日曜日, 10月 11, 2015

ハイデガー『ツォリコーンゼミナール』より、現存在の図(付:ハイデガーの日本における受容史)


ハイデガー『ツォリコーンゼミナール』より、現存在の図(付:ハイデガーの日本における受容史)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_47.html(本頁)


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhKqD5-8UcijBNNbC4QzjFqkHCV9TkMv7hl9qcT037TSCXcQqNVZ8fmgNXt2ZdfLmN1EN2T4ewn5N7JEMFF8MjxljcsKtkEgb3E1Wvbl8Fl9_AkRsTpuihncBGqoiqjBUVGkJOeXg/s640/blogger-image--62028558.jpg
(ツォリコーンゼミナールより)

上記図(ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物
と思われる図形)のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している
対象ではなく、ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するための
ものでしかない。 (略)現存在として実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られて
いることからもろもろの所与がそれに向かって語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうる
ことによってある領域を開けたままにしておくというのがその意味である。人間の現存在は、
認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対にそれはそもそ
も決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より

北川東子『ハイデガー―存在の謎について考える』にもこの図は紹介されている。
複数の人生が考慮されている点が一般的な人生論と違う(ハイデガーはDaseinsを複数形で
書くことが基本となっている。少なくとも目次では複数形がほとんど。本文中では単数形と半々)。
それぞれの円も開いているが、図の右上が開いている所がポイントだ。
凡庸な哲学者なら右上も埋めてしまうだろう。 


http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
上記は、「ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物と思われる図形」(*)です。
それでも複数のクラインの壷を上から見たのだと解釈すれば整合性があります。また、右上を余白にした所に図を見るものの「脱自」を促す余地があり、ハイデガーはその点さすがだと思われます。クラインの壷だと図を見るものの位置が超越的になってしますので、ハイデガーの意図とズレてしまうでしょうから。


上記図のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している
対象ではなく、ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するためのものでしかない。 (略)現存在として実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られていることからもろもろの所与がそれに向かって語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうることによってある領域を開けたままにしておくというのがその意味である。人間の現存在は、認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対にそれはそもそも決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
(参考サイト:http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/~maeda-lab/A_maeda/A03_thesises/A03_thesis_room.html
上記サイトはハイデガーの原図を解説しているが、矢印の解釈が少し違う。)

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ハイデガーの思考構造図:まとめ
http://yojiseki.exblog.jp/7748670/
以下、ハイデガーの思考構造図に関して、過去のブログ記事をまとめてみました。

参照:
http://yojiseki.exblog.jp/6344224/ 
http://yojiseki.exblog.jp/6306542/
http://yojiseki.exblog.jp/7589414/

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柄谷行人はハイデガーの存在論を「ハイデガーが究極的に見出すのは、自己言及的な形式体系、あるいは自己差異的な差異体系である」としてある程度評価しています(定本第2集p.133)。
ちなみに、存在=メタレベル、存在者=オブジェクトレベルという柄谷の解釈を東浩紀は受け継いで図解↓しています。



http://pds.exblog.jp/pds/1/200804/28/41/a0024841_4162993.jpg

ただし、実際にハイデガー自身が書いた図はそれとは違っています。



http:// pds.exblog.jp/pds/1/200710/14/41/a0024841_15442757.jpg

上記は、「ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物と思われる図形」(*)です。
それでも複数のクラインの壷を上から見たのだと解釈すれば整合性があります。また、右上を余白にした所に図を見るものの「脱自」を促す余地があり、ハイデガーはその点さすがだと思われます。クラインの壷だと図を見るものの位置が超越的になってしますので、ハイデガーの意図とズレてしまうでしょうから。


上記図のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している対象ではなく、ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するためのものでしかない。 (略)現存在として実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られていることからもろもろの所与がそれに向かって語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうることによってある領域を開けたままにしておくというのがその意味である。人間の現存在は、認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対にそれはそもそも決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
(参考サイト:http://www.archi.kyoto-u.ac.jp/~maeda-lab/A_maeda/A03_thesises/A03_thesis_room.html
上記サイトはハイデガーの原図を解説しているが、矢印の解釈が少し違う。)

その後、困ったことにハイデガー自身の別の時間図が見つかりました。



http://pds.exblog.jp/pds/1/200810/20/41/a0024841_21385795.jpg

上図は『ハイデガー=存在神秘の哲学 』(講談社現代新書 古東 哲明 p174,175より孫引き。本来の出典は、右は邦訳全集26巻-1928年の講義録-p282、左は42巻にあたる邦訳『シェリング講義』-1936の講義録-p307より)
左図は右図の応用ですが、シェリングの生命観を示していて、右下図は存在が過去と未来の間に挟まれている事を示す。ベルグソンを意識的に乗り越えようとしたものです。
右上図は存在が先端(Spitze)にある事を示す右下図の前段階の図。精神の位置に存在を置いただけです。ちなみに右端の小さな記号はクエスチョンマークで(開けは放たれた地平を意味している)ベルグソン流の時間論の限界を体現します。

この図はベルグソンとシェリングの解説であって、ハイデガー自身の時間図とは言えないかも知れませんが、貴重な図であり,ハイデガー自身の解釈が入っていることは間違いありません。
それでも、ベルグソン自身の有名な『物質と記憶』における円錐形の図↓の側面をスパイラル上に動いていると捉えれば、ベルグソンの図とハイデガーの図に矛盾はなく、東浩紀のクラインの壷の図とも整合性がとれます。



http://pds.exblog.jp/pds/1/200812/19/41/a0024841_1448329.gif
http://noos.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2008/07/29/bergsn.gif
http://noos.cocolog-nifty.com/cavesyndrome/2008/07/5023_f540.htmlより。このサイトではミンコフスキーの光円錐との比較、照合がなされている。)

ハイデガーの場合は未来から過去からも線が延びており、これは二種類のクラインの壷を考えるか(上記サイトでは主観と客観と二つの円錐をつなげている)、矢印(ニーチェの言う「力」)自体が逆流することもあると考えればいいでしょう( ただし、この際ハイデガー自身がツォリコーンゼミナールで書いた矢印とは方向性がズレてしまい、この点は考え直さなくてはなりません。ハイデガーはDNAのようなものを考えていたのかも知れませんし、現存在を知覚の一点、つまり円錐の頂点に集約するのではなく、解釈学の素材=テクスト?として円錐の底辺として捉えていたのかも知れません)。

付録:
ハイデガーの時間概念は、以下のようにいくつものレイヤーで成り立っている。#-は『存在と時間』節番号。

通俗的時間概念#81-------未来-----------現在---------------過去 /既在
実存論的時間概念#70----到来-----------現在(現成化)-------/既在
非本来的時間性#68-------予期-----------現成化------------忘却性
----------------------------------------空談#35/沈黙#34,語り#34,36----------------
-------------------------------------好奇心#36/視#36--------------------
-------------------------------------曖昧性#37,38/決意性#62

(参考: 村田久行『ケアの思想と対人援助』 。以下は同p65より、キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』におけるチャートとの比較。死の先駆に関しては『存在と時間』#49-53に詳しい。)


同じ月( 2008-12 )の記事
■ 11月27日@早稲田講演 ( 2008-12-27 13:13:00 )


ハイデガーの受容史では田辺元、三木清、和辻哲郎、九鬼周造の名前が重要だ。

存在を有と訳したのは和辻哲郎が最初。正確には存在と有を使い分けている。
《…然しあくまでも有の理解を介してのみ他人が出て来ると考へたところに、現有の存在構造の分析の著しい限界がある。それは理解の根柢に存する間柄にまで遡ることを許さない。存在構造の究極の問題は我のみの存在に於て取扱はれ得る時間性の問題に限局せられ、人と人との間を構成する肉体性は無視せられて了ふ。人間の存在は死すべき我の存在であつて、生命を生産する間柄としての存在でなく、またその存在の特徴は単に有論的たることにあつて、実践的・行為的・創造的・生産的たることには認められない。》(和辻哲郎「倫理学」、『岩波講座哲学』第2回所収、1931年、103~104頁) 
「間柄」とその波紋――和辻哲郎・九鬼周造・中井正一 :苅部直
http://heideggerforum.main.jp/data08/karube_m.pdf




 論集『言葉への途中』(1958)に収められている「言葉についての対話」の文頭でハイデガーは九鬼周造の名前をあげ、この早逝した「日本人の哲学者」に高い評価を示している 。まさに、九鬼は1921年から1929年までヨーロッパへ留学し、リッカート・フッサール・ハイデガーのもとで哲学を学んだ。同時代のドイツの哲学を積極的に日本に紹介した彼は、実はフランス哲学、とりわけベルグソンの哲学にも深い関心を示している。さらに、彼はサルトルにハイデガーのことを紹介したようである。このことによって、九鬼は「日本的な」哲学者ではなく、国境を越える哲学者であることは過言ではないだろう。
 異邦に滞在した九鬼は多くの哲学者と出会い、ヨーロッパ哲学の最先端に立っていた。彼は西洋哲学に関して多くの洞察に満ちた解釈を提出している。注目すべき例の一つは、tranzendentaleを「超越論的」と翻訳したことである 。一方では、彼の哲学的な才能は彼の著作の中にも見出すことができる。主著である『「いき」の構造』(1930)は、彼が帰国後に刊行されるが、それは留学中に書いた「「いき」の本質」(1926)に遡られる。もう一つの主著である『偶然性の問題』(1935)は、京都大学に提出した博士論文「偶然性の問題」 (1932)に基づいて刊行されたものである。偶然性とは論理的に言うと、必然性の反対概念であり、それと「無」と密接に関係していると九鬼は強調し、「定言的偶然」、「仮説的偶然」および「離説的偶然」と呼ぶ「偶然の三つの様態」を論じている。形而上学とは九鬼哲学にあっては、必然性の問題ではなく、偶然性に関する問題として理解されなければならない 。




1953/4年の著作『言葉についての対話篇』でハイデガーは、この「日本語哲学者」九鬼周造の破産を自ら確認し、そのうえに立ってこの問題をドイツ語・日本語の枠を越えて考えようとした。しかし日本国の哲学者たちはそのように問題をとらえることができていない。
九鬼周造の『いきの構造』は、西洋哲学の翻訳によっては、日本固有の美すら言葉にすることはできないことを示した。九鬼は結局は、西洋が民族学としてアジアやアフリカを見るように、一旦は西洋の立場に身をおいて日本の「いき」の構造を叙述した。しかし、一方での彼の日本人としての感性は、そのように外から見たのでは捉らえきれないことがあることを認識していた。最後は西洋からの翻訳の言葉では到達しきれないことを悟り感性の中に戻った。
失われつつある「いき」を哀惜するものが、日本語のなかから展開した方法で「いき」を言挙げしたならば、まったく違ったことが行われたであろう。しかし、まだ日本語はそれに耐え得ない。われわれは歴史過程を観念で越えることはできない。日本語を耕し、日本語の中から「いき」をとらえうるところまで進まなければならない。今は「ことわりの学・理学」で着手されたばかりであり、まだまったく開かれたままの問題である。 

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田辺が初めてハイデガーに言及したのは、帰朝直後に発表された「現象学に於ける新しき転向──ハイデッガーの生の現象学」(一九二四年)においてである。…
以下は1959年執筆(「生の存在学か死の弁証法か」(一九六二年)の一部を Todesdialektik〔死の弁証法〕の題で寄稿)。
《教授の哲学に於て死の自覚がその中心的根本支柱となつて居ることに心を打たれ、ここにこそ私の求める哲学の道があると思わないわけにはゆかなかった。》



三木清 消息一通 一九二四年一月一日 マールブルク
http://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/1915_22596.html
《 ハルトマンのことを書いて思はず長くなつた私は、ハイデッゲルに就いては簡単な報告だけにとどめておかねばなりません。彼は最初リッケルトの弟子であり、後にはリッケルトを離れてフッサールに就き、今はまたフッサールに対しても批評的となつて、むしろディルタイなどの考へを進めてゆかうとしてをるやうに見えます。或る日私がリッケルトと話しましたとき、リッケルトが「ハイデッゲルは非常に天分の豊かな男であるから、彼の思想はこれから後もまだまだワルデルンするでせう」と云つたのを覚えてゐます。今の独逸に於ける唯ひとりのアリストテレス学者として、中世哲学に深い理解のある人として、ハイデッゲルを推す人はかなり多いやうです。それは例へばギリシア哲学史家のホフマンからも、言語学者フリードレンデルからも私が直接に聞いたことです。ハイデッゲルは殆どあらゆる点でハルトマンの反対をなしてゐます。貴公子然たるハルトマンに対してハイデッゲルは全くの田舎者です。無骨で、ぶつきらぼうで、しかもねばり強いことは、講義にも演習にも現はれてゐます。しかしそれと共になかなか利口で、気の利いたところのあるのは面白いことです。ハイデッゲルがフッサールのフェノメノロギーから新しく踏み出さうとする出発点、この努力の目差してゐる方向を辿つてみることは私には非常に興味のある仕事でありますが、他の機会を待つことにいたしませう。》

三木清 ハイデッゲル教授の想い出 (1939)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/50539_37482.html
 《マールブルクのハイデッゲル教授の書斎で私の目に留ったのはもう一つ、室の中央にあった教会の説教机に似て立ちながら本を読んだりものを書いたりすることのできる高い机である。あんな机が欲しいものだと時々想い出すのであるが、私はいまだそれを造らないでいる。》

《…ハイデッガーはディルタイの解釈学とフッセルルの現象学とを結合したのである。…どういうフェノメノロギー〔現象学〕も凡て非歴史的だということにまず注目してかからなければならぬ。〔……〕にも拘らずハイデッガーは解釈学的な現象学を企てようとする。》
戸坂潤『日本イデオロギー論』(1936)

戸坂潤 日本イデオロギー論 ――現代日本に於ける日本主義・ファシズム・自由主義・思想の批判


以下『田辺元とハイデガー』より孫引き
《田辺元に 「種の論理 」というのがあったけれど 、個と類に対して種をもってくるというのは 、昔からありふれています 。とにかく 、ヘ ーゲルの論理の中で考えれば 、種 (対幻想 )をもってくるほかないでしょう 。とにかく 、思考主体だろうが性的関係だろうが 、すべて共同幻想 (制度 )の中にあるのだと考えてみるべきです 。そうなったときに 、はじめて個 (特殊性 ) ─類 (一般性 )という回路とはちがった 、単独性 ─普遍性という回路が見えてくる 。》 (蓮實重 ・柄谷行人 『闘争のエチカ 』河出書房新社 、一九八八年 、二二二頁 )


 「自分が風土性の問題を考えはじめたのは、一九二七年の初夏、ベルリンにおいてハイデッガーの『有と時間』を読んだ時である。人の存在の構造を時間性として把捉する試みは、自分にとって 非常に興味深いものであった。しかし時間性がかく主体的存在構造として活かされたときに、なぜ同時に空間性が、同じく根源的な存在構造として、活かされて来ないのか、それが自分には問題であった。もちろんハイデッガーにおいても空間性が全然顔を出さないのではない。人の存在における具体的な空間への注視からして、ドイツ浪漫派の(生ける自然)が新しく蘇生させられるかに見えている。しかしそれは時間性の強い照明の中でほとんど影を失い去った。そこに自分はハイデッガーの仕事の限界を見たのである。空間性に即せざる時間性はいまだ真に時間性ではない。ハイデッガーがそこに留まったのは彼のDaseinがあくまでも個人に過ぎなかったからである。彼は人間存在をただ人の存在として捕えた。それは人間存在の個人的・社会的なる二重構造から見れば、単に抽象的なる一面に過ぎぬ。そこで人間存在がその具体的なる二重性において把捉せられるとき、時間性は空間性と相即し来たるのである。ハイデッガーにおいて充分具体的に現われて来ない歴史性も、かくして初めてその真相を呈露する。とともに、その歴史性が風土性と相即せるものであることも明らかとなるのである。
和辻哲郎『風土―人間学的考察―』序言(1935) 昭和十年八月


レヴィナスは先祖代々から続くユダヤ民族を想定して個人主義を批判している。
だから時間の射程がズレていることが両者が噛み合わない理由だろう。
その核心には対幻想(種の論理としてのそれではなく性交のこと)があるのにそこは
両者ともに考察しない。

サルトルは政治的な有効性を模索するから党派性の問題が出てくる。
ハイデガーがこれを拒絶するのはナチスで懲りてるからだろう。
ハイデガーに師事しサルトルを家庭教師に雇った九鬼周造がサルトルにハイデガー
を教えたそうだが、ハイデガーから構造的思考を学んだ九鬼周造の方が
政治を拒絶したという点でハイデガーを受け継いでいる。