RBC、DSGEモデル:メモ
DSGE「動学的確率的一般均衡モデル(Dynamic Stochastic General Equilibrium)」
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/dsge-httpslh3.html
Time to Build and Aggregate Fluctuations Author(s): Finn E. Kydland and Edward C. Prescott. 1982
http://www.fep.up.pt/docentes/pcosme/S-E-1/kP-Econ.pdf 27頁
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post_79.html
RBC,DSGEに関して(重複世代モデル、『ゾンビ経済学』他)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/rbcdsge.html
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post_19.html
トーマス・サージェント教授ら『再帰的マクロ経済理論』(英語版):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/07/blog-post_25.html
ミンスキー,金融不安で見直される経済学者CAN “IT” HAPPEN AGAIN?
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/can-it-happen-again-jbpress.html
「蛸壺に入ったときはみなケインジアンになるようだ」ルーカス
http://nam-students.blogspot.jp/2015/08/blog-post_45.html
DSGEに対する情況論的批判はジョン・クイギン『ゾンビ経済学』(筑摩書房) 第3章がいい。
数学的なルーカスへの批判は松尾匡HPにリンクがあった。
http://synodos.jp/economy/6795/3
《しかしその後続々と明らかになったのは、このルーカスモデルの想定をそっくり
そのまま使い、合理的期待の前提もおいたままで、このモデル自体にルー カス
さんが気づいていなかった別の均衡がいくつもあるということでした。そしてそ
れらの別均衡のもとでは、政府がおカネの発行を増やしたとき、ただインフ レ
になって終わりというわけではなく、ちゃんと生産が増えることが明らかにされ
たのでした。
このことは、もうずいぶん早くから指摘されていたことなのですが、最近では
松井宗也さんが詳しく研究されていますので、ここでは松井さんの論文[*7]に
したがってそのことをご紹介しましょう。
...
[*7]松井宗也「Lucas (1972)モデルにおける複数均衡」
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/MCENTER/pdf/wp1202.pdfx》
上はリンク切れ
Lucas(1972)のモデルにおける貨幣の非中立性
https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/jss/pdf/jss6301_091109.pdf ○
- http://old.econ.ucdavis.edu/faculty/kdsalyer/LECTURES/Ecn235a/expectations%20and%20the%20neutrality%20of%20money%202.pdf
Expectations and the Neutrality of Money. ROBERT E. LUCAS (1972).
- (期待と貨幣の中立性について)
第2期消費 第2期消費
|\ \ |\ \
| \ \ | \ \
| \ \ | \ \
Y2___o➡︎\ Y2___o \
| |\ \ | |\⬇︎\
| | \ \ | | \ \
| | \ \ | | \ \
|___|___\_\___ |___|___\_\____
Y1 第1期所得 Y1 第1期所得
(1)若者期に国債を (2)若者は、将来の (3)予算線は、
発行し所得を増やす ➡︎ 増税を見越して ➡︎ 元に戻る
(政府支出増) 消費を減らし、
貯蓄を増やす
[予算線不変=三角形不変]⬅︎[財政政策は無効]
「バローの中立性命題」について考える|
-
将来を組み入れたミクロ分析モデル予算線は、現在所得だけでなく、生涯の所得(若者期+老人期)を加味したもので分析する。
老 老
人| 人 第2期消費
期| 期 |\
所| 所Y4_\老人は貯蓄を使い消費を増やせる
得| 得 | ⬆︎\
Y2___o Y2___o
| | ➡︎ | |\
| | | | \若者は借金をして
| | | |➡︎|\消費を増やせる
|___|_______ |___|_|_\___第1期消費
Y1 若者期所得 Y1 Y3 若者期所得
- リアルビジネスサイクル理論 - Wikipedia
-
リアルビジネスサイクル理論( -りろん theory of real business cycle)とは、景気循環の要因は生産技術や財政政策などの実質変数(実物的要因)に限られるとするマクロ経済学の理論である。リアル(real)とは実質的(実物的)を意味し、いわゆるモノに関連した要因を意味している。ビジネスサイクル(business cycle)とは景気循環を指す。「実物的景気循環理論」と訳す場合もある。リアルビジネスサイクル理論は、ジョン・ミュースのアイデアに基づいてロバート・ルーカスが最初に定式化(☆)したマクロ経済学のモデルである。新しい古典派経済学(new classical economics)の代表的なフレームワークの一つである。この理論の主張点は、マネーサプライや物価水準などの名目変数の変動が景気循環を引き起こすのではなく、生産技術や財政政策などの実質変数(実物的要因)のみが景気循環の要因となるというものである。2004年のアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞は、フィン・キドランドとエドワード・プレスコットのこの分野に対する貢献に対して贈られている。☆
http://old.econ.ucdavis.edu/faculty/kdsalyer/LECTURES/Ecn235a/expectations%20and%20the%20neutrality%20of%20money%202.pdf
(原文)
Expectations and the Neutrality of Money. ROBERT E. LUCAS (1972).- (期待と貨幣の中立性について)
____RBC理論は「外生的景気循環理論」(西村和雄『まんがDE経済学入門』(第二版194頁)フィン・キドランド - Wikipediahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89リアルサイクルビジネス理論
- キドランドの最大の業績は、ノーベル経済学賞の受賞理由にも挙げられたリアルビジネスサイクル理論の創始である。リアルビジネスサイクル理論は1982年にキドランドが、同じくノーベル経済学賞を受賞したエドワード・プレスコットとともに共同で執筆した論文『Time to build and aggregate fluctuations』に始まる研究である。これは1セクター最適成長モデルを基にした理論であり、経済に加わる実物的ショックから景気が変動することでどのように代表的経済主体が反応するかを考察する理論である。
- リアルビジネスサイクル理論についてキドランドらは、それまで盛んであった貨幣的な要因を強調する考え方よりも実物的な側面を重視し、景気変動は不可避であるという主張をした。この主張はかなり挑戦的に記述されていたため、大きな反響を引き起こした。キドランドらが使用したカリブレーションと呼ばれる数値シミュレーションの手法にも反対の声が多かった。しかしながら手法については、1990年代初頭からは、ケインズ学派の論文においても同様の手法が用いられているようになった。
- 静学的な手法が連立方程式を解いて解の挙動を調べるものならば、動学的な手法は連立微分方程式を解くことで解の挙動を調べるものといえる。しかしながら動学的な手法では明示的な解を求めることは困難である。そこで、現実の数値に基づいてシミュレーションを進める分析手法は、キドランドらの論文以降、確固たる地位を占めることになった。
詳細は「リアルビジネスサイクル理論」を参照______これは実は私(=Williamson)の政治的立場とまったく同じである。サージェントはさらに以下のように述べている:素晴らしい。これは私の経験そのままである。
クルーグマンは、ルーカスやプレスコットの研究から出てきた理論的ツールがイデオロギーに何らかの形で偏向していると考えているようだ。どうしてそんなことが有り得ようか? ルーカスの期待と貨幣の中立性の論文を例に取ろう。この研究のベースとなっているモデルはサミュエルソンの世代重複モデルだ。サミュエルソンが共和党員だったとでも言うのかね? キドランドとプレスコットが構築に掛かる時間と総変動を書いた時、彼らがやったことは、基本的にソロー、キャス*1、クープマンス*2、ブロック、マーマン*3の研究で築かれた優れたモデルの枠組みに少し捻りを加えた、というものだった。彼らの中に共和党員は一人も居なかった、ということも十分に有り得る。
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/comment/20120807論文の著者の一人Kevin D. Hooverは、別論文で、他の計量経済学的手法の中でも、とりわけDSGE等で使われるカリブレーションを、このLSE手法と対極的な手法として位置づけている*1。景気変動をめぐる経済学各学派の理論的特徴についてhttp://iwata-yamana.jp/cn6/pg128.html《…さらに、マクロ経済学のミクロ的基礎づけという近代理論の課題に向かったのはリアルビジネスサイクルの理論であった(F.E.キッドランドとE.C.プレスコット)。これは異時点間の労働の代替を古典派モデルに組み込んだもので、景気変動が生じるのは財政支出の変動と技術ショックが利子率の変動を経由して産出量と雇用量の変動をもたらすことにある。そのために、実証的には「ソロー残差」⊿A/Aの原因としての技術ショックが強調される。
⊿A/A=⊿Y/Y―α⊿K/Kー(1-α)⊿L/L Aは全要素生産性
この学説では実物面(外生的技術ショック)が産出量の変動を引き起こすが、この均衡は競争均衡であり、完全雇用均衡産出量であり、政府の役割は意味を持たない。従って、政策提言も期待できないことになる。
総じて新しい古典派経済学に至る主流派の流れは均衡理論の精緻化を進めた流れと言えよう。しかし、雇用量は産出量の変動にもかかわらず、一定値を取り続けるという結論は現実とは異なる。短期を中長期につなぐ投資行動の分析が抜け落ちているという根本的な問題点が引き続いている。また、外部性・収穫逓増・不完全競争市場の設定は果たして資源の効率的配分を達成できるのか、家計の効用極大化を達成できるのかという疑問が残されている。》- ________
以下、菅原晃『図解 使えるマクロ経済学』2014年,中経出版より
ケインズからDSGEまでの流れ(マンキューマクロ2の邦訳章番号を付記)
思想的 新古典派経済学1:3
ライバル : |
ケインズ ↔︎ ハイエク : |
: : : |
:ヒックス : : |
:トービン2:6 : : ⬇︎
ケインズ経済⬅︎批判 フリードマン :新古典派成長
| ⬆︎ | マネタリスト: モデル
| | ⬇︎ 2:3 : ソロー2:1,2:2
| | マクロ計量モデル : |
| | (IS-LMにもとづく)/ |
| \ 1:8 ⬆︎ / |
| 批判 批判 / |
| ル ー カ ス |
⬇︎ ミクロ的基礎づけ2:5 ⬇︎(リアルビジネスサイクル)
ニュー・ ⬅︎--合理的期待形成仮説--➡︎RBCモデル2:8
ケインジアン \ 2:3 / キドランド
マンキュー ↘ ↙︎ プレスコット
2:8 財政政策 DSGEモデル
の役割 (確率的動学一般均衡)
縮小化 ローマー?2:8
⬇︎
リーマン・ショック時に機能せず!
機能したのは、オールド・ケインジアンのIS-LMモデルだった!
注:主流派=新古典派。RBCは、外生的。期待形成は予測形成で、リフレ派も含まれる。デビット・ローマーは普通は新ケインズ派に分類される。ローマーという名前の経済学者は複数いる。________Wikipediaの記述に詳しくあるが、1937年にケインズの一般理論をヒックスがIS-LMモデルで解釈を行った後、新古典派の動学成長モデルがソロー・スワン・モデルから50年代、60年代に発達した。以前にDiamond OLGモデルを紹介したが、同じ年に開発されているRamseyモデルがRBCのベースになっている。
ミクロ経済学1937 |IS-LM |⬇︎ 資本ストックを導入し、動学化1956 Solow________| \各世代ごとに消費と消費と投資(貯蓄)を最適化 消費と投資(貯蓄)を最適化⬇︎ ⬇︎1965 Ramsey 1965 DiamondCass-Koopmans OLG| |余暇(=失業)と技術ショックの導入 |⬇︎ |1982 RBC /| 価格・賃金の硬直性 /| 財市場の不完全性 /| 情報の非対称性 /| etc… /⬇︎ /1991~ DSGE ⬅︎---/(New IS-LM)注:OLG=世代重複モデル (OverLapping Generations model. = OG model)Ramseyモデルはマクロ経済学への貢献だけではなく、オイラー・ラグランジュ方程式やハミルトニアンを駆使する事によりミクロ計量実証の研究者を増やしたと言う意味で、伝説的なモデルだ。ただし、資本蓄積の決定要因を内生化したモデルで、失業や景気循環などが無い。60年代後半から70年代前半にインフレ率が高いが成長率が低いと言うスタグフレーションが発生し、IS-LMモデル(もしくはAD-AS)の信頼性が低下した。また、ミクロ的基礎付けが無いと言うルーカス批判から、ミクロ的基礎付けがあり、貨幣の中立性を仮定したRBCモデル群が生まれたと考えられる。マクロ経済的に厳密な話では無いと思うが、教科書的なRBCモデルはラムゼー・モデルに余暇と技術ショックを導入している。余暇は失業を表し、技術ショックから均衡点に戻る過程が景気循環を表す。実物ショックが、景気悪化による失業者の増加をもたらすモデルになっている。RBCはテクニカルな貢献も大きく、それ以前は単なる数理モデルで解析解を求めていたのだが、RBC以降はシミュレーション(カリブレーション)による数値解析と言う手法が一般化した。その後、価格硬直性等の様々の要素をモデルに組み込む試みが行われ、今ではDSGEと呼ばれるようになっている。教科書的なRBCの構造
家計部門の効用関数を定義する。Uが効用、βが割引率、tが期、Cが消費、Lが余暇(=失業)だ。出だしで失業があるのだが、その値は後で家計の効用最大化問題として、つまり自発的に決定されることになる。u(・)はu'>0、u''<0、u'(0)=∞、u'(∞)=0と言うwell-behavedな仮定が置かれる。批判の多い無限期間生きる個人の効用最大化問題だ。企業部門の生産関数も定義しよう。F(・)もwell-behavedであり、t期の生産量Yは技術的ショックAと、労働N、資本Kで決定される。労働力Nは、余暇とのトレードオフなのでN=1-Lとなる。消費と投資もトレードオフになっている。資本Kは投資Iの蓄積になるが、毎期、減価償却率δだけ減損していく。生産と消費、資本の関係をまとめると以下のようになる。ここでは家計と企業が同一の経済主体である事を仮定しよう。厚生経済学の第一定理が成立するので、多数の同質の家計や企業が分権的に存在する場合でも、結果は同じになる。式(2)を制約とした式(1)の最大化問題によって、家計の行動、つまり失業や消費が決定される。ラグランジュアンを置こう。つまり、Kt+1(=It)、Ct、Nt、λtでの偏微分が0になる事が通期で効用最大化となる点になる。λtとλt+1が邪魔なので消去しよう。式(4)のtとt+1のケースを式(6)に代入して整理する。左辺はt期とt+1期の消費の限界効用の比で、右辺は実質利子率の逆数となる。次に、式(4)と式(5)を整理する。右辺は実質賃金になり、消費と余暇の限界効用の比がそれに一致する。さらに、以下の横断性条件をつける。これが無いと、子孫のために貯め込み続ける家計が出てきておかしい事になる。具体的な効用関数や生産関数を置く事により、モデルを解析的、もしくは数値解析的に解く事ができる。ただし、コブ・タグラス型関数でも無い限り、解析的には容易には解けない。良く見ると未知変数が5つ(Kt+1(=It)、Ct、Nt、λt、λt+1)で、横断性条件以外の扱いやすい方程式は4つ((3)~(6))しか無いのだよ。だから、線形化したりして数値解析する事が多くなる。RBCでの分析方法とディープパラメータ
数値解析を行う場合は、αやβと言うパラメータに具体的な数値をつける必要がある。これをディープパラメータと言うが、計量分析でパラメータを特定する試みが行われているが、この値が妥当なものなのか厳密には良く分からない。ここも良く批判されるている。しかし、ディープパラメータを仮定すれば、技術ショック、つまりAtの変化がいかに経済に影響を与えるかを分析する事ができる。上の図は、とあるブログで引用されていた、とあるRBCモデルの数値解析結果だが、景気循環と言うかインパルス応答列が出来ている事が分かる。RBCの構造と分析手法は、その後も踏襲
Kydland and Prescott (1982)が開発したRBCモデルは、ミクロ経済学的な基礎を持ち、実物ショックがマクロ経済にもたらす影響を分析する事ができる。価格硬直性やインフレ率の影響などは、RBCを改良、もしくは改悪させたDSGE/New IS-LMモデルに組み込まれているが、基本的な構造やカリブレーションと言う分析手法は踏襲されている。下に参考文献をあげたが、これにmakoto nakajima’s homepage: macroeconomics, computational methodsを読めば、一通りの流れが勉強できるそうだ。____________ノーベル賞経済学者のロバート・ソローは、DSGEを酷評している。現実の経済を良く反映したモデルになっておらず、統計学的にも現実経済との一致性が低いそうだ。特に『代表的個人』を仮定することで、ミクロ経済学で問題になる利害衝突、予想不一致、詐欺行為が無い事を省略していると批判している(ソロー「DSGEなんか嫌いだ」 、ソロー「DSGEなんか嫌いだ」・続き)。財務長官やハーバード大学学長を勤めたローレンス・サマーズも「DSGEモデルはまるで経済政策の役に立たなかった」と言及したらしい。Economic theory is always and inevitably too simple; that can not be helped. But it is all the more important to keep pointing out foolishness wherever it appears. Especially when it comes to matters as important as macroeconomics, a mainstream economist like me insists that every proposition must pass the smell test: does this really make sense? I do not think that the currently popular DSGE models pass the smell test. They take it for granted that the whole economy can be thought about as if it were a single, consistent person or dynasty carrying out a rationally designed, long-term plan, occasionally disturbed by unexpected shocks, but adapting to them in a rational, consistent way. I do not think that this picture passes the smell test. The protagonists of this idea make a claim to respectability by asserting that it is founded on what we know about microeconomic behavior, but I think that this claim is generally phony. The advocates no doubt believe what they say, but they seem to have stopped sniffing or to have lost their sense of smell altogether.(訳)経済理論は、常に必然的に、あまりにも単純化し過ぎたものとなります。それは避けられません。しかしより重要なことは、馬鹿げた結果が出て来た場合はそれを必ず指摘することです。特にマクロ経済学のような重要なテーマにおいては、私のような主流派経済学者は、すべての命題が嗅覚テストをパスすることにこだわります。それが本当に道理にかなっているかどうかチェックするわけです。現在人気のDGSEモデルが、その嗅覚テストにパスするとは私には思えません。それらのモデルでは、経済全体を単一の首尾一貫した人間もしくは王朝であるかのように扱うことを、当然視しています。その人間もしくは王朝は、合理的に設計された長期の計画を遂行し、その遂行が時折りの予期しないショックで擾乱されても、それに合理的かつ一貫したやり方で適応するのです。こうした描写が嗅覚テストにパスするとは私には思えません。このモデルの主唱者は、ミクロ経済学的な行動について我々が知っていることに基礎付けられていることを以って、このモデルは立派なモデルである、と主張します、しかし私に言わせれば、その主張は大体においてまやかしです。そう主張する人たちが自分の言っていることを信じているのは確かです。しかし彼らは嗅ぐことをやめてしまったか、あるいは嗅覚を完全に失ってしまったのです。
The point I am making is that the DSGE model has nothing useful to say about anti-recession policy because it has built into its essentially implausible assumptions the “conclusion” that there is nothing for macroeconomic policy to do. I think we have just seen how untrue this is for an economy attached to a highly-leveraged, weakly-regulated financial system. But I think it was just as visibly false in earlier recessions (and in episodes of inflationary overheating) that followed quite different patterns. There are other traditions with better ways to do macroeconomics.One can find other, more narrowly statistical, reasons for believing that the DSGE approach is not a good way to understand macroeconomic behavior, but this is not the time to go into them. An interesting question remains as to why the macroeconomics profession led itself down this particular garden path. Perhaps we can come to that later.(訳)私の言わんとしていることの要点は、DGSEモデルは不況対策について何ら有益なことが言えない、ということです。というのは、DSGEモデルでは、マクロ経済政策のすべきことは何も無いという「結論」が、本質的に現実離れした前提に予め組み込まれているからです。高いレバレッジが掛けられた規制の緩い金融システムを持つ経済について、そのことがいかに当てはまらないかについては、つい最近皆さんも目にしたことと思います。しかし、今回とはまったく異なる経路を辿った以前の不況(ならびにインフレの過熱)についても、そのことはやはり明確に間違っていた、と私は思います。マクロ経済学には、他のもっとまともな昔ながらの手法があるのです。
- This is hard to explain, but I will try. Most economists are willing to believe that most individual “agents” – consumers investors, borrowers, lenders, workers, employers – make their decisions so as to do the best that they can for themselves, given their possibilities and their information. Clearly they do not always behave in this rational way, and systematic deviations are well worth studying. But this is not a bad first approximation in many cases. The DSGE school populates its simplified economy – remember that all economics is about simplified economies just as biology is about simplified cells – with exactly one single combination worker-owner-consumer-everything-else who plans ahead carefully and lives forever. One important consequence of this “representative agent” assumption is that there are no conflicts of interest, no incompatible expectations, no deceptions.This all-purpose decision-maker essentially runs the economy according to its own preferences. Not directly, of course: the economy has to operate through generally well-behaved markets and prices. Under pressure from skeptics and from the need to deal with actual data, DSGE modellers have worked hard to allow for various market frictions and imperfections like rigid prices and wages, asymmetries of information, time lags, and so on. This is all to the good. But the basic story always treats the whole economy as if it were like a person, trying consciously and rationally to do the best it can on behalf of the representative agent, given its circumstances. This can not be an adequate description of a national economy, which is pretty conspicuously not pursuing a consistent goal. A thoughtful person, faced with the thought that economic policy was being pursued on this basis, might reasonably wonder what planet he or she is on.An obvious example is that the DSGE story has no real room for unemployment of the kind we see most of the time, and especially now: unemployment that is pure waste. There are competent workers, willing to work at the prevailing wage or even a bit less, but the potential job is stymied by a market failure. The economy is unable to organize a win-winsituation that is apparently there for the taking. This sort of outcome is incompatible with the notion that the economy is in rational pursuit of an intelligible goal. The only way that DSGE and related models can cope with unemployment is to make it somehow voluntary, a choice of current leisure or a desire to retain some kind of flexibility for the future or something like that. But this is exactly the sort of explanation that does not pass the smell test.Working out a story like this is not just an intellectual game, though no doubt it is a bit of that too. To the extent that the observed economy is actually doing the best it can, given the circumstances, it is already adapting optimally to whatever expected or unexpected disturbances come along. It can not do better. It follows that conscious public policy can only make things worse. If the government has better information than the representative agent has, then all it has to do is to make that information public. If prices are imperfectly flexible, then the government can make them more flexible by attacking monopolies and weakening unions. Actually this proposition is dubious on its own.(訳)(DSGEが嗅覚テストに通らない件について)説明するのは難しいですが、やってみます。大抵の経済学者は、個々の「主体」――消費者、投資家、借り手、貸し手、労働者、雇用者――の殆どは、与えられた可能性と情報のもとで、自らのために能う限りの最善を尽くす、ということを信じるのに吝かではありません。明らかに、それらの主体は常にそうした合理的な振る舞いをするとは限りませんし、そうした振る舞いからの体系的な逸脱は大いに研究の価値があります。とは言え、多くの場合、それは一次近似としては悪くはありません。DSGEでは、その単純化された経済――先ほどお話したように、すべての経済学は単純化された経済を対象とします、ちょうど生物学が単純化された細胞を対象とするように――に、ただ一人の労働者兼所有者兼消費者兼その他諸々を住まわせます。その主体は、注意深く将来の計画を立て、永遠に生きます。この「代表的個人」という仮定によってもたらされる一つの重要な帰結は、利害の衝突の不在、相容れない期待の不在、詐欺の不在です。この全用途型の意思決定者は、基本的に自らの嗜好に基づいて経済を運営します。もちろん、直接的に運営しているわけではありません。経済は、概ねは御しやすい市場と価格を通じて運営しなくてはなりません。懐疑論者からの圧力と実際のデータを扱う必要に迫られて、DSGEのモデルを構築する人は、物価や賃金の硬直性、情報の非対称性、タイムラグなどの様々な市場の摩擦や不完全性を取り込むことに力を傾けました。それ自体は良いことです。しかし、やはり基本的には、経済全体を一人の人間――与えられた状況下で、代表的個人のために意識的かつ合理的に能う限りの最善を尽くす人間――であるかのように扱っています。これが一国の経済の適切な描写になるわけがありません。一国の経済は、一貫した目標を目指すなどとは程遠いものです。こうした基礎に基づいて政策が追求されるなどという考えが提示されたならば、思考力に富んだ人間は、自分は一体どんな惑星にいるのだろう、と当然ながら不思議に思うことでしょう。典型的な例を挙げますと、DSGEの世界では、我々が良く目にし、特に今現在良く目にするタイプの失業の余地がありません。つまり、純粋に無駄な失業です。今は、趨勢的な賃金、あるいはそれより少し低い賃金ででも喜んで働く有能な労働者がいますが、市場の失敗によって彼らの就職が妨げられています。経済は、明らかに手の届くところにあるにも関わらず、双方が得になる状況を実現できないのです。こうした結果は、経済が分かりやすい目標を合理的に追求するという考えとは相容れません。DSGEや関連モデルが失業を取り入れる唯一の方法は、何とかしてそれを自発的なものにすることです。即ち、現時点では余暇を選択したとか、将来のための選択肢を残しておくことを欲した、とかいう話です。しかし、それはまさに嗅覚テストに不合格になる種類の説明です。こうしたお話を紡ぎ出すことは、ただの知的ゲームという要素も間違いなくありましょうが、それだけでは済みません。我々が目にする経済は、与えられた状況下で実は最善を尽くしているのだ、ということになると、その経済は、予期されたもの予期されなかったものを問わずあらゆる擾乱に対しても、既に最善な形で適合しているのだ、ということになります。もはや改善の余地は無い、というわけです。ということは、敢えて実施する公的政策は、事態を悪くするだけだ、ということになります。もし政府が代表的個人よりも優れた情報を持っているならば、単にそれを公開しさえすれば良い、ということになります。もし価格伸縮性が不完全ならば、政府は独占企業を攻撃して組合を弱体化させることにより、それをもっと伸縮的にできる、ということになります。実際のところ、そうした命題は、かなり疑わしいものです。
この合理的期待仮説の「期待」(expectarion)とは正しくは予測と訳すべきで、「合理的予測派」と副島先生は書いています。この合理的予測学派は、古典派経済学の一種で、この学派とケインズ経済学が宗派闘争をした結果、本来の正しい経済学であるケインズ経済学が敗れて、従来のケインズ経済学者もこの合理的予測学派に「改宗」させられていった、という大きな経済学理論上の権力闘争がアメリカの経済学者の間で行われていた、というのです。第5章の内容を箇条書きすると以下のようになると思います。
*現在の日本政府の経済政策の最高の理論家は伊藤隆敏(いとうたかとし)という人物であり、以前は財務省の副財務官、その前はIMFの調査局の上級審議役を務めていた。理論経済学者であり、大悪人で論文泥棒の竹中平蔵よりもずっと影響力がある。
*伊藤隆敏は、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の資金を株式などのリスク資産に投入する投入する最高責任者である。
*同時に伊藤隆敏は、「物価上昇率2%」のインフレ目標の異次元金融緩和というインフレターゲット政策を日本で最初に訴えた理論経済学者だ。
*世界ではインフレ目標政策は、1990年のニュージーランドで始まる。「サイコロジーの経済学(人間の心理を操る経済学)」と最初の頃から言われていた。
*伊藤隆敏は、アメリカに留学し、ロバート・ルーカスとケネス・アローという二人のノーベル経済学者に育てられて、日本に送り返されてきた尖兵である。
ロバート・ルーカス(経済学者)
公的・準公的資金の運用・リスク管理を見直す政府の有識者会議で座長を務めた 伊藤隆敏
インフレターゲットを提唱した伊藤隆敏の過去の著作群
*インフレ目標政策の成果が出ていないことでは日銀の黒田東彦総裁、岩田規久男副総裁、中曽宏副総裁に対する責任追及の声が高まっている。特に岩田規久男は2年前の4月の就任時に「もしこの政策が実行(達成)できなかったら辞任する」とはっきりいってしまったので、困り果てているはずだ。
*そもそも日銀法第1条には、インフレファイターの仕事は規定されていても、デフレファイターと戦う仕事は規定されていない。
*重要な事は「インフレターゲット論は、方程式を逆転させる論理でできている」ということだ。「成長があるから、そのとき、株が上がり始めて景気が良くなる」とい因果関係を逆転させて、「経済に成長が起きていないのに、無理矢理に経済成長を作り出そうとし、そのために株式を釣り上げるとか、土地の値段を上げさせる」というふうに考えている。実体経済が良くないのに、無理やり株・土地だけを上げれば、経済成長が起きると考えたので失敗している。
*このインタゲ理論の元になったのが、合的期待形成派であり、「人間心理を操る経済学」であり「悪魔の経済学」である。
*合理的期待形成理論(合理的予測派)の頭目は今も行きているロバート・ルーカスというシカゴ大学の学者だ。アメリカ経済学は相当おかしくなっているが、これは「マネタリスト」経済学と、この合理的予測派たちのよるインフレ目標政策という金融政策のせいである。
*伊藤隆敏は2011年の日経新聞で、「合理的期待」について、「政府の行動(変化)を瞬時に察知し、将来のインフレ率や失業率についての期待(予想)を変え、現在の行動も変えるというもの」として説明している。
*ケインズ経済学も90年代半ばにはこの合理的期待を取り入れた「新しいケインズ経済学」に衣替えした、とも伊藤隆敏は論文で書いている。
*副島隆彦が読み破ったところでは、合理的予測派の考えは、「合理的予測をすべての市場参加者にさせることで、市場を完全にコントロールする思想」にほかならず、「市場を牢屋に入れた」という他はない。
*伊藤隆敏の立場は、経済学の歴史を遡ると、物理学者ライプニッツの理論、「すべての出来事は最善(オプティマム)である。全ては調和している。すべての問題は必ず解決する、物事は順調にいく」という思想に遡ることができる。これは『余剰の時代』(KKベストセラーズ)でも取り上げた、ヴォルテールの『カンディード その別名はオプティミズム』(1759年刊)で批判された思想であり、これのオプティミズムを批判した経済学者こそがジョン・メイナード・ケインズである。
*だから、現在の経済・金融政策を巡る争いは、偉大なるケインズと、それ以外の経済学者たちの争いであるのだ。
*現在の経済学者は、元々はケインズ学者だった人達も含めて、「復活した古典派経済学者」たちとの争いに敗れて叩き潰されて、強制改宗の憂き目にあった。古典派は、リカードゥの「モノ、商品、製品を市場に供給さえすれば、それは必ず売れる」という考え方、すなわち「セイの法則」を信じている一派であり、ケインズ学派は「需要があるからこそ、世の中は回る」「供給ではなく、需要面、購買意欲、人々の消費、企業家の設備投資意欲こそだ大事だ」というマルサスの理論を重要視する。
*経済学の歴史は、古典派とケインジアンの戦いの歴史である。1970年のサミュエルソンの「新古典派総合」(ネオクラシカル・シンセシス)というのは、「古典派とケインジアンはめでたく統合された」のではなかった、ケインジアンとクラシカルの戦いの末、ケインズが殺されて、結果、多くの経済学者が裏切り者(アポステイト)として、クラシカルの思想を受け入れていった。ハーヴァード大学は今もケインジアンの牙城と言われているが嘘である。ケインズを殺して古典派が復活したのだ。
*小室直樹先生は「ルーカスの信奉者たちは、まるで狂信者を思わせた」と本の中で書いている。古典派の合理性を行き着くところまで押し進めると、「人々はすべての利用可能な情報を利用することによって正しい予測ができる」と言う考えは狂信者である。この合理的期待形成仮説を定式化した論文が発表されるや、信奉者の中に燎原の火の勢いで広まっていた。この事こそ資本主義は一種の宗教であることを如実に証明するものである、と小室直樹先生は書いている。
*しかし、この合理的予測派の考えるようには、アジア人である私達は、合理的な経済行動などとらない。常に自分に最大の利益が出るように行動する、ということを私達はなかなか出来ない。しかし、合理的予測派は、極限に突き詰めた経済人(ホモ・エコノミクス)を前提にしている。予測(期待)をするためには普通だったら膨大なコスト(費用、労力)と時間をかける必要があるのに、この理論では「コストも時間もゼロである」と仮定されている。彼らは神懸かりの狂信的な資本主義の理論家たちである。
*竹中平蔵と合理的予測派の伊藤隆敏は、「もうすぐインフレが来る。すなわち好景気が来るので、目減りする現金を持っているよりは、モノ(財物)に換えた方がいい」と煽って、人々が買い物をするという状況がかならず来るだろうと考えている。しかし、現実の国民は不安だから、みんなお金を握りしめて放さない。
*不況から脱出するには、ケインズの「有効需要(創造)の原理」の公式、「Y(国民所得)=C(消費)+I(投資)」にある、2つのCとIの需要を高めなければならないのに、サプライサイド重視の竹中平蔵たちは供給側を徹底的に合理化すれば、需要はその後でついてくるという考えをして間違っている。
*ニューヨーク・タイムズのコラムニストで経済学者のポール・クルーグマンは、古典派叩きをやってケインズ学者のふりをしているが、一方でインフレターゲット理論を絶賛している。だからクルーグマンも悪いやつである。
*リーマン・ショック後に伊藤隆敏の師匠で、ノーベル経済学賞を受賞した合理的予測学派のルーカスは、批判の矢面に立たされたが、その時に「私は異常な事態を前提にした理論モデルは作っていない。適正に経済運営が行われることを予想したモデルだ」と言い訳し、インターネット上で批判してきた若い経済学徒たちを脅しつけて黙らせた。しかし、ルーカスに対する批判の釜は煮えたぎっている。
///////
副島氏が言うと陰謀論に聞こえるが、大筋で正しい。ただし、バブルを恐れた白川を擁護するのもおかしい。ピケティはストックを重視したが、フローの分析も必要だ。特に金融に流れるお金が実体経済をどのくらい凌駕しているかが重要だ。ネット上のお金は実体経済に対してメタレベルにある。現在、投機マネーはインフレだが、実体はデフレだ。スタグフレーションもそれで説明できる。対策としては地域金融を活用する地域再投資法(CRA)しかない。
マルクスにプルードンがセットにならなければならないように、ケインズ復権にはカレツキとゲゼルがセットでなければならない。
ロバート・ルーカス (経済学者) - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ロバート・ルーカス_(経済学者)ロバート・ルーカス(Robert Emerson "Bob" Lucas, Jr.、1937年9月15日 - )は、 アメリカ合衆国の経済学者でシカゴ大学教授。 1995年に ... またルーカス自身は、金融危機時には財政政策がマネーの消失を緩和する効果があることを認めている。 …
- 政治学者・経済学者の小室直樹は「ルーカスを初めとした合理的期待学派は、正気の沙汰とは思えない。狂気か?カルト教団か?」と述べている[1]。小室は「古典派は余りに合理的な「経済人」を仮定するという理由でよく批判されるが、合理的期待学派のモデルとする経済人は、古典派どころではなく、全知全能に近い「経済人」なのである。その経済人は将来に対して不偏な予測ができる。また、すべての経済理論を利用できる。このような予測をするためには、膨大なコストと時間をかける必要があるが、コストも時間もゼロであると仮定されている」と述べている[2]。小室は「全盛を極めたルーカス派にとって転機となったのは、数学が得意なことで有名なルーカスの論文に数学的誤りが発見されたことだった。これがきっかけとなり理論的批判も行われるようになった」と述べている[2]。
^ 小室直樹 『経済学をめぐる巨匠たち』 ダイヤモンド社、2004年、76頁。
^ a b 小室直樹 『経済学をめぐる巨匠たち』 ダイヤモンド社、2004年、77頁。
Amazon.co.jp: 経済学をめぐる巨匠たち (Kei BOOKS): 小室 直樹
参考:
上第5章、下最終章に、RBC批判がある。
「熱狂なき株高」で踊らされる日本: 金と現金以外は信用するな!: 副島 隆彦
ケインズ―時代と経済学 (ちくま新書): 吉川 洋
http://green.ap.teacup.com/politicalscience/31.html
「需要拡大のための構造改革」を唱える吉川洋東大教授は、実は生粋のケインジアンの道を歩んできた。彼は東大経済学部卒業後、アメリカで残った最後のケインジアンの牙城イェール大学でトービン教授の弟子になり、Ph.Dを取得している。彼がイェール大学の大学院生時代にはあのシカゴ大学のルーカス教授が公演に訪れ、トービンとの論争を直に聞いたという。
「セミナーの途中で一人の助教授がルーカスに「非自発的失業」について質問した。ルーカスは「イェールでは未だに非自発的失業などとわけのわからぬ言葉を使う人が、教授の中に居るのか。シカゴではそんな馬鹿な言葉を使う者は学部の学生の中にも居ない」と答えた」(吉川洋『ケインズ』1995年、ちくま新書、191ページ)。それに対してトービンは少し興奮した口調で言った。「なるほどあなたは非常に鋭い理論家だが、一つだけ私にかなわないことがある。若いあなたは大不況を見ていない。しかし私は大不況をこの目で見たことがある。大不況の悲惨さはあなた方の理論では説明できない」(前掲、192ページ)。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-category-15.html
“反ケインズの経済理論として最も有名であるのが、合理的期待形成仮説である。
1972年にロバート・ルーカス博士は「期待と貨幣の中立性について」という論文を発表した。この論文は合理的期待形成仮説を定式化した論文である。
一度この論文が発表されるや、その信奉者の中に燎原の火の勢いで広まっていった。この事こそ、資本主義は一種の宗教であることを如実に証明するものである。ルーカス博士の説を信奉する人々は一時、まるで狂信者を思わせるものがあった。
ルーカスの二つの論文、「貨幣の中立性についてと「景気循環をどう理解するか」が彼らにとって最も大切な論文であった。……一人の女性の研究者が、ルーカスの後者の論文を、全部暗記していて、議論をするごとに、その論文の何ページに、こういう文章があるといって、目をつぶって、あたかもコーランを暗誦するかのような調子で唱え出す光景は異様であった(宇沢弘文『経済学の考え方』岩波新書1989年、257頁)。
まるでカルト教団の信徒ではないか!
《1977年私はイェール大学の大学院生だった。イェール大学はアメリカ・ケインジアンの総帥とも言えるトービンの影響下に、当時米国でケインズ経済学が生き残っているほとんど唯一の大学だった。「合理的期待」理論の発信地であるシカゴ、ミネソタ大学などはもとよりハーバード、MIT、プリンストンなど東部の主要大学でも「合理的期待」理論は大きな影響を与えていた。そうしたある日シカゴからルーカスがイェールにセミナーにやってきた。セミナーの途中で一人の助教授がルーカスに「非自発的失業」について質問した。ルーカスは「イェールでは未だに非自発的失業などとわけのわからぬ言葉を使う人が、教授の中にすら居るのか。シカゴではそんなバカな言葉を使う者は学部の学生の中にも居ない」と答えたものだ》(吉川洋『ケインズ』ちくま新書1995年、191頁)
何とケインズの「非自発的失業」という概念すら、反ケインズ主義者の間では綺麗に一掃され、禁句にすらなっていたのであった。
最後にトービンが少し興奮した口調でルーカスに言った。「なるほど貴方は非常に鋭い理論家だが、一つだけ私にかなわないことがある。若い貴方は大不況を見ていない。しかし私は大不況をこの目で見たことがある。大不況の悲惨さはあなた方の理論では説明できない。」(吉川、前掲書、192頁)”_______ 以下はルーカス擁護記事: 第九回「経済学は有益か(その二)―ルーカスの洞察」 | キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)
ルーカス氏の見立て
危機は「マネー消失」が原因
ルーカス氏は、今回の金融危機の本質を「マネーの消失」であると、ひと言で言い表した。つまり、財貨の交換媒体(マネー)が急に消失したために、経済活動が阻害され、急速な不況が発生したというのである。この性質は1930年代の大恐慌とも相通ずる。大恐慌の時代も、銀行預金(すなわちマネー)が急激に減少していたことをルーカス氏は講演で指摘した。大恐慌の時代にマネーが減少したのは、銀行取付け(Bank Run)が起こったからである。大恐慌時には、預金保険もなかったため、預金者は銀行倒産をおそれて我先に預金を引き出した。その結果、経済全体でマネー(銀行預金)が消失したのである。
その後、1934年に預金保険が整備され、さらにグラス・スティーガル法によって銀行と証券を分離して、銀行が過度のリスクをとれないようにする金融規制の体系ができあがった。この銀行規制は数十年にわたって、大恐慌(すなわち全国的な銀行取付けの嵐)が再発することを防止した、とルーカス氏はいう。しかし、近年の規制緩和で銀行と証券の壁が取り払われ、金融工学の発展によって市場環境が変質し、銀行が過度のリスクをとる状況が発生した。
今回の金融危機では、預金保険があるため、預金の引出しに預金者が殺到することはなかった。しかし、預金保険で保護されていない短期の銀行債務は、急激に縮小し、金融機関は短期債務の借換えができなくなり、資金ショートに追い込まれた。保護されていない短期の銀行債務は、実質的に(大恐慌時の)預金債務と同じであり、短期債務の「取付け」が発生したのである。つまり、規制の外でいつのまにかマネー(短期債務)が自然発生し、それが経済活動の正常な運行に必要不可欠な存在となっていた。そのマネーが、住宅バブル崩壊で金融機関のバランスシートが悪化したため、倒産をおそれた債権者によって引き揚げられてしまった。結果的に、経済全体で急にマネーが消失してしまったのである。これがルーカス氏の診断である。
ルーカス氏は、米国政府や連邦準備制度の危機対策についても、非常に柔軟にポジティブな評価をした(クルーグマン氏が描く新古典派の典型的な経済学者なら、政府介入には教条的に反対を唱えるはずだが)。マネーが消失したのだから、経済活動を回復させるためには、マネーの供給を増やす必要がある。連邦準備制度が行った極端な金融緩和政策は、消失したマネーを補うために、中央銀行が貨幣を経済に供給する政策だった。危機に際して必要な政策だったのである。また、マネーを供給するという目的を達するうえで、「財政政策」と「金融政策」の区別はほとんど意味がない。政府の補助金や公共事業であっても、中央銀行からの貸出であっても、マネー不足の経済に対してマネーが供給されれば、それだけで効果がある。ルーカス氏は、教条的な財政政策無効論者ではなく、金融危機時には財政政策がマネーの消失を緩和する効果があることを認めているのである。
ルーカス氏は、「新しい科学的発見をしたふりをするつもりはない」と謙遜しているが、いずれにしても、銀行取付けと同じメカニズムによって、交換媒体としてのマネーが消失したことが金融危機の本質である、というのがルーカス氏の洞察である。それは筆者の見方と重なり合うものであり、本連載が追求しているテーマと一致するのである。_______ 将来を組み入れたミクロ分析モデル
老 老
人| 人 第2期消費
期| 期 |\
所| 所Y4_\老人は貯蓄を使い消費を増やせる
得| 得 | ⬆︎\
Y2___o Y2___o
| | ➡︎ | |\
| | | | \若者は借金をして
| | | |➡︎|\消費を増やせる
|___|_______ |___|_|_\____第1期消費
Y1 若者期所得 Y1 Y3 若者期所得バロー中立命題
第2期消費 第2期消費
|\ \ |\ \
| \ \ | \ \
| \ \ | \ \
Y2___o➡︎\ Y2___o \
| |\ \ | |\⬇︎\
| | \ \ | | \ \
| | \ \ | | \ \
|___|___\_\___ |___|___\_\____
Y1 第1期所得 Y1 第1期所得
(1)若者期に国債を (2)若者は、将来の (3)予算線は、
発行し所得を増やす ➡︎ 増税を見越して ➡︎ 元に戻る
(政府支出増) 消費を減らし、
貯蓄を増やす
[予算線不変=三角形不変]⬅︎[財政政策は無効]_________以下は本質的ルーカス(への)批判の紹介: 反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」 / 松尾匡 | SYNODOS -シノドス- | ページ 3http://synodos.jp/economy/6795/3《…しかしその後続々と明らかになったのは、このルーカスモデルの想定をそっくりそのまま使い、合理的期待の前提もおいたままで、このモデル自体にルーカスさんが気づいていなかった別の均衡がいくつもあるということでした。そしてそれらの別均衡のもとでは、政府がおカネの発行を増やしたとき、ただインフレになって終わりというわけではなく、ちゃんと生産が増えることが明らかにされたのでした。…[*7]》[*7]松井宗也「Lucas (1972)モデルにおける複数均衡」(2012)http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/MCENTER/pdf/wp1202.pdf《[*8]… もし物価上昇が全部現役人口の変動のせいならば、それは次期の現役人口には関係のないことです。次期には平均的には物価が元に戻ると予想されます。つまり、いまより物価は下がるということです。これは貨幣を持ち越せば将来買える財が増えるということで、実質的に利子がつくことといっしょです。ならばたくさん稼いで貨幣を将来に持ち越して引退人生を楽しもうと思います。だから、生産が増えます。ところが物価上昇が全部、貨幣が増えたせいならば、その貨幣が次期にも持ち越されますので、平均的に見て物価は高くなったまま変わらないと予想されます。貨幣を持ち越すごリヤクは変わりませんので、生産も増えません。しかしこのモデルの中の人は、この両者を今期中は区別できませんから、物価が高くなった理由が、本当は政府が人々の意表をついて貨幣発行を増やしただけのことだったとしても、人々は自分の島への現役人口の割り振りが少なかったせいである可能性を否定できません。その可能性の分は、人々は財の生産を増やして貨幣の持ち越しを増やそうとします。だから、人々に予期されざる金融緩和政策は、生産を増やすという意味で有効ということになります。ところが政府の貨幣供給がバッチリ人々によって認識されるならば、人々はただ現役人口の割り振りに反応するだけで、貨幣の変動の方に反応して生産を増やすことはしません。だから、予想された金融政策は無効ということになります。》[*8]大瀧雅之『景気循環の理論』第1章第3節、東京大学出版会、1994年。《…ルーカスさんの論文の政策無効の結論は、実は「合理的期待」という新しい手法に原因があったわけではなかったのです。このことが認識されたのは、ルーカスモデルでつじつまの合った物価の決まり方の式は、ルーカスさんが使った貨幣数量説型の式だけでなく、いろんな式があり得るということが発見されていったからです。松井さんの論文によれば、1990年代の初めには、ルーカスモデルの中に出てくるいろいろな式を、計算のしやすい簡単な式に特定化した上で、貨幣が生産や消費に影響するような解が無限に出てくることが示されている[*10]そうです。》[*10]P. A. Chiappori and R. Guesnerie, “The Lucas equation, indeterminancy, and non-neutrality: an example,” Economic Analysis of Mardets and Games, ed. P. Dasgupta, D. Gale, O. Hart and E. Maskin, The MIT Press, Cambridge, 1992._______ 企業の需要 M&A市場 企業の供給
お金の流れ------➡︎D S⬅︎---------
|賃金・地代・利潤 E_\/ 労働・土地・資本|
|(=GDP) 均衡点/\ |
| -------⬅︎S D➡︎------- |
| | 企業の売却 企業の買収 | |
| | | |
| | 株式市場 | |
| ---------\/--------- |
⬆︎ ---------/\--------- ⬆︎
| | | |
| | 生産要素 | |
| | 労働の需要 市場 労働の供給 | |
➡︎ お金の流れ---➡︎D S⬅︎------- ⬅︎
|賃金・地代・利潤 E_\/ 労働・土地・資本|
|(=GDP) 均衡点/\ |
| -------⬅︎S D➡︎------- |
| |生産へ 所得(=GDP)| |
| |の投入 | |
⬆︎ ⬇︎ マクロ / ⬇︎ ⬆︎
\ / / \ /
企\業 / 家\計
/ \ / ミクロ / \
⬇︎ ⬆︎ ⬆︎ ⬇︎
| |(GDP=) 財・サービス 購入された| |
| | 収入 市場 財・サービス| |
| -------⬅︎D S➡︎------- |
|販売された財 E_\/均衡点 |
|・サービス /\ 支出(=GDP)|
---------➡︎S D⬅︎---------
財の供給 財の需要○○
財優勢(デフレ)下降←利子率→上昇(インフレ)貨幣優勢
イデ ンフ フレ レ
投資の限界効率:投資の利益率を
利子率(金利)で表示したもの。
〈ケインズの投資の限界効率理論〉
投資の限界効率 > 利子率(金利) ⇒ 投資する
投資の限界効率 = 利子率(金利) ⇒ 投資しなくてもよい
投資の限界効率 < 利子率(金利) ⇒ 投資しない
(石川秀樹『経済学と数学がイッキにわかる!!』2009年214~5頁)
株式はDにもSにもなる。株式市場で企業の所有者が家計と相互に入れ替わり得る。
M&A(エムアンドエー)とは、企業の吸収合併や買収の総称。英語の Mergers and Acquisitions(合併と買収)の略。貨幣供給量 貨幣需要量(流動性選好)
\ /
利子率 予想利潤率(資本の限界効率)\ /
投資量 乗数(1÷貯蓄率)\ /
国民所得量 消費性向
\ /消費需要量2:17図 ケインズ経済学の因果連鎖以下、伊東光晴『ケインズ』(講談社学術文庫273頁、既出の図の改訂版):
_____________
| /消費C←所得Y/
| ↙︎ーーーーーー /
雇用量←産出高=|所得Y (消費性向)/
N O | ↖︎ /↙︎利子率i←貨幣量M| \投資I←
|_______/ ↖︎資本の限界効率r
↙︎i
Y←I I←r i←M
乗数理論 投資決定論 流動性選好利子論
以下、雇用の一般理論の梗概 (ディラード『ケインズの経済学』64頁より):
雇用(N),所得(Y),および有効需要(D)の理論
________/\________
消費(C) 投資(I)
/\ ___/\___
消費性向 所得の大きさ 利子率(ri) 資本の限界効率(rm)
/\ /\ /\
平均消費(C/Y) 限界消費 流動性 貨幣量(M) 利回りの予想 取り替え費用、あ
性向(ΔC/ΔY) 選好(L) (M=M1+M2) るいは資本資産
/\ l の供給価格
投資乗数(k) k=1/(1-ΔC/ΔY) 取引動機
の導出 予備的動機
投機的動機
(すべてM1によりみたされる)
特 徴
「基礎」国民所得C/Y=1,すなわちC=Y。
所得が増加するにつれて消費も増加するが,
所得よりも増加率が小さい。
ΔC/ΔYはつねに1より小である。
kはつねに1より大である。
投資の増加は倍数的所得増加をもたらす。
交換の媒介としての貨幣を意味する。
価値の貯蓄としての貨幣を意味する。
貨幣当局により統制されうる。
不安定。株式市場,
企業の確信等により影響される。
景気循環:変動。
長期:低減。 (注)
1.雇用(および所得)は有効需要に依存する。
2.有効需要は消費性向および投資量により決定される。
3.消費性向は比較的安定である,
4.雇用は消費性向が不変ならば投資量に依存する。
5.投資は利子率と資本の限界効率に依存する。
6.利子率は貨幣量と流動性選好に依存する。
7.資本の限界効率は利回りの予想と資本資産の取替え費用に依存する。*ディラードの図は乗数効果を消費に働きかけるものとしている点において異質だが優れている。
貨幣供給量 貨幣需要量(流動性選好)6 [(利回りの予想と)資本資産の取替え費用]7
\ / /
利子率5,6,7 予想利潤率(資本の限界効率)5
\ /
投資量2,4,5 乗数(1÷貯蓄率)2,4
\ /
国民所得量(雇用)1 消費性向 1,2,3
\ /
消費需要量(有効需要) 1
2:17図 ケインズ経済学の因果連鎖
貨幣の供給量
\
利子率____
貨幣の需要量/ \
(流動性選好) 投資量_
資本の限界効率/ \
国民所得量
投資乗数/ \
総消費量
消費性向/
ケインズ経済学的にみたマクロ経済の要素連鎖以下、伊東光晴『ケインズ』(講談社学術文庫273頁、既出の図の改訂版):
_____________
| /消費C←所得Y/
| ↙︎ーーーーーー /
雇用量←産出高=|所得Y (消費性向)/
N O | ↖︎ /↙︎利子率i←貨幣量M| \投資I←
|_______/ ↖︎資本の限界効率r
↙︎i
Y←I I←r i←M
乗数理論 投資決定論 流動性選好利子論
- 日本版への序 (1936)
- 序文
- 第 I 巻:はじめに
- 第 II 巻:定義と考え方
- 第 III 巻:消費性向
- 第 8 章 消費性向 I: 客観的な要因
- 第 9 章 消費性向 II: 主観的な要因
- 第 10 章 限界消費性向と乗数(ケインズ的公共事業、お金を埋めて掘り返させろと主張する章)[ピラミッドへの言及]
- 第 IV 巻:投 資をうながす
- 第 V 巻:賃金と価格
- 第 VI 巻:一般理論が示唆するちょっとしたメモ
貨幣の供給量
\
利子率____
貨幣の需要量/ 4: \2:7
(流動性選好) 投資量_
4:15 資本の限界効率/4: \
4:11 国民所得量
投資乗数/ 1: \
3:10 総消費量
消費性向/ 1:
3:
ケインズ経済学的にみたマクロ経済の要素連鎖
ソロー残差とは - はてなキーワード - はてなダイアリー
「ソロー残差」とは - ソロー残差。 技術革新は直接計測できない。 直接計測できないの なら、 間接的に計測してみましょう!と言うのがソロー残差。 詳しくは以下の説明を参照 。 http://cruel.org/econthought/prof...
ソローの残差・成長会計分析
ソローの成長モデルにおいて、経済成長は技術進歩によってもたらされる。それは確か に前回の労働増大的技術進歩モデルによって示された。 だがしかし技術進歩と言っても 労働増大的技術進歩以外の進歩、 すなわち生産関数F(K、L)の向上による技術進歩 ...
「ソロー残差」について考える|ユウ坊の経済を考えるブログ
2014年7月11日 ... ソロー残差」とは“成長会計と呼ばれるデータによって技術進歩率を差(引き算)として 算定する手法から得られる値のことであり、大雑把に示すと「技術進歩率=経済成長率 -資本の成長の貢献-労働の成長の貢献」という式で表されるもの”で、 ...ケインズ経済学はデフレの貨幣不足時に、RBC理論はインフレの財不足時に、状況に対して相補的に作用し主流となる。VernetzungVerweise auf dieses Stichwort (einblenden)weitere interessante Stichwörter der Autoren
- Makroökonomik
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- DSGE-Modelle
______http://libertystreeteconomics.typepad.com/.a/6a01348793456c970c01b8d0708b22970c-popupa Stylized Description of the Model:frictions ⬅︎[shocks][TFP shocks] [Investment shocks]_____⬇︎___Firms 市場 __⬇︎_________| Goods || Goods 商品 ---→ Entrepreneurs/ 起業家/||producers 生産者 ←--- Capital producers || ↗︎/ Capital ↖︎ 資本家 |[Labor | //:Adjustment costs \ |supply | //and variable capital utilization\ |shocks]|___//_______________\_____|⬇︎ //Consumption \[Spread shocks]Labor // goods [Markup \ ⬇︎:Wage rigidity//:Price rigidity⬅︎ shocks] \Loans貸付/↙︎ \:Credit frictionsHouseholds 家主 -------Deposits-------→Banks銀行Treasury bills ↖︎↘︎Taxes 税⬆︎ Government 政府[Policy shocks]Liberty Street Economicshttp://libertystreeteconomics.newyorkfed.org/2014/09/a-birds-eye-view-of-the-frbny-dsge-model.html#.VVoQQ2IayK0A Bird’s Eye View of the FRBNY DSGE Model
Agents’ choices in the model are dynamic (hence the “D” in DSGE) in the sense that they take into account both current and future expected conditions. Technically, agents solve intertemporal optimization problems, subject to constraints. For example, households choose their consumption profile over time, given their preferences and their budget constraints, while firms choose their prices by maximizing profits, given the production technology they operate. The outcome of each agent’s optimization problem is a decision rule that describes how they react to changes in their circumstances. The intensity of this reaction depends upon the parameters that characterize their preferences as well as their environment. For instance, workers supply labor based on the wage they would earn by working more and the value they place on the extra income. How much more they will work for any extra dollar depends on the so-called elasticity of labor supply, a parameter of the model that is related to each worker’s preference for leisure. People who like leisure more will need a higher wage increase to be convinced to work an extra hour. Firms, in turn, demand labor based on the wage and the productivity of workers. The slope of their labor demand curve (that is, how much more they are willing to pay to convince a worker to stay one more hour on the job) also depends on parameters, in this case, having to do with the technology they operate. The interaction of workers and firms in the labor market balances their conflicting interests (workers prefer higher wages, while firms would rather pay less) and determines an equilibrium wage. The process of simultaneous determination of wages and all other prices in the economy is what makes the model one of “general equilibrium,” which accounts for the “GE” in DSGE.
Finally, the “S” is for stochastic, illustrating the fact that agents face uncertain circumstances when making decisions. The environment faced by agents is subject to random disturbances, called “shocks.” Our model features several such shocks, including: shocks to productivity, which affect the amount of output that can be produced with a given amount of inputs; mark-up shocks, which capture exogenous inflationary pressures, such as those coming from movements in oil prices; and labor supply shocks, which capture changes in demographics or labor market imperfections. In addition, there are financial shocks, which affect the riskiness of borrowers, and shocks to investment demand, which capture changes in uncertainty about future demand, among other factors affecting firms’ desire to invest. Finally, two types of policy shocks capture changes in monetary and fiscal policy._____■[マクロ経済学] 加藤涼「現代マクロ経済学講義」に関する無駄に長い書評
[お断り]
1. 第3章と第4章はあまり読んでいない(特に第4章はまったく読んでいない)ので、以下の書評は第1章、第2章、第5章、第6章、第7章に関するものです。2. 以下の書評は2006年1月から2月にかけて加藤さんからいただいた本書の「草稿」を読んだときの感想が大部分を占めています。出版された本書を読んでみると細かい修正はあるようですが、大きな変化はないようなので、その時の感想に基づいて書きます。3. 本書の「日本経済へのインプリケーション」に異論のある方もいらっしゃるでしょうが、それには少し目を瞑って「DGEの教科書」として書評しますので、よろしくお願いします(←韓リフ先生向けのメッセージ)[現代マクロ経済学の主流]
矢野の理解が正しければ、現代マクロ経済学の主流は「動的一般均衡モデル(Dynamic General Equilibrium Models, 以下DGE)」によって占められています。「主流」というのは必ずしも「正しい」とは限らないかもしれませんが、それでも研究者がお互いに議論するには何らかの「共通の議論の基盤」は必要ですから、DGEはその基盤として用いられることが多いようです。[DGEの四要素]
DGEに基づく論文は少なくとも以下の四つの要素を含んでいます。1. 定型化された事実(stylized facts)[たとえば「現在のインフレ率は1期前のインフレ率からみて急激な変化をすることは少ない(インフレ慣性)」など]
2. Dynamic Programmingなどの現代制御理論に基づくマクロ経済モデルの構築
3. 前記モデルの係数の特定化(Calibration)
4. 前記モデルの1階条件を用いて均衡を算出し、均衡周辺で線形化したモデルをBlanchard and Kahn (1980)などの手法を用いて変形し、impulse responseを用いてシミュレートする場合によっては3.が「ベイズ統計学(たとえばマルコフ連鎖モンテカルロ法)を用いたパラメータ推定」 だったり、4.の部分が「Value Function Iterationを用いたシミュレーション」だったりと若干違う場合もありますが、上記の四要素を含んだ論文は少なくありません。[DGE初学者の困難]
DGEをはじめて学ぶ人たちが大変な理由はとても簡単で「勉強すべき内容が多すぎる」からです。つまり、「定型化された事実」を考え、Dynamic Programmingなどの現代制御理論を学び、係数を特定化する計量分析を学び、(基本的には)プログラムも自分で作らねばなりません。要はDGEを使いこなせるまでに学ぶべきことが多すぎることが困難の原因のひとつだと言えるでしょう。さらに問題として「日本語で書かれ、上記の四要素をすべて含んだ初学者向け教科書がない」点が挙げられます*1。[本書の特徴 (1)]
さて、本書の特徴ですが、第一に上記の四要素をほぼ完全に網羅している点にあります。先に述べたように矢野が知る限りでは本書に匹敵するような初学者に親切な教科書は邦文、英文を問わずあまりありません。たとえば、邦文で言えば齊藤誠「新しいマクロ経済学―クラシカルとケインジアンの邂逅」はDGEをはじめとしたミクロ的基礎付マクロ経済学の入門書として広く読まれている「基本書」のひとつですが、上記4.のシミュレーションの部分がまったく欠けています(齊藤先生の場合、確信犯でそうしておられるようです[「まえがき」にそう書いてある]。これはひとつの見識だと思います)。英文で言えば、Ljungqvist and Sargent, "Recursive Macroeconomic Theory"は包括的な教科書ですが、なぜかBlanchard and Kahn (1980)に代表されるようなLinear Rational Expectations Modelsの解説が抜けている・・・などといった具合で、本書のように上記の四要素をすべて含んだ(初学者に親切な)教科書はめずらしいと思います。[本書の特徴 (2)]
さらに、特筆すべき点は「New Keynesianモデル=New IS-LM」に焦点が当てられている点です。このNew IS-LMモデル(さらにその発展形としてのHybrid New IS-LM)は金融政策を論じるうえの"general framework" (Mccallum (2001))になっています。しかし、この分野の標準的な教科書であるWoodford (2003)もWalsh (2003)も非常に長い(というか重い?)ので、それを読みこなして「金融政策を論じる」までに到達するのは初学者にはとても難しいことです(さらに付言すればWalsh (2001)にはNew IS-LMの記述はあってもHybrid New IS-LMの記述はほとんどありません)。[本書の特徴 (3)]
さらに第7章では多くの初学者にとって難しい動学的最適化問題(制御理論)への入門とプログラム作成について著者は丁寧な解説を行っています。この第7章は「あまり動学的最適化問題に詳しくない」読者にも分かるようにかかれており、著者が周到に本書を準備したことが分かります。あまりこの分野に詳しくない読者は、第1章の前に第7章を読んでみると良いかもしれません。[加藤さんへ] 本書のpp. 210にある「われわれはいまだにインフレ率のバックーワード・ルッキングな部分がどのような経済主体の行動から生じているかを知らない」という部分ですが、この問題は今後も研究する必要はあるものの、どうしても必須なものだとは思いません。なぜならばNew IS-LM/Hybrid IS-LMにおける経済の変化の源泉はすべて期待項から生じており、「バックーワード・ルッキングな部分」はその足かせにすぎないからです(期待項からの効果を減じているのは事実ですが、それで本質的な議論が変わるとは思えません)。他に「日本経済へのインプリケーション」に関しても異論があるので、お会いする機会があれば議論しましょう。[結論]
矢野と加藤さんの意見は(もしかしたら)異なるのかもしれませんが、そのような「小さな」違いを超えて、本書を推薦します。本書から「世界標準のマクロ経済学=Dynamic General Equilibrium」を学び、そして、大いに議論しましょう。つーかお前ら、読みもしないLjungqvist and Sargent, Woodford, Walshとか買うくらいだったらこの本を買え![個人的な補足]
矢野は2002年6月からDGEを独学で学び始めました。加藤さんの「現代マクロ経済学講義」の草稿を2006年1月に読ませていただいて、その時に「新しい知識は(あまり)ない」と感じられたのが少しうれしかったです。草稿を読みながら、「ああ、(僕の)DGE入門は終わったんだな」と思いました。おかげで2006年はDGEのことを忘れて、ずっと非線形・非ガウス状態空間モデルの研究に集中することができました。