ケインズ『貨幣論』『貨幣改革論』『確率論』:メモ
(経済学、リンク::::::::::)
ケインズ『貨幣論』1929,『貨幣改革論』1923,『確率論』1921:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/1979-john-maynard-keynes-treatise-money.html(本頁)
ケインジアンの交差図
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_12.html
ラムゼイ「貯蓄の数学的理論」1928年、F.R.Ramsey,”A Mathematical Theory of Saving”
http://nam-students.blogspot.jp/2016/03/1928frramseya-mathematical-theory-of.html
千葉大中村確率論論考
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180523211315.pdf?id=ART0010350014
《ポスト・ケインジアンは、マネタリストとは著しく対照的に、貨幣ストックを本質的に内生的なものであり、貨幣賃金水準の変化に反応し、かつ順応するものとみなす。ケインズは『貨幣論』(1930年)で貨幣が「負債とともに現れる」と主張した。換言すれば、貨幣の供給は生産契約、そしてそれが必要とする任意の負債に結びつけられている。貨幣はマナのように天から、あるいは、フリードマンのヘリコプターによって空から体系に入るのではない。あるいは、貨幣は中央銀行諸政策の単なる創造物でもない。》
バジル・J.ムーア「貨幣的要因」
アイクナー編『ポスト・ケインズ派経済学入門』1980所収131~2頁
ケインズ3部作=『一般理論』1936,『貨幣論』1930(1929),『貨幣改革論』1923
『一般理論』以前の二冊は古典派経済学者ケインズとしての書。さらにそれ以前の『確率論』は哲学者としての書。
ジョン・メイナード・ケインズ 貨幣論|Ⅰ・Ⅱ ケインズ全集第5巻・第6巻 東洋経済新報社 1979
John Maynard Keynes A Treatise Money 1929・1965
[訳]小泉明・長澤惟恭★
4
A TREATISE ON MONEY
BK. I
of-account is the description or title and the money is
the thing which answers to the description. Now if
the same thing always answered to the same descrip-
tion, the distinction would have no practical interest.
But if the thing can change, whilst the description
remains the same, then the distinction can be highly
significant. The difference is like that between the
King of England (whoever he may be) and King
George. A contract to pay ten years hence a weight
of gold equal to the weight of the King of England
is not the same thing as a contract to pay a weight
of gold equal to the weight of the individual who is
now King George. It is for the State to declare,
when the time comes, who the King of England is.
Now by the mention of contracts and offers, we
have introduced Law or Custom, by which they are
enforceable; that is to say, we have introduced the
State or the Community. Furthermore it is a peculiar
characteristic of money contracts that it is the State
or Community not only which enforces delivery, but
also which decides what it is that must be delivered
as a lawful or customary discharge of a contract
which has been concluded in terms of the money-of-
account. The State, therefore, comes in first of all as the authority of law which enforces the payment of the thing which corresponds to the name or description in the contract. But it comes in doubly when, in addition, it claims the right to determine and declare what thing corresponds to the name, and to vary its declaration from time to time-when, that is to say, it claims the right to re-edit the dictionary.
This right is claimed by all modern States and has been so claimed for some four thousand years at least.
It is when this stage in the evolution of Money has been reached that Knapp's Chartalism-the doctrine that money is peculiarly a creation of the State-is fully realised.
Thus the Age of Money had succeeded to the Age
The State, therefore, comes in first of all as the authority of law which enforces the payment of the thing which corresponds to the name or description in the contracts. But it comes in doubly when, in addition, it claims the right to determine and declare what thing corresponds to the name, and to vary its declaration from time to time – when, that is to say, it claims the right to re-edit the dictionary. This right is claimed by all modern states and has been so claimed for some four thousand years at least. (Keynes 1930, p. 4, emphasis added).
ケインズ『貨幣論』
《 …国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威とし
て現われる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を
時どき変更する権利を要求するとき──すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき──国家は二役を演ずること
になる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四〇〇〇年の間そのように要求し続けてきた。
クナップ(Knapp)の表券主義(chartalism) ──貨幣はとくに国家の創造物であるという学説──が完全に実現される
のは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのである。
》原著1929邦訳ケインズ全集#5:4~5頁
レイMMT入門6.3
《 ここでは、貨幣の歴史に関する従来の物語の誤りを証明するために、詳細な歴史を説明する余裕はない。そこで、
その代わりとなるものを概観しよう。 まずは、計算貨幣は何千年も前から──少なくとも4000年、おそらくはもっとずっ
と前から──存在することに注目しなければならない(「現代貨幣理論」の「現代」は、「貨幣とは、少なくとも過去4000
年間は国家貨幣であった」というケインズの主張から来ている)。
我々がこれを知っているのは、例えば貨幣的な価値を記録するメソポタミアの粘土板や、その計算貨幣を使った価格表
のおかげである。》原著2015改訂版
https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2013/pdf/no06_03.pdf
次頁のツリー上の系統図部分は,1930年にケインズが,『貨幣論 I 貨幣の純粋理論』第1編「貨幣の性質」第1章「貨幣の分類」の「四 貨幣の形態」と「五 流通貨幣」とで提示した分類を,一つにまとめてみたものである。見られるように,そこには,「本源的概念」とされる計算貨幣から「本来の貨幣」と「債務の承認」が分岐し,それぞれに「国家貨幣」と「銀行貨幣」とが対応する。
https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.45480/page/n32/mode/2up
ケインズ『貨幣論』の貨幣分類(『貨幣論』9頁参照)
債務の承認→銀行貨幣 → 銀行貨幣
/ \ /法定不換貨幣
計算貨幣 代表貨幣
\ / \
本来の貨幣→国家貨幣 管理貨幣
\ /
商品貨幣
\商品貨幣
土器に印をつける方が金属鋳造より楽なのは理解出来る
(ケインズが調べた時の)インドで起きたことをみれば
あるいはアメリカの事例からみれば(金を流失させないための兌換停止だから)
商品としての金は無くなるわけではない
あくまで貨幣とは何かという話だ
金を持っていた方が国力は高いが
MMTで供給能力を高めたほうが簡単に国力は上がる
ケインズ全集5巻 貨幣論1 貨幣の純粋理論 | 東洋経済
http://store.toyokeizai.net/books/9784492811450/
ケインズ,J.M.著/小泉 明訳/長澤 惟恭訳 418頁 発行日:1979年08月01日
目次
第一編 貨幣の性質
第一章 貨幣の分類
第二章 銀行貨幣
第三章 銀行貨幣の分析
第二編 貨幣の価値
第四章 貨幣の購買力
第五章 第二次的物価水準の複数性
第六章 通貨標準
第七章 価格水準の拡散
第八章 購買力比較の理論
第三編 基本方程式
第九章 幾つかの定義
第一〇章 貨幣の価値に関する基本方程式
第一一章 均衡の諸条件
第一二章 貯蓄と投資の区別に関する詳解
第一三章 銀行利率の「作用様式」
第一四章 種々の形式の基本方程式
第四編 物価水準の動態
第一五章 産業的流通と金融的流通
第一六章 購買力の不均衡の原因の分類
第一七章 貨幣的要因に基づく変化
第一八章 投資要因に基づく変化
第一九章 信用循環の幾つかの特殊相
第二〇章 信用循環の純粋理論に関する演習
第二一章 使用されている単位の定義
http://store.toyokeizai.net/books/9784492811467/
ケインズ全集6巻 貨幣論2 貨幣の応用理論 東洋経済 ケインズ,J.M.著/長澤 惟恭訳
第五編 貨幣的要因とその変動
第二二章 貨幣の応用理論
第二三章 貯蓄預金の現金預金に対する比率
第二四章 流通速度
第二五章 銀行貨幣の準備貨幣に対する比率
第二六章 産業の活動状況
第六編 投資率とその変動 1 固定資本
第二七章 投資の変動 1 固定資本
第二八章 投資の変動 2 経営資本
第二九章 投資の変動 3 流動資本
第三〇章 歴史的例証 ☆
第七編 貨幣の管理
第三一章 貨幣の管理の問題
第三二章 国民的管理の方法 1 加盟銀行の規制
第三三章 国民的管理の方法 2 中央準備の規定
第三四章 国際的管理の諸問題 1 中央銀行相互間の関係
第三五章 国際的管理の諸問題 2 金本位
第三六章 国際的管理の諸問題 3 国家的自主性の問題
第三七章 国民的管理の方法 3 投資率の調整
第三八章 超国家的管理の問題
貨幣論
全集6
163~4ページ
#30:1
第6編 投資率とその変動
《…新しい財宝によって影響されることの最も少なかった国々の商人たちは、その影響をいっそう
強く受けていた諸国に対して、大きな利益をえて販売することができたし、そして、その中でもとくに [地中海およ
びエーゲ海東岸の]レヴァント地方およびアジアとの貿易関係を確立していた諸国は、このようにして受け取った
財宝を、次には、非常に莫大な利潤の得られる条件で、輪出する こと ができた。一七世紀を通じて、自国の富に莫
大な増加をつけ加えつつあったのは、イギリスとフランスの資本家であって、スペインの資本家ではなかったのである。
実際、ドレークがゴールデン・ハインド号で持ち帰った掠奪品こそは、まさにイギリスの海外投資の源泉であり、
起源であったと考えて差し支えない。 エリザベス[一世〕は、その収入の中から自分の対外債務の全部を支払い、ま
たその残額の一部(約四万二〇〇〇ポンド)をレヴァント会社に投資したし、また主としてレヴァント会社の利潤か
ら東インド会社が設立され、そして一七世紀と一八世紀とを通じて、その利潤はイギリスの対外的事業関係の主要な
基礎をなすものであった、等々。これらのことを考えれば、以下の計算は、好奇心に富む人びとの興味を引くかもし
れない。》
図解雑学ケインズ経済学より
『貨幣論』の貨幣保有動機:
http://1000ya.isis.ne.jp/1372.html
以下の貨幣改革論は、貨幣論とは別。
http://genpaku.org/keynes/monetaryreform/monetaryreformj.pdf
貨幣改革論
第一章「お金の価値変動が社会に与える影響」
第二章「公共財政とお金の価値変化」
第三章「お金の理論と為替レートの理論」
第四章「通貨政策の別の狙い」
第五章「将来的なお金の管理についての建設的提言」
第一章「お金の価値変動が社会に与える影響」
第一章は、当時のケインズの問題意識をもとに、きわめて簡単なことを言っている。お金の価値変動というのはつまり、インフレ(お金の価値が下がる場合)かデフレ(お金の価値が上がる場合)だ。この影響は、社会の万人にとって同じというわけではない。お金の価値が上がれば嬉しい(つまりデフレを望む)のは、もちろんお金を持って、その収益で暮らす人(つまり金利生活者)だ。逆にインフレで、お金ではなくモノの価値が上がると嬉しいのはモノを持っていたり作ったりする人々(つまり実業者)だ。そして世の中には、お金もモノもそんなにない雇われ人がいるけれど、その人々はモノを作ったりする人に雇われていることが多い。つまりインフレもデフレも、人々に不均等に作用する。そしてそれは、その人々が実体経済で行う活動に影響するのだ。インフレは生産活動を促進するし、デフレはそれを止めてしまう。社会としてどちらかといえば、実際に生産する実業者が元気なほうがいいので、どっちかといえばデフレよりはインフレのほうがいい。でもなるべくそうした変動なしに、お金の価値――ひいてはその裏返しとしての物価――が安定したほうがいい。
第二章「公共財政とお金の価値変化」
続く章では、政府が大量にお金を刷ることで財政の帳尻をあわせるという現象を採りあげる。これは一見すると、お金を刷るだけだから誰も損をしないように思える。でも実際には、それはお金の価値低下によりいまお金を持っている人たちにとっての損失を招く。その後、資本課税の議論もあるが、これはケインズもあまり現実的に可能とは思っていないようなので割愛する。
5.5.1
第三章「お金の理論と為替レートの理論」
この章では、まずこれまでの章でも暗黙のうちに想定されていた、貨幣数量説を説明する。お金を刷れば、それに比例して名目の物価は上がる、というのが貨幣数量説だ。ケインズは、これを基本的に正しいとしつつも、それが機械的にあてはまるものではないことを指摘する。途中でやたらにたんす預金が増えたり、取引での支払い方式が変わったりすれば、増えたお金がすぐ物価高につながらないこともある。だからこれは常時厳密に当てはまるものではない。さらに、二つのお金同士の相対的な値段である為替レートは、購買力平価で理論的には決まる。この理論もまた単純明快。同じものは、世界どこでも同じ価値を持つはずだ。だから同じものの値段を各国同士で比べると、為替レートが出るはずだ。これはたとえば、英『エコノミスト』誌の半分冗談企画である「ビッグマック指数」の考え方だ。もちろん、これも厳密ではない。貿易されないものもあるからだ。こちらもやはり、原則的には正しいけれど杓子定規にあてはめてはいけない。そしてさらに季節変動への対応と、為替の先物取引が扱われる。為替レートはどうしても季節に応じて変動する。その好例が、実体経済の季節変動からくるお金の需要変化で生じる為替レートの上下動だ。これは銀行が手数料を取ってヘッジしてもいいが、インフレなどで為替レートが変動すると、リスクがあまりに大きくなる。また先物取引でそうした変動をヘッジできるが、これも過度に期待してはいけない。
5.5.2
第四章「通貨政策の別の狙い」
ここからは提言編となる。以上の議論を踏まえて各国が通貨政策として持っている選択肢を比較している。まとめると以下の通り:•インフレで下がったお金の今の価値を認めて、お金の価値を切り下げる(平価切り下げ)か、それを潔しとせず、以前の水準にまでお金の価値を引きあげ、デフレを引き起こすか? ケインズの答は当然、平価切り下げだ。デフレの害はきわめて深刻で経済全体が停滞する。それを無理に引き起こしても喜ぶのは金持ち階級だけだ。•他国との為替レート(たとえば対ドルレート)を安定させるべきだという考え方がある。これは購買力平価から考えて、自国と他国の購買力の関係を一定に保てということになるので、相手の国次第では自国の物価水準が不安定になる。一方で、為替レートなんか無視して自国国内での物価安定を図るべき、という考え方もある。世界的に物価が安定していれば、これは両立する。でも当時は一部の国がすさまじいインフレに曝されていたので、為替レート安定を求めるのは、自国でも大インフレを引き起こす、という変な政策になりかねない。だから基本は自国の物価水準安定を目指すべきでは?•金本位制への復帰は……論外。金本位制の下で物価が安定していたように見えるのはまったくの歴史的偶然。黄金には何ら本質的な価値などないので、それを盲信するのはやめるべき。
第五章「将来的なお金の管理についての建設的提言」
最後の章では、イギリスとアメリカの二カ国に対して通貨政策の提言をしている。基本はどちらに対しても、物価安定を図るためにお金の発行量は銀行の信用創造にあわせて決…
http://store.toyokeizai.net/books/9784492811481/
ケインズ全集8巻 確率論 (A Treatise on Probability) 1921
発行日:2010年05月28日
若きケインズがムーア、ラッセルの影響のもとに書いた哲学の書。「確率の論理説」の立場にたって、確率概念の定義とその形式的体系化を試み、それを応用した帰納的推論の分析を行う。
第I部 基礎的諸概念
第1章 確率の意味
第2章 確率に関する認識論
第3章 確率の測定
第4章 無差別原理
第5章 確率を決定するその他の方法
第6章 推論の重み
第7章 歴史的回顧
第8章 確率の頻度論
第9章 第I部の建設的理論の要約
第II部 基本定理
第10章 序説
第11章 とくに論理的整合性、推理、および論理的先在性に関する群論
第12章 推理および確率の諸定義と諸公理
第13章 必然的推理の基本定理
第14章 蓋然的推理の基本定理
第15章 確率の数値の測定と近似
第16章 第14章の諸定理に関する覚書、ならびにそれらの諸展開および証言への適用
第17章 逆確率ならびに平均に関する若干の問題
第III部 帰納と類比
第18章 序説 ☆
第19章 類比による推論の本姓
第20章 事例の増量の価値、すなわち純粋帰納
第21章 続・帰納的推論の本性
第22章 帰納の歴史に関する若干の覚書 ☆☆
第IV部 確率の若干の哲学的適用
第24章 客観的偶然すなわち偶然性の意味
第25章 偶然に関する検討から生じる若干の問題
第26章 確率の行為への適用
第V部 統計的推理の基礎
第27章 統計的推理の本性
第28章 大数の法則
第29章 統計的頻度を予測するための事前確率の利用
:ベルヌイ、ポアソンおよびチェビシェフの諸定理
第30章 事後確率を算定するための統計的頻度の数学的利用:ラプラスの方法
第31章 ベルヌイの定理の逆定理
第32章 事後確率を算定するための統計的頻度の帰納的利用
第33章 建設的理論の概略
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51467631.html

本書が出版されたのは1921年。これはフランク・ナイトの"Risk, Uncertainty and Profit"と同じ年で、両方とも似たテーマを扱っている。それは社会における不確実性の扱いである。それまでの確率論は、統計力学などの物理現象を扱うもので、サイコロの目の出る確率は1/6というように客観的に決まっていた。しかし社会現象にはそういう物理的な規則性があるとは限らないので、これをどう扱うかがむずかしい問題だった。
ナイトは不確実性を客観的なリスクと区別されるものと考えたが、ケインズは両者を総合した「論理的確率」を考えた。これはラムゼーに批判され、彼の公理論的確率論がのちのベイズ理論の元祖になった。ケインズの確率論は、その「前史」として忘れられたが、いま読むとそこには別の現代的意義もある。
従来の自然科学的な確率論が演繹的な論理だけを扱っているのに対して、ケインズは不確実な現実に対処するために経験から学ぶ帰納の論理を樹立しようとした。これは哲学史上の難問であるヒュームの問題を解決しようという試みだった。
ケインズは、ヒュームのいうように帰納が論理的に成立しないことを認めつつ、蓋然的な推理の論理として確率を考えた。きょうまで太陽が昇ったことは、あす も昇ることを論理的には保証しないが、その確率が1に近いことは推論できる。確率とは、不確実な現実の中から経験にもとづいて行動するための指針なのであ る。これはケインズの信念であり、『一般理論』でも不確実性の問題を中心にすえている。
ナイトが不確実性に対処するシステムとして企業の経営者を考えたのに対して、ケインズは、将来が不確実なときは今までどおり行動し、投資収益が不確実なときはリスクのない貨幣をもつ流動性選好を考えた。このような金利生活者の現状維持的な行動が投資を抑制し、不況を長期化するというのが『一般理論』のコアである。
これは1930年代の大恐慌の説明としては間違っていたが、むしろ現代の日本の長期停滞に当てはまるかもしれない。個人金融資産の半分以上が預貯金で、銀行が融資しないで国債を買う現状は、日本人が不確実性に対処する方法を知らないことを示している。
それらのすべてに同一の味や風味を期待するものは誰もいない。われわれが
個別的な出来事に関して確固たる信頼と安心とを得るのは、いかなる種類で
あれ、ただ斉一的な経験の長い過程を経た後のことである。一体、一つ事例
から、それと少しも変わらぬ100個の事例から推理した結論とは大いに異な
る結論を引き出すような推論の方法が、どこに存在するであろうか。私はこ
の質問を、異議を述べる意図からと同時に、参考のために提起するのである.
私はこのような推論を、見いだすことも、想像することもできない。しかし何
入かが私にそれを与えて下さるというのであれば、私は何時らその教えにた
いして心を開いておくであろう。 ヒューム ∗
出版者 法政大学出版局 出版年 2004.5 285,7p 付・人間本性論摘要
目次:
観念の起源について
観念の連合について
知性の作用に関する懐疑的疑念 ☆
これらの疑念の懐疑論的解決
蓋然性について
必然的結合の観念について
自由と必然性について
動物の理性について
奇蹟について
特 殊的摂理と未来(来世)の状態について
アカデミー的あるいは懐疑的哲学について)
付・人間本性論摘要
https://en.wikiquote.org/wiki/An_Enquiry_Concerning_Human_Understanding
Contents
I: Of the Different Species of Philosophy
II: Of the Origin of Ideas
III: Of the Association of Ideas
IV: Skeptical Doubts Concerning the Operations of the Understanding Part I Part II ☆
V: Skeptical Solution of these Doubts Part I Part II
VI: Of Probability
VII: The Idea of Necessary Connexion Part I Part II
VIII: Of Liberty and Necessity Part I Part II
IX: Of the Reason of Animals
X: Of Miracles Part I Part II
XI: Of a Particular Providence and of a Future State
XII: Of the Academical or Sceptical Philosophy Part I Part II Part III
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
NAMs出版プロジェクト: ヒューム再考*
http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_23.html
http://nam-students.blogspot.
ライプニッツ(1646~1716)
ヒューム(1711~ 1776)
ベンサム(1748~1832年)
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年)
ダーウィン(1809 ~1882)
スペンサー(1820~1903)
(注)
哲 学 | 自然科学 | 確率論・数学 |
1620ベーコン「ノブム・オルガヌム」 1637デカルト「方法序説」 1690ロック「人間悟性論」 1703 ライプニッツ「人間知性新論」 1739ヒューム「人間本性論」 1781カント「純粋理性批判」 1789 ベンサム「道徳および立法の諸原理序説」 1795 コンドルセ「人間精神進歩史」 1807 ヘーゲル「精神現象学」 1841 フォイエルバッハ「キリスト教の本質」 1843 マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」 1843ミル「論理学体系」 1844コント「実証的精神論」 1869 ケトレー「社会物理学」 1874 ジェボンズ「科学の原理」 1886 エンゲルス「自然の弁証法」 1899 リッケルト「文化科学と自然科学」 1903ムーア「倫理学原理」 1903ラッセル「数学の原理」 1907 ベルクソン「創造的進化」 1909 レーニン「唯物論と経験批判論」 1921 ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」 1925 ホワイトヘッド「科学と近代世界」 1927 ハイデッガー「存在と時間」 1929ウィーン学団結成 | 1609ケプラー「新天文学」 1638ガリレオ「新科学対話」 1687 ニュートン「プリンキピア」 1788 ラグランジュ 「解析力学」 1789 ラボアジェ「化学原論」 1794 エコール・ポリテクニック創設 1799 ラプラス「天体力学」 1822 フーリエ「熱の解析的理論」 1859 ダーウィン「種の起源」 1860 マックスウェル 気体分子の速度分布則 1865 クラジウス エントロピー概念 1887 マイケルソン・モーレーの実験 1895 レントゲン X線を発見 1900 ケルヴィン「熱と光の動力学理論をおおう19世紀の暗雲」 1900 メンデルの遺伝法則再発見 1902 ギブス「統計力学の基本原理」 1905 アインシュタイン 特殊相対性理論 1911 ラザフォード 原子模型 1916 アインシュタイン 一般相対性理論 1919 エディントン 重力による光の歪曲の観測 1926 シュレジンガー 波動力学 1927 ハイゼンベルク 不確定性原理 1953 ワトソン&クリック DNA構造解析 | 1654 パスカル&フェルマー 往復書簡 1671 ニュートン 微積分法発見 1713 ベルヌーイ「推測法」 1718 ド・モワブル「偶然の原理」 1763 ベイズの定理 1768 コンドルセ「解析学試論」 1785オイラー「解析小論」 1812 ラプラス「確率の解析理論」 1847ブール「論理の数学的分析」 1884フレーゲ「算術の基礎」 1900 ヒルベルト 「数学の問題」 1910-13 ホワイトヘッド&ラッセル「プリンキピア・マテマティカ」 1914ボレル「偶然論」 1921ケインズ「確率論」 1926 ラムジー「真理と確率」 1928 ミーゼス「確率・統計・真理」 1931ゲーデル 不完全性定理 1931 ジェフリーズ「確率の理論」 1933 コルモゴロフ「確率の基礎概念」 1934 ライヘンバッハ「確率の理論」 1944 フォン・ノイマン&モルゲンシュタイン「ゲーム理論と経済行動」 1950 カルナップ「確率の論理学的基礎」 1954 サヴェジ「統計学の基礎」 1956 ハロッド「帰納論理学の基礎」 |
家計と消費
市場均衡
市場と競争
資源の最適配分
市場の失敗
最適所得分配
マクロ経済学のミクロ的基礎☆☆☆
☆☆☆
貨幣数量説=流体力学
ヘッジファンド=熱力学(非平衡系)
初期経済学=生物学(血液循環)
経済学は生物学に還るべきだろう。エコノミーからエコロジーへ。二つの中心。ゲゼルの思想。
http://agora-web.jp/archives/527741.html
…新古典派の「均衡」概念は間違っています。経済のような開放系では均衡は永遠に成立しないので、古典力学をモデルにするのはナンセンスです。むしろ経済を剰余の蕩尽と考えたバタイユのほうが、自然科学的には正しい。
…
そもそも経済成長を熱的な平衡と考えるのが間違っているからです。むしろ経済学は、本来は非平衡系の熱力学に近いのでしょう。
NAMs出版プロジェクト: マルコフ連鎖:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_54.html(エルゴード性関連)
商品の説明
メディア掲載レビューほか
20世紀を代表する経済学者のケインズ。彼には外交官,芸術活動のパトロン,会社経営者などの顔があった。本書は,その中で哲学者としてのケインズに焦点を当てた。経済学の大家へと変貌する過程には,純然たる「分析哲学」の徒であったケインズの哲学上の問題意識が深く投影されていた。分析哲学の発展に重要な役割を果たした,若き日の著作『確率論』を考察の中心におき,そこから経済大家としての代表作である『一般理論』の意味を考えてみようという野心的な書である。しかし,本書の別の醍醐味は,英国ケンブリッジにおいてウィトゲンシュタイン,ムーア,ラッセルら分析哲学の友人らとの交流を描いた記述である。その相互の触発と葛藤のドラマの中でケインズの哲学的な思考基盤は固まっていく。それゆえにこそ,『確率論』にはムーア,ラッセルという偉大な哲学者たちの思想を総合して,一つの包括的な認識論,科学論を完成しようという意図が込められていた,と著者は描く。ケインズの思想的背景,経済学の大家のバックボーンがどこにあったかを描く異色の書である。 (ブックレビュー社)
(Copyright©2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)
-- ブックレビュー社
内容(「BOOK」データベースより)
________
『確率論』と『一般理論』におけるKeynes流「不確実性 」観の類別 : 部分連続説の立場から: 高籔,学; 新井,一成
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/132470/1/18804322_64_14.pdf
2.「ケインズ問題」と部分連続説
Keynes( 1921) と Keynes( 1936) が連続した発想のもとにあるか,独立した発想のものなのか,見解の一致
に至りにくい大きな要因として,両著の間に,F.P.Ramsey の「真理と確率」(1926)による Keynes「 確率」 へ
の批判が行われたことが挙げられる。この批判は,確率論の学説史の面でも,Keynes への影響の面でも複数
の解釈が成り立つ。
2-1 学説史的側面
確率の分類の議論は,古くは Carnap( 1950) などがあるが,近年の代表的な分類としてD.Gillies( 2000) と
T.L.Fine( 1973) が挙がる。Gillies は現代の学説の潮流を,P.S.Laplace( 1814) の古典確率を基礎として,論理
説・主観説・頻度説・傾向説等に分類した。この分類において,Keynes( 1921) は論理説の代表的著書として,
またRamsey( 1926) は主観説の代表的論文として扱われる。さらに Fine は現代の理論として11の理論を挙げ
ており,以下のとおりである。「公理的比較論( Aximatic comparative)」「Kolmogorov の計算法(Kolmogorov’s
caluculus)」「ふつうの相対頻度説」「Von Mises の相対頻度説」「Reichenbach-Salmonの相対頻度説」
「Solomonoff の複雑基盤説(Solomonoff’s complexity-based theory)」「Laprace の古典理論」「Jaynes の古典理論」
「Koopman の比較論理説」「Carnap の論理説」「De Finetti-Savage の個別的主観説」。このうち Keynes( 1921) は
「Koopman の比較論理説」「Carnap の論理説」へと,Ramsey( 1926) は「De Finetti-Savage の個別的主観説」へ
とそれぞれ発展的に継承された。特に「De Finetti-Savage の個別的主観説」は Bayes 統計学と相性が良く,そ
の文脈で Ramsey( 1926) が取り上げられることが多い。
したがって,研究者が論理説の妥当性を認める立場から検討するか,主観説の妥当性を認める立場から検討
するかによって,Keynes( 1921) と Ramsey( 1926) の評価は大きく変わってくる。Ramsey( 1926) の批判を妥
当なものとして Keynes( 1921) の独自解釈を試みた代表的研究に Kybrug( 1998-2000) が,Ramsey( 1926) の批
判の妥当性を懐疑する形で Keynes( 1921) を検討する研究に Brady( 2004) が,どちらの主張でもそれぞれ捉え
きれない論点があることを示した研究に伊藤邦武(1995)が挙げられる。
...
前提が任意の命題の集合 h からなり,結論が任意の命題の集合 a からなるとする。そのとき,もし h の
「知識」が a に対して度合 α の合理的信念をもつことを正当化するならば, a と h の間に度合 α の確率-関
係があるという。(Keynes( 1921),p. 4 ,邦訳p. 5 )
上記を縮めて a / h = α と表せる。 α を現代的に解釈するならば写像の一種である。
Keynes は確率関係について,『確率論』において唯一図を用いた説明を行っている。
図 1 は『確率論』第 3 章で提示されており,「順序系列およびストランド」と名付けられている 1 。
点 OAI と U ~ Z は確率を表す。確実性 I に近づくほど確率は大きく,不可能性 O に近づくほど確率は小さい
という。O と I の間の数本の線が確率のシリーズであり,同一シリーズにない確率は比較不可能である。数値
表現可能な「確率」はシリーズ OAI 上に位置する 2 。
例を示す。W の確率は Z・V より大きく X・Y より小さいことが上の図から判断できるが,X と Y のどちらが
大きいかは判断できない。またUの確率は他のどの確率とも比較不可能である。ここから,Keynes「確率」の
発想は根本的に,「確率」間の順序に不確実さが内在していると解釈できる。たとえば図における X の確率と
Yの確率の順序は不確実である。より一般化していえば,Keynes「確率」の順序の決め方は,以下の規則に
則っている。
(iv) ABC が順序系列を形成し,B が A と C の間に位置し,ならびに BCD が順序系列を形成し,C が
BD 間に位置するならば,ABCD は順序系列を形成し,B は A と D の間に位置する。
(Keynes( 1921),p.41,邦訳p.44)
一般的に確率の順序はふたつの確率の間で決まるが,Keynes は 3 つの間で決まると主張する 3 。Pattanaik
(2000) は三項間の順序が不確実な場合の意思決定について扱っているが,二項間の順序が不確実な場合と比
べて非常に複雑なモデルとなっているため,3 つの間での順序の定義をもつ Keynes「確率」は,確率関係の定
義において順序「不確実性」をもつ。
3-2 推論「不確実性」
次に Keynes は,推論過程そのものに内在する「不確実性」に触れている。推論は類比によって行われる。
類比は推論者の「知識」によって弱い類比と強い類比に区分され,前提条件や「知識」間の関係により「総肯
定的類比」「帰納的相関」「部分類比」「純粋帰納」等に分類されるが,これら類比のうちもっとも一般的な定
式化は以下のものであろう。
あるいくつかの場合において,Φ と f が真であることが知られた。そこで,Φ のみが観察されているそ
の他の場合において,f も真であると断言したいのである。
(Keynes( 1921),p.249,邦訳p.259)
Keynes はこれら類比に基づく帰納的推論一般をさして「慣行(common practice)」と呼んだ。この「慣行」の
中で最も多く登場する概念に「推論の重み」がある。
第 3 章において論じた意味における推論の確率の大きさは,有利な証拠と称せられるものと不利な証拠
と称せられるものとの間のバランスによって決まる。そのバランスを崩さない新しい証拠は,また推論の
確率も変化させない。しかし,推論の間では,ある種の量的比較が可能であるというもう一つの関係があ
るのではないかと思われる。この比較は,有利な証拠と不利な証拠とのバランスによって決まるのではな
く,それぞれ関連のある知識の絶対・・量と関連のある無知の絶対・・量とのバランスによって決まるのである。
(Keynes( 1921),p.77,邦訳p.82)
Keynes によると「推論の大きさ」は推論の初めに「事前確率」を得て以降,「有利な証拠」と「不利な証拠」
のバランスによって上下するが,「推論の重み」は常に増え続けるという。O’Donnell (1989) では「推論の重
み」のモデルとして図 2 が用いられている。
図 2 で波をうち上下する曲線が「確率」で,単調増加する曲線が「推論の重み」である。「推論の重み」が最
小の状態において,推論者が抱く「確率」と実際の「確率」が異なっているか,どれくらい誤差があるか,い
ずれも全くわからず,不確実である。一方で,考えられる全ての証拠を揃えた場合,「推論の重み」は最大と
なり,このとき推論者の「確率」と実際の「確率」は一致する。図 2 においては最も極端な 2 つの場合が示さ
れている。もし得られた証拠が全て「有利な証拠(*relevant evidence 関連性のある証拠?)」であるなら「確率」は確実性 I に至り,証拠が全て「不利
な証拠」であるなら「確率」は不可能性 O に至る。このことから,「推論の重み」の重さと「不確実性」の間
には密接な関係があり,証拠が全くない状態で「不確実性」は最大で,重みが増すほど「不確実性」は減少す
ると考えられる。
*9
http://plato.stanford.edu/entries/rationality-normative-utility/
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松原 隆一郎; 新書 2011
https://ncu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=847&item_no=1&attribute_id=25&file_no=1ヴィクセルとの比較において,ミュルダールのケインズ(とりわけ『貨幣論』)に対する批判的態度は顕著である.J.M.ケインズの新しくすばらしい,しかし必ずしも明晰とはいえない研究貨幣論には,まったくもってヴィクセルからの影響が行き渡っている.それにもかかわらず,ケインズの研究もまた,魅力的なアングロ・サクソン流の不必要な独創性にいくぶん害されており,それはイギリスの経済学者の大半の側におけるドイツ語圏の知識のある程度体系的な欠落に端を発しているのである(Myrdal 1939, 8-9).また,1970 年代にスタグフレーションという問題に直面して,ミュルダールはこう述べた.次第に経済学として主流になったケインズ的アプローチは,あらゆる経済がデフレーションと失業を特徴とする不況に落ち込む傾向を正常と考える明らかに非常に偏ったものであった.ケインズ自身の理論は,彼の本の表題が意味しているような,一般的なものではけっしてなかった.その点に関しては,ヴィクセルの初期の理論のほうが,理論的にすぐれていた(Myrdal1973,17,訳20).
貨幣論
は慣習を導入している。すなわちわれわれは、国家あるいは社会を導入しているのである。さらに貨幣契約の一つの
特殊の性質は、国家または社会が、単に引渡しを強制するだけでなく、計算貨幣をもって締結されている契約の合法
的あるいは慣習的な履行として引き渡されなければならないものは何かということをも決定する点にある。したがっ
て国家は、まず第一に、契約に含まれている名称もしくは記述に照応する物の支払いを強制する法の権威として現わ
れる。しかし国家が、これに加えていかなる物がその名称に照応するかを定め、これを布告し、そしてその布告を時
どき変更する権利を要求するとき--すなわち辞典を再編修する権利を要求するとき--国家は二役を演ずることに
なる。この権利は、すべて近代国家が要求しており、そして少なくとも約四○○○年の間そのように要求し続けてき
た。クナップ(Knapp)の表券主義 (chartalism)--貨幣はとくに国家の創造物であるという学説--が完全に実
現されるのは、貨幣の発展がこの段階に到達したときである。
したがって、人びとが計算貨幣を採用した瞬間から、貨幣の時代が物々交換の時代の後を引き継ぐに至ったのであ
る。そして表券主義的貨幣すなわち国家貨幣の時代は、国家が、一般に行なわれている計算貨幣に対して、いかなる
ものを貨幣としてこれに照応させるかを布告する権利を要求したときに--国家が辞典の使用を強制するだけでな
く、辞典を作る権利をも要求したときに--達せられた。今日すべての文明社会の貨幣は、議論の余地なく表券主義
的[貨幣〕である。
全集#5:4~5頁