((カント)
宗教、
ネーション、
政治学、
経済学、
リンク::::::::::)
NAMs出版プロジェクト: アウグスティヌス『神の国』
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_42.html(本頁)
宗教:インデックス
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_88.html
政治学 |
宗教
|(
ネーション)
_____|_____平
経済学 | X 等
|
自 由
「正義がなくなるとき、王国は大きな盗賊団以外のなにであろうか。盗賊団も小さな王国以外のなにでもな
いのである。盗賊団も、人間の集団であり、首領の命令によって支配され、徒党をくんではなれず、団員の
一致にしたがって奪略品を分配するこの盗賊団という禍いは、不逞なやからの参加によっていちじるしく増
大して、領土をつくり、住居を定め、諸国を占領し、諸民族を征服するようになるとき、ますます、おおっ
ぴらに王国の名を僭称するのである。そのような名が公然とそれに与えられるのは、その貪欲が抑制された
からではなく、懲罰をまぬがれたからである。ある海賊が捕らえられて、かのアレキサンデル大王にのべた
答はまったく適切で真実をうがっている。すなわち、大王が海賊に、『海を荒らすのはどういうつもりか』
と問うたとき、海賊はすこしも臆すところなく、『陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小
さな舟でするので盗賊とよばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝とよばれるだけです』と答えたのである
(1)。
(1)この話はノニウス・マルケルルスによって語られ、マルケルルスはキケロからそれを借りてきている
(キケロ『国家論』三)。」(1巻273)アウグスティヌス[服部英次郎訳]『神の国』第四巻第四章 全(岩
波文庫1,273~4頁1982-1991)
脚注を除いた全文を柄谷は引用している(『帝国の構造』95頁)。
[IV] Remota itaque iustitia quid sunt regna nisi magna latrocinia? quia
et latrocinia quid sunt nisi parua regna? Manus et ipsa hominum est,
imperio principis regitur, pacto societatis astringitur, placiti lege
praeda diuiditur. Hoc malum si in tantum perditorum hominum accessibus
crescit, ut et loca teneat sedes constituat, ciuitates occupet populos
subiuget, euidentius regni nomen adsumit, quod ei iam in manifesto
confert non dempta cupiditas, sed addita inpunitas. Eleganter enim et
ueraciter Alexandro illi Magno quidam comprehensus pirata respondit. Nam
cum idem rex hominem interrogaret, quid ei uideretur, ut mare haberet
infestum, ille libera contumacia: Quod tibi, inquit, ut orbem terrarum;
sed quia
ego exiguo nauigio facio, latro uocor; quia tu magna
classe, imperator.
http://www.thelatinlibrary.com/augustine/civ4.shtml
参考:
《カントの世界共和国という理念は、ルソーではなくライプニッツから来るものです。
さらにいえば、アウグスティヌスの『神の国』から来るものです。》(196頁,6-5)
アウグスティヌス,/○94,○96~9,○175,○196~8,○200~1,○209
『神の国』/○95~6@,○97~8@,○196~7@
ちなみに黒澤明『影武者』冒頭に以下、のセリフがある(信玄と弟と影武者の三位一体!!のシーン)、
「フフフフ、俺は、たかだか五貫十貫の小銭を盗んだ小泥棒だ。国を盗るために、数え切れねぇほど人
を殺した大泥棒に、悪人呼ばわりされる覚えはねぇ!」
(中略)
信玄「…たしかにこの儂は強欲非道の大悪人だ。 実の父を追放し、わが子も殺した。儂は天下を盗るためな
ら何事も辞さぬ覚悟だ。
しかしな、血で血を洗う今の世に、何者か 天下を盗り天下に号令せぬ限り、 その血の河の流れは尽きず、屍
の山は築かるるばかりぞ」
(チャップリン『殺人狂時代』の最後のセリフも想起させるが、こちらは権力の主題はない。チャップリン
は大恐慌など交換様式Cを主題としている。)
「血の河の流れ」と「屍の山」は、信玄の戒め(「動くな」)を守らない勝頼によって、長篠の戦いの結
果、現実化してしまう。信玄のセリフは映画のラストにつながっているのだ。
近親を罰する信玄の論理は交換様式Bだが、その後信玄に殉ずる影武者の論理は交換様式Aである(244頁参照7-6)。
《
たとえば、私は自宅近くのデポー(ワーカーズ · コレクティブが運
営する生活クラブ生協の小規模店舗)に每日のように行きますが、い
わばそれは神の国です。その隣にコンビニがあってそこに
も行く。つまり、地の国にも行く(笑)、デポーだけでは足り
ないからです。今のところ、この「神の国」は無力ですがそ
れが存在することは確かです、たとえそれが全面化するのが
遠い将来だとしても、すでにそれがあるということが大事だと
思います。》
柄谷行人インタビュー[後篇]「神の国・超自我・非戦について」
『社会運動no.419』2015.7,154頁より
《…以前、知人に、協同組はアウグスティヌスの「神の国」に書かれている「神の国」の
ようなものだと言ったことがあります。キリスト教の中では、
神の国がいつ来るかについて、意見がさまざまに分かれていま
す。たとえば神の国はこの世の外にあると考える人たちもい
る。アウグスティヌスの場合、神の国はこの世にあるもので、
しかも、すでに神の国は到来しているという考えです。…》同153頁
『神の国』第19~22巻が「神の国」と「この世の国」との対比に当てられる。
(「神
の
国 」
civitas
Dei ,「
地の国」
civitas
terrena)
http://jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-content/uploads/smt/vol21/69-83_matsuda.pdf
I dreamed I saw St. Augustine
Alive as you or me
Tearing through these quarters
In the utmost misery
With a blanket underneath his arm
And a coat of solid gold
Searching for the very souls
Whom already have been sold
“Arise, arise,” he cried so loud
In a voice without restraint
“Come out, ye gifted kings and queens
And hear my sad complaint
No martyr is among ye now
Whom you can call your own
So go on your way accordingly
But know you’re not alone”
I dreamed I saw St. Augustine
Alive with fiery breath
And I dreamed I was amongst the ones
That put him out to death
Oh, I awoke in anger
So alone and terrified
I put my fingers against the glass
And bowed my head and cried
【じんぶんや第99講】柄谷行人選『帝国の構造』 | 本の「今」がわかる ...
www.kinokuniya.co.jp/c/20140731181410.html
... をいただきました。 柄谷行人さんエッセイ「帝国の構造」 私は20世紀の末に、社会 構成体を複数の「交換様式」の接合として見... ... 〈1〉柄谷行人さんコメントアウグス ティヌスがいう「神の国」は天上ではなくこの世にある。地の国が自己愛から ...
『帝国の構造』柄谷行人 : marginalia
abraxasm.exblog.jp/22385844
帝国の構造』は、ギリシアにおけるイソノミアを扱った『哲学の起源』に続き、『世界史の 構造』で言い足りなかった点を補説 ... 薬籠中のものとし、今度は、アウグスティヌスの『 神の国』まで引っ張り出し、力業で世界を解釈しなおそうとする柄谷の ..
世界の創造以来の歴史を、地の国(この世の国)とそれに覆われ隠されている神の国の二つの歴史として叙述する。全22巻より成り、前半10巻で地の国を、後半12巻で神の国を論ずる。アウグスティヌスは410年のゴート族によるローマ陥落を機に噴出したキリスト教への非難に、この著作によって応えた。
terrenae ciuitatis , Civitate Dei
the Earthly City,the heavenly cities,The City of God
構成
全22巻から成り、第1巻から第10巻までの第1部と、第11巻から第22巻までの第2部に大別される。
• 第1部
• 第1巻-第5巻 : ローマへの批判
• 第6巻-第10巻 : 異教徒の哲学への批判
• 第2部
• 第11巻-第14巻 : 2つの国の起源
• 第15巻-第18巻 : その歴史・進展
• 第19巻-第22巻 : 待ち受ける運命
内容
第1巻-第5巻
第1巻
マルセリヌスの求めに応じ、神の国を創立者である真の神を誹謗する異教徒た ちに対して弁護すると述べる。神の国の最高の法は、「神はおごるものに抗い、へりくだる者に恩寵を給う」ところにある。偶像教は道徳を支持するどころか、 背徳汚行を宗教的行事において是認推奨している。また、異教徒によるクリスチャンへの迫害、クリスチャン婦女への暴行について考察する。
第2巻
ローマの歴史を考察し、キリスト教の広まる前、偶像教の神々が崇拝されていた時、ローマに多くの災害があったと指摘する。その災害の第一は、道徳的 堕落である。これらの神々は、いまだかつてローマ人に道徳を与えなかったばかりでなく、淫猥な祭典すら要求した。アウグスティヌスは彼らの女神の祭礼につ いて描写し、このような醜悪な祭典を好む神々は、不浄の汚鬼に違いないと断言する。アウグスティヌスの訴えは、異教を捨てて、キリスト教に回心しなければ ならない。神々は悪霊だというものである。
第3巻
ローマの歴史について。
第4巻
ローマの発展は真の意味においては、神々ではなく、唯一真の神の御旨によると述べる。ユダヤ人が世界に散らされたのは、これによって、虚偽の神々の偶像、祭壇神殿等が、毀たれるためである。
第5巻
アウグスティヌスは偉大なローマの魂を、キリスト教の信仰のために死をも辞さなかった殉教者の群れのうちに発見する。
第6巻-第10巻
異教徒の哲学への批判。
第11巻-第14巻
2つの国の起源。
第13巻
原罪の問題。人間の罪と、その刑罰として人間に与えられる死について。
第15巻-第18巻
その歴史・進展。
第19巻-第22巻
「神の国」と「この世の国」との対比。
第21巻
悪魔の国の終焉、すなわち永遠の刑罰について。
第22巻
聖徒に対する永遠の祝福と他の者にたいする永遠の刑罰の約束について。天において聖徒は罪を犯すことのできない自由意志を受ける。祝福された者は自分自身について知るとともに、滅ぼされた者たちの永遠の苦しみを知る。
書誌情報
• 「抄録神の国」、『世界大思想全集 第52』 野々村戒三編、春秋社、1929年。
• 『神の国』 J・W・C・ワンド編、出村彰訳、日本基督教団出版局、1968年。
• 『神の国 1』 服部英次郎・藤本雄三訳、岩波書店〈岩波文庫 青805-3〉、1982年3月。ISBN 4-00-338053-3。
• 『神の国 2』 服部英次郎・藤本雄三訳、岩波書店〈岩波文庫 青805-4〉、1982年12月。ISBN 4-00-338054-1。
• 『神の国 3』 服部英次郎・藤本雄三訳、岩波書店〈岩波文庫 青805-5〉、1983年7月。ISBN 4-00-338055-X。
• 『神の国 4』 服部英次郎・藤本雄三訳、岩波書店〈岩波文庫 青805-6〉、1986年6月。ISBN 4-00-338056-8。
• 『神の国 5』 服部英次郎・藤本雄三訳、岩波書店〈岩波文庫 青805-7〉、1991年4月。ISBN 4-00-338057-6。
• 「神の国(1)第1-5巻」、『アウグスティヌス著作集 第11巻』 赤木善光・泉治典・金子晴勇訳、教文館、1980年9月。
• 「神の国(2)第6-10巻」、『アウグスティヌス著作集 第12巻』 茂泉昭男・野町啓訳、教文館、1982年2月。
• 「神の国(3)第11-14巻」、『アウグスティヌス著作集 第13巻』 泉治典訳、教文館、1981年6月。
• 「神の国(4)第15-18巻」、『アウグスティヌス著作集 第14巻』 大島春子・岡野昌雄訳、教文館、1980年12月。
• 「神の国(5)第19-22巻」、『アウグスティヌス著作集 第15巻』 松田禎二・岡野昌雄・泉治典訳、教文館、1983年11月。
参考文献
• 岩下壮一 『アウグスチヌス 神の国 大思想文庫6』 岩波書店、復刊1985年
• 中山昌樹 『聖アウグスティヌス伝及神の都』 基督教文献叢書:新生堂
関連文献
• エティエンヌ・ジルソン 『「神の国」論 アウグスティヌス、平和と秩序』 藤本雄三訳・解説、行路社、1995年5月。
• アルバン・イシドア・シュトルツ 『聖アウグスティヌスの哲学』 藤本雄三訳、南窓社〈キリスト教歴史双書 15〉、1995年12月。ISBN 4-8165-0159-2。
• 柴田平三郎 『アウグスティヌスの政治思想 「神国論」研究序説』 未來社、1985年
• 矢内原忠雄 『アウグスチヌス 神の国 土曜学校講義2』 矢内原伊作・藤田若雄編、みすず書房、1971年、復刊1998年
外部リンク
https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%9B%BD%28%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%91%97%E4%BD%9C%29-1518931
神の国(アウグスティヌスの著作)
かみのくに
De civitate Dei contra paganos libri viginti duo
ローマ時代末期の教父・思想家アウグスティヌスの
著作。正式には『異教徒を論駁(ろんばく)して神の国について論ずる』と題する。22巻があり、アウグスティヌスの浩瀚(こうかん)な著作のなかでも、
『告白録』13巻とともにもっとも著名な代表作の一つである。彼自身もいうように、本書は「大きな、ほねのおれる仕事」であって、410年から426年に
わたって執筆されたものである。その間、脱稿するごとに部分的に公刊されていたようである。
本書執筆の動機としてまずあげられるものに、410
年8月24日アラリック王に率いられたゴート人が「永遠の都」ローマを陥落させた大事件と、ローマ帝国に襲いかかったこの禍害をキリスト教の責任にしよう
とする異教徒の非難・攻撃があった。これらに対して、アウグスティヌスは「神の家に対する熱心に燃え立ち」キリスト教の真理を擁護し、地上において巡礼し
つつ、ついに勝利の栄光に輝く神の国(都)について、歴史神学的、哲学的な視点から壮大な論考を企図し、実現したのである。本書は、護民官を務めた敬虔
(けいけん)なキリスト者であり、殉教したマルケリヌスに献呈されている。本当に善き、あるべき国は信仰の基礎のうえに建てられるべきであるという、彼の
年来の主張も本書構想の背景にあることは、マルケリヌスあての手紙などによって知られる。[中沢宣夫]
3 Comments:
岩波文庫79頁
Augustine: De Civitate Dei Liber XIX
冒頭
http://www.thelatinlibrary.com/augustine/civ19.shtml
terrenae scilicet et caelestis
地の国と天の国
岩波文庫5
9頁
[I] Quoniam de ciuitatis utriusque, terrenae scilicet et caelestis,
二つの国、すなわち地の国と天の国との定められた終局について論じなければ…
コメントを投稿
<< Home