ハイデガー『ツォリコーンゼミナール』より、現存在の図(付:ハイデガーの日本における受容史)
ハイデガー『ツォリコーンゼミナール』より、現存在の図(付:ハイデガーの日本における受容史)
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(ツォリコーンゼミナールより)
上記図(ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物
と思われる図形)のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している
対象ではなく、ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するための
ものでしかない。 (略)現存在として実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られて
いることからもろもろの所与がそれに向かって語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうる
ことによってある領域を開けたままにしておくというのがその意味である。人間の現存在は、
認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対にそれはそもそ
も決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
北川東子『ハイデガー―存在の謎について考える』にもこの図は紹介されている。
複数の人生が考慮されている点が一般的な人生論と違う(ハイデガーはDaseinsを複数形で
書くことが基本となっている。少なくとも目次では複数形がほとんど。本文中では単数形と半々)。
それぞれの円も開いているが、図の右上が開いている所がポイントだ。
凡庸な哲学者なら右上も埋めてしまうだろう。
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
上記は、「ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物と思われる図形」(*)です。
それでも複数のクラインの壷を上から見たのだと解釈すれば整合性があります。また、右上を余白にした所に図を見るものの「脱自」を促す余地があり、ハイデガーはその点さすがだと思われます。クラインの壷だと図を見るものの位置が超越的になってしますので、ハイデガーの意図とズレてしまうでしょうから。
*
上記図のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している対象ではなく、ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するためのものでしかない。 (略)現存在として実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られていることからもろもろの所与がそれに向かって語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうることによってある領域を開けたままにしておくというのがその意味である。人間の現存在は、認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対にそれはそもそも決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
(参考サイト:http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/~maeda-lab/A_maeda/A03_thesises/A03_thesis_room.html
上記サイトはハイデガーの原図を解説しているが、矢印の解釈が少し違う。)
(参考サイト:http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/~maeda-lab/A_maeda/A03_thesises/A03_thesis_room.html
上記サイトはハイデガーの原図を解説しているが、矢印の解釈が少し違う。)
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ハイデガーの思考構造図:まとめ
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
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