精髄の概念:ジョゼフ・デュシェーヌの物質理論」やマルシリオ・フィチーノ「光について」(平井浩訳)はじめ、山田氏の「ニコラウス・ステノ、その生涯の素描:新哲学、バロック宮廷、宗教的危機」を収載しました。
そしてついにこの2月、ヒライ氏が勁草書房で立ち上げたBH叢書の第4弾として『ジオコスモスの変容』が刊行され、3月8日にはヒライ氏と山田氏のトークショーも、建替をひかえたソニービルの期間限定書店 EDIT TOKYOで開催されました。
トークショーでは、ステノ研究ひとすじの山田氏をあるときはもみほぐし、あるときは一刀両断し、ステノを水先案内人とすることで、デカルト、キルヒャー、フック、スピノザ、ライプニッツといった17世紀の偉才たちの地球観を追体験できる一著に仕上げたヒライ氏の辣腕編集者ぶりが、ユーモアとともに明かされました。マクロコスモス、ミクロコスモスの2極に加え、第3極ジオコスモスをたてたキルヒャーによる図の紹介も、キルヒャー、ヒライ、山田3氏の地球への偏愛ぶりを表していて印象的でした。
ライプニッツがステノに会ったのは、ヨハン・フリードリヒ公に仕えて間もない1667年ごろのこと。解剖学者としてスタートを切り、諸国を遍歴しながら地質や化石などの研究を重ねたステノから、ライプニッツは多くを学んだことでしょう。その知識はヨハン・フリードリヒ公宛書簡『ハルツ鉱山開発献策』(1679: 第3巻所収)に活かされ、その後1686年にいたるまで30回以上ハルツに出かけて確認、増強され、『プロトガイア』(c.1691)に結実します。
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家史を書くにあたって『プロトガイア』からはじめたライプニッツの意図は、ステノとともに人間の歴史は自然史を前提にしていることを後代に伝えたかったからにちがいありません。
『結合法論』(邦訳著作集1などに抄訳所収)扉に採用された四大元素、4性質を説明した図
https://pds.exblog.jp/pds/1/200910/06/41/a0024841_1213524.jpg
37 考える名無しさん[] 2019/02/09(土) 09:43:24.06 ID:0
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9866/labo32.html
ドイツ人哲学者・自然学者 G.W. ライプニッツは、17世紀の近代科学の形成期の中で
育まれていた諸地球論についての広範な知識を有し、自らの経験的データとをもって
地球論史上の記念碑的な著作『プロトガイア』(Protogaea)を執筆する。専門家に
よると、この著作はおそらく1691年頃に執筆されたと見られているが、その公式な
出版は1749年まで待たなければならない。
『ライプツィヒ学報』に寄せられたG.W.ライプニッツの『プロトガイア』予告文 平井浩訳
ハルツの山々と海の間に位置する地域の自然資源に関する調査が、この考察の
きっかけを与えた。著者は、一般に考えられている以上の変化を地球が受けてきたと
評価している。彼は、モーゼの記述において光と闇が分離されたとされるとき に 、
地球を構成する物質の大部分が炎に飲み込まれたという考えを提出している。
…焼かれた地表を洗いながら、海を出現させ、その
固定塩分を与えた。そういう理由でもってモーゼは、霊感下に、光と闇の分離を最初に
記したのである、つまり火という能動的な原理と他の受動的な原理を。
…
また、著者は、最も高くそびえていた山をも凌駕
していた海が、ひび割れや大きく開いた裂け目から地中の深淵に入っていったとも考え
ている。その後、大部分の地表は固い大地へと変化したのである。著者は、これら全て
の事象を [ノアの] 大洪水のみに帰すべきでないと考えている。
…
しかしながら、事が火と水の作用を区別することとなると慎重に
ならざるを得ないだろう。なぜなら、自然は、その目的を達するためには時として
「乾」を「湿」として用いることがあるからである。溶解や昇華の状態を経て冷却を
受けた物体は、液化や凝集を受けた後に凝結する物のように、実際のところ幾何学的
な形態を取ることができるからである。
https://en.wikipedia.org/wiki/Protogaea#/media/File%3AHoughton_GC6.L5316.749p_-_Liebniz%2C_Svmmi_polyhistorias%2C_tab_III.jpg
『結合法論』(邦訳著作集1などに抄訳所収)扉に採用された四大元素及び4性質を説明した図
>https://pds.exblog.jp/pds/1/200910/06/41/a0024841_1213524.jpg >>10
参考:
(ライプニッツ『結合法論』(邦訳著作集1などに抄訳所収)扉に採用されたアリストテレス(「気象論」)の4性質(=冷熱乾湿)を説明した図)
https://pds.exblog.jp/pds/1/200910/06/41/a0024841_1213524.jpg